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OCS『South Burma』(仮)製作のために:第55山砲兵連隊の第2大隊と第3大隊について

 OCS『South Burma』(仮)の戦闘序列で、第55山砲兵連隊第2大隊と第3大隊に関して良く分からないので、備忘録&後に情報が見つかったら集積するためにブログに書いておきます。


unit8572.jpg


 第55山砲兵連隊のユニットが「55(-)」とあるのは、私の今までの推測では「ビルマ戦の初期にはこれらは大隊単位で運用されていたのではなく、抽出された大砲と人員で運用されていたのかな?」と思っていたのでこんな表記にしていたのでした。


 第55山砲兵連隊のうちの第1大隊は、南海支隊というのの一部としてグアム、ラバウル方面の作戦に参加していたので、ビルマ侵攻作戦には参加していません。第55山砲連隊は、「3大隊から成り、94式山砲27門を持っている」と『ビルマ攻略作戦』P45にありますので、1個大隊の門数は27÷3=9門(1個中隊3門)であると思われます(第33山砲兵連隊も同じ)。



 第55山砲連隊はビルマに入る際に、第2大隊と第3大隊の両方がほぼ同時に入ったのかもしれません。↓のような理由から。

1.『山砲兵第55連隊行動表』の「連隊本部」「第2大隊本部」「第9中隊【第3大隊所属】」の行動表を見ていると、すべて同じように行動し、1月末から2月初めにモールメンに到着している。

2.『火砲と共に:山砲第五十五聯隊戦史』P99のモールメン戦の記述に、「山砲の両大隊は」とある。

 山砲の両大隊は展開し夜明けに飛行場東端の聯隊観測所をみると、飛行場を丘陵に向かう歩兵主力がよく見えたが、あっと思う間に援護射撃の必要もなく丘陵に到達した。
『火砲と共に:山砲第五十五聯隊戦史』P99






 ただし、中隊の門数が1門、あるいは2門に減らされていたという記述があります。

 【第55師団】師団長は、諸隊を国境地帯に推進するに先立ち、車両部隊をすべて駄馬または駄牛編成に改め、特に山砲隊は携行弾数を多くするため、中隊は1門編成にし、バンコクに残した火砲は、モールメン攻略後陸路あるいは海路により追送させることにした(64)。
『ビルマ攻略作戦』P84

 注64の内容は「第55師団参謀であった福井義介大佐回想」とありました。

 今になると聯隊長は小径もない渓谷づたいの長距離のあのジャングルのタイ、ビルマの山脈を横断していかにして山砲兵がモールメン前面に進出するかに苦心されていたのがよく分かる。このため3門編成の各中隊は2門とし残りの火砲と聯隊大行李を石黒築兵技軍曹以下に宰領させて追及を命じた。
『火砲と共に:山砲第五十五聯隊戦史』P96

 こちらは、飯村茂聯隊指揮班長という方の回想です。


 さらに、こんな書き方をしている資料もあります。

4.第55師団は歩兵団本部の指揮下でグアムに行っていた第144連隊等を欠いていた。師団はヴィクトリアポイントに向かった第143連隊第2大隊と、タボイに向かった第112連隊第3大隊を欠いた状態でビルマに入った。両大隊はモールメンで再合流した。Their two remaining mountain artillery battalions each had six guns.
『Burma, 1942: The Japanese Invasion - Both Sides Tell the Story of a Savage Jungle War』P372

 この英文の意味するところがイマイチ分からないのですがDeepL翻訳等は、「残る2つの山砲大隊は、それぞれ6門を保有していた。」という感じで訳してきます。この「残る(remaining)」というのが、戦場に来ている方なのか、あるいはバンコクに残されていた方なのか?


<2023/07/06追記>

 各大隊が6門を持っていたという記述を見つけました。

 【第55】師団の2つの山砲大隊はそれぞれ6門しか持っていなかった。
『Burma 1942: The Road from Rangoon to Mandalay』P56


 欧米ではこの「大隊に6門=中隊に2門」という捉え方が流布しているのかもです。ただその場合、価値が高いとみなされているらしい戦史叢書のうちの一冊である『ビルマ攻略作戦』の情報は無視されているということになりそうです。

<追記ここまで>




 さらに、よく分からないのがこの記述です。

6.【ラングーンを占領した後の3月の】第二段階では、第33師団と第55師団の山砲連隊が27門のフル装備になった。
『Burma, 1942: The Japanese Invasion - Both Sides Tell the Story of a Savage Jungle War』P372

 第55山砲兵連隊の第1大隊はグラム、ラバウル方面に行っていたはずなのに、どうやって連隊定数の27門にするのでしょう……? Wikipedia「第55師団 (日本軍)」によれば、南海支隊の生存者200名がビルマ戦線の第55師団に合流したのは43年11月です。


 しかしそもそもが、「中隊は1門」「中隊は2門」という時点で(記憶に?)齟齬がありますし、間違いのない本なんてあり得ないと思いますので、27門というのは『Burma, 1942: The Japanese Invasion』の勘違いなのかもしれません(あるいは、2個大隊で27門にしたとか、ラングーンで1個大隊増やしたとか、そういう方法がとられた可能性もあるのかも)。


 これらの件を一応頭に置いといて、今後資料を読んでいく中で情報が見つかったら、集積していこうと思います。

 実は、『火砲と共に:山砲第五十五聯隊戦史』と『山砲兵第55連隊行動表』は、私が奈良県立図書情報館で取るものも取りあえずコピーしてきた部分のしかないので、今回コピーしてなかった部分にそこらへんの情報が書かれている可能性はあるかもと思います。ので、色々調べるべきことを集積してから、また行こうと思います。



 ただ、とりあえずのゲーム的な解決方法としては、↓かなと思ってます。

 「その大隊の中に史実で欠があっても、定数で登場させる(後に欠が埋められていた場合には特に)」という1つのやり方(「史実で欠があったら減らす」という方法もあります)に従って、しかし、この件の場合、第2大隊と第3大隊の両方を定数の火力で登場させるのではなく、便宜的に、例えば第2大隊ユニットのみを定数の火力で登場させる。ラングーン占領後に第3大隊を増援として登場させ、山砲が追送されたことを表現する。


<2023/10/20追記>

 第55師団の山砲兵第3大隊のユニットをとりあえず作ってみました。ラングーンへの登場時期が不明ですが……。

unit8508.jpg


<追記ここまで>

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No title

  別冊歴史読本「日本陸軍機械化部隊総覧」でも、山砲兵第五十五連隊第一大隊は、「(昭和十八年)十一月ペグーに到着、連隊に復帰した。」とありますね。
 南海支隊時代の第一大隊生存者は三十数名とのことです。

No title

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Author:DSSSM(松浦豊)
 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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