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1942年のビルマ戦で、なぜインド軍部隊は日本軍を歓迎せずにイギリス側に立って戦い続けたのか?

 ↓で書いてました、「1942年のビルマ戦で、なぜインド軍部隊は日本軍を歓迎せずにイギリス側に立って戦い続けたのか?」ということが問いとして頭の中にありました。


OCS『South Burma』(仮)製作のために:1942年のビルマ進攻の要約 (2023/03/08)

 ↑から再度引用しますと……。

 この輝かしい成果【ビルマ攻略作戦の大成功】を前にして、二つのことが日本軍を驚かせた。一つは、なぜインド陸軍がこれほどまでに戦い続けたのかということである。同じアジア人なのだから、表向きは「残虐な主人」から自分たちを解放するためにやってきた人たちを歓迎するものと日本軍は思っていた。しかし、そのようなことはなかった。
『Burma, 1942: The Japanese Invasion - Both Sides Tell the Story of a Savage Jungle War』P338





 最近、(昔読んだ)『アーロン収容所』を読み返していたのですが、その中の記述でこの件に関してだいぶ分かってきた気がしました。






 以下、引用等は戦後の日本兵捕虜収容所まわりの話なわけですが、そこで見聞されたことは戦前、戦中でもほぼ同じことだっただろうと推察されます。



1.インド人はイギリス人を極度に恐れていた。

 イギリス本国兵は新兵でさえ、インド人に対しては士官であろうが下士官であろうが、まったく無視するような様子を見せていた。無理に軽蔑しているのでもなく、腫物にさわるようにふれないようにしているのでもない。インド兵の存在を全然認めないような態度である。私たち日本人にもイギリス兵が話しかけることは絶無に近かったが、インド兵とイギリス兵が、何かの公的な交渉以外に話を交わしているのも見たことはない。よくまあインド人はこのような最高の侮辱に耐えられるものだと感心するよりほかはない。
 【……】
 インド人はみんなイギリス人を「イングリ」といって極端に恐れる。黙って【日本兵捕虜の作業の】監督をしている【インド兵の】男でも、その付近にイギリス人が現れると途端に顔色が変る。その「イングリ」が自分の直接の上官であろうが、兵隊であろうが、それはどうでもよい。認めるやいなや「イングリ」とかれらは叫ぶ。それから「イングリ、イングリ、カモン、カモン」の連発である。近くに来て作業でも見ようものなら狂ったように私たちを督励しはじめる。立ち去ってしまうとやれやれという風に座りこんでしまうといった調子である。
 【……】
 インド兵はこちらの文句に対し口ぐせのように言った。
「自分はそうは思わないのだが、イギリス人がそうせよと言うのだ。仕方ない。やってくれ」
 私たちは捕虜である。仕方がない。しかしインド兵が心からそう思っているらしいのはまことに淋しかった。インド軍はイギリスから協力を要請されて戦ったのではないか。対等のはずではないか。インド人、それはイギリス人に対するとき、どうにもならないほど弱々しく、卑屈で不安気であった。
『アーロン収容所』P122,3


 最後の「インド軍はイギリスから協力を要請されて戦ったのではないか。対等のはずではないか。」という部分ですが、実際にはまったくそうではなく、完全に強制だったのだということなのではないでしょうか。そしてそれは、(当時の)イギリス人にとっては別にやましいことでもなんでもなく、インド人達を使役するのは自分達に「神によって与えられた権利」であり、インド人達(というか有色人種全体)を自分達と対等と見ることなどあり得ないという感覚だったのではないかと。

 というのは、『アーロン収容所』の最初のあたりにこういう記述があるからです。以下はイギリス人女性兵士に関する記述ですが、イギリス人男性兵士だったらよりマシだったということはなかったと思われます。ただし、スコットランド人部隊兵士がイギリス人の中ではいちばん紳士的だったというような話もあります(P85)。

 【……】私は捕虜の全期を通じ、たしかに私用だと思われる仕事をしたことがあっても、イギリス人からサンキューということばは一度も耳にしなかった。おそらくこのことばを聞いた【日本の】兵隊はいないであろう。
 しかも、【私用の礼としてたまにタバコを一本か二本くれる時でも】タバコを手渡したりは絶対にしない。口も絶対にきかない。一本か二本を床の上に放って、あごで拾えとしゃくるだけである。【……】
 この女たちの仕事で癪にさわるもう一つのことがある。足で指図することだ。たとえばこの荷物を向うへ持って行けというときは、足でその荷物をけり、あごをしゃくる。よかったらうなずく、それだけなのである。
 その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女【イギリス人女性兵士】が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。なんの変化も起こらない。私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪をすき終ると下着をつけ、そのまま寝台に横になってタバコを吸い始めた。
 入って来たのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ大変な騒ぎになったことと思われる。しかし日本人だったので、彼女らはまったくその存在を無視していたのである。

 【……】
 もちろん、相手がビルマ人やインド人であってもおなじことだろう。そのくせイギリス【人男性】兵には、はにかんだり、ニコニコしたりでむやみと愛嬌がよい。彼女たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに「人間」ではないのである。それは家畜にひとしいものだから、それに対し人間に対するような感覚を持つ必要はないのだ。どうしてもそうとしか思えない。
 はじめてイギリス兵に接したころ、私たちはなんという尊大傲慢な人種だろうかとおどろいた。なぜこのようにむりに威張らねばならないのかと思ったのだが、それは間違いであった。かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。女兵士が私たちをつかうとき、足やあごで指図するのも、タバコをあたえるのに床に投げるのも、まったく自然な、ほんとうに空気を吸うようななだらかなやり方なのである。私はそういうイギリス兵の態度にはげしい抵抗を感じたが、兵隊のなかには極度に反撥を感じるものと、まったく平気なものとの二つがあったようである。もっとも私自身はそのうちあまり気にならなくなった。だがおそろしいことに、そのときはビルマ人やインド人とおなじように、イギリス人はなにか別の支配者であるような気分の支配する世界にとけこんでいたのである。そうなってから腹が立つのは、そういう気分になっている自分に気がついたときだけだったように思われる。
 しかし、これは奇妙なことである。なぜ私たちは人間扱いにされないのか。しかも、なぜそのような雰囲気にならされてゆくのであろうか。もうすこし、いろいろの経験から考えてみる必要がありそうである。
『アーロン収容所』P47~51


 我々がたとえば(若い頃に)教室で水着にでも着替えていて、虫だとか鳥だとかウサギだとかが教室に入ってきても、恥ずかしいとは思わないでしょう。仮に猿が入ってきても、驚きはするでしょうが、恥ずかしいとは思わないでしょう。しかし、人間の異性(人種に関係なく)が入ってきたら「やべえ」と思うはずです。

 当時のイギリス人(白人全体?)にとって、有色人種は「猿」と同じような、裸を見られても恥ずかしい対象とは見られていなかったということなのでしょう。同書P46には、「イギリス人は大小の用便中でも私たちが掃除しに入っても平気であった。」とすらあります。


 戦前の日本は白人の植民地となることを免れていましたから、白人(イギリス人)による人種差別の話を色々聞いて普段から憤ることはあっても、実際に白人に支配された状態とはどういうことなのかは理解できていなかったということなのではないでしょうか(今の我々にとっては、当時の人よりも想像が困難であるだろうと思います)。


 この人種差別の感覚について、著者は下記のような推察をしています。ヨーロッパは土壌が痩せていて穀物だけでは生きていけないため、家畜を飼ってそれを屠殺したりして冬を越してきたこと等に関する話が関わっています。一方で東~東南アジアは、米の収穫量も栄養価も高いために動物をそれほど食べる必要はなく、むしろ大事にされてきました。

 かれらは多数の家畜の飼育に馴れてきた。植民地人の使用はその技術を洗練させた。何千という捕虜の大群を十数人の兵士で護送して行くかれらの姿には、まさに羊や牛の大群をひきいて行く特殊な感覚と技術を身につけた牧羊者の動作が見られる。日本にはそんなことのできるものはほとんどいないのだ。
 【……】
 しかし、生物を殺すのは、やはり気持ちいいものではない。だからヨーロッパではそれを正当化する理念が要求された。キリスト教もそれをやっている。動物は人間に使われるために、利用されるために、食われるために、神によって創造されたという教えである。人間と動物の間にキリスト教ほど激しい断絶を規定した宗教はないのではなかろうか。
 ところでこういう区別感が身についてしまうと、どういうことになるだろう。私たちにとっては、動物と人間との区別の仕方が問題となるだろう。その境界はがんらい微妙なところにあるのに、大きい差を設定するのだから、その基準はうっかりすると実に勝手なものになるからである。信仰の相違や皮膚の色がその基準になった例は多い。いったん人間でないとされたら大変である。殺そうが傷つけようが、良心の痛みを感じないですむのだ。冷静に、逆上することなく、動物たる人間を殺すことができる。
『アーロン収容所』P68,9



 インドは第二次世界大戦の頃までに、300年くらいイギリスに植民地支配されていたのでしょうか。その間に、イギリス人に対する反抗精神を多くのインド人が失っていたのではないかと思えました。

 一方で、インド国民軍(日本軍に協力してインド独立を目指したインド人兵士部隊)に所属していた士官がイギリス側の理不尽な扱いに頑として応じなかったり、戦後も依然としてイギリスと戦っていたという話も同書に出てきました。ですから、インド人の中にはインド独立のためにイギリスと戦うということに命を賭ける覚悟を固めた人達もいたけども、「英連邦軍のインド人部隊」に加わったインド人兵士達は、「イギリスに逆らうことはできない」という感覚の中でいたのでしょうか。






2.日本軍がインド侵攻にまで成功したらインド軍部隊が寝返る可能性もあったかもしれないが、ビルマ侵攻成功だけでは無理だった。

 自動車部隊のあるインド人中尉は、水道工事をしている私たちに近よって来て言った。
「日本はよく戦った。えらい。ビルマからイギリスを追い払ったことで、私たちインド人もイギリス人と対抗できることを教えられたのだ」
 私は苦笑した。
「それならどうして君たちは日本と戦争したのか」
「それは君たちがあまりに自分の力を頼みすぎたからだ。君たちがビルマを征服したとき、すぐにインドへ来ればよかった。しかし君たちは傲慢になってラングーンで寝ていた」
 このインド士官は話がうまく、ここでいびきをかいてみせた。
「すぐ来たら私たちもイギリスに反抗したろうに。もうおそかった。
日本は世界中を敵にした。USA、イギリス、フランス、濠州、カナダ。私たちも勝つ方に参加する。そうしないと独立は得られない。【……】
『アーロン収容所』P150


 戦後の著者らの捕虜生活の中でさえも、インド人(ただしシーク教徒は除く)が日本人に友好的なことは、考えられないほどであったそうです。それはどうも、世界の支配者たることが当然なのであろうと自分達が諦めていた白人に対して、日本人は自分達で武器も飛行機も軍艦も作って一時はイギリス軍をさんざんに撃ち破ったとか、あるいは日本兵捕虜にしても何かを作ったり様々な技術を持っていたりすることに関して、感嘆の念を持っていた……ということにあるようです。

 ただそのような感嘆よりも、イギリスに対する恐怖が打ち勝っていたのでしょうね。


 また、もう一つ私が重要だと思うのは、インド人がビルマ人から非常に嫌われていたという話です。ビルマがイギリスによって征服された後、数十万のインド人がビルマ国内にやってきて色々あこぎな商売をやって金持ちになっていたりして、ビルマ人から蛇蝎のごとく嫌われていたそうです(それは「分割して統治せよ」というイギリスの政策であった側面もあったでしょうし、またビルマ征服の際の部隊もインド人部隊だったりしたのかもですね)。

 だとすると、ビルマ人は日本軍を歓迎していたけども、日本軍がビルマの領域に留まっている間は、インド軍部隊が日本軍側に立つのは極度に難しいでしょう。それこそ、引用したインド人中尉が言っていたように、もし日本軍がインド国内にまで入ってイギリス軍を散々に撃ち破っていれば、その時はインド人部隊が日本側に立つ可能性が、あったのかもです(後にビルマ独立義勇軍が、日本側から離れてイギリス軍側に立ったように)。




 一方で、戦中のインド人兵士がどのような気持ちで日本軍と戦っていたのだろうかとか、実際の作戦中のインド人兵士とイギリス人士官との関係性はどうだったのだろうかとか、そういうことに興味も湧くのですが、そこらへんが分かるような本が出てたりしないものでしょうかね……? インドのAmazonで検索したりしたら、そういう本が見つかったりするのでしょうか。


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