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『The Italian War on the Eastern Front, 1941-1943』から、東部戦線のイタリア軍の上級指揮官達の評価

 『The Italian War on the Eastern Front, 1941-1943: Operations, Myths and Memories』を続けて読んでましたら、次の項目が「GERMAN RATINGS OF ITALIAN OFFICERS」であり、ドイツ軍側からのイタリア軍の上級指揮官達の評価が載っていました。

 私は個人的に、おおむね師団長以上くらいの指揮官の能力やキャラクター像に関して非常に興味がありまして、国籍に関係なくそこらへん好きですが、イタリア軍のそういう情報は希少で、「キター!」となりました(^^)


 とりあえずまず、東部戦線のイタリア軍の編成ですが、当初の「イタリア・ロシア戦線派遣軍団(CSIR)」(司令官はメッセ)が1942年5月に拡充されて「イタリア第8軍(「ロシア戦線イタリア軍(ARMIR)」とも)」(司令官はガリボルティ)となり、その麾下に3個軍団を持つようになります。しかし、1942年の12月中旬からの小土星作戦、1943年1月中旬からのオストロゴジスク=ロッソシ作戦で大打撃を受け、1943年3月に残余の兵士達はイタリアへ帰還することになりました。


 細かい部隊を除いて師団クラス以上だけ記すと、↓のような戦闘序列です。

第35軍団(元のCSIR)
 アオスタ侯アメデオ皇太子快速師団
 パスビオ(自動車化可能)歩兵師団
 トリノ(自動車化可能)歩兵師団

第2軍団
 スフォルツェスカ歩兵師団
 ラヴェンナ歩兵師団
 コッセリア歩兵師団

アルピーニ軍団
 トリデンティーナ山岳歩兵師団
 ジュリア山岳歩兵師団
 クネーンゼ山岳歩兵師団
 ヴィチェンツァ守備歩兵師団


 ↓OCS『Case Blue』の上記師団や司令部ユニット。

unit8613.jpg




 まずは、第35軍団の司令官であったメッセと、その後任のツィンガレスについてです。


Giovanni MesseGenerale Francesco Zingales

 ↑左がメッセ、右がツィンガレス(Wikipediaから)


 メッセは、東部戦線のイタリア軍将兵の中で最も有能であったと評されている。彼は、理解が速く、明確な命令を下し、自分が責任を負うことや、任務に適さないと思われる将校を追い出すことを避けない人物として描かれている。それ故、ある報告書はこう結論付けた。 「ドイツ軍の軍服を着ていれば、誰もが彼をドイツ軍の将軍と信じただろう。」 彼がイタリアに呼び戻された【1942年11月1日?】後、ドイツ軍の連絡将校は、彼の強い性格と統率力を部隊の者達が恋しがっていると指摘した(注205:付け加えて言えば、彼の参謀長や他の多くの経験豊富な将校も部隊を去ってしまっていたのである)。メッセの後任のフランチェスコ・ツィンガレスは野心家であったが「軍事能力は平均的」で、あまり親独的ではない人物であると見られていた。実際、1942年3月のイタリア軍の昇格審査会は彼を昇格させることに全会一致で反対票を投じていたのであり、ドイツ側も同様の結論に達したというわけである。
『The Italian War on the Eastern Front, 1941-1943: Operations, Myths and Memories』P220


 メッセ将軍については以前、↓なども書いてました。

東部戦線におけるイタリア軍のメッセ将軍 (2017/05/22)
イタリア軍のメッセ将軍は、ドイツ軍に激怒して騎士鉄十字章を投げ捨てた?(が、その後も佩用し続けた) (2020/10/09)


 メッセ将軍は東部戦線からイタリアに帰った後、北アフリカ戦線で指揮し、最終的にはロンメルの後任(軍司令官)となりました。OCS『Tunisia II』で言うと、マレトラインの戦い以後の、リビア方面からの部隊を率いていたことになります。

 またツィンガレスの方は、最初に東部戦線に向かうイタリア軍の司令官となるはずだったところが病気になってその職をメッセに譲り、一時北アフリカで第20軍団を指揮して「イタリアのグデーリアン」と呼ばれたらしい(『砂漠のキツネ』P132)ですが、その後東部戦線でのメッセの後任となり、イタリアに帰って今度はシチリア島の戦いでイタリア第12軍団の司令官として戦ったそうです。今までゲームをプレイしていた時に、割と軍団長としてゲーム上にいたことになりますね……(^_^;





 次に、イタリア第8軍の司令官であったガリボルディと、その参謀長ブルーノ・マラグーティについてです。ガリボルディは北アフリカ戦線で初期にイタリア軍側の司令官を務めており、その頃のことを↓で書いてました。

イタリア軍のガリボルディ将軍とメッセ将軍とテレーラ将軍 (2017/05/27)
イタリア軍のガリボルディ将軍の解任の理由、その2 (2017/07/08)

ItaloGariboldiGen. Bruno Malaguti

 ↑左がガリボルディ、右がブルーノ・マラグーティ(Wikipediaから)

 ガリボルディは北アフリカ戦線で非常に非協力的なパートナーであったという評判を得ており、それはロシアでも追認されたが、以前の経験がドイツ軍の見方に影響を与えた可能性もある。1942年12月20日にカヴァッレーロは、イタリア軍内でさえも【小土星作戦による?】敗北をガリボルディのせいにする傾向があると指摘している。イタリア軍の撤退後、マラス将軍は1943年3月に戦線との間を訪問した。ドイツ軍のフォン・マッセンバッハ大尉が彼に同行しており、後にイタリア軍上級将校の印象を書き留めた。彼はガリボルディを「年老いた、白髪【原文はwhite-hearedだが、hairedだと理解して】の紳士で、非常に寡黙で、活気が全くなかった。完全に無気力で、諦めたような印象だった」と評している。しかし、彼の参謀長であるブルーノ・マラグーティは、非常に肯定的に広く評価されており、それは撤退後でさえも同じだった。マッセンバッハは彼を、誠実かつ非常に有能(重要な命令はすべて自分で起草する)であり、常に情報を集め意見を聞く、軍の人的管理の中心であったと評した。
『The Italian War on the Eastern Front, 1941-1943: Operations, Myths and Memories』P220,1







 次に第2軍団関係の指揮官ですが、Wikipedia上の項目は軍団長のジョヴァンニ・ザンギエリと最後に出てくるミケーレ・ヴァッカロのみのようで、Wikipedia上では写真は全然見つかりませんでした。

 第2軍団の司令官や幕僚は、あまり好意的な評価を受けなかった。軍団長のジョヴァンニ・ザンギエリは、悲観的な王政主義者で、無能な軍人だと思われていた。フォン・ティッペルスキルヒ【ドイツ軍側の連絡将校】は、彼を「まったく役に立たない、価値のない人物」とまで評した。ガリボルディも、ザンギエリの命令は分かりにく過ぎると考え、実際に実行されたかどうかを確認しなかったと言われている。ザンギエリはドイツ国防軍に対して協力する意志がなく、それは彼の参謀長であったウーゴ・アルミーチ大佐も同様であった。アルミーチはドイツ国防軍に対して「非常にイライラして」おり、ほとんど「敵対的」な態度をとっていると描かれている。第2軍団麾下の師団長達はより良い評価を受けていた。ラヴェンナ歩兵師団では、師団長のエドアルド・ネビアは非常に敏腕であると報告されており、彼の参謀長(後には師団長となった)であるフランチェスコ・デュポンは、このように評された。「活発、有能、意欲的な性格。優秀で思慮深い、まとめ役となる指揮官であり、ロシアでの他のイタリア軍師団長に比しても優秀であり、また彼はドイツ軍に特に積極的に協力する姿勢を示した」。非常に批判的なティッペルスキルヒでさえも、イタリア軍の撤退後(!)に他のドイツ軍将校達との話の中で、デュポンを「東部戦線で最高のイタリア軍師団長」と呼び、彼が兵士達の面倒をよく見たことを強調した。【……】

 スフォルツェスカ歩兵師団の師団長であったカルロ・ペッレグリーニ将軍は、軍人および植民地での将校として経験豊富であり、広く尊敬され、部下達にとって必要な存在であると賞賛された。彼の参謀長であるジョバンニ・フィオーレは、ファシスト四天王の一人であるチェーザレ・マリア・デ・ヴェッキの義理の息子であったが、あまり良い印象を持たれていなかった。ドイツ軍は、(砲兵出身であった)彼の歩兵部隊の扱いにある種の欠陥があることに気づいていたが、危機的状況において彼が堅固であったことを指摘している。【スフォルツェスカ歩兵師団の暫定指揮を執った】ミケーレ・ヴァッカロ将軍は、怠惰で肥満していたが、それでも勇敢な軍人であり巧みな戦術家であると見られていた。
『The Italian War on the Eastern Front, 1941-1943: Operations, Myths and Memories』P221~3






 最後に、アルピーニ軍団関係の指揮官です。最後のマリオ・カルローニは快速師団隷下の連隊長だと思いますが、アルピーニ軍団と共に撤退戦を行ったのでここに書かれているのでしょうか。

Nasci GabrieleReverberi don gnocchi

 ↑左がアルピーニ軍団長のナッシ、右がレヴェルベリ(Wikipeidaから)


unit8611.jpgMario Carloni

 ↑左がバッティスティ、右がカルローニ(Wikipediaから)


 アルピーニ軍団の指揮官達は、評価の平均値がさらに高かった。【アルピーニ軍団長の】ナッシ将軍は、極めて有能で、兵士達とも身近に接し、1月の作戦【1943年1月13日からのソ連軍のオストロゴジスク=ロッソシ作戦】時の戦いは見事であったと評価された。レヴェルベリ将軍(トリデンティーナ歩兵師団長)は優秀な軍人として賞賛され、クネーンゼ歩兵師団長であるエミーリオ・バッティスティ(1889-1971)は模範的な指揮官であると評価された。彼は退却に際して騎乗して軍の先頭に立ち、その落ち着いた統率によって兵士達に自信を広めたのである。これは、兵士達がその将校達を全面的に信頼していたという主張を裏付けるものであろう。ナッシ、レヴェルベリ、バッティスティは、飛行機で脱出するのを拒んで兵士達と共に前線にとどまり、争奪戦の舞台となった村での反撃の指揮を自ら執った。マリオ・カルローニ大佐(当時)は、勇敢で優れた指揮官であると繰り返し言及されており、ドイツ軍に非常に協力的で、絶望的な状況においてさえ練達した指揮振りを見せた。カルローニが指揮するベルサリエリ第6連隊(快速師団隷下)は12月中旬から後衛を形成し、その後多くのアルピーニ部隊と共に戦った。撤退は混乱し、多大な損失を受けていたにもかかわらず、カルローニの部下達はドイツ軍部隊と共にまとまった部隊として戦い続け、秩序を維持したままゴーメリ(Gomel)まで辿り着いたのである。
『The Italian War on the Eastern Front, 1941-1943: Operations, Myths and Memories』P223,4


 ナッシ将軍については、同書の少し前でも言及されていましたので、それも。

 1月の【ソ連軍の】攻勢前、アルピーニの防御施設は良好か非常に良好とみなされ、ナッシ中将は、 前線視察、戦術的なスキル、ドイツ軍との密接な協力で高く評価されていた。ドイツ軍の事後報告書には、1日12~15時間の行軍、300キロメートルにも及ぶだだっ広い地域、ほとんど食料も避難所もない退却中の苦しみが生き生きと描かれている。ナッシは、部下達を安全な地域に下げようとする行動と、ニコライエフカの戦いでのリーダーシップが評価された。
『The Italian War on the Eastern Front, 1941-1943: Operations, Myths and Memories』P216



 ナッシやレヴェルベリについては、以前↓で書いてました。

OCS『Case Blue』で見る、イタリア軍アルピーニ軍団トリデンティーナ師団の包囲環突破 (2019/08/30)
『雪の中の軍曹』で見るイタリア軍アルピーニ軍団の将軍3人+ドイツ軍の横取り行為について(付:OCS『Case Blue』) (2019/09/18)





 色々、優秀な指揮官がいたことが分かりますが、この本もまた、世界中で有名であるらしい「ヘタリア神話」に対抗して書かれた一冊であることもあり、最後にこのように書かれていました(なお、私は別に、『Axis Power ヘタリア』という作品等が悪いとは思ってません)。

 要するに、ドイツ軍の事後報告書やその他の多方面の評価書は、ガリボルディと第2軍団司令部を否定的に捉えているだけであり、上級指揮官達に関する他のほとんどの評価は肯定的であった。それにもかかわらず、イタリア軍の将軍達は堕落して、想像力に欠け、現実(および前線)から遊離していたという風刺的な見方が、いまだに神話的に語り継がれている。多くの場合、イタリア軍が軍事的に役に立たないピエロであったという「面白い」描写が、出典をきちんと検討することもなく、容易に額面通りに受け取られているのである。したがって、イタリア軍が軍事的に無能であったという主張は、それがドイツ軍側によるものであれ、イタリア人の回顧録によるものであれ、あるいは真面目な学者によるものであれ、再考されるべきである。【……】
 連絡将校達の事後報告書にあるように、イタリア軍の大隊長、連隊長、師団長達に対するドイツ軍側の見方は非常に好意的であった。一方で、イタリア軍の下士官や下級将校達はあまり好意的に評価されていなかった。実際、経験豊富なドイツ軍将校は【イタリア軍の】退却時の混乱した行動を1940年のフランス軍になぞらえており、退却時に規律を破る下士官や下級将校の多さをしきりに訴えていた。では、戦訓を学ばず、兵士達を失望させていたのは、これらの者達ではなかったのか。【……】
『The Italian War on the Eastern Front, 1941-1943: Operations, Myths and Memories』P224,5


 この本によると、イタリア軍の師団長クラスは優れた人物が多く、(私の印象では)軍団長は半々くらいで、しかし下士官クラスの質が悪かった……ということであるようです。なぜそうだったのか、ということに興味が湧くところですが、そのことに関する説明はまだ見つけていません。

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 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! VASSALでのオンラインインストも大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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