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OCS『South Burma』(仮)製作のために:日本軍の砲兵、戦車、捜索連隊について

 『Burma, 1942: The Japanese Invasion』の巻末のまとめの続きです。今回は、付録7「日本軍について」の中から、砲兵、戦車、捜索連隊について。



 砲兵に関しては、各種の砲の弾薬重量と射程について表になっています。

75mm山砲(九四式山砲) 13.4ポンド 9800ヤード【約8961m】
75mm野砲(九五式野砲) 14.3ポンド 12000ヤード【約10973m】
105mm重野砲(九二式十糎加農砲) 33ポンド 20100ヤード【約18379m】
150mm中榴弾砲(九六式十五糎榴弾砲) 80ポンド 13000ヤード【約11887m】

OCSの砲兵には、1~4ヘクス程度の射程があるため、レーティングにおいて射程はある程度重要です。OCS『South Burma』(仮)は現状1ヘクス5マイル(約8km)であるため、8km程度ならば射程は1ヘクスとなるかもですけども、8kmを大幅に超えてくるなら2ヘクスということはありそうです。

 前記で、九四式山砲も九五式野砲も射程8kmを越えてはいるんですが、OCS『Burma II』(インパール作戦の頃のビルマ戦域全体を扱う)のデザイナーノートにはこう書かれています。

 第二に、砲兵(特に日本軍のもの)の射程の短さに目を奪われるかもしれません。これも意図的なものです。地形の厳しさが、その使用の柔軟性を大きく制限していたのです。さらに、日本軍の大砲のほとんど、特に師団砲兵は、直接照準射撃で使用されていました。日本軍の間接照準射撃は、よくいって粗末なものでした。このことは、日本軍のすべての砲兵ユニットが移動モード時に1の射程しか持たないという風に反映されています。しかし、これらのユニットの多くは良好なアクションレーティングを持ち、また防御力1というのもこのレベルでは無視できないものです。彼らは一歩も引かずに、防御態勢を強化することができるのです。


 OCS『Burma II』の師団砲兵は、大隊規模で3-3-1-1(1-3-1-3)というものが多いです(両面で徒歩で、師団毎に3ユニット。アクションレーティングが、弱い師団だと下がるものの、それ以外はすべて一律)。


 ↓OCS『Burma II』の日本軍の師団砲兵ユニットの一例。

unit8630.jpg



 独立ユニットの「H(重砲兵)」は、射程が戦闘モードでは2ですが、移動モードでは1です。すべて両面で自動車化で、戦闘モードでは1移動力、移動モードでは9移動力。砲爆撃力に関しては、「3H」の1~3の大隊ユニット3つは戦闘モードで9、移動モードで3、「18H」の1~3の大隊ユニット3つは戦闘モードで6、移動モードで2でした。


 ↓OCS『Burma II』の日本軍の独立重砲兵ユニット。

unit8629.jpg



 インパール作戦時の1944年に使用されていた砲が、1942年当時のものと型が同じ(かつ、編成とかも変わらない)なら、OCS『South Burma』(仮)でも同じ数値を使っても良さそうです。ところが、手持ちの資料(戦史叢書『インパール作戦』とか)でパラパラ見てみた程度では、型についても編成についても良く分からず。しかし、『第2次大戦事典②兵器・人名』で日本軍の砲の型の移り変わりについて見てみたところ、前記の大砲が戦中に別の型に置き換えられたということはなさそうだったので、一応「そのまま」でいけるという理解でOK……?


 また、↓こういう記述があり、日本軍はSPに余裕がないようにすることになる(一般補給は何とかなるとしても)ので、砲兵はほとんど使用されないだろうと思います(ただ、OCS『Burma II』で私は日本軍では砲兵射撃はまったくしない方ですが、富山のKさんはバンバン撃ってきます。人によってもちろん使用法は異なることでしょう)。

22. 日本軍は兵站上の理由から、砲兵の使用を控えめにしていた。また、特定の目標以外にはほとんど発射しなかった。彼らは「ブラケット」【英辞郎によれば、「敵艦に砲弾を接近させる手法。距離計に基づいて第一弾を発射し、第二弾をその400m遠方に、第三弾を400m前方に着弾させて、最も近い着弾点を見極め、発射角を決定するもの。」】を信じず、最初の一発も効果を与えるようにして発射された。
『Burma, 1942: The Japanese Invasion - Both Sides Tell the Story of a Savage Jungle War』P377






 戦車に関してはこう書かれていました。

23. この作戦では日本の37mm砲搭載8トン【95式】軽戦車と57mm砲搭載15トン【89式】中戦車が使用されたが、日本の装甲はほとんど中国軍に対して使用された。軽戦車3輌はペグーでイギリス軍に使用されたが、その砲はイギリス軍スチュアートの装甲を貫くことができず、すぐに破壊された。メイクティーラからキャウクセまでの3日間だけ、日本の中戦車とイギリスの戦車が決定的な衝突をした。このキャンペーンでは、日本の戦車は徹甲弾を持たず、スチュアートを撃破できたケースは例外的な場合だけであった。
『Burma, 1942: The Japanese Invasion - Both Sides Tell the Story of a Savage Jungle War』P377


 これまで読んできたラングーンまでの戦い(例えばペグー)では、日本軍は3輌とか全部で6輌とかってくらいしか投入していない(できてない)ようなので、ユニット化されるかどうかはギリギリかなと思っていますけども、1戦力(移動モードでは0戦力)でユニット化するのはありかもですね……。英連邦軍側は1ユニットで6戦力とかだと思いますけども(>_<)

 メイクティーラ云々の話は、まだ調べてない期間なので全然分かりません。





 偵察部隊に関してはこのように書かれていました。

24. 偵察に使用される部隊は、師団によって異なっていた。1941年に再編成された第33師団には、師団司令部に直属する騎乗歩兵小隊と軽装甲車中隊、各連隊本部に所属する騎乗歩兵小隊があった。

25. 第55師団は、3個騎乗歩兵中隊、1個機関銃中隊、1個装甲車中隊、1個対戦車砲中隊を擁する捜索「連隊」【実質的には大隊】を有していた。彼らは自らを「騎兵」連隊(「最後の騎兵」)と称していた。1個騎乗歩兵中隊と機関銃中隊と対戦車砲中隊の一部はグアムへ派遣されており、この作戦には参加していない。

26. 騎乗歩兵部隊は、折りたたみ式銃剣を装着した軽小銃であるカービンで武装していた。両師団の軽装甲車中隊は、ラングーンが攻略されるまで到着しなかった。

27. 第56師団の捜索連隊は基本的に第55師団と同様であったが、自動車化されており、騎乗歩兵中隊は自動車化歩兵の2個中隊に置き換えられた。
『Burma, 1942: The Japanese Invasion - Both Sides Tell the Story of a Savage Jungle War』P377


 ここらへんは現状、細かい内容でユニット内容を変える必要はないかなと思っているのですけども、今後の課題ということで……。


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 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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