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北アフリカ戦における「娼館」について(付:OCS『DAK-II』)

 今回は北アフリカ戦における「娼館」について、これまで集積していた情報から引用してみようと思います。


 OCS『DAK-II』には↓のようなイタリア軍の移動娼館ユニットが入ってまして、OCS『DAK-II』の「移動娼館」ユニットと、占領された後のシチリア島の慰安所 (2017/03/31)でその辺りについて書いてました。

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 今回まず挙げるのは、「移動」でない娼館についてです。

 【ドイツ軍の】内務規定では、トリポリにある多くの売春宿のうちどれを利用するかが指示されていた。
『パットン対ロンメル』P216

 長い間戦火にさらされたキレナイカの首都ベンガジは乱雑な波止場と騒がしい露天の市場および、いつも開いている売春宿をもち、不規則に広がるだだっ広い町である【……】
『狐の足跡』上P217,8



 でもって、The Gamersの機関誌であった『Operations』の27号(1997年?)に、イタリア軍の娼館と「移動娼館(部隊)」について書かれた記事がありまして、「The OCS Depot」公開されています。それを翻訳してみました。

オペレーショナル・コンバット・シリーズ
歴史のゴミ箱から:娼館

by Mauro de Vita

 少し前にThe Gamersのリストサーバーで、OCS『DAK』におけるイタリア第10軍の移動娼館に関する特別ルールについて質問した人がいた。いくつかのユーモラスな回答を除いて、この話題はそれ以上議論されなかったが、そのような「部隊」がどのように編成され、利用されたのかをお伝えする時が来たようだ。以下の情報は、イタリアの戦史雑誌「Giorgio Rochat Storia Militare」に掲載された記事からのものである。その情報源は、陸軍の歴史局からのいくつかの文書である。

 回収された文書には、独伊軍がエジプト方面に進出した後の1942年3月から10月にかけて、キレナイカ地方に新しい娼館(正式名称は「Case di tolleranza」【イタリア語で「売春宿」を意味する】)を開設するようイタリア軍司令部に要請するものが数十枚含まれていた。いずれにせよ、同様の組織は、イタリア軍のプレゼンスが大きな影響を与えかつ安定していたすべての地域に存在しており、そのような地域には1940年から1943年の全期間を通じて存在していた。

 1942年6月28日、ピアッティ・ダル・ポッツォ将軍【英連邦軍の長距離砂漠挺身隊に対抗するイタリア軍特殊部隊を編成した人物】が指揮するGebelic司令部が発行した文書では、バルチェ(Barce)の娼館を5つの異なる等級に細分化している。


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 ↑OCS『DAK-II』のマップ。黄色い□が左からベンガジ、バルチェ、(後で出てくる)ベルタ。赤い□はロンメル暗殺作戦で襲撃されたベダ・リットリオ。

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 第一等級、第二等級、第三等級の娼館には、ヨーロッパ人の「プロフェッショナル」が配置されていた。第五等級を除くすべての娼館は、ヨーロッパ人の客のためのものだった。

 バルチェでは8つの娼館が営業しており、その営業時間は以下の通りであった。

 ヨーロッパ人向け:9時~12時、15時~20時、21時~24時

 リビア人向け:9時~12時、14時~19時。

 文書には非常に明確に「交戦のルール」が定められていた。それによると、

1.将校専用のものを除けば、ヨーロッパ人のための娼館の場合は、昼間は下士官用の待合室、夜は将校用の待合室を確保しなければならない。

2. 将校は将校専用の娼館で夜を明かすことができ、民間人もヨーロッパ人の「プロフェッショナル」の娼館すべてで夜を明かすことができる。一晩の料金は決まっておらず、客とテヌタリア(マダム【娼館の女性経営者】)の間で決定される。

3. 上級将校は、将校専用の娼館から来たプロフェッショナルと自宅で一晩過ごすことができるが、プロフェッショナルは正午以前に娼館を出ることはできない。一晩の費用は決まっておらず、客とマダムの間で決定される。

4.コンドームの使用は必須である。コンドームはマダムが用意し、「作戦」の料金に含まれることとする。

 このような複雑な組織は、前線から離れた地域でのみ可能であった。前線近くの場所では、それほど複雑ではない「部隊」が利用可能であった。例えば、1942年3月2日、CAM【機動】軍団の司令官ジンガレス将軍【「イタリアのグデーリアン」と呼ばれ、北アフリカの他東部戦線やシチリアでも軍団を指揮した】は、ベルタ(Berta【デルナの西方、Giovanni Bertaのことか?】)で少なくとも1,500人の需要を満たせる「軽装備の部隊」の編成を要請した。

 すべての娼館の「司令官」は、「テヌタリア」または「メトレッサ」(「部隊」内のすべてを管理する女性)だった。彼女はプロフェッショナルを募集し、特定の場所に「部隊」を設置する許可を求めた。警察は、軍隊の司令官と相談して許可を出した。

 許可が下りると、軍隊は部屋と輸送手段を、テヌタリアは衣装を提供しなければならなかった。衛生面のチェックは非常に厳しかった。医療関係者が不足している場合、その娼館はすぐに閉鎖された。憲兵隊は警備のための部隊を提供しなければならなかった。

 一般的に、どの娼館もテヌタリア(40代の女性)が一人、「プロフェッショナル」(20~30代の女性)が2~3人、そしてコックが一人で構成されていた。

 プロフェッショナルに対する警察の管理は非常に厳しかった。1942年5月28日【ガザラの戦いの真っ最中】には、バルチェの一人のプロフェッショナルが恋人の家に行くために許可なく娼館を出たため、イタリアに送還された。1942年9月末【エル・アラメインで両軍がにらみ合っていた頃】には、テヌタリア一人とそのプロフェッショナル一人が、メルサ・マトルーを2日間無許可で離れたものの、イタリアへの送還は免れた。なぜなら、彼女らはシワの守備隊の「問題」を解決するためにイタリア空軍の飛行機によって運ばれたことを証明できたからである。


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 ↑上方左からトブルク、メルサ・マトルー、エル・アラメイン。下にあるのがシワ・オアシスで、小さな守備隊が配置されていました。


 有名なアリエテ師団も、現地での例外ではなかった。(いや、アリエテ師団内に娼館部隊ユニットは入っていないが!) 1942年9月22日、アリエテ師団の上級将校の一人が、同師団のすぐ後の後方地域で「従軍」する意思のある少なくとも2人のプロフェッショナルを要請した。9月26日に同師団の参謀長は、軍司令官にアリエテ師団に必要な娼館を設置する許可を求めた。結果として、バルチェでアリエテ師団の将校たちは2人のプロフェッショナルを採用することができた。これで、『DAK』におけるアリエテ師団のアクションレーティングの高さの理由が理解できるだろう!


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 ↑OCS『DAK-II』のアリエテ戦車師団の全ユニット。時期によってユニットが入れ替えられていくので、一時期にこの全ユニットが出てくるわけではありません。


 軍司令部はこれを10月7日に許可した。10月10日、アリエテ師団の参謀長は、輸送手段、複数の部屋(テントであるが)、医療補助、警備分遣隊を提供した。10月13日、2人のプロフェッショナルはメディカルチェックを受けなければならなかった。10月17日には、彼らの「適性」の確認まで進んだ。

 ただ残念ながら、モントゴメリーとのエル・アラメインの戦いはすぐ近くに迫っており、アリエテ師団の兵士たちはこの部隊を長く楽しむことはできなかっただろう【エル・アラメインにおける最終決戦が10月23日から始まったため】。


 このエル・アラメイン戦の時期には、その前段階からアリエテ戦車師団を含むイタリア軍は崩壊の兆しを見せていたという話もあり、あるいはそれゆえにこの時期にこういう要求が必要だったのかもですね……。


 なお、前掲表の「スタッフ」のうちの「イスラム教徒のプロフェッショナル」についてですが、日本語版Wikipedia「ヒヤル」には以下のように書かれていました。

イスラムにおいて婚前交渉は厳しく禁止されており売春は重罪である、特に異教徒との関係は禁止されており、既婚女性が不倫を行えばジナの罪として死刑になる。 しかし、売春は古くから行われてきたようで現代でもインドネシアやマレーシアなどではイスラム教徒の女性でも売春を行っていることは珍しくない。

現在のインドネシアで行われている方法としては、売春斡旋業者に女性の紹介を依頼すると斡旋業者が「アラーを唯一の神と信じるか」と聞いてくるのでYESと答えれば、 客はイスラム教に改宗したことになる(偽装改宗)。次にミシャー婚の手続きを行う書類にサインすれば合法的にイスラム教徒同士の夫婦となるため性的関係を持つことは合法となる。イスラム教では結婚する場合にはマフルを支払う必要があるので客は女性に金銭を渡す。 売春が終われば今度は離婚届けにサインして夫婦関係を解消する。本来イスラムでは雄牛章 228節により離婚後の再婚を規制しているが、一部の国または地域ではそれが守られていない。

同様の方法は古くからエジプトでも行われていたようで、ナポレオン・ボナパルトのエジプト遠征で大勢のフランス人がエジプト人女性を買っている。


 エジプト遠征でナポレオンの義理の息子(ジョセフィーヌの連れ子)であったウジェーヌ・ド・ボーアルネが買った女奴隷の話については、ウジェーヌがエジプト遠征の時に買った女奴隷の話 (2018/07/15)で書きました(そういう行為があったかどうかは分かりませんけど、まあ……)。





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 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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