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太平洋とヨーロッパの両方で戦い高く評価された米軍の「ライトニング・ジョー」コリンズ将軍について(付:OCS『Beyond the Rhine』)

 『コマンド・カルチャー 米独将校教育の比較文化史』を読んでいて、米軍のコリンズ将軍について興味を持ったので調べてみました。



(なお、『コマンド・カルチャー』は第二次世界大戦の頃のアメリカ陸軍のウェストポイントなどの将校養成機関が、敢闘精神と独立性を持った指揮官を育成するのに大きく失敗したということがメインテーマになっており、その文脈で語られています)



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 ↑コリンズ将軍(1948年、アメリカ陸軍の副参謀総長の頃)(Wikipediaから)


 戦時において、合衆国陸軍の枢要な地位に就くべき優れたリーダーを見つけだすのは、容易なことではなかったと思われる。指揮官たちの書簡や回想録では、ある地位に必要な能力を持っているのはごくわずかの人材しかいないということが、しばしば論じられている。とくに、実戦に強い指揮官は稀だとみなされており、そうした統率力や攻撃精神を有する少数の者は、繰り返し切所【難所】に投入され、上陸作戦や突破、救援作戦にあたる部隊を指揮した。ジョー・ロートン・コリンズには、そのような人物であるとの定評があり、太平洋戦域からヨーロッパ戦域にまわされることさえあった。コリンズの能力が切望されていたためでもあり、また、現にヨーロッパで戦っていたり、合衆国に配置されて待機している将校たちのなかに、そういう人材がいないことは明白だったからだ。
『コマンド・カルチャー 米独将校教育の比較文化史』P261



 検索してみたところ、英語版Wikipedia「J. Lawton Collins」に、詳しくはないですがある程度コリンズの人物について書かれていました。

 コリンズは、1941年から1942年までハワイ局で参謀長を務め、「Tropic Lightning(南国の稲妻)」の異名を持つ第25歩兵師団の師団長として、オアフ島をはじめ、1942年から1943年にかけてのガダルカナル、1943年7月から10月にかけてのニュージョージアでの対日作戦に従事した。任命されたとき、コリンズはアメリカ陸軍で最年少の46歳の師団長だった。コリンズが「ライトニング・ジョー」の愛称で呼ばれるようになったのは、この作戦でのことである。


unit9122.jpg

 ↑ニュージョージアにおけるコリンズ将軍。



 その後、コリンズは欧州作戦地域(ETO)に赴任し、第7軍団を指揮して連合軍のノルマンディー上陸作戦と西部戦線で従軍し、1945年5月にヨーロッパの戦いが終結するまで活躍した。コリンズは、戦前、陸軍歩兵学校でコリンズと一緒だったオマール・ブラッドレー中将(当時、在英第一軍司令官)によって、ブラッドリーのウェストポイント時代の同級生で第7軍団の初代司令官だったロスコー・B・ウッドラフ少将の後任として選ばれた。ウッドラフはコリンズよりも年長だったが、水陸両用作戦の経験はなかった。コリンズは、ブラッドレーと連合国軍最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワー将軍との間の、彼の戦闘経験についての短い面談で、太平洋での戦術的アプローチを「常に高地を狙って攻撃する」と要約し、任命された。ブラッドレーはアイゼンハワーの方に向き直って、コリンズは「我々の言葉で話す」と主張したのだ。これにより、47歳のコリンズはアメリカ陸軍で最も若い軍団長となった。ノルマンディーでコリンズの指揮下に入った部隊の中には、1917年にウェストポイントを卒業した仲間であるマシュー・リッジウェイ少将が指揮する、歴戦の第82空挺師団があった。


 ↓OCS『Beyond the Rhine』の第7軍団司令部ユニット。

unit9123.jpg



 第7軍団は、1944年6月のノルマンディー上陸作戦と、その後のコブラ作戦を含むノルマンディーの戦いで大きな役割を果たした。コリンズは第21軍集団司令官バーナード・モントゴメリー将軍に気に入られており、グッドウッド作戦の後、1944年7月27日にコブラ作戦で第7軍団を脱出させるための道筋をつけた。 コブラ作戦の後、ファレーズポケットの戦いでノルマンディーにおけるドイツ国防軍の掃討を完了し、その後、パリの解放とパリからライン川までの連合軍の進撃に参加した。9月上旬、第7軍団はモンスポケットの戦いで約25,000人の捕虜を獲得した。 その後、ジークフリートラインを突破し、ヒュルトゲンの森の戦いで激しい戦闘に耐えた。第7軍団はその後、第二次世界大戦中の西部戦線における最大の戦闘であるバルジの戦いで主要な役割を果たし、最終的に連合国軍の西部ドイツ侵攻に参加したのである。第7軍団は「コブラ作戦」で主導的な役割を果たしたことでよく知られているが、コリンズがその計画に貢献したことはあまり知られていない。


Collinsbradley

 ↑1944年7月、ブラッドレー(左)にシェルブールをどのようにして攻略するかを説明するコリンズ将軍(右)。



 ヨーロッパと太平洋の両方で、それぞれドイツ軍と日本軍と戦った数少ないアメリカの上級指揮官の1人であるコリンズは、2つの戦争地域における敵の性質を対比させた。

 ドイツ軍は日本軍よりもはるかに高い戦闘技能を有していました。私たちが戦った日本軍部隊のほとんどは、熟達した兵士を持っていませんでした。その指揮官達も、熟練とは言えなかった。しかしドイツはプロフェッショナルな軍隊を持っていた……日本軍は……我々と同じように諸兵連合(砲兵と歩兵の連携)を扱う方法を知らなかった。だが、彼らは勇敢な兵士達でした……。彼らは非常に、非常に激しく戦ったが、ドイツ軍ほど巧みではなかった。しかし一方で、ドイツ軍兵士達には日本軍兵士達のような粘り強さはありませんでした。

 コリンズは1945年4月に一時的に3つ星の中将に昇進しており、6月には(一時的でない)准将になった。コリンズの上官であるオマール・ブラッドレー将軍からの評価は非常に高く、ドイツ軍の多くの上級指揮官達も、第8軍団を指揮していたトロイ・H・ミドルトン中将とともに、コリンズを西部戦線における最高のアメリカ軍団指揮官の一人と考えていた。ブラッドレーは「もし我々が欧州戦域でもう一つ軍規模の部隊を編成していたら、その若さと指揮年数の短さにもかかわらず、コリンズは間違いなくその司令官に指名されていただろう」とコメントしている。戦時中の功績により、コリンズは陸軍特別功労賞を3回、銀星章を2回、レジオン・メリットを2回受賞した。


 日本軍兵士に関する言及が、日本人としては泣けます……(T_T)

 ドイツ軍がプロフェッショナルな軍隊であったゆえんについても、『コマンド・カルチャー』では詳しく述べられており、大変興味深かったです。



 さらに、『コマンド・カルチャー』の序文で言及されていた『Eisenhower’s Lieutenants: The Campaigns of France and Germany, 1944-1945』のKindle版を購入してみたので、そちらでコリンズ将軍について検索してみましたら、以下のような話がありました。



 1942年5月、コリンズは2つ目の星を獲得し、第25師団長となった。1943年の初めには、この部隊はガダルカナルの第1海兵師団を救援し、そこで自分自身の最初の攻撃を開始していた。第25師団は心許ない由来を持つ部隊だった。この師団は戦前のハワイ師団(現在の第24師団)から引き抜かれた基幹部隊を中心に編成されたのであるが、ハワイ師団は正規の陸軍部隊ではあったものの、明らかに第一線の部隊ではなく、長らく守備隊に過ぎないと考えられていたものだったのである。それなのに第25師団は、ガダルカナルで第1海兵師団の後任を務めなければならなかったのだ。だがコリンズによる訓練と、彼の指揮のおかげで、恥じることなくその役割を果たすことができたのである。師団のコードネーム「LIGHTNING」は、コリンズ自身を連想させるものであった。
『Eisenhower’s Lieutenants: The Campaigns of France and Germany, 1944-1945』P119

 【1944年6月10日頃?】ブラッドレーと彼の幕僚達が第7軍団を訪問した際に感じたのは、「非常に活気がある」ということだった。若くてハンサムなコリンズ将軍は、「ネクタイをしていなくても身なりが整って見え、厳格な感じがした」とある日記に書かれている。また他の日記には「自主性と活気に溢れ、素早く、有能で元気いっぱいだった」とあった。
『Eisenhower’s Lieutenants: The Campaigns of France and Germany, 1944-1945』P117

 「ライトニング・ジョー」 コリンズの軍団指揮のスタイルは、個人的なリーダーシップを大いに発揮するというもので、軍団司令部を前線近くに置き、偵察車でもってある師団の連隊、大隊から別の師団や大隊へと急いで移動しながら諸問題を直接解決していき、全体の前進を促すというものだった。コリンズの第90師団への対応【第90師団の6月初旬の戦いぶりが良くなく、コリンズが師団長と2人の連隊長を解任したこと】は、彼の短気ではあるが大きな活力が、フィリップ・H・シェリダン将軍のように、自分よりもやる気のない指揮官に対する冷酷な不寛容さを秘めていることを示唆していた。それに加えて、コリンズがフィル・シェリダンのような大きな攻撃性を持っているというこの初期の徴候が成長していけば、ポトマック軍とは異なり、ヨーロッパにおけるアメリカ第1軍は、その作戦の初期にシェリダンを発見した幸運な存在となるかもしれない。
『Eisenhower’s Lieutenants: The Campaigns of France and Germany, 1944-1945』P119


 シェリダン将軍というのは、南北戦争の北軍の非常に敢闘精神の高かった、北軍ではある意味例外的な指揮官で、東部戦線における北軍(ポトマック軍)は特にそういう指揮官が全然おらずに苦労したので、「ノルマンディーにおけるアメリカ軍は初期のうちにシェリダン将軍のような敢闘精神の高い指揮官を得て幸運だった」というようなことかと思います。

 南北戦争やシェリダン将軍については、昔々に私が旧GameJournal誌に(南北戦争に詳しい方に教えてもらいながら)書いたヒストリカルノートをこちらにて公開していますので、見てもらったよいかもです。


<2022/03/21追記>

 『狐の足跡』にコリンズ将軍について書いてあるのを見つけたので、引用してみます。

 しかし6月22日になると、【ドイツ軍の】防御部隊は絶望的な状態になった。アメリカ軍の指揮官は猛烈な勢いで防御部隊を追撃して、これまでアメリカ軍と戦った経験のあるドイツ軍の将官全員を驚かせた。ロートン・“ジョー”・コリンズというハンサムで機敏で、しかも頑張り屋の少将は、1940年に同じ道路を北に向かって敵を急追したエルヴィン・ロンメルを生き写しにしたような人物であった。
『狐の足跡』下 P242





<追記ここまで>


 他にも、第82空挺師団長のマシュー・リッジウェイ将軍(朝鮮戦争では軍司令官として中国軍の攻勢を押し止め、反撃した)なども、米軍の優秀な指揮官として『コマンド・カルチャー』では何度も言及されており、そこらへんの知識が増えてくると、ウォーゲームをやる上でも個人的により楽しめるので嬉しいです。

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