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イギリス軍の歩兵戦車は、ドクトリン上どのように運用されていたのか?(付:OCS『DAK-II』)

 以前、イギリス軍の「戦車単独万能論」ドクトリンに従って、OCS『DAK-II』のイギリス軍に改造ハウスルールを付加する案などについて書いてました。

北アフリカ戦時のイギリス軍は、なぜ諸兵科で連携せずに戦車だけで突っ込む戦い方をしていたのか? (2021/05/05)


 しかしその後気になってきたのが、マチルダMk.IIのような歩兵戦車の存在です。巡航戦車は「戦車単独万能論」に従って単独で突っ込んでいっていたとしても、歩兵戦車はむしろ歩兵との協調を重視した使用法をされていたはずで、だとすれば改造ハウスルールで「機甲ユニットと歩兵ユニットはスタックできず、一緒に攻撃もできません」で終わらせるわけにはいかないと思われました。


 そこで、以前購入していた『Desert Rats: British 8th Army in North Africa 1941-43』に編制関係の詳しいことが書いてありそうだと思って、ひもといてみました。




 まずは、「戦車単独万能論」的な話があり、その後に歩兵戦車部隊関係の話が出てきます。

 第二次世界大戦が勃発する前、イギリス軍の戦車推進派の間では、(J.F.C.フラー少将とバジル・リデル・ハート大尉の先見性のある理論に触発されて)戦車の優位性と「純粋な」機甲戦という信念が深く浸透しており、これが北アフリカ戦の初期段階において、英国の機甲師団(砂漠戦の性質上、第8軍で最も重要な部隊)の編成方法に反映されていた。この考え方によれば、将来の戦いは主に戦車同士の戦いとなり、機械化された部隊の機動力、作戦行動、分散による敵へのショック効果を活用することになる。機甲師団の主な役割は、機動力を最大限に活用しながら作戦行動を行い、敵装甲部隊を単独で探し出して撃滅することである。このような戦いでは、戦車が常に主たる役割を果たし、他の兵科は非常に従属的な位置を占めることになる。西方砂漠での初期の【イタリア軍に対する勝利の】経験は、このことを証明しているように思えた。オーキンレック将軍は、司令官に就任した直後にチャーチルにこう伝えている。

 歩兵師団は、どんなによく訓練され、装備されていても、この【砂漠という開けた】地形で敵の装甲部隊を相手にした攻撃作戦には不向きであることは、私には明らかです。歩兵部隊は、敵の装甲部隊が無力化され破壊された後、防御された地域を保持するために必要であり、今後も必要となるでしょうが、主な攻撃は、自動車化された部隊に支援された機甲部隊によって行われなければなりません。

 戦前、機甲戦の性質について上記のような仮定をしていたため、中東で軍務に就いていた様々なタイプの高速で軽装甲な巡航戦車を装備した機甲師団の戦時編制は、極めて戦車が多いものだった。実際、この考え方は西方砂漠で、装備が貧弱で指揮官も劣悪であり、また決して危険を冒そうとしないイタリア軍を相手にして成功したことで強化されていた。機甲師団は、その戦時編制に従って、通常2つの完全な機甲旅団を持ち、それぞれが3つの機甲連隊を持ち、合計330両のAFVを保有していた。その他の支援装備はすべて支援グループに集中されていた。しかし、これは25ポンド砲を装備した野砲2個連隊、2ポンド砲を装備した王立砲兵対戦車連隊1個、主に40mmボフォース軽高射砲を装備した高射砲1門、そして2個の機動歩兵大隊だけで構成されていたのである。支援グループは通常、戦闘時には独立した機動部隊として扱われたが、実際にはこれらの部隊の一部は機甲旅団に配属されて運用された。例えば、クルセイダー作戦の際、第7機甲旅団は歩兵1個中隊、25ポンド砲16門、AT・LAA砲1門を装備して戦闘に臨んだ。このように他の武器の装備が非常に少ないのは、常に戦車が戦闘に責任を持ち、残りの部隊ははるか後方に置いておく - それらの残りの部隊は、夜間に味方を保護するなどの防衛任務のためにのみ前方に出てくる - という、広く行き渡っていた考え方を反映したものだった。

 独立戦車旅団は編制上、重装甲で動きが遅く、行動半径が非常に限られた歩兵戦車を装備しており、軽量で高速な巡航戦車を装備した旅団と似ている部分もあるが、全く異なる役割のための組織、装備を持ち、訓練を受けていた。各戦車旅団は、旅団本部と3つの戦車連隊で構成されていたが、他の部隊を直接支援するためだけに配備されていたため、支援火器は一切持たなかった。通常、完全編制の1個戦車旅団が、攻撃作戦を行う1個歩兵師団に配属され、例えば歩兵1個旅団ごとに戦車1個連隊が配属されたりしていた。実際、北アフリカ戦においては歩兵部隊指揮官は敵の機甲部隊からの保護を常に要求していたため、歩兵戦車は歩兵編成に長期にわたって留まることが多かった。その結果、この2つの兵科のそれぞれに密接な関係が生まれ、戦場での他方の能力を大幅に向上させることができた。この密接な関係により、北アフリカ戦では歩兵戦車と歩兵の協力関係がうまく機能した。実際、王立戦車連隊の優秀な部隊との連携に慣れた優秀な歩兵旅団は、多くの点で本格的な装甲旅団グループに相当するものだった。

 北アフリカ戦では、第8軍の歩兵師団の組織変更が最も少なかったと言えるが、すでに述べたように、攻撃において歩兵をどのように使用するか、ひいては歩兵をどのように組織し、装備すべきかについては、常にかなりの不確実性が存在していた。北アフリカ戦のほとんどの期間、歩兵の主な任務は、砂漠の固定陣地の防衛と、他のあらゆる支援火器を駆使して敵が待ち構える陣地へ攻撃を行うことであった。
『Desert Rats: British 8th Army in North Africa 1941-43』P13~15


 上の文で「連隊」という用語は、イギリス軍に独特の例えば「Royal Tank Regiment(王立戦車連隊)」というような「部隊名」的なもので、実質的には大隊規模です。OCS『DAK-II』でもそれらの部隊は「RTR」という名称で大隊規模のユニットになっていたりします。


 ↓OCS『DAK-II』のイギリス軍の独立戦車連隊(実質大隊規模)等(上の画像が戦闘モード、下が移動モード)

unit9135.jpg

unit9134.jpg

 クルセイダー作戦時の戦闘序列を見ていると、RTRとあったり、40番台、50番台の戦車大隊が、それぞれ1個ずつ、歩兵師団の歩兵旅団に配属されていたようです。

 戦闘モードでの移動力を見ると、(地雷除去戦車である「S」の付いたスコーピオン戦車部隊が2であるのは別格であるとして)3や4のマチルダMk.II戦車の部隊があります。


 改造ハウスルールを考えるとするならば、「独立戦車大隊は、常に歩兵師団の歩兵旅団に対して1対1で配属させなければならない。敵機甲部隊からの防御時には独立戦車大隊がARを提供する部隊にならなければならず、攻撃時には歩兵旅団がARを提供する部隊にならなければならない。」とかでしょうか……?

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 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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