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イギリス軍の「旅団グループ」とは?(付:OCS『DAK-II』)

 OCS『DAK-II』には、「旅団グループ」というルールがあります。その対象となるのはほぼすべての旅団規模ユニットで、アクションレーティングの数値の左下に小さく「B」と書かれたユニットです(「B」と書かれていない旅団規模ユニットもごく少数存在しています)。

unit9416.jpgunit9418.jpg


 このルールの記述量は多めなのですが、ごく簡単に書くと、ある期間、これらのユニットは射程1の固有の「5砲爆撃力」を持つよ、というものです(そしてまた、このゲームの全ての旅団ユニットは2ステップを持っており、1ステップロス状態ならば「3砲爆撃力」を持ちます)。その代わり、師団砲兵ユニットはなしになります(期間が終わると各旅団の固有の砲爆撃力は消滅し、師団砲兵ユニットを獲得します)。さらに、機甲旅団の場合、兵科マークが黄色と赤色に塗られており、その期間中は黄色でなくて赤色だとみなされます。

 このルールがプレイヤーにとってありがたいのかどうかというと……なんか非常に微妙な気がします(^_^; 単純に、覚えておかなきゃならないことが増えるのが負担ではあります。砲兵ユニットをどこに置くか悩む必要がないかもですが、射程1じゃなあ……。


 「ある期間」とはいつからいつまでか、ですが、歩兵旅団は「1940年9月12日ターンから、1942年8月26日ターンまで」です(例外あり)。これは、「キャンペーン開始時(グラツィアーニ攻勢開始時)から、オーキンレック解任時(モントゴメリー就任時、かつアラム・ハルファの戦いの直前)まで」に当たります。

 いっぽう機甲旅団は、開始が「1942年2月8日から」(ロンメルの第二次攻勢の途中)で、終了は歩兵旅団と同じタイミングです。


 この「旅団グループ」とはいったい何なのか……? ですが、基本的にはオーキンレック将軍が推進した(彼が就任する以前から存在はしていたらしい)、旅団の中に各種砲兵を入れ込んでいって諸兵科連合しようというもので、ドイツ軍のカンプフグルッペ(戦闘団)を真似るという意識によるもののようです。しかしイギリス軍は諸兵科が個別に戦うという意識がものすごく強かったそうで、この「旅団グループ」というやり方は結局うまくいかなかったようです。

 オーキンレックはまた、ドイツ軍のカンプフグルッペに対して、旅団グループを使用していくということを始めたが、結局このやり方は訓練、特に諸兵間の協調に関しての訓練の不足のために成功しなかった。彼はまた、イギリス軍の機甲師団が、ドイツ軍の装甲師団のように歩兵の比率を高く、戦車の比率を低くするという再編に尽力した。この新しい師団は3個機甲連隊からなる1個旅団グループ、1個自動車化歩兵大隊、それに各種野砲と対戦車連隊を持つ。2個目の旅団グループは3個自動車化大隊と、同様の砲兵、対戦車部隊を持っていた。
『Rommel's North Africa Campaign』P149


 ドイツ軍のパンツァー師団はチームワークを重視しており、戦車は攻防両面において対戦車火器と野戦砲兵とに密接に統合されていた。対してイギリス軍は兵科内【ママ。兵科間?】の協同が貧弱であったし、戦車があまりにも多くのことをなそうとしていた。【……】
 【……】オーキンレック大将は機甲師団と歩兵部隊との大きな亀裂を埋める案を実行に移した。
 【……】
 第二は各旅団が十分な支援兵科を附加されて、師団から独立して戦闘が可能な、いわゆる「旅団グループ」と称する自発的な戦術単位として機能していた既存の勢力を公式化することであった。オーキンレックはドイツ北アフリカ軍団にこの種の組織があると見ていたし、懸命にそれに匹敵させようとしていた。
 【……】しかし「旅団グループ」の概念は成功することは少なく、非常に大きな議論が起こった。「旅団グループ」の実施は1942年に始まった。訓練が行われ、兵科間のバランスがとれることをオーキンレックが望んでいたことは当然であった。
 イギリスの機甲戦略は、西方会戦における敗退から2年以上を経て、オーキンレック将軍の努力によって完成されたかのように見えた。しかし、指揮官が変われば思考も変わった。わずか16ヵ月間にオーコンナー、ペレスフォード・ペイルズ【ベレスフォード=ピアース】、カニンガム、ライトチー【リッチー】、オーキンレック、モントゴメリーと交代し、落ち着く暇もなく、これが、近代戦の戦術問題をマスターする絶好の機会を逸した原因といえよう。アレクサンダーとモントゴメリー両将軍は着任すると、まず、師団が戦術的単位であって旅団グループではない、ということを明白に示した。
『戦略戦術兵器事典④【ヨーロッパW.W.II】陸空軍編』「戦車先進国イギリスはなぜ失速したか」P76


 ↑この記事はある程度の分量があり、詳しくて大変ありがたいのですが、記述がなんか全体的に、かっちりとは分からない若干ふわふわした感じのものであるような気がします……。この引用文も、素直に読めば「旅団グループという考え方はしかし、オーキンレックが解任されることなく指揮を続けていれば、良好な、完成されたものとなっただろうに」という風に読むべきかなぁとは思うのですが、そこらへんどうなのか……? ベレスフォード=ピアースリッチー【RitchieをRightchieと誤認した?】の名前がえらくおかしいのは、この論者の興味はドクトリンなどの方にあり、個々の将軍にはほとんど興味がないということによるのかもしれません(別に非難するのでなく、それはそれで良いと思います。ただ、面白いなぁ、ということなだけで(^^))。


 司令官のオーキンレック将軍は多くの人から、ロンメルと戦った連合軍の将軍の中で最も優秀であったと目されている。その理由は、彼の決意によって、英連邦軍がクルセイダーの勝利を収めたからである。また、彼の努力が後にロンメルを、エル・アラメインの線で停止させたのである。だが彼はある肝心な点では弱点を抱えていた。彼は優秀でない部下を選任したが、それは彼がインドでの経歴しかほとんどなく、人物を知らなかったことがある程度の原因かもしれない。カニンガムとリッチーがその選任の例であり、両者ともに苦戦に陥った時に何をどうして良いか分からなくなっていたのである。
 彼はまた麾下の部隊を鼓舞することをせず、それに様々な部隊を小さなグループに分配するというイギリスのやり方を継続させたことによって、南アフリカ軍やオーストラリア軍などの大英帝国の部隊を特に弱体化させたのであった。彼は、イギリス軍のドクトリンに合わないジョック・コラムの強力な支持者であったばかりでなく、毎度毎度のアド・ホックな旅団や旅団グループを編成するために、南アフリカ軍部隊をインド軍部隊やイギリス軍部隊に配属させるということをしたが、それは単純にろくでもないやり方であった。オーキンレックの作った旅団グループの下にはそれより小さい戦闘団があり、それはジョック・コラムよりは大きいものに過ぎなかった。ある南アフリカ軍の将校は、この2つの違いについてこう述べていた。
「戦闘団っていうのは、戦車に2回蹂躙された旅団のことだよ。」
『Rommel's North Africa Campaign』P94,5


 クルセイダーの戦いから得られた主な教訓の内の一つは、ロンメルの装甲部隊の有効性と柔軟性であった。それゆえオーキンレックは、イギリスの戦車部隊を機甲戦により適合したものへと変えなければならないと決断した。機甲師団を構成する様々な部隊がより統合される必要があると彼は考えた。アフリカ軍団の装甲師団のように、イギリスの機甲師団も戦車を少なくし歩兵を多くしたならば、よりバランスの取れたものになるだろうと考察したのである。
 2月11日、中東における基本的な機甲師団の構成は、「旅団グループ」という基本的な戦闘部隊のものへと変更された。機甲師団の中の2つの機甲旅団のうちの1つは、自動車化歩兵旅団へと置き換えられることになった。これらの旅団の両方が「旅団グループ」となり、廃止されることになった今までの支援グループから役割を引き継いだのである。師団の中に対戦車、対空、および野砲が別々に配属されていたのを、それぞれの旅団の中に、工兵や管理部隊と共に統合することになった。ドイツ軍と同じように、戦車は支援の砲兵や対戦車部隊と共に戦闘に入ることになるのである。この考え方は、少なくともオーキンレックの布告においては、戦場において絶対に機甲部隊を集中すべきであり、小部隊に分割してはならないということであった。だが不幸なことに、いったん戦闘に入ったならば、これらの考え方はしばしば、他の多くの善意と同様の運命を辿ることになってしまったのである。
『GAZALA 1942』P20,21



 とりあえず、すぐに読める日本語の資料と、今までに集積していた資料から拾えるのはこれぐらいです。「Brigade Group(s)」で検索したりもしてみたのですが全然何も出てこないので、世の中的にはどうでもいいトピックなのかも……(>_<)

 OCS『DAK-II』をプレイする上では若干めんどくさいルールですが、オーキンレックらが頑張ってカンプフグルッペを真似てやってみていた仕組みだと思えば、なかなか面白さが感じられる気がします。ただ、ゲーム的にはカンプフグルッペの方はどんなユニットも自由自在にまとめた上で、数多くいるカンプフグルッペのリーダーによってダイスチェックに成功すれば「あたかも予備マーカーを乗せていたかのように」移動できるのですが、旅団グループの方はそんなことは全然できませんから、「カンプフグルッペを真似たはずなのにガッカリ」という味付けとしては非常にうまくできているのかもしれません(^_^;


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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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