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OCSユニットで見るイギリス軍の第2機甲師団(『DAK-II』)

 今回はイギリス軍の第2機甲師団について調べて書こうかと。

 第2機甲師団はイギリス本国で編成され、北アフリカで第7機甲師団がイタリア軍を散々に打ち破った後、キレナイカ地方を守備するために輸送されてきましたがロンメルの第1次攻勢によりあっという間に壊滅させられてしまい、その後再編もされませんでした



British 2nd Armoured Division

 ↑第2機甲師団の師団マーク(Wikipeidaから)。



 ↓OCS『DAK-II』のイギリス軍機甲師団(第8機甲師団はフォーメーションマーカーだけです。第8機甲師団は1942年6月にエジプトに配備されましたが、完全な編成として活動することはなく、翌年1月に解散したそうです)。

unit9459.jpg


 OCS『DAK-II』の第2機甲師団の主力は第1機甲旅団となってますが、これに関しては第3機甲旅団の間違いではないかという疑義がある模様です。

 何故、MMPの『DAK2』が駄目なのか。例えば、JEDの『北アフリカ戦役』で35ターンに機械化歩兵師団に改編されるニュージーランド第2歩兵師団の場合、『DAK』では師団に所属する3個歩兵旅団の中から第4歩兵旅団が1942年10月1日に機甲旅団へと改編されます。しかし、史実では第4歩兵旅団の抜けた穴を埋める代わりに英第9機甲旅団が派遣されたに過ぎません。この事実は少し調べれば判ることで、GAM版『DAK』の数年前に出版された『Legend Begins』のシナリオは勿論、1970年代のSPI作品ですら反映されています。他にも、英第2機甲師団の指揮下にあった第3機甲旅団が第1機甲旅団になっているなど、基本的なミスすら訂正されていません。また、英語で読める資料が豊富な英軍戦車大隊に関してすら、その登場・撤退ターンに関する間違いが数多く見受けられます。はっきり言って『DAK2』に資料的価値を求めるのは無駄なことでした。

 日本語版『Legend Begins』では80駒程度ならユニットを追加する余裕が有るとの噂を聞きましたので、『DAK2』に対する不満をぶつける意味でも、次号で大隊規模の戦闘序列などを踏まえて、日本語版『Legend Begins』に関する提案をさせてもらおうと思います。

文/澤田 淳

『コマンドマガジンVol.61』P31


 「訂正されていない」というのは、1作目の『DAK』でもそうだったし、『DAK-II』でもそのままだった、ということでしょう。



 日本語版『The Legend Begins』のユニットシートで探してみましたところ、確かに第3機甲旅団は第2機甲師団所属であるということになっているようでした(第1機甲旅団司令部ユニットも隣にありますが、どの師団所属かは書いてません)。

unit9458.jpg




 私自身はそこまで戦闘序列狂(?)でもないですし、知識もないですからどちらかに肩入れするということもないのですが、ただ、「論争的」なものは好きで、そこらへんの興味はある感じです。


 英語版Wikipedia「2nd Armoured Division (United Kingdom)」を見てみたらえらい分量がありましたので、自分の勉強がてら、『第2次大戦 イギリス機甲部隊』も参照しつつ、個人的に興味を覚えるところだけを抜き書きしようと思います(私は個人的に、どの戦車が何輌だとかどの部隊がいつどこにいたかとかよりも、どういう理由があってどういう対処がされたとかってなことに興味があります)。


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 第2機甲師団は、第二次世界大戦の初期に活動したイギリス陸軍の師団である。この師団の創設は1939年の初めから議論されており、第1機甲師団を分割して創設することを意図していたが戦車が不足していたため、1939年12月まで延期された。師団創設後しばらくの間、第1機甲師団から第1軽機甲旅団が、南部守備軍から第22重機甲旅団が配属されるまで、師団に配属された部隊はなかった。

 1940年初頭には第1機甲師団に装備の優先権が与えられており、第2機甲師団は戦力不足のため軽戦車を中心に装備されていた。フランス戦の後、イギリス本国がドイツ軍の侵攻の脅威にさらされ、装備の優先順位は第2機甲師団に移った。この師団は、侵攻してきたドイツ軍の側面への反撃に使用する計画であった。

 1940年4月14日、第1軽機甲旅団が第1機甲旅団に、第22重機甲旅団が第22機甲旅団に改名された。

 1940年8月、同師団の機甲連隊がエジプトに輸送され、10月には中東戦域軍への増援として師団の残りをエジプトに移送することが決定された。この移送の前に、第1機甲師団の第3機甲旅団と、第2機甲師団の第22機甲旅団が交換された。

 第1機甲旅団と第3機甲旅団を基幹とする第2機甲師団は1940年12月~1月にエジプトに到着すると、ギリシャ遠征部隊の支援のため兵力を削減された。1941年2月27日、第1機甲旅団は第2機甲師団から離れ、中東戦域軍に配属されギリシャに送られることになる。部隊の残り(第3機甲旅団基幹)はそれからコンパス作戦で征服されたキレナイカ地方に移された。師団の残りの戦車のエンジンは寿命を越えており、捕獲したイタリア軍のM13/40を装備したもののスピードが遅く、居住性が悪く、機械的信頼度も低かった。第2機甲師団はその他にも輸送手段、作業人員、予備部品、無線機などが不足していた。

 3月31日に枢軸軍が攻撃を開始し、第2機甲師団は壊滅させられ、トブルク以外のキレナイカ地方は失われた。歴史家達は、第2機甲師団の装備不足、補給不足、適切な訓練不足、不十分な通信網と不明確な指揮系統という状況を考えると、これを防ぐためにできたことはほとんどなかったという見方で一致している。

 第2機甲師団の将校の中には、この悲劇の原因は第2機甲師団長であったガンビア=パリーの無能のせいだと非難する者もいたが、歴史家は「このような非難は誇張されている」と書いている。
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 一応今回調べたところでは、北アフリカ戦における第2機甲師団は第3機甲旅団を擁していたとする方が良さそうで、OCS『DAK-II』で第2機甲師団の基幹部隊が第1機甲旅団となっているのは、単なるミスか、あるいは何らかの理由があって意図的にそのようにされているのか……という感じではありますね。


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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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