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イタリア軍のメッセ将軍は、ドイツ軍に激怒して騎士鉄十字章を投げ捨てた?(が、その後も佩用し続けた)

 OCS『Hungarian Rhapsody』やOCS『Luzon:Withdraw to Bataan』(仮)の作業が一段落したので、『The Italian War on the Eastern Front, 1941–1943: Operations, Myths and Memories』の続きをまた読み始めています。





 ようやく1942年6月のブラウ作戦のところまで読み進め、イタリア軍もそれまでのCSIR(イタリア・ロシア戦線派遣軍団:メッセ将軍)から拡充されてARMIR(ロシア戦線イタリア軍:ガリボルディ将軍)となっています。

 そんな中、ARMIRがドン川(後に小土星作戦やオストロゴジスク=ロッソシ作戦でイタリア軍がやられることになる……)に辿り着きますが、ソ連軍に反撃を受け、一部で有名な、イタリア軍騎兵による騎兵突撃が成功することになります(欧州戦線で最後に成功した騎兵突撃。)。

 と言っても、私はこの騎兵突撃についてはこれまで、それほど興味を持っていなかったのですが、この時期の話としてメッセ将軍がドイツ軍に激怒して自分が受勲していた騎士鉄十字章を投げ捨てたとか、あるいはこの時の戦いでソ連軍側が確保したドン川南岸の橋頭堡が小土星作戦の時に重要な役割を果たすことになった……というような話を読んで、がぜん興味が出てきました(どうも私は、単純に「活躍した」とかって記述にはあまり興味を惹かれず、将軍のパーソナリティがよく分かる逸話であるとか、自分が特に興味を持っている小土星作戦とかにどう影響したのか、というような視点からだと非常に興味を持つもののようです)。


Giovanni Messe

 ↑メッセ将軍(Wikipediaから)


 まず、騎兵突撃が行われた場所なんですが、資料の地図を見ていても戦線のどこらへんだったのかが分からないので、調べてみました。

unit9602.jpg


 赤い★印を付けた辺りが、その場所です。右下にスターリングラードが、左下にはミレロヴォがあり、左上のあたりは後に?イタリア軍のアルピーニ軍団がいた辺りです(緑色の★は、後述の(Verkhnyi)Mamonの場所)。



 以下、『The Italian War on the Eastern Front, 1941–1943: Operations, Myths and Memories』の記述を引用します。元は一段落で構成されている文ですが、分かりやすくするために適宜段落を分けます。

 【1942年】8月24日、赤軍はその攻撃を継続して重要な橋頭堡を支援し、部隊と物資がドン川を渡れるようにした。スフォルツェスカ師団、特にその重要な砲兵部隊は疲弊し、いつものようにソ連軍は師団の境目の弱い所を狙ってきた。スフォルツェスカ師団と快速師団は危険な状態に陥っており、イタリア軍は第57軍団(ホリト)に増援を依頼したが、何の良い結果ももたらさなかった。ドイツ軍はスフォルツェスカ師団を直接指揮下に置くと決定し、むしろ深刻な軋轢が発生した。メッセはドイツ軍の干渉に激怒した。イタリア軍がその防衛ラインを捨て身の手段で守らなければならない危機的状況であったからなおさらである。銃剣で戦った部隊もあったし、サヴォイア騎兵連隊は8月24日にイスブシェンスキーでソ連軍部隊に対して騎兵突撃をおこなったほどであった(注123:【……】隣接する第57軍団のドイツ軍側のオブザーバー達は、サヴォイア騎兵が「素晴らしく勇敢な攻撃」でソ連軍大隊を壊滅させたと記している。【……】)。

 実際この出来事は、それまで愛憎相半ばしていたメッセとドイツ軍の関係に大きな転機をもたらしたと考えられている。彼の第35軍団の連絡将校であったReinhold Fellmer少佐が目撃していた。Fellmerによれば、メッセが自分の騎士鉄十字章の佩用をやめた時、枢軸軍の将来に暗い影がさした。なぜならば、メッセは親ドイツ派の権化とみなされており、そのカリスマと権威による独伊の良好な関係の維持が必須であったからである(注126【……】メッセは自分の(1942年2月15日に受勲した)騎士鉄十字章を投げ捨て、ガリボルディに「ドイツ軍は我々の命令を反故にしたのだ」という旨の怒りに満ちた手紙を書いたと言われている。しかし、彼はその後もドイツ軍の勲章を身に付け続けたし、チュニジアで降伏した時の写真では、騎士鉄十字章を佩用しているのが分かる。)。しかしローマでは、カヴァレッロがムッソリーニに対して、ドイツ軍の決定は正当なものだったと説明していた。

 【……】10日間の戦いで、ARMIRは883名の戦死者と4212名の負傷者を出した。戦死者の半数以上はスフォルツェスカ師団の兵士であったが、他の部隊も多くの損害を出したのだった。ソ連軍は(Verkhnyi)MamonとOgalev-Abrossimovaでドン川右岸の足がかりをわずかに拡張し、そこが12月の攻勢の踏み台として致命的に重要な役割を果たすことになる(注132:Hamilton, Saclifice【『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』】, 73。この橋頭堡部分を潰すというイタリア軍の提案をドイツ軍は拒否した。【……】)
『The Italian War on the Eastern Front, 1941-1943: Operations, Myths and Memories』P137,8


 最後の2つの地名ですが、(Verkhnyi)Mamonの方は、『Sacrifice on the Steppe』P74の地図で分かりますが、Ogalev-Abrossimovaの方は全然分かりませんでした(どなたか教えて下さい(>_<))。

unit9603.jpg



 メッセ将軍はイタリア軍随一の名将として知られているらしく、その功績面に関しては資料でいくらか(決して多くはない量を)読んだことがありますが、その人物像を描いた記述は過去に↓これしか見たことがありませんでした。

 その謙虚で誠実、品位のある人柄は万人が認めるところで、現在でも第二次世界大戦における最も優れたイタリアの将官として高く評価されている。
『Benvenuti! 知られざるイタリア将兵録 【上巻】』P96


 しかし今回の逸話からすると、ある意味非常に人間臭い面を持っていたという感じもしますし、ものすごい親ドイツ派であったらしい一方で、愛憎相半ばする(アンビバレントな)感情をドイツ軍に抱いていたということも分かってきました。

 メッセはCSIR時代にソ連の民衆との良好な関係を心がけたらしいという話を↓で書いていましたが、しかしそのソースはメッセ自身の回想録からしか取られていません。イタリア語の回想録もDeepL翻訳のある今ならある程度読めるかもしれませんが、より客観的なメッセ評がある資料こそを、ぜひ読んでみたいところです……。

メッセ将軍率いるイタリア軍のロシア戦線派遣軍団(CSIR:~1942年春)の人道的な態度まとめ(付:OCS『Case Blue』) (2019/10/06)



 あと、メッセ将軍はガリボルディ将軍指揮のARMIRの時期(1942年7月~)にはもう東部戦線から離れていた(総司令官が入れ替わって)のだと私は思い込んでいたのですが、どうも、CSIRが第35軍団で、それを拡充して2個軍団がプラスされてARMIRになったという形で、メッセはガリボルディの配下としてそのまま東部戦線にいたもののようです。

 英語版Wikipediaによると、メッセは1942年11月1日に東部戦線を離れたそうです。『The Italian War on the Eastern Front, 1941–1943: Operations, Myths and Memories』P140~145辺りによると、ソ連軍の反撃の兆候はそれ以前からイタリア軍側は察知しており、色々と戦力改善の努力はしていた(かつて支配的であった、イタリア軍の上級司令部は無能で怠惰で何もしなかったというような説とは異なり)ものの、劇的な改善はやはり望めないまま、メッセと、それまでの歴戦のパスビオ師団と快速師団の師団長が東部戦線から離任し、東部戦線のイタリア軍兵士も多くが(60%程度?)交替するという状況で(これは、イタリア軍兵士が全然休暇も取れずに士気がだだ下がりだったという話からすれば、意外なことでした)、メッセらは後ろ髪をひかれながら東部戦線を去ったそうです(東部戦線に残される兵士達を心配する手紙を書いているとか)。

 11月19日に天王星作戦が始まり、この時イタリア軍はソ連軍の攻撃を受けていませんが、スターリングラードが包囲され、続く12月16日に小土星作戦が始まり(その前の小規模な攻撃は11日からあった)、イタリア軍は半壊しますから、メッセ将軍は「あちゃー……」と思ったことでしょうか。メッセ将軍がチュニジアに現れるのは、1943年2月からになります。


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Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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