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本間雅晴≒ブラッドレー、牟田口廉也≒アレクサンダー?(付:本多政材将軍が凄そう(T_T))

 自作のOCS『Luzon:Withdraw to Bataan』(仮)のために色々資料を集めて読んだのですが、その中で、コヒマで戦った経験を持つイギリス人アーサー・スウィンソン氏が1968年に著した『四人のサムライ 太平洋戦争を戦った悲劇の将軍たち』(原題『FOUR SAMURAI: A Quartet of Japanese Army Commanders in the Second World War』。取り上げられているのは本間雅晴、山下奉文、牟田口廉也、本多政材の4人)のまえがきが興味深かったので、引用してみます。





 【……】英国のマウントバッテンやスリム、米国のマッカーサーやキング(提督)といった主だった連合軍側の司令官の名はあまねく知られ、いまや伝説化しようとさえしている。これらの人たちの個性や生涯は、各国の国民の頭に刻印されている。ところが日本の司令官となると話は別である。大部分の名は、古いウェスタンものの地平線にうかぶ“悪党”のままになっている。戦史好きの人々にも、知られているものは稀であり、その司令官を相手に戦ったかつての兵士にさえ、その氏名も知られないままになっている。1942年(昭和17年)フィリピンを占領した本間雅晴と聞いて、それと分るひと、一人にたいして、ダグラス・マッカーサーのわかるものは一万人いるだろう。山下とか牟田口となると専門家だけが知っている名であり、本多にいたっては公刊戦史にだけその名が記されているにすぎない。
 【……】そして学童でさえネイやスールの名を知っている。それなのに日本の司令官となると、われわれにとって、日本人が全くわけのわからないとつ国びとで、理解する共通の基盤というものがないときめつけているのではないだろうか。この仕事をやっている途中で、戦史を専門にしている一人さえ、「君、日本の場合、モントゴメリーやパットンと同日に性格を談じようたって無理だよ」といった。この人にしてみれば、どの日本人も(もちろん中国人もインド人もだが)一人ひとりの個性などないとみえるらしい。
『四人のサムライ 太平洋戦争を戦った悲劇の将軍たち』P7,8


 私はマウントバッテンスリム将軍については今年に入ってから初めて、インパール作戦についての本をいくらか読んだので今ではある程度分かるのですが、それ以前はまったく知らない名前でした。

 (スリム将軍についてはこちら→インパール作戦関係書籍などをある程度読んでの感想 (2020/02/22)

 マッカーサーは日本に関する歴史的な経緯の問題で日本人で知らない人はいないと思いますが、キング提督というのは、私は現状まったく分からない名前です(ニミッツとかは一応名前くらいは分かるのですが……小学校高学年の時には日本海軍ものの本を読みまくっていたものの、当時は今ほど指揮官像に興味を持っていたわけではないような気がします)。


 日本軍の指揮官に関して言えば、山下奉文牟田口廉也に関しては恐らく、日本ではそれぞれちょっと抜きん出て有名だと思うので私もある程度は知っていましたが、本間雅晴に関しては今回フィリピン戦に関して調べ始めるまで全く知りませんでした(日本陸軍に興味なかったので……)。本多政材は当然の如く?全く知りませんが、同書のまえがきを読んだだけでもかなり興味深そうな人物で後述します(ってか、Wikipediaの記述少なすぎっ!?)。


 著者がコヒマで戦ったイギリス人で、日本軍の指揮官に興味がある人なので「マウントバッテン、スリム、マッカーサー、キング」という人選になる(モントゴメリーやパットンやブラッドレーやロンメルやマンシュタインでなく)のだろうとも思うのですが、それら4人の英米人指揮官が「あまねく知られている」というのは「ほえー、そうなのか……」と思いました。

 そしてまた、「学童さえネイスール(ト)の名を知っている」というのに吹きました。学童というのは小学生ということですが(原文は分かりませんが)、イギリスでは小学生でもほぼ全員(男子だけ?)がナポレオン戦争時のフランス軍のネイ元帥やスールト元帥の名前を知っているのでしょうか……? うーん、すごい。日本で言うとなんなんでしょう。ニミッツとハルゼー? ……あいやいや、呂布と諸葛亮とかかな……(こ、これだあ!)


 ただ、欧米人(の軍事史家やミリタリーファン)が日本軍の指揮官に関して全然知らないどころか、人格や個性などないと見ていたという話ですが、これはあくまで1968年時点での話で、現在ではそこまででもないんだろうという気はします。1968年というとマーチン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺された年ですが、この頃までは本当に、全世界的に依然として人種差別はして当たり前で、イギリスでも戦後かなり長い間は(かつて敵国であったこともあって)日本人は非常に差別的に見られていたらしいです。しかし、1990年代以降?(アパルトヘイトの廃止は1994年)人種差別的な見方が減り、またクールジャパンなどの動きもあって、個々の日本人の人物像に興味を持つ外国人も相当増えたような(もちろん、ここ数年はまた全世界的に差別的な見方が広がってもいるわけですが)。



 また、同書まえがきでこの部分もちょっと気になりました。

 相当の性格、人品、能力もなくて高級司令官、殊に日本帝国陸軍の高い地位に達することはできるものではない。牟田口の本間と違うことは、ちょうどアレキサンダーとオマール・ブラッドレイとの違いである。二人の家筋、結婚観、女性観、文化観その他すべて異る。二人の人生態度、部下の扱い方も違う。二人が日本人であること、同じ陸軍にいたということいがいに、共通するものは殆どない。
『四人のサムライ 太平洋戦争を戦った悲劇の将軍たち』P9


 イギリス軍のアレクサンダー将軍と、アメリカ軍のブラッドレー将軍については私も以前ちょっと興味を持って調べたことがありました。本間雅晴≒ブラッドレーであるのはいいとして、アレクサンダー≒牟田口なのか……? と思ったのですが、アレクサンダー将軍は確かにちょっと傍若無人で差別的?で依怙地っぽい感じがあるかも……。本間≒ブラッドレーというのは、部下のことを思いやって作戦計画が慎重かつ精密というのは確かにかなり似ているような気がします。

サー・ハロルド・アレクサンダー将軍について (2017/01/21)
オマー・ブラッドレー将軍について (2016/11/06)
なぜブラッドレー将軍がノルマンディー上陸作戦時のアメリカ軍司令官に選ばれたのか?(付:OCS Normandy) (2019/05/31)


 また、引用前段を見ると著者は牟田口廉也の人格がある程度以上立派であると判断しているように見えますが、別の箇所(P11)で「牟田口廉也【へ】の結論は古いビルマ関係者に驚きを与えるかもしれない。」と書いていて、そうかもしれないと思えます。まだ牟田口の部分は読んでないのですが……。


 本多政材の部分もまだ読んでいないのですが、まえがきにはこうありました。

 本多政材をとりあげることは、山下や本間に比べるときドン・キホーテ的に思われるかもしれない。たしかに彼の嵩は小さいし、全く知られていない人だ。ビルマ作戦の公刊記録にも、彼についてはただM・HONDAとのみ記され、彼のことはこのほかにはなにも詳述されていない。だが私はどうも退却軍後衛をやった司令官にいつも興味があるのだ。ロンセヴォル戦のローランド、カバールから退くときのシェルトン、モスクワからのネイ。逆境時の勇気の見本として、私にとって本多は素晴らしい。彼の33軍は3回も潰滅した。米スティルウェル中将によって、ついで英スリム大将によって、最後に英コーワン少将によって。しかもその絶望の月の翌月には、この混乱から秩序を回復し、一転して再び戦っている。時には身を細い杖にたよるところまで堕ちながらも、彼は司令力を失うことなく、また将兵に対する権威を放りだすことをしなかった。戦争の終末まぢか、誰もが彼の軍がもう如何なる動きもなし得まいとするときにさえ、彼は恐るべき反撃をなした。かかる粘り、忠誠心、指揮能力、それらは検討に価すると思う。
『四人のサムライ 太平洋戦争を戦った悲劇の将軍たち』P12


 なんかもう、凄そうなんですが……!(T_T)

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Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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