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第二次世界大戦のアメリカ兵は、物量頼みであり「強兵」とは言えなかった?(付:OCS『Beyond the Rhine』)

 『憎悪の世紀 下』を読んでいましたら、第二次世界大戦の時のアメリカ兵は強いとは言えなかったということが書いてありまして、ちょっと興味を持ちました。




 まずは日本兵との比較なのですが……。

 しだいに玉砕戦術頼みになる日本兵は(日本軍のノモンハン事件についての著書もある、日本軍史の研究者アルヴィン・クックス〔1924~99〕の適切な表現を借りれば)、「現代軍事教練の実践者の仮面をかぶった中世の侍」まるだしだった。対するアメリカ兵は過剰殺戮の達人で、「思いつくかぎりで、必要以上のありとあらゆる兵器をつねに大量に手元に置いておく」ことが第一原則だった。
『憎悪の世紀 下』P293


 次に、兵站(後方)部門の重視の話なのですが、つまりは物量が重要だという考え方の反映だと思います。

 戦争の最終局面になると、戦闘よりも兵站業務に十分な要員を配置するほうが重要だという認識が強まった(もっとも、ドイツ軍と日本軍はその点を過小評価し続けていた)。ドイツ軍の戦闘員と非戦闘員の割合は2対1だったが、ヨーロッパに展開するアメリカ軍の比率は1対2だった。太平洋では、日本軍の比率が1対1だったのに対し、アメリカ軍は前線兵士1人に対して18人の非戦闘員がいた。終戦時、アメリカ軍にはソ連軍とほぼ同数(両軍とも約1200万人)の兵員がいたが、実際に戦闘に加わったアメリカ兵は、そのごく一部に過ぎない。ただし、ノルマンディーに上陸して戦闘に参加したライフル銃兵や「フライング・フォートレス」のパイロットをはじめとする兵士には多数の死傷者が出ている。要するに、英米が兵員数よりも火力に頼ったことが幸いしたのだった。敵兵より訓練不足が明らかなアメリカ兵では4人に3人は戦闘中ろくに銃を撃つこともできず、一度も発砲しなかった者も多い。陸軍病院に収容されたアメリカとイギリスの死傷者の大半は、敵の攻撃によるものではなく、病気や怪我が原因だった。彼らは「最も偉大な世代」と呼ばれることが多い。たしかにアメリカの他の世代よりは偉大だったかもしれないが、第二次世界大戦の最も偉大なる兵士と呼ぶにはほど遠い状態だった。
『憎悪の世紀 下』P294


 アメリカ軍は、できるだけ大量の兵器を投入することによって人的損失を減らすことができるという考え方だったというのは、他の本で読んでいたような気がします。

 しかし私はアメリカ兵が弱いとは思っていなかった面があり、OCS『Beyond the Rhine』(1944年9月~45年4月の西部戦線)で連合軍のアクションレーティングをチェックしてみた時に、アクションレーティング5の少なさにかなりびっくりした記憶があります。ドイツ軍にはアクションレーティング5のユニットが55個もあるのに、アメリカ軍には2個(2つのレンジャー部隊)、イギリス軍には1個(第1空挺師団の1個旅団ユニット)しかなかったのです。


 ↓OCS『Beyond the Rhine』のアメリカ軍レンジャー部隊ユニット。

unit9740.jpg


 ↓第2機甲師団や第101空挺師団などはかなり強いというイメージがあるのですが、AR4しかありません。

unit9742.jpg
unit9741.jpg



 でも、『憎悪の世紀』で書かれているような見方が合っているのだとすれば、『Beyond the Rhine』におけるアクションレーティングの付け方はかなり納得がいくなぁと思いました。そしてまた、The Gamersはそのように見ているということなのでしょうね……。
(ちなみに、OCS『Burma II』の日本軍にはAR5のユニットが32個、イギリス軍はインド人部隊も含めて12個、アメリカ軍には3個あるのですが、これはビルマという戦場では日英米ともゲリラ戦的な、特殊部隊的な戦いをした部隊が結構いたということが原因かもしれません。あるいは、全体としてAR値が底上げされているのかもですが)



 別の資料でもってアメリカ兵の強さについて書いているもので、今までに集めていたものとしましては、『兵士というもの』という、ドイツ兵捕虜の話していたことを盗聴したものから書かれた本には……。

 アメリカ兵は明らかにイギリス兵よりも悪い評価を受けていた。なぜなら彼らの成功の原因は物量の優位にのみあると考えられており、これを国防軍兵士たちはフェアではないと見なしていたからだ。兵士としてのアメリカ兵は「臆病でこせこせしており」、「きわめて過酷な戦争」というものがどのようなものだが【ママ】「わかっていない」し、「物質的な不自由に耐えることができ」ないし、「接近戦では我々に劣っている」と。たとえばフォン・アルニム上級大将は、チュニジアでの自分の経験についてこう述べている。「このげす野郎どもは、みな逃げ回るんだ。このアメリカ兵たちは、一度でも強い攻撃を受けると」。
『兵士というもの』P305


 別の国の兵士達に関するドイツ兵達の評価に関しては、『兵士というもの』:ドイツ兵のイギリス、アメリカ、ロシア、イタリア兵観 (2018/10/25) をご覧下さい。


 また、こういうのもありました。

 批評者によれば、パットンの成功は、戦闘を求めるのではなく避けたことによるものだった。移動自体が目的となったほどで、通信の妨害も、道路の合流点の制圧も、フラーやリデル=ハートといった両大戦間の軍事評論家が述べたような方法も行わなかったという。パットンもおそらくそれを認めたただろう。1920年代からパットンは、抵抗を回避し、急襲や衝撃戦法を利用して敵の決定中枢の内側に入り込み、敵を狼狽させ、敵が殺されるか捕らえられるかするまで、あるいは、できれば組織的な抵抗がただ崩れるまで、敵をそこにとどめておくことによって軍隊を滅ぼすという戦法に賛成してきた。
 この考え方は、アメリカ兵とアメリカ陸軍の長所と短所をパットンが理解していることの表れだと分析する者もいる。アメリカ兵は機械やその能力を理解していた。スピードと力の文化で育ってきた。ホームランやインディアナポリス500マイルレースの文化である。その一方で、アメリカ軍の歩兵は、敵のドイツ軍が持つ戦術的能力と道徳的な強さに欠けていた。人材獲得政策によって、技術と意欲のある者は海軍や海兵隊に志願した。最良の徴集兵は技術を必要とする兵科に配属された。残った中で最良の者は落下傘部隊に志願した。歩兵隊に配属されたのは、その残りである。
『パットン対ロンメル』P353


 そういえば、第101空挺師団の兵士達について書かれた『バンド・オブ・ブラザーズ』を読んでいると、彼ら空挺兵達は「どうせ命をかけて戦うのであれば、(他のろくでもない歩兵達と戦うよりも)一流の戦友達と戦いたいと思って空挺部隊を志願した」というようなことが書かれていたような気がします。




 しかしともかくも、兵士としては、ドイツ兵はやはりだいぶ強く(国家としての戦争の仕方がうまくなかったけども)、日本兵も英米兵と比較して強くはあったのでしょうか(指揮官が悪いことがかなりあり、補給状況が悲惨なほど悪かったわけですが(T_T))。

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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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