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OCS『The Blitzkrieg Legend』オランダ軍の第1ターン先攻の移動元地点を調査

 先日書いてました、OCS『The Blitzkrieg Legend』オランダ軍の第1ターン先攻の移動元地点に関してです。


 オランダ軍は、すべての国境線(中立政策を採っていたので、対ベルギー国境にも)に部隊を置いていたそうですが、軍が弱体で、領土の構成や地形的な問題、また連合軍の援軍も間に合わないとの推測から、中央部以外は守れないとして、ドイツ軍の侵攻が始まったらごく小規模な国境守備隊が河川防御で時間稼ぎにつとめ、特に南方の第3軍団(後述)はすぐに中央部へと撤退することになっていたそうです(『西方電撃戦 フランス侵攻 1940』P107,110、『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』P18,19)。実際に撤退命令が出されたのは、ペールライン(Peel Line)の一部が突破されたことを受けてで、移動開始は5月10日正午とされたそうです(『西方電撃戦 フランス侵攻 1940』P135)。『The Blitzkrieg Legend』の第1ターンは5月10日と11日ですから、第1ターン先攻の移動としては「アリ」な範囲かと。


 探した地図のうち『Atlas of the Blitzkrieg:1939-41』の中の3枚に開戦直後のオランダ軍の移動が描き込まれているのですが、最も詳しいMAP46をとりあえず参考にしました。オランダ軍部隊のうち、開戦直後に移動したと思われるユニットの動きが青い破線矢印で示されています。<2020/01/01追記>ほぼ同様の地図が『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』P53にありました。その点、このエントリの以下の部分の記述には誤認もあるといえます。ただ、第222歩兵師団の件は同地図では第227歩兵師団になっていました。<追記ここまで>

unit9829.jpg

 ただし、他の資料と付き合わせていると色々と怪しいところが。とりあえず最初に見つけたのが、画像では切れてしまって入ってませんが、一番北のドイツ軍の進撃路の赤線の元がこの地図では第222歩兵師団となっているのですが、他の資料を見ていると第227歩兵師団であるということ。

 それから、画像中央やや下あたりに第3歩兵師団がありますが、これは第3軍団の間違い、つまりXの数が一つ足りないと思われます(第3軍団の麾下に、第5歩兵師団と第6歩兵師団と、軽師団(Light Division)がありました。実際の第3歩兵師団はアムステルダム方面にいました)。

 また、第5歩兵師団から矢印が、5NL(オランダ第5歩兵師団のことでしょう)や6NLに延びており、その元位置の第5師団の南に第6師団がいます。が、他の資料、OSPREYの『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』や『西方電撃戦 フランス侵攻 1940』を見ていると、この第5、第6の元の位置の南北の関係は逆になっています。ただし、OSPREYの方も、『Fall Gelb 1940 (1): Panzer breakthrough in the West』P37の地図に第21装甲師団が存在していたり(!)、『西方電撃戦 フランス侵攻 1940』のP110の地図で第6歩兵師団とおぼしき部隊名が(恐らく当時のオランダ軍の師団規模の部隊は、第1~8歩兵師団とペール師団と軽師団の計10個と思われるのですが)第16歩兵師団と書かれていたり、第9師団が書かれていたり、第5歩兵師団の守備範囲が考えられないくらい分離して広大に書かれていたり、第7歩兵師団の位置が違うと思われたり、ううーん、何をどれだけ信じていいのか!(^_^;

 ↓第21装甲師団の件のツイート



 しかしともかくも、これらを元にだいたいの元位置を特定し、『The Blitzkrieg Legend』の第1ターン先攻(連合軍)で移動したとしたら、戦闘モードでいいのか、移動モードとなるのか、戦略移動モード(→移動+DGモード)となるべきなのか、調査してみました。

unit9827.jpg

 ブログに貼れないサイズの大きな画像をDropboxに置いておきます→unit9826.jpg


 北から、第4軍団所属の第5騎兵大隊(OCSでは5RH(第5王立軽騎兵大隊))、次にこれは矢印が描かれていませんが第4軍団所属の第1騎兵大隊(OCSでは1RH(第1王立騎兵大隊)ですが、兵科マークは自転車部隊)が、グレッベライン(Grebbe Line)の戦線にセットアップなので移動してきたものとみなして。そして第4軍団所属の第4騎兵大隊(OCSでは4RH(第4王立騎兵大隊)ですが、兵科マークは自転車部隊)。これらの部隊は、今回見た資料の中では『Atlas of the Blitzkrieg:1939-41』と『The Blitzkrieg Legend』にだけ見られるものでした。


 次に、第3軍団麾下の第5歩兵師団と第6歩兵師団。先ほどの南北の位置関係ですが、他の2つの資料が揃って南北逆だし、『The Blitzkrieg Legend』の初期配置も第6歩兵師団の方が北側にある(尤も、『Atlas of the Blitzkrieg:1939-41』でも移動後の位置ではやや北に第6歩兵師団がありますが……)ことを鑑みて、元々の位置でも第6歩兵師団の方が北にいたと考えることにしました。南にいたとすると、戦略移動モードでしか初期配置位置に行けないのですが、北にいたとすれば移動モードで到達できる位置にいます。ちなみに、ゲーム上ではこの両師団が移動モードで配置されれば、ドイツ軍はかなり楽になるかと……。


 それから、『Atlas of the Blitzkrieg:1939-41』の地図では南西方向に移動したように描かれているペール(Peel)師団なのですが、『The Blitzkrieg Legend』の初期配置ではその元の位置であるペールライン(Peel Line)上にいるように見えます。

 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』のペール師団

unit9825.jpg

 『The Blitzkrieg Legend』1.8項にこうあります。

 ユニット規模の箇所にオランダ語の“Vak【vakken】”(“地区”)の文字が入っている連合軍ユニットは、ペール(Peel)師団の一部です。【……】これらは独立ユニットとして扱うので、カウンターに所属師団の表記を入れないようにしてあります。


 昔々、MustAttack上でSatoさんには↓こう教えて頂きました。

1940年戦役の際のオランダ軍の防衛計画にペール=ラーム防衛線という防御地帯が設けられ、ペール師団はこれに配備されるべく特別に編成された臨時部隊でした。
この師団は通常の連隊編成をとらず、配備区域ごとの「セクター(vakken)」毎に部隊が編成されていたようです。
5つのセクター配備部隊と砲兵連隊(実際には分割されてセクターに分散配備)からなり、第3軍団に所属していました。


 他にいくらか資料を探して読んでもみたのですが、良く分からないのでこれ以上はパスで(^_^;



 最後に、軽師団(Light Division:Lichte Divisie)について。

 ↓『The Blitzkrieg Legend』の軽師団ユニット。

unit9824.jpg

 軽師団はオランダ軍が保有していた唯一の機動部隊(機動予備)で、ティルブルフ(Tilburg)からアイントホーフェン(Eindhoven)にかけてのエリアに当初配置され、どの方面にもすばやく駆けつけられるようにされており、ドイツ軍侵攻の時にはロッテルダムへと向かうことになっていたそうです(『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』P19。P33の戦闘序列によると、同師団は自転車連隊やオートバイ連隊、騎兵部隊などから構成されていました。)。

 Wikipeida「オランダにおける戦い (1940年)」では、日本語版でも英語版でも当初の配置はフフト(Vught)だとされていて、自転車でマース川とワール川の橋を渡ったと書かれています。

 『The Blitzkrieg Legend』ではこの軽師団はセットアップの最後に、ダイス目によって画像の黒い○のいずれかに配置されます。それらの地点は実際に同師団が最初にいた場所や、移動していった途中の地点なので、なかなか面白い処理だなぁと思いました。改造セットアップでは、とりあえずVughtを出発点として、東の4箇所なら戦闘モードで、西の2箇所なら移動+DGモードで置く、ということにすれば良さそうです。ゲーム上ではこの部隊がどこに置かれるかは非常に重要で、東の方に置かれるほどドイツ軍は苦労すると思います(「それなのになんで史実では撤退したねん」と、ワニミさんが良く言われております(^_^;)。

 が、非常に不思議なのが、この軽師団が徒歩部隊であるとレーティングされていることです。試しに、『フランス崩壊』(GDW/HJ)と(Bluebearさんから頂いた(T_T))『Victory in the West』(GMT)のユニットを見てみたのですが、どちらも軽師団は快速部隊扱いになっていました。


 ↓『フランス崩壊』。3-8のLtというのが軽師団でしょう。ペール師団のユニットも見えます。

unit9823.jpg



 ↓『Victory in the West』。軽師団は自転車部隊扱いになっています。

unit9822.jpg



 しかし、OCSのリサーチ担当者がこの軽師団を徒歩部隊としてユニット化したからにはそれなりの理由があるはずで、推測としては例えば「以前は軽師団は機動部隊であったとされていたが、最新の調査によればそうではない」とか、あるいは「セットアップで様々な地点に置くことにしたので、もう移動力は使い切っていて後は徒歩で移動なのである」とか……?


 今回の資料↓は以下のものでした。





 あと、1940年戦役においてオランダを「早期に」降伏させなければならない理由についての考察を過去のエントリに追記しましたので、興味のある方はそちらもご覧下さい(^^)

1940年の西方電撃戦で、なぜオランダを占領すべきだったのか?(付:OCS『Beyond the Rhine』) (2019/02/22)

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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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