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イタリア軍のアルピーニ師団の内実:強兵か、山岳戦以外には役に立たないのか?(付:OCS『Case Blue』)

 『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』を以前、1/3くらいまで読んだのですが、改めて最初から読み直しはじめており、その過程で情報を集積しようと思われるところは和訳をしていってます。





 その中で、イタリア軍のアルピーニ師団の内実について書かれている文章がありまして、和訳をしてました。


 ↓OCS『Case Blue』のアルピーニ師団3つと、その軍団司令部ユニット

unit9846.jpg

 アクションレーティング4は、結構強いという評価です。移動力が戦闘モードで3、移動モードで5というのも、割と優秀な方です(OCSの歩兵ユニットの中には、4の6というような特別なものもまれにいますが、通常はこの3の5というのが一番優秀です)。



WWII Alpino Della Mora Gelindo in Full Dress Uniform circa 1940WW II Alpino Sergente Giovannucci Verino in Battle Uniform

 ↑アルピーニ兵の正装と戦闘服(Wikipediaから)

  1866年の対オーストリア戦の経験から、北イタリア国境での防衛警備を担う山岳戦のエキスパート集団の必要性が議論され、72年、山岳地帯出身者からなる15個中隊が創設された。これがのちに発展、拡大してアルプス山岳歩兵旅団となる。1939年当時は、後出するトリデンティーナ、ユーリア、クネエンセを含む5個師団を数えた。山岳兵(アルピーノ)は陸軍の花形であり、山岳帽につけた大ガラスの羽飾りは彼らの誇りの象徴といえる。
『ふたつの戦争を生きて』P231






 これまでのアルピーニ部隊関連のエントリ。

イタリア陸軍のアルピーニ師団と山岳歩兵師団の区別など (2017/04/07)
GJ69号:近藤さんのOCSスモレンスク記事&イタリア山岳軍団は50日間敢闘したのか? (2018/12/01)
イタリア軍のアルピーニ軍団は「3日間の激戦を粘り強くしのいだ後、遂に撤退命令を出した」?(付:OCS『GBII』『Case Blue』) (2019/08/07)

 ↑基本的には、「東部戦線でアルピーニ軍団は敢闘した、という話はどうも、そうでもないらしい」という話でした。



 アルピーニ師団の編制などについて、英語版Wikipedia「Alpini」から、まずは基本的な情報を。

 各アルピーニ師団は2個アルピーニ連隊(各3個大隊よりなる)、1個アルピーニ砲兵連隊(3個砲兵グループよりなる)、1個混成工兵大隊、1個輸送大隊および若干の補助部隊よりなっていた。各師団は、573名の将校、16,887名の下士官と兵卒で総計17,460名。また、各師団は約5000頭の騾馬と500両の様々な種類の車両が配属されていた。【……】1942年、トリデンティーナ、ジュリア、クネーンゼ師団は東部戦線へと送られた。ロシアでは、コーカサス山脈で戦うという予定に反して、ドン川沿いでの平原の戦線を維持するという任務を与えられた。この戦略的な誤決断の結果、山岳戦のために訓練され、武装されていたアルピーニ師団は、敵の戦車や自動車化部隊に対する武器や訓練もないまま、陣地を構築させられることになった。それにもかかわらず、アルピーニ軍団は1943年1月まで戦線を維持し続けたが、枢軸軍戦線の破局に伴い、前進するソ連軍部隊によって包囲された。だがアルピーニ部隊はこの包囲環をニコライエフカの戦いで突破し、枢軸軍の後退によって新たに作られた戦線に向かって退却した。トリデンティーナ師団は1/3のみ(15,000名の内4,250名)が、ジュリア師団は1/10のみ(15,000名の内1,200名)がこの退却行を生き延びた。クネーンゼ師団は全滅した。


 まず「ラバ5000頭」が、歩兵師団として多いか少ないか気になったのですが、例えば『Axis Cavalry in World War II』P6には「【ドイツ軍の】戦時中に創設された1939年型歩兵師団は、17,200名の兵員と5,375頭の馬より成っていた。」とあり、頭数としてはまあ普通ぐらいなんでしょうか? イタリア軍の通常の歩兵師団の馬の数が分からないですが……。

 「山岳戦専門部隊が平原で戦う……」というのは、この後のメインテーマになります。

 「それにもかかわらず、アルピーニ軍団は1943年1月まで戦線を維持し続けた」件に関しては、前掲エントリで、「そもそもアルピーニ軍団の戦線は1943年1月までソ連軍の攻撃を受けていなかったのだから、戦線を維持できていたのは当たり前で、こういう風な記述を彼らが敢闘していたようにとらえるのは事実誤認であろうと思われる」という風に書いてました。



 さて、『Sacrifice on the Steppe』の記述なのですが……。

 当時、イタリア国民の80%が農民だった。イタリア軍歩兵師団の兵士達の多くが文盲で、特にイタリア南部出身の兵士達がそうだった。アルピーニ軍団の緒部隊は、北イタリアのアルプスの谷かアブルッツィ地方の、小村、村、あるいは小さな町出身の者達から構成されていた。アルピーニ兵の多くが農民か、労働者だった。彼らは常日頃から重労働をしており、従順で、自己犠牲的であった。これらの山岳地帯の住民達は限られた初等教育しか受けておらず、ロシアがどこにあるのかを知っている者はほとんどまったくいなかった。想像してみて欲しい。ロシアに送られた兵士達の中には、列車を見たこともないとか、列車に乗ったことがないという者達もいたのである!
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』序文xi


 アルピーニ軍団は「ロシアの平原で戦うのに要求されるものとまったくの正反対」の部隊であった。アルピーニ軍団は山岳部隊で、険しい山岳地帯で戦うように訓練されており、「それを考慮して強力な、恐るべき部隊」となるように組み立てられていたのだ。2つの特徴、すなわち軍団の構成とその小さな戦闘部隊が、「彼らの士気と強さの基礎」を形成していた。
 アルピーニ兵達は山岳の民であり、それゆえの熱狂的献身と「武勇と栄光の伝統」を持っていた。彼らの忠誠が向けられていたのは、「彼らの級友、家族、いとこ、兄弟、それに彼らの愛する人が住んでいるその谷の男達で編成された大隊の名誉であった。団結心と誇りが部隊に結束を与え、彼らが優秀な兵士であるとの評価を得るのに寄与したのであった。」 その小さめな部隊構成は「彼ら自身の明確な教訓と戦術上の特徴、それに戦いの時に兵士達を結びつける大事な連帯感を強化する特別な伝統を持っていた。山岳地帯の戦いにおいては、個々の兵士は起伏の激しい厳しい環境でほとんど常に部隊を分けて戦うことになるから、常に小部隊で、その種の戦闘に適した装備を持ち、その種の戦闘に慣れた彼らは、山岳戦において卓越した地位を占めていたのだ……」
 アルピーニ軍団のそれぞれの師団は、自律的に、自分のことは自分でできるように組織されていた。全ての中隊にサルメリア部隊(荷物を背に載せて運ばせるためのラバ及びラバの調教師、それに若干の馬よりなる)が配備されていた。山岳地帯で戦うアルピーニ師団にとって必要不可欠なラバは明らかに、歩行速度は遅く、機動防御や攻勢機動にはまったく適していなかった。
 Carlo Vicentiniは運搬用のラバ部隊についてこう述べている。「アルピーニの各師団は、約5,000頭の運搬用ラバとその調教師(ラバを操る、あるいはラバに乗る要員とされることもある)に頼っていた。アルピーニ部隊が徒歩で移動する際にはラバ達が師団に必要なすべての物資の輸送を担い、武器弾薬、糧食、登山具、それに師団が戦闘し生きていくのに必要なあらゆるものを運んだのである。
 Vicentiniは記している。「山々には道路や小道の他に、ラバの獣道もあった。ラバの獣道は狭く、時にひどく急峻であったが、ラバが険しい地形で重い荷物を運ぶのに非常に適していた。」 ラバの調教師達は戦闘訓練を受けていたのか尋ねると、Vicentiniは言った。調教師達は武器は持っていたが、戦闘訓練は受けていなかった。とはいえ、ロシアでの戦役中、ラバの運搬部隊の兵士達が通常の戦闘部隊の横で戦ったことも数えきれないほどあった、と。
 ラバの調教師達の多くはイタリア南部カラブリア地方の出身であった。なぜならば、カラブリア地方における輸送手段のほとんどすべてが、徒歩とラバに依存していたからである。彼らカラブリア地方のラバ乗り達は、ラバの扱い方や世話の仕方によく通じていた。Vicentiniは、長い距離を、迅速に荷物を運ぶのにトラックが必要なロシアで、移動の遅いラバを頼りにするために送り込むことはまったく馬鹿げたことであったと強調した。彼はさらに「ラバは毎日餌を食べ、水を飲まなければならないが、トラックは走らせる時にだけしか燃料がいらないじゃないか」とも指摘した。
 イタリア軍の兵器のほとんどは第一次世界大戦時の遺物であった。アルピーニ部隊は対戦車兵器を持っていなかった。レヴェッリはその欠乏について述べている。「例によって、我々が使用可能な対戦車兵器といえば、1891年式のライフル銃【カルカノM1891のことか】と幾ばくかの手榴弾、それに自分達の脚力といったところであった。二日後には、私はもうロシア製の1942年式パラべラム【注によるとPPShのこと】を手に入れていた[恐らくロシア人捕虜から手に入れたのであろう]。これで自分の、単発でしか撃てないライフル銃の代わりに、72連射できる銃になった。」
 通信機は高山用に設計された軽くて持ち運びしやすいもので、ステップ地方のような長い距離での通信が必要になる場所には、およそ不適切な代物であった。しかも通信の質は、伝令兵を走らせた方が確実だということが頻繁にあった。
 この【1942年の】夏のヒトラーの新しい命令の影響は広範囲に及んでおり、その中には、アルピーニ軍団の将軍達に麾下の部隊の戦闘従事能力を見積もらせることも含まれていた。山岳戦以外の戦いにはまったく向いていないことをよく自覚していたアルピーニ兵達は、突然の任務変更【コーカサス山脈ではなく、ドン川流域の平原に行き先が変更されたこと】に失望し、混乱した。彼らは重火器を持っていなかった。持っている武器といえば、ライフル銃(自動小銃ではない)と軽砲くらいのものだった。彼らは、自動車化されたソ連軍の部隊に対して、自分達の限られた、ほとんど時代遅れの武器でどうやったら自分達を守ることができるか、想像もつかなかった。彼らは、一体どこのどいつが自分達を、文字通り必ずや壊滅に直面するであろうような場所に配置しようと思ったのかと、驚きあきれる他なかった。
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P28~30


 なるほど、山岳戦の専門部隊として、軽装備しか持たない(その方が良いでしょうから)彼らが、ロシアの平原で戦車などを相手にしなければならないとなれば、絶望しかなかった……と。

 そうするとアルピーニ師団のアクションレーティング4というのは、まあ『Case Blue』をプレイしていて彼らをコーカサス山脈の「山地(Mountain)」地形に置く場合にはそれでいいとも思えますが、例えば「荒地(Rough)」に置くならAR-1、それ以外の地形ならAR-2というのが妥当ではなかろうか……という気持ちも抱きます。

 『Case Blue』の天王星作戦と小土星作戦の時の枢軸同盟軍各ユニットのアクションレーティングは、個人的には「スターリングラードが包囲されているなら-1(実際そのことに枢軸同盟軍はものすごく動揺し、士気が下がっていたらしいです)」、「冬季ならば-1(これも非常に士気を下げ、また彼らは冬季装備も当然ながら欠乏していたとのこと)」とした方が良いのではないかと思っていて、そうすると小土星作戦の時やオストロゴジスク=ロッソシ作戦の時の平原に配置されたアルピーニ師団は、前記の件もあわせるとARが0(ゼロ)となってしまうのですが、それはさすがにやり過ぎか……うーん(^_^;


<2019年12月23日追記>

 『Sacrifice on the Steppe』をその後読んでいると、アルピーニ兵は寒さに慣れていた(そりゃそうだ)という話が出てきたので、冬季の-1はアルピーニ(山岳)師団には適用しないということで良いのかも。

 【……】アルピーニ部隊にはもう一つ、通常のイタリア軍歩兵部隊よりも有利なことがあった。アルプス地方からやって来ていた彼らは寒い気候に慣れており、それゆえこの東部戦線の気候を幾分か受け入れやすかった。多くが南イタリアの出身であった歩兵師団はしかも、来たるべきロシアの冬にまったく適さない装備しか持っていなかったのである。
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P39


 そうすると、枢軸同盟軍に対する冬季-1修正は、山岳部隊マークの付いているユニットには適用されないということで……。いやまて、それなら、スキー大隊であるモンテ・チェルビーノ山岳スキー大隊にも適用されるわけはないですね!?

 ↓OCS『Case Blue』のモンテ・チェルビーノ山岳スキー大隊

unit9842.jpg

 また、先発の『モンテ・チェルビーノ』山岳スキー大隊はドネツ戦で勇猛に戦い、赤軍から「白い悪魔」と呼ばれたのだった。
『イタリア軍入門』P236



 しかし逆に、スキー大隊って冬季以外にはアクションレーティング-2とかであるべきではという気も……?(^_^;

<追記ここまで>


 他に、アルピーニ軍団に関しては『ふたつの戦争を生きて』の中にこういう記述がありました。

 さて、山岳軍団の総司令官はガブリエーレ・ナッシ将軍、参謀長はジューリオ・マルティナト将軍である。トリデンティーナ師団はルイージ・レヴェルベリ将軍が率い、参謀長はアンブロジアーニ少佐。ユーリア師団はウンベルト・リカーニョ将軍が率い、参謀長としてモリナーリ大佐がついた。クネエンセ師団はエミーリオ・バッティスティ将軍が率い、参謀長はナヴォーネ中佐であった。総員5万7000。騾馬の数は豊富で、1万5000頭。自動車1万台【この数字は恐らくあり得ないと思われます】。クネエンセ師団単独では、総員は1万8500人を数えた(将校500、下士官・兵1万8000。ほかに騾馬と馬4000頭、自動車と自動二輪車500台)。
 兵器は西部戦線およびギリシア=アルバニア戦線のときと、大同小異であった。増強されたものとしては、47/32式砲、すなわちわが軍の3トン戦車に穴を開けるのがせいぜいといった例の大砲が数門と、20ミリ高射砲が少々(各師団に8門)といったところである。
 装備のほうも相変わらずであった。ロシアで、兵士は北アフリカで戦うのと同じ靴を履かされるのである。唯一の違いは、山岳兵の靴は底に鋲が打ち込まれていたということだけだ。41年から42年にかけての冬にCSIRが体験したことから、何ひとつ学ばなかったのである。かたやドイツ軍のほうは、ロシアの農民にならって、大量の《ヴァーレンキ》を生産していた。ヴァーレンキとはロシアの農民が履く冬靴のことで、縫い目の一切ない圧縮したフェルトでできており、素朴だがこの上なく重宝な履き物である。……
 ……後になってわかったことだが、そのまま事が進めば、イタリアの製造工場は時宜よく注文に応じられるだけの段階に達したはずであった。ところが、個人的な、あるいは派閥の利害がぶつかり合い、その結果、ああ言えばこう言うで恣意的に障害がつくりだされ、無益な論争があって、等々。そうこうするうちに冬となり、兵士たちは必要な履物を得ることなく終わったのである。驚くほどのことではないが(とは、オダッソ中佐の諦めの境地の結論である)。
『ふたつの戦争を生きて』P86~88


 最後の派閥の利害云々とかの件は、当時(に限らないのでしょうが)のイタリアでは汚職とかそういうことが非常に多く、日常茶飯事であったということが他のイタリア関係の本でも見てとれます(T_T)




また 「ラバ(Mule)」についてですが、OCSの最近の作品では輸送ユニットとして登場しています。

unit9845.jpg

 ↑『Sicily II』の英連邦軍、アメリカ軍、ドイツ軍、イタリア軍の輸送ラバユニット。

 『Tunisia II』と『Beyond the Rhine』にも出てきますが、持っているのはアメリカ軍だけ(他の作品にももしかして出てくる……?)。



 ラバについて良く知らなかったのですが、日本語版Wikipedia「ラバ」を見てみると……。

ラバ(騾馬、英語: Mule、ラテン語: Mulus)は、雄のロバと雌のウマの交雑種の家畜である。北米、アジア(特に中国)、メキシコに多く、スペインやアルゼンチンでも飼育されている。

逆の組み合わせ(雄のウマと雌のロバの配合)で生まれる家畜をケッテイ(駃騠、英語: Hinny)と呼ぶが、ケッテイと比べると、ラバは育てるのが容易であり、体格も大きいため、より広く飼育されてきた。

家畜として両親のどちらよりも優れた特徴があり、雑種強勢の代表例である。

特徴

体が丈夫で粗食に耐え、病気や害虫にも強く、足腰が強く脚力もあり、蹄が硬いため山道や悪路にも適す。睡眠も長く必要とせず、親の馬より学習能力が高く調教を行いやすい。とても経済的で頑健で利口な家畜である。

唯一の欠点として、「stubborn as a mule(ラバのように頑固)」という慣用句があるように、怪我をさせたり荒く扱う等で機嫌が悪くなると、全く動かなくなる頑固で強情な性格がロバから遺伝している。それ以外は、大人しく臆病で基本従順である。他では、馬よりは駆け足の速さが劣るぐらいである[1]。

鳴き声は馬ともロバとも異なるが、ややロバに似る。

ラバとケッテイは不妊である。不妊の理由として、ウマとロバの染色体数が異なるからだと考えられている。ただ、発情期はあり、理論上は妊娠可能である。胚移植したように自然に妊娠することも稀ではあるがある[2]。


 なるほど、頑固ならば調教師が非常に重要なわけですね~。

 遅さに関しては、Wikipediaでは「駆け足の速さが劣る」と書かれていて、歩く速度が遅いというわけでもなさそうな書き方ですが、OCSの輸送ラバユニットの移動力は6は通常の馬が引く荷馬車の輸送ワゴンユニットの移動力10よりも遅いです。これは、ラバが基本的には遅いということ(あるいはイメージ?)の反映なのでしょうか……。


 ともかくも、私の中でアルピーニ=強兵伝説がどんどん崩壊していきます(>_<)(山岳で戦わせたら強かったのだろうな……と思いきや、対フランス戦でアルプスで戦ったアルピーニ師団は装備などが不足していたこともあって大苦戦しているし……トホホ(T_T))

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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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