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『戦場の素顔』読了しました&第二次世界大戦の将軍の指揮スタイル?(付:OCS『Beyond the Rhine』)

 以前、『戦場の素顔』他を買いました (2018/09/25) で書いてました『戦場の素顔』をようやく読了しました(最近は車の中に置きっぱなしで信号待ちの間に読むとかってスタイルにしてたので)。

 アジャンクールの戦いには知識も興味もなかったのですが、読んでいて結構興味深かったです。ワーテルローの戦場の実相についての章は非常に非常に興味深く、章が終わってしまうのが残念なほどでした。ワーテルローの戦いに興味のある方ならば、(買うと高いし本の一部なので)図書館などでぜひ読んで欲しいと思います。

 ソンムの戦いにも興味がなかったのですが、読んでいて興味が持てなかったので途中で飛ばしてしまいました(爆)。この本には前段と後段もあるのですが、その部分も個人的にはそれほど興味を感じませんでした(あくまで個人の感想です)。ですので、やはり、図書館でもって、アジャンクール、ワーテルロー、ソンムのどれかの戦いに興味のある人が、そこだけ読むのがとりあえずオススメではないでしょうか。



 ただ後段に、第二次世界大戦中の将軍達の指揮スタイル?に関する言及があって、そこがちょっと興味深かったので、引用してみます。

 この新しい指揮スタイルには個人差があった。ロンメルの場合それは、戦車部隊にみずから乗って指揮することだった。グデーリアンは、装甲をほどこし無線機を積んだトラックで戦場を駆けめぐった。モントゴメリーは干戈の響きが聞こえる地点に設けた「戦術司令部」にずっといつづけた。
 さらに将軍たちは、ずっと前から主流となっていた、将校たちはみずから手を下して敵を殺すことから身を遠ざけるという趨勢を逆転させて、武器を携行しはじめた。パットンは、握りに真珠をあしらった二挺拳銃をこれ見よがしに携行するのが癖だった。リッジウェイは、手榴弾を二個携えていた。ボック[1880~1945年。ドイツの軍人。対ポーランド戦、対仏戦、対ソ戦で軍集団司令官]は回転拳銃一挺。ウィンゲート[不正規部隊を率いてミャンマーで活動し、日本軍をインパール作戦に誘いこむ]はライフル小銃一挺だった。
『戦場の素顔』P538,9



 リッジウェイ将軍については以前、朝鮮戦争に関する本でリッジウェイ将軍によるOCSの真髄? (2015/10/08) というエントリを書いていたのですが、今回Wikipeidaを見てみると、以下のようにありました(Wikipediaには確かに、手榴弾を付けた写真がありました)。

1942年8月に准将に昇任、オマー・ブラッドレーが第28歩兵師団長へ転任したのをうけ、第82空挺師団の師団長となる。同師団は軍の二つの空挺師団構想の内の一つとして選ばれたが、この師団が選ばれたのはリッジウェイの教官としての能力と、同僚たちのあいだで際立っていた思考の柔軟性によるところが大きい。当時空挺師団構想はアメリカ陸軍にとって実験的試みであった。

リッジウェイは1943年のハスキー作戦を支援した。2ヶ月後のジャイアント作戦計画時には副官のマクスウェル・D・テイラーにスパイ活動を行わせ、イタリア軍の無力とドイツ軍が降下地点に展開している事を暴き作戦中止を決断。この判断で師団壊滅の危機を救ったことが、後の出世に繋がった[1]。

1944年にはオーバーロード作戦での空挺降下計画を支援した。ノルマンディー上陸作戦時、彼は部下と共にパラシュート降下し、サン=ソーヴァー=ル=ヴィコントへの進出を目指して33日間の戦闘を経験した。1944年9月には上級の第18空挺軍団の指揮を任され、ドイツへの侵攻を指揮した。一年後彼は中将に昇進する。終戦時彼は、大尉時代にウェストポイントで仕えたダグラス・マッカーサー元帥のもとで新たな任務につくため、機上にあった。



 ↓OCS『Beyond the Rhine』の第18空挺軍団司令部ユニット。

unit9880.jpg

 『Beyond the Rhine』では英米の空挺部隊は他の通常部隊と色が変えられており、アメリカ軍の緑色とは異なっています。



 ボック将軍とウィンゲート将軍については引用文中にWikipediaへとリンクを張っておきました。



 また、戦場においては180日でほとんどの兵士は心身をすり減らして使い物にならなくなってしまう(>_<)……ということに関連して。

 ロンメルは、持ち前の大胆不敵な気質にもかかわらず、神経性胃炎の激痛を体験し、会戦の正念場で前線を去らざるをえなかったことが二度あった。グデーリアンはロシアで心臓疾患をわずらい、実戦部隊の指揮がとれない状態になった。ライヒェナウ[1884~1942年。対ポーランド戦、対仏戦、対ソ戦で軍司令官]はキャンペーン中に脳卒中の発作で倒れた[1942年1月]。リッジウェイは1945年9月に命に関わるような意識喪失を経験し、いったんは退役を勧められた。
 もちろん、最後までしゃんとしていた将軍もいて、たとえばジューコフとモーデル[1891~1945年。1941年に軍司令官。1944年に軍集団司令官]がそれである。どうやら第二次世界大戦が長引くにつれ、この二人に代表されるような単なる性格上の図太さのほうが、戦略や戦術におけるきわだった天賦の才にもまして、名将の資格としてますます重要になってきたようなのである。
 この二人以外にも、この緊張に耐えて乗りきったように見える司令官はいる。かれらは面白いことに、会戦それ自体の指揮棒を振ることからなるべく身を遠ざける方法を開拓することで心身耗弱をまぬがれたようなのである。イギリス軍、アメリカ軍、ドイツ軍の、それぞれ最も賞賛された将軍といえば、アレクサンダー[1891~1969年。フランス、ビルマ、北アフリカ、イタリアで戦い、最後は地中海方面連合軍司令官]、アイゼンハワー、ルントシュテット[1875~1953年。対ポーランド戦、対仏戦、対ソ戦で軍集団司令官。ノルマンディー会戦では西方総軍司令官]だが、かれらは、それぞれに異なったやり方でだが、ほんとうの意味では将軍であることをそもそもやめていた。非将軍、いやほとんど反将軍になっていたのである。
 アレクサンダーは、将校になりたてのころはおそろしく利かん気な人だったのに、第二次世界大戦では部隊の統制を部下にまかせきり、自分ではかたくなに何もせず、かれの多国籍軍内部に良好な関係を醸成すること以外には何もしなかった。
 その点ではアイゼンハワーも同じで、その度合はさらにいっそう大きく、ついにはかれのまとったオーラは軍人というよりはローマ法王のそれになった。
 ルントシュテットは、最後の典型的プロイセン軍人としてドイツ常備軍の将校団こぞっての崇敬を集めていたが、細かい事務に立ちいることはおろか、ついには小縮尺地図を見ることさえも拒み、あたかも戦争そのものが意に染まなくなってしまったかのように、来る日も来る日も探偵小説を読んで過ごし、三度にわたり辞表を出した。
『戦場の素顔』P540,1


 なかなか興味深いのですが、ライヒェナウについては、「スポーツ馬鹿」みたいな印象があったので「?」と思い、ちょっと調べてみました。

 ちなみに、そのような印象を持っていた理由の記述↓

 その荒っぽい気性は片眼鏡のせいで強調されている。やたらに活動的で強情なライヘナウはルントシュテットに嫌われていた。「運動する時はいつも半裸で駆けずりまわる無作法者」とのちにルントシュテットは彼を評している。
『スターリングラード 運命の攻囲戦』P78

 スポーツに熱狂していた彼【ライヒェナウ】は、対ポーランド戦のさいに自分の部下たちとともに半裸でヴァイクセル川を泳いで渡り、ソ連では元帥として歩兵突撃章を獲得している。
『兵士というもの』P318



 英語版Wikipedia「Walther von Reichenau」によると、こう書かれていました。

 ライヒェナウは日常的にクロスカントリーを走っており、1942年1月14日の寒い天候の中でいつも通り走った後、脳卒中を起こした[10:Glantz, David M.; House, Jonathan (2009). To the Gates of Stalingrad: Soviet-German Combat Operations, April-August 1942.P192]。



 アントニー・ビーヴァーはこう書いていました。

 ……フォン・ライヘナウ元帥はポルタヴァで朝のランニングに出かけた。気温は零下20度。ライヘナウは昼食後不調を訴えて突然倒れた。心臓発作である。
『スターリングラード 運命の攻囲戦』P80



 これらを見ていると、ライヒェナウは戦争による心身衰弱で倒れたのではないようにも思えますが、どうなんでしょうね(^_^; ちなみに彼は急いで後方へと飛行機輸送されたものの飛行機が着陸に失敗して重傷を負い、病院に到着した時にはすでに死んでいたそうです。


 イギリス軍のアレクサンダー将軍については以前、サー・ハロルド・アレクサンダー将軍について (2017/01/21) で書いていましたので、そちらもご参照下さい。

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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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