『The Cavalry of World War II』に見る、1940年フランス戦におけるフランス軍騎兵の動き(付:OCS『The Blitzkrieg Legend』)
その中でもまず最初に、ルクセンブルク国境付近でのフランス軍第3騎兵師団(DLC)や第1スパーヒ旅団などについての記述が出てきていたので、それを(「スパーヒ(シパーヒー)」というのは、大まかに言ってイスラム教徒による騎兵のこと? 当時フランスはアルジェリアなどを植民地にしていて、それらの現地の騎兵による部隊をフランス本土にも持ってきていたのです)。
↓OCS『The Blitzkrieg Legend』の第3騎兵師団周辺のセットアップ

「3.Cav」とあるのが第3騎兵師団で、スタックは初期配置ですがその3ヘクス以内に自由配置、その上の横長の画像はスタックの中身です。「1S」とあるのが第1スパーヒ旅団(VASSALの初期配置では「1」となっているのですが、「1S」の間違いだと思うので置き直してあります)。
『The Blitzkrieg Legend』の連合軍セットアップは、開戦初日(5月10日)の移動後のものとなっており、黄色い矢印の根元の部分が、開戦前にいた場所だと思われます(→OCS『The Blitzkrieg Legend』:フランス軍の第1ターン先攻の移動元地点を調査(増補版) (2019/06/09) )。
薄い黒い矢印は、後で出てくるドイツ軍第34歩兵師団の進撃路です(『Fall Gelb 1940 (1): Panzer breakthrough in the West』P37の地図から)。マップ上では第34歩兵師団は矢印の出発地から3ヘクスほど北北東に配置されていますが、矢印は参考にした地図に従いました。
1940年5月10日金曜日の夜明け。ルクセンブルクに近いフランス第6軍団【?】の戦闘司令部の将校達は、ドイツ軍の爆弾の破裂するドンという鈍い音で目を覚ました。第3局のd'Huart男爵は、軍団参謀長のde Villaret大佐に向かって叫んだ。
「大佐、今回は本当にやばいやつでは?」
「ああ、いや……まだだ」
「それって、これはドイツ軍の攻撃ではないという意味ですか?」
「そう、我々はまだ命令を受けていない」
フランス政府が反撃命令を出したのは、ドイツ軍の攻撃からわずか3時間後のことだった。ルクセンブルクの南の国境には、第3騎兵師団(DLC) - 増強された騎兵部隊 - が駐屯しており、出撃準備中であった。1940年3月に、Saumur騎兵士官学校の校長の前歴を持つ騎兵将校のPetiet将軍が、彼の師団にルクセンブルクを突っ切るという任務を割り当てていたのであった。騎兵グループや偵察車、竜騎兵、スパーヒ連隊などが彼の指揮下にあった。これらの部隊が4つの戦闘梯団を形成し、南側の戦線で40kmの幅を持って迅速に前進することが可能であった。
だが、警戒情報と反撃命令の間の時間が短すぎたため、出撃の準備ができていた部隊はほんのわずかしかなかった。スパーヒは正午頃にルクセンブルク市の外にいた。優れた騎兵部隊であった第1スパーヒ旅団は、第4モロッコ連隊と第6アルジェリア連隊で構成されていた。ZolverやSassenheimの牧草地に強固な守りを敷いていたドイツ軍部隊に真っ直ぐに全力疾走で突っ込んでいった強気で勇敢な騎兵達は、1914年の英雄的な騎兵を思い起こさせた。
「第6軍団」は、調べてみるとルクセンブルク国境よりはだいぶ東のザールブリュッケン正面にいるようなのですが、第3騎兵師団はその配下にいたのでしょうか……?
「これらの部隊が4つの戦闘梯団を形成し、南側の戦線で40kmの幅を持って迅速に前進することが可能であった。」とありますが、『The Blitzkrieg Legend』は1ヘクス3マイル=4.83kmであり、40kmの幅というと8ヘクス幅くらいになります。4つのスタックが1ヘクスおきに並べばちょうどそれくらいです。ただこの「可能であった」の文章の後、結局それはできなかったという流れになっている……?
そしてなぜかいきなり、話が第1スパーヒ旅団の話になります。 「Zolver」「Sassenheim」というのは、「Esch-sur-Alzette」(マップ上にもある都市)の一部(あるいは周辺?)の地名であるようで、そこにいたドイツ軍に突っこんでいった、とあるのですが、その結果については何も書かれていないのは、結果が芳しくなかったことを言外に匂わせているのでしょうか……?(^_^;
その続き。
St Quentin大尉によって率いられたある騎兵中隊が、Limpach【Esch-sur-Alzetteの真北、Petangeの真東の辺りの小さな村】へと急いで前進していた。その村に近づくと、兵士達は一斉斉射というスパーヒの正式なやり方で自分達の到着を知らせ、住民達に敵に関する情報を尋ねた。騎兵の一部隊は下馬して村からの出口を守り、他の2部隊はBettingen【不明】とReckingen【ルクセンブルクの中央辺り、マップ上のEttelbruck(Ettetbruckとあるのは間違い)のやや南西か】の方向へと出発した。このスパーヒの前進の勢いは維持され、彼らのLimpachへの前進の東端はルクセンブルク市から10km以内に達した。Reckingenへの路上で、スパーヒHamadi ben hadjはサーベルで一人のオートバイ兵に斬りかかり、転倒させてその兵を捕虜にしたのだった。
アルジェリアとモロッコ部隊の楔形隊形の側面は、何度もBehlendorff師団【ドイツ軍の第34歩兵師団のこと】の先頭部隊から攻撃を受けていた。ドイツ軍はスパーヒが勇敢で、戦いにおける技量も高いと認識していた。午前11時少し前に、フランス軍騎兵部隊はようやくルクセンブルク側の丘陵地帯を占領するために国境を越えた。彼らが現れると、Düdelingen【Esch-sur-Alzetteの南東の町】の製鋼所の南部の拠点から、そのドイツ軍部隊は撤退した。町の住民の歓呼の中その場所に進んできたフランス軍部隊は、強い抵抗に遭うこともなくその場所を占領した。しかし翌5月11日、そのフランス軍部隊と、アラブ馬に乗ったモロッコやアルジェリア騎兵達は、Düdelingenを去って再び自分達の前進を開始した。
うーん、印象としては、「とにかく騎兵が活躍したような話を書く」ということであって、全体として、あるいは客観的な見方として、騎兵がどうであったかに関しては全然書かれていないような……(^_^;
まあでも、一部とはいえ騎兵がどのようであったかが分かるのは貴重ではあるので、また続けて情報収集していこうかとは思います。
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