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メッセ将軍率いるイタリア軍のロシア戦線派遣軍団(CSIR:~1942年春)の人道的な態度まとめ(付:OCS『Case Blue』)

 これまでメインに読む洋書として『On a Knife's Edge』を読んできており、ロストフ戦などの段に入ってきたのですが、私の最も興味のあるオストロゴジスク=ロッソシ作戦の章が終わってやや興味の薄い時期に入ってきたので、それらはまた今後OCSでそれらの時期をプレイする機会のある時にでも読むとして、次に読もうと思っていた『Sacrifice on the Steppe』に戻ることにしました。

『On a Knife's Edge』についてはこちら↓
『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』を買いました (2018/10/26)

『Sacrifice on the Steppe』についてはこちら↓
グランツのスターリングラード三部作(の一部)などを購入・注文しました (2017/04/23)


 それで『Sacrifice on the Steppe』をまた最初から目を通し始めたのですが、最初の章にメッセ将軍率いるイタリア軍のロシア戦線派遣軍団(CSIR:~1942年春まで)の(ドイツ軍とは対照的な)人道的な態度がまとめられているのを、参考に全部訳出引用してみようと考えました。以前、『Sacrifice on the Steppe』 イタリア軍兵士達とロシア住民との良好な関係 (2017/05/14)でいくらかは訳出していたのですが、大木毅さんの『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』が出版されてドイツ軍による独ソ戦での非人道的な行為について日本でも知られてきている今、全部訳出するだけのインパクトがあると考えまして。また今回、『Sacrifice on the Steppe』に記されている原典も参考に書いてみます。

その他の参考エントリ↓
イタリア・ロシア戦線派遣軍団(CSIR:~1942年春)について (2017/05/12)
東部戦線におけるイタリア軍のメッセ将軍 (2017/05/22)



↓OCS『Case Blue』によるイタリア軍のロシア戦線派遣軍団(CSIR:推定&時代がずれてますが)。

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 一般的に、CSIRのイタリア兵達はロシアの地域住民達に対して敬意を持って接した。ドイツ軍とは対照的に、イタリア軍は人種的優越性という観念を抱いてウクライナの地にやってきたわけではなかった。それどころかイタリア軍兵士達は、彼らが目撃したドイツ軍による占領期間中の残酷で無慈悲な行いによって極度に苦しめられたロシア住民達に対して同情や共感を抱いたのだった。【42:Faldella, Storia delle truppe alpine(アルピーニ軍団史), p.1377.】
 ロシアの貧しい農民達はイタリア軍兵士達に対して多くの場合温かいもてなしをし、兵士達を家に迎え入れてわずかばかりの食糧を分け与えてくれた。だいぶ後になって、ドン川からの悲惨な退却行の時に、恐らく多くのイタリア軍兵士達がロシアの貧しい農民達の気前の良さによってなんとか生きのびることができたのだった。【43:Porcari, in Gli italiani sul fronte Russo, Istituto Storico della Resistenza in Cuneo e Provincia, p.273.】
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P12


 一冊目の本は今は手に入らないようですが、大部の本であるようで、興味はそそられますね~。二冊目はイタリアのとある地域史学会の研究誌か何かのようです。


 ドイツ軍はイタリア軍に対して、イタリア軍が占領した地のすべてのロシア人捕虜と脱走兵達を36時間から48時間以内にドイツ軍の捕虜収容所に運ぶように要求していた。イタリア軍の将兵達は、ドイツ軍に捕らえられたロシア人達がどんなに残酷な扱いを受けるかを知っていたので、その「地獄の」ドイツ軍収容所に捕虜達を送り届けることをあらゆる手段で妨害しようとした。彼らはイタリア軍の輸送力の低さを利用したり、あるいはしばしばイタリア軍が捕らえた捕虜の数についてドイツ軍へ違った数字を報告したりした。多くの場合、イタリア軍は捕虜達を置いておき、こまごまとした仕事をしてもらった。ソ連軍の捕虜達はイタリア軍兵士達に対して、ドイツ軍側へ移送しないでくれるように懇願したものだった。なぜなら、彼らは「惨めさと我慢」を引き替えにすれば、いくらかでも「尊厳ある人生」が残されることになると分かっていたからである。【45:Messe, La guerra al fronte russo, pp.92-93.】
 ソ連軍捕虜の扱いに関して、メッセ将軍はこう言っている。
「(イタリア軍)兵士達がソ連の住民達に対して、ドイツ軍の命令とまったく反対に、親切心や、生まれながらの気前の良さや、感受性を示したり、あるいは捕虜達への我々の扱いが文明人に対するものであると安心させたりすることを妨害するなど、誰にもできなかった。」【46:同前、p.91】
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P13


 この部分の原典は、メッセ将軍の書いた『ロシア戦線での戦い』からのようです。メッセ将軍は、第一次世界大戦や二次大戦でのギリシア戦の時期の手紙や日記による本の他に、この『ロシア戦線での戦い』と『私がチュニジアで率いた軍 アフリカでの戦争の終わり』という本も書いているようで、非常に興味のあるところですが、英訳本はどうもなさそうな……(T_T)




 もちろん、イタリアで書かれた本やメッセ将軍の書いた本が、イタリア軍は人道的であったという方向に過度にバイアスがかけられたものである可能性は否定できない(というか、そうであると考えるのが普通ではありましょう)とは思いますし、そこらへんのことは以前、東部戦線でのイタリア軍兵士のソ連市民への残虐行為はあったか? (2017/10/31) でも書いてましたがしかし、東部戦線でのイタリア軍がドイツ軍よりも人道的で、『Sacrifice on the Steppe』に引用されているようなことは事実の一端としてはあったことだろうとは思って読んでいる感じです。東部戦線でのイタリア軍による非人道的な事例についても集めたいところですが、それが載っている可能性のある『Die Italiener an der Ostfront 1942/43: Dokumente zu Mussolinis Krieg gegen die Sowjetunion』というドイツ語本を買ってみるというのは、少なくとも先日買ってしまったドイツ語本『Koenigin Luise und Friedrich Wilhelm III: Eine Liebe in Preussen』をある程度読む努力をしてからかなぁと(^_^;。


 ただ、『Sacrifice on the Steppe』をその後少し先まで再読していると、ある一般兵士についてこのような記述がありました。

 彼の手紙には、ソ連にやってきたイタリア軍は「神に見放された土地に暮らすこの哀れな人々を守るための、聖なる十字軍という務めを果たすべきであり、我々は(そのために)誠実なる働きができることを望んでいるのだ」と固く信じているということが書かれていた。
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P25


 これは、カトリックのイタリア国民から見ると、共産主義革命の起こったソ連の人民はある意味「神に見放された」ということになるのかもしれず、またこの記述はアルピーニ軍団がまだソ連に入る前の段(ポーランド辺りを列車で移動中)に書いてあるので、この兵士はあくまで想像で思い込んでいるだけなのかもですが、このように「自分達は良いことをしている(する)のだ」と思い込むことなしにはなかなかソ連などという遠い地への遠征などできないだろうということからして、イタリア軍兵士達がこのように考えていたということはあるかもとは思いました。


 CSIRの部隊が攻勢のために素早い移動を求められた際、補給集積所が後方に取り残されてしまうために、兵士達は乏しい食糧を補うために現地の物資をうまく利用する必要にしばしば迫られた。メッセ将軍は、地域住民から物資を得る場合にはその全額を支払い、またいかなる形の強制でも得てはならないということを麾下の部隊に対して明確にしていた。
 「最初から、」と、メッセは書いている。「私は、この原則をもとに、我々のことを知らない地域住民との関係性を築きたいと考えていた……」 危機的な状況においてさえ、イタリア軍兵士達は住民に何かを要求することはほとんどなかった。メッセ将軍は、地域の村々から徴発を行うよりは、麾下の部隊の糧食を減らすことを選んだ。【49:Messe, La guerra al fronte russo, p95.】
 イタリア軍は兵士達のための住まいを現地住民達に求めたが、そのような状況においてもイタリア軍当局者は現地住民の家よりも公共の建物や学校や会社から、ふさわしいものを見つけようとした。ドイツ軍がやっていたような、家々から強制的に徴発することは、はっきりと禁止されていた。【50:同前、p95-96】
 1941〜42年の冬季には、ソ連の都市民はまったくの飢餓の縁にあった。ドイツ軍がすべての穀物を徴発してしまっていたため、市民達は貴重な小麦粉を少しでも分けてくれる農家の人を探して農村地帯をさまよった。農家の人にはその代わりに、お金ではない、何か役立つ「もの」を渡すのである。「ある人が見たのは、」メッセが書いている。「本当に様々なものを積んだソリを引いて都市からやってきた、貧しい人々の行進であった。そして農村地帯の家から家へと何キロも歩いたあげく、この巡礼でようやく手に入れたわずかばかりの小麦粉を持って帰るのだ。」 数百人の人達が、そのようにして農村地帯をさすらっていた。イタリア軍の軍用トラックの運転手達は、これらの道路上の疲れ果てた都市民達の多くを見かねて運んでやっていた。ドイツ軍は軍用車両で一般市民を運ぶことを禁じる命令を出していたのであったが。【51:同前、p96】
 翌夏には、ウクライナの農民でさえも小麦粉を持たなくなってしまっていた。数百人の飢えた市民達がドン川地域の、ソ連軍がその撤退の時にも完全には破壊しておらず、かつドイツ軍がまだ供給システムに組み込んでおらず使い果たされていない穀物を求めてさすらっていた。イタリア軍の兵士達はこの頃にも多くの市民を拾って、ドン川に徒歩で向かう人々に必要な移動手段を提供したのだった。【52:同前、p96-97】
 ドイツ軍はドン川周辺の前線に大量の現地民が入ってきていたため、自軍戦線後方の安全を懸念していた。彼らは規定の許可を得ない現地民を捕虜収容所に抑留するように命じた。メッセ将軍は書いている。「もしこれらの命令が適用されたならば、各地の捕虜収容所がすぐに、飢えのために故郷を遠く離れることを余儀なくされていた貧窮者達でいっぱいになってしまっただろう。」イタリア軍は前線の補給集積所からの帰路で空になったトラックを利用して、許可証を持たない現地民の輸送体制を作った。「再び、人間というものに必要な良識、同情心、それに思いやりの心が、ドイツ軍の横暴で杓子定規な命令に勝り、イタリア軍の親切さが現地住民達にさらに知られることになったのだった。」【53:同前、p97】
 イタリア軍は、ドイツが労働を強制するために現地の労働者を駆り集め、ドイツ本国に送っていたのとはかかわりを持たなかった。イタリア軍の「現地民担当部局」は、第一に住民を助けることに焦点を当てていた。【54:同前、p96】
 【1941年から42年の】冬の数ヶ月間、CSIRの兵士達は地域住民とさらに多く接する機会を持った。部隊はドネツ盆地のスターリノの周辺で平穏な期間を過ごし、そこでの彼らの主敵は厳しい寒さであった。兵士達は頻繁に、暖かさを提供してくれるロシア人の家に避難した。村の女性達は兵士達のパンや食糧と交換に、よく洗濯をしてあげた。村の人々と兵士達が顔見知りになるに従って、彼らは子ども達の為に医者の助けが欲しいと言ってきた。イタリア軍の軍医達は村民達を診てやり、薬まで提供した。輸血が必要な場合には数多くの兵士達が血を提供した。リコヴォでは、トリノ師団の将兵達が無料の外来診療所や、高齢者の為の休憩所を建設し、さらには妊娠した女性のための診療所をイタリア人がロシア人の人員を雇って、イタリア軍の経費で運営するということまでしたりした。メッセ将軍は、これらのすべての活動は、「我々の将兵達の自発的な判断」の結果であったと述べている。【それとは反対に】ドイツ軍の担当部局は占領地から、「あらゆる物資を徴発する」ことに基礎を置いていた。【55:同前、p95】
 イタリア軍の軍事裁判は、兵士による住民に対する犯罪行為が発覚した時には「厳格さ」をもって執行された。多くの場合、イタリア軍兵士によって損害を被った住民は、経費と補償を受け取った。農家から一羽のニワトリ、あるいはガチョウを盗んだというようなささいなものであっても罰を受け、大目に見られるというようなことはなかった。メッセ将軍は断固として、ソ連の現地民がイタリア軍兵士の手によって苦しむようなことがあってはならないと信じていたのである。【56:同前、p97】
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P13~15


 この段はすべてメッセの本からになっていますね。他の、一般兵士とかによる証拠も欲しいところですが……。

 ただ、小麦粉を求めてさまよう都市民の数が「数百」となっているのには、「えっ。少なめな数だなぁ……」と思ったりしたのですが、それが逆に誇張がないということかもしれませんし、あるいは、イタリア軍の輸送トラックが拾ってあげられる数としてはそれぐらいが限度であったろうなぁという気もしました(^_^;


 メッセが東部戦線から去った後のイタリア軍指揮官はガリボルディで、メッセとは全然違うやり方をした可能性があるわけですが、私が今まで読んだ範囲では、ガリボルディがこういう点に関してどういうことをやったのかを全然見たことがありません。ガリボルディは、昔の(ロンメル関係の)日本語資料では無能扱いされていることが多いのですが、資料を集めているとそうでもない、ある程度以上はまともな人物で、もしかするとある程度以上は有能であったかもしれないという感じがしています。今後また資料を集めていきたいです。

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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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