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ケルチ半島から独断撤退して投獄され、のちに処刑された伯爵ハンス・フォン・シュポネック中将について

 OCS『Crimea』のシナリオ2に関連して、ケルチ半島から独断撤退して投獄され、のちに処刑された伯爵ハンス・フォン・シュポネック中将について調べてみました。


Hans Graf von Sponeck

 ↑ハンス・フォン・シュポネック(Wikipediaから)



 資料としては、主に『Hitler's Commanders: Officers of the Wehrmacht, the Luftwaffe, the Kriegsmarine, and the Waffen-SS』のP59~64と英語版Wikipedia「Hans Graf von Sponeck」を使用しました。それ以外の資料を使用する時はソースを記すことにします。




 軍人であった伯爵エミール・フォン・シュポネックの第4子として生まれたハンス・エミール・オットー・フォン・シュポネックは士官学校で学び(カールスルーエ士官学校は首席で卒業しました)、1908年に士官に任命されました。サッカーと体操に秀でた優秀な将校であった彼は女性にももて、1910年に結婚(一回目)して2人の男の子を授かっています。

 第一次世界大戦ではフランスとロシアで戦い、3度負傷。1915年秋には、通常の戦時教習課程(短縮課程)を受けることなく参謀本部に入ることを許されるという名誉を得ました。

 戦後も軍に残ることができ、昇進を重ねます。1934年から1937年まで歩兵第48連隊長を務め、この時期に離婚しています。

 1937年12月にフォン・シュポネックは空挺部隊設立のためにドイツ空軍に転属しました(ドイツ空軍は事実上ゼロの状態から拡大しており、優秀な将校を必要としていました)。1938年2月には少将に昇進。

 1938年に起こったブロンベルク罷免事件*の軍法会議(1938年1月?)においてフォン・シュポネックはフォン・フリッチュ上級大将の無実を主張し、この軍法会議の議長であったヘルマン・ゲーリングの逆鱗に触れています。彼は同年に再婚し、翌年に新しい妻との間に男の子が生まれました。
*:国防相であるヴェルナー・フォン・ブロンベルク陸軍元帥と、陸軍総司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュ上級大将に関するスキャンダルが相次いで発生し、両者が罷免された。冒険的な外交政策に反対する陸軍の上層部を一掃する目的による、ナチスの謀略事件であるとされる。


 一方、1938年に彼は第22歩兵師団(空輸歩兵として訓練を受けたことから一時期第22空輸師団とも呼ばれました)の師団長に任命されているようなのですが、その経緯について資料間でいくらか差異があると思われます。私なりに一番ありそうな所だけを抜き出しますと恐らく、1938年7月に陸軍に再転属(ドイツ語版Wikipedia)、そして10月か11月に第22歩兵師団長に任命。

 『German Airborne Divisions: Blitzkrieg 1940-41』は任命を1938年1月としていますが、ミスか、あるいは非公式の引き継ぎ時期か何かかもです。同書は同師団の編成過程を詳しく記していますし、空軍と陸軍の軋轢があったこと、特に、第22歩兵師団が「第22空輸師団」という名前となって空挺作戦の一部に投入され、かつそれがドイツ空軍に移管されないことをドイツ空軍側は認めざるを得なかったということを書いています。

 同書はフォン・シュポネックについて、「才能(talents)」があり、また、第22空輸師団は通常の歩兵師団よりもスポットライトを浴びるものであったため、彼はその役職に不満はなかった、と書いています(P25。わざわざそう書くだけの傍証があるわけでしょうか)。また、クルト・シュトゥデントとフォン・シュポネックは、最前線に立つべきという考えの点で志を同じくしていたというような記述もありました(P14)。


 フォン・シュポネックが第22空輸師団長に任命されたのは、彼が空軍にいた経験によるものであろうと『Hitler's Commanders』は記しています。

 1939年のポーランド戦には師団の1個連隊のみが参加しただけでした。1940年5月からのオランダ攻略戦では、空軍の第7航空師団の空挺降下に続いて、第22空輸師団は占領された航空基地へ空輸されて戦いました。


 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』の第22空輸師団ユニット。

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 師団長のフォン・シュポネックも部隊と共に首都ハーグへ飛びましたが、この時、戦勝パレード用の馬を一緒に積んでいったそうです(『German Airborne Divisions: Blitzkrieg 1940-41』P29)。しかし、ハーグにおいて第22空輸師団は苦戦し、彼自身が危うく捕らえられそうになったり、負傷したりし、王家を捕らえるなどの3つの任務すべてに失敗しました。尤も帰国後、彼はヒトラーから騎士十字章を授与されています。




 バルバロッサ作戦で同師団は南方軍集団に加わり、通常の歩兵師団として作戦に参加しましたが、元々特殊な作戦のために訓練されていたため兵士達の質は高く、クリミア攻略作戦においてフォン・マンシュタインは同師団を最高の部隊として信頼して運用したといいます。


 ↓OCS『Crimea』の第22歩兵師団ユニット。

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(OCSで、ドイツ軍の通常の歩兵師団でARが5というのは珍しく、他にぱっと思いつくのは『Guderian's Blitzkrieg II』の第78歩兵師団くらいです)




 ↓OCS『Crimea』のシナリオ1「通過儀礼」の初期配置。

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 画像中央下あたりにある、ARが5の3ユニット(4ステップ)が第22歩兵師団です。

 フォン・マンシュタインが赴任する前の時期の、クリミア攻略戦の指揮を執る直前に戦死したリッター・フォン・ショーベルト将軍について (2023/12/27)で書いていた、ドニエプル川北岸のベリスラウ(Berislav/Beryslaw:F17.35の北側のヘクス)に最初に到達したのは第22歩兵師団だったそうです。

 そしてフォン・マンシュタインが赴任した後のシナリオ1の時期の最初の数ターン(9月下旬~10月初旬)、第22歩兵師団はクリミア半島方向ではなく、東のメリトポリ方向とその南岸を押さえる任務を負っており、その任務に成功します。

 ただしOCS『Crimea』のシナリオ1ではその戦いはオミット(除外)されており、第22歩兵師団は初期配置位置から動けず、第4ターン(10月5日ターン)に1/6の確率、次のターンには2/6の確率……と確率が上昇して制限が解除されるようになっています。ここらへんのメリトポリ周辺やその向こう側ではこの時期、かなり激しい戦いが行われていたそうなのですが、デザイナーズノートによると、シリーズデザイナーのディーン・エスイグ氏からユニット数を少なめにするようにアドバイスされており、デザイナーはここの戦いをオミットすることを決断したのだということでした。




 一方、この時期にフォン・シュポネックと同師団はその地で、ユダヤ人大量殺戮に加担していました。

 以下、英語版Wikipedia「Hans Graf von Sponeck」から引用してみます。

 1941年10月7日、伯爵フォン・シュポネックは自分の師団に、ユダヤ人市民を検挙し、見つけだし、引き渡すことによって、保安警察(SiPo:ズィポ)および親衛隊保安局(SD)と緊密に協力するように命じました。1941年10月に第22歩兵師団に占領された直後のヘニチェスク【F27.24】とメリトポリでは、ズィポとSDのアインザッツグルッペン【特別行動部隊】Dの部隊によるユダヤ人の大量射殺が記録されています。メリトポリだけで、2,000人のユダヤ人男性、女性、子供が虐殺されました[6]。後にイギリスのトレントパーク収容所に収監された、フォン・シュポネック将軍の部下の上級将校の一人であったディートリッヒ・フォン・コルティッツ大佐(後に将軍)【ヒトラーのパリ破壊命令を無視して降伏したことで有名です】は、収容所内で密かに録音された会話の中で、ドイツ軍のソ連侵攻の間、ユダヤ人を殺す作業に積極的に参加したことを率直に認めていました[7]。

 坐骨神経痛と腸の不調のため、フォン・シュポネック将軍は1941年10月14日に師団から病気休暇を取得。1941年12月3日にシュポネックが帰還すると、マンシュタインはクリミア最東端のケルチ半島を占領していた第42軍団(麾下に第46歩兵師団)の指揮権を与えました。フェオドシヤ【↓の画像のF33.08】では、シュポネックの指揮区域内で1941年12月10日前後に、1,052人のユダヤ人がアインザッツグルッペンDの部隊によって殺害されました。1941年12月10日、フォン・シュポネック将軍は、自分の指揮区域内で発見されたすべてのユダヤ人を原則として「パルチザン」として扱い、ダビデの星印をつけ、「労働力として配備する」ように命じました。彼はまた、捕らえられた赤軍兵士は、たとえ軍服を着ていたとしても、直ちに射殺するよう命じ、地元での反ドイツ活動や妨害行為に対する民間人への報復行動を承認しました[8]:




 ↓OCS『Crimea』のシナリオ2の初期配置のケルチ半島。フォン・シュポネックの第42軍団司令部がパルパチ地峡部にあります。下のノヴォロシースクボックスには、シナリオ2の開始時期(42年12月26日ターン)からケルチ半島へ上陸作戦を行うためのソ連軍ユニットや艦船が置かれています。

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 歴史家のエリック・グリマー=ソレムは次のように述べています。

「フォン・シュポネック将軍のケースは単純ではありません。彼は麾下の部隊が壊滅の危機にさらされた時、ヒトラーからの命令を拒否する道徳的勇気を持ち、そのために軍法会議にかけられ、後にナチスによって処刑されました。一方で、彼は犯罪的なコミッサール指令の遂行を拒否しませんでした。フォン・シュポネックは厳密な意味でのナチではありませんでしたし、彼自身、体制のいくつかの側面に批判的でさえありましたが、彼の命令と彼の軍隊の行動は、彼が反ユダヤ人種主義を内面化していたことを疑う余地はありません。シュポネックは、ナチス政権の大量殺戮政策を実行するためには、イデオロギー的なナチスである必要はなかったことを示しています。ナチズムの下で、戦争の状況下では、被害者と加害者、英雄と追従者の境界線は、一人の人間の中で渾然一体となってしまったのでしょう。」[9]。





 1941年12月初旬からのソ連軍の冬期反攻の一環として、クリミアでもケルチ半島への上陸作戦が12月26日に開始されました(OCS『Crimea』のシナリオ2はその時点から始まります)。この上陸作戦は、フォン・マンシュタインにとって最悪のタイミングで実行されたものになりました。第11軍がセヴァストポリ攻略戦の最中で兵力を集中しており、延びきった態勢にあったためです。ケルチ半島を守備するフォン・シュポネックの第42軍団の麾下には、たった1個師団(第46歩兵師団)しかありませんでした。

 最初の上陸はケルチ【F45.10】付近へのもので、28日までにフォン・シュポネックはケルチ市近郊の2つの主要な上陸拠点のうちの1つを全滅させましたが、すべては掃討できず、しかもいくつかの上陸地点は戦線の後ろ側にあってソ連海軍によって補強されつつありました。フォン・シュポネックは最終的には孤立して壊滅させられてしまうだろうことを予見して、フォン・マンシュタインに撤退の許可を求めました。ケルチ半島を放棄し、その付け根であるパルパチ地峡まで下がれば、ソ連軍の攻勢を封じられると考えたのです。

 この部下の状況判断に、マンシュタインはまったく同意しなかった。ひとたびソ連軍がクリミアに強力な拠点を構えたならば、それを撃退するのは極度に困難になり、大規模な反撃作戦が必要となろう。そんな事態(正しく、それは現実となった【OCS『Crimea』のミニシナリオ1「立ち退き通告」(トラッペンヤークト作戦)はその作戦を扱っています】)を恐れたのだ。ゆえに、マンシュタインは、「上陸直後で、敵がまだよろめいているうち」に「[敵を]海に追い落とせ」と、シュポネックに命じた。
『ヒトラーの元帥 マンシュタイン』上P387



 一方、『Hitler's Commanders』や英語版Wikipediaでは、フォン・マンシュタインが拒否したというよりは、この冬期反攻の時期にヒトラーが撤退が禁じる命令を出していたため、それに(フォン・マンシュタインが)従って撤退が禁じられたのだという感じの書き方になっています。

 また『Hitler's Commanders』は、フォン・シュポネックによるより強い2回目、そして必死の3回目の撤退許可要請も拒否されたと書いています(『ヒトラーの元帥 マンシュタイン』には2回目までだけが書かれています)。


 12月29日までに、フォン・シュポネックの前方部隊(第46歩兵師団と少数の部隊)は1万人にまで減少していました。その日、新たなソ連軍部隊(2個師団)がフェオドシヤ(F33.08)付近に上陸したという知らせが届きます。フォン・シュポネックは予備兵力をすべて投入してしまっており、ケルチ半島内に留まるのが不可能なことは明らかでした。フォン・シュポネックは30分考えて決断を下したといいます。ヒトラー/フォン・マンシュタインの命令に背き、パルパチ地峡まで後退するよう、麾下の部隊に命じたのです。

 恐らくこの時のこととして、ドイツ語版Wikipediaは「シュポネックは上級指揮官であるエーリヒ・フォン・マンシュタイン指揮下の第11軍に相談することなく、ケルチ半島からの撤退を命令。命令を迅速に実行し、無線機を破壊することで、第11軍が命令を撤回することも不可能にしました。」と書いています。この無線機の件はOCS『Crimea』のヒストリカルコメンタリーにも挙げられているのですが、私が今回参照した他の資料には言及されていません。
(私が大好きな「大陸軍 その虚像と実像」のR/Dさんの考え方からすると、「無線機の破壊」なんていう非常に面白いエピソードは、それが面白いがゆえに史実である可能性は低そう(虚説がミームになったものだという可能性が高い)ということになりそうですが……?



 この撤退は摂氏-7度の氷雪の中で行われ、何千人もの凍傷患者が発生し、車両が動かなくなってしまう中で行われたと『Hitler's Commanders』には書かれています。

 パルパチ地峡にたどり着いた彼らはフォン・マンシュタインが差し向けた増援の力も借りて、追撃してきたソ連軍部隊による1942年1月1日の戦車部隊の攻撃を、大きな損害を出しながらも撃退することに成功します。しかし同日のうちに、フォン・シュポネックは第42軍団の指揮権を剥奪され、マッテンクロット歩兵大将に譲るように命令されます。

 この解任を誰が命じたかについても、資料によってバラバラで困ってしまいます(T_T) ↑の英語版Wikipedia「Franz Mattenklott」なんかは「フォン・マンシュタインが激怒して解任した」と書いてますが、他の資料には誰が解任したか書かれていないですし、フォン・マンシュタインが激怒したなんてことも書かれていません。

 一方、『Hitler's Commanders』などは、このソ連軍の冬期反攻の時期にドイツ軍将官の不服従が相次いでおり、それらへの「見せしめ」としてフォン・シュポネックの解任と軍法会議が、スケープゴートとして必要とされたのだ、という風に書いています。


 この軍法会議の開催について、『ヒトラーの元帥 マンシュタイン』にはこう書かれています。

 死に至るまで【……】、シュポネックは、第46師団に撤退を命じたのは正しい行動だったと主張しつづけた。あとになって、マンシュタインも相当程度それに同意したとみられる。1941年12月29日の事件【独断撤退】の結果としてシュポネックを軍法会議にかけるのではなく、第72歩兵師団長だったフランツ・マッテンクロット歩兵大将と交代させることを、マンシュタインは望んだ。けれども、軍法会議は開かれた。マンシュタインは、その期日も知らされず、かつての部下のために正式に意見表明する機会も与えられなかった。1942年1月23日、職務怠慢と戦場における不服従の罪で、シュポネックは死刑を宣告された。一ヶ月後、ヒトラーは、この判決を6年間の「要塞禁固」に減刑している。
『ヒトラーの元帥 マンシュタイン』上P388



 解任されたフォン・シュポネックは、軍法会議のためにベルリンに出頭し、裁判は1月23日に開始(同日判決?)されました。軍法会議の議長は、かつてフォン・シュポネックに激怒したゲーリングでした。この軍法会議では重要な証人の陳述は認められず、被告は裁判中ずっと起立していなければならなかったといいます(ドイツ語版Wikipedia)。フォン・シュポネックは「プロイセン軍将校として、部下達を救うために戦術的な状況から必要とされれば、上官の命令に反してでも独断で行動するように教えられてきた」と主張。この抗弁は一蹴され、「現場での過失不服従」の罪で有罪、死刑判決を受けます。

 ヒトラーが刑を減刑したいきさつについても資料間の食い違いがあり、英語版Wikipedia他ではフォン・マンシュタインが減刑を提案したからだとしてたりしますが、『Hitler's Commanders』は「フォン・マンシュタインは彼を助けるために指一本動かさなかった」と書いてたりします。
(この件では、より記述において慎重であろう書籍となっている2つのソースがフォン・マンシュタインの減刑提案を否定していることからすると、フォン・マンシュタインは減刑提案してないのではないでしょうか)




 フォン・シュポネックはゲルマースハイム(フランス国境近くの街)の軍事刑務所に送られ、囚人としては恵まれた生活を享受しました。時々街に出て、本やタバコを買うことも許されました。妻(二人目の)は1ヵ月につき7日の頻度での面会が許され、末の息子(1942年に3歳になっていました)とも面会できました(一方、ドイツ語版Wikipediaは、家族は拘留され、財産は没収されたとしています)。

 1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件の後、治安当局者のハインリヒ・ヒムラーはフォン・シュポネックの処刑を命令しました。その背後には、ゲルマースハイムを含む管区の長であり、ナチ党の初期からのメンバーであったヨーゼフ・ビュルケルの圧力があったとWikipediaにはありました。

 7月23日午前7時13分にフォン・シュポネックは銃殺刑に処されました。彼は聖餐を受けることを許され、拘束も目隠しもされないという彼の要求は尊重されました。フォン・シュポネックの妻は前妻も含めて2人とも処刑に立ち会い、共同で彼の遺体の引き渡しを求めました。遺体はゲルマースハイムの墓地に埋葬され、彼の墓で弔辞を述べたり演説したりすることは禁じられましたが、主の祈りは捧げられました。


 フォン・シュポネックの長男は戦闘機パイロットとしてノルウェーとドイツ上空で戦い、大尉で終戦を迎えました。次男は騎兵部隊で大尉となっていましたが1943年、東部戦線のドン川戦区で戦死。

 二人目の妻との間の末の息子であるハンス・クリストフ・フォン・シュポネックは西ドイツにおける最初の良心的兵役拒否者の一人となり、外交官としてキャリアを積みます。彼は国連事務次長補およびイラク担当国連人道調整官を務め、国連内でも非常に尊敬されている人物であるそうです。


 戦後の西ドイツでは、ヒトラーに反抗して兵士達の命を救ったとして伯爵フォン・シュポネックを記念してゲルマースハイムの街の空軍基地、通りなどに彼の名前が付けられました。しかし、2014年に発表されたエリック・グリマー=ソレムの論文でフォン・シュポネックが数多くの戦争犯罪を犯していたことが明らかになり、市民の抗議活動が起こり、空軍基地などは改名されました。



 実は、以前書きました第90軽師団で後衛を指揮して活躍するも、チュニジアで降伏したテオドール・フォン・シュポネック将軍について (2022/09/23)で、このテオドール・フォン・シュポネックは今回のハンス・フォン・シュポネックの弟であると、『Rommel's Desert Commanders: The Men Who Served the Desert Fox, North Africa, 1941-42』の著者であるミッチャム氏が書いていたためそれを信じてそのように記述していたのですが、今回調べてますと二人は親の名前も全然違うし、ミッチャム氏以外の資料でこの二人が兄弟、あるいは親戚関係にあるとの記述さえ見つけられませんでした。なので、苗字は同じですけども基本的に二人は無関係なのだと思われます。当該ブログ記事は訂正しました。


 ミッチャム氏の著作は今までも、推測が先走っていると思われたり、本が違うと記していることが違ったりと、信頼性が低い気がビンビンにしてはいたのですが、またもや大きな問題が発見されてしまいました(T_T) ロンメル麾下の指揮官関係で興味深い本を書いてくれる大変ありがたい方なんですが……。

 また、ハンス・フォン・シュポネック関連にしても、資料によっては出てくる「無線機を壊して撤退した」「撤退にフォン・マンシュタインが激怒した」「フォン・マンシュタインが減刑を提案した」などの、ある意味興味深い記述は、どうも信頼できないのではないかということが明らかになったのではないかという気がしています。


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OCS『Crimea』のシナリオ1「通過儀礼」についてと、明確化

 先日のミドルアース大阪で、OCS『Crimea』のシナリオ1「通過儀礼」をプレイできました。古角さんが枢軸軍、私がソ連軍を担当しました。



 ↓初期配置。

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 先日書いてました、クリミア攻略戦の指揮を執る直前に戦死したリッター・フォン・ショーベルト将軍について (2023/12/27)の後の、フォン・マンシュタインが指揮を引き継いだ後のクリミア半島攻略の最初の段階を扱っています。

 1941年9月26日から12月26日までの3ヵ月間(28ターン)ですが、フォン・マンシュタイン麾下の部隊はわずかしかなく、史実では開始1ヵ月後にようやくペレコプ地峡(ウクライナとクリミア半島の間の地峡)を抜け、シナリオ終了時にはセヴァストポリ周辺の陣地帯以外を制圧していました。

 勝利条件は、クリミア半島(ケルチ半島を含む)の港湾をどれだけ支配しているか、セヴァストポリ周辺の陣地帯をどれだけ支配しているか、それに戦艦セヴァストポリ(この時期の艦名はパリジスカヤ・コンムナになっていました)の損傷具合です。



 プレイしてみると、ペレコプ地峡北側の最初の陣地帯はあっという間に抜けてしまうのですが、その後の地峡の南側の陣地帯の手前でしばらく止まってしまうようです(主にSP不足により)。でもまあ、それが史実通りです。

 ソ連軍側は、最初の2ターンはユニットのほとんどが動かせない設定になっており、できることが少ないのでプレイしやすいです。

 全体的にユニット密度が低いので、OCSのシナリオの中でもプレイしやすいだろうと思います。ただし、陣地関係の処理(たいしたことないですが)が必須なのと、ソ連軍の戦艦と軽巡艦隊ユニットが出てくるので、艦砲射撃したり、艦船に航空ユニットで攻撃したりするとそこらへんの処理のルールを読んでやることになるでしょう。



 ↓今回のプレイの終了時。

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 今回のプレイではペレコプ地峡の南側の陣地帯のところまででしたが、その後の展開を予測すると、ソ連軍側はクリミア半島の南側(ケルチ半島を含む)にたくさんある港湾の、どれだけは放棄するか、遅滞するか、固守するかの決断を迫られますが、勝とうとすればなるべく多くを守りたいわけで、そうすると防御ラインが薄くなって枢軸軍側に弱点を突かれる可能性が高まる……というジレンマに悩まされるのではなかろうかと思います。

 ドイツ軍側としては、セヴァストポリ周辺の陣地帯のいくつかを占領できれば勝利に近づくので、ソ連軍側の不意や見落としを突ければ面白そうです。あと、空軍力はものすごいので、それを活用して、戦艦を沈めたり、ヒップシュートしてのオーバーランをしたりでアクションレーティングが低めのソ連軍ユニットを吹き飛ばしていければ……。

 このシナリオ1は、直後のシナリオ2(20ターン:42年3月1日ターンまで)へと継続してプレイすることもできます。シナリオ2ではソ連軍側が逆襲を試みて、ケルチ半島を占領しようとします。その後、ミニシナリオ1(42年5月の4ターン)でケルチ半島のソ連軍を枢軸軍が追い出し、ミニシナリオ2(42年6~7月の10ターン)でセヴァストポリが攻略されます。それで42年までのシナリオは終了です。


 フォン・マンシュタインのクリミア半島攻略戦については、一応これまでに3種類ほど読んだことがあった(コマンドマガジンの海外翻訳記事と、大木毅氏の記事と、フォン・マンシュタインの伝記)のですが、頭に入っているとは全然言えませんでした(^_^; が、やはりゲーム上でプレイしてみると、ものすごく良く理解できますね……。






 それから、今回のプレイで2点ほど疑問点が出たのでfacebook上で質問してみました。OCS『Crimea』の現時点で判明しているエラッタ&明確化 (2024/01/07)には追記しておきましたが、その2点はこのシナリオに深く関わってくる部分なので、ここにも書いておきます。


■ルールブック

共通再建表
「2Paxを消費するユニット」の一覧に、「(ソ連軍の1ステップユニットの)騎兵師団」を追加します。


■プレイブック

明確化:
5.1 シナリオ1 および ドイツ軍増援到着表
シナリオで使用できる分遣連隊ユニットの数は、セットアップ情報で制限されています。一方、ドイツ軍増援到着表の1941年10月5日ターンに分遣連隊ユニットとして到着すると指定されている増援があります。この増援はセットアップ情報で個数が制限されている分遣連隊プールの中から出します(分遣連隊プールに追加される形で到着するのではありません)。

OCS『Crimea』のミニシナリオ1「立ち退き通告」(トラッペンヤークト作戦)についてと、明確化

 OCS『Crimea』のミニシナリオ1「立ち退き通告」(トラッペンヤークト作戦)を、富山のKさんとプレイしました。古角さんとプレイしたのと合わせて2回目です(その間に一度ソロプレイもしました)。








 このミニシナリオは1942年6月に行われたマンシュタインのセヴァストポリ港攻略作戦(ミニシナリオ2:「シュトルファング(チョウザメ捕獲)作戦」)の直前の5月に、ケルチ半島にいたソ連軍を追い出したトラッペンヤークト(野雁狩り)作戦(を包含?)を扱っています。

 トラッペンヤークト(野雁狩り)作戦は、パルパチ地峡での攻撃のコードネームでした。これはマンシュタインらしい、大胆な作戦でした。彼は、自軍の2倍以上の19個師団と数個戦車旅団からなるソ連軍を攻撃するために、実戦経験のない第22装甲師団と5個歩兵師団、それに数個ルーマニア軍師団しか持っていなかったのです。マンシュタインは1942年5月8日の攻撃開始において、最も警戒の薄い場所を攻撃することによって作戦上の奇襲性を確保するという、1940年のフランス戦のアプローチを再び用い、敵の強力な戦線を突破したのです。

 結果は、第2次世界大戦で最も一方的な勝利の一つとなりました。ソ連軍はドイツ空軍に攻撃され、ドイツ軍の快速部隊が後方に侵入し、司令部が混乱に陥って崩壊してしまいました。ケルチ半島全域は2週間で掃討され、ソ連軍25万の部隊の70%が死亡または捕虜となりました。元々トラッペンヤークト作戦の見通しは確実ではなかったのですが、すべてのカードがドイツ軍に有利に働いたのでした。
OCS『Crimea』ヒストリカルコメンタリーPage23



 このミニシナリオはかなりプレイしやすいと思いました。OCS初心者の方にもオススメでしょう。

 シナリオ特別ルールで、第1ターン先攻ドイツ軍の移動フェイズ中(のみ)は燃料があらかじめ全部入れられている、というのが非常に重要です。あと、南岸で1回だけ戦闘のダイス目を+2できますが、これはあんまり効果が大きい気はしませんでした(^_^;

 古角さんと私は「このルートがドイツ軍の進撃路だろう」と思われるものを考えましたが、富山のKさんはそことは違うルートを通って大勝利されてました。ドイツ軍側も色々選択肢や、考えるべきところがあると思います。とりあえず重要なのは、ヒップシュートしてオーバーランする、という流れです。

 ソ連軍側はドイツ軍側よりも一層チャレンジングですが、色々とあがく案が思いつくので、個人的には非常に面白いと思っています。


 『Crimea』の特別ルールはまあまあ量がありますけど、このミニシナリオ1をプレイする上で必要な特別ルールの量はそれほど多くありません。プレイしやすくするために、以下に挙げておきます。

1.ドイツ軍の航空ユニットはすべて、ヒップシュート可能です。
2.ソ連軍の航空ユニットはすべて、ヒップシュートできません。
3.ミニシナリオではランダムイベント表は使用しません。
4.ドイツ軍がケルチ港(あるいはケルチに隣接する2つの港湾)を占領しても、そこはドイツ軍の補給源にはなりません(1.1d項により)。
5.乾燥湖(Dry Lake)は基本的には中障害(Very Close)ですが、砲爆撃の対象となる時はオープン扱いです。



 それから、細かく考えていくといくつか疑問点があったので念のためにfacebook上で質問してみました。その件と合わせて、さらにルール解釈について書いておきます(OCS初心者の方は、↓のあたりは考えずにプレイしてOKだとも思います)。

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5.ケルチ港に隣接する2つのヘクスにも、元々の港湾能力が2Tと1Tの小さい港湾があります。特別ルール1.1d項の書き方は「元々1SP以上の港湾」でなければ補給源にはならないかのような文とも受け取れるのですが、確認したところ、元々1SP未満の港湾でも1.1d項に従って、1T港湾は2RE、2T港湾は4REだけを一般補給できます(厳密には、打ち消された敵ZOCにある場合にはそれがさらに半分になる?)。
 ですから、「ドイツ軍がケルチを占領した」だけでは、ソ連軍は一発KOにはなりません。あと、ケルチとその右上の港湾ヘクスの間には進入禁止ヘクスサイドがありますが、OCSでは補給路における最後の+1ヘクス、それにZOCはどんな地形でも通すので、その進入禁止ヘクスサイドも通ります。
 それから、ソ連軍プレイヤーのSPは自由配置で、タマン半島側にも置けます。普通の人はケルチ半島側に置いた方がいいと思いますが、OCSの超玄人であればタマン半島側にSPを置いても、それを「1.4a ケルチ海峡を渡る常設フェリー」や、海上輸送力1SP分や、タマン半島の鉄道輸送力1SP分で運んだりして、何か良からぬことを考えるという選択肢はあると思います(むちゃくちゃ有効というわけではないと思いますが(^_^;)。

6.F35.09とF36.08の間のヘクスサイドは通行可能です(非常に重要だと思います)。(facebook上で確認しました)

7.シナリオ特別ルールを読んでいると、私はノヴォロシースクボックスは使用不可だと思っていたのですが、facebook上で確認したところ(ソ連軍プレイヤーにとって)使用可能なのだそうです(シナリオ特別ルールに「マップ外ボックスの航空基地は使用できません」とありますが、この文言をとりあえず無視して下さいと言われました)。ソ連軍のSPは極度に少ないので、ノヴォロシースクボックスでノーコストで航空ユニットを整備するという選択肢は重要だろうと思います(そうした方がいいかどうかはともかく)。

8.ソ連軍ユニットのかなりの数が第1ターンで包囲されてしまう可能性もあるので、脱出(Breakout:OCS 12.8e)のルールを活用するという選択肢はあるかもしれません。念のためfacebook上で質問してみましたが、ミニシナリオ1(と2)でも脱出はできるということでした。脱出を活用する場合、ソ連軍プレイヤーは司令部ユニットを港湾に退避させた方がいいでしょうね(3.1bにより、一般補給下の司令部にいきなり帰ってくるので)。

9.シナリオ特別ルールには「追加のSP……はありません」と書かれています。OCSで「追加のSP」と書かれている場合は普通、マップ外ボックスからSPを空輸するとか、無限のSPがある場所から海上輸送するとかってのを指すと私は思っていました。だとすると、「補給表」による毎ターンの補給は得られるのか……? と思ったのですが、補給表を見てみると、そもそもミニシナリオ1(と2)の時期は補給表の時期表示に入ってないので、やっぱり補給表による補給は得られないと思います。ミニシナリオ1はドイツ軍は7SP、ソ連軍は4SPをセットアップ時に持っていて、それ以上びた一文もSPを得られないので、かなり大変です。LOWやExhstd上等ということになるでしょう。



 ソ連軍側は、まずは自由配置の4SPをどこに置くかが非常に重要で、様々な選択肢があると思います。恐らく大事なのは、「ドイツ軍にSPを踏まれないこと」と「SPを何に使わないかを厳選すること」でしょう。防御戦闘に2Tをほいほい入れていくことすら、オススメしません(いわんや、砲兵砲爆撃においておや)。セットアップ時に予備モードにするユニットの選定も重要です。





<2024/01/15追記>

 それから、恐らく非常に重要なテクニックとして、第1ターンの先攻枢軸軍プレイヤーターンのリアクションフェイズ中に、ソ連軍側が司令部方式(OCS 12.5cのC)で1SPを消費して、支給範囲内のすべての独立ユニットに給油してしまうという方法があると思います。

OCSでのリアクションフェイズ中の給油(移動できない、させないユニットにも給油できるか?)について (2021/09/13)

 ↑に書いてましたように、予備マーカーを乗せているかどうかにまったく関係なく、司令部ユニットは給油できます(この時、その司令部ユニット上に給油済みマーカーを置きます)し、各独立ユニットは給油されます(もちろんこの時、予備マーカーが乗っていなかった独立ユニットは移動はできませんが、予備マーカーが乗せられていたユニットは給油されて移動できるわけです)。そして、この司令部の給油済みマーカーは後攻ソ連軍プレイヤーターンのクリーンアップフェイズまで有効となります。

 ただし、この司令部の給油済みマーカーによって続く後攻ソ連軍プレイヤーターンの移動フェイズ、および突破(拡張)フェイズに再び給油されるためには、それらの各独立ユニットがその司令部の支給範囲内にいなければなりません(12.5eに従い、その判定は各独立ユニットが移動を開始する時に判定されます。フェイズ開始時に一斉にチェックされるのではありません)。ですから、例えば一部のソ連軍ユニットが枢軸軍ユニットによって包囲されており、ソ連軍側の給油済みマーカーの乗った司令部から支給ができない場所にいた場合、包囲下のユニットは給油状態にはなれません、が、そのフェイズ中に包囲を解除できれば、支給できるようになる可能性はあります。

 この方法によって、うまく行けばソ連軍側は、戦車ユニット、オートバイユニット、砲兵ユニット(移動モードが自動車化)、司令部ユニットのほとんど(あるいはすべて)を、第1ターン後攻ソ連軍プレイヤーターン中に移動させられる可能性があります。

 枢軸軍プレイヤーはこれを防ぐためには、単にケルチ周辺の港湾を押さえるだけでなく、ある程度のソ連軍部隊に対して第1ターン先攻枢軸軍プレイヤーターン中に包囲環を作っておく必要がある、ということになるかもしれません。

<追記ここまで>

<2024/02/12追記>

 あと、枢軸軍は最初の移動フェイズ中に、がら空きのケルチを占領してしまうという作戦があり得ると思います。その場合、ケルチの航空基地にSPを空輸できるので、ケルチを占領したユニットがLow/Exhstdにならないよう、空輸した方がいいだろうと思います。Exhstdになると防御力が半分になりますから(ただし、すぐにやられてしまった場合SPが無駄になるとか、SPを取られてしまうというデメリットはあるでしょう)。

<追記ここまで>



 OCSには色々な小さいシナリオがありますが、このシナリオは両軍がかなりチャレンジングで面白い、ある意味で教育的な、能力を試される好シナリオなのではないかと思いました。

OCS『Crimea』の現時点で判明しているエラッタ&明確化

 OCS『Crimea』ですが、現時点で判明しているエラッタと明確化がいくらかありますので、書いておこうと思います。今後順次、加筆することにします(明確化は、facebook上で質問したものです)。

 サンセット版和訳は2024/01/26時点までのエラッタ&明確化だけが含まれています。その後明らかになったエラッタ&明確化に関しては、赤字で表示します。



■サンセット和訳のエラッタ

◇ルールブック上

Page3 1.4c 氷結 の6行目
「3ターン続くする必要が」とありますが、正しくは「3ターン続く必要が」です。

Page13 3.6c オデッサ(1941年)の項の後ろから6行目
「退出させることができます」とありますが、正しくは「退避させることができます」です。
【「退出」という用語を訳者は、「ゲームプレイから取り除かれる」という意味で使用するようにしていました。3.6cの件はそうではないので、誤解を招かないように修正しておいていただけると幸いです。】


◇プレイブック上

Page4 シナリオ2の「勝利条件」の2行目
「クリミアで自軍が支配している」とありますが、正しくは「クリミアとタマン半島で自軍が支配している」です。

Page10 シナリオ3の「最後のターン:」
「1944年6月22日ターン」とありますが、正しくは「1944年1月22日ターン」です。

Page11 勝利条件 の4つ目
「枢軸国の戦略的勝利:」とありますが、正しくは「枢軸軍の戦略的勝利:」です。

Page23 右の列の最後の見出し部分
「第4ウクライナ正面軍ユニットが配置される任意のターンに(第4ウクライナ正面軍ユニットと一緒に配置します)」とありますが、正しくは「第4ウクライナ正面軍ユニットが活性化されたターンに(第4ウクライナ正面軍ユニットのいるヘクスに配置します)」です。
【サンセット和訳を作成した時点ではこの見出しの部分は「第4ウクライナ正面軍が到着した時」のことだと解釈していたのですが、正しくは「第4ウクライナ正面軍が到着して2ターン目に再編態勢に移行した後、増援表で11以上の目を出すなどして条件を満たして活性化されて攻勢態勢になった時」という意味でした】





■マップ

 天候表(Weather Tracks)の「15-29 Nov」の「Freeze」のコラムが「5-6」となっていますが、正しくは「3-6」です。


 ケルチ海峡氷結進行表(Kerch Strait Ice Development)の右側の説明文の2つ目の最後に「一番左(leftmost)のボックスまで」とありますが、正しくは「一番右(rightmost)のボックスまで」です。


明確化:
ヘクスF10.03は荒地です(ヘクスのほとんどが丘ですが、ヘクスの右上の方に荒地が少しあるので、荒地となります)。


unit8439.jpg


明確化:
F46.08は全海ヘクスであるとみなします。ソ連軍のBBやCL等は通常、海岸ヘクスには入れませんが、全海ヘクスであるF46.08、F45.09を通って、Kamysh Burun港とKerch港に入ることができます。また、KerchのあるF45.10は「港湾のある海岸ヘクス」なので、そこを通ってKolonka (F46.10)に入ることができます。
(F46.08にほんの少しだけ陸上が入っているように見えるのは校正ミスだということです)


unit8429.jpg


明確化:
↑の画像で、例えばケルチ港とカミシュ・ブリュン港がドイツ軍ユニットに占領されていて、ケルチ半島にいるソ連軍が使用できるのはコロンカ港だけだとします。その場合、ケルチ半島で一般補給を供給されるのは1Tのみ(2RE分)になります。その場合、下記のようになります。
1.脱出(Breakout:OCS 12.8e)判定時、2RE分のユニットには一般補給が供給され、それ以外のユニットは一般補給が引けないとして脱出の対象となります。
2.戦略移動は、一般補給が引けるヘクスで移動を終了しなければなりません。2RE分のユニットにしか一般補給が引けないため、戦略移動が可能なのは2RE分のユニットのみです。
3.上記1、あるいは2で、「一般補給が引ける」として「脱出の対象とならなかったユニット」/「戦略移動をしたユニット」は、続く補給チェックの際に、一般補給が入れられるのでなければなりません(別のユニットに一般補給を入れるのは許されません)。






■カウンター

ドイツ軍のHe.111Hのカウンターの内の1つには、「1/2T」と2箇所に書かれています。右下の方の記載は無視して下さい。

unit8459.jpg



ドイツ軍の第22装甲師団の師団砲兵(第140自動車化砲兵連隊)ユニットの移動モード面の移動力が間違っています。白色の3となっていますが、黒色の16が正しい数値です。
【『The Forgotten Battles』にて訂正カウンターが提供される予定です。】

unit8426.jpg



注意事項:
ドイツ軍の歩兵師団ユニット(複数ステップユニット)のうち、第50歩兵師団と第73歩兵師団は1941-42年のシナリオと、1943-44年のシナリオの両方に登場し、前者では20-4-3で後者では16-4-3となっていますので、注意して下さい。
(この項、facebook上での質問から。歩兵師団については今回、他にもないか私はチェックしてみましたが、見つかりませんでした。しかし歩兵師団以外でも同様の例があるかもです)

【この件ですが、とは言っても実際にプレイする時には忘れてしまっていてユニット名だけで選別してしまいやすいので、プレイブックの当該師団の項に蛍光ペンを引いておくとかするのが良いと思います】

unit8438.jpg

unit8437.jpg






■ルールブック

1.1b 大都市として「メリトポリ」の名前が挙げられていますが、正しくは「マリウポリ」です。


明確化:
1.4a 「ケルチ海峡を渡る常設フェリー」を使用できるのは、移動フェイズ中のみです(突破フェイズやリアクションフェイズ中には使用できません)。



明確化:
1.4c 氷結
ケルチ海峡が氷結している時には、そこを「ソ連軍の海軍輸送船舶(Naval Transports)」は通ることができません。
(また氷結している時、タマン半島北岸にあるTemryuk等のアゾフ海の港湾は、1.1dの「アゾフ海の港湾」にあるように、使用できません)


明確化:
1.5a ソ連軍の「歩兵」でなければならない、とありますが、ここでの歩兵とは□に×の兵科マークのみを持つものを指し、山岳歩兵や海兵、UR旅団などは含まれません。

明確化:
1.9cの3) ドーラでステップロスの結果が出た場合、陣地のレベルを下げるというのは、「ユニットのステップロスを与え、同時にそれと同じだけ陣地レベルも下げる」という意味です(陣地レベルを優先的に下げ、ユニットのステップロスは後回しにされる、というような意味ではありません)。

明確化:
2.2b 3つ目の「・」の最後に「(そして、上記の「・」の項目はそのまま適用されます)」とあるのは、「OCS『The Third Winter』と連結している場合に「クリム航空艦隊以外のいずれかの航空艦隊司令部マーカーから60ヘクス以内でしか行えないようになる」」という意味です。



明確化:(【短報・対戦写真】OCS:Crimea"Tiger by the Tail"/2024年3月でのザハ氏による)
3.2b ソ連空軍の進化
 ソ連軍航空ユニットが20ヘクス以内でしか「制空戦闘」と「砲爆撃」を行えない、とありますが、「砲爆撃」に「航空阻止」は含みません。
(なぜなら、OCS 14.2eの航空任務の列挙において、砲爆撃と航空阻止が別々に挙げられているため。また、『Crimea』3.2dには「制空戦闘、航空阻止、およびあらゆる種類の砲爆撃任務」という風に記載されており、航空阻止は砲爆撃任務の一種ではないと考えられます。【このことに気付かせてくれたザハ氏に感謝します!】)


明確化:
3.5b 上陸拠点マーカー
4番目の「・」に「ユニットは正面軍司令部から受給するのと同じようにして、上陸拠点マーカーからSPを受給できます。」とありますが、
1.この機能は、上陸拠点マーカーが正面軍司令部ユニットから10ヘクス以内にある時にのみ使用できます(ルール上その点は明確に書かれていませんが)。
2.この機能は、「上陸拠点マーカーの下(あるいは周囲)にSPがなくても、10ヘクス以内の正面軍司令部の下(あるいは周囲)にあるSPを、上陸拠点マーカーに対して受給できる」というものです。
3.上陸拠点マーカーは、正面軍司令部の持つ「10ヘクスの指揮範囲」をも持つわけではありません。ですからユニットは、上陸拠点マーカーに向かって5移動力+1ヘクスで受給する必要があります。



明確化:
3.5e ソ連軍の海上輸送船舶
通常は揚陸(ALT)でSPは陸揚げできませんが、海軍輸送船舶(Naval Transport)はSPを陸揚げできます。



3.6c オデッサ(1941年)
 3.6cで「オデッサに置かれているソ連軍ユニットは、枢軸軍の陸上ユニットがxx.21ヘクス列の南側に移動したターンに活性化され、その後4ターンの間退避させることができる」という風に書かれています。
 一方、1.3e オデッサボックスでは、「オデッサボックスは1941年10月22日ターンまではソ連軍の支配下にある」と書かれています。
 すると、例えば枢軸軍の陸上ユニットがxx.21ヘクス列の南側に移動したターンが10月19日ターン(22日ターンの前のターン)だった場合、「4ターンの間の退避期間」はどうなるのか不明確でした。
 エラッタとして(次のエラッタに掲載予定)、枢軸軍のxx.21ヘクス列の南側への移動が遅れた場合も、その後の「4ターンの間の退避期間」は確保されます(10月22日ターンより後もソ連軍支配が続きます)。そして、もしその5ターン目にオデッサボックスに依然としてソ連軍ユニット(航空ユニットも含めて)がいた場合、それらはデッドパイルに置かれます。



共通再建表
「2Paxを消費するユニット」の一覧に、「(ソ連軍の1ステップユニットの)騎兵師団」を追加します。

明確化:
再建において、マップ上にいてステップロスしている複数ステップユニットのステップを回復させたい場合には、その複数ステップユニットが(一般補給下の工兵能力を持つ)司令部の2ヘクス以内にいる場合のみ可能です(司令部から3ヘクス以上離れていてはいけませんし、また、司令部と同じヘクスにいなければならないわけではありません)。この件は、Paxだけでなく、「特別(Special)」の適用においても同様です。




■プレイブック

明確化:
5.1 シナリオ1
枢軸軍プレイヤーは1ターンにつき2ヘクスをゲージ変換できます。【BoardGameGeekでのやりとりによる明確化:鉄道工兵ユニットは必要ありません。ただし、敵ZOCは変換できません】

明確化:
5.1 シナリオ1 および ドイツ軍増援到着表
シナリオで使用できる分遣連隊ユニットの数は、セットアップ情報で制限されています。一方、ドイツ軍増援到着表の1941年10月5日ターンに分遣連隊ユニットとして到着すると指定されている増援があります。この増援はセットアップ情報で個数が制限されている分遣連隊プールの中から出します(分遣連隊プールに追加される形で到着するのではありません)。

5.3 ミニシナリオ1
シナリオ特別ルールに「マップ外ボックスの航空基地は使用できません」とありますが、この文言を無視します(ソ連軍はノヴォロシースクボックスを使用可能です)。

明確化:
ミニシナリオ1で、枢軸軍は自由配置のSPをプレイエリア外に配置することもできます(航空基地に置いて、空輸する等)。また、ソ連軍はプレイエリア外に航空任務を行えません(ですから、プレイエリア外の枢軸軍航空基地を爆撃したりはできません)。
【後者は、シナリオ特別ルールに「プレイエリア外からプレイエリア内に航空任務を行える」と書いてあるが、逆は書かれていないからです。そうすると、厳密に考えると、枢軸軍が航空ユニットをプレイエリア内からプレイエリア外に「基地移動」することもできない、ということにはなりそうです。ただし、プレイエリア内から出発した航空ユニットが、プレイエリア外の航空基地に「帰還」することは許されるのではないでしょうか。】



5.4 ミニシナリオ2
勝利条件の2つ目 「42年6月26日ターンから7月29日ターン」とありますが、後者は正しくは「6月29日ターン」です。


明確化:
5.5 シナリオ3
枢軸軍の陣地で、Tamanの南西ヘクス、Feodosiyaの北東ヘクスに配置されるものがありますが、この配置は間違いではありません(Taman、Feodosiyaのヘクス自体に陣地を構築すべきだったろうと意見はありますが)。


unit8413.jpgunit8412.jpg



枢軸軍増援到着表
第22歩兵師団のいる場所について、「F24.26, F20.25, and F24.27」と6箇所に記載されていますが、このヘクス番号は誤りです。正しくはシナリオ1に記載されているように、「F20.26, F24.26, and F27.24」です。

1941年12月19日
20-4-3 Inf Div (73) を 6-4-3 Infantry KG (Hitz)と交換します(状態マーカーはそのままで)。第73歩兵師団に必要な残りステップは1ステップです。【facebook上での回答による明確化:第73歩兵師団が2ステップ以上あった場合、それらのステップは失われます。第73師団がデッドパイルにあった場合は、デッドパイル上で 6-4-3 Infantry KG (Hitz) と交換します】




■両軍のTables Display

「Replacements」と「Supply」の縦の真ん中のコラムの見出し
「June 1942」とありますが、正しくは「June - July 1942」です。


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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! VASSALでのオンラインインストも大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

 ブログで書いた物のうち、

 OCS関係の記事は

「OCSの物置2」



 戦史物の記事は

「戦史物の物置」


 で、アクセスしやすいようにカテゴリ毎にまとめてありますのでそちらもどうぞ。

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