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ナポレオニック:大陸軍の歩兵の種類&『La Bataille D'Auerstaedt』和訳

 『La Bataille D'Auerstaedt』の特別ルールを翻訳していたのですが、歩兵にいくつか種類があり、良く分かっていないので(フランス軍のもののみを)少し調べてみました。


 ↓BoardGameGeekにあった戦闘序列シート?の一部です。

unit8486.jpg



 右側にある「Ligne(戦列歩兵)」が主たる歩兵ですが、連隊を分割して下側の「Grenadier(擲弾兵)」と「Voltigeurs(選抜軽歩兵)」の中隊ユニットも出せるようになります。20-7を分割して、7-8と2-10と1-9を2つずつ出せるということです。ちなみに、第17連隊の第2大隊がここにないのは、戦場の後方のコーゼン橋を守備していたのでマップ内に出てこないからです。

 左側の連隊は「Legere(軽歩兵)」ですが、軽歩兵連隊を持っているのは第1師団のみで、第2、第3師団は戦列歩兵連隊しか持っていません。軽歩兵連隊は2-10の「Carabinier(騎銃兵)」(精鋭)と、6-9から2-10を3つに分割できる「Chasseurs(猟兵)」に分けられます。

 大まかに言うと、「戦列歩兵」とは戦列を組んで戦う歩兵で、「軽歩兵」は戦列を組まずに(地形に個々に身を隠しながら)戦う歩兵です。が、戦列歩兵連隊の中にも散兵になれる擲弾兵中隊と選抜軽歩兵中隊が配属されており(戦列歩兵の前に散兵線を出したりするのに使われる)、軽歩兵連隊は全員が散兵になれるんだけども戦列歩兵として戦おうと思ったら戦える、ということかと思います。また、「擲弾兵(騎銃兵)」は精鋭で背が高い者、という共通項があるようです。





 日本語版Wikipedia「大陸軍(フランス)」の「歩兵」の項にあった説明を要約しますと、こういうことらしいです。


「Ligne(戦列歩兵)」……歩兵の大部分で、その中でも細かく言えば「Fusilier(小銃兵)」という名前が、戦列歩兵連隊における「Grenadier(擲弾兵)」と「Voltigeurs(選抜歩兵)」以外を意味したかのようです。いわゆる一番普通の歩兵であり、戦列を組んで戦います。


「Grenadier(擲弾兵)」……戦列歩兵連隊の中の精鋭であり、古参兵で占められていました。
「擲弾兵の新兵の条件は連隊の中でも背が高く恐ろしげであり、しかも口ひげを生やしているということになった。これに加えて帽子が熊毛になり上着には赤の肩章を着けた。」


「Voltigeurs(選抜軽歩兵)」……戦列歩兵連隊の中のエリート軽歩兵(「選抜歩兵」という訳語と「選抜軽歩兵」という訳語があるようなのですが、軽歩兵であるらしいので私は「選抜軽歩兵」にしようかと)。
「1805年、ナポレオンは戦列大隊の中で背は小さいが敏捷な者を選んで選抜歩兵中隊を作るよう命じた。この中隊は大隊の階層の中では擲弾兵中隊に次ぐものである。」
選抜歩兵は重要な任務をこなし、散兵戦や各大隊の偵察などを行った。その訓練では射撃技術や素早い動きに重点が置かれた。帽子は二角帽で黄と緑あるいは黄と赤の大きな羽毛が付いていた。」



「Legere(軽歩兵)」……「戦列歩兵が大陸軍の歩兵の大部分を占めていたが、軽歩兵(Infanterie Légère)も重要な役割を果たした。【……】また散兵戦を含め戦列歩兵と同じ作戦行動を執れた。その違いは訓練方法であり、高い団結心を生んだことである。

軽歩兵の訓練は射撃術と素早い動きに特に重点が置かれた。その結果、軽歩兵は戦列歩兵よりも正確な射撃の腕前と迅速な行動力を身につけた。軽歩兵連隊は多くの戦闘に参加し、さらに大きな作戦の哨戒に利用されることが多かった。当然ながら、指揮官達は戦列歩兵よりも軽歩兵に任務を任せることが多く、軽歩兵部隊の団結心が上がり、またその華やかな制服や態度でも知られた。軽歩兵は戦列歩兵よりも背が低いことが要求されており、森林を抜ける際の敏捷性や散兵戦の場合の物陰に隠れる能力に生かされた。


「Chasseurs(猟兵)」……猟兵は軽歩兵大隊の大部分を占める存在です(少数の精鋭は「Carabinier(騎銃兵)」となります)。
「猟兵の制服はフュジリエ【戦列歩兵の大部分を占める歩兵】よりも華美なものであった。1806年までは円筒帽に濃緑の大きな羽と白の紐が付いていた。制服は戦列歩兵よりも暗い青で小競り合いのときのカムフラージュにもなった。上着は戦列歩兵と同じだったが、折り返しと袖口は濃青だった。また濃青と赤の肩章を付けていた。ズボンは濃青で靴は騎兵のような長いものだった。」


「Carabinier(騎銃兵)」……「騎銃兵は軽歩兵大隊の擲弾兵【つまり精鋭】である。2回の方面作戦参加を経験し、背が高く勇敢な猟兵が選ばれた。彼らは大隊の精鋭部隊であった。擲弾兵と同様に口ひげを蓄えることを要求された。
「制服は猟兵と同じだが、赤の肩章だった。騎銃兵中隊はより大きな騎銃兵部隊を構成することがあり、突撃を要するような作戦に使われた。



 それぞれのフランス語の発音は、カタカナにするとこういう感じでしょうか? ネット上でネイティブの発音も聞けます。

「Ligne(戦列歩兵)」……リーニュ
「Fusilier(小銃兵)」……フュジリエ
「Grenadier(擲弾兵)」……グレナディエ
「Voltigeurs(選抜歩兵)」……ヴォルティジュール
「Legere(軽歩兵)」……レジェール
「Chasseurs(猟兵)」……シャスール
「Carabinier(騎銃兵)」……カラビニ



 『La Bataille D'Auerstaedt』の特別ルールの和訳は、一応形にはなったので、公開しておきます。

『La Bataille D'Auerstaedt』の特別ルールの和訳

 ただ、色々間違えているところもあるかと思います。間違いを見つけられたら、指摘していただけると大変ありがたいです(>_<)

 とりあえず、白兵戦修正の表にある「Feu de Provocant」が何を意味しているのか分かっていません(^_^;

 ↑コメントにて教えていただきました。大変ありがとうございます!(^^)





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OCS『KOREA』12「リッパー作戦」シナリオのバランス改造案

 この土日、OCS『KOREA』のシナリオ12「リッパー作戦」をVASSAL対戦してました。

 史実で国連軍が勝利した戦いなのですが、プレイしてみた感じ、国連軍が楽勝すぎる(共産軍がどうしようもなさすぎる)気がしたので、今後プレイする際のためにもバランス改善案を考えてみました。



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 ↑全9ターンで、国連軍がソウルの3ヘクスと春川(チュンチョン)を占領していれば勝利します。共産軍はソウルの1ヘクスと春川(チュンチョン)を占領していれば勝利します。それ以外は引き分けです。

 史実では、国連軍が3月15日(第5ターン)にソウルと洪川(ホンチョン)を占領、22日(第7ターン)に春川(チュンチョン)を占領し、作戦自体は3月いっぱい続いたのだとか。

 しかしゲーム上では、国連軍側が兵力も多く、アクションレーティングも高く、しかも航空兵力が暴威であるのに対し、共産軍側は貧弱な戦力しかなく、洪川(ホンチョン)などは第1ターンに一撃で陥落しますし、ソウルや春川(チュンチョン)の陥落も史実のスケジュールなどあり得ないだろうと見込めました。


 ただしシナリオ改造前に、できるだけの努力として共産軍側が最初のリアクションをかなりうまくやることが必要だろうと思います。

 その場合恐らく重要なのは、ソウルの東4ヘクスの場所にある12-3-3の歩兵で、これが戦闘フェイズ中に抜かれるとひどいことになります。なので、予備マーカーをうまく設定して、ステップをこのヘクスに入れたり、攻撃側に砲爆撃すべきだと思われました(ただし、国連軍側がここを狙わないとか、ここを狙うと見せかけて別の場所を狙うということは当然あり得ます)。

 当然、春川(チュンチョン)側の戦線でも予備を重々うまく設定すべきです。初期配置ではこちらにアメリカ海兵隊(アクションレーティングが高く、ヒップシュートの観測もできる)がいますし。



 もしシナリオ改造するなら、その時に使えそうな案を複数考えてみました。

1.初期配置での共産軍側のステップロスマーカーをすべて除去する。

2.国連軍のうちイギリス連邦軍と「その他の国連軍(薄いグレー)」は、移動で自ら敵ユニットに接することができない(最初から接している、あるいは敵から接してくる、退却で接するのは問題ない)。

3.国連軍のうち韓国軍も、以下同文。

4.シナリオ設定では両軍とも増援を(5SPずつのみしか)出さないことになっているが、キャンペーン用の増援を両軍ともに補給源に出す。この場合、シナリオ初期配置では共産軍に航空基地がないが増援で航空ユニットが出てくるので、シナリオ5.11にピョンヤンにレベル2航空基地があるのに倣って置く。
(シナリオの期間である51年3月中、共産軍は大量の増援が出てきますが、国連軍側は1ユニットしか出てきません)


 ただし、4は即効性が低い割に労力が非常に増えるので、せっかくの1マップで手軽にできるシナリオなのによろしくない気がします。個人的には、1と2を導入して試してみたいところです。3も入れると、国連軍プレイヤーにとっては結構チャレンジングになる……といいなぁ。

『La Bataille D'Auerstaedt』に出てくるsunken road(陥没道路?)について

 『La Bataille D'Auerstaedt』には、「sunken road」(陥没道路?)というのが出てきますが、よく分からないので少し調べてみました。


unit8536.jpg

 ↑ハッセンハウゼン村の南側にあるのが「sunken road」(陥没道路?)です。


 Hassenhausenの南側にある窪んでいる部分は、あらゆる意味において道路とみなします。

 この窪んだ道路ヘクスサイドを横切ることができないユニットは、それらのヘクスサイド越しにZOCを及ぼしません。

 唯一の例外は、騎馬散兵としておかれた騎兵です(この隊形で散兵戦を行うことができるため、それらのヘクスにZOCを及ぼすわけです)。砲兵が、この窪んだ道路のヘクスにいるユニットに砲兵の効果を及ぼすことを意図している場合、砲兵はこれらのヘクスサイドを越えて砲撃を行えません。従って、砲兵はこれらのヘクスにZOCを及ぼすことはできません(この窪んだ道路の土手の深さは9フィート【約2.74m】もあり、砲兵はそのような深さまで砲の角度を下げることはできないのです)。





 検索してみると、英語版Wikipedia「Sunken lane」というのがありました(日本語版の項目はありませんでした)。

La Meauffe - Chemin creux 1


 これによると、人の手ではなく、自然に長い時間をかけて形成されたものらしいです。ヨーロッパやシリアなどでの例が説明されていました。また、検索しているとアンティータムの戦いにおけるSunken laneというのもあるらしいので、アメリカにもあるのでしょうか。



 試しに、Googleストリートビューでハッセンハウゼン村の南側を見てみると、↓のような感じにはなっていました(南側にはそれらしき土手がありますが、北側にはありません)。

unit8488.jpg



 とりあえず、「sunken road」の訳語をどうするのが適当なのかが問題です。検索しても日本語の訳語が出てこないですし……。

 「陥没道路」とすると「道路だけが低くなっている」ような語感があると思うんですが、実際には「道路の左右が高くなっている」のではなかろうかとも思われます(でないと、道路に雨水などがたまってしまってどうしょうもないでしょう(^_^;)

 「切通し」(山や丘などを部分的に開削し、人馬の交通を行えるようにした道)という日本語があり、鎌倉の切通しは昔見に行ってなかなか壮観でしたけども、これは人工的なものですし、景観的にも全然違うでしょう。


 うーん、何か良い案があれば教えて下さい(^_^;

OCS『South Burma』(仮)製作のために:日本軍の第55師団の連隊長と参謀長の更迭について

 トングー戦の時期に、日本軍の第55師団は連隊長と参謀長の更迭が行われたそうで、その件について戦史叢書『ビルマ攻略作戦』に述べられていました(P299,300)。


 ↓現状の第55師団ユニット。

unit8492.jpg


 連隊長というのは第112連隊長であった小原沢幸蔵大佐で、これまでの戦闘で多数の死傷者を出して神経衰弱気味であり、爾後の行動に積極性を欠いていたそうです。それで3月19日にピユ付近の敵(中国軍)を撃破して占領した日に、連隊副官から「連隊長の神経衰弱が昂じ、部隊の指揮がとれなくなった」と報告がありました。

 師団の方でも連隊長の更迭を考慮していた際でもあったので、先任大隊長に指揮をとらせて連隊長はラングーンの兵站病院に後送することにしたそうです。

 後任には棚橋真作大佐が任命され、4月3日に着任しました。


 私は以前、洋書か何かで「第55師団のいずれかの連隊長が積極性を欠いていたとして、後に更迭された」という記述を読んでいたような気がしていたのですが、これなんでしょうね。私は「指揮官の性格が積極性を欠いていた」あるいは「戦果の課題報告」とかからと思っていたのですが、そうではなくて心労のためだった?

 また、新たに連隊長となった棚橋真作大佐は、後に第2次アキャブの戦いでその時第55師団長であった花谷正中将から督戦されるも独断撤退し、終戦後割腹自殺したことで知られ、高木俊朗氏の『戦死 インパール牽制作戦』で詳しく扱われています。





 『戦死』を読んだ印象では、棚橋真作大佐は立派な人であったと私は思いましたし、指揮能力も高かったように思われました。



 閑話休題。

 第55師団の参謀長の方の話ですが、師団司令部内では出征以来(第55師団はタイ、ビルマ方面が初の出征)、「師団長と参謀長をはじめ高級副官その他幕僚との間はとかく折り合いが悪く、特に参謀長とはことごとに反発し合っていたといわれる。その結果師団がトングーに向かって北進中、師団長(竹内寛中将)はついに参謀長の更迭を上申するに至った。」とのこと。

 新たな参謀長は久保宗治という人でしたが、特筆されるようなことはなし? 更迭された参謀長の名前は記されていませんでした。



 第55師団の2つの連隊のアクションレーティング(AR)なんですが、現状私は第112連隊をAR3とし、後から来る第143連隊をAR4としています。最初は両方とも3にしていました。一方、第33師団の先に出てくる連隊2つはAR5です(後で追いついてくる連隊1つはAR4)。

 最初に第55師団の連隊2つをAR3にしていた理由なんですが、「(日本軍をひいきし過ぎて)あんまりぽんぽんARを高めにしたくない」「ARが低い部隊があったり高い部隊があったりした方が良いじゃないか」という思いがあり、第33師団のARは高めにせざるを得ないとしても、第55師団のARを低めである3にできないか……という思いがあったのでした。

 ところがその後、ツイッター上で英語圏の日本軍マニアだという人から「第55師団のARが低すぎるのではないか。第55師団は出征前にジャングル戦の訓練を受けていたのだから、もっと高くすべきだと思う」というような指摘をいただきまして、悩んだ挙げ句、少し遅れて登場する第143連隊の方を、「ゲーム登場前にマップの南方域ですでにいくらか戦闘を経験していたから」という理由を頭の中でむりやり付けて、AR4に上昇させました。が、第112連隊の方は「ARが低いユニットもあった方が面白い」という理由にしがみついてそのままにしていたのでした。

 ところがここに来て、第112連隊のARが低めであるべき理由が見つかって、「よっしゃ」となりました(バキッ!!☆/(x_x))


 しかし逆に、連隊長がこの頃更迭され、指揮能力が高めかもしれない棚橋真作大佐が新連隊長になったとすると、「AR4とかの差し替えユニットを用意して、差し替えすべき」という説が頭をもたげてくるかもしれません。

 まあそれはそれでもしかしたらアリかもしれないので、今後考えていくということで……(反論としては、連隊長のみでARが決まるものではないでしょ、というのもあると思います(^_^;)。

OCS『South Burma』(仮)製作のために:トングー戦の時期の中国軍の動き

 トングー戦の時期の中国軍の動きについて、主に陸戦史集『ビルマ進攻作戦』に記述があったので、地図にしてまとめておきたいと思います。


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 ↑は、OCS『South Burma』(仮)製作のために:中国国民党軍の初動について、スティルウェル関連本から (2023/10/15)で作っていた中国軍の配置図を元にして、そこからの移動を記したものです(第200師団の表記位置はトングーに移動させましたが、他の部隊の表記位置は元のままです)。



 以下、OCSのターン(3.5日毎)を最後に付けて記します。


 日本軍は3月15日以降にトングーへの北進をはじめます。17日に最初の戦闘があり、18日、19日と続きましたが、この3日間の敵は英印軍(第1ビルマ師団隷下?)でした。(3月15日ターン~19日ターン)

 20日にニャングチダウクで初めて中国軍(第200師団隷下の第598連隊)と衝突します。(3月19日ターン)

 22日にトングーのすぐ南のオクトウィンにあった中国軍陣地で激戦となり、ようやく24日にこれを占領。(3月22日ターン)

 26日からトングー戦が始まりましたが、中国軍の陣地は固く、また守備する中国軍第200師団約3000名の戦意は高く、日本軍の第55師団はその攻略に手こずります。(3月26日ターン)

 この頃、ラングーン港に日本軍の増援の第56師団が到着し始め、その第56捜索連隊、およびこの方面に配属を受けた重野戦砲兵第3連隊、航空爆撃隊の協力により、30日にトングー攻略に成功したのでした。(3月29日ターン)


 OCSのターン的には、トングー戦の南での北進しながらの前哨戦が3ターンあり、トングー戦自体は3月26ターンのものが失敗して、戦力を追加して次の3月29日ターンのものが成功した、という感じでしょうか。








 中国軍側の動きは以下のように書かれていました。

 3月22日、スチルウェルはトングーの第200師団を救援するために、第6軍の第55師団(55T)主力にカレン山地からの移動を命じます。この移動命令が実行されたかどうかまでは書かれていないのですが、この頃だったかにモチ(Mawchi)に中国軍の連隊が入ったという記述をどこかで見た気がします(またもや、今回どこにその記述があったか見つけられず! トホホ……)。

 この頃、第22師団はピンマナに、第96師団はマンダレー方面に移動。

 日本軍の一部がトングー北西のトングー飛行場を占領したのに対し、3月24日にスチルウェルは第5軍の訓練部隊の第1、第2予備連隊をトングー北方地区に進出させ、飛行場を奪回するように命じます。ただし命令は受領されたものの実行されず。

 3月26日までに第22師団はピンマナに着いており、列車輸送でトングーに前進させようとしたのですが、地方官憲の連絡ミス等で鉄道運行が不能になったそうです。

 3月30日に第200師団はトングーの陣地を放棄して、エダッセ以北で陣地を守備していた第22師団を超越して撤退しました。






 中国軍については、今回のような「ミスで動けなかった」という話以外にも、中国軍の軍司令官や参謀達が、蒋介石による「部隊温存」の意向から部隊を移動させようとしなかったという話もありますし、師団毎に「移動チェック」をして失敗すると動けない、とかってルールを織り込むと良いのかも?

 あと、私は個人的にOCSにおける「反陣地主義者」であることもあり(おい)、これまでのOCS『South Burma』(仮)では「両軍とも陣地は建設できません」というルールを入れていたのですが、今回のトングー戦の記述を見るに、陣地を出さなければならないですね……(^_^;

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! VASSALでのオンラインインストも大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

 ブログで書いた物のうち、

 OCS関係の記事は

「OCSの物置2」



 戦史物の記事は

「戦史物の物置」


 で、アクセスしやすいようにカテゴリ毎にまとめてありますのでそちらもどうぞ。

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