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ウクライナ戦争における今のロシアよりも、日中戦争当時の日本の方がはるかにダメダメだった2つの点

 先日、↓というのを書きました。

『この国の戦争 : 太平洋戦争をどう読むか』読了:日中戦争はウクライナ戦争とよく似ている? (2023/05/17)



 その後、『図説 日中戦争』という本を読み返していたら、ウクライナ戦争における今のロシアよりも、日中戦争当時の日本の方がはるかにダメダメだった2つの点が目に付いたので、今度はそこについて書いておこうと思いました。






1.軍部が勝手に戦争していて政府がそれを止められないのみならず、陸軍も全体を統括できず、推進派の将軍が勝手に作戦を行っている。

 今のロシアも、ワグネルの存在だとか、当初全体を統括する司令官が設定されていなかったとかありましたが、当時の日本よりははるかにマシだったろうと思います(T_T)




2.占領地を放棄して態勢を立て直した方が良いにも関わらず、「英霊に対して申し訳ない」という理由で占領地を寸土も放棄できない。

 今のロシアは、キーウの占領が無理だとなった後、そちらから全面撤退しました。あるいはまた、ヒトラーが「一歩も下がるな」と命令して戦争後半により状況を悪化させたことに関して私も「ああ、愚かしい……」と思ってましたが、日中戦争当時の日本軍も同じだったのですね(; ;)ホロホロ


 この件に関して、『図説 日中戦争』にはこのような記述がありました。

 それ行け、やれ行け、一撃すれば蒋介石は手を挙げるに決まっている、勇ましかった参謀本部の作戦課が、こうした“中南支放棄案”を作成するほど、ほんとうは困っていたのだ。【……】
 しかし、撤収案は陸軍省の反対で日ならず立ち消えとなった。一度占領したところを放棄するなどとは、とんでもないというのである。
 【……】阿南(惟幾。陸軍省)次官は顔面朱をそそぎ『君は部下を率いて戦場に立ったことがない。それだからそのような暴論を吐き得る。君には数万、数十万英霊に対する感謝も責任も持ち合わせはない。君の意見は一顧にも値しない』というのであった【……】“撤収するのは英霊に申し訳ない”という反論は、いわば殺し文句で、軍人はこれに弱かった。
『図説 日中戦争』P139

「この【撤収の】提案に対して、岩畔(豪雄。陸軍省)軍事課長から後刻もたらされた回答は『皇軍(天皇の軍隊)将兵の血を流した土地を手離せるか』の一言であって【……】
 あまりにも戦争賛美の思想・言論しか許さなかったから、戦争が拡大しきって収縮させる必要がある段階になっても、支持者がいないことに初めて気づいたのである。完全な世論のミスリードだった。
 陸軍は、すでに戦争のために戦争を戦っているにすぎなかった。“英霊のために”を根拠に戦いをつづけようとしていた。いや、戦わざるをえなかった。

『図説 日中戦争』P146



 実は個人的に、この二人に関してはかなり興味を持ってます。阿南惟幾は、終戦時に自決して陸軍のクーデタを防いだということで最も有名らしいのですが、日中戦争での軍事指揮官としての能力はどちらかと言えば低かったようで、実は今テストプレイされているOCS『長沙』(第一次長沙作戦)の時の軍司令官なのです。

 岩畔豪雄の方は様々な謀略で有名らしいのですが、私が興味を持っているのはビルマ戦線の第28軍(アラカン方面)の参謀長であったという側面です。OCS『South Burma』(仮)で、一番最後の1945年の撤退戦がシナリオ化可能なら、第28軍も出てくると思います……(OCS『Arakan』(仮)はどうも製作がかなり難しそうだという理由で放棄されましたので(>_<) →第1次、第2次アキャブの戦いは、OCSには向かない? (2022/06/27)




 それはともかくとして、この「はるかにダメダメだった2点」に関して思うのは、これは日本社会の特性から来る欠点なのじゃないかということです。


 日本社会は、ある程度狭い範囲の「空気」や対人関係(和を以て貴しとなす)が極めて重要で、同調圧力によって(本来あるべき指揮系統とは離れて)物事が推進されていきやすい。この「ある程度狭い範囲」が、戦前戦中であれば陸軍なり、海軍なりであって、縦割りで陸軍が勝手にやりたいようにやる。しかも陸軍の中でも細かく分かれて勝手にやったりする。

 「英霊に対して申し訳ない」というのも、空気こそが超重要で、空気の前には合理的判断などそれこそ「一顧の価値もない」ということでしょう。



 このような日本社会の各組織は、欧米でのような「機能のための組織」(ゲゼルシャフト)ではなく「人間関係のための組織」(ゲマインシャフト)という側面が非常に強く、うまくいっている間はものすごくうまくいくのだけど、うまくいかなくなってきてもどうにもそれまでのやり方を変えることができない……。

 欧米はなぜそういう社会でないのかというと、唯一絶対の神との契約だとか、そういう考え方に基づいているらしく、日本社会がそういう風になるのは将来においても難しいだろうと思うので、まあちょっとどうしようもないんじゃないでしょうか……。


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核廃絶がほぼ不可能だと私が考える理由

 試しに「核廃絶」という言葉で検索をかけようとしたら、一番上に「核廃絶 不可能」という検索ワードの組み合わせが出てきました。それで、悩んでいたんですがブログ記事として書いてみる意味はありそうだと考えました。


 私は、核廃絶はほぼ不可能だと考えています。その理由は、

1.核廃絶した後で、実は核を隠し持っていた国がいたら、核の脅しに対抗できない。
2.核廃絶した後で、核兵器を作った国がいたら、核の脅しに対抗できない。

 ということです。

 核廃絶したいなら、この問題を何とかしないといけない。しかし、これが解決できるシステムを作り、維持するのは極度に困難でしょう。一応可能性としては、例えば日本がガンダムのような?超兵器を開発し、その力によって世界の核保有国に核廃絶や非戦を強要し、そしてその力関係を維持し続ける……というようなものが、ないわけではないですけども。

 やむを得ずの次善の策が、相互確証破壊戦略なわけです。

 一応、「核廃絶 不可能」で出てきたページをほんの少しチェックしてみたんですが、この件に触れられているものは見つけられず、しかしこの件の方が遙かに重要だと私には感じられます(もちろん、私の考えが間違っているのかもしれません)。



 以前、平和主義の教え子に説明してみたら「なるほど……」と納得してもらえた説明方法として、↓のようなものがありました。これは、軍備廃絶ができない理由ですけども。

「10の村があって、ひたすらそれらの間で戦争しまくっていました。あまりにも戦争の惨禍が酷すぎて、その10の村は相談して武器を全部捨てることにしました。それでしばらく平和な時期が来ましたが、ある時、1つの村が、この平和な状態がチャンスじゃないかと、再び武器を作り始め、そしてその武器ですべての村を征服してしまいました……」


 進化生物学およびゲーム理論の重要な概念である、「進化的安定戦略(evolutionarily stable strategy:ESS)」によれば、平和主義者が増えると、好戦主義者の利益が大きくなり、逆に好戦主義者が増えすぎると今度は平和主義者の利益が大きくなり……ということが常に繰り返され、ある一定の均衡に落ち着いたり、バランスが崩れたりします。昔読んだ『利己的な遺伝子』に挙げられていた数字では、確か好戦主義者の方が少し多めで均衡するとあったと思います(式にどんな値を入れるかによって変わるようです。ちなみにこれは、個体単位の話に限るものではなく、ある一個体の中に好戦的な面と平和主義的な面があって……の総体的なバランスでもあります)。


 重要なのは、「まわりに平和主義者が多ければ多くなるほど、好戦主義者が戦争に訴えることの利益は、言わば幾何級数的に増大し、そしてそうすることへの誘惑はとてつもなく大きくなる」ということです。軍備廃絶や核廃絶が100%に近づけば近づくほど、隠れて、あるいは協定を無視して、軍備を持つことや核兵器を持つことの実利と誘惑がどんどんどんどん大きくなっていきます。「善意の人しかいない世界」は無法者にとっても楽園であり、無法者の数はナッシュ均衡に至るまで増大することをやめません。

 また、「被爆の悲惨さを全世界の人が知れば、核廃絶が当然になるはず」という考え方もありますが、サイコパスという、他人に対して共感する気持ちを全く持つことがない人が全人口の数パーセントもおり、しかもサイコパスは魅力的で有能で権力を握りやすいという、言わば「不都合な真実」を無視していると思います。サイコパスの実例としてはスティーブ・ジョブズが有名ですが、ヒトラーやスターリンもサイコパスであったと見られています。サイコパスは競争社会のアメリカでは全人口の4%ほどを占めると見られていますが、日本社会はサイコパスにとってそれほど有利な環境ではなく、1%を切ると見られています。無法や裏切りが当たり前のロシアや中国では、アメリカよりもサイコパスが占める割合は高いのではないでしょうか。



 核兵器をなくすことはできるの?わたしたちにできることというページを見ていると、

核兵器廃絶に有効なのは『人道アプローチ』です。『核兵器を持つことは恥』『核兵器では人の安全は守れない』というイメージを人々の中に作っていくこと。

とありました。

 これは無意味ではないと思いますけども、十分条件には全然なり得ないと思います。無法者、裏切り者、サイコパスにとっては、評判や人道などは何の意味も持ちません。彼らに対して効果を持つのは、彼らを制することができる実力と、そしてその際の自分への被害も厭わない覚悟でしょう。

 今、ロシアが「核の脅し」をしていますけども、核を使用させないためにアメリカはかなり上のレベルでロシアに「核を使用したらひどい目にあうぞ」と何度も伝えているそうです。内容は、私の想像では例えば、「アメリカは報復の核を使用しないが、あらゆる通常兵器でNATO各国と共に全力でロシアを攻撃して全土を支配し、プーチンとその仲間達もどこまでも追い詰めて裁判にかけ処刑する。そして旧ソ連の領域をNATO各国によって支配し続ける体制を確立する。それまでにどれだけ、アメリカやNATO各国が核攻撃されて何千万人の死者が出ようともだ」というようなものではないかと思っています。

 つまり、「自分にどれだけ被害が出ても、お前を決して許さない」ということです。最終的にはこういう、「俺も死ぬがお前も絶対殺す」というような覚悟と、そして実力がなくては、無法者には響かない。


 核廃絶は、無法者、あるいは裏切り者をどうするか、という問題に向き合わなくては、どうしようもない、と私は思います。

OCS『South Burma』(仮)製作のために:「フライング・タイガース」(AVG:義勇アメリカ航空部隊)について

 『シエンノートとフライング・タイガース ― 日本軍を震撼させた男』を、1942年の戦いのところまで読み終わりました。






 本を読んでいてシェンノートに関して非常に興味深かったのですが、「1942年のフライング・タイガース」についてそれほど詳しいというわけではありませんでした(^_^;(紙幅のバランス的にしょうがないと思います)


 略称のAVG(American Volunteer Group)の日本語訳なんですが、「アメリカ義勇部隊」「アメリカ合衆国義勇軍」というようなのを見るんですが、イメージとして非常に分かりにくいと思ってました。『中国=ビルマ=インド』を見ていると「アメリカ義勇航空部隊」と書いてあって少し分かりやすいと思ったんですが、ふと「義勇が最初に来た方が日本語的にいいのではないか」と思いつきました。なので、今後私は「義勇アメリカ航空部隊」と書いていこうかと思います。



 義勇アメリカ航空部隊は3個中隊から成っており、↓のようなニックネームが付けられていたそうです。

第1中隊:「アダムとイブ」(Adam and Eve)
第2中隊:「パンダ」(Panda Bears)
第3中隊:「地獄の天使」(Hell's Angels)


 『South Burma』(仮)は、通常のOCSの3倍スケールにして、航空ユニット1個で15機程度にしようかと思っています。日本軍の場合、1個中隊=約15機として良さそうだったのですが、連合軍側についてはまだ良く分かってません。しかし、日本軍と同様に1個中隊で航空ユニット1個に出来そうだとしたら、各ユニットに↑の名前を書いても面白いのではないかと思ったのですが、その後読んでいると↓のような話が出てきました。

 開戦【1941年12月8日】後一週間のパターンが以後のAVGの戦闘様式を決定づけたが、これが案外うまく機能しているのである。つまり、一中隊がラングーンに駐留してイギリス空軍と共同で、1942年3月にラングーンが陥落するまで戦い、その間、パイロットが疲れ、機体に修理が必要で作戦の継続が不可能になると、【中国の】昆明にいる二つの中隊の一つと交代するというローテーションなのである。昆明の部隊は基地の防衛と、作戦継続のための人員の休養、機材の修復に全力をあげるというシステムであった。
『シエンノートとフライング・タイガース ― 日本軍を震撼させた男』P129



 この話からすると、ゲームにはアメリカの色の「AVG」と書かれた航空ユニットが1個だけあり、そしてこの航空ユニットは絶対にステップロスしない(OCS『Hungarian Rhapsody』におけるルーデルユニットと同様)……というルールにするのが良さそうで、面白そうかと思いました。

 『中国=ビルマ=インド』を読んでいると、義勇アメリカ航空部隊の整備人員はむちゃくちゃ色々努力してP-40を飛行可能にしていただけでなく、様々な方法で性能向上もさせていたとかいう話で、ルーデルユニットが主にルーデル自身の不死身性によってステップロスを食らわない(?)のに対し、AVGユニットはローテーションと整備人員の頑張りによりステップロスを食らわないというのは面白い対比になっているような気がします。



 ただ、以前書いたOCS『South Burma』(仮)製作のために:1942年のビルマ戦のイギリス空軍の戦闘序列 (2023/03/24)を見返してみると、

1941年12月の戦闘序列(ミンガラドン飛行場周辺)
 アメリカ義勇軍第3飛行隊(「トマホーク」または「P-40」21機)

【2月3日の時点でのビルマにおける戦闘機兵力(可動機)は、
 AVG第1飛行隊トマホーク12機
 AVG第2飛行隊トマホーク8機


 とあって、厳密にビルマに1個中隊だけというわけではなかったのだなと思いました。

 また、↑の例ではビルマに20~21機いますから、15機で1ユニットだとするとそれよりはちょっと多い。そうすると例えば、1.5ユニット分(1枚は完全戦力面、1枚は減少戦力面)を入れておくか、あるいはユニットは1個だけども、レーティングを高くするか……。

 これまでのOCS(ルソンを含む)のレーティングからすると、この時期のP-40は空戦力3(OCS『Sicily II』の頃からアメリカ軍のものは4になる)で、日本軍側の九七式戦闘機は空戦力2です。これでAVGを空戦力4にする……のは、やり過ぎですかね?(^_^; でもユニット1個だけなら、結構ありかも……うーむ。



 ↓OCS『Tunisia II』のアメリカ軍P-40ユニットと、OCS『Luzon: Race for Bataan』の九七戦ユニット。

unit8606.jpg




OCSにおけるカーチスP-36とP-40について (2022/09/26)



 今後また情報を収集、集積していこうと思います。


『この国の戦争 : 太平洋戦争をどう読むか』読了:日中戦争はウクライナ戦争とよく似ている?

 『この国の戦争 : 太平洋戦争をどう読むか』という、去年出た本を読了しまして、その中で今私が最も興味あるところの、「日中戦争≓ウクライナ戦争」という見方はやはり、ある程度当てはまりそうだという気がしました(もちろん、異なる面も多数あるわけですけども)。





 この本で紹介されている、当時の日本のインテリ層が日中戦争(そしてまた、太平洋戦争も)の意義をどう主張していたかなのですが……。

 中国は、東アジアの国として生き残る道に気づかず、日本を顧みずに、背後のアメリカや背後のソビエトに騙されている【……】
『この国の戦争 : 太平洋戦争をどう読むか』P125

 中国の民族主義はアジア経済の秩序原理とはなれない。そして欧米の帝国主義はその中国の民族主義を利用しているので、二つとも日本の軍事力で打倒する必要がある【……】
『この国の戦争 : 太平洋戦争をどう読むか』P124



 もちろん実際の日中戦争の理由は、それまでに獲得していた満州だけでなく、まずは華北圏を日本のブロック経済圏に編入してしまいたいという実利的なものだったわけですが、さらにそこには対抗者との間の時間的制約もあった。

 そういう流れでみると、アメリカが大きな力を持ちつつある時代に、いち早く中国を自らのブロックに収めてしまいたいというのが、日本が日中戦争に進んでいった最大の動機だったということになりますね。一方アメリカはそれを阻止しようとする。その対立がついに日米戦につながっていく。
『この国の戦争 : 太平洋戦争をどう読むか』P131



 ここらへん、ウクライナ戦争(特別軍事作戦)に関してプーチンが主張していたり、あるいはその背後に隠されているであろう動機と、かなり似通っているのではないかなぁ、と個人的に思うわけです。

 その前に満州事変→満州国建国がある程度以上うまくいっていたという話もあり、それはクリミア併合と「成功体験」という点で似ている気がしますし、プーチンが「ウクライナは一撃で制圧できる」と思ったように、日本の軍部も「中国は一撃で倒せる」と思っていた。


 そしてまた、日中戦争が長期化した理由についても……。

奥泉 日中戦争はもっと早く終わらせるはずだったけれど、うまくいかなかった。一撃で倒せると侮っていた中国は非常に強くて、むしろ日本軍は弱いというイメージさえできてくる。といっても、点と線とはいえ一定の勝利は得て日本軍は進撃する。しかし、この戦争を当事者はどうしようと思っていたのでしょうか。いろいろな立場の人がいろんなふうに考えていたとしか言いようがないんでしょうけど、出口といいますか、ようするにどう決着しようと思っていたんですかね。

加藤 とにかく、中国の対外政策を日本に都合のよいように変えさせる、中国の国家や社会を成り立たせている基本的秩序を変えようとした戦争でしたので、中国側からの絶対的な反発があるのは当然なのです。しかし、日本側にも同情すべき点はあって、中国を相手にして戦争をしていると思っていると、1937年12月1日には、ソ連から中国に飛行機が供与され、また操縦士もやってくる。そして英米からは借款というかたちで、資金援助もなされるようになるのです。以前の中立法では戦争をしている二国に差別的な振る舞いはしてはいけないはずですね。それが、中国の後ろにはソ連、英国、米国がついているという戦いになりました。中核となる軍隊の三割が死傷すれば、戦争は終局に向かうはずです。しかし、蒋介石は日中戦争に各国を巻き込む、いわば、戦争を国際化しましたので、なかなか終わらないのです。

奥泉 日本は軍事作戦を進める一方で、傀儡政権を打ち立てたり、政治的な打開をはかるが、うまくいかない。日中戦争から日米開戦までの過程を見ていくと、日本はいろいろな政治工作をするんだけど、ほとんど効を奏さない。交渉の相手側の反応や思考をうまく捉えられない。錯誤が重なっていった気がします。

加藤 やはり道理のない戦争、満州奪取が元にあるので、相手国の人心を収攬できないのですね。

『この国の戦争 : 太平洋戦争をどう読むか』P142,3



 蒋介石≓ゼレンスキー大統領で、彼らはうまく「二国間だけの戦い」ではなく、外国からの援助を得られるように持っていった……。

 そして日中戦争の場合、蒋介石を支援するためのルート(援蒋ルート)が結構限られていたので、日本はそれらをすべて閉じようとし、その延長線上にビルマ侵攻作戦もある。ウクライナ戦争の場合には、これは全然当てはまりませんけども。




 当時、日本はアメリカ(「背後のアメリカ」も含む)を相手に色々やって、最終的に失敗しました。今、ロシアと中国は「背後のアメリカ」相手に色々やったり、やろうとしてますが、日中戦争と太平洋戦争の時のように、アメリカが最終的にそれらに勝利できるかどうかは、予断を許さないだろうと思います。


OCS『South Burma』(仮)製作のために:英連邦軍はなぜラングーンを死守しなかったのか?

 OCS『South Burma』(仮)を作ってみようとする上で、私には「英連邦軍はなぜラングーンを死守しなかったのか?」という疑問がありました。

 ウェーヴェルはラングーンの死守を命じたものの、アレクサンダーは「ラングーンは死守できない」と判断したというのですが、なぜそういう判断に至ったのか、私には納得できる理由が見つけられていなかったのでした。


 いくらか収集していた理由に関する記述は、↓のもの。

 もう疲労甚だしく……
『ビルマ 遠い戦場 上』P64

 彼【ウェーヴェル】のいうとおり【ラングーン死守】にしていたら多数の軍人と軍属が日本軍の捕虜となっただろう。
『ビルマ 遠い戦場 上』P65

 この方法でアレクサンダーは戦況を回復し、【……】ラングーンへの進攻を食い止めようとした。計画は失敗だった。日本軍はペグーを鉄環の形で締め上げる一方で、シリアム製油所の奪還をはかり、突撃隊を渡河して浸透させてきた。結局ラングーンは防衛することはできないと、アレクサンダーはビルマにわずか一日滞在しただけで悟った。
『ビルマ 遠い戦場 上』P72


 戦況に関して言えば、当時ラングーンは北と南東から包囲されかかっていた(ただし兵数は少なく、長期包囲戦が可能であるようなものではなかったと思います)ので、そこらへんの問題はあったと思います。

 しかしOCSのゲーム上では、SPをある程度以上抱えていれば都市ヘクス(中障害地形)で死守した方が良いように思えますし、史実のラングーンも、これまで集めた情報では「死守を諦めて当然」とまでは全然思えてませんでした。



 ところが、『シエンノートとフライング・タイガース』を読んでいると当時のラングーンの状況に関する詳述があって、「なるほど、これは守れないだろう」と思いました。

 イギリス軍は出来るだけラングーンを保持しようと計ったが、それはラングーンの埠頭には武器貸与法による軍需物資が山積みされていたからである。その物資をなんとか中国に運び込もうと不眠不休の努力が成されていたのである。
 12月23日に日本軍は放送を通じて、ラングーンの空の守りは瓦解したので、クリスマスには毒ガスと落下傘部隊というプレゼントを進呈するという情報を流している。これがラングーンのパニックの始まりとなったのである。金持ちはインドに逃れ、そうでない者は独立運動家などに動かされて、イギリス人を襲って略奪をほしいままにするという事態になった。ビルマ人のコックなどが逃走したので、AVGも食料にすら事欠く有様であった。またガソリンや酸素の供給もままならぬ有様で、作戦に支障が出始めてきたが、日本軍の攻撃はさらに激しさを増してきたのであった。
 行政や社会秩序が崩壊して、ラングーンは断末魔の様相を呈してきたのもこの頃のことである。略奪と放火がはばをきかしていたし、刑務所、精神病院、動物園が解放されたために、街路の到るところに囚人、精神病患者、動物が徘徊するところとなった。そして3月4日までにラングーンはまったく死の街と化したのである。

『シエンノートとフライング・タイガース ― 日本軍を震撼させた男』P139


 これをOCS上でルール化するならば、例えばこういう感じでしょうか?

 英連邦軍の補給フェイズに、日本軍の攻撃可能ユニットがラングーンの12ヘクス以内にいるならば、英連邦軍プレイヤーはダイスを2個振ります。出た目が、ラングーンに最も近い日本軍の攻撃可能ユニットまでのヘクス数以上であるならば、ラングーンのヘクスに置かれている英連邦軍のSPから、1SPが失われます。


 こうすれば、プレイヤーによるラングーン死守は、まったく不可能ではないものの、かなり苦しいということになりそうな気がします。



 あと、↓の記述からすると……。

 両軍とも、ラングーンがビルマの鍵であることを理解していた。最大の都市であり、唯一の主要港であり、産業の中心地であり、多くの熟練労働者の居住地であり、軍需物資の巨大な集積地であり、優れた飛行場群に近接しており、こことその海へのアプローチを押さえ、十分な増援があれば、ビルマを支配できることは明らかだった。英連邦軍の戦略は、できるだけ長くラングーンを保持することであったが、しかしラングーンを包囲されてもいけなかった。日本軍の作戦は、軽装備の部隊を最大限の速度でラングーン周辺に展開し、【ラングーン港から陸揚げされる増援によって】英連邦軍が十分に増強され阻止されてしまうようになるか、中国軍が集結して北翼が攻撃され始めてしまう前にラングーンを占領することであった。
『Burma, 1942: The Japanese Invasion - Both Sides Tell the Story of a Savage Jungle War』P346


 日本軍が例えばラングーンの東方にだけ部隊を集中させて、西側が英連邦軍側のものであった場合、そこから増援と補給を送り続けるということは不可能ではないということになろうと思います。

 また、OCSのシリーズルールでは港湾ヘクスに敵のZOCが及んでいると、そこに海上輸送ができなくなる(ただし一般補給は引ける)のですが、この1942年のラングーンに関して言えば、ここをそのままにしておくか、特別ルールで緩和するかは微妙なところであるように思えます。




 あと、「ラングーンのパニック」は、まず、

1.日本軍の戦闘機がラングーン周辺の航空優勢をある程度握っている。

2.日本軍の爆撃機がラングーン等に(戦意を喪失させるための)戦略爆撃をある程度行っている。

 ということが前提条件になるだろうとは思います。

 とすると、以前に案として挙げていた「日本軍の戦略爆撃用の航空ユニットは省略する(つまり、前線の戦術爆撃用の爆撃機ユニットだけを用意する)」の場合、日本軍の戦闘機ユニットはラングーン周辺の航空優勢を取る必要はないでしょうから、おかしなことになってしまうかもですね……。

 そこらへん考えると、史実で存在していた爆撃機はすべてユニット化した上で、特別ルールとして「戦意を喪失させるための戦略爆撃」をルール化して、それで日本軍としてはその戦略爆撃もやらなきゃいけないし、戦術爆撃にも割り振らなきゃいけないし……という風にした方がいいかも?

OCS『South Burma』(仮)製作のために:ビルマの都市、町、村などの大きさについて

 『シエンノートとフライング・タイガース』を読んでましたら、1942年のビルマ戦では割と名前を見るトングー(Toungoo)の町に関する記述がありました。





 トーングーは鉄道線路沿いの、シッタン河に接したみすぼらしいビルマの町で、トタン屋根の中国人、インド人経営の商店が軒を並べていた。舗装していない道路が町の真ん中を走っている以外は、ジャングルとチークの林だけであった。温度は日中で38度以上に達し、湿度もまた度はずれていた。ある人の表現を借りると、お湯を入れた金魚鉢の中での生活ということになる。イギリス軍はそこにチーク材でしっかりした兵舎を建てていたが、網戸がついていなかったので、夜になると室内は昆虫学者のパラダイスと化する有様であった。
『シエンノートとフライング・タイガース ― 日本軍を震撼させた男』P116





 ↓『A War of Empires: Japan, India, Burma & Britain: 1941–45』のMap2から作った地図で、今回のブログ記事の関係地名を赤く囲ったもの。

unit8608.jpg




 個人的には、トングーの町の規模についてはもっと大きいものを想像していたのでびっくりしました。ただし、ビルマの町については小さなものばかりだったという↓のような記述も見つけていました。

 大きな都市がないこともビルマの特徴である。大都市の名に値するのは、ラングーンとマンダレーだけだ。大半は小さな町と集落から成り立っている。たくさんの地名が1942~45年の戦争で有名になったが、訪ねてみると、数軒の木造家屋と小店とパゴダがあるだけのことが多い。
『ビルマ 遠い戦場 上』P12



 大きさとしては、ラングーンが一番で、マンダレーが二番目、そしてモールメンが三番目であったようです。モールメンは、当時10万近くの人口があったそうです。

 モールメンはOCS『South Burma』(仮)でまず最初に攻略対象になる場所で、私は最初「村(Village)」にしていましたが、今は「小都市(Minor City)」にしています。


 ↓OCS『South Burma』(仮)製作のために:前方(サルウィン川沿い)で防御すべきか、後方(シッタン川沿い)で防御すべきか (2023/03/21)で挙げてました現状のマップ。

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 ラングーンは1ヘクスに収まりそうであったので一応1ヘクスにしているのですが、OCS『Burma II』で二番目の都市であったマンダレーを見ると、2ヘクスに及んでいます。ただし、マンダレーはヘクスの一部の小都市×2なので、ラングーンはヘクスいっぱいの小都市にすれば、おかしくはない……?

 OCS『Burma II』には「大都市(Major City)」は存在せず、「小都市」までです(色が他のOCSゲームでの大都市っぽくてややこしいです)が、小都市は結構たくさんあります。前掲地図でマンダレー以北の赤い□で囲んだ地名がそうで、他にメイミョー(マンダレーのすぐ東)なんかも小都市です。


unit8607.jpg





 それらが小都市と言えるほどのものだったのか気になったので、オスプレイのキャンペーンシリーズの『IMPHAL 1944』と『Meiktila 1945』の地図を見てみました。





 すると、インパールの町は確かに都市っぽく描かれており、あとメイクティーラも、規模は小さいですが都市っぽく描かれていました。

 そうすると、OCS『Burma II』で小都市になっている場所はまあ小都市で妥当なのかという感じがしましたし、OCS『South Burma』(仮)においてもいくらかの場所は小都市にしても良いのでしょう。ただ、可能ならそれぞれの場所がどれくらいの規模だったのかの記述が見つかればなぁと思います。

 トングーは、現状では「村」が妥当な感じがしますね(^_^;


<2023/05/15追記>

 また、ミト王子さんからコメントを頂きました! 忘れないようにという意味も込めて、こちらに転記しておきます。

 こんにちは。ビルマの都市について朝日新聞時局新輯「ビルマ」より情報です。
 ビルマではちょうど1941年に人口調査があったとのことでその数字に基づいているようです。

ラングーン 人口50万人 過半がインド人
マンダレー 人口18万人
モールメイン 人口6万人 サルウィン河河口の港町
プローム 人口3万人余 米穀の集散地

その他、人口に言及しない都市?町?としてミチナ、ラシオ、メーミヨー、ペグ、マルタバン、イエ、タボイ(錫の産地)、マグイ(錫の産地)、ビクトリヤ・ポイント(飛行場のある軍事上の要衝)、アキャブ(天然の良港であるが背後の山脈のため物産のよるべきものがなく輸出港としての価値を減じる)、バセーン(ビルマ第二の港で米の集散地で精米工場が並ぶ)

が触れられています。産業の項目ではさらにいくつかの地名が出ていますが規模の記述はありません。

 但し「大東亜共栄圏の地理」昭和18年によると、ラングーンは人口40万、マンダレーは15万としています。

 おおー、またありがとうございます!

 ラングーンとマンダレーの差、ものすごくデカいですね(^_^; そうすると、ラングーンの都市ヘクスは1個だけでは全然ダメな気がしてきました。周辺の3ヘクスくらいには都市ヘクスが広がっていた方が良さそうですね……。

 モールメンは、人口5万という資料も見たことがあったのですが、6万ということであれば、双方の資料ともまあ、外してはいない……という感じかなと思いました。

 プロームが割と人口あったというのも貴重な情報です。大変助かります!(^^)



<追記ここまで>

<2023/06/14追記>

 日本軍がビルマへの侵攻を開始する始点となったタイ側の村メソート(Mae Sot)について、具体的な戸数が書かれている資料があったので追記します。

 戸数は130戸あまり、埃が町を埋めていて、なにかしら寂しそうな寒村である。
『歩兵第二百十四聯隊戦記』P258


 現状Mae Sotは集落(Point of Interesting)としているのですが、130戸もあれば村(Village)という気も……?


 さらに、パアン(Pa-an)の町の様子も書かれていました。

 【……】密林をぬけ、アスファルト道路沿いにパアン市街に入った。市街は空爆や、砲撃にくすぶっていたし、住民のいる様子はなかった。橋を渡って行くと町の中央に精米所があり、野戦倉庫部員がさかんに米を搗いていた。下駄屋にはサンダルがいっぱい積まれてあったし、薬房、絵画店などには商品が散乱していた。
『歩兵第二百十四聯隊戦記』P265


 パアンも今まで集落にしてあったのですが、この様子だと村にして良さそうです。しかし、「密林を抜け、アスファルト道路沿いに市街に入った」というのが、なんかイメージしにくいのですが……(^_^;


<追記ここまで>



<2023/06/22追記>

 ロイレム(Loi-lem)についての記述を見つけました。

 シャン高原をさまよい、ロイレム付近に出た。はじめて見るこの町は相当大きい美しい避暑地のような感じだが、住民は全部逃げてしまい、破壊と掠奪のあとのすさまじい廃墟である。
『アーロン収容所』P180


 元々集落にしてあったのですが、村よりもさらに大きい規模かと思い、とりあえず小都市にしてみました。


<追記ここまで>

<2023/06/24追記>

 キョンドー(Kyondo)についての記述を見つけました。

 ここは「アタラン河」支流々辺にして「モールメン」「マルタバン」に進出する唯一の要衝である。中隊はここに宿営せんとす。目抜商店街は殆んど焼かれ、我が家を求めて焼跡を見つめ、天に哭する住民を見て、敵の悪逆無道を恨む。
『歩兵第百四十三聯隊史』P86


 元々集落にしてあったのですが、村にすることにしました。

<追記ここまで>

<2023/07/07追記>

 トングーの町について、かなり詳細な記述を見つけました。

 トングーはラングーンから北に175マイル、シッタン川の広い谷間に位置していた。そのメインストリートは昼夜を問わずラシオ行きのトラックがゴトゴトと音を立て、鉄道は同じ目的地へ向かう貨物を轟音とともに走らせ、そこからビルマ街道を越えて昆明へと向かった。町は少し西にあり、その狭く曲がりくねった通りには、酒屋やホテルと称して実際は売春宿だった施設を含む、竹材の店や小屋が近接して並んでいた。最も注目すべき建物は赤レンガ造りの広大な鉄道駅で、その中には町唯一のレストランがあった。主な産物はチーク材で、若いイギリス人 "ジャングル・ワラー "の監督の下、象とクーリーの一団によって熱帯雨林から運び出されていた。人口は2万3千人で、インド人数千人、原住民のカレン族がいくらか、それに西洋人数百人が含まれていた。

 トングーの社会は、郊外に住む12世帯のイギリス人が支配していた。彼らは陸軍の将校達であり(トングーには最近編成されたビルマ師団の司令部があった)、マクレガー・チーク社のマネージャーでもあった。勤務時間外にはジムカーナ・クラブに集まり、ゴルフ、テニス、ビリヤード、ウィスキー・ソーダを楽しんだ。黒ネクタイが義務づけられ、その後、女性たちは紳士たちに混じって葉巻を吸い、世界情勢を楽観的に語り合った。日曜日には、墓地にある墓石の数が教壇にいる信者数を上回っていた英国国教会の聖ルカ教会で再び会した。東南アジアはヨーロッパ人にとって優しい土地ではなかった。
『Flying Tigers: Claire Chennault and his American Volunteers, 1941-1942』P57,8


 人口2万3千人だと、小都市にして良いのかもですね……。

<追記ここまで>

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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! VASSALでのオンラインインストも大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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