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新刊『インパールの戦い ほんとうに「愚戦」だったのか』(文春新書)を読了しました

 新刊の『インパールの戦い ほんとうに「愚戦」だったのか』(文春新書)を読了しました。





 今まで私も、日本国内におけるインパール作戦の取り上げられ方が「無理無茶無謀な牟田口中将の精神論を批判する」という側面ばかりに偏りすぎないではないか(その批判そのものは的を射ているとは思ってますが)、とは感じてまして、ブログで色々書いてました。


『歴史群像』151号に個人的に好みな記事が多かったです (2018/09/15)

OCS『Burma II』のプレイのため、インパール作戦の資料を集めました (2020/02/06)

インパール作戦関係書籍などをある程度読んでの感想 (2020/02/22)

インパール戦洋書をちょっと読んだ感想(慰安婦、日本軍兵士の強さへの記述等) (2020/03/06)

「愚将」とされる牟田口廉也の評価に関する、2018年以降のウェブ上の論争らしきものについて(付:OCS『Burma II』) (2020/04/14)

本間雅晴≒ブラッドレー、牟田口廉也≒アレクサンダー?(付:本多政材将軍が凄そう(T_T)) (2020/05/29)




 『インパールの戦い ほんとうに「愚戦」だったのか』の著者もそういう疑問を持ち、イギリス軍側からの視点や、そして特に、情報収集や準備や現地住民などに関して著者が調べてみた視点を織り込んで、問題提起の始点としてみた、という感じになっていると思われました。

 Amazonの書評では、「軍事的な記述が少なくてがっかり」とか「(軍事的に)新しい情報は別にない」というような感じの辛口のものがありましたが、ミリタリーどっぷりの人間が期待して読むべき本ではないだろうと思います(^_^; 逆に言えば、(戦後の絶対的平和主義とは一線を画している)ミリタリー好きの人であれば、インパール作戦は巷間言われているほど一方的に日本軍がダメダメな戦いではなく、英連邦軍に対して(一時的にせよ)勝つ可能性がゼロではなかったということはすでにして知っている(というか、思っている)はずでしょうけども、そもそもこの本はそういう人向けに書かれたものではなく、「ああ、インパール作戦って、良く知らないけど、日本軍の無茶な作戦でいっぱい死んだやつでしょ?」という感じの人向けに書かれているのだと思われます。

 この本を契機として、「ちょっと一面的過ぎるインパール作戦への巷間の見方」が、「他面多角的なインパール作戦への見方」があるのだという風に知られていけば良いのだろうと思われます。そしてそういう他面多角的な見方の踏み台を用意する上では、この本は様々なエピソードを提供しており、かなり優れているように私には思われました。



 個人的に一番興味深かったのは、1942年のインド侵攻作戦計画「二十一号作戦」の見通しについて当時の牟田口師団長は「無謀だと思う」と答えていたけども、当時イギリス軍側では日本軍がやってきたら絶対に防衛できないと戦々恐々で、日本軍や日本軍関係者の方でも幾人かが1942年当時、あるいは後日、「42年に侵攻すれば勝っていた」と主張、あるいは回想していたという話でした。

 インパール作戦と牟田口中将を非難する本や文章の中では、「牟田口は1942年のインド侵攻作戦については賢明にも無謀だと思うと答えているのに、1944年になぜその意見を愚かにも変えたのか」という風にして非難のタネに使われている感じがあるのですが、これは非難する側に「42年にも勝てるはずはない。44年にも勝てるはずはない」という思いの前提があっての話でしょう。

 ところが、42年のインド侵攻作戦にこそ実はより勝機があって、44年の方が勝機がなかった(あるいは微妙だった)としたら、牟田口を非難している側の「思い込み」が問われる話だと思いました(44年にも全く勝機はなかったという思い込みがあるのは当然として)。



 あと、この本の最後は、スリム将軍の日本兵に対する賛辞で締めくくられているのですが、私はそれと反する、スリム将軍の日本人蔑視発言のような資料も見たことがあったので、ちょっと「うむむ……」と思いました。

 が、本の締め方としては非常にうまいなぁ……と思いましたし(^_^;、どんな人間でもある対象に同時に矛盾する感情を持っていても不思議ではない、あるいは当然なのでしょう。


 参考に、私が収集していたスリム将軍の見方に関する資料を挙げてみます。

 ビルマ戦のさなか、スリム大将は、「誰もが最後の一兵最後の一画までというようなことをいうが、文字通りそれをやるのは日本兵だけだ」と言ったものだ。
『四人のサムライ 太平洋戦争を戦った悲劇の将軍たち』P23

(↑これのちゃんとした丸々引用バージョンが、『インパールの戦い ほんとうに「愚戦」だったのか』の締めくくりに挙げられている文章なのだろうと思います。私自身、当時の日本兵の方々がこのように戦ってくれたお陰で、今があると思います)


 ↓が蔑視発言です(今の世界でならSNSで炎上か(^_^;)。

 インドのコヒマでイギリス遠征軍ロイヤル・ウエスト・ケント連隊の一員として戦ったジョン・ウィンスタンリー少佐は、「ジャップは、……人間とみなされる権利を放棄していた。……彼らは、駆除すべき害虫だと思っていた」と回想している。ドーセットシャー連隊のリントーン・ハイレット中尉にとって、日本兵は「おぞましい、戦う虫けら」だった。ウィリアム・スリム将軍(1891~1970)が日本兵を「力と恐怖をもたらすにしても、たかが虫の大群に過ぎない」と評したのに呼応した表現だった。
『憎悪の世紀 下』P326

 ただ、この原典を探さなければならないだろうと思ってます。


 あと、↓は「日本兵」に対してではなく「日本軍の上級指揮官」に対するスリム将軍の考えです。硬直性の面は私もそうだろうと思います。今の日本も、です。

 スリムは書いている。「日本軍は計画が調子よくいっているときは、蟻のように仮借なく大胆であるが、その計画が、攪乱されたり、崩れたりすると、これまた蟻のように大混乱におちいり、調整に手まどり、最初の企図に頑固にしがみつく。日本の司令官には日本軍的なぬぐいがたい楽観主義がある。その彼らが逆転や遅滞に対して打つ手の自由裁量の余地が、わずかしか与えられていないことは非常に危険である。彼らの将軍たる資格の基本的欠陥は、肉体的勇気から区別される精神的勇気の欠除である。彼らは過ちを勘定にいれていない。……将軍たることのいちばんむずかしい試練は、決断と柔軟性の間のバランスを維持することである。この点で日本は失敗した」英国近代最高の軍人スリムのいうことは確かに正しい。彼は日本のビルマ三軍を破った男の権威でこれを語っているのだ。もうなんどもいった通り、この硬直性はサムライの道に由米する。彼らにとって過ちを認めることは面目を失うことである。
『四人のサムライ 太平洋戦争を戦った悲劇の将軍たち』P286

 もしかして、ここでの「蟻」というのは「虫」というのに呼応した表現なんですかね……?



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OCSでターン毎の補給や補充は非公開情報か、戦闘団マーカーは隠して良いのか?

 また2つほど、OCS上の知見が得られたのでメモ用に書いておきます。


 『DAK-II』をプレイしていて、ランダムイベントで下記の52の結果が先日出たのですが……(「マルタ影響表の判定と結果」というのは、つまるところ毎ターンランダムで入ってくるSPの変化量ということです)。

52  (史実)連合軍がドイツ空軍の暗号を解読
[1940年11月以降、1回限り]
 ウルトラ暗号の第一段階が解読されました。すべての枢軸軍のマルタ影響表の判定と結果は両軍プレイヤーに公開された状態でおこないます。

53  (史実)卓越したドイツ軍の通信傍受
[1941年2月以降、1回限り]
 ロンメルは非常に効果的な通信傍受班を表彰しました。この効果が無効となるまでの間、連合軍はフォーメーションマーカーを用いてユニットをマップ上から隠すことができなくなります。

 または(日付により)

53  (史実)ドイツ軍通信部隊の厄災
[1941年11月以降、1回限り、 以前に上記のイベント結果が発生している必要がある]
 DAK司令部において、第200情報中隊の200名の特技兵と通信装置が(航空攻撃、車両事故、深刻な胃腸の障害、といったなんからの原因によって)破壊されました。
 すでに発生している「卓越したドイツ軍の通信傍受」イベントの効果は無効となります。

54  (史実)連合軍がドイツ国防軍の暗号を解読
[1942年6月以降、1回限り]
 ウルトラによって、ナチスの暗号の第二段階が解読されました。「卓越したドイツ軍の通信傍受」の効果はキャンセルされ(フォーメーションマーカーが再び使用可能となります)、連合軍プレイヤーはシチリアから、あるいは沿岸航路において輸送されるユニットとSPの量、そして行き先を常に知ることができます。枢軸軍はフォーメーションマーカーあるいはKGマーカーによって地図盤外のユニットを隠すことができなくなります。この効果はゲーム終了時まで継続します。


 我々はまだ練習段階であるということもあり、「こういうルールによってターン毎に来るSPが決まるのですよね。ダイスを振ります。これこれの目なので、これだけ来ました。」ということを宣言しつつプレイしていたのですが、これらのイベントの文言を読んでいると、ターン毎に来たSPの量は基本的には相手プレイヤーに秘密にされるもののようです。が、『DAK-II』のルールでそういう文言があるものかと思って探したものの、見つけることができませんでした(見つけられてないだけで、どこかにあるかもしれません)。

 他のOCSゲームでも毎ターンダイス目で来る量を判定するSPや補充は、「ガチ」の対戦であれば秘密であろうなぁと、なんとなく、あるいはどこかでそうすべきと聞いたか読んだかしたことがあるような気がしていましたが、我々はまだ全然「ガチ対戦」のレベルまで行っていないこともあり、公開情報的に処理していました。

 しかし、同じシナリオ(あるいはキャンペーン)の2回目、3回目のプレイであるとかで、非公開情報としてもお互いにルールを間違える恐れがない状態の時には、これらは非公開情報にした方が良いのだと思われました(戦場の霧が増して、良いとも思われます)。





 2つ目の件ですが、とりあえずまず、上記引用部分でも「フォーメーションマーカーでユニットをマップから隠す」という話が出てきました。

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 VASSAL上でも、「Axis/Allied Divisions」というウィンドウがあり、そこにユニットを置いてその代わりにフォーメーションマーカーをマップ上に置いて、位置を表せるようになっています。

 で、このフォーメーションマーカーの上に別の部隊のユニット(あるいは、そのフォーメーションの内の1ユニットでも良い:特に、スタックの一番上のZOCのある/ないユニットを明らかにするという点で)を置いて、その下のフォーメーションマーカー(の厚み)を隠すことができます。

 ただこれは、13.7b「戦場の霧オプション」の使用を両軍のプレイヤーが同意しているならば、ではあります。

13.7b 戦場の霧オプション 両軍のプレイヤーが同意するならば、戦場の霧を増大させるためにフォーメーションマーカーを使用してもかまいません。その場合、各プレイヤーは戦車軍団や装甲師団をフォーメーションマーカーに置き換え、スタック中の他のユニットの下に置くことで“隠す”ことができるようになります。このような策略を用いる場合でも4.8b【スタックの順序】と4.9a【一番上の戦闘ユニットは公開】は満たさなければなりません。もしそのスタックに含まれているZOCを持つ陸上ユニットが複数ユニットフォーメーションの中にしかないのならば、その複数ユニットフォーメーションが一番上に置かれる必要があります(そして、そのようなユニットのいずれかが公開されなければなりません)。




 さて、『The Third Winter』(と『DAK-II』)には、戦闘団マーカー(『DAK-II』にはさらにリーダーマーカー)というものがあります。

 ↓『The Third Winter』の戦闘団マーカー

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 その効果は非常に強力です。

2.4e 枢軸軍の戦闘団マーカー  枢軸軍プレイヤーは下記のような機能を持った戦闘団(Kampfgruppe:KG)編成マーカーを持っています。
・戦闘団にはドイツ軍の戦闘ユニットで移動モードの移動タイプが自動車化か装軌のものだけを含むことができ(移動モードでいなければならないということではありません)、また少なくともそのようなユニットを1つ含んでいなければなりません。
・戦闘団マーカーは移動フェイズ中にのみマップ上に配置できます。戦闘団マーカーは移動フェイズ中に取り除くことができ、あるいはその中の最後のユニットが除去された場合、後に使用するためにマップ外のホールディングボックスに置かれます。戦闘団マーカーは破壊されません。
・戦闘団マーカーとスタックしているユニットは、OCS 13.7に従う複数ユニットフォーメーションとして機能します。
・戦闘団マーカーは装甲師団や装甲擲弾兵師団のような複数ユニットフォーメーションの師団マーカーと同じ特性を持ちますが、OCS 12.6f(複数ユニットフォーメーションのすべてのユニットは同じ補給源から「補給線を設定」できなければならない)の適用は免除されます。
・戦闘団マーカーの中のユニットは密集度修正において3REより多くカウントされることはありません(3RE未満であるならば、実際のRE数を使用します)。
・各リアクションフェイズに、枢軸軍プレイヤーはサイコロを1つ振り、その目を2で割ります(端数は切り捨てます)。この数の分だけの戦闘団(中のユニットは戦闘モードか移動モードでなければなりません)が、そのリアクションフェイズあたかも予備モードを解除されたかのようにして行動できます。さらに、各戦闘団はこのフェイズに限り燃料が供給されているとみなし(OCS 12.5cのCと同様)、行動が可能な戦闘団のいずれか1つに2Tを配置します(もしサイコロの目が悪く、行動が可能な戦闘団がない場合には補給は配置されません)。戦闘団に通常どおり予備マーカーを使用することもできますが、それによって特別な利益を得ることはありません。
デザインノート:枢軸軍は、特別な目的や絶望的な状況のために、異質な部隊から戦闘団を編成することに特に長けていました。これらは機略に富んだ精力的な指揮官達の指揮下にありましたが、絶え間ない戦闘の重圧によってドイツ軍の師団編成組織の崩壊を告げるものでありました。


 燃料が自動的に供給され、しかも2Tが湧いて出てくるというボーナス付き! 2Tが湧いてくるというのは本当なのか、もしかしてどこかの補給集積所からその分減らさなければならないのかと疑わしく思ってfacebook上で聞いてみたら、本当に湧いてくるということでした。当時の戦闘団がなんとかしてどこからか燃料や物資をかき集めてきて戦ったことを再現しているそうです。

 ただし、DGにされていたらそもそも行動できず、燃料も2Tも得られません(2Tはいずれか1つのスタックだけなので、すべての戦闘団がDGにされていなければ良いのではありますが)。



 『DAK-II』にも戦闘団マーカーとリーダーマーカーがあり、燃料や2Tのボーナスはありませんが、こちらは突破フェイズ中でもリアクティブロール(1D6してマーカー上の数値以上の目を出すと成功)で「予備モードを解除されたかのようにして行動」できるので、結構強力です。さらに戦闘団マーカーは燃料をクリーンアップフェイズまで保持できます。リーダーにはその能力はありませんが、アクションレーティングを+1させることができます。ただしこちらも、DGにされていたらそもそもリアクティブロールができなくなります。

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 そうすると、敵方としては戦闘団マーカーのスタックをとにかく航空爆撃して(『DAK-II』上ではシークエンス上、砲兵砲爆撃でもある程度は有効)DGにしたくなります。逆に、戦闘団マーカー(リーダーマーカー)を使う側は、マーカーを隠すことが重要になってきます。

 この件についてもfacebook上で聞いてみたところ、戦闘団マーカーはフォーメーションマーカーと同じように隠すことができるとのことでした。が、以下推測というか論理上そうならざるを得ないと思いますが、フォーメーションマーカーの場合、同じスタック内に色々な部隊が混在していたとしても、マーカーの対象となるユニットは明らかですから、戦場の霧のルールを満たすためにフォーメーションの中のユニットを1番上に置くことができます。

 例えば↓のような状態です。

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 ところが戦闘団マーカー(とリーダーマーカー)の場合、マーカーの対象となるユニットは「マーカーの下に置く」ということでしか明らかにできませんから、もしスタック全体を戦闘団に入れていたら、戦闘団マーカーを一番上に置かざるを得ません(敵プレイヤーは「その戦闘団マーカーの下のユニットを見せて下さい」と言うことができます)。ですから、戦闘団マーカーを隠すためには、そのスタックの中(の一番上)に、戦闘団の中に入れていないユニットを置かなければなりません。しかも、戦闘団の中にZOCを持つユニットがいるのであれば、ZOCを持つユニットを隠匿用に用意しなければならないわけです。

 これは、フォーメーションマーカーの場合に比べて隠匿のハードルが結構高いです。

 が、まあしょうがないことではあるので、そこはそれとして頑張るしかありません(^_^; 『The Third Winter』のコルスン包囲戦シナリオをやっていて考えた次善の策としては、「戦闘団マーカーはスタックの一番上に置く(しかもどれもすでに敵の観測ユニットに隣接している)けども、他にも敵がDGにしなければならないようなスタックを4つも5つも用意することによって敵を困らせ、どれかはDGを免れるようにする」というのがあるなと思いました(もちろん、観測されない位置のスタックを戦闘団にするのが一番良いのですが、それだけの戦力の余力などなかなか……)。

 『DAK-II』をプレイしている時には、「戦闘団マーカーやリーダーマーカーは公開しておかなければならないんだろうな~」となんとなく思っていて、VASSAL上でもマスクをせずにこれまでプレイしていたのですが、DGにされるとできることがガタ落ちするのが感得できてきたこともあり、今後はできるだけマーカーを隠してプレイしたいものだと思います。

<2021/10/16追記>

 ↑と書いてましたが、『DAK-II』の特別ルールに以下のような規定があるのを見つけました。

3.10g KGと同じヘクスに存在するすべてのユニットが、そのKGに配属されているとみなされます。

また、このような規定も。

 指揮官あるいはKGを含むスタックは【……】リアクティブロールに成功することで【……】


 これらを見ていると、KGや指揮官は、スタックしているすべてをある意味強制的にその麾下にするのであって、「その下」は麾下で「その上」は麾下ではない、というようなことはなさそうでした。
 これは恐らく、『The Third Winter』における戦闘団についてもあてはまりそうだと思われました。

 だとすると、KGや指揮官はスタックの中にさえいれば有効で、いくらでも隠して良いということになりそうです。実際、「敵のKGをDGにすべきだからKGを探して狙う」だとか「KGをDGにされないようにするために、スタックの順序を工夫する」なんていうプレイは、シミュレーションとしてもおかしいでしょうし、煩雑すぎるでしょうから、この理解の方が良いと思われました。

 勘違いスミマセン(T_T) まあでも、より良いところに落ち着きそうでよかったです。

<追記ここまで>

OCSでroadはtrackを含むのか、鉄道末端マーカーが置かれているヘクスは変換されているのか?

 OCS上で、2つほど新たな知見が得られたので、メモ用に書いておきます。



・英文で「road(あるいはRoad)」と書かれている場合、「track(小道)」を含むのか?

 facebookで聞いてみたところ、OCSのルールブックにおいては、

 「road」は「track」を含む
 「Road」は「track」を含まない

 という区分になっているそうです。

 『The Third Winter』上の英文ではいくつかtrackを含むのかどうか迷う箇所があったのですが、この法則によって判定できるとのことでした。




・鉄道末端マーカーを置くように指定されたヘクスは、その国の鉄道に変換されているのか?

<2021/08/07追記>

 以下、facebook上で質問してみたことを元に全面的に書き直しました。

 私は『The Third Winter』のシナリオ8(画像左)と、『DAK-II』のシナリオ7.2(画像真ん中)の鉄道末端マーカーの位置を見て、「鉄道末端マーカーは、自軍のゲージ変換済みのヘクスの隣の、自軍ゲージでないヘクスに置かれる」ものだと思い込んだのですが、その後『The Third Winter』のシナリオ1(画像右)の鉄道末端マーカーの置かれ方を見て、「これはどうもそうではないな?」と思いました(^_^;

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 で、facebookで聞いてみたところ、OCSシリーズデザイナーのディーン・エスイグ氏は「どのような置き方をしても良いけども、私はいつも自分のゲージの最後のヘクスに置いています。」とのこと。

 OCSのVASSAL担当者のHerman Wu氏によると、以前のOCSゲームでは鉄道末端マーカーが相手側のゲージに置かれることがあったそうです(『Hube's Pocket』や『DAK-II』など)。しかし『The Third Winter』では、同じくVASSAL担当のJeff Coyle氏によって様々な方向に鉄道末端の印を付けられるマーカーが開発されたこともあり、必ず自軍(ソ連軍)の鉄道末端にマーカーが置かれているとのことでした。ですので、『The Third Winter』のシナリオ8でS21.13は鉄道線がぴょこっと飛び出ていて、変換されているような感じはしませんが、変換済みであるとのことです。

 『The Third Winter』では「Wrong Gauge」マーカーが同梱され、シナリオ1ではその配置が指示されています(↓の画像の下側)。これは「そこから先は自軍(ソ連軍)ゲージではない」ということを示すためのものなわけです。

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 画像の上側のものは『Smolensk:Barbarossa Derailed』の鉄道末端マーカーの裏面のもので、これも同様の使い方をすれば良いのだと思われます。

<追記ここまで>


OCS『The Third Winter』のコルスン包囲戦シナリオのソロプレイを始めました

 本来ミドルアース大阪に行ってワニミさんとプレイするつもりだったのですが、ワニミさんが暑さで不調とか、コロナの感染状況がやばそうということもあり、自宅にてソロプレイを始めてみました。



 ↓セットアップ時。

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 OCS『The Third Winter』はフルマップ4枚ですが、コルスン包囲戦シナリオ用の専用クォーターマップが付属しています。ルール的にも使用する特別ルールが少ないので、確かに入門的に良さそうだと思いました。

 ただ私は、コルスン包囲戦ものをまったくやったことがなく、マップ上で史実がどうであったのか全然分からないので、ネット上の地図を探して印刷などしてみました。すると、矢印のような位置でまずは包囲環を作るものだということが分かってきました。

 このシナリオは全8ターンですが、史実的にも包囲環は最初の1~2ターンで形成しなければならないようでした。

 そこで、セットアップ時にある計4つの戦車/機械化軍団をすべて移動モードの予備モードにして、突破することを企図してみたのですが……。



 ↓第1ターン先攻ソ連軍終了時。

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 やってみると、移動モードではとてもではないけども途中のドイツ軍(戦線からDG状態でステップロスして後退した部隊なども含む)を全然撃破できないことが分かってきました(>_<) 1941年や1942年のドイツ軍の装甲師団が移動モードになるという場合には、自分がAR5で、相手がAR3とか2って感じなのでそれでもいけるわけですが、1943年のソ連軍がドイツ軍を相手にする場合には自分がAR3か時に4で、相手はAR4かDGで3という感じなので、オーバーランするにも容易に逆奇襲になってしまいます。

 しかもダイス目がえらい悪かったりでどうにもならなかったので、見なかったことにして振り直したりも……(^_^;


 しかし、基本的に戦闘モード(一部は移動モード)にすることによってじっくりと途中のドイツ軍を撃破でき、結局突破することができました。

 ドイツ軍側から見ると、東側の戦線から突破してくるソ連軍部隊を今回よりももっと邪魔できた可能性もあるかと思いましたが、そうすると打撃戦力を失いもしただろうと思うので、どっちがいいかは難しいところだと思います。ただ、反撃戦力は一応あるのですが、SPがありません(^_^;(ソ連軍側も残りのSPはわずかです)


 一応置きっぱなしにして、続けてソロプレイをしていこうかと思ってます。

OCS『DAK-II』シナリオ7.2の続き(11/1~11/26)をプレイ&解釈問題

 オンライン対戦で富山のKさんと、OCS『DAK-II』7.2 グラツィアーニ攻勢~コンパス作戦シナリオの続き(11月1日から11月26日ターン:第16ターンから第23ターン)をプレイできました。


 前回のエントリは↓こちら。

OCS『DAK-II』7.2 グラツィアーニ攻勢~コンパス作戦シナリオ(全33ターン)を半分程度プレイしました (2021/07/12)




 プレイはしばらく大きな動きのないままに進んだのですが……。


 ↓1940年11月26日ターン先攻連合軍ターン終了時

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 英連邦軍が逆襲を開始したコンパス作戦は史実では12月8日からなのですが、今回英連邦軍はここまでやや劣勢だと思われ、12月末までにエジプトから完全にイタリア軍を追い出さなければ勝利できないので、5ターン早めに攻勢を開始してみました(ただし、史実より早い分、第4インド歩兵師団などが使用できず、兵力不足な状態での開始です)

 画像の一番西にいる英連邦軍スタックの場所にいたイタリア軍スタックをDGにしてから突破フェイズ中にオーバーランし、全3ステップを吹き飛ばしました。

 ただし、OCSあるあるとして、「自軍が攻勢を行う時には防御態勢が犠牲にされざるを得ないため、反撃に脆弱になる」のでイタリア軍の反撃が怖いところ……。



 ↓同ターン後攻枢軸軍終了時。

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 イタリア軍の機動部隊が、英連邦軍の後方連絡線の途中にいるスタックに対して包囲・攻撃を試みてきました。

 対して英連邦軍はオコーナーがリアクティブロール(1D6で3以上の目で、予備マーカーを置いていたかのように行動できる)に成功して包囲環内に加わり、また南方からは予備マーカーが置かれていた砲兵スタックが移動してイタリア軍の最も強いスタックに砲撃すると6ゾロの目が出て、DG、1ステップロスに!

 前半戦ではリアクティブロールなども振るわなかったのですが、この局面ではダイス目が良く、助けられました


 この日はここまでで終わっておきました。今後また続行予定です。次のターンのイニシアティブは枢軸軍が取りました。


<2021/08/08追記>
 以下の部分の解釈問題は、最初書いた時は2つでしたが、その後出てくるたびに追記しています。
<追記ここまで>


 あと、今回出てきた5つの解釈問題について書いておこうと思います。

1.このシナリオでは枢軸軍の増援はまずはシチリア島に到着するのですが、マップ自体はBとCしか使わないことになっており、イタリア軍の戦闘機を基地移動させようにも航続距離的にマップBにまでどうしても届かないという問題があるようです。フルキャンペーンの開始時のセットアップを見てみるとマップAのベンガジにレベル2航空基地があるので、このシナリオをプレイする際にもそれがあると見なしてプレイできる、と解釈することにしました。また、ベンガジにいったん到着して非活動状態となるので整備用のSPも必要ですが、これもこのシナリオにおいては自動的に(SPなしで)整備できるものとして処理する、ということにします。
<2021/09/13追記>
 この件は勘違いで、『DAK-II』c3.6d「航空ユニットの増援は通常通り(任意の航空基地または滑走路に登場)」であることが判明しました。
<追記ここまで>

2.英連邦軍の第6オーストラリア歩兵師団は、ルール上12月12日ターンまではマップDのアレクサンドリア周辺にある駐留区域に留め置かれることになっています。ところがこのシナリオではマップDは使用せず、一方第6オーストラリア歩兵師団の一部が11月12日ターン(の2ターン遅れの11月19日ターン)にマップC上に登場してしまいます。この件についてですが、他の第6オーストラリア歩兵師団が12月15日ターンに増援としてマップCに入ってくることになっているので、くだんの先遣隊もこれと一緒に出てくるのだと解釈することにしました(12月12日に駐留が解除されたすれば、15日ターンにマップCに入ってくるのはちょうど良い感じだと思われます)。


3.英連邦軍の基本的な増援は、2ターン遅れでマップC上に登場することになっています。ただしその、増援到着表による増援の中には「退出」「ユニットの置き換え」「航空ユニットの到着」などもあり、これらは2ターン遅らせるのかどうかという問題があります。そもそも「2ターン遅らせる」というのは、キャンペーンでマップ5枚を使用している通常の状態ならばナイルデルタなどにまず増援が到着して、そこから2ターンかかってマップC上までやってくるということだと思われます。だとしたら、上記の件は2ターン遅らせることなくすぐに処理するべきものだと思われます。特に、12月5日ターンに置き換え用として指定されている「Selby」旅団は、史実で12月8日ターンのコンパス作戦で沿岸沿いの牽制部隊として使用されているので、2ターン遅れで処理するとおかしなことになります。


4.『DAK-II』の地形凡例には、「Gravel(砂利、礫岩)」という地形があります(右側上から2つ目)。

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 ところが、地形効果表には「Gravel」という項目はありません。代わりに「Rocky(岩場)」という地形があります。

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 「Gravel」=「Rocky」以外に解釈のしようがないので、それでいいのだと思われます。


5.転出(退出)のルールについて、『DAK-II』ではこうなっていました。

c5.4c 史実に基づく転出  【……】転出を要求されたユニットがすでに除去されていたならば、使用可能な補充ユニットを用いてただちに再建し、そのユニットを除去します。再建が不可能な場合は、(マップ上にある)同様のユニットをデッドパイル上の指定されたユニットと交換して、復活したそのユニットを除去します。【……】


 今回たまたま起こった転出は、「グラディエーターを転出させる」というものでしたが、当のグラディエーター(2-1)はデッドパイルにあり、上記のルールに従うならば、マップ上にあるハリケーン(完全戦力面の3-1か、減少戦力面の2-0)を代わりに転出させるということになります。

 しかし「同様(like)のユニット」とはどういう範囲を指すのか、今回であれば2-1の代わりに2-0で良いのか、いや砲爆撃力が1あるのだから3-1を転出させなければならないという議論もあり得るでしょう。

 一方で、最近のOCSゲームでは「デッドパイルにあるユニットを退出させればよい」のが普通です(個々に異なった処理を要求されることはあります)。

 一応今回の裁定としては、「同様の」の範囲で今後無限に揉める可能性を残すよりも、「デッドパイルにあるユニットを退出させればよい」を採用する、ということにしました(今後また変える可能性もありますが)。



6.沿岸の海岸輸送について、原文を読むともしかしたら「英連邦軍はナイルデルタから他の港湾へ」という一方通行でしか輸送できないかもしれないと思われる文になっていて、一応facebookで質問してみたところ、そういう制限はなく、小さい港湾同士で海上輸送できる、ということでした。ただし、7.0に「スモールシナリオでは海上輸送はできない」とあるのに注意。


ハルファヤ峠を守備して「業火の牧師」と呼ばれたバッハ大尉について調べてみました(付:OCS『DAK-II』)

 先日、OCS『DAK-II』でバトルアクス作戦シナリオをプレイした時に、英連邦軍のオーバーランで、ハルファヤ峠を守備していた第104自動車化歩兵連隊を壊滅させ、そこにいた戦闘団指揮官のバッハを戦死させました。



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 ドイツ人で「バッハ」と言えば今日本では「バッハ会長」が非常に有名で、恐らく全日本人から嫌われていますが(^_^;、そこらへんから大きく興味が湧いたので改めて詳しく調べてみました。


Rommel at a staff conference in the Western Desert

 ↑ヴィルヘルム・バッハ(中央白シャツの人物)。左はドイツアフリカ軍団指揮官エルヴィン・ロンメル。1941年。(日本語版Wikipedia「ヴィルヘルム・バッハ」から)




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 ↑OCS『DAK-II』のバッハ戦闘団マーカーと、第104自動車化歩兵連隊。バッハ大尉はこの中の第1大隊長でした。




 ミッチャムの『Rommel's Desert Commanders: The Men Who Served the Desert Fox, North Africa, 1941-42』はバッハ大尉を、「アフリカ軍団で最も独特な人物のうちの一人」で、「大隊長としては、フォン・ヴェヒマール男爵を除けば、1941年のロンメルの装甲軍団内で最高の人物であった可能性が高い」としています。






 バッハは1892年の生まれで、ロンメルの1歳年下です。第一次世界大戦では西部戦線で戦いましたが、1916年にイギリス軍の捕虜となり、3年以上捕虜生活を送りました。釈放後は結婚してルター派の牧師となりましたが、1936年に軍に呼び戻され、従軍牧師としてはではなく普通の軍人として第14歩兵連隊に所属します。

 1940年のフランス戦で活躍したバッハはその後第104自動車化歩兵連隊の第1大隊に中隊長として転属し、大尉となります。この連隊が北アフリカに送られてその中隊長らがロンメルと顔合わせした時、ロンメルはバッハを見て非常に怒ったという話がウェブ上にありました。

 1941年2月、エルヴィン・ロンメルがアフリカに到着したとき、士官らが紹介された。ロンメルには笑顔もなく、礼儀正しくもなかった。彼はまず戦闘で彼らをテストしなければならなかったのだ。しかし、ロンメルが初見でとても嫌った士官がいた。それは、フランス戦の経験豊かな士官であったバッハ大尉だった。彼はフランス戦で1級鉄十字勲章を受勲していたが、膝を負傷していたため、杖を使用しなければならなかった。ロンメルは壮健でない士官を戦地に配置するという考えを嫌っていたが、バッハ大尉がルター派の牧師であることを知ると、激怒すらした。
The Deutsches AfrikaKorps Online Archive MAJOR WILHELM GEORG BACH


 このサイトにはバッハ大尉の写真がたくさんあるので、ぜひ見てもらったらと思います。

 バッハが所属する大隊は北アフリカに到着してわずか数日後にトブルクの戦いに投入され、大隊長がすぐに戦死してしまいました。バッハは中隊長の中では比較的下位であったにもかかわらず、大隊長に選任されます。

 第104狙撃兵連隊第1大隊は、アフリカに上陸して2日めではやくもトブルク戦で指揮官をうしなって、中隊長ヴィルヘルム・バッハ大尉がその後任になった。「牧師さんか、この急場にね! けっこうなこった!」下士官たちはぶつぶつ言った。
 《牧師》とはあだ名ではなかった。新大隊長は予備役将校でほんとうにマンハイム福音教会の牧師だったのである。
 フリーデル・シュミット少尉は着任報告の際、そこのなごやかな雰囲気に一驚した。副官と連絡将校といっしょに、出頭したのだが、大小の箱がつまったバラックを二つの部屋に分けるカーテンがわりの軍隊毛布がひらかれ、灰色の毛布のかげからでてきたのは、世間の考える将校とはまるでちがっていた。愛想のいい中年の紳士 - 1892年生まれ、身長170センチあまり、上唇のところに感じのいいひげをたくわえて、少尉にうなずいた。左手に葉巻き、半長ズボン、上衣はなし。幅のひろいズボン吊りが肩にゆったりのっていた。「やあ、きみか、道中ご無事だったかな?」シュミットが習ったとおり軍隊式に着任報告をするより早く、大隊長は話しかけてきた。「吸わんかね、上等の葉巻きだ」 - 「ありがとうございます。大尉どの、しかし、紙巻きしかやりませんので。葉巻きですと気分が悪くなるのであります」「葉巻きのほうが健康的なのだが。ま、では紙巻きをやりたまえ」
 大尉のバーデン訛と同様、対話は気もちよく運んだ。大尉はうっとりと葉巻きをふかしていた。
 一息吸うたびに心もち首をかしげる。通人らしく目をつぶって。幸福な円満な父親と相対しているようであった。
「そこでだね、きみ、ここが気に入ってくれればいいが」
 軍隊にはいってこのかた、シュミット少尉は上官がこんな希望を表明するのをきいたことがまるでなかった。それも戦時に。おまけにハルファヤ峠で。こういうのがバッハ牧師だったのだ!
 この牧師はアフリカ戦の歴史で、軍人の徳の鑑として知られている。自身でするつもりのないことは決して命令しなかった。部下たちが彼によせる愛情はけだし稀なものであった。彼が自分の義務をはたしおえたとき、イギリス兵たちは鉄兜のひさしに手をあげて敬礼したのである。イギリスの新聞は彼のことをハルファヤ峠の英雄 - もしくは《煉獄の牧師》と呼んだ。

パウル・カレル『砂漠のキツネ』P32







 「左手に葉巻き、半長ズボン、上衣はなし。幅のひろいズボン吊りが肩にゆったりのっていた。」という格好は、前掲ウェブサイトによれば「とても変な格好」であったようです。


 『Rommel's Desert Commanders』には、このパウル・カレルの描写を踏まえての記述だと思われますが、こう書かれています。

 ヴィルヘルム・バッハは、温和なキリスト教の紳士であると同時に、その人格によって部下の尊敬を集めていた指揮官でもあった。彼の指揮所は、第二次世界大戦中のドイツ軍の中でも並外れた場所であったアフリカ軍団の中でも、最も心地よい、和やかな場所だった。背が高く、白髪で、葉巻を吸う、強いバーデン訛りのこの指揮官は、叫んだり悪態をついたりすることはなく、ロバート・E・リーのように自分の意思を表明するだけだった。伝説的な卓越したアメリカの将軍【リー将軍】のように、バッハは部下達に愛され(彼らはバッハを「Papa:親父」と呼んだ)、リーの場合とは異なり、彼の命令は常に守られた。
『Rommel's Desert Commanders: The Men Who Served the Desert Fox, North Africa, 1941-42』P59


 「Papa」というのはカトリック教会の教皇が「Papa」と呼ばれるのにかけられているかもしれませんが、バッハはプロテスタント教会の牧師ですし、ドイツは一般的にプロテスタントなので、全然違うかもしれません。

 「彼の命令は常に守られた」というのは、パウル・カレルの以下のような描写を反映したものかと思います。

 夜がすぎた。異常なし。作業続行。また夜。七つ道具を身につけ、機関短銃と予備弾倉を、野戦ベッドにたてかけて。機銃手は大きな機銃を横にして寝る。保弾帯も。副機銃手も予備銃身をぴかぴかにみがきたて、砂やほこりのつかぬようにくるんで抱いている。弾薬箱はいっぱい。準備に手落ちはない。すべてを管理するのがバッハのおやじさんだった。彼はあらさがしなどはしない。だが「諸君……」と前置きしてのべる要望は、明確、理性的、印象的であった。決して無理な要求はしない。しかし要求したことはなされねばならない。誰もがそのことを知っていた。ハルファヤ峠の指揮官バッハ牧師はまことに適材適所といえた。
パウル・カレル『砂漠のキツネ』P37



 バッハ大尉の戦闘指揮というのは、以下の様なものだったようです。塹壕、たこつぼ、陣地、ダミー陣地、地雷原などを巧みに構築し、敵が攻めてくると予想される地点に対して火力を集中させる。英連邦軍が大規模な砲撃を巧妙なダミー陣地に対してするようにさせ、敵が「守備隊は全滅したに違いない」と思って進んでくるところをギリギリまで引きつけて、カモフラージュした88mm砲で撃破する。

 バトルアクス作戦(1941年6月15日~17日)ではバッハ大尉は、イギリス軍とインド軍の5回にも渡る攻撃をすべて返り討ちにします。

 ロンメルはハルファヤ峠でのバッハ大尉の活躍を高く評価し、7月9日に騎士十字章を授与し、少佐への特別昇進を手配しました。


 ロンメルの副官であったハインツ・シュミットは、ロンメルと共にハルファヤ峠を訪れた時のことをこう書いています。

 バッハ大尉が杖をつきながら、私たちを迎えた。バッハ以外に士官でステッキを許されたものはいない。彼が年をとっていたからである【前掲のように、負傷が原因であるのを誤解していたものか?】。市民生活では牧師だった彼は、部下に思いやりがあるので、信頼を受けていた。平和時に、軍人らしからぬ職業についていたにもかかわらず、彼は多くの職業軍人以上に、陣地を巧みに管理していた。ロンメルは彼を心から賞賛していた。
『砂漠のキツネ ロンメル将軍』P99






 英連邦軍側も、いつ頃、どのような経緯でかは分かりませんが、バッハが強敵であることを認識し、「ハルファヤ(halfaya)」を「Hellfie(地獄の業火)」とかけてバッハのことを「業火の牧師」と呼んだようです(ドイツ側がそう呼んだのかもですが)。


 この後もずっとバッハ大尉はハルファヤ峠の守備を任されていましたが、5ヶ月後のクルセイダー作戦(1941年11月18日~12月4日)の時には英連邦軍は「ハルファヤ峠を抜くのは無理だ」と考え、砲撃だけをして本格的な攻撃はせず、孤立させて兵糧攻めにしました。

 ロンメルがクルセイダーの戦いで撤退した後、ハルファヤ峠とソルーム、バルディアは枢軸軍部隊が保持したまま孤立します。ロンメルは補給の航空輸送を試みたりはしましたがうまくいきませんでした。

 食糧と水が不足する中、1941年のクリスマス・イブにはクリスマスプレゼントとして兵士一人一人に水が一杯余分に与えられ、バッハは兵士らに聖書を読み、一緒に祈りました。その間も英連邦軍側からの砲撃が続いていたそうです。

 孤立していた部隊の中にはイタリア軍のサヴォナ師団もあり、師団長のフェデーレ・デ・ジョルジ将軍は卓越した指揮でハルファヤ峠の西でハリネズミ型の陣地を形成していました。しかしイギリス軍と南アフリカ軍に包囲されて1,000人に満たない兵力となり、ジョルジ将軍はロンメルに電報で、包囲網から脱出してハルファヤ峠に向かう許可を求めます。ロンメルはこれを承諾し、ジョルジ将軍は数百名の兵士と共に英連邦軍の戦線を突破してハルファヤ峠に辿り着きました。ドイツ軍は彼らを歓迎したものの、急速に減少する守備隊の物資不足はさらに加速することになりました。


 ↓OCS『DAK-II』のサヴォナ歩兵師団

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 その一週間後の1月17日、バッハとジョルジ将軍はやむを得ず降伏することにしました。この時、降伏が受け入れられた場合でも自軍の武器を破壊するため、策略が採られます。

 最年長の中隊長フォイクト大尉が軍使として南アフリカ軍のもとへ派遣された。彼がそこで降伏条件を議したあとバッハ少佐と工兵隊のシュミット少尉が出かけた。南アフリカ軍はフェアで、交渉はスムーズに進んだ。バッハが降伏文書に署名して天幕から出ると、シュミット少尉は第15オートバイ小隊の兵に目くばせした。兵はうなずき、白旗を車の右手から左手に移した。なぜか? これはマンハイムの牧師部隊の最後の軍事作戦であったのだ。降伏文書に署名してしまえばバッハは兵器の破壊命令を出すわけにはいかない。そこで彼の部下の将校たちはトリックを考え出したのである。バッハは降伏交渉に出かける前、こう命令しておいた。歩哨はもどって来る車が左手に白旗をつけているのを見たら、すぐ電話で大隊本部に「白旗左!」と報告する。左手の白旗とは、陣地ですべての火器、車両、装置類を破壊せよという合図なのである。名誉ある降伏の交渉が失敗したら、白旗は右手のまま。つまり火器を使えるようにしておけということである。トリックはうまくいった。南アフリカ軍の将軍は、せめて一門88ミリを無傷のまま入手したがっていたが、望みはかなえられなかった。
パウル・カレル『砂漠のキツネ』P103


 この降伏の4日後、ロンメルの第2次攻勢が始まります。


 捕虜となったバッハは、これまたクルセイダー作戦中に捕虜となってしまっていた第21装甲師団長ラーフェンシュタイン将軍らと共に、輸送船に乗せられて紅海を航行中、船を奪って日本が占領していたシンガポールに持って行く計画を立てました。しかしこの計画はバレて、独房に入れられてしまいます。

 バッハは南アフリカ連邦を経由しカナダへ送られます。癌を患っていたためトロントの陸軍病院へ入院しましたが、1942年12月22日に病没しました。死後、中佐へ昇進しました。

OCS『The Third Winter』紹介

 新作OCS『The Third Winter』について紹介しようと思います。ツィッター上ではいくらか挙げていましたが……。


 デザイナーのAntony Birkett氏はイギリス人で、45年来の東部戦線マニアだそうです。GDWの『ドランク・ナッハ・オステン』(1973年)の頃から東部戦線ビッグゲームをプレイしていて、1992年のOCS第一作『Guderian's Blitzkrieg』でOCSの虜になり、2016年にJohn Kisner氏(当時OCS班長)と「私は『Hube's Pocket』を含んだウクライナ戦役全体を、『Baltic Gap』よりも大規模で長い期間で作りたいんだよね~」と話していて、John Kisner氏とDean Essig氏に強く勧められて『The Third Winter』を作り始めたのだとか。




 ↓コンポーネント全景

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 フルマップ4枚+コルスン包囲戦シナリオ専用クォーターマップ1枚、カウンター2,800個(うち純粋なユニットは約1660個)、ディスプレイシート多数。





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 他のヨーロッパ戦域のOCSとのマップの関係はこうなります。キャンペーンは1943年9月26日ターンから1944年4月26日ターンまでの63ターンで、開始時期が異なるキャンペーンが3つ、シナリオが5つあります。




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 フルキャンペーンはドニエプル川に対してブクリン橋頭堡を確保した状態から始まります。その後のキエフ奪回戦、コルスン包囲戦、それからフーベ包囲戦までを包含しています。





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 ソ連軍カウンターシートには大量の戦車軍団、機械化軍団などが……。結構強いですし、何より数が多いです。





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 グロースドイッチュラント装甲擲弾兵師団のユニットが砲兵以外はすべてAR5であることにびっくり。今までのゲームではここまでの師団はなかったような……? カウンターシートの右側にはティーガー中隊ユニットが大量に並んでいます。





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 装甲教導師団(パンツァーレーア)や第1SS装甲師団(ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー)でもすべてがAR5ではありません。ただ、装甲教導師団(他に第16SS、第18SSなども)はオプションで-2VPすれば使用できる部隊です。




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 ドイツ空軍には『Hungarian Rhapsody』と同様にハルトマンユニットとルーデルユニットがありました。ただ、『Hungarian Rhapsody』のルーデルは絶対に損害を食らわないのですが、こちらのルーデルにはそのようなルールはありませんでした。カウンターの下部にカラーストライプがあるのは第4航空艦隊(4th Luftlotte)所属ということで、今後発表されていく同時期のOCSゲームと連結プレイする時に重要になってくるようです。




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 独ソ両軍の航空ユニットの数は、陸上ユニットの数の多さに比べるとかなり少なめに見えました。ソ連軍側の航空ユニットもその航空軍(Air Army)と正面軍(Front)の割り当てによってカラーストライプが付けられています(付けられていない独立のものもあります)。




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 エラッタカウンターで新規なのは、『Hungarian Rhapsody』のフェルトヘルンハレ師団の連隊名が印刷ミスであったもの1個と、『The Blitzkrieg Legend』のイギリス第50自動車化歩兵師団の3ユニットが、正確には旅団規模であったものが連隊マークが付いていたというものでした(尤も、プレイ上は何の違いも生じません(^_^;)。

 他に、『Hungarian Rhapsody』にも入っていたゼロステップロスマーカーや、インターディクションマーカーが入っています。

 また、汎用カウンターシートはマイナーチェンジが入っていて、EqとPaxユニットは『The Third Winter』も含め最近は使用しない流れなので、省かれています。


 特別ルールを読んだ感じ、ソ連軍は大軍であるけども、4つの正面軍のうち同時には2つしか攻勢態勢にできないなどでいくらか硬直性がある。一方でドイツ軍は、戦力的には劣勢だけどもAR5のユニットが多く、また戦術的柔軟性が高くて包囲されても非常に粘り強く戦うことができる軍隊になっている……という感じのようです。

 また続けて翻訳していって、プレイできるようにしていきたいと思います。


OCS『DAK-II』7.2 グラツィアーニ攻勢~コンパス作戦シナリオ(全33ターン)を半分程度プレイしました

 富山のKさんと、OCS『DAK-II』のシナリオ7.2(全33ターン)を、途中までオンライン対戦できました。

 結論から書きますと、これはなかなかに興味深い、かなり面白いシナリオだと思いました


 シナリオ7.2の名称は「1940年9月のイタリア軍攻勢から1941年12月まで」というものなのですが、より分かりやすくすれば「グラツィアーニ攻勢からコンパス作戦のリビア侵入辺りまで」ということになります。

 といっても、「グラツィアーニ攻勢」からして知られていないかと思います(^_^;


 簡単には↓の動画で……。




 詳しくは、↓にいくらか書きました。

1940年9月北アフリカのイタリア軍グラツィアーニ攻勢について (2017/08/06)





 コンパス作戦については↓で(ただし、「コンパス作戦」というのは1940年12月9日に最初5日間の予定で始まったのですが、2ヶ月後の1941年2月7日にベダ・フォムの戦いが終わるまでがコンパス作戦の全体であるということであるらしいです)。







 で、このシナリオ7.2は、1940年9月12日のグラツィアーニ攻勢の開始から、コンパス作戦が開始された1940年12月9日ターンを越えて、12月29日ターン(実質的には大晦日の31日まで)までプレイします。史実では12月16日にリビア国境近くのソルームを英連邦軍が占領してリビアへと侵入し、そこから3ヘクス先のバルディアに対する攻撃は1941年1月3日に始まりました。

 シナリオは全33ターンで、英連邦軍の勝利条件は「すべてのイタリア軍をエジプト内から追い出すこと」です。史実でグラツィアーニ攻勢は小競り合いだけで4日で終了して英連邦軍は後退し、その2ヶ月後にコンパス作戦が始まりますから、かなり長い間実際には戦闘がなかった期間をプレイするという、なかなか特異なシナリオだと思いました。

 ちなみに私は今までゲームでグラツィアーニ攻勢をプレイしたことがなく、初体験であったのでその点でも興味深いものでした。



 ↓初期配置。

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 枢軸軍が富山のKさん、英連邦軍が私です。




 ↓第2ターン終了時。

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 イタリア軍が接近してきましたが、「まあ殴られることはあるまい。それよりも、イタリア軍の後方連絡線を切る可能性があるという脅威を与えておこう……」と考えて、前線部隊をそのままにしていましたら、一番南のスタックが集中攻撃で殴られまして……。




 ↓第3ターン終了時。

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 AR5の機甲ユニットを1つ、一方的に失って敗走……。やめておけばよかった(T_T) 「スタックを分散させるべきではない」と前回教訓を得たハズなのに活かせないままです。距離をどれだけ保つかとかも難しい……。




 ↓第12ターン終了時。

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 その後しらばく両軍とも再編成などだけで戦闘はなかった(航空戦はいくらかやってました)のですが、第12ターン(1940年10月19日ターン)にランダムイベントでイギリス海軍が突如沿岸砲撃してくれることになったので、それが当たってイタリア軍部隊をDGにしたのを確認してからそのスタックを殴りに走り、2ステップロスを与えました。

 ところが、返す後攻ターンで手薄になっていた内陸部をイタリア軍に狙われてAR4のユニットを壊滅させられてしまいました(T_T) ここでもまた、事前に「戦線を作る」的な動きで「スタックを崩し」てしまい、そこを狙われるという「バカは何度失敗しても学ばない」的な失敗を……(一方で、スタックを集中させた第7機甲師団は航空爆撃でDGにされてしまって何もできなくなってしまったのですから、スタックを集中させれば何でもいいというわけではない、ということでも……)。



 ↓第15ターン(1940年10月最後のターン)終了時

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 その後、第7機甲師団を内陸に戻して、いやがらせ的にイタリア軍ユニット1個をオーバーランで屠って帰る、ということをやりましたが、トータルの損得で言えば全然負けているかと思います(>_<)

 オンライン対戦で1日目に9月末までプレイし、2日目に10月末までプレイして、これでとりあえずセーブしておきました。また続きを今後プレイしていくつもりではあります(が、急遽放っておいてまた別の何かをやるということもあり得ます)。


 イタリア軍側は一般補給がこれ以上伸ばせない(12月に入ると「勝利街道」が完成して、伸ばせるようになりますが)ので、基本的には防勢で(しかしKさんは果敢に攻撃してくるのですが)陣地を作っていってます。

 英連邦軍側は、とりあえずまず航空戦力で負けているのが厳しいです。輸送トラックもずっと全然なく、少し前にようやく1T分(1SP分ではないですよ!)が来たのですが、往復させまくっても大して前線に集積できませんし、一応ユニットはいる第4インド歩兵師団や第2ニュージーランド師団はある一定の位置から前には出せないという縛りがあってどうにもなりません。

 第33ターンまでにイタリア軍をエジプトから追い出すというのは、現状ではかなり難しいような気がしていますが、どうなるのか……。


 あと、備忘録的なものとして。

 尼崎会では最近、OCSの公式ハウスルールの「最低限の燃料」を入れてプレイすることがデフォルトになってきています。

HR-10 最低限の燃料(12.5c) - C
 もしユニットの移動力を1/4にするのならば、複数ユニットフォーメーション、あるいは司令部に2T(1SP でなく)で燃料を入れられます。ただし、その給油状態マーカーはそのフェイズの最後に取り除きます。


 これを『DAK-II』に適用した場合なのですが、とりあえず↓のようにしようということになりました。

・『DAK-II』では司令部に1SPを入れてその支給範囲内の独立ユニット全部に燃料を入れることはできません(『DAK-II』2.2)。が、HR-10を適用したい場合には、「1/4移動力で移動させたい独立ユニットの個数を1/2(端数切り上げ)した数分のトークン(T)を入れればOK」とします。この給油状態はそのフェイズだけで有効です。

・KG(戦闘団)を1/4移動させたい場合には、スタック内に必要なトークン数の1/2(端数切り上げ)の数分のトークンを入れれば、給油状態となります。ただし、その給油状態はそのフェイズだけで有効です。

(それぞれ、1/4で良いものの他に、普通に1Tを入れて動かすものが混在することが考えられるのですが、それらを混ぜて運用してもよいけども、混ぜた場合にはクリーンアップフェイズまではもたない、ということにしたわけです)


OCS『DAK-II』バトルアクス作戦シナリオをプレイしました

 ミドルアース大阪に行きまして、バトルアクス作戦(1941年6月15日~)シナリオをプレイしました。


 ↓全景

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 フルマップ2枚で2ターンです。ちなみにブレヴィティ作戦シナリオはフルマップ1枚(ただしそれを1/4に折り込んだスペースしか使用しない)で6ターンであり、その作戦構想である「将来のバトルアクス作戦に備えての進出拠点を得る&枢軸軍の戦力を削る」ためだけの限定作戦であるのに対し、バトルアクス作戦の方は一応は「トブルクを解放するための本格攻勢」であったことから、マップ2枚になっているのかなぁと思います。2ターンで強制終了する理由は良く分かりませんが……(3ターン目の6月22日ターンにバルバロッサ作戦が開始されますが、関係ある……?)。




 ↓英連邦軍側から。

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 英連邦軍はSPは大量にあります。エジプト側に20SP以上があり、トブルク内にも20SPありますので、SP的にはやりたい放題できる感じがします。しかし戦力的には(航空戦力も含めて)大したことがなく、後方のメルサ・マトルーやシワオアシスにいる部隊まで無理矢理前線に投入しても、トブルク解放ができる感じは全然しないですね……。

 ドイツ軍はまだ砂漠に順応しておらず、AR4と5のユニットはARが-1されるのと、勝利条件に関わるハルファヤ峠、ソルーム、カプッツォ砦を守備しているのが1ユニットずつしかいないのでまだなんとか……? という感じです。しかし国境に展開している第15装甲師団は強力で、「それが到着する前に」とブレヴィティ作戦が発動されたのは、確かに必要なことだった感じがしました。




 ↓ハルファヤ峠に対するオーバーラン

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 英連邦軍側は、リアクションフェイズを挟むと枢軸軍側にバッキバキに対応されてしまってどうにもならなくなるのが予想されるので、無理を承知でオーバーランで戦果を出さなければならないと思われました。

 そこでまずはハルファヤ峠の崖上側の低丘陵にいた第104自動車化歩兵連隊に対してオーバーランを敢行して成功し、「煉獄業火の牧師」と呼ばれたバッハを戦死させます。日本語版Wikipedia「ヴィルヘルム・バッハ」



 ↓カプッツォ砦に対するオーバーラン

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 続けて別の部隊でカプッツォ砦に対してオーバーランを敢行し、ワニミさんにダイスを振ってもらったところ、逆奇襲6コラムシフトになってしまったので見なかったことにして(ワニミさんは体調が悪かったということなのでしょうがないのです(何が(^_^;))、下野守(しもつけのかみ)さんに振ってもらったところ、ものすごく良いダイス目が出て成功!(赤が奇襲チェック、黒がコラムシフト、白が戦闘結果、青はこの場合は意味なしです)





 ↓先攻連合軍終了時。

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 その後リアクションフェイズを経て、先攻終了時にソルームも含めてすべての勝利条件ヘクスを奪取しました。尤も、前述の件の後にも今度は下野守さんが振ったダイス目が悪すぎたのでワニミさんに振り直してもらって成功したりと、複数回ズルをやってましたので実際にはここまで上手くいかないと思われます(^_^; また、枢軸軍側のリアクションフェイズ中にヒップシュートができるのを忘れていたりとかいうこともありました。

 この後枢軸軍のプレイヤーターンが来て、英連邦軍はとてもではないけど勝利を維持できず追い出されるかと思われますが、「枢軸軍プレイヤーターンをプレイしようにも東部戦線マニアとしては、1週間後にバルバロッサ作戦が開始されることを考えると、ああ、こんなところでドイツ軍部隊やイタリア軍部隊をすり潰すのではなくロシア方面に送るべきであるのに……! ということが気になってプレイできない」というやむを得ない理由により、プレイは中止となりました(おい)。

 で、ハルダーとロンメルの関係や、チャーチルの無茶な要求とかウェーヴェル将軍が不幸な件などについて色々雑談してました(^_^;



 ↓長距離砂漠挺身隊

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 画像中央下のユニットが英連邦軍の長距離砂漠挺身隊(LRDG)で、移動モードで徒歩の20移動力を持ち、6ターンの間補給切れにならないので敵戦線後方にいやがらせができまくります。実際、この状況ではトブルクとエジプト国境の間の滑走路に配置されたイタリア軍航空ユニットが踏まれまくるでしょう。かなりうざい存在です。




 ↓トブルク周辺

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 イタリア軍のアリエテ戦車師団にはAR5のユニットがあります。1941年夏にロンメルが砂漠順応の訓練を施すまではドイツ軍にはAR5のユニットはいないので、この時期実質上北アフリカにおける枢軸軍の最強ユニットということに。

 他にもイタリア軍側にAR4のユニットが散見されますが、「Brs」とあるのはエリート部隊のベルサリエリであり、また「S.Mari」とあるのはサンタ・マリア大隊で、「前哨地点においてとくに抜群の戦果を収め」た部隊だったそうです(『砂漠のキツネ ロンメル将軍』P22)。

 トブルク要塞内には第9オーストラリア歩兵師団がおり、こちらは訓練が満了しているのでAR5のユニットが2個いるということになります(第7オーストラリア歩兵師団ユニットもいますが、こちらは訓練が終わっておらず、ARが-1されています)。第9オーストラリア歩兵師団については第二次世界大戦におけるヨーロッパ戦域のオーストラリア軍について(付:OCS『DAK-II』) (2021/04/09)でいくらか書きましたが、名将モースヘッドに率いられ「トブルクのネズミ達」と呼ばれ、枢軸軍兵士達に恐れられた存在で、かっこいいなぁと思います。

 

英語版Wikipedia「Rommel myth(ロンメル神話)」から、個人的に興味深かった部分を

 たまたま英語版Wikipediaに「Rommel myth(ロンメル神話)」という項目があるのを見つけました。

 「ロンメル神話」については、大木毅さんの『「砂漠の狐」ロンメル』の第一章「ロンメル評価の変化」にある程度の紙幅で述べられていて非常に参考になるのですが、Wikipediaにはより詳しく述べられている面もあり、個人的に興味深かった部分を和訳引用してみました。

 ちなみに私は個人的にはロンメルがヒトラー暗殺計画に関係していたかとかはほとんど興味がなく、多くの人にとってはどうでもいいことに興味があるかもしれません(^_^;

 ロンメルが優秀な指揮官であるという描き方は、ドイツ国防軍を称賛し、ドイツ国民に楽観的な見方を植え付けるためのナチスのプロパガンダの一環として、1941年のロンメルの登場と共に始まった。この描き方は西側連合国でも、連合軍が北アフリカで枢軸軍を打ち破ることができないことを説明するために、戦時中のイギリスの報道機関によって取り上げられ、広められた。ロンメルの天才ぶりは、イギリス軍内でも反体制派が軍組織における社会的不平等に抗議するために、またチャーチルのような指導者が階級間の緊張を緩和しようとして利用された[注記1]。

*注記1: テリー・ブライトン(Terry Brighton):「問題は軍の装備ではなく、軍の上級ポストに上流階級の将校が多いことだと指摘され、「もしロンメルがイギリス陸軍にいたとしたら、彼はまだ軍曹だっただろう」と言われたのだった。政治的生き残りをかけて戦っていたチャーチルは、ロンメルの並外れた資質を強調することで、イギリス軍将兵の失敗から注意をそらした。「我々には、非常に大胆で巧みな相手がいる。そして、戦争の惨事ということを超越して言うならば、偉大な将軍だとも言えるかもしれない」
[Brighton, Terry (2008). 『Masters of Battle: Monty, Patton and Rommel at War』 P115]。


 ↑の部分は項目の最初の概説的なところに書いてあり、個人的には非常に興味のある問題であったので長大な本文の中に詳しく述べられる箇所があるかと期待していたのですが、大して詳しいことは書かれていませんでした(^_^;



 軍事専門家たちも、ロンメルの作戦レベルでの能力を疑問視している。ロンメルの優れた戦術的能力と個人的な勇敢さはほぼすべての人が認めているが、多くの将校はロンメルが「世界史上最も過大評価された軍隊の指揮官である可能性がある」と認めるようになったと、米国海軍研究所の米国少将で軍事史家のDavid T. ZabeckiがWolf Heckmannの意見を引用して書いている。ザベッキは、ロンメルの見事な戦術的な動きは兵站的に維持できず、最終的には戦略的な敗北につながったと指摘している[102][注記14]。 ドイツ連邦軍の参謀長を務めたクラウス・ナウマン将軍は、ロンメルが作戦レベルで課題を抱えていたというチャールズ・メッセンジャーの意見に同意し、ロンメルがアフリカで指揮系統を迂回して指揮統一の原則に違反したことは受け入れられないと述べている[127][注記15]。

注記14:David T. Zabeckiによると、ロンメルの反抗的な態度も一因となっており、ロンメルが上司のアルバート・ケッセルリング陸軍元帥の頭越しに、ケッセルリングとOKWが計画していたマルタ島の占領ではなく、エジプトへの攻撃を承認するようヒトラーに直訴したことで、資源の使い方を誤るという大惨事を招いた[102]。

注記15: クラウス・ナウマン:「ロンメルがアフリカで指揮系統を迂回してヒトラーに直談判による解決を図ったことは、決して見習うべき例としてあってはならない」。ナウマンは、「戦いで証明された原則の1つ」として、「指揮系統の統一が保たれなければならない」と述べている。ロンメルはこの原則に従わなかったため、いくつかの戦術的な勝利を収めることができたが、これが北アフリカでの最終的な作戦・戦略上の失敗の原因となった。[127]


 ロンメルの作戦指揮のどういう点が具体的に良くなかったのかという点は興味のあるところです。OCS的に言えば「相手の意表を突いたり弱点を突いたりすることは驚異的に上手いが、かなり猪突猛進的で、兵站の限界を越えてしまうことがしばしばあり、華々しい戦勝を収めることがあるものの最終的にはその戦域の支配を失ってしまう戦域指揮官」という感じでしょうかね……?


 マクレガー・ノックス(MacGregor Knox)は、その著作の大部分がイタリアの資料によっ ており、戦争における有効性は、技術や専門知識の弱点よりも、最終的には文化、指揮スタイルや 倫理観に依存しており、それが技術的想像力や戦力構成を生み出すのだと述べている。彼は、アフリカ軍団と一緒に戦っていた数少ないイタリアの機動部隊は、ロンメルの下で働くことで利益を得ていたと指摘しており、エットーレ・バスティコの妨害にもかかわらず、戦線が固定されていない戦争で急速に変化する状況に対処するのを助けてくれたのである[138]。 マーヴィン・クノールはロンメルの参謀本部に対する態度について同情的な見方を示しており、彼のような中産階級の将校に対する彼らの態度から、彼が参謀本部を警戒し、彼らが送り込んだ将校が自分に報告したり、乗っ取ろうとしたりするのを心配したのは理解できると述べている。それにもかかわらず、彼はフリードリッヒ・フォン・メレンティンやジークフリード・ヴェストファルのようなこれらの参謀将校を信頼し、頼るようになり、彼らはその才能と忠誠心を証明したのである[139]。 リック・アトキンソンはロンメルの「大胆さ、戦術的な才覚、個人的なスタイル」を認め、また「敵の心を支配する不思議な能力を持っていた」とも述べている[140]。

 バトラーは、ロンメルの劣悪な後方支援管理の神話はハルダーが始めた噂の結果であると意見している。[146] リーブはまた、彼の最も厳しい批判者(ほとんどが参謀本部から来ていた)がロンメルは過大評価されているとか、より高い指揮には適していないとかよく言っていたが、ここでは妬みが大きな要因であったと見解を述べている(サイモン・ボールも、戦後の西側でロンメルを誹謗することに関心を持っていたのはこのグループだけであり、彼はその中に入ったことはなかったが、一方でイギリスやドイツの戦後の政府や軍のサークルの様々な要素は彼を賞賛することにも関心を持っていたと見解を述べている)[147][148] 。


 ここらへんは、ロンメルはハルダーに「大馬鹿」と面と向かって言った? ハルダーは無能だったのか有能だったのか (2021/06/14)で私が書いていた疑問に合致するような記述です。もちろん、「そういう見方をする者もいる」ということであって、それが広く認められた見方だということではないですが。


 このWikipediaの項目は他にも様々な観点について、様々な著者の見方を紹介していて、興味のある方は見てみてもよいかもしれないと思います。DeepL翻訳を使用すれば、非常に簡単に概要は読めます(今回私の引用文も、半分以上はDeepL翻訳そのままのものを使用しました)。


OCS『Guderian's Blitzkrieg II』火星作戦シナリオ(4人プレイ)第1ターン終了

 オンライン4人対戦で、OCS『Guderian's Blitzkrieg II』の火星作戦シナリオの第1ターンをなんとかプレイできました。



 ↓第1ターン終了時。

unit9300.jpg

 第1ターンは後攻ソ連軍のみで、第2ターン先攻もソ連軍が取得します。

 4人プレイで、松浦方式(片方の陣営を全員でプレイし、逆の陣営も全員でプレイする)でやるため、北から私、ワニミさん、富山のKさん、タエさんが戦区を受け持ちました。




 ↓中央部。

unit9301.jpg

 特に東側からの突破に成功しています。次のプレイヤーターンもソ連軍なので、この戦果を拡張していくことになるでしょう。

 逆にドイツ軍側は、「いったいどうすればいいのだ……?(史実では勝ったのだけども)」という印象ですが……?



OCSでセットアップ時に、陣地ヘクスに予備モードで置けるか?

 先日OCS『DAK-II』のコンパス作戦シナリオを富山のKさんとオンライン対戦していたのですが、その時私は後攻プレイヤーで、セットアップ時に陣地ヘクスに予備マーカーを置いてしまっていました。

 で、「それはできないのではないか」とKさんから指摘を受けて「ああっ、そうですね~(^_^;」と予備マーカーを置き直ししてました。


 ところが後日、富山のKさんから、「シリーズルールを読み返してみると、セットアップ時には陣地ヘクスに予備モードで置いてはいけないと書いてないので、置けるのかもしれません。どう思います?」と連絡がありました。

 OCSのルールの原文ではこうなっています。

IV Set Up Notes
B) Ground units can be set up in any desired mode. (Exception: ground units adjacent to enemy Attack- Capable units cannot be set up in Reserve or Strat Mode.)

5.7g No unit in Reserve Mode can be stacked with a hedgehog at the end of any Movement Segment.

16.0f Reserve Mode units cannot end a phase in a Hedgehog (5.7g).



 この文の「any Movement Segment」や「a phase」を「friendly(自軍の)」だと理解すると、後攻プレイヤーがセットアップ時に陣地に予備モードで置くことは禁止されていないので、自軍のリアクションフェイズの最初に予備モードを解除して移動させれば、問題はないということになりそうです。


 で、FaceBookの「OCSグループ」で質問してみました(私は今まで基本的にBoardGameGeekで質問してましたが、FaceBook上で質問した方が早くて確実だということが分かってきました(^_^;)。

 結論としては、これはルール記述の「抜け」であるようです。考え方としては、自軍移動フェイズの移動セグメント中に、陣地ヘクスで予備モードにすることはできる(そして予備モードのまま許容移動力の1/4を消費して移動できる)。しかし、その移動セグメント終了時には予備モードのままで陣地ヘクスにいてはならない。でもって、基本的な考え方として、(自軍の)なんらかの区切りの終了時には陣地ヘクスに予備モードでいてはならない、ので、セットアップ終了時にも予備モードでいてはならない、ということのようです(OCS副班長のサルツマン氏が改訂用のメモを取っておられたので、次期バージョンでは記述の抜けは埋められるだろうと思います)。


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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! VASSALでのオンラインインストも大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

 ブログで書いた物のうち、

 OCS関係の記事は

「OCSの物置2」



 戦史物の記事は

「戦史物の物置」


 で、アクセスしやすいようにカテゴリ毎にまとめてありますのでそちらもどうぞ。

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