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OCS『DAK-II』の第7機甲師団:初期と後期

 「コンパス作戦の時のイギリス第7機甲師団、強すぎ……!?」ということを↓のエントリで書いていました。

OCS『DAK-II』7.1コンパス作戦-練習シナリオをオンライン対戦しました (2021/06/27)



 そこで試しに、OCS『DAK-II』の第7機甲師団の編成を、時期毎に抜き出してみました。


 ↓コンパス作戦時(1940年12月9日)。

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 ↓クルセイダー作戦時(1941年11月18日)。

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 ↓第3次エル・アラメインの戦い時(1942年10月23日)。

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 第11ユサールはずっといるのですが、それ以外は異なります。コンパス作戦時はアクションレーティング5のユニットが3ついて、機甲ユニットの移動力が異様に高いのが特徴です。また、おのおの1ステップです。

 クルセイダー作戦時以降の旅団ユニット(Xマーク)は2ステップあります。クルセイダー作戦時は機甲旅団は「機甲(黄色)」扱いですが、エル・アラメイン戦時には歩兵戦力が配属され「機械化(赤色)」扱いになっています(移動力も若干減少していますね)。

 トータルではコンパス作戦の時が最強のように思えますし、1SPで師団全部に燃料を入れられることもあって効率がいいです。


 この第7機甲師団の編成の移り変わりに関しては、このようにルールに書かれています。

5.5b 第7機甲師団:初期と後期  英軍プレイヤーに課される通常の部隊改編の他に、第7機甲師団には特別なルールが適用されます。第7機甲師団は機甲ユニットと支援ユニットが大隊規模に分割された状態でキャンペーンを開始します。これらのユニットが除去(あるいは解散(disbanded))されるまで、連合軍プレイヤーは当該ユニットの上位ユニット(第4、第7機甲旅団および第7支援群)の再建をおこなうことができません。いったんそれらの小規模なユニットが除去されるか、連合軍プレイヤーによって取り除かれた(「解散」ルール3.9i参照)ならば、補充ユニットを用いて該当する上位ユニットの再建がおこなえるのですが、それまでは不可能なのです。

デザインノート:並外れた訓練を受け高い誇りを有していた、この元祖「砂漠のネズミ達」は、ホバート将軍によって精鋭の砂漠機動部隊へと形作られたものでした。この部隊は、1940年の6月から9月のイタリア軍による侵攻開始までの期間にさらなる経験を得て、いよいよ鋭利に研ぎ澄まされました。特に第11軽騎兵連隊は国境を越える作戦活動を精力的におこなっていました。12月のコンパス作戦の開始時には、第7機甲師団はイギリス陸軍が大戦後期まで到達することのなかった(あるいはもしかしたら最終的に到達し得なかった)練度と独立した指揮能力を有する部隊へと到達していたのです。
 戦前の質の悪い(数も深刻なほどに不足していた)装備にもかかわらず、この師団はキレナイカ全土を横断する進撃において先鋒を務めることができました。海岸道路に沿って多くの戦力を残していった後になお、細切れになっていた残りの部隊がベダ・フォムで、逃げようとしていたイタリア軍を撃ち破ったのです。疲弊しきったこの部隊はその後、再装備のためにカイロへと退き、前線には新しく第2機甲師団(とロンメルという名の男)を置いていきました。再建された第7機甲師団は、依然として英軍の最優秀部隊でありましたが、かつて披露したような単独での機動作戦を再現することは最早できなくなっていたのでした。
 初期にこのようなことが可能であったのは、英軍が敵対するイタリア軍を見下していたことによるのだと言う人もいるかもしれません。しかし、私はそのような態度は当時のこの部隊の状態を正確に反映したものだとは思いません(むしろ後世の歴史家のでっち上げなのではないでしょうか)し、このような言説はこの部隊とその技量に対するひどい仕打ちだとさえ思います。尤も一つ言えるのは、この初期の時点ではイタリア軍側が効果的な対戦車兵器を持っておらず、それがまだやや諸兵科連合戦術に欠けていたイギリス軍が「ただで済む」ことを許していたということです。後にこの戦域に効果的な対戦車砲(ドイツ軍はもちろん、イタリア軍も)が到着してからは、もはやそのようなことは不可能になったのでした。


 この件は個人的に非常に興味深く思っているのですが、関係洋書でこの件に関する詳しい話を見たことはまだありません(ほんの少しの言及程度なら見たことがあったかもです)。

 コンパス作戦時の異様に高い移動力の戦車はいったい何なのかも気になるのですが、昔まとめたベダ・フォムの戦いというページからすると、「A-13巡航戦車とマークⅥb軽戦車」が主力、ということになるのでしょうか。しかしこれらの戦車のことを私は全然知りません(^_^; 戦車の性能だけではなく、搭乗員の能力とかも含めた移動力値なんでしょうかね~?

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OCS『The Blitzkrieg Legend』南方シナリオ、第1、2ターンのコツの備忘録

 OCS『The Blitzkrieg Legend』の改造ハウスルール案を南方シナリオでテストしているのですが、第1、2ターンの進め方について以前のプレイを忘れていて難儀したので、今回見つけたコツを備忘録に記しておこうと思います。


 ↓第2ターン先攻ドイツ軍移動フェイズ中。

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 『The Blitzkrieg Legend』は基本的にそうなんですが、後方には大量にSPがあるのに、前線に運ぶ為の輸送ユニットが非常に限られているので、前線にSPがなく困ってしまいます

 そこで、二番手の装甲部隊である第2装甲師団、第10装甲師団は第1ターンに進めるギリギリまで進むのではなく、第2ターンに後方からSPを払えるギリギリのところまでに留めておきます。画像の真ん中少し右下の司令部が右へ伸びる矢印で受給し、左へ伸びる矢印で支給します。

 第29自動車化歩兵師団は、第1ターン中に画像の一番左の○の場所まで戦略移動で行っておけば、第2ターンの移動フェイズ中に戦闘モードでセダンに入れます(あるいは取り付けます)。

 左から2つ目の○の場所に第1ターンに司令部を移動させ、3つ目の○の場所にSPを集積してそこからSPを支払います(この辺りの位置関係は、今回はこうしましたが、極限まで考えたものではないのでもっといい方法もあるかもです)。


 今回改造ハウスルールでプレイしているので、全体の配置としては普通のルールでは危なくて無理なこともあると思いますのでお気を付け下さい。




 ↓今回の第2ターン先攻ドイツ軍終了時。

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 改造ハウスルールを入れているので、通常よりもドイツ軍は進みやすいはずですが、それでも最初のミューズ川渡河の試みは2箇所で両方ダイス目が悪く失敗。両方振り直して、なんとか橋頭堡だけは築けました。史実では第2ターンの終盤に渡河しているので、ほぼ史実通りかと思います。

OCS『DAK-II』7.1コンパス作戦-練習シナリオをオンライン対戦しました

 富山のKさんと、OCS『DAK-II』7.1コンパス作戦-練習シナリオ#1をオンライン対戦しました。Kさんが英連邦軍、私がイタリア軍を担当しました。

 全6ターンで、英連邦軍はエジプトからイタリア軍を完全に追い出せば勝利。もしバルディアを占領していれば、「素晴らしい勝利」を得ます。史実では6ターンではバルディアは攻略されておらず包囲に留まっていたので、ほぼ史実通りの勝利条件かと思われます。



 ↓セットアップ

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 ↓第1ターン後攻イタリア軍戦闘フェイズ。

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 イタリア軍は、後退できない部隊以外は国境へ撤退しています。ソルームの南では、イタリア軍の戦車ユニットスタックが、イタリア空軍の活躍によりDGにしていたイギリス軍機甲部隊に対して攻撃を行い、壊滅させるという活躍を見せました!(^^)




 ↓第2ターン先攻英連邦軍終了時。

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 しかし次のターンには、国境付近の南側にいたイタリア軍の3スタックが、英連邦軍の1スタックによって一掃されてしまうという……(>_<)

 なにしろ平地しかないので、対戦車能力もなくアクションレーティングも低いイタリア軍の非機甲部隊は2倍の戦力値で殴られてどんどんやられてしまいます。というか、この時期のイギリス第7機甲師団が強すぎるのですが! 戦闘モードの移動力が8とか10とかあるのですが、装備戦車は巡航戦車マークⅢ(A13)?

 なるほど、砂漠の中で戦線防御みたいなことはできないな……と実感できました。また今後のプレイに活かしていこうと思います。


 あまり遅くならないうちに対戦は終了しました。次回、続きをやるという選択肢もありましたが、やりたいことをどんどんやろうということで、次はシナリオ7.2のグラツィアーニ攻勢をやってみようということになりました。グラツィアーニ攻勢をゲームでやったことがないので楽しみではありますが、史実から考えてもそもそも戦闘が起こるかどうかだったりも……?(^_^;

WW2のドイツ軍、イギリス軍、イタリア軍の上級指揮官は貴族閥によって占められていた……?

 ここ最近、第二次世界大戦時の各国軍の貴族閥に関していくらか読む機会があったのですが、まだ全然良く分からないので、とっかかりの情報集積だけをとりあえずやってみようと思います。

 個人的に一番ショッキングだったのはこの文でした。

 ロンメルは実力で成功を収めた人物だった。彼はその出世の階段を、自分の実力で昇ったのだ。イギリスは、第二次世界大戦で彼のような人物を輩出することはできなかった。それは、旧態依然な軍の組織構造が、そのような人物がトップに立つことを許さなかったからである。イギリス陸軍では、バジル・リデル・ハート、J.F.C.フラー、パーシー「ホーボー」ホバート、エリック「チンク」ドーマン=スミスのような独創的な思想家は、恐れられ、軽蔑され、それどころかドーマン=スミスの場合のように解雇されることもあった。賢さは、生まれで序列が決まる現状を脅かすものとして嫌悪されたのだ。それどころか、軍の上層部には反知性主義のカルトがあり、階級や富、順応性や服従性の美徳を称える「ブリンプ大佐」のような考え方があった【ブリンプ大佐……イギリスのマンガで描かれた、偉ぶって怒りっぽく、自尊心の強い保守的な頭の固い軍人】。「優れた能力を持つ貧しい男性が、自分の才能を発揮する場として軍隊を選ぶことはほとんどなかった」とコレッリ・バーネットは書いている。それゆえ本当の意味で、イギリス陸軍の上級指揮官達のほとんどは特権階級出身の軍事的素人であった。聡明さ、進取の気性、断固とした姿勢、利己心、野心よりも、慎み深さ、礼儀作法、度胸、義務感、騎士道精神、そして気楽で非専門的なある種の気取りの方が、はるかに重要であるとされていたのである。
『Get Rommel: The secret British mission to kill Hitler's greatest general』



 私がある程度知っている範囲では、確か30年戦争の頃の連隊長職というのは一種の「財産」であり売買の対象であったとか、ナポレオン戦争期のイギリス軍なんかも売官制度に毒されていて上級指揮官に真に有能な人物が非常に少なかったとかっていうのは読んだことがあります。しかし第二次世界大戦時のイギリス軍においてもこういう感じだったのでしょうか。他にこういう文を見た記憶がないので、全然分からないです。

<2021/07/05追記>

 ネット上を検索していて、『Soldiers as Workers』という本の章ごとの要約のページがあるのを発見しまして、そこにいくらかイギリス軍のこの件について触れられていました。



 陸軍将校は伝統的に紳士あるいは貴族階級の出身者が多かったが、戦時中の増員に伴い、特に流行に左右されない技術連隊では、中流階級以上の出身者が多く入隊した。1870年代まで、砲兵隊と工兵隊を除く下級士官は、各連隊の最高位である中佐までの任用と昇進を一般的に購入していた。将軍までの昇進は、家族の影響力に左右されることが多かったものの、陸軍省の責任であった。このような購入システムは、そうでなければ裕福な家庭の可能性のある若い子息達が無職になってしまうし、比較的小さな国家において彼らの退職年金を提供する必要がなくなるという両方の利点があった。革命後のヨーロッパの多くの国々とは対照的に、意図的かつ階級に基づいた政策として、イギリス軍の将校はあらゆる階級から昇格されるということはなかった。【例外的に?】昇格した者は、主に副官、会計処理、獣医などの専門家や管理職に就いていたため、イギリス軍将校にはアマチュアリズムが蔓延していた。貴族的な冷淡さを特徴とするこの職業意識の低さは、中流階級出身の下級士官にも見られた。1871年に将校任用の購入が廃止されても、軍隊の階級的な構成は変わらず、20世紀の2つの世界大戦を除いては、間違いなく今日まで続いているのである。


 「2つの世界大戦は例外である」とはありますが、戦争が勃発したらいきなり全面的に改められるわけもないですから、世界大戦の時には実力主義がある程度以上取り入れられたけども、普段のこの階級主義はもちろん残っていて、それが批判されもした、ということなんだろうと思います。

 ついでに、英語版Wikipedia「Rommel myth(ロンメル神話)」から、個人的に興味深かった部分を (2021/07/05)で引用していました関係部分をここでも引用しておきます。

 ロンメルが優秀な指揮官であるという描き方は、ドイツ国防軍を称賛し、ドイツ国民に楽観的な見方を植え付けるためのナチスのプロパガンダの一環として、1941年のロンメルの登場と共に始まった。この描き方は西側連合国でも、連合軍が北アフリカで枢軸軍を打ち破ることができないことを説明するために、戦時中のイギリスの報道機関によって取り上げられ、広められた。ロンメルの天才ぶりは、イギリス軍内でも反体制派が軍組織における社会的不平等に抗議するために、またチャーチルのような指導者が階級間の緊張を緩和しようとして利用された[注記1]。

*注記1: テリー・ブライトン(Terry Brighton):「問題は軍の装備ではなく、軍の上級ポストに上流階級の将校が多いことだと指摘され、「もしロンメルがイギリス陸軍にいたとしたら、彼はまだ軍曹だっただろう」と言われたのだった。政治的生き残りをかけて戦っていたチャーチルは、ロンメルの並外れた資質を強調することで、イギリス軍将兵の失敗から注意をそらした。「我々には、非常に大胆で巧みな相手がいる。そして、戦争の惨事ということを超越して言うならば、偉大な将軍だとも言えるかもしれない」
[Brighton, Terry (2008). 『Masters of Battle: Monty, Patton and Rommel at War』 P115]。



<追記ここまで>


 また、デズモンド・ヤングの『ロンメル将軍』を読み返していてこのような文章を見つけました。

 父親が教師になるために退役するまで、砲兵隊に中尉として服務したのをのぞけば、一家には代々軍隊との縁がなかった。またロンメル家は軍部に有力な知己もなかった。一家は中程度の収入がある社会的地位を占めるシュヴァーベン人の家柄で、プロイセンの士官階級とは教育・環境とも、まったくかけ離れていた。ロンメルは後にアフリカで彼のもとに貴族出身の将軍たちを勤務させるようになったが、彼らは莫大な財産を持ち、軍部に有力なコネもあって、生まれたときから名高い連隊の生活を約束されており、そして並の才能があれば、まず順当に出世の階級を昇って行くのを保証されていた。ロンメルがこのような経歴を陸軍で送るとなると、自身で開拓しなければならないであろう。
『ロンメル将軍』P37


 ロンメルが貴族閥、あるいは軍人閥ではなく、昇進するにも苦労したというのは色々な本で触れられていると思いますけども、それがどれくらいしんどい事だったのか、貴族の家に生まれていればどれだけ楽に昇進できたのか、というのは、私はまだ全然良く分かってない感じです。

 一応、ヴァイマール共和国の成立に伴って1919年にドイツでは貴族制度は廃止されたということなんですが、第二次世界大戦時にも、あるいは現代においても、貴族あるいは上流階級というのは隠然たる影響力とコネを持ち続けているということ?(ヒトラーやロンメルはそういうコネの社会にケンカを売った存在だったんでしょうね)

 そこらへん、ちょっと興味深い記事として、こういうのも見つけました。

“ぼったくり男爵”バッハ会長に日本在住ドイツ人も「マジ迷惑してます」/マライ・メントライン

 記事全体が興味深いのですが、このエントリに一番合いそうな文だけ、引用させてもらいます。

 さまざまな情報およびビジュアルから窺(うかが)える印象を総合するに、彼【バッハ会長】の人生の最大目的は上流階級への仲間入りで、上流といえば欧州の場合、領域によって濃淡があるとはいえ、今なお「伝統社会の貴族ネットワーク」の隠然たる影響力をベースにあれこれ蠢(うごめ)いているのがポイントです。

 家柄的に貴族ではないけど貴族サークルに入りたい! そしてあわよくばその地位を活かして社会でブイブイいわせたい! というのがバッハ氏の人生の前半期のモチベーションであり、ゆえに「ぼったくり男爵」というのは、その内面のイタい虚飾性を見事に突いた表現なわけです。




<2021/12/07追記>

 『コマンド・カルチャー 米独将校教育の比較文化史』に、ドイツ軍の貴族優遇についてかなりの量の記述があったので、引用してみます。




 皇帝、あるいはヴァイマール共和国の将校になろうとするドイツの若者は通常、最優秀で、「将校適性階級」出身でなければならなかった。一般的にいえば、中級・高級官僚、大学教授、すべての貴族、現役もしくは退役した将校が、こうした階層に属しており、彼らの息子たちが将来の軍指揮官の隊列を満たしていたのである。【……】フリードリヒ【大王】は、将校となった平民は、貴族出身の者と同様の勇気を示し得ると、はっきり認めていた。とはいえ、フリードリヒは、貴族の息子にはさらなる動機付けを期待できると考えていた。家名、とりわけ父親の名誉といった、幼少期から覚え込まされた何かを辱めまいとする動機だ。このような誘因は、現代の将校の家庭にも残っている。
 【……】第一次世界大戦後、あらたに軍の指導者となったハンス・フォン・ゼークトが、他の多くの案件よりも優先的に実行したのは、「よい生まれである」という古い基準を回復することだった。【……】第二次世界大戦前夜になると、軍隊を著しく拡張したため、2万4千名の将校中、「将校適性階級」に属しているのは、その半分弱になった。しかしながら、こうした抜きんでた階級が、将官や大参謀本部将校といった地位を思うがままにしていた。一般的にいえば、古い「基準」は1942年になって、ようやく消える。にもかかわらず、特権階級の家系に属する者は再び、将校団の上位部分、とくに参謀本部の職を独占することになる。
『コマンド・カルチャー 米独将校教育の比較文化史』P122,3

 貴族出身の生徒は、平民出身の級友に対して有利であり、公平ではなかった。【……】彼らが受けたしつけや、能力に関係なく小姓に取り立てられる特別の地位は、陸軍幼年学校内の貴族閥形成につながる。学校の幹部や平民の生徒たちは、これは、持てる手段のすべてを使って、すみやかに解消されるべき問題だと考えた。
『コマンド・カルチャー 米独将校教育の比較文化史』P146

 ごく少数のロンメルのような人物が選ばれはしたが、小さなライヒスヴェーア将校団の地位は、フォン・ヴェーデル、フォン・シュテュルプナーゲル、フォン・マンシュタインのごとき者【つまり「フォン」のつく貴族】によって占められていった。彼らは、数百年にわたり、プロイセンもしくはドイツ軍に勤務してきた伝統を持つ家系の出身で、文官職などまったく考えもつかないのであった。それゆえ、学問的研究によってそうではないと証明されることがなければ、著者は、ライヒスヴェーア将校団は往々にして、真に優れた実績によってというよりも、人間関係や血縁、古くさい出身連隊のつながりによって選抜されたとの仮説を維持するものである。プロソポグラフィ〔西洋古典古代史研究で用いられる、地縁や血縁を調べ、社会経済的な関連性をあきらかにする分析手法〕的な証拠が示唆するのは、ヴェーアマハトの軍・軍集団司令官には充分な戦闘経験が欠けており、前線将兵の苦労を実感できないということなのだ。
 国防軍将校団の強みは、小隊から軍団に至るまでのさまざまな部隊を指揮する上官の創造性、指揮統率能力、戦術的優秀性にあった。彼らは、革新的かつ創造的であれ、望ましい場合にはドクトリンを無視せよ、いつでも可能な限り敵を奇襲せよと教えられ、戦争の混沌のなかで過ごしながら、生き残っていくことを学んだのであった。【……】
 軍団よりも上のレベル、高級幕僚部にあってはもう、優秀なのが当たり前というわけにはいかなくなった。事実、ドイツの軍、ないしは軍集団の司令官は、東部戦線の状況が悪夢と化したのち、ひたすら総統の指示を待つようになった。この観察により、大将、上級大将、元帥といった高位の将官たちの選抜は、合衆国のトップ階級の将官のそれ同様に、ドイツでも欠陥があるものだったことが示される。現今の合衆国陸軍の将軍たちについて論評した最新の論文は、歴史的な視点からも正しいものと思われる。将軍になるには、往々にして、日和見主義、今現在の指導層にへつらう能力、適当なコネを持っていることが重要だった。これは、第二次世界大戦の合衆国陸軍であろうと、ヴェーアマハトであろうと、同様に真実だったようだ。
『コマンド・カルチャー 米独将校教育の比較文化史』P272~4


 「貴族であれば、家名を汚さないように戦うであろう」という理由がもともとあったのですね……。しかし一方で、それまでに形成されていた「貴族閥」がその「派閥の力」によって貴族出身者を優遇して……ということがあった、と。

 当時のドイツでは、貴族出身でない層が社会上層に大きく進出していくという流れがあって、貴族出身者にはそれに対する危機感があったでしょうし、一方で平民層には貴族出身階層に対しての反感がかなりあったようです(ロンメルもそのような反感を持つ人間の一人でした)。

 『コマンド・カルチャー』、ドイツ軍の軍団長以上のクラスや、参謀本部将校は、「優秀なのが当たり前というわけにはいかなくなった」というのは個人的にかなり気になる話で、また色々資料を漁って自分なりに検証していければと思います。

<追記ここまで>


 ただこれが、イタリア軍の場合、マジで貴族閥の弊害がものすごかったようです。とりあえず、昔作ったこの動画の最後の方にそこらへん少し書いてあります(ニコニコ動画上にしか動画がないので、もし見られなかったらごめんなさい)。




<2021/11/01追記>

 イタリア軍の貴族閥についての文を、大木毅さんの「ある不幸な軍隊の物語」という記事(『ドイツ軍事史――その虚像と実像』に収録されているはず)からと、それの元になったかもしれない『Hitler's Italian Allies』から引用してみます。




 【……】そこには、当時のイタリアが脱却できなかった階級社会が反映されていた。
 将校は、従卒にかしずかれ、兵士よりも良い軍服と装備、より多くの休暇、より良質の食事を与えられるのが当然とされていた。かてて加えて、昇進も、資質や努力を重視するというわけではなかった。規則上は、戦時に実力を示せば、短期間で昇進が保証されることになっていたけれど、現実には、年功序列や実力者との縁故のほうがものを言ったのだ。1942年冬のヒトラーの布告に接したカヴァレロの反応は、かかる事情を問わず語りに示したものといえよう。前線指揮官であれば、年齢、任官序列、どのような階層に生まれたかにかかわらず、その実績に応じて、適切な階級に引き上げるとした内容を一読したカヴァレロは、「われわれには、こんなやり方は、少しばかり行き過ぎ」だと、うそぶいたのである!
 事実、王国陸軍にあっては、戦場で功績をあげるよりも、参謀職や後方の管理業務についているほうが出世は見込めるという傾向が見られた。ギリシアやロシア、北アフリカを転職し、元帥にまで昇りつめた勇将ジョヴァンニ・メッセは、チュニジアの軍司令官時代に、実戦の試練に打ち勝った部下の師団長たちよりも、ローマの事務机で戦っているもののほうが昇進が早いと、痛烈な皮肉を残している。
『明断と誤断』P46

 【イタリア軍の】昇進制度は、ドイツ軍のそれとは対照的に、将校団の刷新に対してさらなる抵抗を加えるものだった。理論的には、イタリア王国軍は「戦場で実績を挙げた者」への迅速な昇進を約束していた。ところが実際には、選抜性は低く、年功序列とコネが重視されており、ムッソリーニはヒトラーとは異なり、将校の扱いを掌握することはなかった。1942年秋から冬にかけて、年齢、年功、学歴、社会的地位を問わず、すべての戦闘指揮官を戦場での任務に適した実質的な階級に昇格させるというヒトラーの決定に対するカヴァレロの反応は、戸惑いを含んだ【原文は a dismayed】「我々にとっては少し行き過ぎだ」という言葉と、将校の昇進に立ちはだかる官僚的な障害の羅列であった。このように、イタリア王国軍の昇進制度は選択性に欠けていたため、むしろ逆効果になっていた感さえある。メッセはチュニジアから、ローマにいてデスクワークをしている将校達が、戦場で鍛えられた自分の師団長たちよりも先に昇進していることに対して、何度も激しく不満を表明したものだった。
『Hitler's Italian Allies: Royal Armed Forces, Fascist Regime, and the War of 1940–1943』位置No.1061

 加えて、戦争中はずっと、将校の階級意識が下士官との信頼関係を妨げていた。将校は個人的な使用人を持ち、下士官に比べてより良い制服や装備、より多くの休暇、そして何よりもより多くの良い食べ物や飲み物を得ていた。ケッセルリンクがカヴァレロと共に何度も改革を提案したが、大きな成果は得られなかった。将官達は下級兵士達を見下して、自己満足感を得ていることが多く、そのために命を落とすことさえあった。たとえば、フェデリコ・フェラーリ・オルシ将軍は、エル・アラメインで下士官の警告を無視して地雷原に入ってしまった。例外は、アルピーニ部隊やフォルゴーレ空挺師団のようなエリート部隊の将校たちで、共通の危機感、専門性、連帯感が階級間の絆を生み、将校集団のヒエラルキー意識を克服していた。フォルゴーレ空挺師団のある新兵は、不思議そうにこう言った。「4メートルの壁から飛び降りなければならないときは、上官が先に飛び降りて、それから私たちが飛び降りる」。このような雰囲気の中では、「大げさに威厳を振りまき怒鳴り散らす」ような通常の下級士官は生き残れなかった。
『Hitler's Italian Allies: Royal Armed Forces, Fascist Regime, and the War of 1940–1943』位置No.1282


 オルシ将軍というのは、『Rommel's Italian Generals In North Africa 1941-1943』P82や英語版Wikipedia「Federico Ferrari Orsi」によれば、1942年夏にイタリア第10軍団の司令官として北アフリカに派遣され、第二次エル・アラメインの戦いの直前に偵察車を運転中に地雷で重傷を負い、4日後に死亡したのだとか……(地雷原に入る前に下士官に注意されたのを無視したんでしょうね)。

Federico Ferrari-Orsi

 ↑オルシ将軍(英語版Wikipedia「Federico Ferrari Orsi」から)





<追記ここまで>


 また今後、そこらへんのことに関して何か見つけたら、ここに集積していこうと思います。


敵の補給物資を捕獲することが前提の作戦(が再現できるOCSはすばらしい!?)

 新たにKindle版を購入したウェーヴェル本である『Wavell in the Middle East, 1939-1941』に、以下のような一節がありました。




 【コンパス作戦の当日である】1940年12月9日の朝、ウェーベルは7、8人の戦場特派員を呼び出し、午前9時に自分の司令室に集合させた。アレクサンダー・クリフォードは、このような召集は「まったく前例がなかった」と回想しており、特派員たちはその意味をはかりかねていた。

 約束の時間になると、ウェーベルはシャツに袖を通し、椅子にもたれかかって - 「(特派員のアラン・ムーアヘッドによると)彼のことを知ってから初めて、わずかに微笑んでいた」 - 静かに説明した。

「皆さん、今朝ここに来てもらったのは、我々が西方砂漠で攻撃を行ったことを知らせるためです。これは攻勢ではありませんし、まだ攻勢と表現するべきではないと思っています。重要な襲撃と言ってもいいかもしれません。攻撃は今朝早く行われ、1時間前にはイタリア軍の最初のキャンプが陥落したとの知らせを受けました。今のところ、どこまで行けるかは言えません。どれだけの物資を捕獲できるか、どれだけ燃料を見つけられるかによります。

 いくつかの質問に答えた後、ウェーヴェルは集まった人々に、この開始された作戦について事前に何か気付いていたかを尋ねた。誰も何も気付いていなかった。クリフォードは感嘆した。「ウェーヴェルが秘密を保持し続けたことには、どれだけ賞賛しても賞賛しすぎることはない。なぜならカイロは、どんなことも数時間以上は秘密にできない場所であり、それらをすべて把握するのが戦場特派員の仕事だからだ」
『Wavell in the Middle East, 1939-1941』2428



 アラン・ムーアヘッドの『砂漠の戦争』和訳のP35にも、より詳しい描写がありました(↓のAmazonのは文庫版ですが、私が持っているのはちょっと大きめのサイズのものなので、ページ数は異なるだろうと思います)。




 読んでいて、ウェーヴェルが非常に珍しく自慢げであるのが面白いなとも思ったんですが、それよりも、「敵の物資をどれだけ得られるかが重要でそれによって作戦が変わってくる」ことが公言されているのが驚きでした。

 他の色々な作戦中でも、敵の補給物資を捕獲することはあり、それをある程度以上狙っているという記述も時々見たことはあったと思いますが……。



 OCS『DAK-II』では、特定のヘクスを占領すると、必ずSPなどの戦利品が得られます。

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 コンパス作戦シナリオの場合、シディ・バラーニを占領すると2SP、ブクブクを占領すると2SP、バルディアを占領すると3SPと捕獲イタリア軍戦車大隊×1が得られます。

 さらに、トブルクを占領すると4SPと捕獲イタリア軍戦車大隊×1などが得られます。

 これは「必ず」なので、かなりでかいです。コンパス作戦からベダ・フォムの戦いに至る戦役なんかは、この戦利品なしでは継続できないでしょうね。



 OCSでは敵が集積しているSPがあるヘクスを占領してそれを捕獲することは、どのゲームをプレイしていてもけっこう起こります。ただしダイス目でどれだけ獲得できるかを判定することもあり、1Tとか2Tとかってことが多いです。1SPとかってのも見たことはありますが、まれです。2SP以上というのはさすがに見たことがないと思いますね……。

 まだ手持ちで持っている『北アフリカ中東戦域』(GDW/HJ)や『The Legend Begins』(テラン/コマンド別冊)を見てみると、両ゲームとも敵の補給マーカーを捕獲することはあり得るのですが、そもそもマップ上に出てくるマーカーの数が少ないので、持っている側も万が一にも奪われないように気をつけるだろうし、捕獲というのは非常にまれにしか起こらない感じだろうと思われました。

 OCSの場合にはマップ上にばらまかれるSPマーカーの量はかなり多いですし、後方なり前線なりに集積しなければいけないし、突破作戦の場合には敵戦線後方に持って行かなければならないなどで、逆の陣営がそれを奪えるチャンスも多いです。

 まあその分、ゲームとして兵站管理の作業も必要になっているわけですが……(^_^;

英連邦軍の「ピカデリー・サーカス」というコードネーム地点について(付:OCS『DAK2』、『Burma II』)

 『Archibald Wavell: The Life and Times of an Imperial Servant』を読んでいると、↓のような一文が出てきました。

 ウェーヴェルは、トブルクでの成功をどのように引き継いでいくかを決めるために、ピカデリー・サーカスと呼ばれていたオコーナーの司令部に飛んできた。
『Archibald Wavell: The Life and Times of an Imperial Servant』P172


 これはコンパス作戦後のトブルク陥落後の時期(1941年1月下旬)の話ですが、OCS『DAK-II』のコンパス作戦(1940年12月9日)の時の英連邦軍の集結地点のあたりに「ピカデリー・サーカス」という地名が印刷されているのに先日気付いて、ちょっと気になっていました。


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 真ん中少し下あたりに「Piccadilly Circus」と記されています。その右に置いてあるスタックは本来はこのヘクスから1ヘクス以内に自由配置です。

 「先日気付いた」というのは、実はVASSALのオンライン対戦を観戦している時に、対戦されていた富山のKさんとタエさんが「ピカデリー・サーカス」という言葉をボイスチャットでやりとりされていて、「えっ?」と思ってマップを見て気付いたのでした。


 「ピカデリー・サーカス」「オコーナー」という検索ワードで他の資料を探してみたところ、唯一以下の本が引っかかりました。

 【コンパス作戦前日の12月8日の】午後5時までに、各部隊はあらかじめ指定された集合場所に到着し、オコナーの前線司令部は、行軍の最終段階へと差し迫った戦闘を統制しやすくするため、「ピカデリー・サーカス」と急遽呼ばれることになった場所へと前進した。この場所は断崖絶壁の近くで、メルサ・マトルーからシワ【・オアシス】を結ぶ幹線道路から西に50マイルほど離れたところにあった。
『Wavell in the Middle East, 1939–1941: A Study in Generalship』P97


 この2つの資料以外で私は結構色んなコンパス作戦関係の資料を読んだと思うのですが、それらにはこの件はまったく書かれていなかったか、あるいは書かれていたのに私が気にもとめずにスルーしていたのか……。しかし『DAK-II』のマップに描かれているくらいですから、その筋?ではある程度以上有名なことなんですかね~。




 「ピカデリー」というのはOCS『Burma II』でも見たことがあったと思って、確認してみました。

unit9316.jpg

 画像は「オペレーション・サーズデイ」シナリオのVASSAL上の初期配置です。画像右の方に「ピカデリー」があり、その上の方には「ブロードウェイ」というのがあります。他にも「ホワイト・シティ」とか「アバディーン」とか。これらは皆、ウィンゲート将軍の降下作戦の降下地点候補だったりした場所と思われます。




 「ピカデリー・サーカス」という言葉自体はまあなんか聞いたことはありますが、それが何なのか全然知らないのでWikipediaで調べてみました。

日本語版Wikipeida「ピカデリー・サーカス」

 ロンドンにある、めっちゃ人通りの多い広場だそうです。ノルマンディー上陸作戦の時にも、連合国艦隊の英仏海峡での集合地点を表す暗号として、「ピカデリーサーカス」が用いられたとか(画像検索したページはこちら)。



 日本でいうなら、「渋谷ハチ公前」とかですかね~。


OCS『DAK-II』のc3.3「町の占領」などキャンペーン用ルールのシナリオでの扱いと、『DAK-II』私家版和訳訂正

 OCS『DAK-II』にはスモールシナリオとキャンペーンシナリオ(ある時点からずっと継続するキャンペーン)があり、スモールシナリオでは「キャンペーン用ルール」を使用しないことになっています(1.5)。


 キャンペーン用ルールには、項目番号の前に「c」の文字が付けられています。

 ところが、富山のKさんが見つけられたのですが、スモールシナリオでもキャンペーン用ルールのための情報が記載されているものがあります

 それは、c3.3「町の占領」に関するもので、ある陣営に占領されてから2ヶ月以上経った特定のヘクスを逆の陣営が占領すると、SPなどの戦利品が得られるというものです。


 以下のスモールシナリオでは、キャンペーン用ルールは「使用しない」と指定されているのですが、各陣営の情報には占領されてから2ヶ月以上経った場所の名前が表示されています。

7.1 コンパス作戦 - 練習シナリオ#1
7.3 シディ・バラーニの戦い - 練習シナリオ#2
7.10 クルセイダー作戦 - スモールシナリオ
7.13 ガザラ - スモールシナリオ


 これらのシナリオにおけるc3.3「町の占領」の扱いですが、(BGGなどの確認はしてませんが)私は使用していいんじゃないかなぁと思います。7.1や7.3では英連邦軍がブクブクを占領すると2SPが得られ、これなしでは作戦を継続できないというような話も富山のKさんからありました。



<2021/06/18追記>

 すいません、他に複数の「キャンペーン用ルール」を使用しないスモールシナリオの情報に、「訓練中マーカーの位置」「ギリシア作戦状況マーカー」もあったりしますが、これらもキャンペーン用ルールですね(^_^;

 訓練のルールというのは、訓練が終了していない(英連邦軍の)師団はアクションレーティングが-1修正などされるというものです。

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 これも結構重要なので、適用したほうが良いだろうと思います。基本的に、「キャンペーン用ルール」は使用しない、と規定されていても、情報が載っているものはそこだけ使用するのが良いのではないでしょうか。もちろん、プレイヤー同士の合意で、やっぱり使用しない、というのはありだと思います。

<追記ここまで>

Amazon上で「Golden Deer Classic Edition」というワードでオスプレイ本のKindle版が安く買える?

 Amazonで検索していて、オスプレイのトブルク本の安いKindle版があることに気付きました。




 ↑左が今回見つけた安いKindle版。古い書籍版の表紙に見えます。右は、多分それと同じ内容の新装版じゃないかと。


 他にもこういう安いKindle版がないかと思って探してみたら、「Golden Deer Classic Edition」という検索ワードで出てきました。

その1ページ目

 見ていると、5ページ目くらいまではオスプレイ本のKindle版があり、私が知っているものよりも安い値段になっています。将来的に買おうと思っていた「Command」シリーズがかなりありましたし、「Campaign」シリーズでも興味のあるものがあります。


 いったい何なのか良く分からないのですが、まあ試しだ、と思って最初に見つけたトブルク本を買ってみました。で、中を見てみましたら、本をそのままスキャンした画像データがKindleで表示されるようになっていました(安い方は試し読みしようとすると固まって表示されないので分からなかったのです。一方で、新装版を試し読みすると、安い方版の昔の表紙のやつの中身がスキャンしたやつで表示されます。つまり、この安いやつの版そのままです)。

 普通Kindle版は文字の大きさを変えたり、線を引いたり、単語を検索したり、コピペしたりできますが、当然この版ではできません。しかし解像度はまあまああり、昔のオスプレイ本のKindle版のように地図ページの文字が全然読めないということはないように思えました。

 個人的には、この安いやつでも全然ありです。どうせOCRしてDeepL翻訳して読んでいくので。

 冊数はそれほど多くないのですが、CommandシリーズやCampaignシリーズの本をKindle版で買おうかと思った際には、こちらもチェックしてみるのはありだなと思います(Commandシリーズなんかは、ちゃんとしたKindle版もあるのですが、そちらのページにはこの安い版は表示されません)。

 問題は、期間限定とかで、買おうと思ったらその時はなくなっていたという可能性があるかなぁ、というのと、それじゃ今、欲しいものは全部買っちゃえ、ってやったら、将来的にもっと安いバージョンが出たとかっていう可能性でしょうかね(^_^;

ロンメルはハルダーに「大馬鹿」と面と向かって言った? ハルダーは無能だったのか有能だったのか

 『Wavell's Command: The Crucible of War Book 1』を読んでいたら、ロンメルがハルダー参謀総長に対して「大馬鹿(bloody fool)」と言った(ことがあった)という話が出てきました。





Bundesarchiv Bild 146-2000-003-06A, Franz Halder

 ↑ハルダー参謀総長(Wikipediaから)


 二人目の人物は、ハルダーである。大組織の中で出世した他の多くの理論家もそうであったように、彼は自分の教義に基づいた方法以外で成功を収めた者には、必ずと言っていいほど激怒の感情をあらわにしていた。それが、自分のことを向こう見ずにも「大馬鹿」と言った男によって達成されたという事実は、彼の悔しさをいっそう昂ぶらせた。
『Wavell's Command: The Crucible of War Book 1』5676



 検索してみるといくらかの本(洋書)にこの「大馬鹿」の発言のことは書かれていましたが、あまり詳しいものではありませんでした。一応出てきた範囲ではこういうことらしいです。

 ロンメルはハルダーに面と向かって「大馬鹿」と言い、そして「事務室の椅子に座っている以外、戦争でいったい何をしたのか?」と聞いた。



 いつ、どういう文脈で言ったかというようなことは全然分かりませんでした(洋書側の文脈からすると、ロンメルの第一次攻勢でトブルク攻略に失敗する時期よりは前のことでありそうな気はしますが、もちろん確定的なものにはなり得ないでしょう)。

<2021/06/15追記>

 『Tobruk 1941 - Rommel's opening move』P52に、「ロンメルが【恐らくトブルクへの攻撃を行っていた4月末より前に】最後にベルリンを訪れた際に大馬鹿と呼んだ」という記述があるのを見つけました。

<追記ここまで>


 検索に引っかかった洋書にはデズモンド・ヤングの『Rommel』もあり、これは和訳されていますからそっちを見てみると、確かに書かれていました。つまりこの件は私は以前に読んだことがあったわけですが、印象に残ってませんでした。まあ、そんなもんだと思います(^_^;。ちなみに和訳では、「事務室の椅子にふんぞり返っている以外、戦争でいったい何をしたかと詰問した」(和訳P104)というものになってました(ひええ)。






 ロンメルについて、比較的新しめに日本で出版された『ロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまで』(2009年、山崎雅弘)と『「砂漠の狐」ロンメル』(2019年、大木毅)では、シュトライヒ(詳しくはこちら)、ハルダー、カイテルなどがロンメルに対して非常に強い批判を行っていることが書かれています。





 私はシュトライヒ、ハルダー、カイテルらについてほぼ全く無知であったので(カイテルに関しては評判が良くないということはうっすらと知ってましたが、しかしカイテルは悪くない、という記述も見たことがありました)、この3人などからのロンメル批判を読んだ際には「そうかー……。私は一応ロンメルファンっぽい感ではあるけども、それらの批判も真摯に受け止めなきゃならないんだろうなぁ」というような感じに思っていました。

 ところが、少し前にイギリス軍のウェーヴェル将軍について調べていた時に、1939年にカイテルがウェーヴェルをベタ褒めした文を書いているということが、さもウェーヴェルを褒めるかのように書かれている(例えば、『Wavell in the Middle East, 1939–1941: A Study in Generalship』P37)のが気になりました。私はこう思ったわけです。

 「カイテル将軍がウェーヴェル将軍を褒めている、ということが、ウェーヴェル将軍を称揚することになるかなぁ?」

 というのは、カイテルは事務屋として、あるいは忠誠の点では悪くないだろうと思われるのですが、指揮官としての評価は無に等しいだろうと思われるからです。言わば、無能、あるいは畑違いの人間から絶賛されたとして、それが有能の証明になるかどうかは怪しいのではないか? と(もちろん、有能な人物から絶賛された人物が、実は無能であったということもあり得ますけども。例えば、アメリカ軍で初期に複数の人物から絶賛されていたフリーデンドール将軍は、野戦において実はとんでもない無能な人物であったことが後に明らかになりました)。


 このパターンの逆として先日気になったのは、シュトライヒ将軍はロンメルを非常に批判したわけですが、じゃあ当のシュトライヒの人物像や能力はどうだったのだろう? という視点でした。それが先日書いてましたドイツ軍指揮官人物伝:ロンメルを批判し解任されたシュトライヒ将軍(第5軽師団長)について (2021/05/13)です。


 そこで今回の疑問です。ハルダーの人物像や、能力はどうだったのだろうか?

 手持ちの資料を調べたところ、ハルダーに関して項目のある洋書は数少なかったのですが、むしろ2冊の和書にハルダーの人物像に関する記述がありました。

 軍事理論面ではかたくななほど保守的であり、ヒトラーが後援していたグデーリアンらの機甲戦術理論や機甲師団の創設にも冷ややかな態度をとっていた。
 前線でのダイナミックな戦術指導を経験せず、実務畑ばかりを歩いてきたハルダーは当然のごとく、作戦立案をする際にもきわめて「お役所」的かつ実務的であった。
これが如実に表れたのが、当初の対フランス作戦計画だった。彼は、これを部下の複数の参謀将校に作成させたうえに「石橋を叩く」がごとき慎重さで集団的検討を加えた。こうまでしたら確実な作戦案になりそうだが、結局は個人の責任をあいまいにし、きわめて独創性に欠ける役所仕事の典型になってしまった。
『欧州戦史シリーズ Vol.2 西方電撃戦』P159

 ハルダーは、陸軍参謀総長に就任すると同時に、陸軍内におけるヒトラーに対する抵抗運動の中心となることを期待されたが、慎重に慎重を重ねたような性格だったため、抵抗運動に同情的ではあっても、陸軍内の抵抗運動のメンバーとは距離を置いて保身に努め、長く陸軍参謀総長の地位を保つことになる。
 敬虔なカトリック教徒であったハルダーは、宗教に否定的だったヒトラーとナチス政権の排除を心底願ってはいたものの、軍務に対しては勤勉・誠実をもって臨むことを信条とした。
 彼は、空軍に支援され、戦車を中心として構成された装甲師団を主体とした「電撃戦」の効果についてはきわめて懐疑的であり、こうした機械化戦をはじめとする革新的なアイデアを白眼視する傾向があった。
 【……】
 一方で、ハルダーは膨大な事務処理を速やかに行なう能力に長けた有能な軍人官僚であると同時に、作戦の大局的な見通しと、それに基づく全般的な作戦調整には優れた手腕を発揮した。
 ドイツが大戦初期に得た数々の勝利に、彼の行政管理の手腕が大きく貢献したことは事実である。
【……】
「彼は人と接するとき、たとえ自分より階級が下の者に対しても非常に慇懃で、病的なほどアカデミックな態度を示す。ときとしてそれは、冷たい微笑と相まって、あたかも傷つきやすい繊細な温室の植物のような印象を与える」
 彼はバイエルン人ではあったが、プロイセン・ドイツ参謀本部機構の所産を受け継ぎ、その厳格な階層組織と、すでに十分に実証された作戦計画を重んじ、革新的なアイデアや新しい軍事思想に対してはきわめて批判的に臨んだことから、無限に努力することはできても、決して天才ではない部類の人間といえる。
 そのため、ヒトラーが才能を見出して抜擢した軍人たち、すなわちロンメル(元帥)をはじめグデーリアン、マンシュタインのような第二次大戦の花形の将軍たちに対しては病的な嫌悪感を持ち、彼らの天才的な戦略・戦術に対しては拒絶反応を示した。

『欧州戦史シリーズ Vol.20 ドイツ陸軍全史』P148,9





 ハルダーが電撃戦(機動戦)的な戦い方に反感を持っており、またそれについていけない人物であったとしたならば、どちらかと言えばハルダー対ロンメルの構図はロンメルに分があり、ハルダーは単にやっかみでロンメルを批判していたに過ぎないということになりえるかもしれません。これは、どっちかというとロンメルを称揚したい私にとって、都合のいい見方でした(おい)。


 ただ、他の手持ちの資料も漁ってみていると、そう簡単ではない感じもしてきました。

 『ドイツ参謀本部興亡史』を見ていると、1940年の対フランス戦について、最初マンシュタイン案を一顧だにしていなかったハルダーは、ヒトラーの指令によりマンシュタイン案の採用が決まり、それに基づいて図上演習してみるとマンシュタイン案によって迅速な勝利が得られることになることに気付き、動揺したとあります((下)P237)。



 そしていざ実戦の際には、ヒトラーが動揺して停止命令を出した時に、「ここには何の危険もない」として、むしろハンマーと鉄床の構想が台無しにされてヒトラーに対して大激怒したとか((下)P241~4)。

 また、ハルダーは北アフリカ戦線に対して冷淡でしたが、それは対ソ戦が激戦にならざるを得ないと考えており、あらゆる投入可能な兵力を重点に注ぎ込むことが必要だと考えていたからでした。((下)P256)。


 『World War II in Europe: An Encyclopedia』のハルダーの項目にはこうありました。

 ハルダーの短く刈った髪とパンセネ【ばね仕掛けで鼻に固定する眼鏡で、つるがない】は彼を衒学的に見せていたが、実際には彼は才気煥発で一流の精神を持ち、参謀本部の頭脳であると広く認められていた。
 【……】
 ポーランド戦役とフランス戦役のための計画立案で彼は、ハインツ・グデーリアンやエーリヒ・フォン・マンシュタインらによって新たにもたらされた迅速な機動戦という新たな戦争のスタイルへの理解力と、精神的な敏捷性を見せつけた。
『World War II in Europe: An Encyclopedia』Volum.I P333




 他の本も見ていく中で、全体的には、ハルダーはもちろん自分では野戦で機動戦を指揮することはありませんでしたが、機動戦への理解はある程度、あるいは充分追いついていたように感じられました。むしろ、対ロンメルの敵愾心は、「大馬鹿」と言われたことにあったという可能性も?(ただし、このロンメルが「大馬鹿」と言ったという逸話の信憑性が怪しい可能性は全然あるかと思います)。


 シュトライヒ将軍のエントリで追記していましたが、ハルダーの派閥と、それに対するヒトラーの派閥の対立という側面もあります。ハルダーの派閥には下記のような人物がいるようで、これらの人物は参謀本部的な、冒険的でない(つまり機動戦によるショック戦を志向しない)戦い方をより好んでいたように思われます。

・ベック、ハルダー、シュトライヒ、パウルス、シュミット
(カイテルやヨードルは、反ロンメルということでは一致するものの、ハルダーの派閥というわけではない?)

 シュトライヒは第5軽師団長として北アフリカでロンメルの「冒険的な」戦い方に散々反抗しましたし、パウルスは若い頃からロンメルと反りが合わず、ロンメルを掣肘するためにハルダーによって北アフリカに送られました。

 一方、ガウゼなんかは、ハルダーによって送られてきた参謀的な人物かと思えますが、ロンメルに心酔してロンメルを助けることになりました。


 ロンメルは自身の派閥を持っていたわけではないと思いますが、ヒトラーに気に入られており、参謀本部の意向を無視してヒトラーがロンメルに無理無茶無謀を許すので、ハルダーらの参謀本部閥は、ヒトラーには反抗できないからロンメルにはずいぶん嫌がらせやイヤミを言ったということはありそうです(そういうことがあって、ロンメルはハルダーらを嫌っていた面もあったのでしょう)。

 ロンメルは北アフリカ戦線での自分の後任にグデーリアンを希望したという話がありますし、実際、他のドイツ軍の機動戦指揮官の中で、グデーリアンはロンメルとかなり近い、非常に冒険的な指揮官であったような感じがします。マンシュタインやホートなどはより、バランスの取れた機動戦指揮官だったんじゃないでしょうか。


 もしだとすると、ハルダーのロンメル批判というのは、内容的には的を射ているのだけども、しかしその背後の「反りが合わない」だとか「派閥争い」とかってことの方がでかかったのではないか……という気がしました。ロンメルの方でのハルダー批判も、まあどんなことでも批判はできますし(日本でも、なぜ天皇は戦場に行って戦わないのか、という批判がありましたし)、その批判自体はありうるとしても、むしろ志向や性格の違いとかと、派閥争い的な側面の結果ではないかという気がします。


 ハルダー、シュトライヒ、パウルスらと、ロンメル、あるいはグデーリアンを比べた場合、それぞれに果たすべき役割があり、傾向があり、それぞれが一番向いているところに配置されたならばそれが良かったように私には思えます。ロンメルは北アフリカ戦線に送られるよりも、グデーリアン麾下の装甲師団長として対ソ戦を戦った方が、ハルダーらの精神的な健康にとっても、ドイツの戦略的な状況においても、より良かったのではないでしょうか。それこそ、シュトライヒがロンメルの立場になったのならば良かったのかも。

 一方でパウルスは、ロンメルが馬鹿にしていた参謀本部的な人物が野戦指揮官になったらこうなる、という破滅的な状況をもたらしてしまったことが非常に不幸であったと思えます。パウルスはずっと参謀本部で、後方の立案と調整をやっていれば、自分の能力を最大限に活かして、あのような不幸なことにもならずに済んだでしょうに……。


 あと今回本を色々読んでいて、ヒトラー暗殺計画を首謀したシュタウフェンベルクが参謀本部の一番若手で、将来の参謀総長を嘱望された人物であったということを初めて認識しました(彼はまた、グナイゼナウの子孫でもあるそうで)。シュタウフェンベルクが処刑されて転生して、気付いたら戦前のハルダー参謀総長になっていたとしたら、ヒトラーはめでたく暗殺されてドイツと世界にとって良い方向に歴史が進むかも……(今回色々資料を漁っている中で、洋書で「ロンメルが早死にしていて、北アフリカ戦をグデーリアンが指揮していたら」というIF本があってびっくりしました(^_^;)。



OCS『Guderian's Blitzkrieg II』+『Case Blue』VASSALモジュール上のセットアップ情報の方がより正しいとのこと

 OCS『Guderian's Blitzkrieg II』+『Case Blue』のVASSALモジュールを使用して火星作戦シナリオなどをプレイしようとしているのですが、VASSAL上でのセットアップと、シナリオブックレットのセットアップとでいくらか齟齬があることが分かってきました(例えば、火星作戦シナリオのドイツ空軍のセットアップやデッドパイル)。

 そこで、OCSゲームのVASSALモジュール作成者のうちの一人であるHerman Wu氏にメールで問い合わせたところ、次のような返事でした。

 CB/GB2のセットアップを行ってからしばらく経っていますが、ブックレットとの相違は見落としではなく、意図的なものである可能性が高いです。
 CB/GB2のVassalセットアップを行っていたとき、私は最初から最後までの連続性チェックも行っていました。 その結果、150個近くの誤りや矛盾点を発見しました。 これらは、Chip Saltsman【OCSチームの副班長】がCB/GB2をアップデートする際に提出しました。これらのエラーのほとんどはVassalのセットアップで修正されていますが、ごく少数のものだけがエラッタに記載されています。 残りは単に既存のブックレットとの違いとして現れ、あなたの友人のような鋭い目を持った読者が気づくでしょう。
 特にドイツ空軍の航空機数は混乱していて、すべてを整理するために専用のExcelスプレッドシートを作成しなければならないほどでした。



 そういうわけで、VASSAL上のセットアップ数とブックレット上の数が違っていても、VASSAL上のものが間違っているというよりは、VASSAL上のものの方がより正しい数値であるという理解で良いのだと思われます。

 でもじゃあ、普通にゲームをする時のセットアップはどうすれば良いのかということにもなりそうですが、私が見た範囲では差異はそれほどまでに大きいものではなかったので、気にせず普通にプレイしても別に問題はないという気がします。どうしても気になる方は、VASSALモジュール上でとりあえずドイツ空軍ユニットの数だけをチェックする、というのはありかもしれません。


 尼崎会ではむしろ、VASSALでOCSをプレイするのがかなり便利で、そちらで半分以上プレイするような状態になってきているので、VASSAL上の方がより正しいのであればその方がありがたいという感じかもしれません。特に『Guderian's Blitzkrieg II』や『Case Blue』のようなモンスターゲームは、VASSALの方が良いかもです(ただし、VASSAL上でのプレイにはそれなりの習熟や約束事も必要で、そこらへんの集積をしていっている状態ではあります)。

OCS『DAK-II』の指揮官死傷チェックの改造ハウスルール案

 OCS『DAK-II』には、OCSゲームの中で唯一、指揮官がカウンター化、ルール化されて入っています。


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 「DAK Leader」というのは、ロンメルが戦死やヨーロッパへの移動などでいない時に使用されるもので、クリューヴェル、ネーリング、バイエルラインなどの人物を表しています。

 効能的には、(これも『DAK-II』にのみ入っている)カンプフグルッペと同様に1D6してカウンターに記されている数字以上の目が出ればスタックを「あたかも予備モードであったかのように」動かせる、というものプラス、アクションレーティングを使用する際に+1できるがそうした場合には死傷チェックを行わなければならない、というものです(ちなみに、アクションレーティング+1修正は「あらゆる局面でおこなえる」とわざわざ記されているので、損耗チェックの時にでも有効だと思われます)。

 死傷チェックは2D6で、以下の表に従います。

・2~3 戦死
・4   捕虜
・5   負傷
・6以上 無傷

 ロンメルはダイスに+1修正


 ところがこれ、死にます。私は初めてロンメルで死傷チェックした時に(+1修正があるのに)戦死しましたし、先日は富山のKさんも「ジョック」キャンベルで最初に死傷チェックして戦死の結果になってました。


 「戦死率がちょっと高すぎるのではないだろうか……?」とは思っていたのですが、最近イギリス軍の指揮官などについて調べていて、『DAK-II』のイギリス軍指揮官についてある程度以上自分の中で知識ができてくると、他にも違和感が出てきました。

 というのは、『DAK-II』で指揮官カウンターになっている人物のうち、史実で戦闘指揮中に戦死したのは1人しかおらず、一方で4人もの人物がこの戦役中に事故死(飛行機で単純に移動中に敵戦闘機によって撃墜されたものも含む)しているのです(ただし、うちバルボとポープの2人はオプションルールを採用した時にしかゲーム中に登場しません)。



 以下、それぞれの人物について北アフリカ戦役中の死傷などについて記してみますと……。

バルボ……1940年6月28日、爆撃機に乗っていて自軍飛行場に着陸しようとした時に自軍の高射砲に撃墜されて死亡。

マレッティ……1940年12月9日、コンパス作戦でイギリス軍に襲撃され、対戦車砲の射撃を指揮している最中に戦死。

ロンメル……負傷等はないが、病気の治療で北アフリカを離れたことがある。

クリューヴェル……1942年5月29日、ガザラの戦いの時に空中偵察中、偵察機を撃墜され、イギリス軍の捕虜になった。

ネーリング……チュニジア戦の時に上層部を批判したため異動させられた。

バイエルライン……チュニジアから撤退。

オコーナー……1941年4月6日、ロンメルの第一次攻勢の時に車で移動中、急進してきたドイツ軍部隊の捕虜となった。

「ストレイファー」ゴット……1942年8月7日、ガザラの戦いの後、第8軍司令官に就任するためにカイロに飛行中の乗機がドイツ軍戦闘機に撃墜されて死亡(一説によれば、地上に落ちた時には生きていたが地上で機体が爆発して死亡したとも、あるいは地上で閉じ込められてしまっていた他の乗員を救おうとしている時に戦闘機に機銃掃射されて死亡したともいう)。

「ジョック」キャンベル……クルセイダー作戦後、第7機甲師団長に就任してから3週間後の1942年2月26日、乗っていたジープがハルファヤ峠近くの断崖で横転して投げ出されて即死(運転手だった彼の副官は、救助を待つ間自殺を考えたとか……(; ;)ホロホロ)。

ヴィヴィアン・ポープ……1941年10月5日、クルセイダー作戦前に第30軍団長に任命され、会議に向かうために飛行機で離陸する際にトラブルで墜落して乗員全員が死亡。




 もちろん、カウンターになっていない指揮官で戦闘指揮中に戦死した人はいます(第15装甲師団長のプリトヴィッツなど)し、数を全部数えればある程度以上いるかもですが、有名な指揮官では捕虜になったという例の方が多い印象があります(オコーナーと一緒に捕虜になったニームや、第21装甲師団長のラーフェンシュタインなど。『ロンメル将軍』を著したデズモンド・ヤングも、旅団長の時に捕虜になりました)。

 また、『DAK-II』で負傷した場合は1D6ヶ月戦場を離れるのですが、これは長すぎる気がします。負傷で戦地を離れたり指揮を執れなくなっていた期間という例は、大きなものは知らないものの確かにあるかもなのですが、それは簡単な情報収集では全貌を掴みきれないかとも思われます(私が読んだ例では、コンパス作戦の時の第7機甲師団長であったクレイが、舌の膿傷で入院して1~2週間程度戦場にいなかったという話がありました)。

 また、捕虜となった場合プレイヤーが自由に条件を交渉してよい、とルールではなっているのですが、実際には北アフリカ戦役中に戻って来られた指揮官は(カウンターになっている範囲内では)いません。ただ、史実でいくらか交渉がされていたことはあったようです。また、ランダムイベントで捕虜となっていた指揮官が脱走する可能性がありますが、これも北アフリカ戦役中の例を私は(まだ)知りません。ただし、北アフリカ戦役が終わってから、イタリアが枢軸国から脱落する時に脱走して戻ったというのはあります(オコーナーなど)。




 これらを総合的に考えると、現状の死傷チェックルールは、史実からの解離度が高い感じが個人的にします。

 そこで、とりあえずの改造ハウスルールを考えてみました。


3.10d 指揮官の負傷:改造ハウスルール

 アクションレーティングの+1修正を使用するたび、2D6して2が出た時のみ、通常の死傷ルールへと移行して再度2D6を振る(ロンメルの+1修正は、最初のチェック時には使用せず、2度目に使用される)。

 負傷は1D6ターン分、戦場から離れる(月ではなく)。

 捕虜に関して交渉はできず、プレイに戻すことはできない。

 事故死を再現するため、ランダムイベントで「まれなイベント」が発生した時、そこからの通常のイベントチェックに追加して、事故死チェックを行う。11~66のダイスを振って55~66の目が出た場合、現在マップ上にいるいずれかの指揮官1人が事故死する。ダイスでランダムに1人を選ぶこと。



 事故死のルールは、キャンペーン全239ターンで、オプションを使用していなければ2人が事故死していることから、約120ターンにつき1人が事故死していると考えました。ランダムイベント表は最初のダイス振りで8/36の確率で「あまり一般的ではないイベント」に移行し、そこで6/36の確率でさらに「まれなイベント」へと移行します。「まれなイベント」になる確率は1/27です。ここで55~66の目が出る確率は8/36で、1/27×8/36は2/243、つまり1/121.5となります(もしオプションを使用してバルボやポープを登場させている場合は、好きなように確率を上下させて下さい:-p)。


 元々のルールのままでも、アクションレーティング+1修正の使用を宣言しなければ死傷チェックは起こらないわけですから、
「宣言さえしなければよいのだ(予備モードのようにして動ける可能性があるだけで充分だ)」という考え方もあるかもですが、それでは他のたくさんあるカンプフグルッペと機能的に変わりませんし、私は個人的には、これらの指揮官がばしばしアクションレーティングを+1させている場面を見られる方が血湧き肉躍っていいような気がします。また、もちろん事故死は元々はルール化されていませんから(ランダムイベントでロンメルが行方不明になったり、病気でアフリカを離れたりはしますが)、史実でより見られた「戦闘指揮中でない事故死」が再現されるのは、個人的にはシミュレーションとしてより良いのではないかと。

 あと、
損耗チェックで+1修正した場合でも戦死したり捕虜になったり負傷したりする可能性があるのは、元のルールでも改造ハウスルールでも同じなのですが、これはやっぱりおかしいですかね?(^_^;(おかしいと感じる場合は、プレイヤー全員の合意の上で、損耗チェックには+1修正できないということにすると良いかもです)



<2021/06/27追記><2021/07/12追記>

 上記の取り消し線を引いたルールでやってみたのですが、納得がいかなかったので改造ハウスルール第2弾を考えてみました。+その後、さらに改訂しました(ピンク字で書くことにします)。

 納得がいかなかった理由としては……。

1.コンパス作戦シナリオでは、史実ではマレッティは第1ターンに戦死するわけですが、ゲーム上では恐らくそのまま生き残って活躍し続けるでしょう。それはなんかおかしいと思われました。ただし、正確に死亡したターンに除去するとすると、敵軍プレイヤーが「あの指揮官は○○ターンに除去されるから、その次のターンに攻勢を発動しよう」となってしまうので、それも防ぐべきだと思われます。

2.富山のKさんと、最初の戦死チェックを1D6の1で通過するというさらなる改訂ルールでやってみたところ、Kさんが1、1、1の目を出されて早々にゴットが戦死してしまいました(T_T)  キャンペーンをプレイする場合を考えると、特に早期においては、最も合理的なのは「アクションレーティングをほぼ絶対に+1させず、死なせない」ことでしょう。ですから、史実で途中で戦死や事故死した指揮官も、キャンペーンの終盤まで一度も+1ARせずに生き残っているというプレイになるでしょう。一方で、キャンペーンが終盤に差し掛かると「もう死んでもいいから+1させまくろう」というプレイになるでしょう。これはおかしいような気がします(さらに言えば、短期シナリオでは、基本的に死んでもいいから+1させまくるでしょう)。

3.「+1させまくる」という頻度について、元のルールでは、「本当に大事な時にしか使用しない(なぜなら死傷するから)」というバランスになっているのだと思われました。だとすると、最初の改造ルールでは+1させられる割合が余りにも高すぎるように思われました。

 ここらへんから考えた、改造ハウスルール第2弾がこちら。

・指揮官は、史実での死亡時期に合わせて死亡し、負傷し、捕虜になる。史実で起こった日付を含むターンの3ターン前から、ターンの最後(後攻終了時)に、1D6して1の目が出たらその指揮官を除去する。除去されなかった場合、このチェックを除去されるまで繰り返す。

・アクションレーティングを+1できるのは、戦闘毎に2D6して、11か12が出た時のみ。これによる死傷チェックは行わない。損耗チェックに対してはアクションレーティングを+1できない。

<2021/12/02追記>

 最近『狐の足跡』等を読んでいて、「ロンメルが戦闘の際に部隊を奮起させたり戦術的にうまく立ち回った頻度は、他の凡百の指揮官よりはかなり高かったようだ」という印象を持ちました。↑の改造ルールではどの指揮官もARをプラスさせられる確率は同じなので、さらなる改造ルールを考えました。

・アクションレーティングを+1できるのは、戦闘毎に3D6して、すべてのダイス目がカウンターに記されている数字以上となった時のみ。これによる死傷チェックは行わない。損耗チェックに対してはアクションレーティングを+1できない。

 ただし、OCS『DAK-II』「ロンメルの第1次攻勢からのキャンペーン」3回目をハウスルール付きで開始しました (2021/10/21)でも書いていましたが、英連邦軍のゴットとキャンベル(とイタリア軍のマレッティ)の数値が「3」なのは、このアクションレーティングの件にしろ、リアクティブロールにおいてにしろ、史実に比べて評価が高すぎ、「5」がまあ適正ではないかと思います(「6」でもいいくらいで、「4」では高すぎるでしょう。一方、オコーナーはかなり能力が高かったので、3のままでいいと思います)。

 ゴットとキャンベルについては↓をご参照下さい。

北アフリカ戦で「生ける伝説」とまでみなされていたものの、その事故死によってヨーロッパ史を大きく変えたとも評されるイギリス軍の「ストレイファー」ゴット将軍について (2021/10/25)
「ジョック」キャンベル将軍と、ジョック・コラムについて (2021/10/22)

<追記ここまで>

・スタックしているユニットがいなくなった時には、通常どおりの死傷チェックを行う。元のルールの通り、この時ロンメルはダイスに+1修正。


 もしこの改造ハウスルールのままで良さそうであれば、今後史実での負傷時期などはここに集積していこうと思います。


 また、指揮官マーカーとKG(戦闘団)マーカーがスタックしていたユニットがすべて除去された場合の扱いですが、指揮官マーカーは「スタックしていたユニットがすべて除去された」だけでは何も起きず、指揮官マーカーだけが存在するヘクスに敵ユニットが入ってきた時点で死傷チェックをすることになっていました。このルールは改造ハウスルールにおいてもそのままで良いかと思います。

 一方、KG(戦闘団)マーカーは、「スタックしていたユニットがすべて除去された」時点で自動的に必ず除去されます。

 ここらへん考えると、指揮官マーカーとKGマーカーのスタックがすべて除去される可能性については気をつけておいた方が良さそうです。





 あと、元の指揮官のルールについての疑問点をやはり解消した方がいいだろうという話に富山のKさんと話していてなったので、FaceBookのOCSグループで質問してみました。ベテランプレイテスターのPerry Andrus氏とOCS副班長のサルツマン氏が回答して下さり、サルツマン氏はディーン・エスイグ氏に確認まで取ってくれました。結果として、こういうことだそうです。

・指揮官はどの自軍フェイズでも移動できる。補給フェイズでも、戦闘フェイズでも(指揮車や飛行機で移動しているものと考える)。自軍プレイヤーターン中のリアクションフェイズ(つまり敵のフェイズ)や、敵プレイヤーターンの移動フェイズ中等には移動できないことに注意。
・指揮官は損耗チェックに対してもアクションレーティングを+1できる。もちろんその場合、死傷チェックをしなければならない。


 ただし、リアクティブロールするためにはそのフェイズの開始時にスタックしていなければならないので、「あるフェイズにワープ移動して、すぐリアクティブロール」というようなことはできません。

 しかし(改造ハウスルールにおいても)戦闘フェイズ中に移動できるというのは重要で、指揮官は最も重要そうなヘクスに、あたかもワープするかのように移動できます。「戦闘毎に移動できたりして……」と思ったりもしましたが、さすがにそれはダメでしょうね(^_^;

次の火星作戦オンライン複数人対戦のために打ち合わせしました

 先週、OCS『Guderian's Blitzkrieg II』の火星作戦シナリオのオンライン複数人対戦を始めてみたのですが、分担等について色々曖昧であったのでうまくいかなかった面があり、そこらへんを打ち合わせしまして、再度最初からプレイするということにしました。


 まず、戦区分担の境界表示について。モジュール内のマーカーを色々試してみたところ、↓のようなものがあったのですが……。

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 画像の右半分の、境界線やヘクス、ヘクスサイドのものは、いったん配置すると動かせませんでした(境界線は、最初角度を調整してたりするうちは動かせるのですが、配置的な操作をしていったん配置してしまうと動かせなくなります)。

 戦区境界線はゲーム中に動かすこともありますし、これらのものは使用できないということになります。なので、「○」のマーカーを使って、やや分かりにくいながらそれで境界を示すことにしました。色が変えられるので、赤い○はソ連軍、青い○は枢軸軍の境界線を表すこととしました。

 ちなみに「V」とあるのは勝利得点ヘクスを表示するためのもので、動かせます。「X」も動かせ、「○」よりはるかに多くの色に変更できます。左端の白い長方形は「ラベル」で、文字を入れることができます。




 それから、その陣営の最高司令官の考えによって、前線の戦力と後方予備を分けます(今回のソ連軍は、ドイツ軍との戦線から3ヘクス以内は前線だとする。それ以外は後方予備で、総司令官との交渉を経なければならない)。

 戦区担当者と総司令官との交渉・コミュニケーションは、Discoed上の別のボイスチャット部屋に2人で移って、別々にやる(松浦方式でやっているので、作戦に関係することを全員の前で話していると、逆陣営に移った時に相手の作戦を知っていることになってしまうため)。

 テキストでの報告をする必要があるものは、LINEで連絡する(記録が残るので良い)。

 また、他の人が動かしたものを再度動かしてしまうことがないよう、自分が動かそうとする前に、「Moved」が付いていないかチェック。また、戦力確認やスタック内の整理などのために(移動させていないのに)「Moved」が付いてしまったユニットは、必ずすぐに「Moved」を外すということを徹底する(これは、自分が「このユニット動かしたっけ?」ということにならないようにするためにも役立ちます。ただし最終手段としては、「Movement Trail」で本当に動かしたかどうかはチェックできます)。

 ↑をするけども、口頭での確認もなるべくやっていく。前回は割と、どのユニットは誰の担当かというようなことは暗黙の了解的な感じで、黙々とコミュニケーションを取らずにやってしまっていた面がある程度あったのだけども、コミュニケーションをもっと密にする。


 まあまだ手探りなんですが、逐次改善していきたいと思います。


 次回のOCS『Guderian's Blitzkrieg II』火星作戦シナリオのプレイは、7月4日(日)の予定です。

OCS『DAK-II』7.3シディ・バラーニの戦い-練習シナリオ#2をオンライン対戦しました

 OCS『DAK-II』7.3シディ・バラーニの戦い-練習シナリオ#2をVASSALでオンライン対戦しました。


 参加者は富山のKさんとタエさんと私で、最初タエさんのマイクが不調であったので私が枢軸軍を担当し、新しいヘッドセットを買ってきて戻られてからはタエさんが引き継いで、Kさんは英連邦軍でプレイしました。

 このシナリオはわずか2ターンの練習シナリオで、まったく同じ状況からながら6ターン設定の7.1コンパス作戦-練習シナリオ#1はだいぶ昔にやったことがあった(OCS『DAK-II』コンパス作戦シナリオ (2016/08/22))のですが、それと全然違う展開で「やはり人のプレイを見るのは勉強になるなぁ」と思いました(尤も、後述するように勝利条件設定の問題もありますが(^_^;)。



 ↓第1ターン終了時。

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 英連邦軍の勝利条件は、赤い○すべてを占領することとなっています(右からシディ・バラーニ、ブクブク、ソルーム)。プラス、枢軸軍の歩兵師団3つを壊滅させること。逆に枢軸軍側はそれを阻止すれば勝利です。

 Kさんはブクブクを占領すると共に、ソルーム方面へ急進してソルームを攻撃(ソルームを取らないと勝てないので)。ソルームにいた枢軸軍部隊は4ステップロスを食らうも、かろうじて1ステップが残って踏みとどまりました。

 その前段階では、非常に興味深い事件も……。


 ↓第1ターン先攻連合軍プレイヤーターンのリアクションフェイズ中。

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 ソルームの西のカプッツォ砦のヘクスに侵入していたイギリス軍軽戦車ユニットに対し、予備モードになっていたイタリア軍軽戦車ユニット(たぶんL3軽戦車)がオーバーランを敢行。アクションレーティングの修正がすでに-4もありますが、イギリス軍側を率いていた「ジョック」キャンベル将軍のリーダー能力を発動してアクションレーティングを1上昇させ、実にー5修正でのオーバーランとなります。

 タエさんの振ったダイス目は10で、普通なら攻撃側奇襲となるところでしたが-5修正はキツく、逆奇襲5コラムシフトになってイタリア軍軽戦車ユニットは壊滅。しかし、キャンベル将軍が死傷チェックで3の目を出し、戦死してしまったのです!


 キャンベル将軍を戦死させたのであれば、このオーバーランはイタリア軍の大勝利と言ってよいのではないでしょうか(^_^; キャンベルは「ジョック」コラムの指揮などで活躍し、1年後のクルセイダー作戦ではシディ・レゼクを守備して奮闘し、イギリス軍人の最高の勲章であるヴィクトリア勲章を受章しました。そして第7機甲師団長になりましたが、その3週間後にハルファヤ峠近くの新設道を車で走行中に車が崖から落ち、投げ出されて即死したそうです(T_T)




 ↓第1ターン終了時。

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 後攻枢軸軍プレイヤーターンになり、タエさんは「ソルームさえ落ちなければ勝ちなのだ」と、ソルームに入れられるだけのユニットを入れまくります。ソルームに近接している英連邦軍のスタックは砲爆撃でDGにし、ジ・エンド。

 第2ターンが来てイニシアティブはKさんが取ったものの、「この状況では勝ち目なし」ということで投了されました。


 いやいや! この勝利条件はおかしいです! シナリオの第1ターンは1940年12月8日ターン(8~11日)、第2ターンは12月12日ターン(12~14日)なのですが、史実でソルームが陥落したのは12月16日、つまり第3ターン(15~18日)のことなのです。

 とはいえ、代わりになる勝利条件の設定もまた難しいのですが……(以前、OCSの、特に古いシナリオの勝利条件が色々問題があるなぁということで、代わりの勝利条件設定をやっていこうとワニミさんと考えたことがあったのですが、全然うまくできませんでした)。

 今後、このシナリオをやってみようという方は、とりあえずソルームは勝利条件から外した方がいいと思います。そうすると、シディ・バラーニとブクブクを占領し、かつイタリア軍歩兵師団3つを壊滅させるという勝利条件になりますが、それでも充分チャレンジングな勝利条件じゃないかと思われます(あるいは、あらゆるシナリオに適用できる解決方法としては、「長いキャンペーンの途中を戦っているかのようにしてプレイしつつ、勝ったような感じがする側が勝利者」というファジーな勝利条件を常に採用する、というのがありますバキッ!!☆/(x_x))。


 しかしまあ、それはそれとして、私は観戦していても面白かったですし、勉強になりました。特に、『DAK-II』では小道も移動力1/2という話は、今までの『DAK-II』のプレイでは私は移動力1でプレイしていたのではなかろうかと思われ……(おい)


 今度はまた2週間後に、同じ状況の6ターンシナリオである7.1 コンパス作戦-練習シナリオ#1をプレイしてみようということになっています。こちらの勝利条件は、ぱっと見た感じでは、うまく機能しそうな感じがしています。


OCS『Hungarian Rhapsody』デブレツェンの戦いシナリオ、第1~2ターンの枢軸軍の反省点

 尼崎会で、ワニミさんとOCS『Hungarian Rhapsody』デブレツェンの戦いシナリオの第1~2ターン先攻までプレイできました。

 ワニミさんがソ連軍、私が枢軸軍なのですが、ソ連軍ターンが終わるとワニミさんは帰られて、置きっぱなしの盤面で私が枢軸軍ターンを無限の時間を使って考えてました(^_^;


 しかしそれにもかかわらず、その次のソ連軍ターンが終わってみると反省点だらけであったので、今後のプレイのために反省点を挙げてみようと思います。



 ↓第1ターン終了時の西側の戦線。

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 ソ連軍側の勝利条件(の一部)となっているのが、黒い○の小都市です(左上がデブレツェン、中央がナジヴァーラド)。

 第1ターン後攻枢軸軍ターンに色々ムーブを考えていて私がとりあえず到達した考えは、「基本的に複数ユニットスタックで戦線を張ること」でした。1ユニットしか置かないでいる場合、攻撃側にとっては戦力比が確定できるので思考が非常に楽になります。しかし基本的に2ユニット以上で戦線を張れば、戦力比は不確定になり、ソ連軍側を恐れさせることができるのではないかと考えました。

 また、戦線の穴(空ヘクス)は基本的に作らない。穴があるとそこからいくらでも後方に侵入されて、小包囲環を作られてしまいます。小包囲されてしまって、戦闘なしに損耗でユニットを失うのが一番まずいことであるというのが今までの教訓です(その教訓を全然生かし切れていないのですが(T_T))


 ところが第2ターン先攻のソ連軍ターンになってみると、ソ連軍はデブレツェン南面の戦線には目もくれず、ナジヴァーラドの西側面にのみ戦力を集中し、DGになっていなくても構わずに大兵力で殴ってきて、結局ナジヴァーラドは半包囲されてしまうというていたらくになってしまいました(>_<)

 枢軸軍にとっての良い面を考えれば、「デブレツェンへの接近は尻込みさせた(のか?)」ということはあるかもです。でも、「枢軸軍は全戦線に平均的に部隊をばらまいた挙げ句、ソ連軍に戦力集中を許すだけ許してしまった」という見方も成り立ちそうです。

 実は、リアクションフェイズに1ユニットだけ、移動モードで1-5-12というユニットの予備モードを解放し、半分の6移動力で「殴られそうだがDGになっていないスタック」にスタックさせるという選択肢はあったのです。が、「DGになってないから殴られないのではないか。それに1Tがもったいない」という理由で何もせずにいたところ、ソ連軍はDGになっていないスタックを構わず全力で殴ってきて攻撃を成功させていたのでした。

 リアクションフェイズに動かしてスタックさせていれば、1戦力の上昇は大したことがないものの、ARを1上げられので、その部分はより枢軸軍側に有利に働いた可能性はあるかもです。

 ここらへんから得られる反省としては、「アクションレーティングの高いユニット複数を予備モードにして殴られそうな場所に届くようにしておき、ソ連軍の移動が確定してから、やばそうな所に送り込む」ということではないかと思いました(尤も、このことは割と基本的なことではあり、それでありながら、移動力が半分になるから遠くに置くのでは意味がないし、燃料は食うし、駆けつけたところでダイス目が良ければ吹き飛ばされるだけだし、予備モードのユニットを増やせば戦線は薄く短くなるしで、非常に配分が難しい……。しかも今回は、多くの枢軸軍の装甲師団ユニットがすでにDGにされていたため、予備モードにできなかったという事情もありました)。




 ↓東側の戦線。

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 枢軸軍にとってはこちらの方が難物でした。中央の黒い○のヘクスには戦闘ユニットを置いておかねばならず、右側の黒い○のスタックは第1ターンには動かせません。

 あーでもないこーでもないと、基本的に2ユニット以上の戦線を築きましたが、赤い矢印のようにして2ヶ所に穴を開けられ、赤い○の2スタックが小包囲されてしまいました。小包囲されるのをとにかく避けたかったのですが……(T_T)

 後知恵から考えれば、中央の黒い○は足止め部隊だけを置いて、全体的にもっと戦線を下げた方がよかったのかもしれません。右側の黒い○のスタックを十全に救おうとするのは、無理かもです(あ、今思いつきましたが、このスタック内の歩兵師団など一部を予備モードにしておけば、第2ターン先攻ソ連軍の移動フェイズ後に動けるので、助けられる可能性がかなり高まりますし、相手の拡張(突破)フェイズ中の包囲運動も阻止できる可能性が高まりますね。そうか……(>_<))。


 まあともかく、反省をして、それを活かしていきたいです。が、今後のムーブがまた、何をどうしたら良いかさっぱり分からないものであることが予想されております(^_^;



戦史の当事者は思い込み、過大評価、過小評価などの過失の連続だ、という歴史観が好みのようです

 ちょいちょいつまみ食いのようにして戦史関係の本を読んでいるのですが、ここ数日読んでいた2冊の本が「かなり私の好みだなぁ」と思われました。

 その2冊とは、『ドイツ参謀本部興亡史』(ヴァルター・ゲルリッツ 守屋純訳)と、『Tower of Skulls: A History of the Asia-Pacific War, Volume I: July 1937-May 1942』(Richard B. Frank)です。





 『ドイツ参謀本部興亡史』は1967年に書かれた本らしく、今では色々と批判されたりしているのかもしれません(全然知りません(^_^;)。

 第二次世界大戦の部分だけをつまみ読みしているのですが、ダンケルク前のヒトラーの停止命令の理由について「結論はただ、この状況下でヒトラーの理解力が現実の出来事についていけなかった、というほかない。」と書いており、それに対して「自分のハンマーと鉄床の構想がひっくり返しにされてしまったハルダーは大変な怒りようだった。こういう状況になるといつもヒトラーは、あらん限りの逃げ口上を使うのが常で、今度も「停止命令」の理由付けとして、フランドルには機甲部隊の障害になる河川がたくさんあるから、と言いだした。

 そして、

 ヒトラーは、5月24日の停止の決断を冷徹に優位をもって封じ込めておくことができないのに気づいたらしい。そのため将軍たちに、あらゆる理由付けを持ち出して、なるほどと思わせようとした。クライストの耳には、ヒトラーは「フランドルの湿地」に機甲部隊を投入したがらない、という話が嫌でも伝わっていた。ところがルントシュテットとゾーデンシュテルンには全然別のことが伝わった。すなわち、彼ヒトラーは英帝国を保全しておくべし、との考えでいるという。彼は名誉ある条件での和平を望んでいるのだ、と。これらの色々なヒトラーの意見は、ある程度まではシャルルヴィユにおける暗黒の日々のその場その場の言い繕いだった。同時に、ヒトラー式の無計画かつ無鉄砲な発想法の典型的な例であり、また希望的観測の表現でもあった。
『ドイツ参謀本部興亡史(下)』P244



 ここらへん、多くの本では、停止命令に関して「ヒトラーには(それなりの)合理的な理由付けがあったはず」という前提で推論していっていると思うのですが、この本では「ヒトラーは訳が分からなくなって停止命令を出してしまった。そして後でそのことの言い訳する必要に迫られて、様々な言い訳をひねり出した」という風な理解になっているのが面白いなと思いました。



 また、ヒトラーの対ソ戦についてもこのように書かれていました。

 ヒトラーの夢の中にはいつも、ボルシェヴィキ・ロシアとの大激突というイメージがあった。ここでヒトラーは参謀本部や軍上層部に対して、自分の夢をなるほどもっともなことだ、と思わせるために驚くべき新説を持ち出した。それによると、ソヴィエト・ロシアはイギリスがなお期待をかけている「ヨーロッパ大陸での剣だ」というのである。そして、もしソ連を迅速な戦闘によって打倒すること - これはヒトラーばかりでなく、当時のアメリカの参謀本部でも可能なことだと思っていた - ができれば、イギリスも和平に応ずることになろう、という。しかしヨードルが何度もヒトラーから聞かされたのは、いずれソ連は「冷血なゆすり屋」になるか、それともドイツを攻撃してくるだろう、という別の説だった。
『ドイツ参謀本部興亡史(下)』P251


 ここでも、対ソ戦には何か合理的な理由があったというよりは、ヒトラーはとにかく対ソ戦がやりたかった、そしてそのために色々と理由付けをその時その時で適当に?語っていた、というような見方かと思います。

 ここらへんのことは何度も何度も色々な人が議論していることでもあり、最新の学説ではこう……というようなこともあるのかもですが、個人的にはこういう、戦史の当事者は割と思い込みで行動しており、本人が語った(ことがある)理由付けは後付けの理由に過ぎない(ことが結構ある)、というような歴史観は私的には非常に好みであると思われました。そしてまたそういう理解の方がより正しいと私には思われます。

 こういう、「先に割と適当な判断があり、理由付けは脳がひねり出した後付けのものである」というのは脳生理学の世界では良く言われていることではあります(例えば、右目で見たことの指示には従えるがそのことを覚えられない人の右目に「大声で笑って下さい」というメモを見せると笑うが、「今なぜあなたは笑ったのですか?」と聞くと「あなたのさっきの表情が面白かったから」とか、適当な理由を付けて、当人もそれを疑わない、というような実験)。

 もちろんこれはケースバイケースで、あらゆる理由を検討した後の判断というのも全然ケースとしてはあると思いますが、当事者の性格や傾向、あるいはその時の状況からぱっと出てきた適当な判断に対して、後で理由付けされているケースも多々あると思います。それに対して、歴史本や戦史本は、それぞれの人間の判断は合理的なものであるはず、という前提の元で書かれすぎではないかという気が個人的にしています(ただし、個人的には、事実だけをただひたすら羅列してあるような本は苦痛なので、理由付けされまくっている本の方がそれよりは好みですが(おい))。
 ↑
 まあ、こんな風に、人間は理由付けが好きということで……?




 『Tower of Skulls: A History of the Asia-Pacific War, Volume I: July 1937-May 1942』は、2020年に出版された最新作で、太平洋戦争に関する三部作の第一作だそうです。評価は非常に高いようですが、詳しくは知りません(^_^;

 この本も私はフィリピン戦の部分だけをDeepL翻訳で読んでみたんですが、印象的だったのは、(後世から見れば)この時点でのこの考え方は思い違いであったとか、過大評価であったとか、過小評価であった、というようなことがびしばしと書かれていることでした。

 例えば、B-17をフィリピンに配備していたことによって日本を抑止できるはずだという当時のアメリカ軍当局の判断は、高高度爆撃では船に爆弾を当てることはできず、「誤った信仰」に過ぎなかった、とか。あるいは、米軍の潜水艦が当時活躍できなかった理由として、指揮官に水上艦や航空機に対する過剰な、あるいは病的なまでの恐怖心があったのだとか。

 あるいは陸上戦に関して言えば、マッカーサーが日本軍に対して、装備は貧弱だが大兵力のフィリピン兵で上陸を阻止できると思い込んでいたとか、補給物資の必要量の算定や、輸送に関しての思い違いなど。

 ここらへんも、後知恵でならばなんとでも言えるけども、歴史や戦史の当事者達は、その時点で色々な思い込みや過大評価や過小評価をしているものであり、戦史とは錯誤の連続である、というような歴史観を個人的に感じて、良いなぁと思いました(しかしそれこそが私の思い込みで……バキッ!!☆/(x_x))。


 あと、北部ルソン部隊の指揮官であった(後にバターン半島での防御戦の指揮官となる)ウェーンライト将軍が、「背が高く、非常に無骨な騎兵だったが、控えめなウェインライトは、指揮系統の上下を問わず、賞賛と信頼を集めた。彼はどこまでも勇敢だった。彼は戦術を得意としていたが、酒癖の悪さは上層部には好ましくなかった。」と書かれていたのが非常に面白かったです(^_^;


 また、この本は、例えばバターン半島へと退却していく米比軍と民間人の様子を具体的に描写していたりするシーンが(グロ注意で)あったりして、そこらへんも今までになかなか見たことがない描写で「うおおお……」と思いました(よりエピソード的な、悲しい事件や嬉しい事件が時々書かれている本としては、『The Times When Men Must Die: The Story of the Destruction of the Philippine Army During the Early Months of World War II in the Pacific, December 1941-May 1942』という本も非常にオススメです)。




 『The Times When Men Must Die』はKindle版が非常に安く読めますし、フィリピン軍が主題だと謳いながらも非常に各方面にバランス良く書かれているのでその点でも強く推薦します。

 『Tower of Skulls』は今回、DeepL翻訳で読んだのですが(読み方についてはこちらをどうぞ)、原文が意味が取りやすい英文であるのか、非常にいい感じで訳出されてきます(他の多くの本ではもうちょっと意味不明であることが多い印象です)。なので、英語は全然ダメでも、最新の(アメリカ側から見た)太平洋戦争の戦史本に触れてみたい、という方なら、Kindle版を入手してチャレンジされてみても良いのではないかと思いました(『The Times When Men Must Die』は当時DeepL翻訳を使わずに読んだので確定的なことは言えませんが、しかしそれほど読みにくい英文とは思わなかったような気がします)。


イギリス第6歩兵師団は枢軸国の情報機関を欺くために第70歩兵師団へと改称された(付:OCS『Reluctant Enemies』、『DAK-II』、『Burma II』)

  トブルクに、第9オーストラリア歩兵師団の代わりに入ったイギリス軍の歩兵師団(1個のはず)なんですが、第6歩兵師団とか第70歩兵師団だとかって情報があってよく分からなかったので、その師団について調べてみました(結論的には、第6歩兵師団が改称されて第70歩兵師団となったのでした)。


英語版Wikipedia「6th (United Kingdom) Division」
英語版Wikipedia「70th (United Kingdom) Division」



 第6歩兵師団は1939年11月3日にエジプトで、第7歩兵師団から再指定により編成されてオコーナー将軍の指揮に入ります。1940年6月17日(イタリア軍による英仏への戦線布告の7日後)に第6歩兵師団司令部は西方砂漠部隊(後のイギリス第8軍に繋がる組織)司令部となり、師団は事実上消滅。

 1941年2月17日、エジプトで再編成されます。同年6~7月のシリア・レバノンでのエクスポーター作戦(対ヴィシーフランス軍)に参加し、元々の第14歩兵旅団の他に第16歩兵旅団や第23歩兵旅団が合流しました(第23歩兵旅団も元々かも)。作戦が終わった後もシリアに留まります。


 ↓OCS『Reluctant Enemies』の第6歩兵師団司令部と麾下の旅団(旅団所属の部隊以外にも第6歩兵師団麾下のユニットがあると思われますが、省略)。

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 第6歩兵師団がトブルクに輸送されたのは9月19日から10月25日までの期間にで、その最中の10月10日に第70歩兵師団へと改称されました。これは、師団がいつ完全に再配置されるかについて枢軸国の情報機関を欺き、防衛に資するようにするためだったそうです。


 ↓OCS『DAK-II』の第70歩兵師団麾下の旅団ユニット(改称のためか、複数ユニットフォーメーションにまとめられていません)。

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 11月18日から12月4日にかけてのクルセイダー作戦では第70歩兵師団はトブルクからの攻勢を行い、最終的にトブルクが解放されます。その後第70歩兵師団はエジプトへと撤退して再装備を行いましたが、輸送手段が不足していたために移動に1月中旬までかかりました。1月末までに師団はシリアへと戻り、ダマスクスの周辺で宿営します。

 1942年2月15日にシンガポールが陥落したため、第70歩兵師団はインドへと送られ、機動予備となりました。

 当時、第15インド軍団司令官であったウィリアム・スリム将軍は回顧録の中で、第70歩兵師団は「私が出会った中で最高のイギリス軍部隊の一つであり、中東で得た見事な戦いで鍛えられた精神を持っていた。」と記しているそうです。

 1943年8月にオード・ウィンゲート将軍と会ったチャーチルとルーズベルトは彼のチンディット部隊に感銘を受け、チンディット部隊の拡大が命じられます。この拡大のために第70歩兵師団は解体され、チンディット部隊に移されることになりました。

 インド戦域軍司令官であったオーキンレックはこのような動きに強く反対して師団の存続を望み、その代わりに新しく到着した第81(西アフリカ)師団を使うことを提案しました。しかし10月25日に第70歩兵師団は解散され、すべての部隊がチンディット部隊に移されました。

 イギリスの公式戦史家であるスタンリー・カービーは、最高の訓練と経験を積んだイギリス軍の師団が、最終的に東南アジア司令部の歩兵の6分の1を吸収する特殊部隊を強化するために解体されたと書いています。彼はこの師団がそのままの形で残されていれば、イギリス第14軍を強化でき、1944年のインパールとコヒマの防衛はもっと容易であっただろうと考えました。歴史学者のF.W.ペリーは、「この部隊が達成した結果は、投入した資源に対する十分な見返りではなかったという結論を避けることは難しい」と書いています。さらに彼は、この特殊部隊は軽武装すぎるため、強力な拠点を占領することができず、仮に占領したとしても保持することができないから、チンディット部隊は「日本軍がかつて与えた以上の損害と混乱をイギリス軍にもたらした」と結論づけました。同様に、スリムは回顧録の中で、第70歩兵師団はジャングル戦の訓練を受けた唯一の英軍師団であったため、これを解体したのは間違いであり、経験豊富な通常の編成であれば、特殊部隊の一部として使用された時の2倍の効果があっただろうと論じているそうです。


 ↓OCS『Burma II』のチンディット部隊ユニットのイギリス軍部隊のみ(第14、16、23の名前があるのが元の第70歩兵師団? 「第3インド」とあるのはチンディット部隊全体に付けられていた師団名)。

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 OCSゲームにおいては第6や第70の歩兵師団としてのまとまりが非常に分かりにくい形で常に入っているのがなかなか悲しいものがありますね(^_^; しかしそういう意味でも、逆に興味深い師団であるとも言えるような気がします。


OCS『Case Blue』に登場するクロアチア軍ユニット

 『歴史群像』の最新号を読んだのですが、OCSまわりに関係のある話として「クロアチアの第二次大戦」が個人的に興味深かったです。





 クロアチアがファシスト政権で割と自分から枢軸同盟に参加したことや、イタリアと地理的に近いことからイタリアとの関係が深かったことなど、「そうなのか!」と思いました。

 クロアチアの第396増強歩兵連隊がスターリングラードで戦って……という話は『枢軸の絆』という本でもちらっとは書かれていたのですが、今回『歴史群像』の記事はより詳しく書かれており、興味深かったです。






 ↓OCS『Case Blue』に出てくる枢軸同盟国軍で、1ユニットだけのもの。

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 スロヴァキア軍などはある程度ユニット数があるのでここには入りません。

 『枢軸の絆』を見た感じ、エストニア、リトアニア軍のユニットにはついては良く分からず、ベルギー軍ユニットは「【後のSS突撃旅団】「ワロニエン」の母体となったのはドイツ国防軍内で編成された第373ワロン歩兵大隊で、大隊は「ブラウ」作戦に参加してコーカサスで戦った【……】」なのかなと思われました。



 ↓OCS『Case Blue』のクロアチア軍航空ユニット。

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 クロアチア軍第369増強歩兵連隊はドイツ第100軽歩兵師団の第3の連隊として編入された、ということで、セットアップ上同じところに置かれていたりします。


 ↓OCS『Case Blue』の天王星作戦シナリオのセットアップ(OCS『Case Blue』に登場する小国ユニットやマイナー部隊ユニット (2017/01/05)から)。

スクリーンショット_160405_113



 ↓OCS『Enemy at the Gates』の小土星作戦キャンペーンにおけるクロアチア軍ユニット(OCS『Enemy at the Gates』リトルサターンキャンペーン第4ターン先攻 (2016/09/20)から)。

スクリーンショット_160405_061



 この部隊は非常に頑強に戦ったらしいですし、OCS上では真っ白いユニットであるため、非常に目立つ感じがあります(^_^;



OCS『Burma II』練習シナリオ、Kさんvs.タエさん & 万歳攻撃は独立ユニットでも行えるのか?

 先日のOCS『Burma II』オンライン対戦で、富山のKさんと私が練習シナリオを対戦していましたが、割と早く終わったので、その後Kさんと観戦されていたタエさんが対戦されていました。

 私は観戦途中で抜けてしまったのですが、その後KさんからAAR(リプレイ)が送られてきていましたので、その報告を。

 で、また、その中で日本軍の万歳攻撃のルールについての疑問点が挙がっていたので、それをBGGやOCS副班長のサルツマン氏に聞いたりしましたので、その点についても。



 ↓Kさん(日本軍)とタエさん(連合軍)の推移(ターン終了時とかでない時のキャプチャが混ざってます)。

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プレイ中に出た疑問点について経過を交えながら少し。

最終ターン日本軍戦闘フェイズ戦闘セグメント開始時のマップで、

2.33の日本軍歩兵大隊は連合軍DGスタックにバンザイアタック可能?

タエさんは日本語ルールには「スタック」という記述があり、2ユニット以上3ユニット以下でないと不可ではないかとの意見でしたが、英文ルールには記述がないため、3ユニット以下なら可としてプレイしました。

結果的に奇襲に成功! 5コラムシフトもしかし本チャンの出目は振るわずAL1o1Do1。損害を与えられないまま除去です。

続く拡張フェイズ移動セグメントで1.33の予備スタック(歩兵大隊×5)が2.34へ前進、同じDGスタックを再度攻撃。奇襲3コラムシフト、Ae4DL1o2を達成!除去ユニットは3つで痛み分け…

と思いきや。後になって最終ターン終了時マップを見てみると、シナリオ終了時に一般補給が引けないユニットは除去扱いとなるため、退却するDGスタックが補給源に踏みとどまるにも1ユニット損失は免れないので、つまり連合軍4ユニット以上の除去となり日本軍勝利でした。

1ターンから3ターンまでは小雨しかもずっと航空作戦制限あり、4ターンは66の大雨、晴れたのは5ターンのみという見事な雨男っぷり。これだけハンデを頂きながらも異常な大苦戦でしたが終わり良ければ総て良し、実に素晴らしいOCS体験できました。次回もよろしくお願いします。





 日本軍の万歳攻撃のルールですが、以下のようになっています。

2.6b バンザイアタック  日本軍の同じ連隊に所属している3個以下の大隊ユニットがスタックしている状態で同じ攻撃に参加する場合、日本軍プレイヤーはバンザイアタックを宣言できます。この宣言は自発的なものですが、通常戦闘だけでなくオーバーランにも行えます。
 バンザイアタックを宣言した場合、その戦闘に参加する全ての日本軍ユニットを連合軍プレイヤーに見せ、攻撃の条件が整っているかを確認します。
 奇襲判定は通常通り行われますが、コラム修正は攻撃側、防御側のどちらが成功しても、ダイスロールの代わりに日本軍ユニットのアクションレーティングと同じ数を用います。
 バンザイアタックを宣言した戦闘で除去された日本軍ユニットは再建できないユニットとなり、全滅ユニットボックスに置かず、別のところに置いて区別します。



 この件についてBGG、およびOCS副班長のサルツマン氏に聞きましたところ、最終的に次の様な結論(裁定?)となりました。

unit9331.jpg


 万歳攻撃は、3ユニット、2ユニット、1ユニットのいずれかで行えます。2ユニット以上の場合には同じ連隊所属でなければなりません。1ユニットである場合には独立ユニットでも可能で、例えば2-5-3の「33 Eng 33」ユニットや「4 Eng」ユニットでも万歳攻撃を行えます。

 ただし、2-2-4の戦車大隊ユニットや、1-1-2の守備隊(Gar)ユニットは、万歳攻撃を行えません。つまり、歩兵の兵科マークを持ったユニットのみ(Engは工兵という意味だが、兵科マークは歩兵)が万歳攻撃を行えます(←これは筆頭プレイテスターのPerry Andrus氏はその判断は自分にはできない、という立場っぽく、OCS副班長のサルツマン氏が、とりあえずそのように裁定しよう、という感じであるようです)。

OCS『Hungarian Rhapsody』5.1デブレツェンの戦いシナリオの「プレイエリア外」のユニットはどう扱う?

 尼崎会で、OCS『Hungarian Rhapsody』の5.1デブレツェンの戦いシナリオを開始しようとしています。

 そこで、このシナリオの「プレイエリア(外)」のルールの扱いについて議論になりました。


unit9335.jpg

 赤い点線を重ねた小河川より南の領域はプレイエリアの外(out of play)と指定されています。が、第18戦車軍団、航空基地、NKVDユニット、SPなどが置かれています。

 第18戦車軍団については、インターディクションマーカーが置かれたBekescsabaのヘクスを通ってプレイエリア内に入らなければならない、と規定されています。以前初めてプレイした時のブログエントリには「航空阻止マーカーがあるので、どう計算しても、予備になっても、第1ターンのうちには入りきらないと思われ……(^_^;」と書いていたのですが、ワニミさんに「戦略移動モードになれば第1ターン中に入れる」と指摘されまして、その可能性に関してはまったく気付いてませんでした(>_<)

 しかしワニミさん曰く、「第1ターン中に入れ、とは規定されていないから、第2ターンに入るとかすれば良いのでは?」ということで、確かにそうかも……とも(戦略移動モードで入ると無防備になってしまいますから、第2ターンに入れば良いのであれば助かります)。

 航空基地とSPに関しては、これらを使用しないわけにはいかないので、プレイエリア外だとは言っても使用する方向で。

 NKVDユニットに関しては、私は「これらは形式的に置いてあるだけ」なんだろうと思っていたのですが、ワニミさんが画像にある黒いユニット(SS騎兵ユニット)に航空基地を踏まれないように配慮してNKVDユニットを置きつつ、一般補給のためにSPを払おうとしているのを聞いて、「うーん」となりました。

 SS騎兵ユニットはプレイエリア外の航空基地を踏みに行けるのか? プレイエリア外のNKVDユニットには通常の方法では一般補給は入れられないので、SPで一般補給を入れるべきなのか? そうしないならば損耗チェックをすべきなのか?



 BoardGameGeekを見に行ってみましたところ、そのものずばりの言及ではないですが、このページにデザイナーのStéphane Acquaviva氏の以下のような書き込みがありました。

 このシナリオでは、特別なエクステンダーは必要ありません。第2ウクライナ正面軍司令部があればそれでいいのです。NKVDユニットは、第1ターンにプリーエフ司令部から燃料を入れられて移動するでしょう。【……この間の記述でデザイナーがルールを勘違いしているのでカット……】 AradやTimisoaraの航空基地では、Aradの補給集積所を利用して航空ユニットを整備しなければなりません。Lugojの航空基地は、3個のソ連軍輸送トラックが増援として到着する10月19日までは、航空ユニットを整備することができません。44年10月のソ連軍の補給状況は非常に限られていました。


 この内容からすれば、NKVDユニットは燃料を入れられてプレイエリア内へ入っていくのが当然だと考えられているのでしょう(どこを通らねばならないという縛りはないということなんでしょう)。

 NKVDユニットを動かすのが当然だとすれば、SS騎兵ユニットがプレイエリア外に出て行けるってことはないんじゃないかと思います。また、別に規定されていない以上、第18戦車軍団も第2ターン以降にプレイエリア内に入れば良いのでしょう。

 また、NKVDユニットの一般補給と損耗に関しては、一般補給を入れる必要があり、損耗もするということで良いのではないかと思います。



 BGGでちゃんと聞けばよいという考えもあるかと思いますが、最近色々質問しまくっていたので、ちょっと控えめにしたい感がありまして……(^_^;(控えめは美徳……ではない?)

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! VASSALでのオンラインインストも大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

 ブログで書いた物のうち、

 OCS関係の記事は

「OCSの物置2」



 戦史物の記事は

「戦史物の物置」


 で、アクセスしやすいようにカテゴリ毎にまとめてありますのでそちらもどうぞ。

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