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OCS『The Blitzkrieg Legend』オランダ軍の第1ターン先攻の移動元地点を調査

 先日書いてました、OCS『The Blitzkrieg Legend』オランダ軍の第1ターン先攻の移動元地点に関してです。


 オランダ軍は、すべての国境線(中立政策を採っていたので、対ベルギー国境にも)に部隊を置いていたそうですが、軍が弱体で、領土の構成や地形的な問題、また連合軍の援軍も間に合わないとの推測から、中央部以外は守れないとして、ドイツ軍の侵攻が始まったらごく小規模な国境守備隊が河川防御で時間稼ぎにつとめ、特に南方の第3軍団(後述)はすぐに中央部へと撤退することになっていたそうです(『西方電撃戦 フランス侵攻 1940』P107,110、『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』P18,19)。実際に撤退命令が出されたのは、ペールライン(Peel Line)の一部が突破されたことを受けてで、移動開始は5月10日正午とされたそうです(『西方電撃戦 フランス侵攻 1940』P135)。『The Blitzkrieg Legend』の第1ターンは5月10日と11日ですから、第1ターン先攻の移動としては「アリ」な範囲かと。


 探した地図のうち『Atlas of the Blitzkrieg:1939-41』の中の3枚に開戦直後のオランダ軍の移動が描き込まれているのですが、最も詳しいMAP46をとりあえず参考にしました。オランダ軍部隊のうち、開戦直後に移動したと思われるユニットの動きが青い破線矢印で示されています。<2020/01/01追記>ほぼ同様の地図が『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』P53にありました。その点、このエントリの以下の部分の記述には誤認もあるといえます。ただ、第222歩兵師団の件は同地図では第227歩兵師団になっていました。<追記ここまで>

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 ただし、他の資料と付き合わせていると色々と怪しいところが。とりあえず最初に見つけたのが、画像では切れてしまって入ってませんが、一番北のドイツ軍の進撃路の赤線の元がこの地図では第222歩兵師団となっているのですが、他の資料を見ていると第227歩兵師団であるということ。

 それから、画像中央やや下あたりに第3歩兵師団がありますが、これは第3軍団の間違い、つまりXの数が一つ足りないと思われます(第3軍団の麾下に、第5歩兵師団と第6歩兵師団と、軽師団(Light Division)がありました。実際の第3歩兵師団はアムステルダム方面にいました)。

 また、第5歩兵師団から矢印が、5NL(オランダ第5歩兵師団のことでしょう)や6NLに延びており、その元位置の第5師団の南に第6師団がいます。が、他の資料、OSPREYの『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』や『西方電撃戦 フランス侵攻 1940』を見ていると、この第5、第6の元の位置の南北の関係は逆になっています。ただし、OSPREYの方も、『Fall Gelb 1940 (1): Panzer breakthrough in the West』P37の地図に第21装甲師団が存在していたり(!)、『西方電撃戦 フランス侵攻 1940』のP110の地図で第6歩兵師団とおぼしき部隊名が(恐らく当時のオランダ軍の師団規模の部隊は、第1~8歩兵師団とペール師団と軽師団の計10個と思われるのですが)第16歩兵師団と書かれていたり、第9師団が書かれていたり、第5歩兵師団の守備範囲が考えられないくらい分離して広大に書かれていたり、第7歩兵師団の位置が違うと思われたり、ううーん、何をどれだけ信じていいのか!(^_^;

 ↓第21装甲師団の件のツイート



 しかしともかくも、これらを元にだいたいの元位置を特定し、『The Blitzkrieg Legend』の第1ターン先攻(連合軍)で移動したとしたら、戦闘モードでいいのか、移動モードとなるのか、戦略移動モード(→移動+DGモード)となるべきなのか、調査してみました。

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 ブログに貼れないサイズの大きな画像をDropboxに置いておきます→unit9826.jpg


 北から、第4軍団所属の第5騎兵大隊(OCSでは5RH(第5王立軽騎兵大隊))、次にこれは矢印が描かれていませんが第4軍団所属の第1騎兵大隊(OCSでは1RH(第1王立騎兵大隊)ですが、兵科マークは自転車部隊)が、グレッベライン(Grebbe Line)の戦線にセットアップなので移動してきたものとみなして。そして第4軍団所属の第4騎兵大隊(OCSでは4RH(第4王立騎兵大隊)ですが、兵科マークは自転車部隊)。これらの部隊は、今回見た資料の中では『Atlas of the Blitzkrieg:1939-41』と『The Blitzkrieg Legend』にだけ見られるものでした。


 次に、第3軍団麾下の第5歩兵師団と第6歩兵師団。先ほどの南北の位置関係ですが、他の2つの資料が揃って南北逆だし、『The Blitzkrieg Legend』の初期配置も第6歩兵師団の方が北側にある(尤も、『Atlas of the Blitzkrieg:1939-41』でも移動後の位置ではやや北に第6歩兵師団がありますが……)ことを鑑みて、元々の位置でも第6歩兵師団の方が北にいたと考えることにしました。南にいたとすると、戦略移動モードでしか初期配置位置に行けないのですが、北にいたとすれば移動モードで到達できる位置にいます。ちなみに、ゲーム上ではこの両師団が移動モードで配置されれば、ドイツ軍はかなり楽になるかと……。


 それから、『Atlas of the Blitzkrieg:1939-41』の地図では南西方向に移動したように描かれているペール(Peel)師団なのですが、『The Blitzkrieg Legend』の初期配置ではその元の位置であるペールライン(Peel Line)上にいるように見えます。

 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』のペール師団

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 『The Blitzkrieg Legend』1.8項にこうあります。

 ユニット規模の箇所にオランダ語の“Vak【vakken】”(“地区”)の文字が入っている連合軍ユニットは、ペール(Peel)師団の一部です。【……】これらは独立ユニットとして扱うので、カウンターに所属師団の表記を入れないようにしてあります。


 昔々、MustAttack上でSatoさんには↓こう教えて頂きました。

1940年戦役の際のオランダ軍の防衛計画にペール=ラーム防衛線という防御地帯が設けられ、ペール師団はこれに配備されるべく特別に編成された臨時部隊でした。
この師団は通常の連隊編成をとらず、配備区域ごとの「セクター(vakken)」毎に部隊が編成されていたようです。
5つのセクター配備部隊と砲兵連隊(実際には分割されてセクターに分散配備)からなり、第3軍団に所属していました。


 他にいくらか資料を探して読んでもみたのですが、良く分からないのでこれ以上はパスで(^_^;



 最後に、軽師団(Light Division:Lichte Divisie)について。

 ↓『The Blitzkrieg Legend』の軽師団ユニット。

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 軽師団はオランダ軍が保有していた唯一の機動部隊(機動予備)で、ティルブルフ(Tilburg)からアイントホーフェン(Eindhoven)にかけてのエリアに当初配置され、どの方面にもすばやく駆けつけられるようにされており、ドイツ軍侵攻の時にはロッテルダムへと向かうことになっていたそうです(『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』P19。P33の戦闘序列によると、同師団は自転車連隊やオートバイ連隊、騎兵部隊などから構成されていました。)。

 Wikipeida「オランダにおける戦い (1940年)」では、日本語版でも英語版でも当初の配置はフフト(Vught)だとされていて、自転車でマース川とワール川の橋を渡ったと書かれています。

 『The Blitzkrieg Legend』ではこの軽師団はセットアップの最後に、ダイス目によって画像の黒い○のいずれかに配置されます。それらの地点は実際に同師団が最初にいた場所や、移動していった途中の地点なので、なかなか面白い処理だなぁと思いました。改造セットアップでは、とりあえずVughtを出発点として、東の4箇所なら戦闘モードで、西の2箇所なら移動+DGモードで置く、ということにすれば良さそうです。ゲーム上ではこの部隊がどこに置かれるかは非常に重要で、東の方に置かれるほどドイツ軍は苦労すると思います(「それなのになんで史実では撤退したねん」と、ワニミさんが良く言われております(^_^;)。

 が、非常に不思議なのが、この軽師団が徒歩部隊であるとレーティングされていることです。試しに、『フランス崩壊』(GDW/HJ)と(Bluebearさんから頂いた(T_T))『Victory in the West』(GMT)のユニットを見てみたのですが、どちらも軽師団は快速部隊扱いになっていました。


 ↓『フランス崩壊』。3-8のLtというのが軽師団でしょう。ペール師団のユニットも見えます。

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 ↓『Victory in the West』。軽師団は自転車部隊扱いになっています。

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 しかし、OCSのリサーチ担当者がこの軽師団を徒歩部隊としてユニット化したからにはそれなりの理由があるはずで、推測としては例えば「以前は軽師団は機動部隊であったとされていたが、最新の調査によればそうではない」とか、あるいは「セットアップで様々な地点に置くことにしたので、もう移動力は使い切っていて後は徒歩で移動なのである」とか……?


 今回の資料↓は以下のものでした。





 あと、1940年戦役においてオランダを「早期に」降伏させなければならない理由についての考察を過去のエントリに追記しましたので、興味のある方はそちらもご覧下さい(^^)

1940年の西方電撃戦で、なぜオランダを占領すべきだったのか?(付:OCS『Beyond the Rhine』) (2019/02/22)

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OCS『The Blitzkrieg Legend』3度目のキャンペーン、第2ターン先攻(ドイツ軍)終了

 昨日に続いて尼崎会で、ワニミさんとOCS『The Blitzkrieg Legend』のキャンペーンの続きをプレイしまして、第2ターン先攻(ドイツ軍)終了時まで行きました。



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 オランダでは想定外のダイス目の悪さに悩まされながらも、ロッテルダムの大都市2ヘクスを占領し、降伏チェックの条件もクリア。第2ターン終了時の降伏チェックのダイス目が良いことを期待します(確率は1/3程度かと……)。

 ベルギーでは、アニューの南北に移動+DGモードで戦線を張っていたフランス軍軽機械化師団やベルギー軍部隊(赤く囲った場所)を次々にオーバーランしていく方法で、90%程度削ることに成功しました。ひどいダイス目でドイツ軍装甲師団にも損害が出て、トータルでは結構史実通りのアニューの戦車戦の結果になったのではないかと思います。




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 アルデンヌ方面では、セダンに結構な規模の橋頭堡を構築し、北の方(ナミュールの南)でもミューズ川渡河に一箇所成功しました。本当はもう1、2箇所で渡河できればと企図していたものの、連合軍のリアクションフェイズの爆撃などに阻まれ……。



 明日は休息ということにしまして、一応1月1、4、5日に続きをプレイ予定です。

OCS『The Blitzkrieg Legend』3度目のキャンペーン、第1ターン後攻(ドイツ軍)終了

 尼崎会で、OCS『The Blitzkrieg Legend』の3度目のキャンペーンの第1ターン後攻(ドイツ軍)をプレイしました。


 今回、フランス軍とイギリス軍はディールプランによる第1ターン先攻の動きを反映して移動モードなどにしてあるわけですが、オランダ軍とベルギー軍は自国内で戦っていることもあり、全部戦闘モードでいいのだと思い込んでました。ところが、ワニミさんが購入された『Atlas of the Blitzkrieg: 1939-41』の地図を見ていると、両軍とも結構開戦初日で国境沿いの部隊を防衛線内に動かしているようで、とりあえず同書からすぐ分かる分に関しては動かして、移動モードや移動・DGモードにしておきました。




 ↓○で囲んだところが、今回処理したところです。また詳細はアップしようと思います。

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 ↓後攻終了時。

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 紫の線がドイツとの国境です(そこから進撃したということです)。

 第2ターンの先攻をドイツ軍が取ることは確定してますが、後攻連合軍で、第3ターンの先攻をもし連合軍が取ったら……ということも考えなければいけないので、次のムーブをどうするかが考えどころ……。




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 アルデンヌの森ではワニミさんが、色々ミスったと仰せでしたが、ダイス目は走っていたそうです。


 年末年始ですが、肉入り鍋さんが来られるかもしれないという1月1日、4日、5日はとりあえずプレイの予定でいようかと(来なくてもOKで)。12月30、31日もワニミさんと私はプレイできるのですが、体調など見ながら、当日に決める方向です。

OCS『The Blitzkrieg Legend』等で見るフランス軍戦闘機、M.S.406やD-520など

 先日、Amazonで「チェックした商品の関連商品」を見ていましたら、『第二次大戦世界の戦闘機―1939―1945』という本が出てきまして、「なか見!検索」を見てみたら面白そうだし、レビューの評価も高いし、中古で400円くらいと安かったので購入してみました。




 届いて早速、今プレイ中の『The Blitzkrieg Legend』にあわせてフランス軍戦闘機の項を読んでみてました。で、良い機会なので、手持ちの資料からフランス軍戦闘機について調べてみました。

 その中でも『第2次大戦事典②兵器・人名』の記述は、様々な種類のフランス軍戦闘機全体の見取り図として最も分かりやすく、流れるように理解できるものだったので、まずはそれから挙げてみます。


 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』のフランス軍戦闘機。『第2次大戦事典②兵器・人名』で名前が上がる順に並べました。
  「×」印が付いているのはサージ(増派)分です。フランス軍は第一次世界大戦型の長期消耗戦を予想していたので予備兵力の保持こそが重要であると考え、多くの航空部隊を後方に控置していたそう(コマンドマガジン127号P9から)で、それを表しているのではないかと思います。
 ちなみに同ゲームにおけるドイツ空軍のBf.109eは4-1で総計20ユニット、Bf.110は3-3で総計5ユニットが登場します。

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 ↓OCS『Reluctant Enemies』のヴィシーフランス軍の戦闘機。

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 2つの世界大戦の間のフランス空軍の歴史は不幸な出来事に満ちていた。航空兵力の役割りについての軍中央部の政策のぐらつきが、航空技術家の才能のひらめきをだいなしにしてしまい、矛盾した設計がやたらに生まれ、それに対して政府は1936年まで無関心であった。【……】事態はまったく絶望的で、1938年の「ミュンヘンの危機」に直面したフランス政府は、急拠アメリカにカーチス・ホーク戦闘機とダグラス DB-7軽爆撃機を大量に発注して、再軍備計画を推進しなければならなかった。

 【……】最も性能が悪かったのは最も古い設計の機体であり、【……】モラン・ソルニェMS406と呼ばれていた。MS406は単発単座の戦闘機で、いささか寸づまりの外形をしていた。この戦闘機の唯一の救いは、1939~40年にまとまった機数がそろえられるということだった。【……】Bf109に追いつくことができず、格闘性能にも劣り、貧弱な武装では敵にたいして損害を与えることができなかった。

 MS406よりも近代的なフランス戦闘機でさえ欠点があった。1940年当時、MS406の次に配備機数が多かったブロッシュMB152の初期の歴史と戦闘記録がそれを如実に示している。【……】開戦【1939年9月3日の対独宣戦布告】とともにMB152には無制限生産命令がでて量産は急ピッチで進められ、1940年5月までに593機が納入されたが、問題は依然として残り、実戦にはあまり活躍できなかった。フランス降伏後はMB152はルフトバッヘに押収されて練習機として使われた。

 フランス空軍に配備されていた3番目の戦闘機、ドボアチンD520の場合は、もっと悲惨であった。D520がフランス最高の戦闘機であることに疑問の余地はないが、本機も量産面の問題に悩まされ、1940年の戦闘にあやうく間に合わないところだった。本機が多数あれば、ルフトバッヘとの対決の帰趨はちがったものになっていたかもしれない。これほどの効果的な単発単座単葉戦闘機の配備がおくれたことは、フランスにとって不幸であった。【……】1940年の短期間の戦闘で、D520は損失85機に対して撃墜ドイツ機147機というスコアをあげ、実力のほどを示した。フランス降伏後、ドイツ空軍もビシー政府空軍もD520を引き続き使用したのも不思議ではない。

 航空兵力の役割りについてのフランスの優柔不断な態度や何が必要であるかについての混乱ぶりは、1939年当時フランス空軍に配備されていた双発戦闘機がポテーズ63シリーズのものだけだったということから十分にうかがえる。【……】エンジンをノームローン14M700馬力に代えた630の原型2号機はきわめて使いやすい機体となり、【ポテーズ】631と改称された。航続距離は1500キロ、武装はプロペラ軸内に20ミリ機関砲2門、プラス最大7丁の7.5ミリ機銃という強力なもので、フランス空軍の要求を十分にみたすものだった。本機の不幸は、その使いやすさが裏目にでて、戦闘機以外のさまざまな任務に改造されたことである。このため、1940年に631で装備された戦闘機隊もあったが、その威力はフルに発揮されずに終わった【……】。
『第2次大戦事典②兵器・人名』P190~2





 まずアメリカ製の「カーチス・ホーク戦闘機」についてなのですが、アメリカ軍としての正式名称?は「P-36A」、カーチス社としての商品名はモデル75と鷹を表す「ホーク」を掛け合わせた「カーチス ホーク75」であったそうで、フランス空軍では「H-75」と呼称されたとのこと。

Curtiss P-36 060908-F-1234P-009

また、ホーク75は各国に輸出され、実戦に使われた。フランス空軍ではH-75と称され、P-36Aと比較して武装が7.5mm機関銃×4と強化されている。第二次世界大戦開戦時、4つの戦闘機大隊が数十機を装備しており、操縦性能はともかくとして、耐久性はMS406よりもあったため、開戦により追加輸入を希望したが、降伏するまでの期間が短かったためそれほど数は多くなかった。にもかかわらず本機はBf109よりも低空での上昇力や旋回性能に優れ、これを装備した部隊はドイツ空軍機を相手に200機ほどを撃墜したとされる。フランス他、同盟国が降伏の際には輸送途中、あるいは連合軍勢力内にあったH-75の多くはイギリスに引き渡され、規格を英国仕様に改めた後に、カーチス モホーク(Mohawk)と命名されてイギリス空軍で使用された。
日本語版Wikipedia「P-36 (航空機)」






 続いてM.S.406について。『The Blitzkrieg Legend』では開戦時セットアップ時にフランス軍で最も数の多い戦闘機ですが、それでもドイツ空軍のBf.109eに較べるとわずかな数で、しかも空戦能力が1劣っているので、がっかりしながら配置せざるを得ないユニットです(^_^;

MS 406 C1

 開戦時、MS406は573機が仏空軍第一線部隊に配備されていて、すでに主力戦闘機の座についていたが、Bf109Eにはよほどのことがない限り歯がたたず、He111、Do17などの爆撃機を追跡するにもスピードが足りないという状況だった。実用化が遅れた上、試作型からほとんど進歩しないまま量産されたため、この頃にはすっかり旧式化していたのだ。
 MS406の数少ない強みは、運動性、特に旋回性能がBf109Eを大きく上回っていたことと、軸内発射のイスパノ・スイザHS404 20mm砲の威力が大きかったことだが、ドラム給弾方式のため60発しか搭載できないのが辛いところであった。
 【……】
 連合軍側で最も数の多かったMS406は、防空戦闘に加えて進撃して来るドイツ軍地上部隊攻撃に多用されたが、低性能な上に被弾に弱い液冷エンジンだったことが響いてフランス空軍単座戦闘機中最大の損失率を記録した。
『第二次大戦世界の戦闘機―1939―1945』P207,8


 「M.S.」は「Morane-Saulnier」で、同書では「モラーヌ・ソルニエ」と書かれています(『第2次大戦事典②兵器・人名』では「モラン・ソルニェ」でした)。『第二次世界大戦「戦闘機」列伝』では「モラン・ソルニエ」。

 あと、アニメ『終末のイゼッタ』で、主人公の国の主力戦闘機として出てきたそうです。





 Bloch 152に関しては、日本語版Wikipedia「MB.150」の中の説明が詳しくて面白い感じでした。

Bloch MB 152

1939年3月から空軍への引渡しが始まったが初期の生産型は尾部に構造上の欠陥があり、部隊配備はその改修後となった。生産時の混乱によりプロペラや照準器の装備が不十分なまま納入される機体があるなど、戦力化には程遠い状態が続いた。また部隊配備された機体も前述のエンジンの冷却不足による出力制限により低速度でしか運用できず、高空での操縦性が悪かったため乗員の評判はよくなかった。MB.152では20mm機関砲を装備して武装強化したものの、機関砲の故障が多く有効な働きができなかった。ただし、他のフランス戦闘機は20mm機関砲が0もしくは1門だったのに対し本機は2門あったため、これが故障せず正常に稼働していれば爆撃機の迎撃で強味を発揮していた[1]。

当時のフランスでは先進的な設計や優れたスペックを持ちながらも欠点の多い機体ではあったが、量産は続けられ、MB.151、MB.152あわせて650機程が生産された。このうち、1940年からのドイツ軍との戦闘では270機が失われ、フランス戦闘機の中で最も大きな損失となった。ただし、ドイツ機の撃墜数も152機(これとは別に約30機の未確認機がある)を数えており、当時は世界最強の一角であったドイツ空軍と渡り合えたことがうかがえる。停戦後は親ドイツのヴィシー政府において戦闘機として使用されたほか、ドイツ軍において練習機として用いられた機体もあった。



 あるいはこんな記述も。

 MB151やMB152は、運動性に優れたモランソルニエMS406に較べるとハイパワーのエンジンを搭載した、高速で重武装の重戦闘機だった。それでもエンジンのパワーは十分とはいえず、ドイツ空軍の主力戦闘機だったメッサーシュミットBf109Eに比べると速度が遅かった。また、航続距離が短いのも大きな欠点だった。
『フランス軍入門』P160


 「Bloch」は書籍だと「ブロッシュ」や「ブロッシェ」、「ブロック」、日本語版Wikipediaでは「ブロック(あるいはブロシュとも)」とありました。




 次に、フランス軍最優秀戦闘機D-520について。D-520は『The Blitzkrieg Legend』のセットアップには存在せず、ゆえにフランス空軍は空戦力3のみでドイツ空軍の大量の空戦力4に対抗しなければならないのですが、D-520がぽつりぽつりと増援でやってくるので、頼もしく見えます。尤も、衆寡敵せずですが:p

Dewoitine D.520

 エンジン出力は910馬力とそれほど強力ではないが、全体的にバランスがとれたフランス軍最良の戦闘機と言われている。MS406の後継機として期待されたが、本機もまた政治的混乱の影響を受け、開戦時に配備されたのは100機足らずにすぎなかった。
 外観はかなり洗練され、速度も530キロと当時の他の戦闘機と比較して遜色はない。実際、Bfl09との戦闘でも互角に戦い、戦果を挙げている。
 わずかひと月の戦いで、撃墜したドイツ機は100機を超えており、敗北の続くフランス空軍の中で、唯一輝きを放っている。本機が計画どおりに500機程度揃っていれば、フランスのあれほど悲惨な敗北はなかったと思われる。
 D520は頑丈で、急降下による応力に耐え、上空からドイツ軍爆撃機を奇襲する戦術が効果的であった。

 また他のフランス戦闘機と同様に
○ビシー政権下で生産され、イギリス軍と戦い
○ドイツ、ルーマニア、ブルガリア空軍で使用され
○フランスが解放されたあとは、連合軍の一翼を担いドイツと戦う
 という数奇な運命を辿っている。
『第二次世界大戦「戦闘機」列伝』P200,201


 1944年にフランスが解放された後にも戦ったという件ですが、OCS『Beyond the Rhine』にもフランス空軍ユニットは出てきてP-51などはユニットになっているものの、D-520はユニットにはなっていませんでした。多分、機数が少なかったからだと思われます。

 また、↓ここらへんも興味深いですね。

 またD520の多くのパイロットは、慣熟訓練もそこそこに実戦に放り込まれている。この点から本機は操縦がしやすく、戦いの道具としても使いやすい機体であったことが分かる。
『第二次世界大戦の「軍用機」がよくわかる本』P181


 「ドボアチン」の発音ですが、書籍ではみな「ドボアチン」でしたが、日本語版Wikipedia「D.520 (航空機)」では「デヴォアティーヌ」あるいは「ドボワチーヌ」と書かれていました。




 最後にポテーズ631について。

Potez 630 C3-GC 1 5

 ポテ630も631も、同じ双発多座戦闘機であるドイツ空軍のメッサーシュミットBf110(C-lで540km/h。高度6000m)に比べると速度が遅く、戦闘機として使うには性能不足だったため、重武装を生かして地上攻撃に使われることが多かった。
 【……】
 偵察、観測、軽爆撃、地上攻撃に使用可能な多用途機で、第二次大戦では大きな活躍を見せたが、損害もまた大きかった。
『フランス軍入門』P176


 OCS上での「2-1」という性能ではちょっとどうにもなりません(^_^; 爆撃力をちょい高めにしてもらうか、数が多ければまた別なのですが……。



 上から見たユニットイラストだと分かりづらいのですが、M.S.406やソ連のI-16なんかに似た寸詰まり体型で、それがBloch 152ではややましになり(それでも旧式っぽく感じるシルエットですが)、D-520だとかなり洗練された感じに見えますから、そこらへんでも移り変わりが感じられて面白いですね。


OCS『The Blitzkrieg Legend』3度目のキャンペーン、第1ターン後攻ドイツ軍移動フェイズの移動セグメント終了

 尼崎会で、OCS『The Blitzkrieg Legend』の3度目のキャンペーンの第1ターン後攻ドイツ軍移動フェイズ中の移動セグメントのみをプレイしました。

 前回のエントリはこちら↓

OCS『The Blitzkrieg Legend』セットアップ完了+ちょこっとだけプレイ (2019/12/15)


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 公式ハウスルールオプションを採用しているのでドイツ軍のダブルターンが確定しており、連合軍の反撃を気にせず戦略移動モードで移動しまくってます(^_^;

 オランダ方面では、アイントホーフェンの北東での第9装甲師団によるオーバーランの試みで同師団が半壊(!)してしまいましたが、うーん、なんとかなるか……。



 今回もアルデンヌの森の進撃を指揮するワニミさんは、「フランス軍がルクセンブルク方面から、ドイツ軍の進撃の根元を折ろうとしないかがとにかく心配だ……」と仰っておりました。史実で当時のフランス軍に骨の髄まで染みこんでいたという「防御的姿勢」や、国家間の政治的な問題からして、フランス国内でのドイツ軍の進撃に対して反撃することはあっても、ルクセンブルクやベルギー領内に向かっての大規模な逆攻勢的な動きはまずもってあり得ないとは思われるのですが、単純にそれらが「できない」というルールでもって縛ると、今度はドイツ軍側がアルデンヌの森の南側をがら空きにしてしまえるという問題が生じます。

 そこで今回思いついたのが、「フランス軍がフランス国外のヘクスに対して攻撃をおこなう場合、戦闘補給にかかるSPの量は2倍になる。」というルール案。これならば、フランス軍側も断固として攻勢をかけようと思えば実行することができ、ドイツ軍はアルデンヌの森の南翼をがら空きにすることはできないということになるのではないかと……。

 同様に、「オランダ軍がオランダ国外、ベルギー軍がベルギー国外のヘクスに対して攻撃をおこなう場合、戦闘補給にかかるSPの量は2倍になる。」というルールも付け加えると、より当時の政治的状況に近づき、ゲーム的行動を抑制できそうな気がします。イギリス軍にはこのような制限はなしで……。


イタリア軍のアルピーニ師団の内実:強兵か、山岳戦以外には役に立たないのか?(付:OCS『Case Blue』)

 『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』を以前、1/3くらいまで読んだのですが、改めて最初から読み直しはじめており、その過程で情報を集積しようと思われるところは和訳をしていってます。





 その中で、イタリア軍のアルピーニ師団の内実について書かれている文章がありまして、和訳をしてました。


 ↓OCS『Case Blue』のアルピーニ師団3つと、その軍団司令部ユニット

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 アクションレーティング4は、結構強いという評価です。移動力が戦闘モードで3、移動モードで5というのも、割と優秀な方です(OCSの歩兵ユニットの中には、4の6というような特別なものもまれにいますが、通常はこの3の5というのが一番優秀です)。



WWII Alpino Della Mora Gelindo in Full Dress Uniform circa 1940WW II Alpino Sergente Giovannucci Verino in Battle Uniform

 ↑アルピーニ兵の正装と戦闘服(Wikipediaから)

  1866年の対オーストリア戦の経験から、北イタリア国境での防衛警備を担う山岳戦のエキスパート集団の必要性が議論され、72年、山岳地帯出身者からなる15個中隊が創設された。これがのちに発展、拡大してアルプス山岳歩兵旅団となる。1939年当時は、後出するトリデンティーナ、ユーリア、クネエンセを含む5個師団を数えた。山岳兵(アルピーノ)は陸軍の花形であり、山岳帽につけた大ガラスの羽飾りは彼らの誇りの象徴といえる。
『ふたつの戦争を生きて』P231






 これまでのアルピーニ部隊関連のエントリ。

イタリア陸軍のアルピーニ師団と山岳歩兵師団の区別など (2017/04/07)
GJ69号:近藤さんのOCSスモレンスク記事&イタリア山岳軍団は50日間敢闘したのか? (2018/12/01)
イタリア軍のアルピーニ軍団は「3日間の激戦を粘り強くしのいだ後、遂に撤退命令を出した」?(付:OCS『GBII』『Case Blue』) (2019/08/07)

 ↑基本的には、「東部戦線でアルピーニ軍団は敢闘した、という話はどうも、そうでもないらしい」という話でした。



 アルピーニ師団の編制などについて、英語版Wikipedia「Alpini」から、まずは基本的な情報を。

 各アルピーニ師団は2個アルピーニ連隊(各3個大隊よりなる)、1個アルピーニ砲兵連隊(3個砲兵グループよりなる)、1個混成工兵大隊、1個輸送大隊および若干の補助部隊よりなっていた。各師団は、573名の将校、16,887名の下士官と兵卒で総計17,460名。また、各師団は約5000頭の騾馬と500両の様々な種類の車両が配属されていた。【……】1942年、トリデンティーナ、ジュリア、クネーンゼ師団は東部戦線へと送られた。ロシアでは、コーカサス山脈で戦うという予定に反して、ドン川沿いでの平原の戦線を維持するという任務を与えられた。この戦略的な誤決断の結果、山岳戦のために訓練され、武装されていたアルピーニ師団は、敵の戦車や自動車化部隊に対する武器や訓練もないまま、陣地を構築させられることになった。それにもかかわらず、アルピーニ軍団は1943年1月まで戦線を維持し続けたが、枢軸軍戦線の破局に伴い、前進するソ連軍部隊によって包囲された。だがアルピーニ部隊はこの包囲環をニコライエフカの戦いで突破し、枢軸軍の後退によって新たに作られた戦線に向かって退却した。トリデンティーナ師団は1/3のみ(15,000名の内4,250名)が、ジュリア師団は1/10のみ(15,000名の内1,200名)がこの退却行を生き延びた。クネーンゼ師団は全滅した。


 まず「ラバ5000頭」が、歩兵師団として多いか少ないか気になったのですが、例えば『Axis Cavalry in World War II』P6には「【ドイツ軍の】戦時中に創設された1939年型歩兵師団は、17,200名の兵員と5,375頭の馬より成っていた。」とあり、頭数としてはまあ普通ぐらいなんでしょうか? イタリア軍の通常の歩兵師団の馬の数が分からないですが……。

 「山岳戦専門部隊が平原で戦う……」というのは、この後のメインテーマになります。

 「それにもかかわらず、アルピーニ軍団は1943年1月まで戦線を維持し続けた」件に関しては、前掲エントリで、「そもそもアルピーニ軍団の戦線は1943年1月までソ連軍の攻撃を受けていなかったのだから、戦線を維持できていたのは当たり前で、こういう風な記述を彼らが敢闘していたようにとらえるのは事実誤認であろうと思われる」という風に書いてました。



 さて、『Sacrifice on the Steppe』の記述なのですが……。

 当時、イタリア国民の80%が農民だった。イタリア軍歩兵師団の兵士達の多くが文盲で、特にイタリア南部出身の兵士達がそうだった。アルピーニ軍団の緒部隊は、北イタリアのアルプスの谷かアブルッツィ地方の、小村、村、あるいは小さな町出身の者達から構成されていた。アルピーニ兵の多くが農民か、労働者だった。彼らは常日頃から重労働をしており、従順で、自己犠牲的であった。これらの山岳地帯の住民達は限られた初等教育しか受けておらず、ロシアがどこにあるのかを知っている者はほとんどまったくいなかった。想像してみて欲しい。ロシアに送られた兵士達の中には、列車を見たこともないとか、列車に乗ったことがないという者達もいたのである!
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』序文xi


 アルピーニ軍団は「ロシアの平原で戦うのに要求されるものとまったくの正反対」の部隊であった。アルピーニ軍団は山岳部隊で、険しい山岳地帯で戦うように訓練されており、「それを考慮して強力な、恐るべき部隊」となるように組み立てられていたのだ。2つの特徴、すなわち軍団の構成とその小さな戦闘部隊が、「彼らの士気と強さの基礎」を形成していた。
 アルピーニ兵達は山岳の民であり、それゆえの熱狂的献身と「武勇と栄光の伝統」を持っていた。彼らの忠誠が向けられていたのは、「彼らの級友、家族、いとこ、兄弟、それに彼らの愛する人が住んでいるその谷の男達で編成された大隊の名誉であった。団結心と誇りが部隊に結束を与え、彼らが優秀な兵士であるとの評価を得るのに寄与したのであった。」 その小さめな部隊構成は「彼ら自身の明確な教訓と戦術上の特徴、それに戦いの時に兵士達を結びつける大事な連帯感を強化する特別な伝統を持っていた。山岳地帯の戦いにおいては、個々の兵士は起伏の激しい厳しい環境でほとんど常に部隊を分けて戦うことになるから、常に小部隊で、その種の戦闘に適した装備を持ち、その種の戦闘に慣れた彼らは、山岳戦において卓越した地位を占めていたのだ……」
 アルピーニ軍団のそれぞれの師団は、自律的に、自分のことは自分でできるように組織されていた。全ての中隊にサルメリア部隊(荷物を背に載せて運ばせるためのラバ及びラバの調教師、それに若干の馬よりなる)が配備されていた。山岳地帯で戦うアルピーニ師団にとって必要不可欠なラバは明らかに、歩行速度は遅く、機動防御や攻勢機動にはまったく適していなかった。
 Carlo Vicentiniは運搬用のラバ部隊についてこう述べている。「アルピーニの各師団は、約5,000頭の運搬用ラバとその調教師(ラバを操る、あるいはラバに乗る要員とされることもある)に頼っていた。アルピーニ部隊が徒歩で移動する際にはラバ達が師団に必要なすべての物資の輸送を担い、武器弾薬、糧食、登山具、それに師団が戦闘し生きていくのに必要なあらゆるものを運んだのである。
 Vicentiniは記している。「山々には道路や小道の他に、ラバの獣道もあった。ラバの獣道は狭く、時にひどく急峻であったが、ラバが険しい地形で重い荷物を運ぶのに非常に適していた。」 ラバの調教師達は戦闘訓練を受けていたのか尋ねると、Vicentiniは言った。調教師達は武器は持っていたが、戦闘訓練は受けていなかった。とはいえ、ロシアでの戦役中、ラバの運搬部隊の兵士達が通常の戦闘部隊の横で戦ったことも数えきれないほどあった、と。
 ラバの調教師達の多くはイタリア南部カラブリア地方の出身であった。なぜならば、カラブリア地方における輸送手段のほとんどすべてが、徒歩とラバに依存していたからである。彼らカラブリア地方のラバ乗り達は、ラバの扱い方や世話の仕方によく通じていた。Vicentiniは、長い距離を、迅速に荷物を運ぶのにトラックが必要なロシアで、移動の遅いラバを頼りにするために送り込むことはまったく馬鹿げたことであったと強調した。彼はさらに「ラバは毎日餌を食べ、水を飲まなければならないが、トラックは走らせる時にだけしか燃料がいらないじゃないか」とも指摘した。
 イタリア軍の兵器のほとんどは第一次世界大戦時の遺物であった。アルピーニ部隊は対戦車兵器を持っていなかった。レヴェッリはその欠乏について述べている。「例によって、我々が使用可能な対戦車兵器といえば、1891年式のライフル銃【カルカノM1891のことか】と幾ばくかの手榴弾、それに自分達の脚力といったところであった。二日後には、私はもうロシア製の1942年式パラべラム【注によるとPPShのこと】を手に入れていた[恐らくロシア人捕虜から手に入れたのであろう]。これで自分の、単発でしか撃てないライフル銃の代わりに、72連射できる銃になった。」
 通信機は高山用に設計された軽くて持ち運びしやすいもので、ステップ地方のような長い距離での通信が必要になる場所には、およそ不適切な代物であった。しかも通信の質は、伝令兵を走らせた方が確実だということが頻繁にあった。
 この【1942年の】夏のヒトラーの新しい命令の影響は広範囲に及んでおり、その中には、アルピーニ軍団の将軍達に麾下の部隊の戦闘従事能力を見積もらせることも含まれていた。山岳戦以外の戦いにはまったく向いていないことをよく自覚していたアルピーニ兵達は、突然の任務変更【コーカサス山脈ではなく、ドン川流域の平原に行き先が変更されたこと】に失望し、混乱した。彼らは重火器を持っていなかった。持っている武器といえば、ライフル銃(自動小銃ではない)と軽砲くらいのものだった。彼らは、自動車化されたソ連軍の部隊に対して、自分達の限られた、ほとんど時代遅れの武器でどうやったら自分達を守ることができるか、想像もつかなかった。彼らは、一体どこのどいつが自分達を、文字通り必ずや壊滅に直面するであろうような場所に配置しようと思ったのかと、驚きあきれる他なかった。
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P28~30


 なるほど、山岳戦の専門部隊として、軽装備しか持たない(その方が良いでしょうから)彼らが、ロシアの平原で戦車などを相手にしなければならないとなれば、絶望しかなかった……と。

 そうするとアルピーニ師団のアクションレーティング4というのは、まあ『Case Blue』をプレイしていて彼らをコーカサス山脈の「山地(Mountain)」地形に置く場合にはそれでいいとも思えますが、例えば「荒地(Rough)」に置くならAR-1、それ以外の地形ならAR-2というのが妥当ではなかろうか……という気持ちも抱きます。

 『Case Blue』の天王星作戦と小土星作戦の時の枢軸同盟軍各ユニットのアクションレーティングは、個人的には「スターリングラードが包囲されているなら-1(実際そのことに枢軸同盟軍はものすごく動揺し、士気が下がっていたらしいです)」、「冬季ならば-1(これも非常に士気を下げ、また彼らは冬季装備も当然ながら欠乏していたとのこと)」とした方が良いのではないかと思っていて、そうすると小土星作戦の時やオストロゴジスク=ロッソシ作戦の時の平原に配置されたアルピーニ師団は、前記の件もあわせるとARが0(ゼロ)となってしまうのですが、それはさすがにやり過ぎか……うーん(^_^;


<2019年12月23日追記>

 『Sacrifice on the Steppe』をその後読んでいると、アルピーニ兵は寒さに慣れていた(そりゃそうだ)という話が出てきたので、冬季の-1はアルピーニ(山岳)師団には適用しないということで良いのかも。

 【……】アルピーニ部隊にはもう一つ、通常のイタリア軍歩兵部隊よりも有利なことがあった。アルプス地方からやって来ていた彼らは寒い気候に慣れており、それゆえこの東部戦線の気候を幾分か受け入れやすかった。多くが南イタリアの出身であった歩兵師団はしかも、来たるべきロシアの冬にまったく適さない装備しか持っていなかったのである。
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P39


 そうすると、枢軸同盟軍に対する冬季-1修正は、山岳部隊マークの付いているユニットには適用されないということで……。いやまて、それなら、スキー大隊であるモンテ・チェルビーノ山岳スキー大隊にも適用されるわけはないですね!?

 ↓OCS『Case Blue』のモンテ・チェルビーノ山岳スキー大隊

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 また、先発の『モンテ・チェルビーノ』山岳スキー大隊はドネツ戦で勇猛に戦い、赤軍から「白い悪魔」と呼ばれたのだった。
『イタリア軍入門』P236



 しかし逆に、スキー大隊って冬季以外にはアクションレーティング-2とかであるべきではという気も……?(^_^;

<追記ここまで>


 他に、アルピーニ軍団に関しては『ふたつの戦争を生きて』の中にこういう記述がありました。

 さて、山岳軍団の総司令官はガブリエーレ・ナッシ将軍、参謀長はジューリオ・マルティナト将軍である。トリデンティーナ師団はルイージ・レヴェルベリ将軍が率い、参謀長はアンブロジアーニ少佐。ユーリア師団はウンベルト・リカーニョ将軍が率い、参謀長としてモリナーリ大佐がついた。クネエンセ師団はエミーリオ・バッティスティ将軍が率い、参謀長はナヴォーネ中佐であった。総員5万7000。騾馬の数は豊富で、1万5000頭。自動車1万台【この数字は恐らくあり得ないと思われます】。クネエンセ師団単独では、総員は1万8500人を数えた(将校500、下士官・兵1万8000。ほかに騾馬と馬4000頭、自動車と自動二輪車500台)。
 兵器は西部戦線およびギリシア=アルバニア戦線のときと、大同小異であった。増強されたものとしては、47/32式砲、すなわちわが軍の3トン戦車に穴を開けるのがせいぜいといった例の大砲が数門と、20ミリ高射砲が少々(各師団に8門)といったところである。
 装備のほうも相変わらずであった。ロシアで、兵士は北アフリカで戦うのと同じ靴を履かされるのである。唯一の違いは、山岳兵の靴は底に鋲が打ち込まれていたということだけだ。41年から42年にかけての冬にCSIRが体験したことから、何ひとつ学ばなかったのである。かたやドイツ軍のほうは、ロシアの農民にならって、大量の《ヴァーレンキ》を生産していた。ヴァーレンキとはロシアの農民が履く冬靴のことで、縫い目の一切ない圧縮したフェルトでできており、素朴だがこの上なく重宝な履き物である。……
 ……後になってわかったことだが、そのまま事が進めば、イタリアの製造工場は時宜よく注文に応じられるだけの段階に達したはずであった。ところが、個人的な、あるいは派閥の利害がぶつかり合い、その結果、ああ言えばこう言うで恣意的に障害がつくりだされ、無益な論争があって、等々。そうこうするうちに冬となり、兵士たちは必要な履物を得ることなく終わったのである。驚くほどのことではないが(とは、オダッソ中佐の諦めの境地の結論である)。
『ふたつの戦争を生きて』P86~88


 最後の派閥の利害云々とかの件は、当時(に限らないのでしょうが)のイタリアでは汚職とかそういうことが非常に多く、日常茶飯事であったということが他のイタリア関係の本でも見てとれます(T_T)




また 「ラバ(Mule)」についてですが、OCSの最近の作品では輸送ユニットとして登場しています。

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 ↑『Sicily II』の英連邦軍、アメリカ軍、ドイツ軍、イタリア軍の輸送ラバユニット。

 『Tunisia II』と『Beyond the Rhine』にも出てきますが、持っているのはアメリカ軍だけ(他の作品にももしかして出てくる……?)。



 ラバについて良く知らなかったのですが、日本語版Wikipedia「ラバ」を見てみると……。

ラバ(騾馬、英語: Mule、ラテン語: Mulus)は、雄のロバと雌のウマの交雑種の家畜である。北米、アジア(特に中国)、メキシコに多く、スペインやアルゼンチンでも飼育されている。

逆の組み合わせ(雄のウマと雌のロバの配合)で生まれる家畜をケッテイ(駃騠、英語: Hinny)と呼ぶが、ケッテイと比べると、ラバは育てるのが容易であり、体格も大きいため、より広く飼育されてきた。

家畜として両親のどちらよりも優れた特徴があり、雑種強勢の代表例である。

特徴

体が丈夫で粗食に耐え、病気や害虫にも強く、足腰が強く脚力もあり、蹄が硬いため山道や悪路にも適す。睡眠も長く必要とせず、親の馬より学習能力が高く調教を行いやすい。とても経済的で頑健で利口な家畜である。

唯一の欠点として、「stubborn as a mule(ラバのように頑固)」という慣用句があるように、怪我をさせたり荒く扱う等で機嫌が悪くなると、全く動かなくなる頑固で強情な性格がロバから遺伝している。それ以外は、大人しく臆病で基本従順である。他では、馬よりは駆け足の速さが劣るぐらいである[1]。

鳴き声は馬ともロバとも異なるが、ややロバに似る。

ラバとケッテイは不妊である。不妊の理由として、ウマとロバの染色体数が異なるからだと考えられている。ただ、発情期はあり、理論上は妊娠可能である。胚移植したように自然に妊娠することも稀ではあるがある[2]。


 なるほど、頑固ならば調教師が非常に重要なわけですね~。

 遅さに関しては、Wikipediaでは「駆け足の速さが劣る」と書かれていて、歩く速度が遅いというわけでもなさそうな書き方ですが、OCSの輸送ラバユニットの移動力は6は通常の馬が引く荷馬車の輸送ワゴンユニットの移動力10よりも遅いです。これは、ラバが基本的には遅いということ(あるいはイメージ?)の反映なのでしょうか……。


 ともかくも、私の中でアルピーニ=強兵伝説がどんどん崩壊していきます(>_<)(山岳で戦わせたら強かったのだろうな……と思いきや、対フランス戦でアルプスで戦ったアルピーニ師団は装備などが不足していたこともあって大苦戦しているし……トホホ(T_T))

OCS『Tunisia II』キャンペーンソロプレイ第8~10ターン

 OCS『Tunisia II』のキャンペーンソロプレイを、ものすごく久しぶりにプレイしました(^_^;(ずっと別の事に時間を使っていたのですが、今日たまたま時間があったので……)


 前回のエントリは↓こちら。

OCS『Tunisia II』キャンペーンソロプレイ第6、7ターン (2019/08/18)


 第8、9ターンは泥濘でしたので、両軍とも移動できず。第10ターンは晴れて、枢軸軍が先攻で第10装甲師団がようやくチュニスに揃って予備となり、後攻連合軍ターン(の途中までプレイしたのが10月のことで、それ以来ずっと止まっていたのでした)。


 ↓第10ターン(1942年12月15日ターン)終了時。

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 前線が進んだのは矢印の部分のみでしたが、連合軍は前線に戦闘モードのユニットが揃ってもきたので、思い切って全面的に航空作戦をしてみました。ダイス目は割と良好で、枢軸軍の警戒空域をすべてひっぺがした上、結構なステップロスも与えました。地上攻勢は航空爆撃の成果次第かと思って赤い○の箇所にやってみたところ両方とも成功! しかしリアクションフェイズに(黒い矢印上側のスタックがヒップシュートされてDGにされた上に)先ほどの両方のヘクスに、予備となっていた第10装甲師団の強力なユニットが戦闘モードで駆けつけてきたため、そのままでの攻撃は苦しそうかと攻勢は見送りに……(SP的にもまだ若干心許ない感じでしたので……)。

 第10ターンが終わったので、次のターン(12月18日ターン)の天候のダイスを振ってみたところ、また泥濘でした(^_^;


OCS『The Blitzkrieg Legend』キャンペーンセットアップの尼崎会による改造バージョンpdfを公開

 以前から書いてました、OCS『The Blitzkrieg Legend』のキャンペーンセットアップの尼崎会による改造バージョンのpdfファイルを作成しました。


 Dropboxに置きましたので、↓からダウンロードできます。

tBL Campaign Set up Amagasaki Modified version 1.0.pdf

<2020/01/02追記>

 オランダ・ベルギー込み(+若干の修正)のバージョン2.0を、↓で公開しています。

OCS『The Blitzkrieg Legend』キャンペーンセットアップの尼崎会による改造バージョン2.0(オランダ・ベルギー込み)のpdfを公開 (2020/01/02)

<追記ここまで>



 ↓ページの例

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 MultiManPublishingのOCS公式ページに公開されている『The Blitzkrieg Legend』ルールのpdf版の、キャンペーンの7.1(オランダを除く)と7.2(オランダを含む)のページ(P30~37)に、改造セットアップの分の記述を赤い字で書き加えたものです。

 改造の骨子は、「『The Blitzkrieg Legend』は、第1ターンの先攻である連合軍がディールプランによってフランスからベルギーに移動し終わった時点の、第1ターンの後攻ドイツ軍ターンから始まることになっており、連合軍ユニットはすべて戦闘モードでセットアップできるのがゲーム上の指定である。だが、元いたフランス国内の地点からセットアップで指定された場所まで第1ターン先攻の間に、戦闘モードで行けるユニットもあるが、移動モードや戦略モードでないと行けないユニットもある(戦略モードででも行けないユニットもあるのはある)。それら、戦闘モードでは本来置けないはずのユニットは、移動モードであるべきユニットは移動モードに、戦略移動モードであるべきユニットは移動モード+DGモードで置くことにする。」というものです。

 「戦略移動モードであるべきユニットは戦略移動モードで置けばいいのでは?」という意見もあるかと思いますが、戦略移動モードは戦闘力ゼロ、アクションレーティングゼロですので、脆弱どころの騒ぎではなく、恐ろしいことになるのが予見できるので、移動+DGあたりが落としどころかな、とそうしてみました(戦略移動モードで置きたいという方は、「in Move+DG Mode」と指定されているユニット戦略移動モードで置いていただければ再現できます)。


 ↓実際にそれで置いてみた図

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 「開戦前に元いた位置」に関しては、↓のあたりで調べていました。
OCS『The Blitzkrieg Legend』:フランス軍の第2、第3軽機械化師団の第1ターン先攻の動きを推測 (2019/05/15)
OCS『The Blitzkrieg Legend』:イギリス海外派遣軍(BEF)の配置を調べてみる (2019/05/17)
OCS『The Blitzkrieg Legend』:フランス軍の第1ターン先攻の移動元地点を調査 (2019/06/02)
OCS『The Blitzkrieg Legend』:フランス軍の第1ターン先攻の移動元地点を調査(増補版) (2019/06/09)



 しかし単純にモードを指定しただけでなく、ちょっとややこしいやり方になっている(ならざるを得なかった)部分もありますので、そこらへんのことを一応解説しておきます(そうでないと、このデータに基づいてプレイしてみようとする方にとって「???」となってしまう面があると思いますので)。

■1~5 Cav Divに関して
 1~5 Cav Divは元々、指定のヘクスから3ヘクス以内に自由配置なのですが、開戦前にいた場所から移動力を数えると、戦闘モードで置ける位置と移動モードでないと置けない位置の両方が存在します。そのため、自由配置する際に「開戦前にいたヘクスから実際に移動力を数えてみて、戦闘モードで置けるなら戦闘モードで、移動モードでないと置けないなら移動モードで置いて下さい。」という意味で、「Set up as if they have moved from ~(~から移動してきたかのようにセットアップせよ)」としてあります。
 また、最も東にいた3 Cav Divと、そのすぐ西にいた2 Cav Divに関して調べてみると、開戦の5月10日の午前中に移動を開始したもののすぐにドイツ軍の歩兵師団とぶつかって撤退しているのですが、ゲーム上の指定のヘクスから3ヘクス以内に自由配置すると史実よりもはるかにドイツ軍にとってやっかいな場所にセットアップすることができてしまいます。しかし実際にはそれはできなかったはずだということで、3 Cav Divは1ヘクス以内自由配置、2 Cav Divは2ヘクス以内自由配置に変更してあります(それでおおよそ史実通りのいい感じになるっぽいです)。
 さらに。各Cav Divは1SPずつ持っていますが、それを運ぶ手段が必要だったはずなので、フランス軍の司令部に自由配置できる7つの輸送トラック(積載状態)のうち5つを抽出してそれらがその1SPを運んだことにし、そしてそれぞれのCav Divの最寄りの司令部に元の通り積載状態で配置してあります。

■分遣連隊に関して
 B29.27の第22歩兵師団がB32.25の分遣連隊を、B35.24の第18歩兵師団がB34.25の分遣連隊を出したものと解釈しています。

■アニュー周辺の部隊に関して
 2 M Divと3 M Divをアニュー周辺に3ヘクス以内自由配置としましたが、元々そこらへんにいたベルギー軍のB42.20とB44.22のユニットをどうするかが問題になりました。ので、それらも指定ヘクスから3ヘクス以内自由配置としました。
 また、同様にアニュー周辺への配置が指定されていたベルギー軍の2 Cav Divは、OSPREY本の地図などで調べてみるともっと北にいたかのように描かれているので、北の方に動かしてあります。

■ジャンブルー周辺の部隊に関して
 元々ジャンブルー周辺には2 M Divと3 M Divが置かれていましたが、改造案ではアニュー周辺に置くことにしたので、穴ができてしまいます。そこで、フランス軍第12自動車化歩兵師団がジャンブルー周辺に分遣連隊を出せるようにしました(「Brkdwns may be distributed within 3 hexes of B43.27(分遣連隊をB43.27の3ヘクス以内に配置して構いません)」)。



 また修正とか入れるかもしれませんので、一応「バージョン1.0」という感じにしてます(^_^;

OCS基本ルールへの尼崎会オリジナルハウスルール案4つ

 前回のエントリ(OCS『The Blitzkrieg Legend』セットアップ完了+ちょこっとだけプレイ (2019/12/15) )に書いてました、OCS基本ルールへの尼崎会オリジナルのハウスルール4つに関して。

<このエントリのハウスルール案の文言は、尼崎会開催時のプレイでさらなる修正が出てきた毎に書き換えていくことにしますので、ご了承下さい。最新の書き換えはピンク色の字で示します。現在の最新更新日は2020年6月21日です。>


 ハウスルール案は一時期から色々考えてはいたものの、使用してプレイというのはほとんどしていなかったのですが、入れてプレイしてみないとそのハウスルールの良し悪しも分からないよねということで今回、「これだけは入れてみよう」と思うものを使用してみることにしました。もちろん、頭の中で事前に色々シミュレートはしてみているのですが、使用してみて、ダメだったら微調整とか、あるいは廃棄とかってことも全然あり得ます。まあ、「こういう案を考えてみて使ってみます」報告的なものとして(^_^;

 ハウスルールを考える契機になったのは、自分達がOCSをプレイしていて「こうプレイした方が有効と思うのだけど、それって史実的にどうなの……?」と思える現象が出てくるからなのですが、そもそも自分達のOCSのプレイが下手で勘違いで間抜けだからそんなプレイをしてしまっている可能性が大いにあり得ます(T_T) ただ色々検討はしてみたものの、どうも分からない……。「そこはこうですよ」と教えて下さる方いましたら、大変ありがたいです!! そういう、一度自分達の浅学をおおやけにしてみるという意味でも、こういう書き込みはありかということで(爆)。


 尼崎会で問題と感じられていたのは、大きく次の3つでした。

1.砲兵問題
2.籠城問題
3.騎兵問題



 まずは「砲兵問題」について。OCSには砲兵ユニットが結構たくさん出てくるのですが、ある程度以上命中する砲爆撃を実行するにはまあまあのSP(4T=1SP程度)が必要で、航空爆撃の方がはるかに安く実行できるなどのこともあり、本当にどうしても必要な場所でしか砲兵砲爆撃を実行しない傾向になります(『Operations』の記事でも、「砲兵ユニットはたくさんあるが、砲撃するためのSPはない」と書かれていたりします)。結果として砲兵ユニットが大量に余る&遊兵と化しているのですが、防御のみの1戦力を有している&移動モードなら結構走れたりするので、「砲兵ユニット群を戦線を張るために活用する」とか「後方の守備兵力&ステップロス要員として活用する」というようなことが起こりました。

 その実例↓(OCS『The Blitzkrieg Legend』キャンペーン(2回目)第5ターン後攻ドイツ軍 (2019/01/10) )から

unit00401.jpg

 画像の中央よりやや左下のあたりで、ドイツ軍の砲兵ユニット4つが移動モードで戦線を張っています(爆)。


 この問題を解決するためには、「砲兵ユニットは防御の役には立たない」「砲兵砲爆撃のコストを安くする」ということが必要かと思われました。で、色々考えて出てきた暫定案がこちら。

■砲兵ユニットに関する変更
1.砲兵の戦力は戦闘モードでも移動モードでも(0)(防御のみのゼロ戦力)とし、戦闘にアクションレーティングは提供できず(砲兵しかいない状態で防御するならAR0として処理する)、ステップロス要員として使用できないものとする。密集度修正やスタック制限に対しては元のルールのまま処理する。砲兵ユニットしかいない状態でステップロスの結果を被ったか、あるいは必要なステップロス数を満たせるステップが砲兵以外にいない状態になったならば、そのヘクスにいたすべての砲兵ユニットを除去すること。戦闘補給は入れても入れなくてもよい(つまり基本ルールのまま)が、どちらでも能力に変わりは無いことに留意。ただ、戦闘補給を入れることによって、敵に奪われるかもしれないSPを事前に消費してしまうということはできる。

2.砲兵砲爆撃のダイスを(同時に3つ)振った時、目標ヘクスでステップロスが起こるかどうかのダイスの目が1~4の場合は1T、5と6の場合は通常通りのSPを支払う。この処理のため、SPの支払いは砲爆撃前ではなく、砲爆撃後とする。ただし、支払えるSPがない状態で砲爆撃することは禁止。

3.敵ZOCに自分から入ることはできない。ただし、砲兵以外の、ステップを有する自軍ユニットがすでにそのヘクスにいて、それ以上移動しないのであれば、そのヘクスには入ることができる。

4.対砲兵射撃(カウンターバッテリー)ルール
 攻撃側が砲兵砲撃を宣言(対象ヘクスと砲撃元ヘクスと砲撃力を宣言)したら、防御側が対砲兵射撃を宣言できる。防御側は、攻撃側の砲撃元ヘクス(複数ある場合そのいずれかでよい)に射程の届く自軍の砲兵ユニットの砲撃元ヘクス(複数可)とその砲撃力を宣言する(対象ヘクスへの射程は関係ない)。攻撃側の砲撃力から、防御側の砲撃力を引く。その値以下の任意の砲撃力で、攻撃側は砲撃を行える。普通の砲兵砲爆撃と同様、対砲兵射撃も1ターンに1回しかできない(対砲兵射撃を行った後の砲兵はその後に通常の砲撃を行えるし、通常の砲撃を行った後の砲兵はその後に対砲兵射撃を行える。


 1により戦闘にはほとんどまったく役に立たず、2により砲兵砲爆撃をやってみようと思う機会は増えるでしょうから、「他のユニットとスタックさせて砲兵を守りながら、砲兵砲爆撃をする可能性のある場所になるべく砲兵ユニットを置く」ということになるのではないかと……。他のユニットが除去されてしまって砲兵ユニットだけのところに敵が戦闘を仕掛けてきたら、拡張(Exploit:突破)の結果を得るための踏み台として使用されるかもしれません。ただ一応、本当に他の戦力が全然捻出できない時等には、(輸送ユニット等とは違い)極薄の壁にはなり得ます。

 2のルールは、単純にコストを半分にすれば良いのでしょうが、奇数の1Tとか3T消費のコラムをどうすんねんという問題があり(^_^;

 3のルールは、敵ユニットの退却路を塞ぐために砲兵ユニットが使用されるのは変だろうということで。観測のためだけに砲兵ユニットを接敵させることもできなくなります。敵が移動モードであったり、DGにすれば、それらもできるようになります。

 4のルールは、「砲兵の主たる仕事の一つは対砲兵射撃であるはずだ」というワニミさんのご意見の反映や、砲兵ユニットを各所にある程度まんべんなく置いておくことの重要性がこれで再現できるのではないか……? ということで。前回の改訂案では「師団ユニットと一緒にしか砲兵ユニットは置けない」「砲兵ユニットを1/3にして砲撃力を3倍にする」という案を考えていたのですが、それらはなしにして、この対砲兵射撃ルールでうまく機能するのではないかなぁ、と。



 2の「籠城問題」とは、「SPを大量に抱えて都市ヘクス(中障害や重障害)に籠もると、攻勢側にとって陥落させるのに必要な戦力とSPが膨大になり、しかもその間鉄道線が遮断されたりする」という問題で、史実で起こるのよりもはるかに頻繁に防御側が籠城を多用する傾向にありました。例えば、『GBII』でのルジェフや『tBL』でのリエージュなどは重要な鉄道の結節点で、ゲーム序盤からそこに防御側が用意して籠もると、実質上攻撃側はその後、「膨大な兵力とSPを使用して数ターンかけて陥落させる」か「いくらかの兵力を置いて包囲したまま通り過ぎる(そしてその後恐らくゲーム終了まで陥落しない)」かの二択になります。あるいは、村(軽障害)でも同じようにすれば数ターンは落ちないので、致命的な結果になったりします(『Enemy at the Gates』小土星作戦シナリオにおけるタチンスカヤや『The Blitzkrieg Legend』におけるユイなど)。特に、籠城で攻勢側が鉄道線や橋を使えなくなるのが大きく響きます。

 史実を考えると、レニングラードは完全包囲されていた時期もあると思いますが、補給が運ばれていた時期もあると思いますし、ツーラなんかは完全包囲ではないですし、スターリングラードは広さが全然違います。1940年のフランス戦について調べてみると、リエージュは他の部隊が撤退したのにあわせて当初いた大部隊もほとんどが撤退しており、残っていた小規模な要塞守備隊が戦闘を続けたものの最終的に5月19日に降伏しています。ところが前回の『The Blitzkrieg Legend』のプレイでは大部隊が残って籠城が起こったのでドイツ軍側はかなりのリソースを割いて攻撃を続けているのですが、それでも5月22・23日ターンになってもリエージュは陥落しておらず、ユイなども籠城を続けていました。


 ↓前回プレイの『The Blitzkrieg Legend』の5月22・23日ターンの様子。
  (OCS『The Blitzkrieg Legend』キャンペーン(2回目)第7ターンで投了 (2019/03/06) から

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 画像右端の緑色のユニットのいるのがリエージュ、その左下の完全包囲されているのがユイです。



 「騎兵問題」に関しては第二次世界大戦時、騎兵を敵後方へ送り込むというドクトリンを持って(持てて)いたのはソ連軍だけだった?(付:OCS『The Blitzkrieg Legend』) (2019/11/09)で書いていたので、そちらで。


 この2つの問題を一挙に解決する手段として、通常の補給フェイズにおける損耗に加えて、拡張(突破)フェイズ終了時に再度、マップ上のSPでは一般補給を入れられない孤立チェックをおこなう、という方向で。

■孤立チェック
・自軍拡張(突破)フェイズ終了時、一般補給が引けないユニットは(この際にマップ上のSPを消費して一般補給を入れることは不可)、スタックの中のユニット毎に1つダイスを振り、1D6>ARならば補給切れ、1D6>AR+2ならば除去される(複数ステップユニットはユニット単位でチェックされ、補給切れマーカーを置かれ、除去されることに注意)。

・司令部はAR0であるが、一緒にスタックしているユニットのARを使用してダイスを振って良い。空挺降下したターンの空挺部隊に対してはこのチェックはおこなわない。『The Blitzkrieg Legend』の要塞の戦力なども対象となる(要塞は一般補給を引く必要がないが、この孤立チェック時に通常のユニットと同様にして一般補給を引けるかどうかをチェックし、引けなかったならばダイスを振る)。孤立チェックで要塞に補給切れマーカーが載せられた場合、その後の補給フェイズでマップ上のSPを消費せずに一般補給が入れられたのでない限り、その補給切れマーカーを取り除くことはできない。

・ARに対する修正として、日本軍は+1、独裁国家の軍隊であるドイツ軍とソ連軍は+2。1940年のフランス軍とオランダ軍は-1。

 ARに対する修正は色々な案がありましたが、肉入り鍋さんに感想を聞いてみた結果、国籍による修正以外はすべてなしにすることにしました。

 さらに、鉄道線に関する問題に関してこれも追加。

■小規模エクステンダー
・輸送ユニット1ポイントからエクステンダーを形成できることとする。1ポイントのエクステンダーによって延長できる補給路は、通常のエクステンダーの1/5移動力分とする。つまり、1ワゴンなら徒歩の2移動力、2ワゴンなら徒歩の4移動力等。1トラックなら自動車化の4移動力、2トラックなら自動車化の8移動力等。ただしボーナスの+1ヘクスはなし。


 孤立チェックで、個々のユニットのARの低い軍隊は籠城や、騎兵を突っこませることが抑制されるのではないかと。ARの高い軍隊がARの高いユニットを突っこませるのは自己責任で(おい)。小規模エクステンダーも、籠城を抑制するのではないかと思います。ただ、孤立チェックは特に、実際にテストしてみないと、思わぬ問題を引き起こす可能性は結構あるかも……。




 それからもう一つ、これは「(大)問題」というほどでもないかとも思うのですが、OCSではRE(=Regimental Equivalent:連隊相当)単位の処理と、ユニット単位の処理の2つが混在していて、ややこしさと違和感を感じる……ということがありました。

 具体的にはOCSでは、輸送とスタック制限はRE単位で処理し、燃料はユニット単位で処理し、戦闘補給は基本的にはユニット単位処理なのですが複数ステップユニットのみはRE単位で処理します。ちなみに、1個中隊( | )が1/4RE、1個大隊(||)が1/2RE、1個連隊(|||)/旅団(×)が1RE、師団(××)の複数ステップユニットは兵科マークの左側の○の中の数字分のREです。その他の規模のユニット(例えばGrpと記される戦闘団や戦闘グループなど)はすべて1REだというのですが、そうすると『DAK-II』に入っている移動娼館小隊(●●●)も1RE……?:p(まあ、1/8REでしょうね(^_^;)


 ↓OCS『DAK-II』のイタリア軍の第10アルマタ移動娼館ユニット

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 この件で個人的に最も大きい違和感は、自動車化歩兵師団の燃料に関してです。例えば『The Blitzkrieg Legend』では、同じ自動車化歩兵師団がドイツ軍は複数ユニットフォーメーションで、フランス軍は複数ステップユニットで表されているのですが……。

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 燃料はユニット単位なので、ドイツ軍は1個自動車化歩兵師団を移動させるために4Tずつ必要ですが、フランス軍は1Tずつしかかかりません。つまり、ドイツ軍は画像の4個自動車化歩兵師団を移動させるのに16T(=4SP)必要ですが、フランス軍ならば同数動かすのに4T(=1SP)しかかからないわけです(フランス軍は7個持っているので、全部動かして7Tです)。

 一方、ワニミさんは「1ステップロス」が、基本的には1個連隊の損害だろうに、それが1個大隊になったりすることに違和感を感じると仰ってました(私は、耐久力を表していることで別にいいとは思っていました。ただしその耐久力分、戦闘補給や個々で入れる燃料代はかさみますが……)。

 で、これらを解決するハウスルールを考えました。

■RE至上主義
・燃料、戦闘補給も1REで1Tとする。「1ステップ」という用語は基本的に「1RE」と読み換える(例えば損耗判定の修正で「5ステップ以上」とあるのは、「5RE以上」だとみなす。ただし特別ルールなどで、ステップ数が指定されている場合などはそのままステップで数える方が適当である場合もある)。端数が出る時は四捨五入。

・自動車化タイプ(あるいは装軌タイプ)の複数ステップユニットに燃料を入れる際に1SPを払ったならば、その給油状態がクリーンアップフェイズまで継続することを明示するために給油済みマーカーを使用する。

・燃料を個別に(1SPで師団や独立ユニットに、ではなく)支払う場合は、最大で1スタック単位までが同時に支払えるものとする。つまり例えば、別のヘクスにいる2つの大隊(1/2RE)ユニットに対して、同時に燃料を払って1T……ということはできず、個別に払って1/2Tを四捨五入して1T、1/2Tを四捨五入して1T、合計2Tを支払うことになる。

・戦闘、砲爆撃、損耗などで1ステップロスならば1RE分ステップロスしなければならないが、例えば戦闘でAR値を提供したユニットが大隊規模以下であった場合、そのAR(DGなどの修正込み)≧1D6なら、そのユニット1個だけで1ステップロスとみなす。AR値を提供したのが中隊だった場合や、AL2やDL2の場合、2個目のステップロスだけでは必要分を充当できない場合もあり得るが、その2個目もダイスでのチェックを試みてもよい(それで失敗した場合、3個目のステップロスが発生することになる。それが嫌ならば、2個目には1REのユニットを選ぶのがよろしかろう)。砲爆撃や損耗でのステップロスを処理する場合は、「AR値を提供」ということは関係ないが、必要なRE分を満たすために上記の処理を用いてよい。

 「燃料は最大でもスタック単位まででしか支払えない」というのは、「6.1 陸上ユニットの移動方法 ユニットやスタックは1個ずつ移動します。【……】1個のユニットやスタックの移動を完了する前に、他のユニットを移動させることはできません。」ということに基づき、移動開始時に燃料を入れる処理が発生しているとみなしてです。プレイ中に「あれ、このユニットには燃料払ったっけ……?」ということが発生することを防ぐ意味も大きいです。燃料効率を考えると、大隊や中隊をばらばらのヘクスに置くことが躊躇されるかもしれないというマイナス要因もありますが……。

 このルールを入れれば、前記画像の自動車化歩兵師団はすべて移動に4Tかかることになります(ドイツ軍は3.5Tですが、四捨五入して4T)。

 また例えば、↓の第7装甲師団の場合……。

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 燃料は元々、バラバラに入れるならば8ユニットいるので8Tいるわけですが、

 大隊+大隊+大隊+大隊+連隊+連隊+大隊+連隊 = 5.5Tを四捨五入して6T

 戦闘の場合は、砲兵は攻撃に参加できませんから、7ユニットで7T必要なところ、

 大隊+大隊+大隊+大隊+連隊+連隊+大隊 = 4.5Tを四捨五入して5T

 となります。

 ステップロスに関しては、例えば第25装甲連隊第1大隊ユニットのAR4を提供して攻撃してAo1DL1となり、ステップロスを受けようとした場合、ダイスを1個振って4以下の目が出れば、この大隊ユニットだけの損害で済みますが、5以上の目が出た場合には、もう1個大隊以上をステップロスさせなければなりません。



<2020年6月21日追記>

 さらに、尼崎会ハウスルールとして2つの案を考えました。

 地形効果に関してなのですが、小都市(中障害)や大都市(重障害)、あるいは森林丘陵(中障害)の効果が強すぎる気がする、というのがありました。都市の地形効果が強い(かつ鉄道があったりする)ので、防御側はどうしてもSPを抱えて都市に籠もりがちになるのですが、史実でそんなに頻繁に都市での籠城は起こってないだろう、と。むしろ都市や丘(軽障害)なんかは頻繁に両軍が取った取られたを繰り返している印象さえあります。ただし、防御側が「この都市で籠城するぞ!」と断固たる決意で籠城したら、確かに落ちにくい印象はある。あるいはアルデンヌの森林丘陵なんかでも、史実で森林丘陵で防御側は防御したわけではなくて、あくまで道路上とか、村周辺で防御したのであって、わざわざ森林丘陵の中に防御側が入っていって防御したら、攻撃側はそれを無視していくだけでは? とか。シモニッチの何らかのゲームでは、占領してすぐの地形効果は使えない、というのがあるとかで、それを参考にして以下のルールを考えました(まだ練り切れてませんが)。

 基本的に地形効果は軽障害までしか存在しないものとする。ただし都市については、「要塞都市宣言チット」をゲームに用意し(ただしそれが起こりそうなゲーム、シナリオにのみ)、片方のプレイヤーがそれを持つ。そして特定の都市に「要塞都市宣言」をしたならば、その小都市と大都市の地形効果が使用できるようになる。しかも孤立チェックの時にAR+1扱い。宣言をしたならばそのチットを相手プレイヤーに渡し、その後相手プレイヤー側が宣言の権利を持つようになる。



 また、「そのルールはいらないのではないか(煩雑さが増す割に、必要性が感じられない)」というルールがいくつかあり、それを外してプレイできるようにするというルールの候補を考えました。以下が、その候補です。

5.7g 予備モードのユニットは移動セグメントの終了時に陣地ヘクスにいることはできません。
【ただしこのルールはオフィシャルでも、ハウスルールのHR-4で外すことができます】

10.1b 砲爆撃の補給
A)複数のユニットで行う砲爆撃に必要な補給ポイントはすべて、同じ司令部または同じ補給集積所(司令部を経由しない場合)から与えられなければなりません。

13.2f (輸送ユニットの)積載と荷降ろし
荷降ろしのための条件:輸送ユニットからの荷降ろしは、自軍戦闘ユニット、港湾、航空基地、あるいは積載されていない補給集積所が存在するヘクスでのみ可能です。
コスト:補給ポイントの量に関係なく、補給ポイントを積載、荷降ろしするためには、輸送ユニットに印刷されている移動力の10%を消費します。

専用トラックと砲兵ユニットは、オーバーランと戦闘後前進でスタックの他のユニットに追随できない。
【OCSv2とかでは追随できたそうなのですが、これができないために色々と考えなければならないことが増えるので、追随できた方がいいのではないかと。ただし、装甲師団などの突破力が増大する可能性はあります】



 でも、「このルールはこういうことの為に入っているんで、抜いたらやばいですよ」とかありましたら、ぜひ教えて頂ければ!

 この2案は、とりあえず書いてはおくものの、今後本当に使っていくかはまだちょっと未確定ですけども……。

<追記ここまで>







OCS『The Blitzkrieg Legend』セットアップ完了+ちょこっとだけプレイ

 尼崎会で、OCS『The Blitzkrieg Legend』のセットアップが完了しました。


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 セットアップは、OCS『The Blitzkrieg Legend』:フランス軍の第1ターン先攻の移動元地点を調査 (2019/06/02)で書いてましたように、ディールプランで第1ターン先攻に移動していた連合軍ユニットは、出発地点から数えて移動モードであるべきユニットは移動モードに、戦略移動モード(以上)であるべきユニットは移動+DGモードにして配置しています。その他にもちょこちょこいじってますが、詳細はまた書く予定です。




 基本ルールに対する公式オプション&ハウスルールは、OCSに慣れたら絶対入れるべきと思われる公式オプション&ハウスルール4つ+α(尼崎会2019年暫定版) (2019/12/11) に書いてました、↓の4つ。

21.2 ステップに比例した戦闘力
21.3 独立ユニット
21.8 空ヘクスへの攻撃
HR-10 最低限の燃料(12.5c)




 『The Blitzkrieg Legend』ゲームルールで使用する公式オプション&ヴァリアント&ハウスルールは、↓のもの。

3.3 戦略移動モードの制限
4.3 ドイツ軍作戦の制限解除
ハウスルールオプションの1~4すべて(1と4は通常ルールに格上げされていますが)
(2.6a フランス避難民オプションは使用するかどうかまだ検討していませんが)




 また、尼崎会における『The Blitzkrieg Legend』へのハウスルールとして、↓のものを採用してみました。

 連合国の国籍の異なるユニット(航空ユニットや輸送ユニットも含む)は、各フェイズ終了時にスタックしていてはいけない。もしスタックしていたら、スタックごと混乱する。退却でスタックしてしまった場合も同様。

というのは、例えばベルギー軍にはAR2のものが多く、イギリス軍にはAR3が多くて4も結構いるのですが、ひたすらベルギー軍とイギリス軍をスタックさせてAR値を底上げして戦線を組むことによってベルギー軍をARが高い状態で防御させられる、というテクニックがあり得、「それは当時の政治的軍事的制限からしてあり得ないだろう」と思われるので。尤も、3.2の最後にあるように「イギリス大陸派遣軍の大打撃/壊滅」を防ぐ方向には働きませんが。



 それから解釈問題ですが、森林丘陵(中障害:Very Close)に関して……。

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 バストーニュのヘクスには「森林(Close)」と「丘陵(Close)」地形が印刷されていますが、これを「森林丘陵(Very Close)」と見なすべきなのかどうかで議論となりました。とりあえず尼崎会としては、「森林丘陵」とは「森林と丘陵が重なっている地形(がヘクスに少しでもある場合)」だとみなすことにし、バストーニュの場合には「森林」と「丘陵」があるのだと解釈することにしました。



 また、「2.4 特別作戦」の解決に関して、元々「戦闘ユニットが隣接するヘクスに移動してきた時点で解決」なのですが、砲兵ユニットや司令部ユニットが隣接して解決するのはおかしいだろうということで、「攻撃可能ユニットが……」と変更するということにしました。


 さらに、重大な変更ですが、今回OCS基本ルールに対して、尼崎会独自のハウスルールを4つほど組み込んでプレイすることにしました。詳細はまた後日。




 さて、昼ごろにセットアップが終わったのですが、冒頭だけちょっとやってみました。担当は以前と同じく、私がドイツ軍の北半分、ワニミさんが南半分です(最高司令官的には、ワニミさんがドイツ軍最高司令官、私が連合軍最高司令官で、どなたかが尼崎会に来てくれたら、一部の指揮権をその都度割り当てさせてもらうシステムで)。


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 オランダへの空挺降下は、今回は史実に近い形で画像の3箇所へ。それぞれ、公式オプションの「空ヘクスへの攻撃」ルールを使用して、左の方の3ユニットは航空基地ヘクスへ入って拡張フェイズに空輸師団を航空輸送し、第2ターンに戦闘モードになって大都市ヘクスを殴るつもり、右の方の2ユニットは右下のヘクスに入って第2ターンに戦闘モードになって1-3-3オランダ軍ユニットを殴るつもり……だったのですが、真ん中の1ユニットが空挺降下に失敗して除去となり、航空基地1つが奪えないことが確定してしまいました(T_T)




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 ドイツ軍の北半分で3箇所指定された特別作戦は、ダイス目が4、5、6ですべて成功!(前回は確か、2、3、6で、成功と言えるのは1箇所だけでした) しかもヒップシュートしたら敵ユニットが吹っ飛ぶなど、ちょっと怖いぐらいの良いダイス目です。




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 アルデンヌの森では、バストーニュにいたベルギー軍ユニットに対するオーバーランでドイツ軍装甲大隊1つがステップロスとなったものの、その後のダイス目がこれまた絶好調だったとのことで、結構良い進捗だとのこと。ただし、フランス軍騎兵に対する防御策は講じなければならず、そこらへんが気がかりとのことでした。



 尼崎会は毎週日曜日にプレイ予定です。見学だけでも大歓迎! 興味のある方は、コメントなどでご連絡下さい~(^^)

OCSに慣れたら絶対入れるべきと思われる公式オプション&ハウスルール4つ+α(尼崎会2019年暫定版)

 尼崎会では一時期、OCS公式のオプション&ハウスルールを結構入れてプレイしたりもしましたが、それほどOCSに慣れているわけでもない人もぽんっとプレイに入ってくることを考慮して、しばらくは最低限の公式オプション&ハウスルールでプレイすることになりそうです。それで、参考に、多くの人にとっても絶対入れるべきだと思われる公式オプション&ハウスルール4つ+αの一覧とその理由を書いておくことにしようと思います。

 OCSの基本ルールはプレイアビリティを考えて、ある程度ルールを単純化しているのだと思われますが、ひたすら効率を追求するプレイをすると逆にプレイアビリティが著しく低下したり、非常におかしなことが起こったりする箇所があるのです。それを防ぐために、特に最初の2つのオプションルールは入れなければならないと思います(逆に言えば、別に効率を追求するプレイをしないで適当にプレイするならば、最初の2つのオプションルールは入れなくていいかもしれません)。



21.2 ステップに比例した戦闘力 - A
 9.11d に従わず、複数ステップを持つユニットが残存ステップに比例した戦力を持つようにします。そのやり方は“印刷された戦闘力×現在のステップ数÷元のステップ数” です。端数は四捨五入します。
例:完全戦力の状態で3 ステップを持つ11 戦闘力の師団ユニットが1 ステップを失うと、その戦闘力は7 になります。


 9.11dとは「9.11d ステップロスの影響  1 以上のステップを失った複数ステップユニットは、攻撃時の戦闘力が半減します。本来の(記載された)ステップの半分以上を失った戦闘ユニットは、防御時の戦闘力も半減します。」というもので、これはプレイアビリティを少しでも高めるためにそうされているのかもしれませんが、この基本ルールのままだと……。

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 ↑4ステップ歩兵師団とその分遣連隊。

 この歩兵師団で分遣連隊を出した時の総計攻撃力と防御力を計算してみると……。

分遣連隊を1つも出さない時:元歩兵師団の攻撃力は20、防御力は20。
分遣連隊を1個出した時:元歩兵師団の攻撃力は10、防御力は20、+分遣連隊の攻撃力4、防御力4。合計攻撃力14、防御力24
分遣連隊を2個出した時:元歩兵師団の攻撃力は10、防御力は10、+分遣連隊の攻撃力8、防御力8。合計攻撃力18、防御力18。
分遣連隊を3個出した時:元歩兵師団の攻撃力は10、防御力は10、+分遣連隊の攻撃力12、防御力12。合計攻撃力22、防御力22。

 つまり、分遣連隊を3個出した時の総計攻撃力が一番大きく、防御力だけを考えれば1個出した時が一番大きいということになります(そんなアホな!)。それだけでもだいぶおかしいですが、効率をひたすら追求するプレイヤーならば、これらを計算して分遣連隊を出すということになるかもしれません(なんじゃそりゃ)。

 しかしこれらの問題は比率通り計算することにすれば基本的に解決します。歩兵師団の戦力やステップ数は色々なパターンがありますが、それほど難しい計算ではないですし、計算機で計算してもいいわけです。尼崎会や、尼崎会勢が参加したことのあるOCSをプレイする会合では、このオプションルールを入れないでOCSをプレイすることはあり得ないと思われております(おりました)。

 ただし、オプションルールの「例」は11戦力÷3ステップ=3.666.....で、残り2ステップなら3.666...×2=7.333....だから四捨五入して7戦力だというわけで、戦闘解決の時にこの「一旦四捨五入する」というステップを入れるのが公式オプションルールなのでしょうが、尼崎会では「別にここで一旦四捨五入なんかせずに端数を残したままで計算して最終的な戦闘比を出せばいいじゃん(その方がむしろ楽でしょ?)」ということで、そのようにしております(つまり、尼崎会では厳密にオプションルールそのままではなく、やや逸脱しているということです)。





21.3 独立ユニット - D
 師団に所属していない独立ユニットだけで攻撃する戦闘では、攻撃側が消費しなければならない戦闘補給は2 倍(ステップ毎に2T)になります。さらに、これらの独立ユニットは、攻撃時には内部備蓄を用いることはできません。
 独立ユニットと師団に所属するユニットが共同で攻撃する場合、必ず師団に所属しているユニットのアクションレーティングを用いなければなりません。このルールは防御時には適用されません。


 このオプションルールはやや複雑ではありますが、↓の基本ルールにおいてひたすら効率を追求するプレイを防ぐために必要だと思われます。

12.5c【……】B)司令部方式 司令部毎に1SP を消費して、その司令部自身と、その支給範囲にいるすべての独立ユニットに燃料を供給します。この給油状態は、次の自軍クリーンアップフェイズまで持続します。司令部の上に給油状態マーカーを置いてこの状態を表します。


 特にマップが広くユニット数が多い、長期のシナリオやキャンペーンをやる際に顕著になりますが、「1つの司令部に1SP入れれば、その司令部の支給範囲にいるすべての独立ユニットに燃料を供給できる」ため、マップ上のすべての独立ユニットを1つの司令部の支給範囲に集めてくれば、20個でも50個でも100個でも……の独立ユニットに1SPで燃料を供給できるのです。そして独立ユニットで強力な打撃部隊を編成し、それでひたすら攻撃をおこなうということになります。もちろん、その司令部以外の他の戦線には独立ユニットがまったくいない、ということになります。

 そのようなプレイはあまりにゲーム的過ぎるでしょう。しかしこの独立ユニットオプションルールを入れれば「基本的には複数ユニットフォーメーションが主役であり、それを助けるために独立ユニットが存在する」という風になります。

 このオプションルールは尼崎会では「非常に優れたオプションルール」だと認識されております。ただ、やや複雑なルールではあるので、「この点については効率を追求しないでプレイしましょう」とプレイヤー間で合意すれば使用しないでも済む問題かもしれません。





 ↓このオプションルールが必要になる機会はかなり少ないのですが、時たま、「ああ、戦闘後前進でこのヘクスに入るつもりだったのに、砲爆撃で敵ユニットがいなくなってしまったから前進できない! 計画がおじゃんになってしまったぁ!」ということがあり、その救済措置として保険のために入れておく方がいいと思います。実際、「砲爆撃で事前に敵がいなくなったからそこに陸上ユニットは前進できない」という状況は「一体ソレは何をシミュレートしているのですか?」の一種でしょう。

21.8 空ヘクスへの攻撃 - B
 ユニットが全力で移動した後に戦闘してさらに少なくとも1 ヘクス前進できる一方で、目の前のユニットのいないヘクスを攻撃できずに前進できないことに矛盾を感じるプレイヤーがいるかもしれません。このオプションルールは、準備砲爆撃の“大きすぎる成功” のために(戦闘を行うことができず)不利益を被ったプレイヤーを助ける効果ももたらすでしょう。
21.8a そうでなければ戦闘セグメントに攻撃が可能であったユニットは、その目標ヘクスに敵ユニットがいないとしても、攻撃することができます。
21.8b 空のヘクスが0 戦闘力であるとはみなしません。その代わりに、攻撃側は参加するすべてのユニットのための補給ポイントを通常通り消費し、消費したユニットはその目標ヘクスに前進できます。戦闘結果表のダイスを振る必要はなく、突破の結果が生じることはありません。
21.8c 空挺降下を行った戦闘ユニットはそのターンに、補給コストの消費なしで“空ヘクスへの攻撃”を行うことができます(空挺降下後に移動可能なようにしてはどうかと提案して下さったDick Horneffer氏に感謝します)。


<2019/12/22追記>
 最後の21.8cについては、いくつか解釈の問題があると思われます。

 まずは、この空挺降下した戦闘ユニットの「空ヘクスへの攻撃」は、準備砲爆撃の「大きすぎる成功」によるものでなければならないのか、あるいは、そのような前提条件なしに、空のヘクスにそれができるのか? 尼崎会では、21.8cの後段の括弧内の「空挺降下後に移動可能なようにしてはどうか」という文言から、準備砲爆撃の「大きすぎる成功」は必要ではなく、空ヘクスならばそこに対しておこなえるのだと解釈することにしました。

 また、例えば3つの連続したヘクスが「1.空ヘクス」「2.空挺降下した戦闘ユニット」「3.空挺降下した戦闘ユニット」とあった時に、2のユニットが「空ヘクスへの攻撃」をおこなって1へと前進した後、3のユニットは2のいたヘクスへ「空ヘクスへの攻撃」をおこなえるのか? という疑問があります。この件に関して尼崎会では、「戦闘フェイズが始まった時点で空であったヘクスに対してのみ、空挺降下した戦闘ユニットの空ヘクスへの攻撃はおこなえる」と解釈することにしました。
<追記ここまで>




HR-10 最低限の燃料(12.5c) - C
 もしユニットの移動力を1/4 にするのならば、複数ユニットフォーメーション、あるいは司令部に2T(1SP でなく)で燃料を入れられます。ただし、その給油状態マーカーはそのフェイズの最後に取り除きます。
コメント:この最低限の燃料で動かす地域を入れ替えていくという選択肢もあるでしょう。


 基本ルールでは、1つのユニットに対しては、「燃料を入れる(移動できる)/燃料を入れない(移動できない)」の二択しかありません。この公式ハウスルールを入れることによって、1/4移動力だけを使用するために2Tを入れるという選択肢を作ることができます。

 基本ルールの縛りのままの方が、実は効率を考えればプレイアビリティは低下していると考えることもできると思います(燃料を入れるか入れないかの二択の中で効率を考えるわけですから)。この公式ハウスルールはそれほど複雑ではなく、そして使用すればプレイアビリティをむしろ向上させるでしょう。






 最低限入れた方がいいと思われるのは以上の4つですが、以下の2つの公式ハウスルールは、好みに応じて、かなり入れた方がいいとも思われます(あくまで個人の感想ですが(^_^;)。

HR-2 戦場の霧の増加(4.9) - B
 敵スタックの隣接ヘクスに自軍の攻撃可能ユニットがいる時にのみ、その敵スタックの一番上(のマーカーや航空ユニット)の下を見ることができます。
コメント:v3.0 に近くなります。


 OCSはスタックの中身は見られないという意味ではある程度以上戦場の霧があるのですが、ユニットの機動力の高さや弱ZOCの関係から、史実ではそんな機動は怖くてできないだろうと思われるような(敵後方への)機動が可能で、「まだ戦場の霧が不足している」と感じられます。このハウスルールを入れれば、その状況をやや緩和できるでしょう(それでも、もっと戦場の霧があった方がいいとも思われますが)。



HR-5 ティーガー戦車(9.4e) - B
 ティーガー戦車は特別な扱いを受けます。
・ティーガーが攻撃側である時には、敵の対戦車効果によって“x2” の地形修正が無効化されることはありません(9.4e)。
・ティーガーが防御側である時には、敵の“x2” の地形修正を“x1” に減少させます(“x1.5” に下げる通常のルールよりも強力です)。
・ティーガーが移動力の半分以上を使用したセグメントの終了時には、ティーガーのユニットはDG となります。
コメント:これは面白いミニルールです。使用を考えてみようと思います!


 ↓OCS『Tunisia II』のティーガー中隊ユニット
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 OCSではティーガー中隊ユニットは「中隊規模だから海上輸送や鉄道輸送の時に1/4RE相当で運べるね!」くらいのメリットしか感じられない、ただの装甲部隊ユニットに過ぎません(T_T) しかしこのハウスルールを入れれば、待ち伏せ的に使用すればティーガー中隊は結構強力となります。ティーガーが登場するシナリオをプレイするなら、このハウスルールを入れないでプレイするのはかなり悲しいと思います(^_^;


1940年フランス戦役時の第5装甲師団長ハルトリープ将軍について(付:OCS『The Blitzkrieg Legend』)

 先日の尼崎会でOCS『The Blitzkrieg Legend』のセットアップをしていた時、ロンメルの第7装甲師団と並んで配置される第5装甲師団の師団長についての話が出ました。

 ワニミさん曰く、「その後の戦役で名前が出てこないんだけど、どうなったんだろうね?」と。



 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』の第5、7装甲師団

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 そこで、オスプレイの『Fall Gelb 1940 (1): Panzer breakthrough in the West』の戦闘序列で名前を調べたところ、Walsporn中将とあったので検索してみまして、ツイートしてました↓


 しかし改めて『電撃戦という幻』で見てみると、「Walsporn(ヴァルスポルン、とスマホ上で勝手に変換されてました)」ではなく、「ハルトリープ」という名前で載っていました。英語版Wikipedia上では「Max von Hartlieb-Walsporn」とあったのでした(この名前で検索すると、写真も出てきます)。


 『電撃戦という幻』にはハルトリープ将軍は1箇所だけ(+注)に出てきます。

 この日(14日)、第5装甲師団はオー・ル・ワスティア【ディナンの北西約7km】をめぐる激戦を制し、ソミエール【ディナンの西北西約5km】まで進出、この地区のフランス軍の抵抗を無力化することに成功した。戦闘以上に興味をひくのは、とかく噂のあった第5、第7両装甲師団長のあいだの反目【第5装甲師団の先遣戦車部隊が5月12日にホートの指令で第7装甲師団に編入されていたことを巡るものか?】がここでついに表面化したことである。アルデンヌから軍橋建設のための資材がムーズ河畔に到着したが、橋一本分の量しかなかった。ロンメルは資材を第7装甲師団にまわしてくれと軍団長のホートに直訴した。第5装甲師団長マックス・フォン・ハルトリープ中将は抗議したが、結局譲歩し、おまけに自分の師団の新型戦車を渡すため軍橋を使わせてほしいとロンメルに頼まなければならなくなった。ロンメルはこの機会をとらえ、そのまま新型戦車を分捕って自分の攻撃のために使用した。ハルトリープは烈火のごとく怒ったが、ロンメルは意に介さず、第5装甲師団の攻撃がいつももたついて困るとやり返し、さらにホートに向かって、第7装甲師団だけでも攻撃をつづけたいのに (戦車がなくては) それができない、だから戦車をいただいたのだと説明した*80。ホートは、それはあまりにも自分勝手な考えであるとロンメルをたしなめたが【……】
『電撃戦という幻』P63

80 Plato, 5.Panzerdivision, S.53. この立派な第5装甲師団史の著者であるフォン・プラートー中将は、「ロンメルの陰で」の章の中で第7装甲師団長に苦情を申し立てている。しかし、プラートーは自分の師団長【ハルトリープ将軍】とリーダーの理想像としてのロンメルとを比較し、「こちら(第5装甲師団)とくらべて第7装甲師団の統率はすごい。あちらの師団長は最初の日(5月13日)にみずから前線に出向いて橋頭塁を二つもつくり、部下たちの心をがっちりつかんでしまった」 Ebd., S.51.
『電撃戦という幻』P277



 英語版Wikipedia「Max von Hartlieb-Walsporn」ではこう書かれています。

 マックス・フォン・ハルトリープ=ヴァルスポルン(1883年10月20日-1959年7月25日)は、第二次世界大戦中のドイツ軍の将軍。
 ハルトリープ=ヴァルスポルンは1939年の初秋に第5装甲旅団の指揮を執り、その後1939年10月8日に第5装甲師団長となった。同師団を率いて1940年のフランス戦役にも参加したが、軽度に守備されているに過ぎなかったフランスのル・ケノワ(Le Quesnoy)の町を攻略するの同師団をもって4日ほどもかかってしまい、劣悪な指揮官であると認識されるようになってしまった。5月28日までに、彼は予備役に回された。のちに1940年中に、彼は第179【予備装甲】師団長【フランスに駐屯していたが1944年解体されて第116装甲師団に吸収された】に任命されたが、1942年1月に再び予備役もしくは後方管理のポストへと降格され、二度と再び前線の指揮を執ることはなかった。
 
 1942年5月19日に負傷したハルトリープ=ヴァルスポルンはほぼ5ヵ月を病院で過ごし、さらに数ヵ月間予備役となった後、他の管理ポスト職に就いたまま戦争の終結を迎えた。戦後、彼は戦争捕虜となり、2年間を獄中で過ごした。


 第179予備装甲師団というのがあったんですね。歩兵師団かと思ってツイートしてました(^_^;


 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』ではル・ケノワ(Le Quesnoy)は村として出てきます。ヴァレンシエンヌとモーブージュの間にはマジノ線があったのですが、その南西部分ですね。

unit9863.jpg


 ル・ケノワ(Le Quesnoy)の町の歴史を記したらしきウェブページには、↓のようにありました。

 フランス戦役時、1940年5月18日にマックス・フォン・ハルトリープ=ヴァルスポルン中将は麾下の第5装甲師団にル・ケノワの攻略を命じた。この町はモロッコ人狙撃兵大隊を含む小さな部隊が守備していた。この攻略戦にハルトリープ=ヴァルスポルンの部隊は4日かかり、その間に他のドイツ軍装甲部隊ははるか先まで進んでしまっていた。フォン・ハルトリープ=ヴァルスポルンはル・ケノワを攻略はしたが、すぐ後に指揮権を剥奪されてしまった。


 この頃の戦況図を探してみたところ、『Fall Gelb 1940 (1): Panzer breakthrough in the West』のP70に5月18日~20日のものがありました↓

unit9862.jpg

 第5装甲師団から延びている矢印の一本目が18日、二本目が19日、三本目が20日のものです(他の部隊も同じ)。これを見ると、完全にル・ケノワで止まっていたわけではないようですが……。そしてまた、第5装甲師団は袋の鼠になりかけているフランス軍大部隊とまともにぶち当たる&他の装甲師団の進撃路の側面を防御するような位置にいるようにも見えるので、他の装甲師団と較べるのは酷ではないかという気もします(^_^;

 しかしまあともかく、5月21日にはようやくル・ケノワを攻略したのだけど5月28日までに予備役に回されたとは……ダンケルクの撤退が完了するのは6月4日で、それまで戦いは続いているので、まさに作戦の途中に降格されたということのようです。ハルトリープ中将はそこまで将軍として拙劣だったのでしょうかね……?

 もっと詳しいことも知りたいところですが、これ以上は多分、ドイツ語文献にあたれとかって話になるでしょうから、ここまでで……(^_^;

<2020/12/18追記>

 『The Panzer Legions: A Guide to the German Army Tank Divisions of World War II and Their Commanders』という本を購入したので、ハルトリープについてどう書かれているかチェックしてみました。



 マックス・フォン・ハルトリープ・ヴァルスポルン将軍(1883-1959)は、1904年に歩兵候補生として陸軍に入った。機動戦への転向はかなり早く、第2ライフル連隊(1934-35年)、第2装甲旅団(1935-38年)、第 5装甲旅団(1938-39年)を指揮した後、第5装甲師団を指揮することになった。しかし、ベルギーとフランスでの師団長としての彼の戦功には不満が多く、彼の軍団長であったホート将軍は彼に全く満足していなかった。ハルトリープは5月29日に指揮を解かれ、その1か月後にはワイマールの第179特別管理師団の責任者となったが、これは明らかな降格であった。この時点から彼のキャリアは事実上終わりとなり、それ以上の昇進はなかった。その後、コルエック 585(後方地域司令部)(1942年)、軍事地域司令部 226(1943-44年)、特別師団参謀部 601(l944-45年)を指揮した。1942年5月にパルチザンによって負傷させられ、1943年2月まで任務に復帰しなかった。ハルトリープ将軍は終戦時には失業していた。
『The Panzer Legions: A Guide to the German Army Tank Divisions of World War II and Their Commanders』位置No.1049


 気の毒ではありますが、記述の仕方がなかなか面白いです(^_^;

<追記ここまで>

ナポレオン戦争期のイギリス軍騎兵は統制が難しかった?

 ワニミさんの購入された『Cavalry from Hoof to Track: The Quest for Mobility』ですが、ナポレオン戦争期のところも読んでみていて、イギリス軍騎兵の「統制が難しかった」点について書かれているのに興味を持ちました。

 というのは、以前『GameJournal No.41』(付録ゲーム「ワーテルローの落日」)に寄稿したヒストリカルノートの中で、私自身以下のように書いていたからです。




 【フランス軍の第Ⅰ軍団がイギリス軍の守る尾根に近づいてきて】ここで完璧なタイミングでの騎兵突撃を命令したのはアクスブリッジ卿であった*3(*3:通説ではウェリントンによる命令とされることが多いが、ウェリントンは騎兵をまったく指揮していなかった)。【……】
 【……】1500騎の英軍騎兵が全力で追撃をかける。
 だが実は、彼らは前線の場所を越えて突撃することは禁止されていたのだ。彼らの価値は戦線に存在することであり、またイギリス軍騎兵は突撃するとコントロールが効かなくなってしまう傾向があった。騎兵将校達は皆、騎兵達を押しとどめようと精一杯努力した。しかし、逃げる敵の背中を追いかける事ほど騎兵にとって爽快なものはなく、その誘惑は強烈だった。イギリス軍騎兵達は大波の様に丘陵を南へ走破して戦線後方に800mも進出し、その過程で手に届く限りの何もかもを滅多斬りにした。
 だがもちろん、これは危険な行為だった。彼らは自分達が15分前におこなった「完璧なタイミングの騎兵突撃」を、自らが受ける順番になろうとしていた。今度はフランス軍騎兵が彼らに対して、突撃をおこなったのである。その中でも特に恐ろしいほどの大ダメージをイギリス軍騎兵部隊に与えたのはフランス第Ⅰ軍団の右端にいたジャキノーの槍騎兵部隊(第1騎兵師団)である。彼らがいた場所はイギリス軍騎兵部隊の側面に突撃をかけるには絶好の場所であり、そしてジャキノーは完璧なタイミングでもってそれを命じたのだった。ジャキノーの槍騎兵部隊を含め全体で2400騎のフランス軍騎兵が、疲弊し混乱した状態のイギリス軍騎兵に突撃した。それはまったく戦いとは呼べない、一方的な殺戮になった。イギリス軍側の騎兵指揮官であるポンソンビー少将も槍騎兵の槍に突き刺されて戦死した。だがジャキノーは経験豊かな指揮官であり、深追いにならないうちに引き上げを命じた。
 時刻は2:30になっていた。ウェリントンは重騎兵2個旅団を失った。しかしナポレオンは勝利を意図した本格的な主攻撃を撃退されてしまったのである。
『GameJournal No.41』P22



 もちろん、この「イギリス軍騎兵は突撃するとコントロールが効かなくなってしまう傾向があった。」ということについて、何かの資料で読んだから記事に書いたわけですが、どの本でそれを読んだのかは全く覚えていません(^_^; 『The Waterloo:Companion』で読んだ可能性が一番高いような気がしたのですが、文の量が膨大なので目視検索は諦めました(T_T)

 ↓『The Waterloo:Companion』の、くだんのイギリス軍騎兵突撃(とフランス軍騎兵突撃)の地図。

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 私が買った時は6300円ほどだったのですが、2倍以上の値段に……。


 あと、映画『ワーテルロー』を見られた方は、イギリス軍騎兵の突撃シーンと、フランス軍槍騎兵にやられてしまうポンソンビー少将のシーンは結構印象深いのではないかと思います。



(ある程度以上ナポレオン戦争を詳しく知った後だと、映画の表現は色々とおかしいのですが、その主たる要因は砲兵の砲弾が跳ねて兵士の頭や腕が吹っ飛んだり、騎兵のサーベルで兵士の頭や腕がスイカのように斬られていくようなシーンは、当時(1970年?)の技術では無理だったからに違いありませんね……)



 まあそれはともかく、『Cavalry from Hoof to Track: The Quest for Mobility』の記述。

 イギリス軍の騎兵はヨーロッパでも最も優秀であるとみなされていたが、統制がきかないという問題があった。【……】それぞれの連隊は勇敢で、過度なほど猛烈な突撃をおこなったが、コントロールが難しかった。多くの歴史家はウェリントンの辛辣な言葉を引用してイギリス軍騎兵を厳しく批判している。「我が軍の騎兵将校達はあらゆるギャロップのやり方を身に着けていて、敵に対して全力疾走するのと同じ速さで後退する……人は、イギリス軍騎兵はウィンブルドン・コモン【ロンドンにある公園】以外の場所ではまともに機動もできないのだと思うことだろう」 だが歴史家のイアン・フレッチャー【半島戦争におけるイギリス軍について何冊も本を出している】は果敢にも弁護の論陣を張り、ウェリントンの皮肉とそれを根拠にした歴史家達の反応は「イギリス軍騎兵に対して公正でないばかりか、完全に間違っている」と指摘している。
 ワーテルローの戦いにおけるイギリス軍騎兵の効果はウェリントンの示唆した「輝かしさから激しい失望まで」というものとは矛盾している。いくつかの素晴らしい活躍があったにもかかわらず、ウェリントンは自軍の騎兵に完全な賞賛を与えたことはなかった。「我々の騎兵は1個中隊がフランス軍の2個中隊に匹敵するとは思うが、統制が取れないという意味でフランス軍騎兵に相当劣るとも思う……私は我が賞賛すべき歩兵部隊がフランス軍騎兵を戦場から一掃し終わるまで、騎兵を使用することはできなかった。」 イアン・フレッチャーはこう分析している。

 (ウェリントンは)騎兵への不信感を増大させていた。だがこの不信感がイギリス軍騎兵が実力を発揮するのに悪影響を与えていたことも恐らくは確実であろう。なぜなら、イギリス軍騎兵が輝かしい勝利を得た実際例の多くは、ウェリントンがいない場所で勝ち取られたものだったからである。

 慎重なドクトリンにもかかわらず、イギリス軍騎兵の突撃は狂的なものになるのが常で、突撃の成功は戦術の精緻さよりはその力を誇示する態度によるところが大きかった。当のイギリス軍騎兵達自身さえもがが自分達のことを「桁外れなほどの凄まじさと勇敢さも、しばしば無分別さと制御不能さによって減ぜられる」のが常であったと認めていた。
『Cavalry from Hoof to Track: The Quest for Mobility』P73,74


 ウェリントンも随所でイギリス軍騎兵を褒めているような気もしますし(ツンデレ?)、結局のところ自分達はコントロールが効かないとイギリス軍騎兵が認めているんじゃん、とも思うのですが(^_^;、しかし、「ウェリントンがいない場所で活躍した」という分析は結構面白いなと思いました(注に書いていたように、ワーテルローの戦いではイギリス軍騎兵はすべて、アクスブリッジ卿が指揮していたということもあり)。

 「過度なほど勇猛である」ということも騎兵の強みであったようで、フランス軍の騎兵指揮官であったラサール将軍は「30歳まで生き延びた軽騎兵などクズだ」と言ったらしいです。自身は34歳の時にワグラムの戦いで、不必要な突撃をして戦死したとか……。

OCS『The Blitzkrieg Legend』で見るフランス軍の3種類の機甲師団らしきもの

 最近ずっと興味を持っている、第二次世界大戦中における騎兵に関してなんですが、ワニミさんが『Cavalry from Hoof to Track: The Quest for Mobility』という本を買われてもって来られたので、見せてもらってました。




 騎兵問題については↓をご参照下さい。
第二次世界大戦時、騎兵を敵後方へ送り込むというドクトリンを持って(持てて)いたのはソ連軍だけだった?(付:OCS『The Blitzkrieg Legend』) (2019/11/09)


 同書に、第二次世界大戦前のフランス軍の、騎兵から機甲師団への転換あたりに関する話が載っており、いくらか興味深いものでした。が、この本は英語が、というか文が分かりにくく、隔靴掻痒な感も……(^_^;

 イギリス軍は【騎兵と戦車の】どちらが主であるべきかという内輪もめを、両方に便宜を図るという抜け目のないやり方で終わらせた。RTR【Royal Tank Regiment:王立戦車連隊】の黒いベレー帽をかぶったフラーの信奉者達は、戦車を導入しつつも伝統の騎兵部隊も維持したままの騎兵連隊に留まらされた。フランス騎兵部隊は、影響力を持った高級将校がいたため、新兵器を受け入れる方向へと進んだ。フランス軍騎兵は、廃止の脅威という時においてむしろ、戦術的、作戦的な主要兵科という地位を獲得したのである。「フランス軍の騎兵科は自動車化と機械化の問題に集中的に取り組んだので、1935年までにはあっけなく、フランス軍の中で最も近代的な部門となっていた。」これを成し遂げたのがマキシム・ウェイガン将軍であり、1935年まではフランス軍の総括監察官を、そして1940年には最高司令官を務めていた人物であったが、彼のフランスと騎兵の両方を守ろうとする試みは、その両方を破滅に導くことになった。
 ウェイガンが情熱を持って取り組み、確信していたのは、騎兵と戦車が戸籍上でだけ結婚することが有益であろうということであった。彼は両者のための混合ドクトリンを考え出したが、それはフラー流の「脳を撃ち抜く」というやり方に本当に対処できるものではなかった。演習を視察したドイツ軍関係者達は、フランス軍のドクトリンは「7分の攻撃の後、歩兵の到着を70分待つようなもの」だとあざ笑った。この二者の間の違いを、【アメリカ軍の】騎兵科参謀長であったウィリス・クリッテンベルガー将軍はこう要約している。「フランス軍は少数の機甲師団しか持たなかった。一方ドイツ軍はすでに数個機甲軍団を創設していたのだ。」
 ウェイガンの半旅団と戦車騎兵部隊を融合するという解決法は、馬と戦車を混合させるというものだった。騎兵は装甲や装軌やタイヤやガソリン缶の手入れを命じられた。1929年から1939年までに様々な編成替えを経て、新たに5個の騎兵師団が最終的に軽騎兵師団(DLC)としてまとめられた。この新たな騎兵師団は胸甲や伝統的なたてがみのヘルメットこそ打ち捨てていたが、馬とサーベルは維持していた。各DLCは1個騎兵旅団、総計1200頭を持っていた。これらの騎兵旅団や兵站のためにフランス軍は1939年には52万頭以上の馬やラバを保持していた。
 この軽騎兵師団のようなやり方が、フランス軍の真の機甲師団である重機甲師団(DCR)や頑強な軽機械化師団(DLM)のためのリソースを浪費させていた。
『Cavalry from Hoof to Track: The Quest for Mobility』P162,163


 イギリス軍のやり方とフランス軍のやり方の何が違うのか、この文からは私はよく分からないのですが……(私の英文理解が悪いということは充分あり得ますが)。


 ただ、フランス軍が、騎兵と戦車をごっちゃにした師団を運用していたことは、OCS『The Blitzkrieg Legend』でアルデンヌ戦線を担当したことがある人には印象深いと思われます。

 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』のフランス軍軽騎兵師団(DLC)。下の画像は裏面。

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 『フランス軍入門』によると、「騎兵師団を部分的に機械化した師団で【……】師団としては編制規模がかなり小さかった。」とあって(P215)、実際ユニット上でも小ぶりな感じはします。史実ではアルデンヌの森にこの5個師団がいて、遅滞防御などをする感じですが、『フランス軍入門』にはどういう目的の編制かは書かれていませんでした。

 この軽騎兵師団(DLC)には軽機械化師団(DLM:ベルギー平原で第2、3軽機械化師団がドイツ軍の第3、4装甲師団とアニューの戦車戦を戦った)より多くの戦車が配備されていた……という文を『Cavalry from Hoof to Track: The Quest for Mobility』のどこか別の場所で見たような気がするのですが、今見つけられません(^_^; 『フランス軍入門』だと戦車の数が良く分からない……。とりえあえずオチキス戦車などを装備していたようです。

 騎兵(徒歩移動)と戦車(装軌)と装甲車(自動車化)が一緒にいることのメリットデメリットですが、道路上を移動するだけならいいのですが、ちょっと障害地形を進むことになると、移動コストがかなり異なるのでユニットの場所がバラバラになってしまうということはあります(^_^; ゲーム的にプレイするならば、すべての軽騎兵師団から騎兵ユニットだけを取り上げて、他の独立騎兵ユニットと一緒に、一気にドイツ軍に嫌がらせをするという目的に使いたくなります(複数ユニットフォーメーションが一緒にいないペナルティを払ってでも、そのドイツ軍に与える効果が強烈なので。そういうプレイはできない、したくならないような仕組みが必要だろうと思いますが)。




 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』の軽機械化師団(DLM)。

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 かなり強力な気がします(戦車の数がDLCより少ない、ってことはなさそうな……)。特に、第1、第2軽機械化師団はアクションレーティングが4で(ただし移動モードでは3)、フランス軍最強です。そのためもあってゲーム上ではこの軽機械化師団をフランス軍の最強戦力=主力として運用したくなるところです。ただ、史実での編制上の任務は、

 【……】騎兵師団を完全に機械化した師団で【……】おもな任務は、従来の騎兵師団と同じで、軍や軍団レベルの捜索任務、自動車化部隊等の戦闘加入の援護や警戒任務、敵戦線突破後の戦果拡張任務などだった。
『フランス軍入門』P216

だそうで、最後の1つは装甲師団っぽいものに見えますが、それ以外は割とぱっとしないもので、そこらへん総合的に考えると最後の1つにしても、「電撃戦=ショック戦ドクトリンにおける、敵戦線突破後の戦果拡張任務」というようなものではないと考えた方が良さそうです(というか、『電撃戦という幻(英訳本題名『The Blitzkrieg Legend』)』によれば、ドイツ軍も電撃戦ドクトリンなんか持っていなかったわけですが)。

<2020/12/18追記>

 軽機械化師団の顛末について、『米英機甲部隊』に記述があったのを再発見したので、引用してみます。

 ウェイガン将軍は、はじめ軽機械化師団を熱心に推進したひとりであった。だが、軽機械化師団がある程度強化されると、それ以上のことには頑強に反対した。彼はいった。
「どんなことがあっても、二つの陸軍には反対である。……われわれには、すでに機械化し、機動化した予備部隊があるではないか。いまさら、あたらしい部隊をつくる必要はない。いまあるものでじゅうぶんなのだ」

 このことばは、1934年に『機械化部隊』と題するうすい本を出版したシャルル・ドゴール大佐〔のちのフランス大統領〕にたいする、反撃の声明でもあった。
 ドゴール大佐はその本のなかで、先にフラーやその同調者たちが表明したときの熱烈さにはおよばないが、機甲部隊の必要性を力説したのであった。この主張には、意外なところから、いっそう強力な支持論がでた。それは、フランス陸軍最高会議議長のガムラン将軍であった。彼は、1936年10月、ドイツ軍がラインラントに進駐したさいに、こうのべたのであった。
「われわれは、技術の進歩に対応した兵器をもたなければならない。ドイツ軍は機甲師団を創設した。これは、奇襲ののちに、敵陣ふかく攻撃をかける武器である。われわれは、ドイツ機甲師団にまさる、強力な武器をもたなければならない」
 しかし、彼のこの意見は最高会議の賛成がえられず、意見が対立したときの慣例で、問題はなお検討する必要があるとして、決定は延期された。
 この問題は、1938年、オーストリアがドイツに併合された後、ふたたびむしかえされたが、またおなじように決定は保留されたのであった。そして、その年9月のミュンヘンの危機と、ドイツ機甲部隊の縦横無尽の快速ぶりに、あわてふためくハメにならなかったら、最高会議はさらに決定を延期したことであろう。

『米英機甲部隊』P41~44


 で、その後に、恐らく次に触れる「機甲予備師団」の編成と、その時点での問題が触れられています。

 1938年12月、やっとのことでB型重戦車を歩兵部隊から切りはなし、軽量なルノー戦車とホチキス35戦車をあわせて、いわゆる機甲師団に統合するこころみがはじめられた。
 【……】
 しかし、最高会議がこの問題の審議をおわったときには、すでにフランス軍の戦意は大幅におちていた。将校の防御型戦闘の思想を逆転させ、兵士たちの訓練を転換させるだけの時間は、もはやのこっていなかったのである。
 攻撃的性格の機甲師団をつくることに、フランス国民と軍部が消極的であったことは、表面上、政府の政策に反していた。なぜなら、1936年の「大編成部隊の戦術的作戦にかんする訓令」は、従来と正反対の思想に書きあらためられていたからであった。
 すなわち、
「攻撃こそ最良の作戦である。……攻撃のみが決定的な戦果をもたらす」と。
 だが、方向転換がおそすぎた。静止的防御の中心であるマジノ線は完成していたし、いずれにせよ、第一次大戦中の総攻撃で、あれほどひどい損害をこうむったフランス国民に、ふたたびその悪夢をもとめるのは、あまりにもよくばった要求だといわざるをえなかったからである。
 1939年のフランス軍は、1914年のフランス軍ほどの精彩はなかった。
『米英機甲部隊』P44,5



<追記ここまで>



 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』の機甲予備師団(DCR)。

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 この師団のおもな任務は、ドイツ陸軍の装甲師団のように攻撃部隊の先頭に立って敵戦線を突破するような攻撃的なものではなく、その名のとおり上級司令部の予備部隊として戦線後方に置かれ、敵の戦車部隊等に味方戦線を突破された時などに反撃に出ることなどが考えられていた。したがって、作戦地域は味方戦線後方が中心となるため、ドイツ陸軍の装甲師団と比べると地域の確保に必要な歩兵部隊や進撃路の啓開に必要な工兵部隊の規模が小さくても、大きな問題にはならないと考えられていたのであろう。
『フランス軍入門』P217


 略称DCRのRはReserveで、『フランス軍入門』では「装甲予備師団」と書かれており、私は今回「機甲予備師団」としてみましたが、他の文献では単に「機甲師団」と書かれていることも多く、OCSでも「Armor(のA)」という書き方なので、「これがフランス軍における主力の機甲師団なのだなぁ」と思っていたのですが、しかし別に全然そんなことはないのですね?!

 史実では第1~3機甲予備師団は戦闘をする間もなくあっという間にやられてしまい、ド・ゴール指揮の第4機甲予備師団のみはいくらか戦いはしたものの、元々編成途上だったこともあり、アクションレーティングの評価も割と低いものになっているのかもしれません(それに較べれば、軽機械化師団(DLM)の方は、やられてはしまったものの、戦闘はしたわけだったので)。


 こうして見るとなるほど、フランス軍には、ドイツ軍における装甲師団のようなものは存在せず、色々と中途半端な機甲師団っぽいものが3種類存在していたのだった……と言えそうです。

 『Cavalry from Hoof to Track: The Quest for Mobility』には、多分、フランス軍戦車そのものに対する評として「フランス軍の戦車は、(フランスのレストランでいう)本日の特選料理みたいなものだった」というような文もあって(P163)、実際フランス軍の戦車はそれぞれに結構スペック的には高かった(ただし運用的には難点が多い)わけですが、それらフランス軍戦車や3種類の機甲師団らしきものは「ほらどう? すごいでしょ?( ̄^ ̄)」というものであって、「主力」としてどどっと集中して注ぎ込む(ドイツ軍のように、戦車の運用面にも高い配慮をしつつ)……というものではなかったのだ、ということなわけでしょうか。


 ただ、OCS上では、ドイツ軍の進撃が遅ければ、フランス軍は持ってる3種類の機甲師団らしきものを全部かき集めて、「主力」としてどどっと集中して注ぎ込むこともできます(前回のキャンペーンでは、実際ドイツ軍の進撃が遅かったので、フランス軍側はそれらを集中させてじっくり待ち構えてました(^_^;)。まあ、つまりは、ドイツ軍の最初の進撃がどれほどうまくできるかということがカギで、それに成功すればフランス軍側は後手後手になっていかざるを得ない……ということなんでしょうね~。




『第二次世界大戦秘話』、すごく面白かったです!

 先日、富山のKさんが来阪された時に貸して下さった、『第二次世界大戦秘話』を読了しました。といっても、この本は短い話の集まりで、太平洋戦線の話も半分くらいの割合で含まれているのですが、私はヨーロッパ戦線の陸戦、空戦にしか興味がないの(こともないけど、色々積ん読もあるので厳選する意味)で、それらだけを拾い読みしたのでした。




 目次は↓で確認できます。

国会図書館リサーチ 第二次世界大戦秘話



 ものすごく面白かったです。珠玉の集まりと言っても良いような。興味を持った方は、Amazonで古本が1000円くらいで買えるようなので、買われても良いかも。

 中でも個人的に特に面白かったものを、軽く紹介してみます。ネタバレがいやな方の為に、ネタバレ部分は白字にしておきますので、ネタバレOKな方は範囲選択すれば読めます。


■ハイデルベルヒはこうして戦火を免れた
 こちらは↓で。
OCS『Beyond the Rhine』で見る、戦火を免れたハイデルベルク関係ユニット(付:OCS『KOREA』) (2019/09/20)


■危なかったアイゼンハワー将軍
 バルジの戦いの最初期、アイゼンハワー将軍の暗殺をドイツ軍が狙っているようだという話が。アイゼンハワーを載せた車と同時に出発していた著者の車がアイゼンハワーの車とはぐれ、目的地に着いたものの、アイゼンハワーの車は一向に到着しない。司令部の者達は、もうアイゼンハワーは殺されてしまったのではないかと悲痛な思いに駆られるが……。
 ネタバレ→ 実はアイゼンハワーは途中で、もう歩けないと泣いている老夫婦を見つけ、どうしてもそのその夫婦を運んでやるのだと聞かないで、ものすごく回り道をして遅れたのだった。


■中立国で会った男
 暴れ回る一隻のUボートと、それを追い回すイギリス軍の人々。イギリス軍側の一人は、休暇中に入ったあるバーで出会った男とものすごく気が合い、非常に楽しい時間を過ごすが……。
 ネタバレ→実はその男は追いかける対象のUボートの艦長だった。それが分かるも、二人はそのまま別れる。


■私はモントゴメリー元帥の替玉を演じた
 元俳優で今は軍属となったある男が、あんまりにもモントゴメリー将軍にそっくりで、軍から極秘の替え玉作戦を命じられる。モントゴメリーを観察し、モントゴメリーとも話す機会を得て、いざ本番で大量の(密かに特定されていた)ドイツ軍スパイの目の前で、ニセの軍事情報をそれとなく洩らしていくのだが、最後の方には本当にモントゴメリー将軍になりきってしまった辺りなど、面白かったです(^^)


■軍事牢獄の不可思議な将軍
 ドイツ軍に占領されたイタリアで、イタリア軍捕虜達がドイツ軍の捕虜収容所で、もう望みも失って自白などもさせられていた。ある日、一人のイタリア将軍がその捕虜収容所に入れられてきて、イタリア軍捕虜達と面会の機会をもらって話していくのだが、その将軍と会ったイタリア軍兵士達はそれまでの希望のない状態から、いきなりしゃんとして、絶対に自白はしないようになっていくのだった。その将軍も最後にはドイツ軍によって処刑されてしまうが……。
 ネタバレ→実はその将軍は盗みなどをやっていた単なるチンピラの類であったのだが、ドイツ軍から、将軍のふりをして捕虜達と会って、自白をさせるように仕向けることができれば、それまでの罪を見逃してやると言われたのだった。だがその男はその時、ドイツ軍を欺してイタリアの為にその将軍になりきってやると考えたのだった。

 ↑この話がこの本の中で個人的に一番興味深かったです。この話は1959年にイタリアで映画化もされたそうです(→日本語版Wikipedia「ロベレ将軍」



 ↑Youtubeにあったクリップ映像。ただ、映画は途中で?ネタバレしている状態で進むようなのですが、同書ではネタバレが最後に来て、最初はこの将軍のすごい行動がずっと描かれるのでものすごい印象深くなったと思われ、この本での書き方の方がいいなぁと思いました。

 作者モンタネッリ(その『ローマの歴史』は邦訳されて文庫本になっており、私も若い頃読みました)の書いた本の方は、Internet Archiveに英訳本があり、サインアップすれば中身が全部見られました。構成としては3部構成で、第2部でネタバレしているようです。100ページないくらいなので、読めたら読みたいです。



■忘れられない夜
 イギリス本土空襲中の、ロンドンが最大の被害を受けた夜。外国人ジャーナリスト達は、イギリス軍関係者からこの日に、「この戦争は勝った」と言われる。
 ネタバレ→この日、これまでじりじり上がっていたドイツ軍側の損害が10%に達したのだが、どんな軍隊も1日に10%の損害に耐えられるものではない、だからこの日以降、イギリス側が勝つに違いない、というのだった。


■カチンの大虐殺は誰がやった?
 カチンの虐殺(→日本語版Wikipedia「カティンの森事件」)は、ソ連側がやったことだということがだんだんと暴かれていく様子が短くまとめられていて、興味深かったです。



 その他にも、「無言の一死体枢軸軍を走らす」「古今無類の多額な報酬を得たスパイ 」「ロンドンを救ったスパイ 」「成功した前代未聞の偽せ謀略部隊」「ナチの英国紙幣大偽造陰謀」「ナチを虜にした奇跡の手」などは、イギリスとドイツの間の謀略合戦のすごさがまざまざと分かるような感じがして、面白かったです。特にイギリス側は種々の謀略をやっていたようで、凄いなぁ、と(ドイツ側も色々やっていたんでしょうけども、本の出版側とか年度の関係上、イギリス側の話が多くなったのかもですけども)。


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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! VASSALでのオンラインインストも大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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 戦史物の記事は

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