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『Operational Matters』によるOCS『The Blitzkrieg Legend』のプレイ指針

 ツイッターに書いてましたが、尼崎会はOCS『KOREA』をいったん終了させ、次にまたOCS『The Blitzkrieg Legend』キャンペーンをプレイすることになりました。

 で、『Sicily II』同梱の『Operational Matters』(というか、『Operational Matters』に『Sicily II』が同梱されている)に『The Blitzkrieg Legend』のプレイの指針についての記事(P76~78)が載っているのですが、今までちゃんと目を通してなかったので今回、ちゃんと目を通してみました。もちろん、「それは当然だよね」ということも多かったのですが、「え、そうなの?」と思ったこともいくらかあったので、そこらへん書いておこうと思います。



 ↑Amazonにもありましたが、値段高すぎ(゚Д゚) サンセットゲームズで買えば定価 7,200円+消費税で、『Sicily II』のルールは和訳付きです(『Operational Matters』自体は和訳されていません:p)。



 【ドイツ軍にとって】大きな損害は想定内である。これは短い戦役であって、長く続く戦争ではないのだ。ゆえに、このゲームにおいては損害を避けることは重要ではなく、大損害も想定内である。ゲームが終了するまでにカウンターが半端な数にまで減っている装甲師団がいくつもあるだろうが、そのコストは、突破、包囲、そして敵の大損耗や降伏が獲得できるなら、価値に見あうものなのだ。

 ……内部備蓄で戦闘することもあるだろう。……突破を成し遂げる一方で、おおよそ3個装甲師団は損害と内部備蓄の消費により使い物にならない状態にまでなっているだろうことを想定すべきである。

 グロスドイッチュラント連隊と若干の戦闘工兵大隊は、先陣を切らせるのに理想的な部隊である。……内部備蓄とクライスト装甲集団用の輸送トラックを使用すれば彼らは数ターンの間単独で戦うことができるし、フランス軍からの大したことのない攻撃に対して戦闘補給を入れずに半分の戦闘力で防御すればその期間をもっと延ばすことができるだろう。



 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』のGDおよび戦闘工兵(Pioneer)大隊

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 OCS一般で「損害を出しても重要なヘクスは占領すべきである」くらいは思っていたのですが、↑ほどまでとは思っていなかったです(^_^; あるいはもしかしたら、すべての装甲師団が全滅の憂き目にあったとしても、目標さえ達成できれば良い……という考え方もありかもですね……。






 ベルギー国内で地形効果の高い、厳重に防備されている場所を攻撃する必要はないと思う。そうではなく、迂回するのだ。Huy【ユイ】とAndenne【アンダンヌ】はミューズ川の渡河点にある要塞化されていない村であり、文字通りアルデンヌとベルギー中央部との間の移動を可能にする地点である。この地域にいるあなたの機械化部隊をまずこれらの重要な渡河点へと突っこませるべきである。そうすればナミュールの東の防衛線など意味がなくなってしまうだろう。



 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』のHuyとAndenne周辺のマップ

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 オランダを降伏させたならば、その地のドイツ軍ユニットはベルギー軍との戦線を構築している歩兵部隊を除いてすべて、南方にスイングさせ、南方での突破の増援とすべきだと私は思う。それらの部隊をアントワープへの攻撃に使おうとするプレイヤーもいるが、私の考えでは、あなたは連合軍プレイヤーに対して、ディールラインは安全であると感じさせた方がよい。


 スイングさせるべきであるとかは私達も思っていて実行していたのですが、しかしアントワープ周辺は攻撃してましたし、スイングのさせ方は中途半端だったでしょうね(^_^; ただ、連合軍が「絶対にドイツ軍はこうするはず」と考えたならばその対策もできるわけであるので(連合軍のユニット量は半端ないですし)、フェイクがまた重要なんだろうと思いますが……。





 個々の戦闘で連合軍と直接対決すべきではない。機動し、混乱させ、敵を包囲するのだ。両軍が移動モードになれば、ドイツ軍は多くの場合アクションレーティングで+2の優位を得られる。この質的差は、連合軍が反撃を仕掛ける上で大きな障害となるだろう。


 連合軍ユニットの多くが移動モードにならざるを得ないような状況を作るべきなのである、ということですよね。まあこれは理屈としては分かっているのですが、そもそもアルデンヌやベルギーで行き詰まったり、フランス軍の大騎兵集団に後方へと突破されてしまったり、ルクセンブルク国境付近でフランス軍からの大規模攻勢を受けたりしてけんもほろろになったりしていました(^_^;



 今度の『The Blitzkrieg Legend』キャンペーンプレイでは、ディールプランを実行して第1ターン先攻中にベルギー領内へと移動していた筈の連合軍部隊を移動距離に応じて移動モードで配置するなど、色々とハウスルールは入れていこうかとも話しているのですが、どれくらいハウスルールを入れるかは、このエントリで書いていたようなプレイの指針をちゃんと実行できてなかったこととも併せて、考えていく必要がありそうです(片方の陣営を全プレイヤーでプレイする松浦方式もやめた方がよいでしょうねぇ……)。

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OCS『DAK-II』で見るカンプフグルッペマーカー

 リデル・ハートの『ナチス・ドイツ軍の内幕』という本をメルカリで入手して少しずつ読んでいっているのですが、ロンメルに関する章でちょっと興味深い記述に出会いました。





 彼の一層明確な欠点と思われるものは、戦略の執行面を無視する傾きがあったこと、および細かなはしばしに至るまで完全ではなかったということだ。同時に彼は権限を委譲する方法を知らず、それが彼の部下の指揮官達を非常に悩ませたのである。 彼は万事を悉く自分でやろうとしただけでなく、すべての場所へ自分で行こうとしたために、屢々【しばしば】司令部からの連絡がつかなくなって、何か大事な決定のために参謀が探している時に、彼は戦場を自ら乗り廻しているというようなことがあった。そうかと思うと、彼は非常に大事な、肝心かなめの場所を直観的に摑んでいて、そこには必ず姿を現わして危機に臨んで味方の行動に決定的な刺戟を与えた。また彼は活動的な若干の将校に、彼らの真価を発揮する機会を与えたのであるが、それは年功序列制で固まっている将軍達では、到底やれないようなことであった。そのため、彼は、若手から非常な尊敬を受けた。この感情は、実は多くのイタリヤ将兵にも感染した。彼らは安全第一主義の、耄碌【もうろく】したような自国の司令官に較べて、なんと決定的に違うものなのかと感じたのである。
『ナチス・ドイツ軍の内幕』P48,49


 赤字にした箇所と青字にした箇所が矛盾するような気もするのですが、ともかく。

 青字の部分を読んで思い出したのが、OCS『DAK-II』に(のみ)入っている、カンプフグルッペ(戦闘団)マーカーの存在です。


 ↓OCS『DAK-II』の戦闘団(KG)マーカー(イタリア語ではラグルッパメントというそうで、「Ragg」と書かれています)。

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 この戦闘団マーカーが置かれたスタックは、予備モードでなくても、拡張フェイズ(突破フェイズ)やリアクションフェイズに、ダイスを1個振って白抜きの数字以上の目が出れば、あたかも予備モードであったかのように行動できます。ダイス目さえ良ければむちゃくちゃ移動・戦闘ができるわけで、柔軟な戦い方ができるわけです。ちなみに、英連邦軍にはこの戦闘団マーカーは一切入っていません(同様の働きをする指揮官マーカーが独伊軍と同様に入ってはいますが、少数です)。


 カンプフグルッペの指揮官の名前は、「煉獄業火の牧師」バッハクリューヴェル将軍あたりは分かるとして、あとマルクスというのも名前はある程度見たことありますが、詳細は知らず、他の指揮官はよく分からない状態です。詳しく知りたいところですが……。

 イタリア軍のラグルッパメントは、バビーニやベルゴンツォーリというのはロンメルがアフリカに来る前に有名だったイタリア軍の将軍の名前じゃないかと思います。それ以前の軍功的にはイタリアでは有名だったものの、北アフリカでは大して(全然)活躍できなかったと思われますが……。RECAMというのは、指揮官というよりは編成名だと思われます。

 トリエステ自動車化師団がこの夏に到着し、アリエテ戦車師団と合流して、Corpo d'Armata di Manovra(CAM)が編成された。このCAMの支援として、Raggruppamento Esplorante di Corpo d'Armata di Manovra(RECAM:mobile recon group of the Corps)も編成された。
『Regio Esercito:The Italian Royal Army in Mussolini's Wars, 1935-1943』P76


 訳すとすると「機動軍団」で、指揮官はガンバラ将軍?(→イタリア軍のガムバラ将軍はロンメルに協力するようになって解任された? (2017/07/10)

 ……ガンバラ〔ガストーネ・ガンバラ(1890~1972年)。当時中将で、機動軍団長。最終階級も同じ〕……
『「砂漠の狐」回想録』P86



 他のラグルッパメントはよく分かりません。これも詳しく知りたいですねぇ……。


 指揮官マーカーも含めて、『DAK-II』は指揮官自体がマーカーとして登場する唯一のOCSゲームとして希有な存在です。それだけ北アフリカという戦場は、指揮官が重要だった戦いと言えるのでしょう。




 あと、同書で面白かったのがこの記述。

 ……モントゴメリー自身の気持は、彼がロンメルの写真をしきりに集めて、デスクの周りにピンアップしていたことによって知れるとも言える。ただ彼は、後年ルントシュテットとロンメルの二人を比較すれば、前者の方が一層手ごわい相手であるとは言っていた。ただその点で注意すべきは、モントゴメリーはロンメルの全盛時代には、彼と戦を交えたことがないということである。この両名が相まみえたときには、ロンメルは病気で弱っていただけでなく、兵力も不足、燃料も不足で行動も思うにまかせずという、戦術的には極めて不利な時であった。
『ナチス・ドイツ軍の内幕』P48


 モントゴメリーがロンメルの写真をしきりに集めてデスクに貼っていたとは……(^_^;

 ルントシュテットの件ですが、ルントシュテットはノルマンディー以降の西部戦線で西方総軍司令官として、ヒトラーに早期講和を求めて7月2日に罷免されるまでと、モーデルから多忙すぎると直訴を受けて9月5日に同職に復帰して以降、1945年3月にレマーゲン鉄橋が奪取されて責任を取って罷免されるまでの期間、モントゴメリーと(というかアイゼンハワーと?)相対していたので、その間のモントゴメリーの感触なんだと思われます(1940年のフランス戦では、モントゴメリーはイギリス第3歩兵師団長、ルントシュテットはA軍集団長でしたが、前者はベルギー方面、後者はアルデンヌ方面なので、相対してない)。

 OCS『Beyond the Rhine』はその、ルントシュテットが西方総軍司令官に復帰した1944年9月5日(ターン)から始まり、ライン川渡河が達成されるまでを扱うゲームなので、ある意味、ルントシュテットの為のゲームなのかもしれませんね。ここでも指揮官の重要性が……?(^_^;


 

第二次世界大戦中の騎兵はサーベルで(も)戦っていた?

 第二次世界大戦中の騎兵について色々疑問を持って、様々な資料を漁っているわけですが、これまでに何枚か、サーベルをかざしている騎兵の写真を見たことがありました。


 ↓その一例。『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』から

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 「赤軍は戦争中を通して、追撃と偵察任務の両方で騎兵を大規模に使用した。」



 しかしサーベルで騎兵突撃しても機関銃とかでバタバタ倒されるだけなのではないか……と非常に疑問に思っていたのですが、『Soviet Cavalry Operations During the Second World War』を読んでいてそこらへんのことが書いてあるのを見つけました。

 第二次世界大戦中、ソ連軍はサーベルを重要な武器だとみなしていた唯一の大国の軍隊であった。サーベルが最もよく使用されたのは小戦闘においてであったが、効果的であるのは敵が士気阻喪しているか、混乱しているか、あるいは奇襲を受けた場合に限られた。騎上からのサーベルによる攻撃は通常は夜や、視界が限られている時におこなわれ、その有効度は大量の手榴弾を使用することによって増大した。夜にサーベルを使用すれば味方を傷つけてしまうのを減らすことができた。そのような戦いはしばしばドイツ軍が後方で占領している村を制圧する際に発生したが、それらの場所は警戒の緩い二戦級の部隊で守られていたからである。奇襲を受けた兵士達はパニックになって宿舎から、奇襲した側の騎兵のサーベルの目の前に出てくるのであった。ゆえにサーベルは鞍に常に付けておかれ、騎兵にとっての重要な武器であるとされていたのだった。
『Soviet Cavalry Operations During the Second World War』P67



 なるほど~。ある程度限定的な状況においてはサーベルが非常に有効だったわけですね。

 この前段のところでは、戦争中に急増されたソ連軍の騎兵学校(訓練期間は6~9ヵ月間だったそうです)においてはライフル、サブマシンガン、マシンガン、対戦車兵器、それに迫撃砲などの扱いを訓練していたそうですので、メインはそれら銃器だったのだと思います。

 サーベルをかざした写真が何枚かあるのは、その姿がかっこいいからとか、あるいは、礼式的なものとして写されたものなのかもですね。


戦史系の旧説・新説を集積するWikiページを誰か作ってくれたら……(荒れるだけ?(^_^;)

 ツイッターで、大木毅さんをフォローしているんですが、↓のツイート先のページの内容はなかなかに興味深いものでした。




 前段の「ミリタリー趣味界隈の50代後半の、戦史新説を否定して新説支持者をハブる人々」というのは、私は見たことがないのですが、察するに、自分が長いことものすごく好きで好きでハマってきた本(パウル・カレルとか)や考え方なんかが否定されると、自分自身の全存在が否定されるような、ものすごい攻撃を受けたような感じを受けてしまって、むしろ相手を攻撃して自分を守ろうとしてしまう……とかなのかなぁ、とか。加齢による脳の硬化も全然あると思うのですが(私も、IT関係なんか特に、新しいのが受け入れにくくなって……)、そういうのはどこの業界とか、どんな分野にでもあるような気がします(ダイエーの中内社長が、ダイエーのやり方がうまくいかなくなってきていることが明らかになってきているのに、それを認めることができなかったこととか)。


 中段の「当該の戦史研究家」というのは、完全に山崎雅弘さんのことですね(^_^; ただ山崎雅弘さんは一時期、パウル・カレルを全否定することを書いた後、パウル・カレル支持派から批判を受けて、逆にパウル・カレルあり派になった……ということがあったような。そこらへん、前段のこととも関係するのかも。アーヴィングについての件は、意図的な歪曲ではなく「悩んだけど、採用することにしたが、その採用することにした考え方が、岡目八目から見れば間違っていた」というような、「あー、あるよねぇ……(T_T)」ということであるような気もします。

 どこかで両者による建設的な論争が継続されれば私にとっては(また多くの人にとっても多分)有益だと思うのですが、そもそもどんな人々の間であれ「建設的な論争」ということ自体が難しいのでしょうね……(人間の脳とはそういうものだと、池谷裕二氏や橘玲氏の本を読んでいると思います)。


 後段の出版社の件は、売れるものを出版しなければ死ぬという状況では、まあしょうがないとも思います。もしあらゆる出版物が売れて売れてウハウハな時代だったら、時間をかけて真摯な本を作ってもいいのでしょうけども……。


 と、弁護的なことを書いてきましたが、個人的には私は「戦史新説大好き」派で、どんどんそういう本なり記事なりが出て欲しいと思っています(むしろ、どんな対立構造(左派と右派とか)も、突き詰めれば阪神ファンか巨人ファンかというような好悪の問題であって、巨人ファンに巨人という球団の悪口を言って「阪神ファンにならなければダメだ」と言ったところでそんなこと実現するはずがないのと同じだろう……と、数年前から諦めの心境になっているのです(^_^;)。



 今まで当ブログで挙げてきた、戦史新説系のエントリの一例↓

ワーテルロー記事:通説との違い (2011/08/11)

1806年のプロイセン軍は腐敗していなかった? (2016/04/05)
『大いなる聖戦』が指摘する通説の間違い(バルバロッサ作戦と真珠湾)【増補版】 (2019/06/21)



 あと、独ソ戦におけるドイツ軍兵士が広汎に非人道的なおこないをしていたことの具体例に関しては、↓に引用しているイタリア軍兵士による見聞が個人的に非常にショックで印象的でした。

東部戦線のナチス・ドイツ軍兵士の蛮行や残虐性について (2017/07/17)



 思いつきとしては、戦史の旧説と新説をまとめていけるWikiページとかがあれば面白いと思うのですが、編集合戦になって荒れるだけ?(^_^; 自分で立ち上げるとかは今色々手一杯なので全然無理ですし。どなたかやって下さい\(^O^)/

OCSユニットで見るソ連軍人民委員(NKVD)ユニット

 今読んでいる『Soviet Cavalry Operations During the Second World War』ですが、ロシア帝国時代~大戦の戦間期の章は飛ばしまして(^_^;、第二次世界大戦のところから読み始めてます。

 その最初のところに、ソ連軍の人民委員(内務人民委員部:NKVD:エヌカーヴェーデー)に関する記述がありまして、興味を持ちました。

 ソ連軍の最も弱い部分は、野戦における中隊レベルの指揮能力であった。だが、ソ連軍兵士の戦場における粘り強さと、人民委員の精力的な統率力が、その弱さを埋め合わせていた。政治的な思惑からナチスは、人民委員の役割は戦場でソ連軍兵士たちを監視し、恐怖と脅しによって命令に従わせることなのだと喧伝していた。この偏った見方は、西側のフィクションものやノンフィクションもので21世紀になっても続いている。あらゆる効果的なプロパガンダと同様、それらは真実を核としつつも、ナチスの描いた偏向的な見方が多く含まれているのである。
 人民委員は共産党員から選出され、共産党がソ連軍を支配していた。彼らが政治的な狂信者であったというのは、ある程度まで事実であった。人民委員の大部分は、都市労働者出身であった。多くの場合彼らは勇敢、知的であったが、時に恥知らずで冷酷でもあった。彼らの任務は兵士達の生活に気を配り、戦闘においてその勇敢さで模範を示すことであった。規律を守らせる必要がある時に人民委員が即時の処刑を用いたのは確かだが、絶望的な状況においてソ連軍兵士達が頑強に戦い続ける上で、彼らの統率力と英雄的な振る舞いが大いに貢献したのも事実なのである。
 人民委員自身も兵士の一員であった。実際のところ、部隊が何倍もの働きをすることができるようになる優れた人民委員もいれば、部隊を混乱させるだけの劣悪な人民委員もいた。例えば、ドヴァトール将軍は騎兵将校として17年従軍し、その結果人民委員に、そして最終的には騎兵部隊の大佐、そして将軍となった。ベローフ将軍は若い人民委員を自身の幕僚や諜報員として使用しており、ある時には若い人民委員二人を無蓋トラックに乗せ、行方不明になっていた騎兵連隊を探し出しに行かせたことがあった。人民委員の職務を構成するものの多くは、西側の軍隊では、一人の高級将校にではなく、高級将校と従軍牧師の役割が合わさったものと言えるだろう。人民委員には、指揮を執っている司令官が不決断な場合には、戦闘を強制させる権限もあったのである。
『Soviet Cavalry Operations During the Second World War』P63



 確かGDWのヨーロッパシリーズの場合、NKVDユニットがいると退却の結果を無視できる(させる?)とかいう効果だったような記憶があり、それだと撤退を許さない(だけの)厳しい雰囲気がありますが、OCSの場合はNKVDは高いアクションレーティングを持っているものがおり(低いものもある)、しかもアクションレーティングを提供しているのに自分が最後にステップロスを受けるという卑怯なとてつもない能力を持っているので、NKVDユニット込みで都市とかに籠もられるとドイツ軍としては非常に非常に苦労します(^_^;


 ↓OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』のNKVDユニット

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 『Smolensk:Barbarossa Derailed』のNKVDルールは、『Guderian's Blitzkrieg II』や『Case Blue』に較べてそれほど強力ではありません(ARを提供して最初にステップロスしますし、敵が退却してもステップロスしないといけないので。しかも再建不能)。まだ初戦のうち?で、NKVDもそれほどうまく働けないのかも。

2.3b NKVD  NKVD 国境連隊( のみ。「Bdr」と記されていないものは含みません)がいるヘクスが攻撃された時はNKVD 国境連隊が「AR を提供するユニット」にならなければなりません。この高いAR の代わりに、防御側のオプションはすべてステップロスによって満たさなければなりません(通常ならば攻撃側が退却することで無効になるオプションも含めてステップロスします)。






 ↓OCS『Guderian's Blitzkrieg II』のNKVDユニット

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 ↓OCS『Case Blue』のNKVDユニット

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NKVD 国境守備連隊  NKVD 国境守備連隊(“Bdr” と記載されているユニットのみ)を含むスタックが攻撃された場合、ソ連軍は必ずNKVD 国境守備連隊のアクションレーティングを用いなければなりません(攻撃時には適用しません)。そして、そのような戦闘で適用されたオプションナンバーは全てステップロスで適用しなければなりません(この場合の損害を無視したり制限するようなルールは全て無視されます)。さらに、NKVD 国境守備連隊は一番最後に損害を受けなければなりません。単独でいるNKVD 国境守備連隊が攻撃された場合、防御に用いるアクションレーティングは0 です。損耗判定でNKVD 国境守備連隊のアクションレーティングを用いる場合、それは0 です。
(『Guderian's Blitzkrieg II』では3.8、『Case Blue』では3.5iで、内容は同一)



 督戦的なNKVDというのはつまり、「Bdr」と記されたNKVD国境守備連隊のみということで、他のNKVDは他の部隊を督戦したりせずにそれ自体で戦うもののようです。それらについてより詳しいことにも興味はありますが、また資料が見つかった時にということで。



 なお、『Hube's Pocket』と『Baltic Gap』は持ってない(手もとにない)のでパスで(^_^;


『「作戦」とは何か 戦略・戦術を活かす技術』読了&ジョミニはショック戦(機動戦・電撃戦)志向、クラウゼヴィッツは消耗戦志向?

 『「作戦」とは何か 戦略・戦術を活かす技術』を読了しました。





 読んでいる中で、ジョミニとクラウゼヴィッツの差が自分の中でよく分かった気がしたのが、収穫でした。今までも両者(とか)については色々記事で目に触れる機会があったわけですが、何が何だか全然分かってなかったので(^_^;(クラウゼヴィッツの『戦争論』についても、関係する本を色々読みましたが、中身についてはさっぱり理解できてませんでした

 ジョミニは、戦場外機動(大迂回機動)による影響を重視する大戦術【=作戦】を説き、クラウゼヴィッツは、相手の「重心」部分に対する直接打撃を重視する戦術と「戦略」【=作戦】を強調した。
『「作戦」とは何か 戦略・戦術を活かす技術』P74

 つまり、彼【クラウゼヴィッツ】は、相手部隊に戦争を断念させるため、相手の兵員と装備を“連続的”に損耗させることを考えていたのだ。徐々に破壊・疲弊させる考え方を、われわれは消耗戦方式という。この消耗戦方式は、奇襲や精神的ショックの効果によって相手軍を“崩壊”に導くジョミニの戦場外機動戦方式と根本的に異なるといえよう。
『「作戦」とは何か 戦略・戦術を活かす技術』P100


 全体として、ジョミニはショック戦(機動戦・電撃戦)志向、クラウゼヴィッツは消耗戦志向ということのようです(その後、大モルトケが、両者をバランスよくおこなうべきだとして統合したのだとか)。

 ショック戦については、OCSにおける真の「ショック戦」 (2016/07/17)をご参照下さい。消耗戦は、「火力によって敵を正面から撃破していく戦法」と言えるでしょうか。

 ジョミニが重視したものとして「戦場外機動(大迂回機動)」とありますが、OCSをプレイする上では完全に戦場外を機動するというわけではなく、広い戦場の中の敵が薄い所を狙ったり、あるいは連続する戦線のうちの一箇所なんだけども敵がそこを弱点だと認識していないところに突如突破戦力をぶつけて後方へ進出し相手にショックを与える……というようなことも、ジョミニの言うことに含まれるのではないかなぁと想像しました。

 クラウゼヴィッツが消耗戦志向だというのは、結局は敵戦力を撃破しなければ戦争に勝つことはできない、ということによるもののようです。ただ、クラウゼヴィッツが言う「重心」には後方連絡線も含まれる(こともある)らしく、その場合にはショック戦的なことにもなるのではとも思ったのですが、しかしまあジョミニとクラウゼヴィッツをやや誇張して差異区別するならば、そういうことになるようです(ただしこれは、この著者による見立てにすぎない可能性も。私も自分なりに再解釈してるわけですしね~(^_^;)。


 ジョミニの主張は、例えば……。

 相手の指揮官や兵士の心理に衝撃を与え、混乱させるのだ。混乱した心理状態は判断を誤らせ、感情(例えば、不安、恐怖心、疑心暗鬼)をコントロールできなくする。したがって、巧妙な戦場外機動は熾烈な戦闘に訴えることなく、相手に戦争の継続を断念させることができる。ジョミニは書いている。
「戦闘は一部の学者たちによって、戦争中最も重要かつ決定的意義を有するものであると説かれてきた。これは厳密にいえば誤りである。野戦軍が熾烈な戦闘を交えることなく、戦場外機動によって敵を敗退させることもある」と(注1:Baron de Jomini, The Art of War, trans. G.H. Mendell & W.P. Craighill, 1862, p.131)。
『「作戦」とは何か 戦略・戦術を活かす技術』P78,9

 しかし、ナポレオン戦争の経験から、兵站業務は著しく複雑で、高度の技能を必要とする、とジョミニは考えた。ナポレオン戦争では、十数万にのぼる巨大な野戦軍が複数の「軍隊キャンペーン」や複数の戦闘を生起させ、しかも野戦軍の運用原則が分散した接敵機動になった。その上、ナポレオンは交戦部隊の補給に現地調達方式のみならず、追送方式(隷下の下級部隊に必要な補給品を送り届けさせる方式)も採用したため、策源地(兵士の召集や軍需品の生産にあたる地域)や補給処から戦場への補給品の“継続的な流れ”を確保する必要があったのだ。
 ジョミニはこのことから、兵站業務の問題が野戦軍の運用方策に大きく影響するという認識を持つに至った。かつて、兵站業務は「軍隊キャンペーン」を遂行するにあたっての“環境上の一要素”にすぎなかった。しかし、今や、それがなくてはならないものになったのだ。したがって、「彼は兵站業務に関する重要事項を“司令官たち”の主要な考慮要素とみなした。例えば、「補給処を設置すべきかどうか」「設置するなら、どこに設置すれば良いか」「後方連絡線(策源地や補給処と、戦場を結ぶ交通路線群)をどこに求めるか」等が「軍隊キャンペーン」計画の構成要素に含められるべきだ、と説いた。
 さらに、ジョミニは、後方連絡線の確保に必要な部隊の保持も兵站業務に含めた。彼は「戦争の基本原則のらちの一つは、自らの後方連絡線を危うくすることなく、敵の後方連絡線に大量の交戦部隊を投入することである(注4:同上、Jomini, p.52)」と書いて、後方連絡線の防護または切断を物理的撃破よりも重視した。このため、“闘う兵站部隊”としての業務を兵站部隊に付与し、後方連絡線の確保・維持にあたらせることを主張したのである。

『「作戦」とは何か 戦略・戦術を活かす技術』P82,3


 これらはショック戦(機動戦・電撃戦)志向であるOCSに非常にあてはまることだと思いました。OCSでは他のボードウォーゲームに較べて非常にショック戦が起こりやすい(起こしやすい)ですし、補給集積所をどこに設置するかだとか、後方連絡線を守るためにユニットを置いておく、あるいは逆に敵の後方連絡線を狙うことが極めて重要です。そしてショック戦を起こすことにより、OODAループ上で敵の判断(力)を後手後手にまわらせることが可能なのです(ただし、ショック戦を起こすために無理をしすぎて、その後に自軍が自滅するというようなこともあり得ますから、ホントにバランスが重要ですし、また、ショック戦を起こしやすいと言っても、その絶好のチャンスというのはやはり限られており、いつでもどこでもお互いショック戦をしているわけではないのですが(^_^;)。


 大モルトケ以降、現代以前の作戦方式について、本書にはこうありました。

 モルトケ以降、ベトナム戦争に至るまで、作戦の進化を見てみると、大別して米軍の消耗戦方式、ソ連の縦深作戦方式、リデル・ハートの間接的アプローチ方式の三つがあった。
『「作戦」とは何か 戦略・戦術を活かす技術』P114


 米軍が南北戦争でのグラント以降、ベトナム戦争に至るまでをずっと、消耗戦方式で戦っていた、という話は大いに「おお~、そうだったのか」と思い、かなり参考になりました。

 ソ連軍の縦深作戦方式なんですが、「戦線にも、敵後方の浅いところにも、敵後方の深いところにも、同時に打撃とショックを与えて敵を完全に麻痺させる」というのは、私は以前から「そりゃそれが理想的には決まってるけど、そのためには戦力も補給物資も大量に必要で(作戦能力はおいておくとしても)、そこらへんどうなの?」と思ってました。が、同書を見てると、

 東部戦線の転換点とされる「ウラヌス作戦」(1942年11月)と、それに続く「バグラチオン作戦」(1944年6~8月)および「ヴィスワ・オーデル作戦」(1945年1~3月) がそれである。特に「ヴィスワ・オーデル作戦」において、ソ連軍はドイツ軍の第一線陣地を突破し、縦深600キロメートルまで到達した。縦深奥深くまで攻撃されたドイツ軍は、無秩序、混乱、ショックに陥り、物理的・精神的結合力を喪失した。結果は、それぞれの作戦で28~35個のドイツ軍師団が打倒された。これらの勝利は巧妙な作戦の成果であり、単に“強大”な兵力の産物ではなかったといえよう。
『「作戦」とは何か 戦略・戦術を活かす技術』P141,2


 とあって、私は「そうか、縦深作戦は独ソ戦の最後の最後の段階で大いに成功したけども、それまではやはりそこまでの戦力、補給も足りなくて、徐々に縦深作戦の規模が拡大されていったということなんだな……」と思い、得心がいきました。ウラヌス作戦はOCS『Enemy at the Gates』『Case Blue』で追体験できますが、OCSバグラチオン作戦(フルマップ4枚)は恐らく開発計画にはあると思われるもののまだ製作が始まっているかどうか分からないですが、期待してます。


 一方疑問なのは、「じゃあドイツ軍が第二次世界大戦でやったのは、何なの?」ということなんですが、それが「リデル・ハートの間接的アプローチ方式」なんでしょうか(そこらへん何も書かれてませんが)。当該の第7章は「フラーとリデル・ハートの士気喪失作戦」となってまして、『機動の理論 勝ち目をとことん追求する柔軟な思考』という本では、グデーリアンなどはフラーの影響を受けたという風に説明されています(しかし、『「作戦」とは何か 戦略・戦術を活かす技術』では、ドイツ軍との関連は一切書かれていません)。



 ジョン・フレデリック・チャールズ・フラーリデル・ハートも共にイギリス人で、イギリス軍には影響を与えなかったのですが、第二次世界大戦のドイツ軍に影響を与えたと言われているようです(複数の本やネットによると)。ただリデル・ハートに関しては、戦後になってから「ドイツ軍は私の理論をマネしたのだ。そしてそれが実際に有効だったのだ」と喧伝して、それで有名になったのだが、実際にはフラーの影響はあったが、リデル・ハートの影響は言うに足りないものだった……というような説もあるようです(どこで見たか思い出せませんが……)。

 ただまあ、例えば以下のようなリデル・ハートの言説は、OCSをプレイする上でも参考になるなと思いました。

 「どのような機動経路を経て、戦車部隊を相手の後方地域に送り込み、どのように運用すべきか」が、「戦略(*作戦)」司令官にとって重要になってくる。それは「奇襲と運動性を通して達成される」とリデル・ハートはいう。
 リデル・ハートは相手の最小予想経路に沿って、戦場外から回り込むことで“奇襲”しようとした。「敵の立場に立ってみることに努め、敵が先見しまたは先制することが最も少ないコースはどれであるかを考えよ」。この際、相手の戦場の背後に、迅速にしかも奥深くまで移動できれば、それだけ安全である。
『「作戦」とは何か 戦略・戦術を活かす技術』P156


 OCS『Tunisia II』『KOREA』なんかをプレイしていると、地形が複雑でユニット数が少なめなので、戦場の中(外ではなく)に「敵が予想しない(であろう)」進路がある時いきなり(脳内に)見えてくることがあります。すると作戦計画を考えるワクワクがすごいことになるものの、大体において使用できる兵力や補給が潤沢でないので、実行しても効果は思ったほど上がらないのですが(^_^;、しかし常に予備部隊と予備の補給を置いておけば、チャンスがいきなり見えてきた時にそれを投入できる……ということかもしれませんね。


 この本の中で最もOCSにぴったりだと思ったのは、以下の部分でした(マッカーサーの仁川上陸作戦が機動戦であったかどうかの文脈で)。

 ……重要なのは、【相手の】強さよりも、むしろ相手の弱さを攻撃し、【自軍の】火力よりも、むしろ機動を使うことである。つまり、相手交戦能力の物理的な破壊よりも、戦場外機動による脅しを使うことだ。
『「作戦」とは何か 戦略・戦術を活かす技術』P125



第二次世界大戦時、騎兵を敵後方へ送り込むというドクトリンを持って(持てて)いたのはソ連軍だけだった?(付:OCS『The Blitzkrieg Legend』)

 『Soviet Cavalry Operations During the Second World War』を第3章まで読みました。英文がかなり読みやすくて、面白くて、非常にいい感じです。




 同書によると「騎兵を敵後方の兵站線への打撃に使う」という戦法は、鉄道線が発達して後方連絡線の重要性が非常に高くなった南北戦争の時に、南軍側が主にやり始めたそうです。その指揮官としてはフォレスト将軍が代表的なようです。かつて旧GJ59号P17で、私は記事に「「あの悪魔のフォレストは、10,000名の損失と国庫の破滅を招いても追い詰めて殺さねばならない」とシャーマン将軍をして言わしめた……」と書いていたのですが、これはそういうことのためだったんですね。今更になってようやく深い意味が分かりました(^_^; この戦法は、ゲーム上でもやられる側は本当にたまりませんから……。

 で、当時のロシア軍はこの騎兵による機動戦戦法に注目し(ロシアの地形や気候的にも合っていたからだとか)、その後第二次世界大戦の時代にもソ連軍は騎兵を機動戦力として使用していく(と同書でなるはず)わけですが、他の国はそのような戦法にほとんど興味を示さなかったのだとか。

 ヨーロッパ列強はアメリカにおける南北戦争のこのような教訓に、ほとんど注意を払わなかった。……騎兵は依然として、光り輝く武器(剣や槍、ピストルなど)で混乱した歩兵や砲兵に突撃するだとか、騎兵同士の戦いなど、伝統的な使用のされ方をしていたのである。
『Soviet Cavalry Operations During the Second World War』P16



 ソ連を除く列強諸国は騎兵を時代遅れなものと見なし、順次それらを装甲車部隊や戦車部隊に転換していっており、まだ残っている騎兵部隊に関しては偵察部隊や遅滞防御部隊、後方守備任務、あるいは移動力が高くて戦線を穴埋めするのが迅速に可能な部隊として運用として使用したようです(ドイツ軍は、オランダ低地やプリピャチ湿地帯などの困難な地形を進むのに使った感があります)。




 ところがOCSには、尼崎会で「騎兵問題」と呼ぶ「騎兵強すぎじゃね?」問題がありまして……。

 というのは、騎兵ユニットは移動力が高めなのに、徒歩移動(移動力コストが最も低く、敵ZOCを無視できる)で、しかも燃料がいらないので、予備モードになって補給チェックをやり過ごせば拡張フェイズ(突破フェイズ)に全移動力で敵後方の鉄道線などを踏みに行ける上、次の補給チェックに生き残れれば戦闘モードになってまた少し(燃料なしで)移動して座り込む……ということができてしまうのです。

 ただこれは、どうもソ連軍がこれをやることに関しては、『Soviet Cavalry Operations During the Second World War』からしても「あり」なのでしょう(また同書を読んでOCS上でも色々検討していきたいと思います)。しかし以前から我々を非常に悩ませているのが、『The Blitzkrieg Legend』でフランス軍がこれを大規模にやるという戦法の存在です。

 その例→『The Blitzkrieg Legend』南方、騎兵集団をどうするか…… (2014/10/26)


CIMG1805.jpg

 ↑その様子。


 しかも『The Blitzkrieg Legend』の場合、スケールが通常(5マイル、3.5日)より細かくなっている(3マイル、2日)せいか、東部戦線よりも細かい部隊までがユニット化されていて、うじゃうじゃと騎兵ユニットが大量にいるのでさらに厄介です。細かい騎兵ユニットを総ざらえで集めてきて、戦線に一点穴を穿てば、中障害地形であるアルデンヌの森の中の10箇所以上に騎兵ユニットをばらまくこともできます。これをやられたらドイツ軍はもうどうしようもなくなって、手を挙げるしかないと思われ……。


 しかし、『Soviet Cavalry Operations During the Second World War』の前記の話からすると、当時のドクトリン上、ソ連軍はそれをやれるわけだけども、フランス軍にはそれはできないのではないでしょうか? ただOCSは、「材料を精密に用意して、これぐらいかなという特別ルールは提供する(もしさらにルールをいじりたければどうぞ)」という姿勢のシリーズなので、そういう縛り(ヒトラー命令とかスターリン命令とか、政治上の問題とか、ドクトリン上の問題とか)はほとんど入ってないのです。例えばスターリングラード戦の場合でも、スターリングラードから撤退してはならないというヒトラー命令なんかは『Case Blue』とかで全然ルール化されていないので「もしヒトラー命令がなければ?」という、いわばIFの状況でプレイされ、それはそれで楽しいのですが、もし「ヒトラー命令がある中でどうなるか、どうできるかをプレイしたいのですが……」という場合には、ハウスルールを追加する必要があります。

 つまり私が思うに、『The Blitzkrieg Legend』の場合でも、「もし当時のフランス軍が、騎兵部隊を敵後方に送り込むというドクトリンを採用できていたら?」というIFの状態を楽しむのであれば、素のルールのままで構わないわけですが、ドクトリン上できないハズだったものは、それを縛るルールを入れた方がいいのではないか……と。

 フランス戦当時のドクトリン的な問題としては、もう一つ、黄色作戦当時に連合軍がものすごく「戦線維持重視」だったという話もあります。ところが、ダンケルク戦の後には、連合軍はこの戦線維持重視ドクトリン?を変更しているのです。

 このころ【1940年5月の対フランス戦役でダンケルクの戦いが終わった後の、第二段階「赤の場合」の時期】になると、フランス軍は、従来のように戦線の維持を重視するのではなく、森林や村落を拠点として、縦深的に抵抗する戦術を採用していた。それゆえ、ドイツ軍は、5月20日よりフランス軍総司令官になったマキシム・ウェイガン大将にちなんで、「ウェイガン線」と呼ばれた防衛線を突破するのに手こずった。
『「砂漠の狐」ロンメル』P145


 初出エントリはこちら→大木毅さんの『「砂漠の狐」ロンメル』読了 (2019/05/15)



 これに関しても『The Blitzkrieg Legend』は縛りがないため、ダンケルク戦以前であるのに、フランス軍は「縦深的抵抗戦術」を使用できますし、当時ソ連軍しか使用していなかった「騎兵による敵後方への浸透戦術」も使用できるわけです。いわば、他国や未来の知識(ドクトリン)を先取りして戦うことが可能だという状態……?

 ただこれは、OCSが精密で自由度が高く柔軟で、選択肢が恐ろしく広く取れるゲームであるからこそ起こることだとも思われ、他のゲームであればできないようなことができてしまう、「高性能であるがゆえの憂鬱」みたいなことかとも思います(^_^;


 しかし問題の根幹がここにあるのだとすれば、『The Blitzkrieg Legend』のフランス軍のみにハウスルールで「ドクトリン的縛り」をかければいいわけで、騎兵問題の解決のためにOCSのシステム自体をいじる必要はなくなるわけです。私はこの考え方は結構良いのではないか……と思ったのですが、どうでしょうかね……?




 ちなみに、南北戦争で「騎兵を敵後方へ送り込む」という戦法を発見した当のアメリカ軍(南軍)ですが、それに対抗するために北軍のグラント将軍が、自軍鉄道線周辺の占領地域を面で侵食していき、敵に消耗戦をしかけるという方法で勝利したためもあって(それだけが理由ではないですが)、その後もアメリカ軍は機動戦志向ではなくて消耗戦(圧倒的物量でもって安全を確保しながら正面から敵を撃破していく)を採用し続けて第二次世界大戦でもそれで戦った……というようなことが、並行して読んでいる『「作戦」とは何か 戦略・戦術を活かす技術』に書かれていました(第5章 米軍の消耗戦方式 - 封印された作戦の概念)。機動戦指向のパットンが異端だったわけですねぇ……。あるいは、『補給戦』の西部戦線の章にもあるように、当時のアメリカ軍は消耗戦指向すぎて、もうちょっとバランスよく機動戦も考えていれば、もっと勝てたのではないかとも……。しかしそれが、ようやくベトナム戦争後に「エアー・ランド・バトル」という、機動戦を重視する戦法に変わっていく……。




 いやちょっと待てよ、じゃあOCS『Beyond the Rhine』でアメリカ軍が機動戦重視で戦ったならば……! あいや、同ゲームには「広正面戦略」ルールというのがあって、補給物資を3つの戦区に平等に割り振らねばならない(ただし時期はある程度限定されてたり、条件があったりする)、というのがあるので、それはできないようになっているか……?(^_^;

『戦場の素顔』読了しました&第二次世界大戦の将軍の指揮スタイル?(付:OCS『Beyond the Rhine』)

 以前、『戦場の素顔』他を買いました (2018/09/25) で書いてました『戦場の素顔』をようやく読了しました(最近は車の中に置きっぱなしで信号待ちの間に読むとかってスタイルにしてたので)。

 アジャンクールの戦いには知識も興味もなかったのですが、読んでいて結構興味深かったです。ワーテルローの戦場の実相についての章は非常に非常に興味深く、章が終わってしまうのが残念なほどでした。ワーテルローの戦いに興味のある方ならば、(買うと高いし本の一部なので)図書館などでぜひ読んで欲しいと思います。

 ソンムの戦いにも興味がなかったのですが、読んでいて興味が持てなかったので途中で飛ばしてしまいました(爆)。この本には前段と後段もあるのですが、その部分も個人的にはそれほど興味を感じませんでした(あくまで個人の感想です)。ですので、やはり、図書館でもって、アジャンクール、ワーテルロー、ソンムのどれかの戦いに興味のある人が、そこだけ読むのがとりあえずオススメではないでしょうか。



 ただ後段に、第二次世界大戦中の将軍達の指揮スタイル?に関する言及があって、そこがちょっと興味深かったので、引用してみます。

 この新しい指揮スタイルには個人差があった。ロンメルの場合それは、戦車部隊にみずから乗って指揮することだった。グデーリアンは、装甲をほどこし無線機を積んだトラックで戦場を駆けめぐった。モントゴメリーは干戈の響きが聞こえる地点に設けた「戦術司令部」にずっといつづけた。
 さらに将軍たちは、ずっと前から主流となっていた、将校たちはみずから手を下して敵を殺すことから身を遠ざけるという趨勢を逆転させて、武器を携行しはじめた。パットンは、握りに真珠をあしらった二挺拳銃をこれ見よがしに携行するのが癖だった。リッジウェイは、手榴弾を二個携えていた。ボック[1880~1945年。ドイツの軍人。対ポーランド戦、対仏戦、対ソ戦で軍集団司令官]は回転拳銃一挺。ウィンゲート[不正規部隊を率いてミャンマーで活動し、日本軍をインパール作戦に誘いこむ]はライフル小銃一挺だった。
『戦場の素顔』P538,9



 リッジウェイ将軍については以前、朝鮮戦争に関する本でリッジウェイ将軍によるOCSの真髄? (2015/10/08) というエントリを書いていたのですが、今回Wikipeidaを見てみると、以下のようにありました(Wikipediaには確かに、手榴弾を付けた写真がありました)。

1942年8月に准将に昇任、オマー・ブラッドレーが第28歩兵師団長へ転任したのをうけ、第82空挺師団の師団長となる。同師団は軍の二つの空挺師団構想の内の一つとして選ばれたが、この師団が選ばれたのはリッジウェイの教官としての能力と、同僚たちのあいだで際立っていた思考の柔軟性によるところが大きい。当時空挺師団構想はアメリカ陸軍にとって実験的試みであった。

リッジウェイは1943年のハスキー作戦を支援した。2ヶ月後のジャイアント作戦計画時には副官のマクスウェル・D・テイラーにスパイ活動を行わせ、イタリア軍の無力とドイツ軍が降下地点に展開している事を暴き作戦中止を決断。この判断で師団壊滅の危機を救ったことが、後の出世に繋がった[1]。

1944年にはオーバーロード作戦での空挺降下計画を支援した。ノルマンディー上陸作戦時、彼は部下と共にパラシュート降下し、サン=ソーヴァー=ル=ヴィコントへの進出を目指して33日間の戦闘を経験した。1944年9月には上級の第18空挺軍団の指揮を任され、ドイツへの侵攻を指揮した。一年後彼は中将に昇進する。終戦時彼は、大尉時代にウェストポイントで仕えたダグラス・マッカーサー元帥のもとで新たな任務につくため、機上にあった。



 ↓OCS『Beyond the Rhine』の第18空挺軍団司令部ユニット。

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 『Beyond the Rhine』では英米の空挺部隊は他の通常部隊と色が変えられており、アメリカ軍の緑色とは異なっています。



 ボック将軍とウィンゲート将軍については引用文中にWikipediaへとリンクを張っておきました。



 また、戦場においては180日でほとんどの兵士は心身をすり減らして使い物にならなくなってしまう(>_<)……ということに関連して。

 ロンメルは、持ち前の大胆不敵な気質にもかかわらず、神経性胃炎の激痛を体験し、会戦の正念場で前線を去らざるをえなかったことが二度あった。グデーリアンはロシアで心臓疾患をわずらい、実戦部隊の指揮がとれない状態になった。ライヒェナウ[1884~1942年。対ポーランド戦、対仏戦、対ソ戦で軍司令官]はキャンペーン中に脳卒中の発作で倒れた[1942年1月]。リッジウェイは1945年9月に命に関わるような意識喪失を経験し、いったんは退役を勧められた。
 もちろん、最後までしゃんとしていた将軍もいて、たとえばジューコフとモーデル[1891~1945年。1941年に軍司令官。1944年に軍集団司令官]がそれである。どうやら第二次世界大戦が長引くにつれ、この二人に代表されるような単なる性格上の図太さのほうが、戦略や戦術におけるきわだった天賦の才にもまして、名将の資格としてますます重要になってきたようなのである。
 この二人以外にも、この緊張に耐えて乗りきったように見える司令官はいる。かれらは面白いことに、会戦それ自体の指揮棒を振ることからなるべく身を遠ざける方法を開拓することで心身耗弱をまぬがれたようなのである。イギリス軍、アメリカ軍、ドイツ軍の、それぞれ最も賞賛された将軍といえば、アレクサンダー[1891~1969年。フランス、ビルマ、北アフリカ、イタリアで戦い、最後は地中海方面連合軍司令官]、アイゼンハワー、ルントシュテット[1875~1953年。対ポーランド戦、対仏戦、対ソ戦で軍集団司令官。ノルマンディー会戦では西方総軍司令官]だが、かれらは、それぞれに異なったやり方でだが、ほんとうの意味では将軍であることをそもそもやめていた。非将軍、いやほとんど反将軍になっていたのである。
 アレクサンダーは、将校になりたてのころはおそろしく利かん気な人だったのに、第二次世界大戦では部隊の統制を部下にまかせきり、自分ではかたくなに何もせず、かれの多国籍軍内部に良好な関係を醸成すること以外には何もしなかった。
 その点ではアイゼンハワーも同じで、その度合はさらにいっそう大きく、ついにはかれのまとったオーラは軍人というよりはローマ法王のそれになった。
 ルントシュテットは、最後の典型的プロイセン軍人としてドイツ常備軍の将校団こぞっての崇敬を集めていたが、細かい事務に立ちいることはおろか、ついには小縮尺地図を見ることさえも拒み、あたかも戦争そのものが意に染まなくなってしまったかのように、来る日も来る日も探偵小説を読んで過ごし、三度にわたり辞表を出した。
『戦場の素顔』P540,1


 なかなか興味深いのですが、ライヒェナウについては、「スポーツ馬鹿」みたいな印象があったので「?」と思い、ちょっと調べてみました。

 ちなみに、そのような印象を持っていた理由の記述↓

 その荒っぽい気性は片眼鏡のせいで強調されている。やたらに活動的で強情なライヘナウはルントシュテットに嫌われていた。「運動する時はいつも半裸で駆けずりまわる無作法者」とのちにルントシュテットは彼を評している。
『スターリングラード 運命の攻囲戦』P78

 スポーツに熱狂していた彼【ライヒェナウ】は、対ポーランド戦のさいに自分の部下たちとともに半裸でヴァイクセル川を泳いで渡り、ソ連では元帥として歩兵突撃章を獲得している。
『兵士というもの』P318



 英語版Wikipedia「Walther von Reichenau」によると、こう書かれていました。

 ライヒェナウは日常的にクロスカントリーを走っており、1942年1月14日の寒い天候の中でいつも通り走った後、脳卒中を起こした[10:Glantz, David M.; House, Jonathan (2009). To the Gates of Stalingrad: Soviet-German Combat Operations, April-August 1942.P192]。



 アントニー・ビーヴァーはこう書いていました。

 ……フォン・ライヘナウ元帥はポルタヴァで朝のランニングに出かけた。気温は零下20度。ライヘナウは昼食後不調を訴えて突然倒れた。心臓発作である。
『スターリングラード 運命の攻囲戦』P80



 これらを見ていると、ライヒェナウは戦争による心身衰弱で倒れたのではないようにも思えますが、どうなんでしょうね(^_^; ちなみに彼は急いで後方へと飛行機輸送されたものの飛行機が着陸に失敗して重傷を負い、病院に到着した時にはすでに死んでいたそうです。


 イギリス軍のアレクサンダー将軍については以前、サー・ハロルド・アレクサンダー将軍について (2017/01/21) で書いていましたので、そちらもご参照下さい。

『Soviet Cavalry Operations During the Second World War: And the Genesis of the Operational Manoeuvre Group』が届きました

 注文していた『Soviet Cavalry Operations During the Second World War: And the Genesis of the Operational Manoeuvre Group』(『第二次世界大戦のソ連軍の騎兵作戦:及び作戦的機動集団の起源』)が届きました。

 →第二次世界大戦の騎兵に関する洋書2冊を新たに注文してしまいました(^_^; (2019/09/15)






 中身をパラパラと見てみると、地図や図が非常に多く入っていて、そこのところがかなり好印象でした。

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 ↑ソ連軍の1941年12月の冬季攻勢の辺りのページ。


 地図は63枚、図(概念図とか)は20枚入っていて、数ページに1枚はそれらが出てくる感じです。


 目次を見てみても、内容的にもそそられますが、一章が短くて読みやすそうなのがまた好印象でした。

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 問題は、英文が読みやすいものかどうかと、積ん読が大量にある中どうやって読んでいくかですが(^_^;、面白そうなのでできれば早い内に目を通し始めればと思っています。




 そういえばなのですが、先日、洋書を多読(精読ではなく)していく上で非常に便利そうな『Worldictionary』というアプリを発見しました。

 そのアプリについては、例えば↓こことか(Android版ももちろんあります。というか私はAndroid版)。
Worldictionary Lite


 私は洋書をとりあえず流し読みしてみて、自分にとって非常に面白そうなところは精読する……というスタイルでやっていて、それが良い感じなんですが、流し読みの際に分からない単語は基本的に辞書を引かないものの、分からない単語があまりにも多すぎると全然何が書いてあるかも分からず、そこが自分にとって面白そうなところかどうかも判別できなくなるのが難でした。

 しかし、流し読みの際にスマホの辞書アプリで単語を引くのは、流れがストップしてしまってあまりやりたくない……。

 ところがこのアプリは、起動しておいて、分からない単語があるとすっとその単語に「+」的な照準を合わせれば、その単語の意味を表示してくれます。認識精度はかなり高いと思いますし、意味も一瞬で出ます。意味は複数出るのではなく、一つしか出ませんが、流し読みする上ではそれくらいでもOKな。

 一度起動すれば消灯はしないようになっているので、「消灯してるからまた付けなきゃ」とかもいりません。ガタガタ揺れる車の中でも使ってみましたが、照準を合わせるのに苦労するものの一応なんとか使えるレベルでした。

 無料のLiteというやつ(Freeというやつもある?)で試せるので、興味のある方は試してみたら。良く分からないのですが、Lite版は通信が発生して、正規版?(値段は忘れましたが数百円)は通信が発生しないらしかったので、私はギガ難民なので正規版を入れました。

 評価欄を見ていると、低評価が多いですが(^_^;、私的にはかなりいいと思いました。まあ、流し読み専用ではあると思うので、使い方が合う合わないは考慮した方がいいと思いますけども~。


OCSユニットで見るB-24リベレーターとB-17フライング・フォートレス

 ミリタリー・メカ娘を題材としたアプリゲーム、『アッシュアームズ』がようやく配信されまして、遊び始めてます。


Screenshot_2.jpg

 ↑現在の私の編成。ヨーロッパ戦線だけで組みたいのですが、戦闘機が足りず、F4Fワイルドキャットで穴埋めしてます(^_^;


 軍艦系のアプリゲーム等は以前から大人気で、火器系のゲームもすでにあり人気ですが、第二次世界大戦空軍陸軍を扱ったこういうゲームで、ある程度以上の水準のイラスト(ここ大事)を実装した作品は初めてだと思われ、第二次欧州陸戦ファンとしては、ぜひ人気が出て将来はフィギュアなどもどんどん出るようになってくれれば……と期待しております(^-^)



 ゲームを始めるにあたっては10連ガチャが何回でも引き直しできるのですが、何回か引き直しした後、私はとりあえずセモヴェンテ推しメインのつもりで始めてみました。が、その時一番レア度が高かった(=強い)のはB-24リベレーターで、イラスト的にも結構いいなぁと思って、気になりました。

Screenshot.jpg

 しかしこのブログでは、過去にB-26マローダーとB-25ミッチェルはある程度調べていた(→OCSユニットで見るマーチンB-26マローダーとB-25ミッチェル (2019/06/10) )ものの、B-24リベレーターについてはよく知らなかったので、調べてみました。

 すると、OCSで同じ戦略爆撃機(Sタイプ。対施設砲爆撃しかできない)として出てくるB-17フライング・フォートレスとの比較で考えると分かりやすいようだったので、そちらも同時にやってみようと。

 ↓このような記述もありました。

 中型爆撃機をB-25とB-26の2つに標準化したアメリカ陸軍航空隊は、重爆撃機あるいは戦略機についても同様の方針をとり、B-17とB-24の2機種にしぼった。【ただその後、B-29が開発されることにはなりました。】
『第2次大戦事典②兵器・人名』P214






 まずはOCSのユニットで見るB-17とB-24。両機はOCSでは『Tunisia II』と『Sicily II』にしか登場しません。『Beyond the Rhine』の時期にも史実で両機は戦略爆撃をおこなっているわけですが、同作では戦略爆撃はオミット(除外)されているのです。

 ↓『Tunisia II』のアメリカ軍爆撃機

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 ↓『Sicily II』のアメリカ軍爆撃機

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 B-17は運用開始が1938年、B-24は1941年で、特にB-17で不足気味であった航続距離を伸ばし、爆弾積載量でも勝っていたそうです(OCS上では砲爆撃力で負けてますが)が、B-17が非常に堅牢であったのに較べると脆弱であったようです。

 OCSのユニットイラストから受ける印象だと、B-24の方がでかいように見えますが、全長・全幅はそれほど差はないようです。



Maxwell B-24 (cropped)

 ↑B-24リベレーター(Wikipediaから)



B-17s-532d Bombardment Squadron

 ↑B-17フライング・フォートレス(Wikipediaから)




 まずはB-24リベレーターについて、Wikipediaの記述が結構興味深いものでした。

形状の特徴としては、飛行艇を主に開発していたコンソリデーティド社らしく、高翼と上下に高い胴体(幅は比較的薄い)を持っている。当時、アメリカ陸軍の主力重爆撃機となりつつあったB-17重爆撃機は、並外れた堅牢性で高い評価を受けてはいたが、航続距離の短さが難点であった。これはイギリスを拠点とするドイツへの爆撃でも余裕は少なく、太平洋上での作戦や、以後想定される日本本土への爆撃には大きな制約となるものであった。

コンソリデーテッド社は航続距離を伸ばすため、主翼の翼型にはデービス翼と呼ばれる、グライダーのような細長い直線翼をモデル31から流用した。これは前後のスパンが短いため、前縁直後から急激に厚みを増す翼断面であるが、主翼内に大容量の燃料タンクを配置する点でも好都合であった。垂直尾翼は、空気抵抗を大きく増やさずに面積を稼ぐことができるとされていた双尾翼で、当時の流行でもあった。爆弾槽扉も、開放時に前面投影面積が変わらない、巻き上げ式シャッターとした。B-17と比べて設計年度が新しい事により、最大速度、航続距離、太い胴体断面を生かした爆弾搭載量など、全ての数値で上回っていた。この大きな機内容積と長い航続距離の組み合わせでB-24は高い汎用性を持ち、対潜哨戒機や輸送機としても使用され、生産数でもB-17を上回っている。なお、本機より米実用爆撃機は首輪式が主流となった

 ……

B-24の生産数はアメリカ陸軍航空隊向けとしては最多の18,431機(諸説あり)が終戦直前まで生産され、これに海軍向けの1,000機近くが加わる。B-29の生産機数は約4,000機、B-17は約13,000機であり、B-24は第二次世界大戦中に生産された米軍機の中で最多となる。

B-24はイギリス空軍に受けが良かった。これは初期型のB-17の低性能に失望した経験からB-17に対して良い印象を持っていなかったため、B-17よりもB-24を欲しがったと言われており、イギリス空軍が重爆撃機に要求した「ともかく大量の爆弾を、少しでも遠くに」という、爆弾運搬能力重視の姿勢も関係がある。B-24はB-17に比べると爆弾倉が大きく、性格的に英空軍の主力となったアブロ ランカスターにも似ていた。ただし、前述のとおり、アメリカ陸軍が対ナチス・ドイツ戦に大量投入したB-17は、エンジンを変更したF型とG型で、持ち前の信頼性と堅牢性に加え、初期型からは性能が大きく向上しており、武装も強化されていた。

B-24の欠点としては、銃弾を機体に受けると安定性に難が有る、飛行高度がB-17より低いなどの弱点があった。また、アスペクト比の高すぎる主翼が被弾時に折れやすい上、開放時の速度低下を最小にするために採用された巻き上げシャッター式の爆弾槽扉が構造的に弱く、「クルーが誤って踏み破ってしまった」という評さえあった。特に不時着水時に爆弾倉扉が破損して機体が一気に水没する危険があり「B-17に比べて脆弱」と運用側の評価は芳しくなかった。B-17であれば生還できた損傷でも機体を喪失した例も多く、これもあって、特に航続距離が重視される太平洋戦線の場合と異なり、欧州においては総合力生還率で勝るB-17を置き換えるには至らなかった。悪評も多く、「乗員一掃機」、「空飛ぶ棺桶(Flying Coffin)」、「未亡人製造機(Widow Maker)」などの悪意ある仇名がつけられた。




 B-17フライング・フォートレスについても、Wikipediaから。

アメリカの欧州参戦後はアメリカ陸軍の主力爆撃機として活躍し、主にイギリスを基地とした対ドイツへの昼間爆撃に従事した。だが、イギリスで兵力を蓄積しはじめた1942年はトーチ作戦(およびその後の北アフリカの作戦)が開始され、そのために戦力を抽出されてしまったため、ヨーロッパでの本格的な爆撃作戦は実施できなかった。そして戦局が連合軍側優位に傾き、さらに兵力の蓄積が進んだ1943年から昼間爆撃が本格化、フランスへの近距離爆撃で経験を積んでからドイツ本土への爆撃にも出撃するようになった。護衛戦闘機の航続距離が充分でなかった1943年頃まではドイツの迎撃戦闘機により多数の(時には10%を越える)損害が出ていたが、B-17の編隊はコンバット・ボックスで濃密な防御砲火の弾幕を張り、ドイツ戦闘機隊の攻撃を妨害するどころか逆に撃墜することもしばしばだった。ドイツ軍では最も火力が少ない正面からの一撃離脱戦法やFw190による「突撃飛行隊」の編成などで一定の戦果を上げたが、機銃と防御性能の強化により効果が減じられ、1944年以降はB/C型からD型に改良されたP-51マスタングをはじめとする高性能な戦闘機が護衛として随伴すると接近すら難しくなり、B-17の損害は一気に減少した。

また4発機のB-17は頑丈で優れた安定性を持つ機体でもあるため、エンジンの一つや二つが止まっても機体や翼が穴だらけになってもイギリスまで帰ってきたものが多数あった。ドイツ本土への侵攻では、撃墜されてしまうとそれだけ多くの搭乗員を失ってしまうため(脱出しても捕虜になってしまうため)、機体そのものはボロボロになっても貴重な人材を連れ帰ることができるという点は非常に重要だった。そのような特徴は多くの搭乗員に愛され、「空の女王」という異名も授かっている。





 B-17は、2020年にアニメ化されるストライクウィッチーズでも出てくるようです。

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 戦争の悲惨な面も、もちろん考えておくべきですが……(→B-17 フライングフォートレスが登場するアニメと、戦略爆撃は是か非か論争(付:OCS『Sicily II』) (2019/03/13))。


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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! VASSALでのオンラインインストも大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

 ブログで書いた物のうち、

 OCS関係の記事は

「OCSの物置2」



 戦史物の記事は

「戦史物の物置」


 で、アクセスしやすいようにカテゴリ毎にまとめてありますのでそちらもどうぞ。

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