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『電撃戦という幻』で見る、フランス第5騎兵師団の撤退に関する動き(付:OCS『The Blitzkrieg Legend』)

 試しに『電撃戦という幻』(原題『Blitzkrieg-Legende:Der Wesfeldzug 1940』)でフランス軍の騎兵についてある程度以上詳しいことが書いていないか見てみたところ、フランス第5騎兵師団の動きについて数ページの記述がありました。


 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』セットアップによるフランス第5騎兵師団周辺の状況

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 オレンジ色の帯のついたフランス軍ユニットが第5騎兵師団で、その第78砲兵連隊が置かれているヘクスから3ヘクス以内に自由配置です。各ユニットは『電撃戦という幻』の地図からおおよその位置に置きました(ゲーム的にも割と理に適ってます)。師団マーカーが置いてある場所は、開戦前に同部隊がいたと思われる辺りです。

 その右に置いてあるドイツ軍第1装甲師団の第2装甲連隊(の第1大隊と第2大隊)、第1装甲連隊(の第1大隊と第2大隊)が、史実でヌシャトー(ヌフシャトー:Neufchateau)の辺りに攻撃をかけたのですが、その際に3~4km程度の迂回行動によってフランス軍の防衛線に混乱状況を作り出したことが書かれていました。が、『The Blitzkrieg Legend』の1ヘクスは3マイル=4.83km、つまり5km弱であり、これらの迂回行動は1ヘクスの中でおこなわれた、つまり結局はヌフシャトーのヘクスへの攻撃の際の奇襲チェックで攻撃側奇襲が起こった……という風に考えるべきなのかなと思いました。

 11日09時30分、第2戦車連隊が攻撃を開始した[巻末地図17]。ところが戦車連隊はヌシャトー【地図を見ると1km四方くらいの広さの町だったよう】に向かって突進せず、町を南に迂回し、10時30分にクストモン【ヌシャトーの南東3km辺り】で敵の防衛線を突破した。彼らが次にとった行動はほとんど常識はずれである。北へ旋回してヌシャトーを南から突くことはせず、側背を無防備にしたまま、まっすぐ西に向かって進撃したのである。
 朝、第1装甲師団の前途は真っ暗にみえたが、この日一日中彼らはツキまくった。ヌシャトーを南に迂回したとき、第2戦車連隊はこれによってフランス軍第5軽騎兵師団の締まりのない対敵遅延ラインのあいだ、つまりヌシャトー地区のフランス軍の強化された第11胸甲騎兵連隊【11C】とその南の同じく増強された第60捜索大隊【第71歩兵師団から派遣されていた】のあいだをまんまとすり抜けた。この挙は敵防衛部隊の急所を直撃することになった。ヌシャトー西方4キロメートルのプティヴォアールにある第11胸甲騎兵連隊の戦闘司令所、ならびにエヴァン大佐の指揮する東集団(第5軽騎兵師団の混成第15軽機械化旅団)の戦闘司令所を襲撃することに成功したのである。フランス側はこの地区に第78砲兵連隊第2大隊も進出させており、プティヴォアールの南のはずれには第4中隊の砲撃陣地が設営されていた。
 12時30分頃、東南方の小さな森の中からドイツ軍戦車が突然現われ、フランス軍の砲兵陣地に奇襲攻撃をかけた。同時にワルミフォンテーヌの丘【プティヴォアールの南東1km】からⅣ号戦車が谷底に向かって砲撃を加えたので、プティヴォアールのフランス軍はパニックにおちいった。何人かの兵士が逃亡し、乗り手のない馬が村の中を疾走、混乱に拍車がかかった。客観的に見れば戦車砲撃による物的戦果はたいしたものではなかったが、敵の心理にあたえた打撃はそれとはくらべようがないほど大きかった。
 ……フランス軍はプティヴォアールで踏ん張った。彼らがこの村で絶望的な勇気を奮い起こして戦ったのは、ここが奪取されれば西方への退路が遮断されてしまうからである。
 他方、第1戦車連隊は、11日の攻撃開始時にはまだボダーニュ【マップ上でベルギー軍ユニットが置かれている村。1/6の確率でこの場所に配置される】の橋の後方にいたが、ヌシャトー戦区へと急行、第2戦車連隊がつくったクストモンの突破口を抜け、たちまちプティヴォアールの前面に到達した。フランス側が大いに驚いたことには、第1戦車連隊は第2戦車連隊のプティヴォアール攻略に加勢せず、これを横目に見やりながらそのまま西へと向かい、15時頃、北に旋回して交通の分岐点ビウルジュ【プティヴォアールの西4km】を奪取した。これでフランス軍の対敵遅延作戦は完全に麻痺した。後方わずか4キロメートルのところにドイツ軍戦車が陣どり、しかもプティヴォアールはじりじりと追いつめら一れていた。フランス軍の防衛組織が音をたてて崩れはじめたのはこのときである。前大戦で勇名をはせたフランス兵は無秩序に後退し、安全な場所へと退避した。これを見た第2戦車連隊はプティヴォアールへ前進し、難なくこの村を占拠した。……
 ヌシャトーの突破は、かつて第一次大戦でドイツ軍が発展させた「突進部隊による戦術」の一つの模範例となった。この装甲兵器による巧みな「浸潤行動」は、いわば「からめ手」の戦法であった。まず、もっとも脆弱な防衛線を突き破り、それから敵の背後まで深く進出、さらに相手の恐慌に乗じて敵戦線を一気に倒壊させるのである。
『電撃戦という幻』P224,5



 画像のユニットはすべて戦闘モードで置いてあるのですが、実際には、少なくともドイツ軍第1装甲師団の諸ユニットは、ヌシャトー辺りに史実の5月11日(ゲーム上の第1ターン)に行こうとすれば、移動モードにせざるを得ません。フランス軍側はもちろん、戦闘モードで置かれるはずです。

 そうすると、ドイツ軍側が画像の4ユニットでオーバーラン攻撃をかけたとすると、ドイツ軍側は、

 ユニット数(4)×移動モードで戦闘力半減(2)×森林丘陵での防御で装甲部隊の戦闘力半減(1/2)=4戦闘力

 つまり、森林丘陵による中障害1:1、+2での戦闘となります。

 これはだいぶしんどくて(OCSのチャートを参照)、仮に一番平均的にダイス5個を振って3、4、3、4、3の目が出たとすると、「Ao1 Do1」で、攻撃側が1ステップロスしても防御側は1ヘクス退却すればいいだけです(攻撃側が退却を選択しそれ以上移動できなくなった場合には、防御側は退却する必要すらありません)。

 もしハウスルール(→OCS『The Blitzkrieg Legend』:フランス軍の第1ターン先攻の移動元地点を調査 (2019/06/02))を入れてフランス軍側を移動モードとすればアクションレーティングも1下がって、中障害2:1、+3での戦闘となり、先ほどのダイス目だと「Ao1 DL1o1」で、防御側は必ず1ステップロス、攻撃側はもし1ヘクス退却を選択すればそこで移動はストップ、もし1ステップロスを選択すれば移動が継続できる、となります。


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『The Cavalry of World War II』に見る、1940年フランス戦におけるフランス軍騎兵の動き(付:OCS『The Blitzkrieg Legend』)

 1940年のフランス戦中のフランス軍騎兵の動きについて、『The Cavalry of World War II』の記述を見てみると、最初に開戦当日(5月10日)から翌日にかけてのことが書かれていました。


 その中でもまず最初に、ルクセンブルク国境付近でのフランス軍第3騎兵師団(DLC)や第1スパーヒ旅団などについての記述が出てきていたので、それを(「スパーヒ(シパーヒー)」というのは、大まかに言ってイスラム教徒による騎兵のこと? 当時フランスはアルジェリアなどを植民地にしていて、それらの現地の騎兵による部隊をフランス本土にも持ってきていたのです)。


 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』の第3騎兵師団周辺のセットアップ

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 「3.Cav」とあるのが第3騎兵師団で、スタックは初期配置ですがその3ヘクス以内に自由配置、その上の横長の画像はスタックの中身です。「1S」とあるのが第1スパーヒ旅団(VASSALの初期配置では「1」となっているのですが、「1S」の間違いだと思うので置き直してあります)。

 『The Blitzkrieg Legend』の連合軍セットアップは、開戦初日(5月10日)の移動後のものとなっており、黄色い矢印の根元の部分が、開戦前にいた場所だと思われます(→OCS『The Blitzkrieg Legend』:フランス軍の第1ターン先攻の移動元地点を調査(増補版) (2019/06/09) )。

 薄い黒い矢印は、後で出てくるドイツ軍第34歩兵師団の進撃路です(『Fall Gelb 1940 (1): Panzer breakthrough in the West』P37の地図から)。マップ上では第34歩兵師団は矢印の出発地から3ヘクスほど北北東に配置されていますが、矢印は参考にした地図に従いました。


 1940年5月10日金曜日の夜明け。ルクセンブルクに近いフランス第6軍団【?】の戦闘司令部の将校達は、ドイツ軍の爆弾の破裂するドンという鈍い音で目を覚ました。第3局のd'Huart男爵は、軍団参謀長のde Villaret大佐に向かって叫んだ。
「大佐、今回は本当にやばいやつでは?」
「ああ、いや……まだだ」
「それって、これはドイツ軍の攻撃ではないという意味ですか?」
「そう、我々はまだ命令を受けていない」
 フランス政府が反撃命令を出したのは、ドイツ軍の攻撃からわずか3時間後のことだった。ルクセンブルクの南の国境には、第3騎兵師団(DLC) - 増強された騎兵部隊 - が駐屯しており、出撃準備中であった。1940年3月に、Saumur騎兵士官学校の校長の前歴を持つ騎兵将校のPetiet将軍が、彼の師団にルクセンブルクを突っ切るという任務を割り当てていたのであった。騎兵グループや偵察車、竜騎兵、スパーヒ連隊などが彼の指揮下にあった。これらの部隊が4つの戦闘梯団を形成し、南側の戦線で40kmの幅を持って迅速に前進することが可能であった。
 だが、警戒情報と反撃命令の間の時間が短すぎたため、出撃の準備ができていた部隊はほんのわずかしかなかった。スパーヒは正午頃にルクセンブルク市の外にいた。優れた騎兵部隊であった第1スパーヒ旅団は、第4モロッコ連隊と第6アルジェリア連隊で構成されていた。ZolverやSassenheimの牧草地に強固な守りを敷いていたドイツ軍部隊に真っ直ぐに全力疾走で突っ込んでいった強気で勇敢な騎兵達は、1914年の英雄的な騎兵を思い起こさせた。


 「第6軍団」は、調べてみるとルクセンブルク国境よりはだいぶ東のザールブリュッケン正面にいるようなのですが、第3騎兵師団はその配下にいたのでしょうか……?

 「これらの部隊が4つの戦闘梯団を形成し、南側の戦線で40kmの幅を持って迅速に前進することが可能であった。」とありますが、『The Blitzkrieg Legend』は1ヘクス3マイル=4.83kmであり、40kmの幅というと8ヘクス幅くらいになります。4つのスタックが1ヘクスおきに並べばちょうどそれくらいです。ただこの「可能であった」の文章の後、結局それはできなかったという流れになっている……?

 そしてなぜかいきなり、話が第1スパーヒ旅団の話になります。 「Zolver」「Sassenheim」というのは、「Esch-sur-Alzette」(マップ上にもある都市)の一部(あるいは周辺?)の地名であるようで、そこにいたドイツ軍に突っこんでいった、とあるのですが、その結果については何も書かれていないのは、結果が芳しくなかったことを言外に匂わせているのでしょうか……?(^_^;



 その続き。

 St Quentin大尉によって率いられたある騎兵中隊が、Limpach【Esch-sur-Alzetteの真北、Petangeの真東の辺りの小さな村】へと急いで前進していた。その村に近づくと、兵士達は一斉斉射というスパーヒの正式なやり方で自分達の到着を知らせ、住民達に敵に関する情報を尋ねた。騎兵の一部隊は下馬して村からの出口を守り、他の2部隊はBettingen【不明】とReckingen【ルクセンブルクの中央辺り、マップ上のEttelbruck(Ettetbruckとあるのは間違い)のやや南西か】の方向へと出発した。このスパーヒの前進の勢いは維持され、彼らのLimpachへの前進の東端はルクセンブルク市から10km以内に達した。Reckingenへの路上で、スパーヒHamadi ben hadjはサーベルで一人のオートバイ兵に斬りかかり、転倒させてその兵を捕虜にしたのだった。
 アルジェリアとモロッコ部隊の楔形隊形の側面は、何度もBehlendorff師団【ドイツ軍の第34歩兵師団のこと】の先頭部隊から攻撃を受けていた。ドイツ軍はスパーヒが勇敢で、戦いにおける技量も高いと認識していた。午前11時少し前に、フランス軍騎兵部隊はようやくルクセンブルク側の丘陵地帯を占領するために国境を越えた。彼らが現れると、Düdelingen【Esch-sur-Alzetteの南東の町】の製鋼所の南部の拠点から、そのドイツ軍部隊は撤退した。町の住民の歓呼の中その場所に進んできたフランス軍部隊は、強い抵抗に遭うこともなくその場所を占領した。しかし翌5月11日、そのフランス軍部隊と、アラブ馬に乗ったモロッコやアルジェリア騎兵達は、Düdelingenを去って再び自分達の前進を開始した。


 うーん、印象としては、「とにかく騎兵が活躍したような話を書く」ということであって、全体として、あるいは客観的な見方として、騎兵がどうであったかに関しては全然書かれていないような……(^_^;

 まあでも、一部とはいえ騎兵がどのようであったかが分かるのは貴重ではあるので、また続けて情報収集していこうかとは思います。


ミドルアース大阪で、OCS『DAK-II』でまたまた初めての方にOCSインスト

 尼崎会が休会になったので、ミドルアース大阪に行って『DAK-II』の第1次ロンメル攻勢シナリオ(キャンペーン)をソロプレイしようと思っていましたところ……。

 セットアップをしている途中で、「この人がOCSに興味あるんですって」と一人の方を紹介してもらいました(仮にCさんと書くことにします)。

 なんでも、Cさんはビッグゲーム好きで『ヴァハト・アム・ライン』などをやってきており、OCSは記事などで読んで興味を持っていたとのこと。私の方も喜んでインストさせてもらいました。


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 ↑第1次ロンメル攻勢からのキャンペーンシナリオ


 当初、セットアップ途中であったこのキャンペーンシナリオ(というか、この時点から始まるのはキャンペーンしかないのです)でインストを始めてみたのですが、マルタ島情勢とかチェックしなければいけないっぽく、私もこのキャンペーンシナリオをやるのは初めてでルールを読み解くのに時間がかかるかも……と思って、同梱の練習用シナリオ(コンパス作戦)に切り換えることにしました(が、後から考えてみるとそのままなんとか読み解いて、そのままやっていた方が良かったかも(^_^; あるいはマルタ島情勢とか無視してSPを置いてしまってやれば良かったのか……(T_T))。

 シナリオの印象としては、最も西にいるイギリス連邦軍部隊(4ヘクス以内自由配置)は塩沼(Salt Marsh:徒歩以外のユニットは道路以外では進入不可)に置けるため、オーバーランが成立しないですし、地形効果も厳しいので、第1ターンにあっという間に突破とはいかないな、と思いました。




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 ↑練習用シナリオ(コンパス作戦)

 練習用と言いつつも、結構ユニット数が多いです(^_^; しかも前線にSPが少なく、後方に大量にSPがあるのですが運ぶ手段が1Tトラック(1SPではない)1ユニットしかないので、一体どうすればいいの?(以前もやったことあるのですが、どうしてたんだっけ?)と思いました。しかし良く考えてみれば、6ターンかけてイタリア軍をエジプトから追い出せば大勝利、という設定なので、全然焦る必要のない、じっくりやればよい状況なんだったとも思われます。

 
 CさんはOCSの、最大6コラムシフトする奇襲チェックに特に驚いた様子でした。でも例えばスモレンスク戦やタイフーン作戦なんかだと、ドイツ軍はアクションレーティング差による攻撃側奇襲を頼りに攻撃を仕掛けていくという話には「なるほど~」と仰ってました。

 OCSは結構面白いと思っていただけたようで、また機会があればやりましょうとお伝えしました。またこの調子で色々な方にインストできていければ嬉しいです(^^)

『王妃ルイーゼとフリードリヒ・ヴィルヘルム3世』第2章を機械翻訳で読みました

 『王妃ルイーゼとフリードリヒ・ヴィルヘルム3世』第2章を機械翻訳で読んでみました。

 第1章についてはこちら↓
『王妃ルイーゼとフリードリヒ・ヴィルヘルム3世』第1章を機械翻訳で読みました (2019/10/08)


 第2章では、フリードリヒ・ヴィルヘルム王太子とルイーゼの出会いから、婚約後のことまでが扱われています。個人的に興味深かった部分を抜き出してみます(和訳ミスの可能性は全然あります)。

 ……マッセンバッハによれば【マッセンバッハについてはこちら→「プロイセンに付きまとう悪魔」マッセンバッハ (2015/02/08) 】、ルイーゼの踊りは「神々し」く、しかも彼女には心からの優しさがあった。彼がすぐに彼女を大好きになったのは、彼が常にそれ【心からの優しさ】を渇望していたからで、彼女は彼の人生における喜びとなった。「彼女のユーモアのセンスは本当に素晴らしくて、幸せな気分にさせてくれるものだった。」と彼は言う。……ルイーゼもまた、フリードリヒ・ヴィルヘルムが切望するものに共感するものを感じた【?】。彼は彼女が恐れていたような、傲慢さも、冷酷さも、計算高さもなく、むしろ謙虚であった。彼女は彼の中に、彼女が好きな特製であった、恐怖心を取り除くような誠実さを見いだした。彼は浮気もしなかったし……【この後、意味が取りにくいので省略(^_^;】
『Koenigin Luise und Friedrich Wilhelm III: Eine Liebe in Preussen』P28



 また、恐らくフリードリヒ・ヴィルヘルム(3世)の手紙からの引用と思われる文の中に、「何度も吃(ども)ったり、ちぐはぐなことを言ったりした後に、ようやく勇気を振り絞って……【ルイーゼにプロポーズして、ルイーゼはそれを受け入れた】」(P29)とあって、フリードリヒ・ヴィルヘルムの喋り方について分かる様な記述がありました。

 ルイーゼはフリードリヒ・ヴィルヘルムの少年期に受けたつらさを埋めようとつとめ、彼は婚約後、徐々に、過度の内気さや非社交的な雰囲気が減り、暖かさが出てきたそうで、周りの人は非常に驚いたそうです。


 個人的に興味があったのは「ルイーゼはフリードリヒ・ヴィルヘルムのどこに惹かれたのだろう?」ということだったのですが、基本的にその「誠実さ」に惹かれたもののようですね。かなり納得がいきました。彼の父親(フリードリヒ・ヴィルヘルム2世)は漁色家で知られていたので、そこらへんのことも関係しているのかも……。



またカブト会で初めての方にOCS『Sicily II』をインストしてました

 先日、カブト会で初心者の方にOCS『KOREA』をインストしてました (2019/09/26) というのを書いてましたが、今回また、カブト会で別のOCS未経験のちぇーざれさんにOCS『Sicily II』をインストする機会がありました。


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 まずは初心者の方に最も向いていると思っている『Sicily II』のシナリオ1「シチリア島西部」でインスト。最初のイタリア軍部隊降伏チェックで降伏が起こらずややしんどめな展開だったのですが、補給が尽きる頃にイタリア軍の補給集積所を複数箇所占領してSPを得る幸運にも恵まれ、第2ターン先攻(連合軍)終了時に勝利条件が満たせることが確定して終了しました。

 結構楽しんでいただけたようで、続けてシナリオ3「プリマソーレ橋」をプレイしてみることに。

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 航空ユニットの操作は私の方でやりましたが、空挺降下の結果が割と良かったり、来られていた下野守さんのダイス目が走っていたこともあってか、史実で焦点となっていたプリマソーレ橋を第1ターンに渡ってしまうという良好な結果になっていました。


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 ↑赤く囲ったのがプリマソーレ橋。


 ちぇーざれさんの感触としては、選択肢が広くて大変だけどもなかなか面白いという感じであったようで、また機会があればやりましょう、と。前回インストしてましたぴょんさんとまたカブト会でプレイできる機会もあるでしょうから、複数人プレイでやりたいですね、と仰ってました。

 ちょっとずつでもOCSの輪が広がっていけば嬉しいです(^^)

OCS『KOREA』キャンペーン第10、11ターン

 尼崎会で、OCS『KOREA』キャンペーンの第10、11ターン(7月26、29日ターン)をプレイできました。

 今回は3人プレイで、韓国軍が肉入り鍋さん、国連軍(米軍)がワニミさん、北朝鮮軍が私でした。

 両方のターンともフライトで、イニシアティブは韓国・国連軍が取り、撤退を急ぐために韓国・国連軍が先攻を選択しました。



 ↓第10ターン(7月26日ターン)終了時。

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 このターン、私は機甲戦力の秘匿に成功して敵側が予想していなかった箇所(写真中央からやや右下辺り)での攻撃をしかけたのですが、軽障害4:1、+1の戦闘がAo1 Do1の結果で自軍側が退却したにとどまりました。この戦闘でもしその韓国軍海兵隊ユニットが吹き飛んでいれば戦線に大穴が空いたところだったので、韓国・国連軍側はこの勝利を大々的に報道(^_^;




 ↓第11ターン(7月29日ターン)終了時。

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 このターンは、北朝鮮軍の最強機甲ユニットによる韓国軍歩兵連隊ユニットへのオーバーランが成功し、また、大田(テジョン)の南東で3スタック4ユニットへの包囲が完成しました。釜山方面にも南岸から1個師団(史実通り第6歩兵師団)が接近しています。



 今回、プレイ以外の話題も色々話していて、『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』というような話でも盛り上がっていました。OCSでも、意図や戦力を秘匿したり、スタックの内容を相手に誤解させるとか、あるいは反攻や危険があると思わせるということが非常に重要だと思われます。



『王妃ルイーゼとフリードリヒ・ヴィルヘルム3世』第1章を機械翻訳で読みました

 先日、ドイツ語本の『Koenigin Luise und Friedrich Wilhelm III: Eine Liebe in Preussen(王妃ルイーゼとフリードリヒ・ヴィルヘルム3世:あるプロイセンの愛)』を衝動買いしてしまったのですが、当然ドイツ語はまったく読めないので、ネット上で機械翻訳して読めるよう、スキャンなど色々準備をしてました。

 フリードリヒ・ヴィルヘルム3世については↓などをどうぞ。
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世のキャラクター像 (2015/02/11)
不定詞王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (2015/03/12)
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の散歩とジョーク (2016/08/05)




 で、ようやく、第1章(P9~24)を全部見てみることができました。

 ちなみに、手順としてはこうしてます。

1.本をスキャンする。
2.スキャンした画像データをGoogleドライブに保存する。
3.保存した画像データを右クリック→アプリで開く→Googleドキュメント(するとOCRされる)
4.OCRされたデータをExcel互換ソフトで、原文、英訳、和訳とセルに貼っていく(英訳はGoogle翻訳、和訳はみらい翻訳で)


 読んでいて確認できた(と思われる)のは、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世がそのしゃべり方とは異なり、手紙等は普通に?感情豊かに書くことができたようだということです。というのは、引用符と思われるもの付きで、手紙(まだ結婚する前にルイーゼにあてたラブレター)の内容が書かれているので。

 あと、彼は王太子時代の1792年に、フランス革命戦争に父王と共に従軍しており(総司令官はブラウンシュヴァイク公)、その時の戦争の恐ろしい様子を見て、筋金入りの反戦論者になったそうです。なるほど……。

 また、小さい頃に受けた教育が非常に虐待的なもので、それが彼の「過度の罪悪感と自信のなさ」を助長したとか。

 いくらかちゃんと訳せた、彼のキャラクター像に関する記述を挙げてみます。

 王子は恥ずかしがり屋だったが、優しい心を持ち、とても親切だった。彼は人が苦しんでいるのを見ることができず、戦争を大変嫌っていた。彼は貧しい人々にお金を分け与えたため、後の結婚式に時にベルリンの街をライトアップするお金が残っていなかった。
『Koenigin Luise und Friedrich Wilhelm III: Eine Liebe in Preussen』P18

 王太子に友達がいないのは良く知られていた。王太子の副官であったJohann Georg von Schackを除けば友達にあたるような人を誰も見たことがなかった。フリードリヒ・ヴィルヘルムは非社交的で非友好的で、弟のルートヴィヒ【ルイーゼの妹フリーデリケと結婚。1796年にジフテリアにかかって急死した。】以外には誰にもプライバシーを明かさず、自虐的な性格のためにいかなる和解も困難だった。また「いつも女性の優しさや可愛らしさに非常に影響されやすい」と思っていたにもかかわらず、信頼できるガールフレンドを見つけることができなかったようで、女性との関係を含むすべての関係において、不信感と精神的不安が広がった。
『Koenigin Luise und Friedrich Wilhelm III: Eine Liebe in Preussen』P19




 王妃ルイーゼに関してちょっと面白かったのは、彼女が姉2人のような音楽的な才能も、妹フリーデリケのような魅力もなく、4人姉妹の中で最も気まぐれであった……という風に書いている一方で、その長所として、洞察力と順応性が高いということ、素早い理解力と人間性というものに関する正しい見方を持っていた、という様な感じで書いていることでした。つまり、美しさというよりは知的な能力が高かったということでしょうか。

 また、「彼女は温かさと距離感を調和させることを理解していた(公式の代表として現れる時には、彼女は威厳に満ちて見えた)」というような感じで書いてある(ように見える)のも興味深かったです。


 ただあれですね、英訳と和訳の間に割と違いがあるようにも感じるので、ドイツ語原文のニュアンスを理解するのはなかなか難しいのかも……?

OCS『Tunisia II』のアメリカ軍第1歩兵師団「ビッグ・レッド・ワン」の帯は赤かった

 ここのところ、忙しかったり思考力がなかったりでOCS『Tunisia II』のソロキャンペーンをやってなかったのですが、今日久方ぶりにやってみました。が、2ターン連続で泥濘(^_^;(ユニットが動けない)

 それでも増援は到着するので増援到着表に従ってユニットを選別していたところ、アメリカ第1歩兵師団、通称「ビッグ・レッド・ワン」の帯が赤いのに気付きました。(→日本語版Wikipedia「第1歩兵師団 (アメリカ軍)」


 ↓OCS『Tunisia II』のアメリカ第1歩兵師団

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 肩章の「1」の字が赤いことにちなみ(なぜ赤いのかの理由は……?)、また(多分)最も経験豊富で精強な歩兵師団であることを称えて「ビッグ・レッド・ワン」と呼ばれていると思うのですが、師団の帯を赤い色にするとは「分かってるなぁ」と(日本人に言われても、でしょうけども(^_^;)。


 「他のOCSゲームではどうなってるのだろう?」と思って、『Sicily II』と『Beyond the Rhine』を見てみたら、両方とも複数ステップ師団だったので、帯自体がありませんでした(^_^;


 ↓OCS『Sicily II』(左)と『Beyond the Rhine』(右)のアメリカ第1歩兵師団

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 ……と、これでオチがついたなやれやれ、と思っていたのですが、いや、良く考えたら『Sicily』は『Sicily II』とスケールが違ってすべてが複数ユニットフォーメーションになっているはずだからアメリカ第1歩兵師団に帯があるハズ……と気付いて見てみたところ……。


 ↓OCS『Sicily』のアメリカ第1歩兵師団

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 「なんで白やねーん!」とツッコミたくなりました。まあそれはそれとして、配属されている機甲大隊とか、興味深いですけど。


 さらに、いやいやいや、『Tunisia』も見てみるべきじゃね? と思って見てみると……。

 ↓OCS『Tunisia』のアメリカ第1歩兵師団

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 「この色は……銅色?」 なんか良く分かりませんが(^_^; 砲兵が細かく分かれているのは、面倒くさそうです(そこらへん、『Tunisia II』ではまとめておいたとデザイナーズノートに書かれてました)。


 ともかくも、「赤いビッグ・レッド・ワンが見られるのは、『Tunisia II』だけ!」ということは言えそうです(OCS以外のゲームでどうかは知りません:p)。


メッセ将軍率いるイタリア軍のロシア戦線派遣軍団(CSIR:~1942年春)の人道的な態度まとめ(付:OCS『Case Blue』)

 これまでメインに読む洋書として『On a Knife's Edge』を読んできており、ロストフ戦などの段に入ってきたのですが、私の最も興味のあるオストロゴジスク=ロッソシ作戦の章が終わってやや興味の薄い時期に入ってきたので、それらはまた今後OCSでそれらの時期をプレイする機会のある時にでも読むとして、次に読もうと思っていた『Sacrifice on the Steppe』に戻ることにしました。

『On a Knife's Edge』についてはこちら↓
『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』を買いました (2018/10/26)

『Sacrifice on the Steppe』についてはこちら↓
グランツのスターリングラード三部作(の一部)などを購入・注文しました (2017/04/23)


 それで『Sacrifice on the Steppe』をまた最初から目を通し始めたのですが、最初の章にメッセ将軍率いるイタリア軍のロシア戦線派遣軍団(CSIR:~1942年春まで)の(ドイツ軍とは対照的な)人道的な態度がまとめられているのを、参考に全部訳出引用してみようと考えました。以前、『Sacrifice on the Steppe』 イタリア軍兵士達とロシア住民との良好な関係 (2017/05/14)でいくらかは訳出していたのですが、大木毅さんの『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』が出版されてドイツ軍による独ソ戦での非人道的な行為について日本でも知られてきている今、全部訳出するだけのインパクトがあると考えまして。また今回、『Sacrifice on the Steppe』に記されている原典も参考に書いてみます。

その他の参考エントリ↓
イタリア・ロシア戦線派遣軍団(CSIR:~1942年春)について (2017/05/12)
東部戦線におけるイタリア軍のメッセ将軍 (2017/05/22)



↓OCS『Case Blue』によるイタリア軍のロシア戦線派遣軍団(CSIR:推定&時代がずれてますが)。

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 一般的に、CSIRのイタリア兵達はロシアの地域住民達に対して敬意を持って接した。ドイツ軍とは対照的に、イタリア軍は人種的優越性という観念を抱いてウクライナの地にやってきたわけではなかった。それどころかイタリア軍兵士達は、彼らが目撃したドイツ軍による占領期間中の残酷で無慈悲な行いによって極度に苦しめられたロシア住民達に対して同情や共感を抱いたのだった。【42:Faldella, Storia delle truppe alpine(アルピーニ軍団史), p.1377.】
 ロシアの貧しい農民達はイタリア軍兵士達に対して多くの場合温かいもてなしをし、兵士達を家に迎え入れてわずかばかりの食糧を分け与えてくれた。だいぶ後になって、ドン川からの悲惨な退却行の時に、恐らく多くのイタリア軍兵士達がロシアの貧しい農民達の気前の良さによってなんとか生きのびることができたのだった。【43:Porcari, in Gli italiani sul fronte Russo, Istituto Storico della Resistenza in Cuneo e Provincia, p.273.】
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P12


 一冊目の本は今は手に入らないようですが、大部の本であるようで、興味はそそられますね~。二冊目はイタリアのとある地域史学会の研究誌か何かのようです。


 ドイツ軍はイタリア軍に対して、イタリア軍が占領した地のすべてのロシア人捕虜と脱走兵達を36時間から48時間以内にドイツ軍の捕虜収容所に運ぶように要求していた。イタリア軍の将兵達は、ドイツ軍に捕らえられたロシア人達がどんなに残酷な扱いを受けるかを知っていたので、その「地獄の」ドイツ軍収容所に捕虜達を送り届けることをあらゆる手段で妨害しようとした。彼らはイタリア軍の輸送力の低さを利用したり、あるいはしばしばイタリア軍が捕らえた捕虜の数についてドイツ軍へ違った数字を報告したりした。多くの場合、イタリア軍は捕虜達を置いておき、こまごまとした仕事をしてもらった。ソ連軍の捕虜達はイタリア軍兵士達に対して、ドイツ軍側へ移送しないでくれるように懇願したものだった。なぜなら、彼らは「惨めさと我慢」を引き替えにすれば、いくらかでも「尊厳ある人生」が残されることになると分かっていたからである。【45:Messe, La guerra al fronte russo, pp.92-93.】
 ソ連軍捕虜の扱いに関して、メッセ将軍はこう言っている。
「(イタリア軍)兵士達がソ連の住民達に対して、ドイツ軍の命令とまったく反対に、親切心や、生まれながらの気前の良さや、感受性を示したり、あるいは捕虜達への我々の扱いが文明人に対するものであると安心させたりすることを妨害するなど、誰にもできなかった。」【46:同前、p.91】
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P13


 この部分の原典は、メッセ将軍の書いた『ロシア戦線での戦い』からのようです。メッセ将軍は、第一次世界大戦や二次大戦でのギリシア戦の時期の手紙や日記による本の他に、この『ロシア戦線での戦い』と『私がチュニジアで率いた軍 アフリカでの戦争の終わり』という本も書いているようで、非常に興味のあるところですが、英訳本はどうもなさそうな……(T_T)




 もちろん、イタリアで書かれた本やメッセ将軍の書いた本が、イタリア軍は人道的であったという方向に過度にバイアスがかけられたものである可能性は否定できない(というか、そうであると考えるのが普通ではありましょう)とは思いますし、そこらへんのことは以前、東部戦線でのイタリア軍兵士のソ連市民への残虐行為はあったか? (2017/10/31) でも書いてましたがしかし、東部戦線でのイタリア軍がドイツ軍よりも人道的で、『Sacrifice on the Steppe』に引用されているようなことは事実の一端としてはあったことだろうとは思って読んでいる感じです。東部戦線でのイタリア軍による非人道的な事例についても集めたいところですが、それが載っている可能性のある『Die Italiener an der Ostfront 1942/43: Dokumente zu Mussolinis Krieg gegen die Sowjetunion』というドイツ語本を買ってみるというのは、少なくとも先日買ってしまったドイツ語本『Koenigin Luise und Friedrich Wilhelm III: Eine Liebe in Preussen』をある程度読む努力をしてからかなぁと(^_^;。


 ただ、『Sacrifice on the Steppe』をその後少し先まで再読していると、ある一般兵士についてこのような記述がありました。

 彼の手紙には、ソ連にやってきたイタリア軍は「神に見放された土地に暮らすこの哀れな人々を守るための、聖なる十字軍という務めを果たすべきであり、我々は(そのために)誠実なる働きができることを望んでいるのだ」と固く信じているということが書かれていた。
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P25


 これは、カトリックのイタリア国民から見ると、共産主義革命の起こったソ連の人民はある意味「神に見放された」ということになるのかもしれず、またこの記述はアルピーニ軍団がまだソ連に入る前の段(ポーランド辺りを列車で移動中)に書いてあるので、この兵士はあくまで想像で思い込んでいるだけなのかもですが、このように「自分達は良いことをしている(する)のだ」と思い込むことなしにはなかなかソ連などという遠い地への遠征などできないだろうということからして、イタリア軍兵士達がこのように考えていたということはあるかもとは思いました。


 CSIRの部隊が攻勢のために素早い移動を求められた際、補給集積所が後方に取り残されてしまうために、兵士達は乏しい食糧を補うために現地の物資をうまく利用する必要にしばしば迫られた。メッセ将軍は、地域住民から物資を得る場合にはその全額を支払い、またいかなる形の強制でも得てはならないということを麾下の部隊に対して明確にしていた。
 「最初から、」と、メッセは書いている。「私は、この原則をもとに、我々のことを知らない地域住民との関係性を築きたいと考えていた……」 危機的な状況においてさえ、イタリア軍兵士達は住民に何かを要求することはほとんどなかった。メッセ将軍は、地域の村々から徴発を行うよりは、麾下の部隊の糧食を減らすことを選んだ。【49:Messe, La guerra al fronte russo, p95.】
 イタリア軍は兵士達のための住まいを現地住民達に求めたが、そのような状況においてもイタリア軍当局者は現地住民の家よりも公共の建物や学校や会社から、ふさわしいものを見つけようとした。ドイツ軍がやっていたような、家々から強制的に徴発することは、はっきりと禁止されていた。【50:同前、p95-96】
 1941〜42年の冬季には、ソ連の都市民はまったくの飢餓の縁にあった。ドイツ軍がすべての穀物を徴発してしまっていたため、市民達は貴重な小麦粉を少しでも分けてくれる農家の人を探して農村地帯をさまよった。農家の人にはその代わりに、お金ではない、何か役立つ「もの」を渡すのである。「ある人が見たのは、」メッセが書いている。「本当に様々なものを積んだソリを引いて都市からやってきた、貧しい人々の行進であった。そして農村地帯の家から家へと何キロも歩いたあげく、この巡礼でようやく手に入れたわずかばかりの小麦粉を持って帰るのだ。」 数百人の人達が、そのようにして農村地帯をさすらっていた。イタリア軍の軍用トラックの運転手達は、これらの道路上の疲れ果てた都市民達の多くを見かねて運んでやっていた。ドイツ軍は軍用車両で一般市民を運ぶことを禁じる命令を出していたのであったが。【51:同前、p96】
 翌夏には、ウクライナの農民でさえも小麦粉を持たなくなってしまっていた。数百人の飢えた市民達がドン川地域の、ソ連軍がその撤退の時にも完全には破壊しておらず、かつドイツ軍がまだ供給システムに組み込んでおらず使い果たされていない穀物を求めてさすらっていた。イタリア軍の兵士達はこの頃にも多くの市民を拾って、ドン川に徒歩で向かう人々に必要な移動手段を提供したのだった。【52:同前、p96-97】
 ドイツ軍はドン川周辺の前線に大量の現地民が入ってきていたため、自軍戦線後方の安全を懸念していた。彼らは規定の許可を得ない現地民を捕虜収容所に抑留するように命じた。メッセ将軍は書いている。「もしこれらの命令が適用されたならば、各地の捕虜収容所がすぐに、飢えのために故郷を遠く離れることを余儀なくされていた貧窮者達でいっぱいになってしまっただろう。」イタリア軍は前線の補給集積所からの帰路で空になったトラックを利用して、許可証を持たない現地民の輸送体制を作った。「再び、人間というものに必要な良識、同情心、それに思いやりの心が、ドイツ軍の横暴で杓子定規な命令に勝り、イタリア軍の親切さが現地住民達にさらに知られることになったのだった。」【53:同前、p97】
 イタリア軍は、ドイツが労働を強制するために現地の労働者を駆り集め、ドイツ本国に送っていたのとはかかわりを持たなかった。イタリア軍の「現地民担当部局」は、第一に住民を助けることに焦点を当てていた。【54:同前、p96】
 【1941年から42年の】冬の数ヶ月間、CSIRの兵士達は地域住民とさらに多く接する機会を持った。部隊はドネツ盆地のスターリノの周辺で平穏な期間を過ごし、そこでの彼らの主敵は厳しい寒さであった。兵士達は頻繁に、暖かさを提供してくれるロシア人の家に避難した。村の女性達は兵士達のパンや食糧と交換に、よく洗濯をしてあげた。村の人々と兵士達が顔見知りになるに従って、彼らは子ども達の為に医者の助けが欲しいと言ってきた。イタリア軍の軍医達は村民達を診てやり、薬まで提供した。輸血が必要な場合には数多くの兵士達が血を提供した。リコヴォでは、トリノ師団の将兵達が無料の外来診療所や、高齢者の為の休憩所を建設し、さらには妊娠した女性のための診療所をイタリア人がロシア人の人員を雇って、イタリア軍の経費で運営するということまでしたりした。メッセ将軍は、これらのすべての活動は、「我々の将兵達の自発的な判断」の結果であったと述べている。【それとは反対に】ドイツ軍の担当部局は占領地から、「あらゆる物資を徴発する」ことに基礎を置いていた。【55:同前、p95】
 イタリア軍の軍事裁判は、兵士による住民に対する犯罪行為が発覚した時には「厳格さ」をもって執行された。多くの場合、イタリア軍兵士によって損害を被った住民は、経費と補償を受け取った。農家から一羽のニワトリ、あるいはガチョウを盗んだというようなささいなものであっても罰を受け、大目に見られるというようなことはなかった。メッセ将軍は断固として、ソ連の現地民がイタリア軍兵士の手によって苦しむようなことがあってはならないと信じていたのである。【56:同前、p97】
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P13~15


 この段はすべてメッセの本からになっていますね。他の、一般兵士とかによる証拠も欲しいところですが……。

 ただ、小麦粉を求めてさまよう都市民の数が「数百」となっているのには、「えっ。少なめな数だなぁ……」と思ったりしたのですが、それが逆に誇張がないということかもしれませんし、あるいは、イタリア軍の輸送トラックが拾ってあげられる数としてはそれぐらいが限度であったろうなぁという気もしました(^_^;


 メッセが東部戦線から去った後のイタリア軍指揮官はガリボルディで、メッセとは全然違うやり方をした可能性があるわけですが、私が今まで読んだ範囲では、ガリボルディがこういう点に関してどういうことをやったのかを全然見たことがありません。ガリボルディは、昔の(ロンメル関係の)日本語資料では無能扱いされていることが多いのですが、資料を集めているとそうでもない、ある程度以上はまともな人物で、もしかするとある程度以上は有能であったかもしれないという感じがしています。今後また資料を集めていきたいです。

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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