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OCS『Case Blue』で見る、イタリア軍アルピーニ軍団トリデンティーナ師団の包囲環突破

 小土星作戦の後のソ連軍による、ハンガリー・イタリア軍戦区に対する攻勢作戦「オストロゴジスク=ロッソシ作戦」に関係する話を今までいくつか書いてました。

オストロゴジスク=ロッソシ作戦時のフェーゲライン戦闘団について(付:OCS『Case Blue』『GBII』) (2019/07/11)
イタリア軍のアルピーニ軍団は「3日間の激戦を粘り強くしのいだ後、遂に撤退命令を出した」?(付:OCS『GBII』『Case Blue』) (2019/08/07)



 続けて『On a Knife's Edge』を読んでましたら、オストロゴジスク=ロッソシ作戦によってアルピーニ軍団の他の師団が壊滅する中、トリデンティーナ師団だけがなんとか包囲環からの突破に成功した時の話が、その師団長による兵士達への鼓舞の話と共に出てきまして、興味を持ちました。


 ↓アルピーニ軍団の構成師団と、当時その戦区にいたヴィチェンツァ保安師団。

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 ↓トリデンティーナ師団の退却路(『Sacrifice on the Steppe』P128から作成)。

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 Nikitovkaを通り過ぎた後、トリデンティーナ師団は概算40,000のイタリア、ハンガリー、ドイツ軍兵士達の先頭になって次の村であるArnautovoを目指した。その途上にも敵がおり、アルピーニ兵達は3度攻撃したものの大損害を食らって撃退された。5時間戦った後アルピーニ兵達は、戦力を集めるために少し退却した。そしてトリデンティーナ師団のTirano大隊がもう一度攻撃を行い、これに成功してソ連軍部隊を退却させた。この戦いでTirano大隊の人員はちょうど150名にまで減ってしまったという。トリデンティーナ師団の他の大隊はArnautovoを迂回してNikolayevkaへと近づいた。そこで彼らの前衛部隊は、自分達の方へやってくる一人のイタリア軍兵士に出会った。彼はソ連軍の捕虜になっていたのだが逃げ出してきて、この暗闇の中で防御せざるを得なくなるようなことはしないよう、注意してくれた。
 1月26日の朝、この前衛部隊(弱体な2個大隊及びぎりぎり1個大隊)がドイツ軍の3両の突撃砲の支援を受けつつ、危険をおかして前進した。このNikolayevkaへの東向きの【東からの?】接近は雪の積もった開けた斜面を横切ることになり、防御側のソ連軍部隊は前進する彼らに大きな損害を与えた。その斜面の底において両軍は、駅周辺の家屋や建物の間で近接戦闘を戦った。得るものもほとんどないままに、両軍の損害は増大した。トリデンティーナ師団の指揮官であったReverberiは【ドイツ軍第24装甲軍団司令官】Heidkämperと会って選択肢を話し合っていたが、近くにドイツ軍のフィーゼラー・シュトルヒが着陸したため二人はびっくりした。Heidkämperはシュトルヒに乗り込んでこの地域を素早く偵察した。シュトルヒが帰る段になって、パイロットは二人を安全に運ぼうかと提案したが、二人は部下達のそばに留まることを選択した。暗くなるとReverberiは一両のドイツ軍突撃砲の上に登って部下達を大きな声で励まし、「Avanti Tridentina!(トリデンティーナの兵士達よ、前進せよ!)」と叫ぶと、武器を持つ者も持たない者も、数千人が唱和して、ソ連軍部隊に向かって人の波が動き始めた。ソ連軍側は明らかに火力で勝っていたが、退却した。アルピーニ軍団の参謀長であったGiulio Martinat将軍はこの攻撃の先頭に立っていて戦死したがNikolayevkaは奪取され、疲れ切ったイタリア軍兵士とドイツ軍兵士達は村の中の建物で休むことができた。春の雪解けが来た時、ソ連軍がこの村周辺のすべての国籍の死体を数えたところ、約11,000にのぼったという。
『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』P246,7



 試しに『Death on the Don』の方も見てみたところ、こちらもかなり詳しく書いてありましたが、色々『On a Knife's Edge』の記述と異なっているような……。

 Valuikiの北約10マイルの浅い谷に鉄道線が走っていたのがNikolayevkaで、以前ハンガリー軍の第1機甲師団司令部が置かれていた所であった。今はソ連軍部隊によって解放され、少なくとも2個連隊の歩兵と砲兵、それに若干の戦車で守備されていたが、ここはアルピーニ軍団の残余が脱出する上でどうしても抜かなければならない場所であった。イタリア軍がもしここを取れれば道が開け、やっと包囲環を突破できるのだ。Reverberiが指揮するトリデンティーナ師団はこの時まだ崩壊しないで残されていた唯一の師団であり、その兵士達は近くのTereshkovとArnautovoの集落にいて、このタフな山岳戦の指揮官はその攻撃を翌朝1月26日の朝と決めた。
 しかし当然のことながら、イタリア軍側の思い通りにはいかなかった。ソ連軍側が機先を制してその夜にArnautovoへの攻撃を始め、迫撃砲と砲兵に支援されつつ前進し、ついには接近戦となった。丸太小屋の集まった集落の地面の上で両軍の兵士達は揉み合いになり、近距離で撃ち合い、お互いを突き刺し、両眼に指を突っ込んで戦い、死体が狭い道に積み重なっていった。だがアルピーニ兵達は踏みとどまり、夜が明ける直前にソ連軍側は攻撃を中止した。これによりReverberiはNikolayevkaに集中することが可能になり、攻撃部隊は町を見下ろす峰に到着すると、空から落ちる雷のような勢いでその町へと長い斜面を駆け降りていった。その部隊は哀れなほど弱体な、3両のドイツ軍装甲車によって支援された、定員を遥かに割り込んだアルピーニ兵の3個大隊であった。
 攻撃をうけたソ連軍部隊は諦める気配はなく、走ってくるアルピーニ兵達に猛射を浴びせた。両軍とも、この戦いが重要な一戦であることを理解していた。ソ連軍兵士達にとっては勝利のために、そしてイタリア軍兵士達にとっては生き延びるために。ソ連軍側は反撃したが、アルピーニ兵達は突進して町の中の通りへと入っていって、建物の中を手榴弾や機関銃で粘り強く一掃していった。だが午後遅くになってもソ連軍側はこの町を諦めず、暗くなり始めた。
 Reverberiは自ら状況を最前線に行って確認すると、兵士達に最後の死力を振り絞らせるために鼓舞するのはまさに今だと考えた。まだ稼働状態であった3両のドイツ軍戦車のうちの一両の上に登ると、彼は両腕を狂ったように振り回し、あらん限りの大声で兵士達に向かって叫んだ。「Avanti, Tridentina, avanti!  Avanti, Tridentina, avanti!(進め、トリデンティーナの兵士達よ、前進せよ! 進め、トリデンティーナの兵士達よ、前進せよ!)」
 この師団長自身による指揮がこの日の戦いを決定づけた。アルピーニ兵達が集まってさらなる突撃を敢行し、残っていたソ連軍兵士達を倒し、町を占領したのである。
Nikolayevkaがアルピーニ兵達によって奪取されたことにより、数千のイタリア兵、ドイツ兵、ルーマニア兵、それにハンガリー兵達が、よろめきながらドイツ軍戦線の内側の避難所の中へ入ることができたのであった。
 だがこの避難所もかりそめのものでしかなく、アルピーニ兵達は2月にはさらに西への撤退を余儀なくされるのである。Nuto Revelliはこの長く苦しい退却行についてこう書いている。

 我々は散り散りになり、病気に苦しんだ。程度の差はあれ全員が、止まらない下痢と、凍傷にかかっていた……今や我々は武器も持たず、ただ集団であるというだけだった……我々は何者でもないものに成り果てていた。
『Death on the Don: The Destruction of Germany's Allies on the Eastern Front, 1941-1944』P211,2




 ウルウル(T_T)

 また続けて『On a Knife's Edge』を読んでいこうと思いますが、分量としてはようやく半分を超えた辺りですねぇ。

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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