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OCSユニットで見る?バルバロッサ作戦で各軍集団に3個ずつ配備された後方任務用の警備師団等

 以前、『第二次世界大戦全史 大いなる聖戦(上・下)』を買いました (2018/10/17) で書いてました同書を読んでいってまして、なかなかに面白いのですが、その中で、バルバロッサ作戦の時のドイツ軍の戦闘序列として、「各軍集団には後方任務用の警備師団三個が配備され」(上P263)とあるのに興味を惹かれました。

 『Guderian's Blitzkrieg II』などをプレイしていると、兵科マークに「Sec」(Security)と書かれたユニットがあり、セットアップ上でも後方地域で守備的任務についている感じです。

 OCSの兵科マークには、「Sec」の他にも「Pol」(Police)というのがあり、これをサンセット和訳ではとりあえず「Pol」は警察、「Sec」は治安と訳していますが、妥当なのかどうかは良く分かりません……が、とりあえず本エントリでは「Sec」の師団は「治安師団」と記述することにします。

(2018/12/25追記:その後色々見ていると、「保安師団」という和訳の方が使われているようなので、本エントリはこのままにしておきますが、今後は「保安師団」という呼び方を使おうと思います)


 とりあえず、OCSの東部戦線ゲームから「Sec」「Pol」のユニットを探し出してみました(といいつつ、『Baltic Gap』はユニットをスキャンしてなくて今ゲームも手元にないのと、『Hube's Pocket』は所有してないので、それらは除き)。


 ↓『Smolensk:Barbarossa Derailed』

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 すべて師団で3つですから、これが中央軍集団用の治安師団3つかとも思えるのですが、良く分かりません。



 ↓『Guderian's Blitzkrieg II』

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 治安師団が、201、221、286、403、454の5つあります。その他に大隊~旅団規模の治安ユニットや警察ユニットがあったり、SSの警察連隊ユニットがあったり……。



 ↓『Case Blue』

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 第213治安師団だけ別の場所に1個だけあったので、右下に貼り付けました。大隊~連隊規模のものだらけですね。



 試しに「Security Division」で検索してみると、英語版Wikipedia「Security Division (Wehrmacht)」というものが存在しており、師団一覧もあります。

52nd Security Division
201st Security Division
203rd Security Division
207th Security Division
213th Security Division
221st Security Division
281st Security Division
285th Security Division
286th Security Division
325th Security Division
390th Security Division
391st Security Division
403rd Security Division
444th Security Division
454th Security Division
707th Infantry Division

 ですが、最後の第707歩兵師団については以前、OCS『Guderian's Blitzkrieg II』第707歩兵師団によるユダヤ人大量殺害 (2018/10/18)で書きました。

 この師団リストにもリンクがあったりなかったりするんですが、リンクがあるものを見て、どの軍集団に属していたと書かれているのかを見ていくと、こんな感じになりました。

 201 中央
 203 中央
 207 北方
 221 中央(『Smolensk:Barbarossa Derailed』『Guderian's Blitzkrieg II』にユニットあり)
 281 北方
 286 中央(『Smolensk:Barbarossa Derailed』『Guderian's Blitzkrieg II』にユニットあり)
 325 フランス
 454 南方(『Guderian's Blitzkrieg II』にユニットあり)

 このリストですでにして中央軍集団に4つ、治安師団がいたことになりますから、正直わけが分かりません(^_^; しかも『Smolensk:Barbarossa Derailed』に入っている第403治安師団にはリンクがないので、これも中央っぽいし……。まあ、時期的な変遷の問題とか、バルバロッサ作戦の最初においては各3個ずつだったよ、ということなんでしょうか。それは全然ありそうですね。


 治安師団についてWikipediaの記事を斜め読みしてみると、こんなことが書かれていました(適当な訳です)。

 後方地域の警察、治安(後方連絡線や補給線の警備)、物資の徴発、対パルチザン活動に従事。対パルチザン活動の内容は、村の破壊、家畜の没収、ドイツ本国に労働力を強制送還する、労働力に適さない年齢の者達を殺すことなどであった。

 支援部隊として比較的装備は貧弱で、しばしば年齢や障害によって最前線の軍務に適さない兵士によって構成されていた。

 多くの場合、治安師団にはウクライナ、ロシア、フランス兵士の大隊と、捕獲された外国戦車の大隊も含まれていた。

 1944年のソ連軍の大規模な構成で、治安師団の多くが最前線に投入され、その中で壊滅した。この間、ドイツ国防軍の慢性的な人的資源不足のために、標準的な歩兵部隊として再建された部隊もあった。

 治安師団は多数の戦争犯罪にかかわり、多くの場合、民間人に対する抑圧の体系的プログラムを担当していた。これは特に東部戦線、とりわけ極端な残虐行為をおこなった中央軍集団の後方で発生した。ドイツ国防軍は本質的には犯罪組織ではなかった、という戦後すぐの見解とは異なり、現代の歴史家は、国防軍全体とその治安師団は、実際には非武装民間人の虐殺、財産の体系的破壊、ホロコーストに深く関与したのだと主張している。




 『ブラッドランド』(→最近買った本『ブラッドランド』『枢軸の絆』『世界史を動かした脳の病気』など (2018/05/30))を見てみると、「秩序警察大隊」というのが23個あって……という話が出てきまして、私は最初、これが治安師団(のすべての構成要素)だったのかな? と思ったりしたのですが、英語版Wikipediaを見ていっていると、23個の秩序警察大隊のうち9個が治安師団に配属されていたものの、残りはまた違った部隊として使われていたようで、完全にイコールではないようでした。

 秩序警察には日本語版Wikipediaにも項目→「秩序警察」があり、オルポとも呼ばれるようです。


 『ブラッドランド』には、秩序警察大隊のうち309、310、314、320大隊についての具体的な記述がありますが、英語版Wikipediaを見ていると、310を除いた3つの大隊は、OCS上にユニットがある部隊に所属していました。


 秩序警察第309大隊は第221治安師団に属していました。

 ↓左が『Smolensk:Barbarossa Derailed』、右が『Guderian's Blitzkrieg II』の第221治安師団

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 ポーランド東部のビャウィストクのような主要都市では、ドイツの部隊が大規模な虐殺を決行して手本を示した。モロトフ=リッベントロップ線のすぐ東に位置するビャウィストクは、元はポーランド北東部の都市だったが、当時はソヴィエト・ベラルーシに属していた。6月27日にドイツ国防軍がここを占領すると、すぐに秩序警察第309大隊が民間人から略奪を働き、彼らを殺しはじめた。およそ300人のユダヤ人を殺害し、その遺体を市内のあちこちに放置した。それからさらに数百人のユダヤ人をシナゴーグに追い込んでおいて建物に火をつけ、逃げようとした者を撃ち殺した。ビャウィストクとその周辺地域では、それから2週間のあいだに地元のポーランド人が約30件のポグロムに参加した。やがてヒムラーがビャウィストクへやってきて、ユダヤ人をゲリラとして扱うよう指示した。秩序警察は7月8日から11日までのあいだに、ビャウィストクのユダヤ人住民約1000人を捕らえて近郊へ連れていき、銃殺した。
『ブラッドランド(上)』P306,7






 第320秩序警察大隊は当初、特別任務警察連隊?に所属しており、1942年からは第11SS警察連隊に所属したようです。

 ↓『Case Blue』の第11SS警察連隊

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 以下の件は1941年のことであり、第11SS警察連隊には関係ない話ですが……。

 1941年8月の末には、ウクライナ南西部の都市カームヤネツィ=ポジーリシクィイでドイツの各部隊がみごとな連携を見せて多数のユダヤ人を銃殺した。ここでは戦争そのものがユダヤ人難民を苦難に突き落とすこととなった。
 ドイツの同盟国ハンガリーは、カルパチア山脈南側の、チェコスロヴァキアの最東部地域であったルテニアの併合を許された。しかし古くからこの地域で暮らしていたユダヤ人にはハンガリー国籍を与えず、「無国籍」のまま、東のドイツ占領下ウクライナへ追放した。ドイツが統治していた地域ではユダヤ人の流入により、かぎられた資源に負荷がかかった。この地域の親衛隊・警察高級指導者であったフリードリヒ・イェッケルンが率先して事態収拾にあたった。8月12日に予定されていた会議でヒムラーに報告できるような成功をおさめたかったのだろう。彼は空路で現地入りし、必要な準備を整えた。カームヤネツィ=ポジーリシクィイ近郊の地点を処刑場に選び、ユダヤ人難民と地元のユダヤ人を強制的にそこへ連行した。ユダヤ人は穴の中で秩序警察第320大隊とイェッケルンみずからが選んだ専任要員らによって銃殺された。8月26日から29日までの4日間でおよそ2万3600人が命を奪われた。イェッケルンはこの人数を無線でヒムラーに報告した。これはドイツによる大量殺人の中でも群を抜いて規模が大きく、のちにひとつの範として受け継がれていくこととなった。
『ブラッドランド(上)』P313,4





 秩序警察第314大隊は1942年から第10SS警察連隊に所属していました。

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 ハルキウ【ハリコフのこと】では、特別行動部隊C所属の特殊部隊4aが市当局を使って、市内に残っていたユダヤ人をひとつの地区に集めさせたようだ。12月15日から16日にかけて1万人以上のユダヤ人が町外れのトラクター工場へ連行された。1942年1月、彼らはそこで一度に数人ずつ、秩序警察第314大隊と特殊部隊4aによって銃殺された。トラックの貨物室に閉じ込められ、そこに引き込んだ排気管からガスを送り込まれて殺された者もいた。
『ブラッドランド(上)』P320




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OCS『The Blitzkrieg Legend』キャンペーン(2回目)第1ターン

 尼崎会でワニミさんとOCS『The Blitzkrieg Legend』キャンペーン(2回目)の第1ターン(後攻ドイツ軍のみ)をプレイしました。今回は肉入り鍋さんは所用につきお休みでした。


 ドイツ軍がかなり厳しく思えるので、ドイツ軍が有利になるオプションは全部入れて、あとハウスルールとして、アルデンヌの森の中のフランス軍部隊は、第1ターン先攻で国境から移動したものと見なし、移動モードでないとその場所に到達できない場合には移動モードで配置する、ということにしてあります。

 また、各戦区のミニシナリオで第4ターンに獲得しておかねばならないヘクスについて、それらを得ていればキャンペーン全体で勝利得点が得られるようにする、というハウスルールを入れてみています。


 ↓B軍集団戦区(松浦)。

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 オランダは史実通り南方から抜こうとしており、第9装甲師団が第2ターン頭にはロッテルダムへ向けてオーバーランを開始できる位置まで到達しました。ベルギーも史実通り北部から抜きまして(たまたま特別作戦がうまくいったのもありまして)、紫色のおはじきで示された第4ターンにおける勝利得点ヘクス1つを獲得しました。

 空挺降下は4ユニットを赤い○のヘクスに降下させ、すべて成功しました(残り1ユニットはアルデンヌで第2ターンに降下予定)。




 ↓A軍集団戦区(ワニミさん)。

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 戦略移動マーカーだらけですが、第2ターン先攻はドイツ軍が確実に取れるというオプションを使用しているので、「敵にイニシアティブを取られたらどうしよう」とかは考えずに、また後方も危険にさらして前進中とのことです。



 あと今回、OCSの公式アーカイブの一番右下にある、「OCS Helps 2018.pdf」を日本語化したものを作成しました。

OCSの公式アーカイブ

OCSヘルプサマリー(v4.3)2019_1_1.pdf

(※2018/11/28追記:元の英語版で航空基地と港湾修復のコストが2になっているのがそもそもおかしかったとの指摘をいただき、修正したデータへのリンクに差し替えてあります)
(※2019/1/1追記:航空任務サマリーの対空射撃のする/しないが完全に逆転してしまってました。修正したデータへのリンクに差し替えてあります)

 「OCSの物置2」からもリンクを貼っておきました。間違いや誤字脱字を見つけられましたら、ぜひお知らせ下さい。



 尼崎会は来週はなしの予定です。

OCS『Sicily II』ユニットで見るP-51マスタングの初期型急降下爆撃機A-36

 先日、古本屋で第二次世界大戦ブックスの『P51ムスタング』を発見して購入し、読み始めてみたんですが……。





 マスタングは最初、エンジン(アリソンエンジン)の問題で高高度での性能が悪く、低空偵察や地上支援で使用されたそうです。

 しかもアメリカ軍の1942年分の新戦闘機向けの予算が使い果たされてしまったため、余裕があった爆撃機向けの予算枠で使用するために急降下爆撃機として改造されたA-36が開発され、これがシチリア島戦役で大活躍したとのことでした。

 P51マスタングといえば「第二次世界大戦最強の戦闘機」(『Beyond the Rhine』で6-4で、他に6の空戦力を持つのは後期のフォッケウルフの一部のみ)という印象が強かったので、初期から戦闘機として使用されたわけではないことや、シチリアでは急降下爆撃機として使用されたというのはびっくりしました。


日本語版Wikipedia「A-36 (航空機)」



 で、OCS『Sicily II』の航空機ユニットを見てみましたら……。

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 下段のアメリカ軍ユニットの右上にあるのがA-36です。4-10(空戦力4、爆撃力10)の性能は凄いです。

 実はOCSではこういう「空戦もできる、爆撃力もある」という戦闘爆撃機はルール上では戦闘機タイプに分類されている等のため、けっこう融通が効くようになっていて便利です。

 というのは、戦闘機タイプ以外は「基地移動(航空基地から航空基地へ移動だけする任務)」しただけでも非活動状態にならなければならないので、「出発した航空基地から10ヘクス以内の爆撃任務ならば爆撃コラムが1シフト有利になる」という特典を使用するために爆撃機タイプを前線に移動させると、それだけで非活動状態になってしまいます。つまり1シフト有利を使用できるのは1ターン後からです。

 ところが戦闘爆撃機は基地移動しても非活動状態にならないので(ただし同一フェイズ中に2つの任務はできない)、例えば「移動フェイズ中に前線の航空基地に基地移動して、突破フェイズ中に1シフト有利な状態で爆撃する」というようなことが可能です。あるいは、「移動フェイズ中に前線の航空基地に基地移動して、そこで警戒空域を10ヘクス以内に発生させ、リアクションフェイズにおける敵の爆撃などを迎撃する」ということも可能なわけです。この融通性の高さから、史実では大して活躍できなかったとされるBf.110(3-3)なんかもけっこう便利に使用できます。

 また、敵の警戒空域の戦闘機が大して強くない(例えば空戦力が3とか2程度)なら、4-10で爆撃に行って、敵戦闘機が迎撃しに来ても空戦で勝ってそのまま爆撃するということも見込めます。


 A-36は実戦でかなり活躍したようです。エンジンの回転音が小さくてドイツ軍から「ささやく死」と呼ばれた(『P51ムスタング』P43)という話もあれば、急降下ブレーキでほぼ90度の角度で急降下する時の音はものすごかったらしく、「スクリーミング・ヘルダイバー(金切り声をあげる地獄の急降下爆撃機)」と呼ばれた(Wikipedia)という話もありました。

 シチリア島では、ドイツ軍に反感を持っていたシチリア島民がA-36に対して……

 島民たちは、超低空で地上をかすめるA36Aにたいして、カムフラージュされている敵の位置を、身ぶりでおしえてくれたものである。そこをねらって攻撃をかけて、彼らは大きな戦果をあげることができた。
『P51ムスタング』P42





 A-36の愛称は、公式には「アパッチ」とされていたもののほとんど広まらず、パイロット達は「インベーダー」と呼んだらしいですがこれも世間には広まらず、結局のところA-36も含めて「マスタング」と呼ばれることが多い……らしいです。が、知らないままであったならば『Sicily II』をプレイ中にA-36のユニットを見て「これ結構使えるな」とも思いつつも、どういう機体であったのか調べるところまでは実際いってませんでしたから、こういう細かい史実が知れるきっかけになる、ある程度詳しい本というのは面白いと思いますし、またそういう細かい史実が実際にユニットで確かめられ、しかも運用のできるOCSは素晴らしいなぁと思います。


『Benvenuti! 知られざるイタリア将兵録【上巻】』を買いました

 梅田の紀伊國屋書店に行く機会があったのですが、『Benvenuti! 知られざるイタリア将兵録【上巻】』という本が出ており、「これは買わざるを得ない……」ということで買ってきました。




 吉川さんが『ミリタリー・クラシックス』誌でイタリア軍に関して連載されているのは時々立ち読みしてしっており、それをまとめられたものですね。【下巻】(【中巻】?)は書店には見当たらなかったので、今後また出るということなのでしょう。



 あと、出ることは知っていた大木毅さん訳の『軍隊指揮: ドイツ国防軍戦闘教範』と『ドイツ装甲部隊史: 1916-1945』(ネーリングの書いた本)も出ていたので、中を見てみたのですが、「とりあえずはいいかな……」ということで、私は買うのは見送っておきました。





 あと、それ以前に別の本屋ですでに見かけていましたが、速水螺旋人さんの『いまさらですがソ連邦』という本が出ていて、結構面白そうなのですが、第二次世界大戦のソ連軍に関係するページ数はやはり限られるので、購入は見送っております。




OCS『The Blitzkrieg Legend』と『Case Blue』「世界の果て」練習プレイ

 11月17日の土曜日に尼崎会(拙宅)をやりまして、私とワニミさん、新人の肉入り鍋さんが参加してました。

 ところが、私が所用があって12~16時に家を出なければならなかったので、その間、またワニミさんと肉入り鍋さんは『Case Blue』「世界の果て」シナリオを、前回と同様ドイツ軍が肉入り鍋さん、ソ連軍がワニミさんで練習プレイをされていました。

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 『The Blitzkrieg Legend』キャンペーン(2回目)の方ですが、色々と目標設定をしたり、補給の管理を考えたりなどで、まだ第1ターン後攻(から始まる)及び第2ターン先攻の思考段階です。

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 今回から、「この場所(あるいは部隊)で、このタイミングでこうするつもり」という予定を小さい付箋に書いて貼っていってまして、これが非常にいい感じです。

 攻勢計画というのは、少なくとも最初の段階については細部まで詰めるものでしょうし、作戦計画を練っている感じがすごく濃厚にしていいです。特にOCSのような細かいゲームにおいては。


 ところで尼崎会ですが、私が新しい仕事に就きまして、その仕事で原則土曜日に休みを取ることにして、基本的に土曜日に開催していこうかということになりました。もちろん、仕事や所用の都合で中止だったり、行った方が良さそうなゲーム会が日曜にあってそちらに休みを取ることにして尼崎会は休みとかいうこともあると思いますが。

 尼崎会ではOCSに興味のある方を常時、歓迎しております。見学だけでも全然ありです。興味のある方はコメントなどでご連絡下さい(*^_^*)

OCS『Sicily II』の最新エラッタを和訳してみました

 今日の尼崎会にまた新人の肉入り鍋さんが来て下さり、OCS『Sicily II』を持って帰ってもらおうということで、『Sicily II』のエラッタをチェックしてみたら、最新のエラッタが2018年7月8日になっており、公開されているルール冊子のバージョンが1.03になってました。

<2020/01/18追記>

 最新エラッタが2019年9月6日になってましたので、その分もここ以下の部分で追加しておきます。2018年7月8日に、シナリオの9,ルールの10(それぞれの最後の1つ)を追加したものになります。

<追記ここまで>

The OCS Depot Sicily II (4-16)


 とりあえず全部訳してみたので、公開しておきます。サンセット版和訳が作られた時にはなかった分は青色で示しました。


公式エラッタ
 (2019/09/06)


マップ

1.メッシーナ(Messina)の各ヘクスは鉄道によって繋がっているとみなします。


シナリオ

1.シナリオ3のSchm KG(Arty)のセットアップ位置は51.17です(52.14に記載されているものは間違いです)。

2.シナリオ4で、沿岸防衛(CD)連隊の6と61の部隊名に余分な「C」という表記が付いてしまっています。また、20.24と51.15へのセットアップからMule(ラバ)を取り除いて下さい。

3.シナリオ5で、Bedoの兵科がMxとあるのはAGの間違いです。

4.使われない分のMC.200(壊滅あるいは戦力が減少した状態で開始することによって)のカウンターは、シナリオ4~6で足りない分のMC.202の代わりに使用される必要があるでしょう。

5.シナリオ5の特別ルールにおいて、忠誠チェックはALTのダイス振りの後に行われるというようなことが述べられています。これは開発初期のバージョンで行われていた手順で、完成バージョンではALTのダイス振りが忠誠チェックを引き起こすことはありません。

6.シナリオ5の枢軸軍航空ユニットのヒストリカルセットアップの要望を頂いたので、ここに挙げておきます。 ドイツ軍:3x Bf.109が49.17(航空基地の隣接ヘクス)、1x Bf.109が 17.12、1x Bf.109が7.19、1x Fw.190が46.06。イタリア軍:1x MC202と1x Ju.87*が7.19、 1x MC202が12.14、1x MC202*が 52.19、1x MC205*が21.24、1x Bf.109*が17.12。

7.奇襲と上陸前の激しい航空爆撃の効果の反映として、7月10日にのみ、揚陸(ALT)解決のダイス目に+1の修正を加えます。

8.シナリオ4からMe.323とHalifax+Glderを削除します。

9.シナリオ4のセットアップのヘクス52.16に6-4-3 CW Arm Bnとありましたが、6-3-4が正しい数値です。


ルール変更と明確化

1.ヘクスマップ外ボックスは港湾を有しています。

2.つま先における航空ユニットの整備、建設、砲爆撃はホールディングボックスからSPを受給できるので、SPの消費において無料で行えるとみなして構いません。

3.活動状態の航空ユニット数を決める必要のあるシナリオにおけるそのダイス振りは、それ以外の他のすべてのセットアップが完了した後に行います。

4.シナリオ3では、3.3d項は使用しません。

5.両陣営とも補給表はありません。SPは輸送でのみマップ内に登場します。

6.3.2c(B)を以下の文言に入れ替えます。「専用トラックの輸送時の換算値(OCS4.7)は1REより大きくはならず、歩兵師団の換算値は3REより大きくはなりません。」

7.連合軍は、もし他に再建するものがなければ分遣連隊ユニットをPaxで再建できます(カウンターで用意されている数を上限として)。

8.7月14日に到着するMule Pointはすべて満載状態です。

9.1Paxで再建できるのは1ステップ分です(師団全体ではなく)。

10.OCS v4.3で新しく追加された補給キャッシュオプションの使用が奨励されます。補給キャッシュは7月14日ターンと7月31日ターンに固定された(サイコロを振って数を決めるものではない)増援として、それぞれのターンに枢軸軍は1つ、連合軍は2つを得ることとします。どのシナリオの開始時にも両軍は補給キャッシュを持っていないことに注意してください。公式のマーカーを持っていない場合は、コインやポーカーチップで代用して下さい。



 「ルール変更と明確化」の6は、エラッタの文言ではなくバージョン1.03の文言に入れ替える形で書いてあります。1.03の中身はチェックしてないので、このエラッタにない改訂があるのかもですが……。



OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』シナリオ7の受給問題についてGeekで質問してみました

 OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』のシナリオ7の2回目を前回プレイしていたんですが、セットアップ状態でのエクステンダーと司令部の受給に関する問題が2つ持ち上がっていました。そこでまた思い切って、Geekで質問してみたら、OCSのデベロッパーをよくやっているジョン・キスナー氏から返答がありました。


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 1つ目は、画像上のエクステンダーが、10移動力+1ヘクスで受給に行けるのですが、その範囲内にある降車可能ヘクスであるVitebskとRudnyaのどちらもが、ドイツ軍ゲージに変換されてないのです。

 これに関してキスナー氏は、「Vitebskはドイツ軍ゲージにしていたと思ってエクステンダーを置いていたのだと思う(でも史実ではそこはドイツ軍ゲージではなかった)。(先の回答者が提案していた)エクステンダーを32.25に置く案はいいですね!」ということでした。32.25に置き直せば、スモレンスクに受給が引けます。


 もう1つ、画像右下の第9軍団司令部がスモレンスクに受給しに行くには1ヘクス足りないという問題がありました(また、左下のPochinokはドイツ軍ゲージに変換されていません)。これに関しては、1ヘクス左上の39.16に置き直すのが本来だろう、というか、この司令部に関して「1ヘクス以内に配置(✝)」と指定するのを忘れていたんだと思う、とのことでした。


 シナリオ7は『Smolensk:Barbarossa Derailed』のシナリオ群の中では(入門用シナリオ:ヴィテブスクを除いて)登場ユニットが最も少なくてプレイしやすく、また面白いのでぜひプレイされると良いと思うのですが、この2つの受給問題に関しては上記のような対応をされると良さそうです。


OCS『The Blitzkrieg Legend』キャンペーン(オランダ抜き)第3ターン後攻

 この土曜日、尼崎会(拙宅)でOCS『The Blitzkrieg Legend』キャンペーン(オランダ抜き)の第3ターン後攻(ドイツ軍)をプレイしました。


 その前に、ワニミさんが『Smolensk:Barbarossa Derailed』と『Sicily II』のマップをA1→A0へと拡大したものを業者に作ってもらったとのことで、見せてもらってました。

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 ハイスタックになるゲームはこれでだいぶやりやすいということで、ワニミさんは自宅で『Sicily II』の連合軍サイドを研究するつもりだとのことでした。



 あと教えて貰ったのが、ワニミさんが買っていたオスプレイの『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』に載っていた↓の地図(「Fall Gelb」とはドイツ語で「Case Yellow」、つまりフランス侵攻計画のこと)。

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 低地ベルギーへの進行経路が、赤色の矢印がドイツ軍で、青色の矢印が連合軍の動きで描いてあります。緑色の半透明の矢印で描き足してあるのが、今回(のみならず今までにプレイした際でも)のドイツ軍の動き。

 史実ではマーストリヒトやエバン・エマール要塞の北側を主に抜いていっているのに対して、ゲーム上ではエバン・エマール要塞の南側とリエージュ周辺を攻略する動きになってしまってました。いや実は、この北側の動きは今回のプレイでも「そういう作戦の可能性はありじゃないか……?」とは思ったものの、「史実ではそんなことしてないわけだし、まあやめとこう」……と思っていたのですが、史実でやってるんじゃないかー!!(^_^;

 こういう動きに関する地図資料を今まで見たことが(たぶん)なかったので、多分に思い込みでエバン・エマールの南側を必死で攻略しようとしていたのだと思われ……。

 しかも史実の動きが分かってみれば、そうすればリエージュ周辺の要塞地帯を攻略する必要がなくなるし、ARが低いベルギー軍の相手をしていればいいなど、いいことずくめなような気も……。

 このオスプレイの『Fall Gelb 1940』シリーズ?ですが、これより前に出ていた『France 1940: Blitzkrieg in the West』を私はだいぶ前に買ったものの、内容が当時日本語で読めた文献と変わらない程度しかなくて、非常にがっかりしてそれ以後しばらくオスプレイシリーズを買えなくなるほど精神的ダメージを負ったのですが(おい)、新しく出たフランス戦シリーズの『Fall Gelb 1940』は分冊にもなって、ぱっと見の地図でも素晴らしい感があります。

 ワニミさんに借りてコピーさせてもらおうかとも思ったのですが、コピーの際に本が開いてページが脱落する恐れもあり、まあ自分でも買った方がいいやんということで、購入することにしました(1400~1700円程度で、割と安かったです)。ちなみに(1)がアルデンヌ中心、(2)がベルギー、オランダの低地諸国の戦いで、この2冊は注文したんですが、他にダンケルク本とか、先日書いていた「非常に読みやすく面白い」ロバート・フォーチャイクの「Case Red」(ダンケルク後のフランス征服)に関する本などもあります(これらは買ってません)。






 さてさて、『The Blitzkrieg Legend』のプレイの方なんですが、史実が分かってみると、「北では、史実で避けていたリエージュ要塞地帯に突っ込み、南では、史実で避けていたマジノ要塞地帯に突っ込んでいる我々のプレイは何なのか……?」という気もしたのですが、とりあえずは続けて頑張ってみることにしました。



 ↓ベルギー低地。

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 包囲されてしまっていた第2装甲師団の先鋒を救い出すために恐るべき努力を強いられたりしてまして、それだけでも「あかん」という感じなんですが、現況においてはリエージュを落とさなければ補給路的に厳しすぎるということで、130火力で砲撃後、93戦力19Tを注ぎ込んで攻撃したところ……! 全5ステップのうち3ステップしか削れず~。しょうがないので、予備にしてあった第20自動車化歩兵師団でオーバーランを繰り返したのですが、第20自動車化歩兵師団は全滅するも、リエージュは落ちず……。

 「あは、あは、あははははは……。そうですよね。そうなんですよね。リエージュ要塞を攻撃しなければならないという、我々の作戦自体が間違っていたんですよね……」

 と半分精神崩壊的な感じに(爆)。



 ↓アルデンヌの南のマジノ要塞地帯。

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 一方、ワニミさん担当のマジノ要塞地帯でも、このターンはDGにされていた装甲師団群が回復しなければ大攻勢ができないということでそれほど進展なし……?


 で、第4ターンに入るにあたって、ドイツ軍がイニシアティブを取ってダブルターンにできれば、まだ目はあるかもと思われたのですが、連合軍側がイニシアティブを獲得し、連合軍側としてはまあ先攻を取るよね、ということで「もうダメだぁ~」となって、また一からやり直すことにしました(^_^; ま、まあ、だいぶ反省点もあったし、オランダも追加するしということで、いいんですよこれで( ̄^ ̄)エヘン(おい)


 で、午後は「オランダ込み」のセットアップをやっておりました。担当は前と同じですが、私にはオランダ戦区のドイツ軍も追加されることになります。そいでもって、リエージュ周辺は避ける史実に近い作戦を取ろうと思うので、今度は「戦区間問題」は最初のうちは生じないのではないかと思います。

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『Red Christmas - The Tatsinskaya Airfield Raid 1942』を読了しました

 結構前に、『Red Christmas - The Tatsinskaya Airfield Raid 1942』を読了してました。

 たぶん、4~5日で読んだと思われ、明らかに洋書一冊を読み通したのの最速記録だと思います。





 印象としては、第24戦車軍団長のバダーノフさんが可哀想だな、と。タチンスカヤの飛行場の襲撃に成功したら、第24戦車軍団はソ連軍戦線へ帰る手はずになっていたらしい(尤も、確実なところはどうも良く分かりません)のですが、通信機器の使用範囲的にもう数日前から上級司令部には連絡が取れず、襲撃後じり貧になる中でしかし許可を得ないで退却するわけにもいかないだろうと思っていたら奇跡的に通信が通じて、「おめでとう、君の軍団は親衛戦車軍団に昇格だ。勲章も授与されるぞ。うらやましいなぁ、このこの」とか言われたんですが、いやそんなもんどうでもいいから、退却許可を下さい、と言ったら、「ダメだ」と。これはスターリンが、士気の面での効果を狙って退却を許可しなかったらしいです。しかし直接の上官にあたるヴァトゥーティンは「無理だろ」と分かっていたらしく、この本によると「責任を回避するために」、どうしてもしょうがない場合は退却するのもやむを得ないですよね?とスターリンに言ったら、スターリンが、「壊滅寸前になったら許可しよう」とかって言って、これはまったく同じ様なことをタチンスカヤについてヒトラーも言っていたらしく、「現場に任せない独裁者に苦労させられる現場orz……」というような書き方がされておりました(T_T)

 しかも、結局通信も通じないので独断でバダーノフは退却した(その際、300人の志願者が陽動攻撃で脱出経路と反対側に攻撃をかけ、恐らく全滅している(; ;)ホロホロ)のですが、許可を得ないで退却したことをスターリンは怒ったらしく、その後バダーノフはボロボロになった諸軍団を率いて攻撃をかけろと命令された(実質「死んでこい」に等しい扱いであった、とこの本には書いてあります)り、その後昇進もできなかったり……。


 まあでも、じゃあ我々はどうなのかと考えると、ゲーム上でも多分、士気とか関係ないけど、一度得た地点を捨てるのが惜しくて、帰ってくるようなムーブはしないのじゃないかな、そうするとスターリンを笑えないよな、と思ったりも(爆)。


 あと、タチンスカヤ飛行場を巡っては手に汗握るギリギリのタイミングのやりとりがこの本には描かれるんですが、以前書きましたOCS:タチンスカヤを巡る第24戦車軍団について (2016/07/20) で参照していた英語版Wikipedia「Operation Little Saturn」では、今でも「ピクニック気分でタチンスカヤに突入した感じ」に「4時間ほどもぶらぶらして、気晴らしにドイツ軍の輸送機を破壊したのであった。」と書かれています。


 あと、ワニミさんが、タチンスカヤ襲撃のアニメーション動画があるのを教えてくれました。



 投稿日が2018/11/02で、その翌日にワニミさんからメールが来たので、「はやっ!」と思ったのですが、ワニミさんがYouTubeでこういう動画ばかり見ているので、YouTubeが「こういう動画どう?」とオススメしてきた中にあったらしいです(^_^;

 動画を見ていると、『Red Christmas - The Tatsinskaya Airfield Raid 1942』と割とニュアンスが違うので、別資料を元にしているのかな、と思いました。まあ、色々な資料があるのだと思います。


 続けて読み始めた『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』ですが、イントロダクションと導入の第1章を読み終えて、ウラヌス作戦の章まで来ました。自分にとってどうでも良さそうな記述はかなり適当に読み飛ばしながらですがが、やはりそんな風に精読と略読(こんな言葉あるのですね)のメリハリを付けて読むのは良い感じです。

OCS『The Blitzkrieg Legend』キャンペーン(オランダ抜き)第2~3ターン

 もともとこの日曜日はお休みにする予定だったのですが、前日のミドルアース大阪に来られた新人の肉入り鍋さんが、尼崎会でOCSが練習できるなら来てみたい、とのことであったので、喜んで尼崎会をやることにしました。


 肉入り鍋さんには、まずは入門者用に最適と思われる『Sicily II』のシナリオ1「シチリア島西部」をレクチャーしてみました。

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 首尾良く、パットンでシチリア島西部を席巻し、OCSの基本システムにはいくらか慣れてきたようでした。


 次に、『Case Blue』の「世界の果て」シナリオもちょっとやってみました。

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 こちらはドイツ軍の補給が厳しく、さっきのシナリオよりは四苦八苦しながら。第1ターンまでしかできませんでしたが……。



 同時に、『The Blitzkrieg Legend』のプレイも進めてました。連合軍側としては、ダブルターンを取ることでもし低地ベルギーに侵入したドイツ軍に大打撃を与えられるようなら、ダブルターンを取るという風に考えてました。で、ダブルターンを取れたので、その結果……。

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 ↑低地ベルギー方面。画像左下からのフランス軍の攻勢で、ドイツ軍の1個装甲師団の70%程度の戦力を壊滅させ、また右上では後方をがら空きにしていたドイツ軍の隙をついてわずか2戦力のユニットでドイツ軍の2個歩兵師団を両方とも半壊させることに成功。

 ドイツ軍側は、第2、第7装甲師団が低地ベルギー方面に移管されることになっていたのですが、移管先の私が長考で余裕がなく、ワニミさんが目標不明なまま適当に前進(黒い矢印)させ、結局最先端は包囲されるなど、「戦区間問題」が非常に大きく出てしまいました……(低地ベルギーでやられたドイツ軍ユニットも、その戦区間問題の犠牲になっていた感があります)。



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 ↑アルデンヌの森南方。こちらは縦深防御をダブルターンかけて作りましたが、この後のドイツ軍の攻撃(ダブルターンもあり得る)に対して、どれくらい耐性があるのか、よく分かりません。やってみなければ……。


 ドイツ軍は、特に低地ベルギーでボロボロになっているのですが(^_^;、とりあえずは西半分のマップに入るまではやってみようという風に話しています。やり直しも全然ありなわけですが、その場合オランダも加えた方がいいなという意見も。


 肉入り鍋さんは、似た趣味傾向の友人がおられるそうで、その友人も誘ってみるとのことでした。また、尼崎会でOCSがちょっとずつできればという感じです。また、肉入り鍋さんはGrad Tactical Seriesもやってみたいということでしたが、どなたかどうですか?

OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』シナリオ7をミドルアース大阪で2回目

 OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』のシナリオ7を、ミドルアース大阪でプレイしてました。2回目です。

 1回目はこちら→OCS『Smolensk』シナリオ7をプレイしました (2018/09/17)


 今回は、非常に若い新人さんのハンドルネーム「肉入り鍋」さんが、「OCSをやってみたい」ということで、ボードウォーゲーム自体がほとんど初めてであったそうなのですが、参加してくれました(*^_^*)

 なんかいつも通り、担当戦区はたまたま座った場所から、ドイツ軍の北半分がこかどさん、南半分が私、ソ連軍の北~中央がワニミさん、最南端が肉入り鍋さんということになりました。ただし肉入り鍋さんは初めてなので、向かいの私が教えながらで。

 途中経過はあまり把握してないのですが、↓第3ターン先攻(ドイツ軍がダブルターンした)終了時。

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 北半分では、ワニミさんの攻勢に対してこかどさんが怒濤の反撃(オーバーランしまくり)で、この方面でのソ連軍の攻勢能力は喪失したそうです。

 南半分では、イェルニャを目指すソ連軍の攻勢に対して、私はどうしたら良いか悩んだものの、「反撃して川の向こうに追い返した方がより良いだろう」と判断して反撃したのですが、あまりのSPの少なさに(精神的に)血反吐を吐きながらでした。いったん追い返しは成功したのですが、直後のソ連軍の再攻勢に対しては「まったく戦闘補給を入れない(つまり戦闘力半減)」で防御せざるを得ず。

 肉入り鍋さんが担当した最南端ではソ連軍が川を渡って前進に成功しており、ロスラウリが危機に瀕しております……。


 時間切れで今回はここまででした。前回のような大ポカはなかったので、最終ターン(5ターン目)までプレイできれば、結構ギリギリの白熱した展開になったような気がします。


 この日は土曜日であったので、肉入り鍋さんに「明日、尼崎会に来ませんか?」と提案してみると、「行きます」とのことで、尼崎会でもOCSに触れてみるということになりました。

 あとこの日は、ぽんにゃんさんも来られて、ぽんにゃんさんと肉入り鍋さんは同じ市に住んでいるということで、色々と話が盛り上がっておりました(*^_^*)


北アフリカ戦線:イギリスのチャーチル首相について、まとめ

 北アフリカ戦線の将軍についてのまとめ、前回はイタリア軍のグラツィアーニ将軍についてでした。

 今回、英連邦の中東軍司令官であったウェーヴェル将軍について書こうと思っていたんですが、それより先にチャーチル英首相についてまとめておいた方がどうも良さそうだと思いました。というのは、チャーチルが中東軍司令官にあれやこれやと命令してくるので、それで北アフリカ戦線の英連邦軍は自由に作戦ができなかったという面が非常に大きかったらしく、ウェーヴェルに関する記述がチャーチル関係のものばかりになってしまうからです。

 また、北アフリカ戦線の英連邦軍の司令官はけっこうめまぐるしく入れ替わって誰が誰だか分かりにくくなってしまうのですが、その大きな要因がチャーチル首相が中東軍司令官を2回入れ替えたことでした。


Sir Winston Churchill - 19086236948
 ↑ウィンストン・チャーチル英首相(Wikipediaから)


 まず「中東軍司令官」について。北アフリカ戦線における英連邦軍の最高司令官に当たる役職で、その管轄は↓の範囲にも及びます(Wikipediaから)。

Middle East (orthographic projection)


 その仕事内容に関して書かれた記述を挙げますと……。

 中東全域の総司令官はアーチボルト・ウェーヴェル中将であった。……最初の時点で、彼はその任務に対して、自分が処理すべきことが多すぎ、それに対して使用できる充分なリソースがないことに気付いた。彼の任務は、まずエジプトとスエズの安全を守ることであり、次に紅海の敵を一掃し、イタリア領東アフリカ(その中にはソマリアとエチオピアが含まれていた)を解放し、ハイレ・セラシエ皇帝を復位させ、北アフリカ岸の敵を一掃し、東地中海を治め、そして最後に、南ヨーロッパへの攻撃の準備をすることであった。
『Rommel's North Africa Campaign』P24~25



 と、一見しただけでもえらい大変です。この中東軍司令官が、

ウェーヴェル(北アフリカ戦の開始期からバトルアクス作戦まで)
 ↓
オーキンレック(クルセイダー作戦から第1次エル・アラメイン戦まで)
 ↓
アレクサンダー(第2次エル・アラメイン戦以降)
   ↑については以前、サー・ハロルド・アレクサンダー将軍について (2017/01/21) で書いたことがあります。

 と交替させられていくのですが、その決断(というか余計なこと)をしたのがチャーチルでした。

 ちなみに、この中東軍司令官のすぐ下でエジプト・リビア方面を指揮した役職がたとえば「第8軍司令官」で、オコンナー、カニンガム、リッチー、モントゴメリーなどがそれにあたります。



 さてさて、チャーチル首相の容喙(ようかい。くちばしを入れること。横から口出しをすること。差し出口。)について、どのように諸資料に書かれていたかといいますと……。

 まず、チャーチルが首相になる前に中東軍司令官に任命されていたウェーヴェル将軍を、チャーチルはなぜか極めて過小評価していたらしいです。が、実際のところ、ウェーヴェルはかなり優秀な人物であったと思われ(ロンメルもイギリス軍の将軍の内、ウェーヴェルを最も優秀であると考えていました)、ウェーヴェルの自由にやらせていたならば、北アフリカ戦はもっとイギリスに有利に運んだのではないでしょうか。

 1939年8月2日、サー・アーチボルト・ウェーヴェル将軍は新たに創設された中東軍司令官に任命された。ウェーヴェルは1901年にthe Black Watch(Royal Highland Regiment)に入っており、抜群の業績を挙げた著名な学者でもあった。新たな役職に就いて彼が直面したのは、圧倒的な戦力差を前にした大きな困難であり、とりわけウィンストン・チャーチル首相との間の関係であった。チャーチルはウェーヴェルを「優れた、平均的な大佐というところだ」と、1940年8月のロンドン滞在の後で表現していた。チャーチルは、ウェーヴェルへのまったくの過小評価から、ウェーヴェルの任務の詳細にまで何度も介入を繰り返して事態を悪化させ、ある時にはウェーヴェルは辞任まで考えるほどであった。幸いなことに「チーフ」として皆に知られていたウェーヴェルは辞任せず、むしろ並外れた統率力を発揮し、あらゆる個所で兵力において劣勢でありながら、3つの大陸にまたがる14の地域における複数の戦役を同時に差配したのであった。
『Operation Compass 1940』P14,5




 さて、実際の戦闘についてです。

 これ【1940年のムッソリーニによる各方面への攻勢指令】に対してチャーチルはどうしたかというと、ムッソリーニと同じくらい無分別な攻勢を主張していた。まだバトル・オブ・ブリテンが始まったばかりの8月初め、早くもカイロ駐在のイギリス中東軍司令官ウェーヴェル元帥に対して、北アフリカでの反撃を命じている。しかし、ウェーヴェルもまた準備不足を理由に、なかなか腰を上げようとしなかった。この点で、英伊両国指導者の独りよがりな攻勢への熱意と、前線指揮官の不承不承の態度は共通している。
 ただし、グラツィアーニの場合はともかく、ウェーヴェルの反対は当然であった。このときのイギリス陸軍はダンケルク撤退後の応急的な再建の時期であり、しかも中東軍の担当する戦域はエジプトだけではなく、スーダン、シリア、イラク、ソマリランド、パレスティナ、キプロスと、実に広範囲に及んでいた。
 しかし何事につけ積極的な攻勢を好むチャーチルは、すでにドイツのエニグマ暗号機の解読(ウルトラ情報)によって、9月中の独軍による英本土上陸作戦実施の可能性が薄れたと判断し、ウェーヴェルに対して北アフリカでの攻勢を強要した。そしてウェーヴェルからの要求に応えて、英本国から貴重なマチルダ戦車をエジプトに送った。これはチャーチルに言わせると、「死を賭しての輸血」ということになる。
 それでもウェーヴェルの腰は重く、苛立つチャーチルとの間に作戦開始の時期をめぐって激しいやりとりが続き、結果的に反撃が遅れたことが絶妙のタイミングになったわけである。すなわち、イタリア軍が対ギリシャ戦で総崩れに近い状態になっていた12月9日、エジプトでイギリス軍による反撃「コンパス作戦」が開始された。
『欧州戦史シリーズ VOL.5 北アフリカ戦線』P41


 チャーチルとウェーヴェルのやりとりで作戦が遅れたことが絶妙のタイミングになったというこの説は、なかなか興味深いものがあります。

 で、コンパス作戦、それにオコンナー将軍による「ベダ・フォムの戦い」でイタリア軍は惨敗し、英連邦軍は大進撃をしていたのですが……。

 ギリシャでのイタリア軍敗退は、ちょうど同じころ北アフリカでの予想外の戦果にわくイギリスにも大きな影響を及ぼす。ヒトラーがロンメルの派遣を決断し、2月12日、ロンメルがトリポリに到着したそのとき、北アフリカではウェーヴェルがチャーチルに対して「トリポリ進撃も可能」と打電した。まさしくヒトラーが危惧したように、全北アフリカがイギリス側によって制圧されそうな情勢となった。
 ところがこの千載一遇の好機に、チャーチルは突然ギリシャ救援を決意し、ウェーヴェルの反対を押し切って北アフリカでの進撃を停止させ、有力な部隊をギリシャと東アフリカ方面へと転出させてしまう。そのため、キレナイカ防衛の英軍兵力はわずかに 歩兵1個師団半と機械化1個師団(実際は旅団程度の戦力)にまで減少した。
 まさにこのとき、3月31日を期してロンメルが最初の攻勢に出て一挙にキレナイカの英軍を駆逐し、要衝トゥブルクを包囲したままエジプト国境にまで進出した。チャーチルが無理やり転出させたギリシャの英軍は、4月に始まったドイツによる「マリタ作戦」で惨敗し、5月末にはクレタ島からも撤退する羽目になった。
 それにもかかわらず、チャーチルは北アフリカでの反撃をも同時に狙って5月初め、貴重な300両近い戦車をあえて危険な地中海経由でエジプトに送り、6月15日、「バトルアクス作戦」 を発動した。
 しかし、この作戦は開始後わずか48時間で失敗が明らかとなり、ウェーヴェルはインド軍総司令官クロード・オーキンレック元帥と交替させられた。 この失敗のショックがどれほどだったかは、次のチャーチル自身の言葉でも明らかである。
「チャートウェル(ロンドン南東にある広大なチャーチルの別荘)に引っ込むと、一人にしてほしかったので家の戸を全部締め切り、何時間も谷間のあたりを侘しい気持ちで歩き回った」

 しかしその直後の6月22日、独ソ戦が始まると、またもやチャーチルは元気を取り戻す。早速ソ連支援のため、戦車と航空機をソ連に向けて供給させると共に反撃の好機と見て、新任の中東軍司令官オーキンレックに攻勢を命じた。だがウェーヴェルの二の舞になるのを恐れたオーキンレックは戦力の充実を主張し、結局、反抗作戦「クルーセイダー」が始まったのは実に11月18日のことであった。
『欧州戦史シリーズ VOL.5 北アフリカ戦線』P42,43



 ウェーヴェルとオーキンレックの両名がチャーチルに悩まされたことについて、こう書かれています。

 ウェーヴェルとオーキンレックがチャーチルからの矢のような催促にもかかわらず、なかなか北アフリカ正面での攻勢に出ようとしなかったのも、戦力をここだけに集中することができなかったからである。
 英軍側にとってのもうひとつの不幸とは、いうまでもなくチャーチルによる無用、かつ無定見な作戦への過度の干渉であった。その結果は、丸2年にわたる英軍の敗北であり、それをチャーチルは指揮官に責任転嫁した。
『欧州戦史シリーズ VOL.5 北アフリカ戦線』P45,6



 包囲されていたトブルクを救出する攻勢作戦(後のクルセイダー作戦)を急がせたことについては、このような記述が。

 オーキンレックはナイル川流域と中東の残りの支配地域を守ろうとする気持ちが強く、早期に攻勢を開始する気にならないでいた。チャーチルや他の人々は彼に、トブルクを救うための前進を始めるように圧力をかけ、イギリス海軍にもトブルク港への再補給が必要であると大きな圧力をかけて、マルタ島にイギリス空軍を配備し、マルタ島の防御態勢を拡充すると共に枢軸軍の補給線に対して攻撃をかけさせた。チャーチルはできるだけ早く枢軸軍をアフリカから追い出したいと考えており、その欲求はドイツ軍がソ連の奥深くに侵攻し、ソ連が崩壊するかもしれなくなってますます強まった。それゆえ、彼はことをどんどん進めようとしたのである。
『Rommel's North Africa Campaign』P99



 クルセイダー作戦は(恐らくロンメルがはっちゃけすぎたために)英連邦軍側の勝利に終わりますが、その半年後にはガザラの戦いでトブルクは陥落し、英連邦軍はエル・アラメインまでの後退を余儀なくされました。

 これまでチャーチルは、首相兼国防相として政治と軍事の両面で独裁的な権力をふるってきた。戦争指導の政治面でのチャーチルの功績は絶大で、ついに米国とソ連の参戦を実現させた。しかし、軍事面での指導に関する限り失敗続きだった。
 それでもなお政治家や軍人、そして国民がチャーチルについてきたのは、バトル・オブ・ブリテンでチャーチルの不屈の精神がイギリスを救ったことを、誰もが認めないわけにはゆかなかったからである。ところが、それによって途方もなくふくれあがったチャーチルの威信は、逆に、彼の細かい作戦への無定見な干渉を引き起こし、前線の軍人をただ憤激させるだけだった。いま、その干渉の結果が万人の眼に明らかとなった。
 結局、問責同義の採決では476対25でチャーチルは信任されたが、 このほかに約40名が棄権した。多くの者がチャーチルの軍事指導者としての才能には疑問を感じながらも、現在の難局を乗り切るにあたり、ほかに変わりうる人材がいないことを知っていた。
 また、もしチャーチルの国防相解任決議でも通ろうものなら、彼は首相の座も放り出していただろう。このときチャーチルはこう漏らしている。
「事態が悪化したときだけ、議会で弁解したり、陳謝したり説明したりするだけの、付属品のような首相にはなりたくない」
 まさに根っからの"戦争屋"らしい言葉である。そして、誰はばかることなく思いのままに帝国の戦略を練り、作戦を指導し、三軍を将棋の駒としてあやつるというのは、チャーチルにとって最高の生き甲斐であった。
 だから信任投票の可決によって、チャーチルは続投のつもりであったが同時に、自分の人気と地位に重大なかげりが差してきたのを実感し、より一層、勝利による人気挽回を模索するようになる。そして、イギリスにとってさしあたり、はっきりとした勝利の可能性があるのは北アフリカ戦線しかなかった。
 8月初め、チャーチルはカイロに飛んでオーキンレックを解任し、その後任の「 近東軍司令官」にビルマ方面軍司令官ハロルド・アレクサンダーを、そして正面の第8軍司令官に は、英本国で南東軍司令官をしていたバーナード・モントゴメリーを任命した。
『欧州戦史シリーズ VOL.5 北アフリカ戦線』P44



 オーキンレックの解任については、こんな記述も……。

 8月3日にチャーチルがカイロに到着し、そこで南アフリカのスマッツ将軍(ボーア人としてイギリスと戦ったこともあり、第一次世界大戦ではドイツ軍を相手に彼らと戦った)、ウェーヴェル将軍、それにオーキンレックの参謀長であるコルベット将軍と会った。その後チャーチルはオーキンレックを呼び出し、また(オーキンレックには伝えずに)第8軍を訪れ、彼を解任することを決心した。オーキンレックはあのひどかった7月に、首相が必要であった勝利をまったくもたらさなかったのだ。オーキンレックはこの知らせを8月8日に手紙で知った。彼の後任は、中東司令官はハロルド・アレクサンダー将軍、第8軍司令官としてはゴットであった。ゴットは司令官の任に就くために飛行機で飛んだが、地上で爆発する飛行機の中で、他の乗組員を助けようとして死亡した。首相のリストの2番目の人物はバーナード・モントゴメリー将軍であり、彼は8月15日に新たに第8軍の司令官に任命された(だがモントゴメリーはその2日前に着任し、オーキンレックとの間に摩擦を引き起こした)。
『Rommel's North Africa Campaign』P205


 これって明らかに私怨ではないのでしょうか……。まあ尤も、オーキンレックが、オーキンレック自身は優秀であったと思われるのですがその部下の任命がうまくなく、部下の失態によって敗北したことの責任を負わねばならない……という面もあるだろうとは個人的に思います。

 ただ、この時チャーチルは(通常は中東軍司令官が任命権を持つと思われる)第8軍司令官として「猛将」ゴットを自分の好みで選んでいた(チャーチル周辺の人たちは「モントゴメリーの方がいいのでは」と勧めていたのだが、チャーチルはモントゴメリーのことを嫌っていた)のですが、もしゴットが任命直後に死亡せずに第8軍司令官を務めていたとしたら、その後のゴットの英第8軍がロンメルを相手に勝てたかどうかは、非常に怪しい……というか、相性問題的にゴットはロンメルに対して最悪の相性だったと思われる、というのが諸資料を読んでいると良く書かれている感じです。アレクサンダー&モントゴメリーへの交替は、最終的には英連邦軍に勝利をもたらしましたが、しかしもしチャーチルの思う通りにゴットが任命されていたら、敗北が続いていたんじゃないでしょうか。


 日本語版Wikipedia「ウィンストン・チャーチル」の、チャーチルの戦争指導に関する評価は以下のように書かれていました。

 チャーチルが命じる数々の無謀な作戦には帝国参謀総長アラン・ブルック大将やアメリカ陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル大将も頭を抱えた。チャーチルの無謀な作戦のために多くの人間が死に追いやられていったが、彼は誰が死のうとほとんど関心を持たなかった。
 チャーチルは戦争を騎士道的な決闘ゲームのように考えていたため、栄光を残すためだけにこういう不合理な作戦を平気でやった。対して合理主義の権化であるアメリカ人たちは戦争など物量と物量のぶつかり合いでしかないのだから、相手の物量を叩き潰す空襲だけが重要と考えて、チャーチルの無駄な行動には不満を抱く者が多かった。




<2020/04/22追記>

 『憎悪の世紀 下』を読んでいたら、チャーチルの容喙についての記述があったので追記してみます。

【……】チャーチルは大西洋の両側で、イギリスの救済者であり連合国を戦勝に導いた立役者として記憶されている。だがもしチャーチルがヒトラーと同じような無限の権力を享受していたら、 戦略判断にまるで一貫性がなかったチャーチルは戦争に負けていたかもしれない(*6)。イギリス軍の最大の強みは、チャーチルの権限が限定されていた点にあった。実際、参謀総長たち、とくにブルックは「老人」チャーチルに反対できただけでなく、何回も政策の変更を迫った。イギリスでは、参謀たちが戦争を遂行していたと言える。特定個人の意思が、絶対的なものではなかったそのため、軍部で徹底的に意見の食い違いを議論したうえで、総意を反映した戦略を推し進めるしかなかった。それはたしかに面倒でもあったが、おかげで取り返しのつかない失敗をする危険が大幅に減った。

(*6)日記を記していたアラン・ブルック将軍は、チャーチルが「各地の戦場の関連性を把握する」能力に欠けていた点を批判している。1943年、ブルックはチャーチルの気まぐれのおかげで、スマトラ島北部の占領に駆り出された。ブルックによれば、チャーチルは「映画スターのように移り気で、甘やかされた子どものように怒りっぽい」という。


『憎悪の世紀 下』P299

<追記ここまで>

<2020/11/6追記>

 チャーチルに関する1冊本を読んでおきたいと思ったのですが、チャーチル絶賛的な本は避けたいので、批判的なことも書いてある本を探して、フランスで2013年に出版されたものの和訳である『チャーチル(ガリマール新評伝シリーズ)』という本を見つけて買いました。その中から、このエントリに合った内容の部分を引用してみます。



 夜の9時半になってやっと参謀部の会議を始めるが、飽くことなく、時には完全に非現実的な議論が4時間も続くことがしばしばで、聴き手にとって非常に面白いこともあれば、当惑と疲労で眠くなるだけだったりした。それと同時に、大臣や将軍らに検討事項を書いた書類やメモを山のように渡し、緊急に検討されないと苛立ちが露わになった。
『チャーチル(ガリマール新評伝シリーズ)』P154

 しかし、戦争は世界規模であり、チャーチルは例によって希有壮大な視点を持っていた。英国の防衛的立場では満足できない。彼が望むのは勝つことであり、それには攻撃しなければならない。そこで、帝国内の英国の砦や陣地を利用しようと考えた。
 最初の前線と軍の陣地を地中海に、とチャーチルは望んだ。【……】
 あらゆる予測と慎重さに反して、チャーチルは運命を無理に従わせようとするかのように、艦隊を地中海のただ中に乗りこませることを決意した。イタリアとの軋轢が生じるだろうが、イタリアにはドイツのような力はなく、たいした抵抗はない、と踏んでのことだった。チャーチルはタラント基地とマタパン岬沖の攻撃で成功をおさめた。
 【……】英国の形勢が悪化した。猛攻に転じたドイツ軍は、英国軍をエジプトまで押し返した。
 チャーチルは賭けに出たが、負けたのだ。彼は事の成り行きにいきり立ち、現場の責任者に非難の手紙を何度も送った。手紙はいつも「私は不満だ」で始まり、だんだん苛立った調子になった。大鉈が何度も振るわれ、上官たちが左遷されたが、その中にはウェーヴェルもいた。
『チャーチル(ガリマール新評伝シリーズ)』P158,9

 チャーチルは臨機応変だったが、自分の思い込みから抜け出せなくなり、計画実行のための物質的状況を断然無視するという危険なところがあった。現実を意思に沿わせようとすることは、戦時中には破滅を招くこともある。彼は周囲の高級軍人や閣僚たちの心を捉えるのと同じくらいに苛立たせたが、彼の脱線を止めるのは難しかった。
 ルーズヴェルトが言ったという言葉が知られている。「ウィンストンには一日に100のアイデアが浮かぶが、そのうち3つか4つは良い。残念なのは、彼自身どれが良いのか分からないことだ」。
『チャーチル(ガリマール新評伝シリーズ)』P192


 最後の「自分の思い込みから抜け出せなくなり、計画実行のための物質的状況を断然無視するという危険なところがあった。現実を意思に沿わせようとすることは、戦時中には破滅を招くこともある。」という部分ですが、これはインパール作戦における牟田口廉也と同じなのではないでしょうか。チャーチルには暴走を止めるアラン・ブルックがおり、牟田口には暴走を加速させる川辺正三がいたという大きな違いはあるでしょうけども、チャーチルは絶賛され、牟田口は口を極めて非難されるということに関して、私は大いに興味があります。

 ただ、同書を読んでいると、チャーチルによる軍事的な努力や作戦が効果的だったり成功したりしたものもたくさんあった印象も受けました。個人的にはやはり、「こういう点は良かったが、こういう点は良くなかった」という「両論併記」が必要だという考えです。

<追記ここまで>


 チャーチル首相に関しては、今年春に映画「チャーチル」が公開されていた(私は見てません)こともあり、その評価の高い?ことが再認識された年でもあったのでしょうが、我々作戦級ウォーゲーマーとしては、チャーチルへの評価は、どう考えたものでしょうか。ヒトラーやムッソリーニと同じくらい、現地司令官にとって大いに邪魔な存在だったのでは。ただ、もしかしたらチャーチルの軍事指導について優れた面を指摘したような資料もあるかもしれないのですが、これまでの私の集積ではそのような資料がなかっただけなのかもしれません。

 また、以前このブログでチャーチルが大戦中にベンガル飢饉を放置し、ウェーヴェルがその是正に努力したことを書いてました(→インド人300万人を死に追いやったチャーチルvs.ウェーヴェル将軍の戦い (2018/05/13) )が、どうもここまで挙げた諸資料を見ていると(そして最近私が数冊読んだサイコパス関係の本から類推するに)、チャーチルはスターリンやヒトラーと同じくらい、かなりサイコパス的な人物であるような気がします。サイコパスは悪い、という価値判断をするものではなく、サイコパスには良い面もたくさんある、という価値判断もしつつ。たとえば、映画「チャーチル」は英国でどう受け止められたかに書かれていたような「勇気(恐れを感じない)」は、サイコパスの一つの特性でもあるようです。

 ヒトラーやスターリンの暗黒面については良く話題になると思うのですが、チャーチルの暗黒面についてもより知られるべきのような気がしますし、また、そのような暗黒面を持つ人間だからこそ、大きなことを成し遂げられた面もあるのかもとも思ったりします。



 ↓最近読んだサイコパス関係の本です。




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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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