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北アフリカ戦線:イタリア軍のグラツィアーニ将軍について、まとめ

 北アフリカ戦線について情報を集積していたと良く書いてましたが、今後「まとめ」として書いていこうと思います。

 まずは将軍達について。私は歴史上の人物の性格だとか能力だとかにかなり興味があるので……。

 北アフリカ戦の時系列に沿って挙げていきます。最初はイタリア軍のグラツィアーニ元帥についてです。


Rodolfo Graziani 1940 (Retouched)
 ↑グラツィアーニ将軍(Wikipediaから)


 グラツィアーニ将軍は1935~36年の第二次エチオピア戦争で「機動戦(mobile warfare)」を実行して大戦果を挙げた人物なのですが、第二次世界大戦の北アフリカ戦では最序盤において英連邦軍相手に攻勢を取れというムッソリーニの命令に「無理だ」と抵抗したものの抗しきれず1940年9月14日に「グラツィアーニ攻勢」で3日間進撃して停止。インフラ整備に努めるも12月9日に英連邦軍の「コンパス作戦」により大敗北を喫して、辞任しました。


   エチオピア戦争においての活躍についてはこう書かれています。

 【エチオピア戦争では】戦車は、当時のヨーロッパで常識とされていた方法で運用された - 即ち、歩兵支援である。例外はソマリランド戦線のルドルフォ・グラツィアーニ将軍が率いた一軍で、戦車、トラック、馬とラクダの騎兵部隊、牽引式の火砲とで、機動部隊が編成された。迅速なる機動で兵力を集中できるこの部隊は、終始エチオピア軍に対して優位を保ち続けた。
『コマンドマガジン27号』P16,7

 「砂漠の間抜け」どころか、グラツィアーニは砂漠戦のエキスパートなのである。キレナイカでのシヌージ族との戦いぶりを見れば、そのことがよくわかる。ロジスティクスの重要性を最初に唱え、また機械化された諸兵科連合部隊をも編成した人物でもあるのだ。ロンメルその他が後にしたことを、グラツィアーニは1930年に成し遂げてたのである。
『コマンドマガジン27号』P18




   ただ、その戦功も、英連邦軍相手には敵し得なかったと。

 彼は、イタリア軍が手を焼いていたベドウィン族の反乱を鎮圧した。反乱の指導者、「砂漠のライオン」オマー・ムクターを処刑し、リビア植民地を平穏にした。
 ……
 グラチアーニは、ガリバルディとともにイタリア軍を代表する軍人である。2人とも、現地人には勝つが近代装備の軍には敵しえないイタリア軍の象徴的人物でもあった。
『アフリカンギャンビット』P19

 「砂漠の屠殺人」として知られるこのイタリア軍元帥は、植民地戦争で得た自身の戦功のイメージに、より大規模で複雑化した軍事行動に直面した時には沿うことができなかった。
『WHO WAS WHO IN THE SECOND WORLD WAR』P72


 しかしこれは、グラツィアーニ自身の能力の問題というよりは、「イタリア軍自体が、植民地ではぎりぎり勝てる軍隊であっても、他の列強諸国軍に勝てる軍隊ではなかった」ということに過ぎないような気も……。


 実際にグラツィアーニ自身が北アフリカ戦の時にどういう能力や性格であったかについては……。

 ヒトラーはリッター・フォン・トーマ将軍を11月初旬に北アフリカを視察させたがそれは、9月にドイツ側が申し入れることを検討し始めた2個装甲師団をアフリカに送る件のためであった。さらに、ヒトラーは第3装甲師団をアフリカに送る準備を始めさせた。だが、フォン・トーマはそれを勧めなかった。戻ってきたフォン・トーマは、イタリア軍の指揮は水準に達しているとは言えず(彼はグラツィアーニは最高司令官としては不適格だと考えていた)、兵站、気候、それに地形の厳しさも大きな問題であるという感想を伝えた。
『Rommel's North Africa Campaign』P28

 フォン・トーマの視察の後、グラツィアーニは車両と戦車を1個師団に集中させることなどを検討した。だが彼が実行したのはおおよそ自動車化部隊ということであり、ひとつには、イギリス軍の装甲車による小戦闘の成功を見てのものであった。この戦闘団は、増強された連隊程度か、あるいは連隊規模を越える程度の特別部隊編成であり、これがマレッティグループであった。
 また、イタリア軍が犯していた戦術上のミスがあった。部隊は武装したキャンプを並べて配置されていたが、それらは相互支援できるようになっておらず、またその隙間に敵部隊が侵入してきた時にそれを停止させることができるような強力な機動部隊も存在しなかったのである。
『Rommel's North Africa Campaign』P30

 砂漠の作戦で立ち現れてきた困難に気付き、兵站に関する複雑な事態の強迫観念にとらわれた彼【グラツィアーニ】は、敵に対して圧倒的な大兵力を持っているにもかかわらず、攻勢を取りたがっているムッソリーニにあらゆる面で抵抗した。彼は外務大臣のチアノ伯爵に対して予言的な悲観論を表明していた。「水の補給はまったく足りない。我々は敗北、それも砂漠の真ん中での敗北に向かっているのであり、それはまったくの破滅につながることは避けられないに違いない。」それは麾下の部隊の攻勢を成功へと導く態度とはまったく言えず、早期の諸作戦は彼の自信にはまったくならなかったのであった。
『Operation Compass 1940』P14


 これらを見ていると、グラツィアーニ元帥は「不適だと評価されており」「ミスもしており」「精神的に敗北主義的であった」ということになるんでしょうか。

 こんな評価もありました。

 ある将軍のグラツィアーニに対する批判はこう述べている。
「彼はかつてのように、わずか数千人の兵卒を指揮する植民地軍人としては問題はなかったが、アジス・アベバでの彼の暗殺未遂事件も災いして、精神的・肉体的にも参ったのだろう。
 だから完全武装で攻めて来る敵の大軍の前では、周章狼狽せざるを得なかったのだ。彼は五ヶ月間も司令部内に居座ったままで、戦線の成り行きをじかに観察せず、前線の軍隊との連絡もおろそかにしていた。この点、ムッソリーニが、現今の戦いは複雑極まりなく、戦場から離れすぎては指揮を執れないと言っていたが、彼はこれを聞き入れなかったのだ。
『ムッソリーニの戦い』P104,5


 グラツィアーニ将軍はエチオピア戦争の時には56歳前後で、北アフリカ戦では60歳前後なので、「若い時には良かったが……」というようなことではないのでしょうけども、ただ、56歳の時には優勢を確保できる状況において前向きになれたものが、暗殺事件とかがあって、60歳において敵の方が優勢だと思える状況で、敗北主義的な傾向が加速してしまったということなんでしょうか。

 実際に当時の「グラツィアーニ攻勢」において、イタリア軍が勝利可能であったのかについては、「まあ……無理だろう」というのが大方の見方であるようには私は感じています。当時のイギリス軍側の将軍であるウェーヴェルやオコンナーがまた、優秀であったと思いますし。

 グラツィアーニ攻勢周辺については、↓もご参照下さい。
1940年9月北アフリカのイタリア軍グラツィアーニ攻勢について (2017/08/06)
グラツィアーニ元帥はフリーメイソンだったからイギリス軍に有利になるように行動した? (2017/12/15)


 コンパス作戦で大敗北を喫した後のグラツィアーニについては……。

 シディ・バラニ陥落直後にはグラツィアーニ元帥は自信を喪失しキレナイカを放棄してリビアの首都のトリポリまで退くことさえ口にする程だった。しかし英軍の追撃が予想より緩慢で、多くの将兵がバルディアに逃れたことを知ると、落ち着きを取り戻して敵を迎え撃つ意志を固めたのであった。
『コマンドマガジン日本版 vol.61』地中海戦史P32

 グラツィアーニ自身はムッソリーニが「象に立ち向かうノミのような」戦いを、無理強いにやらせたと文句をいって(それについて総統の説明を借りれば「砲1000門以上を装備した奇妙なノミである」)、遺書を妻に送り、はじめキレネにある地下70フィートのローマ時代の墓所に身を隠し、それからローマへ逃げ出したのであった。
『ロンメル将軍』P22



 ただこの後、グラツィアーニが要求していた戦力が北アフリカに送られてくることになるというのは、一時期日本経済についても良く言われていた、「遅すぎる、少なすぎる」というやつで、やりきれない感も……。

元々作戦に反対であった事や、対案である援軍派遣が拒否された状態での敗北を考えれば無謀な戦争計画の責任を押し付けられた形となったが、グラツィアーニは抗弁しなかった。ドイツ・アフリカ軍団の到着後、漸くファシスト政権は北アフリカ戦線に機械化師団や空挺師団、戦車師団を増援として派遣したが、これらは遠征前にバルボ空軍元帥やグラツィアーニが熱望していた戦力であった。
日本語版Wikipedia「ロドルフォ・グラツィアーニ」




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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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