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Shakos『Napoléon 1806』の和訳ルール

 Shakos『Napoléon 1806』ですが、性格的&能力的に和訳を作ってからでないとプレイできないので和訳を作っていたのですが、なんとか一応できたかと思います。

 ただ、こういうのはミスを避けがたいので、誤字脱字やミスを見つけた方はご連絡いただければ。

(※2018/09/10追記:案の定、色々間違いが発見されたので、改訂版をShakos『Napoléon 1806』初プレイと和訳ルール改訂など (2018/09/10) で公開しました。混乱防止のためにこのエントリ上の旧版へのリンクは外しておきますのでご了承下さい。)



Shakos『Napoléon 1806』和訳ルール


 そのあと作っていた、「エレコム ラベルシール FBAラベル 出品者向け きれいにはがせる 24面 100枚入り EDT-FBA24100」用に作ったカード和訳データも置いておきます(カードの順番が一部おかしくなってますが……)。

カード和訳データ


 プレイまだなんですが、プレイしていただける方募集です。


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Shakos『Napoléon 1806』に出てくるプロイセン軍指揮官に関する今までのこのブログ上のエントリまとめ

 先日、Shakos『Napoléon 1806』に出てくるフランス軍指揮官の人物像まとめ (2018/08/23)というのを書いていましたが、プロイセン軍指揮官に関してやりたいと思います。個人的にはプロイセン軍指揮官の方がメインです。

 ただ、今までにある程度はプロイセン軍指揮官についてこのブログ上で扱っており、まずはその過去のエントリのまとめを作ってみようと思います。過去のものである程度以上人物像について分かるものは、それで良いということで……。


 順番はゲーム上の戦闘序列の順で。



・フリードリヒ・ヴィルヘルム3世
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世のキャラクター像 (2015/02/11)
不定詞王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (2015/03/12)
王妃ルイーゼが敗戦8日後にキュストリンで王と再会する (2015/05/20)
1805年、フランス軍がプロイセン領を侵犯 (2015/12/29)
ブラウンシュヴァイク公は主戦派だったのか? (2016/01/03)
ウォーゲームを広げたのはフリードリヒ・ヴィルヘルム3世だった? (2016/02/16)
プロイセンが対仏戦争を決断(1806年8月7日) (2016/03/03)
1806年9月初旬のプロイセン軍配置 (2016/03/17)
1806年のプロイセン軍は腐敗していなかった? (2016/04/05)
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は『咲-Saki-』の野依プロであるバキッ!!☆/(x_x) (2016/05/11)
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が側室を? (2016/06/04)
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世と音楽人形 (2016/06/08)
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世と鉄十字章 (2016/06/11)
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の散歩とジョーク (2016/08/05)
「第九」はフリードリヒ・ヴィルヘルム3世に捧げられていた! (2016/09/08)



・ブリュッヒャー
ブリュッヒャーとフリードリヒ大王の喧嘩 (2012/07/28)
『ブリュッヒャーとプロイセン』第1回 (2012/10/08)
『ブリュッヒャーとプロイセン』第2回:スウェーデン軍の兵士となる (2013/03/22)
1815年にブリュッヒャーが選ばれた理由 (2013/07/13)
ブリュッヒャーはなぜ最高司令官になれたのか? など (2014/01/23)
『The Hussar General』をやっと完訳 (2014/03/27)
オラニエ公やブリュッヒャーの容姿について (2014/03/31)
続・シャルンホルスト、ブリュッヒャーと合流 (2015/02/08)
ブリュッヒャーとシャルンホルストは知り合いだった? (2015/02/22)
カルクロイト元帥が降伏しようとする (2015/03/25)
ブリュッヒャー元帥のパイプ (2016/06/01)


・ブラウンシュヴァイク公
『ブリュッヒャーとプロイセン』第3回:1757年のブリュッヒャーとカール (2013/03/23)
ブラウンシュヴァイク魂と新しいブリュッヒャー本 (2014/04/01)
両目を撃たれたブラウンシュヴァイク公 (2015/01/18)
戦場を脱出するブラウンシュヴァイク公 (2015/01/23)
アウエルシュタットでのシャルンホルスト (2015/01/30)
ブラウンシュヴァイク公(父)の性格 (2015/12/07)
ブラウンシュヴァイク公は主戦派だったのか? (2016/01/03)
ブラウンシュヴァイク公(父)の息子達について (2016/02/11)
1806年9月初旬のプロイセン軍配置 (2016/03/17)
ブラウンシュヴァイク公(父)の中年の頃の評判 (2016/04/03)
ブラウンシュヴァイク公(父)がプロイセン王に服従するワケ (2016/05/02)
1805年~1806年にかけてのブラウンシュヴァイク公(父) (2016/05/19)
ブラウンシュヴァイク公が両目を負傷した場所 (2016/06/21)
ブラウンシュヴァイク公(父)が亡くなる (2016/06/25)
ルイーゼ王妃がブラウンシュヴァイク公に頼んだのか? (2016/06/28)



・ホーエンローエ公
『戦争と平和』(AH)のプロイセン軍指揮官達 (2013/06/30)
「プロイセンに付きまとう悪魔」マッセンバッハ (2015/02/08)
ホーエンローエについて、まとめ (2016/03/05)
リュッヘルはイエナ会戦の敗北の責任を負うべきなのか? (2016/03/10)



・カルクロイト
1815年にブリュッヒャーが選ばれた理由 (2013/07/13)
カルクロイト元帥が降伏しようとする (2015/03/25)



・ルイ・フェルディナント
プロイセン王妃ルイーゼの自費出版本を発見 (2012/09/16)
ブラウンシュヴァイク公は主戦派だったのか? (2016/01/03)



・リュッヘル
リュッヘルはイエナ会戦の敗北の責任を負うべきなのか? (2016/03/10)



・タウエンツィーン
カルクロイト元帥が降伏しようとする (2015/03/25)



・ヴァイマル公
ヴァイマール公とは? (2015/02/11)
イエナ会戦前後のヴァイマール公の動き (2015/02/15)
ヴァイマール公妃ルイーゼの勇気 (2015/02/20)
『コンサイス外国人名事典』で諸公を調べてみました (2016/03/02)



・ヴュルテンベルク
(特になし)




 ……とりあえず、ルイ・フェルディナント、タウエンツィーン、ヴュルテンベルクについては新たに調べないといけないかと思います。リュッヘルとカルクロイトについても一応はまとめた方がいいのかも……。

 ブリュッヒャーは資料が多すぎてまとめられません(^_^;






ドイツ軍のMG34機関銃やMG42機関銃のためにフィギュアを買う……ということにするバキッ!!☆/(x_x)

 先日、とあるフィギュアでMG34機関銃を持っているものを中古で買いました。「フィギュア全体はいらないから、MG34だけ売ってないかな……」と冗談交じりで考えていたのですが、元の値段が9,000円くらいのものが2,500円で売っていたので、実物や写真をうんうん見て「まあ、買っていいだろう」と考えて購入。



 1/8らしいのですが、結構いい質感のような気がして、惚れ惚れしてます。

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 実はちょっと前にはMG42を持ったフィギュアも中古で購入していて、こちらの質感も気に入ってました。

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 ただ、このMG42のサドルマガジン(銃弾が入っている部分)は史実のMG42ににはないものらしく、しかしフィギュアの元キャラが空で使うためにサドルマガジンなしというわけにはいかず、他で使われていたDT15というサドルマガジンを引っぱってきたものらしいです(MG34用に使われていた? →MG34 汎用機関銃 (サドル・マガジン、付属品、木箱付、#3743)。


 ↓参考
MG42ウィッチ仕様



 私はミリタリーファンとしては師団~特別な大隊(まれに中隊)規模あたりの話が好きだと思われ、戦車や飛行機もカワイイ&塗らなくてもいい1/144スケールでは集めるもののそれ以上の大きさのものは滅多に買わず、火器の類もそれほど大好きというほどではない&買うとしたら高すぎるので自重しています(ただし1777年式マスケット銃のレプリカを昔買ったり、知り合いに餞別でKar98のエアガンをもらって喜んで排莢ギミックを繰り返し、壊れてしまったので今は飾ってあります)。

 ただ、ここ数年こういう第二次世界大戦の火器を持ったフィギュアが中古で割と安めに手に入るようになってきたので、フィギュア自体や火器の出来が個人的に気に入って、値段がある程度安ければ、買うようになってきていました。




 ↓今回のMG34とMG42を持っていた元フィギュア。

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 どちらも1/8スケールでアニメ「ストライクウィッチーズ」のキャラです。

 右がコトブキヤという会社のミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ(イメージキャラはヴォルフ=ディートリッヒ・ヴィルケ:第3戦闘航空団司令官としてスターリングラード戦などで活躍した。撃墜数162機)。

 左がアルターという会社のハンナ・ユスティーナ・マルセイユ(イメージキャラはハンス・ヨアヒム・マルセイユ:「アフリカの星」と呼ばれたアフリカ戦線のエース。撃墜数158機)


 これらのフィギュアは2010年前後に発売されていたものだと思うんですが、当時は9,000円くらいしていて、私の中での欲しさと値段が釣り合っていませんでした。が、最近大阪日本橋にフィギュアを中古で扱う大きな店が3つぐらいできていたりして、まあまだまだ高値で売っている(元値が10,000円を超えるようなやつとか、人気のあるもの?)ものもいっぱいあるんですが、一部には2,000円代になってくるものがあり、上の2つは両方とも2,500円だったと思います(Amazonやメルカリなどでも2,000円代で買えるようです)。

 今回のマルセイユのフィギュアは、元々それほど欲しいとは思っていなかったものなんですが(アニメのキャラに思い入れがないので。史実のマルセイユにはむっちゃ思い入れがありますが)、買ってみて、見れば見るほど、知れば知るほど、素晴らしい出来であるような気がして気に入っています。探してみたら、絶賛するレビューがいくつもありました。ミーナさんのフィギュアのレビューもいくつか。

アルター ハンナ・ユスティーナ・マルセイユ レビュー : 複合材な日々
フィギュア撮影 アルター ハンナ・ユスティーナ・マルセイユ
玩具不十分 : アルター ハンナ・ユスティーナ・マルセイユ レビュー
アルター ストライクウィッチーズ2 ハンナ・ユスティーナ・マルセイユ
[フィギュア撮影レビュー] アルター ストライクウィッチーズ2 ハンナ・ユスティーナ・マルセイユ

ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ(コトブキヤ) フィギュアレビュー
【フィギュアレビュー】コトブキヤ「ストライクウィッチーズ ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ」レビュー

 レビューのブログ記事の写真がどれもキレイすぎて、私が写真を撮るのがおこがましくてたまりません(^_^;









 実はこれらの1/8スケールのものを中古で買い始める前の一時期には、セガのストライクウィッチーズのプライズフィギュア(1/10くらい?)に注目して、気に入ったものは買っていました。新品でも1,000円代で買えることが多く、まあまあの出来だったので。

 もちろん火器を持っていて、MG34やMG42もありましたし、他にBARボーイズ対戦車ライフルを持っているキャラがおり、そこらへん気に入ってました。

 参考に私が持っているもののみ、Amazonのリンクを並べておきます。






 「ストライクウィッチーズ」は今後また3作品ほどがアニメ化されるということで、またこういうミリタリー的な楽しみができる製品が出てくれたらなぁと期待してます。


OCS『Smolensk』シナリオ3(第5ターン~)

 ミドルアース大阪に行ってきまして、OCS『Smolensk』をやりました。


 ↓『Napoléon 1806』と『Ligny 1815 Last Eagle』のプレイをして下さる方募集のために、そちらも広げてました。

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 ↓OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』シナリオ3セットアップ時。

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 OCS『Smolensk』のシナリオは1がフルキャンペーン(19ターン)、シナリオ2がそのショートシナリオ(第8ターンで終了)。シナリオ3はフルキャンペーンにおける第5ターン(1941年7月22日から)のキャンペーン(つまり14ターン)のシナリオです。ちなみにシナリオ4はシナリオ3のショートバージョンで、4ターンで終了します。

 で、通常の例会ではどうせ長くプレイできるわけはないので、ショートバージョンの方の勝利条件を調べてみました。ドイツ軍とソ連の国旗のマーカーが置いてある村が全部で11個ありますが、その支配を、ドイツ軍はソ連のものを1個でも追加で取れば勝ち。ソ連軍もドイツ軍のものを1個でも追加で取れば勝ち、でした。それが両者できなければ引き分けです。

 シチュエーションとしては、フルキャンペーンの最初の4ターンでドイツ軍が疾駆してスモレンスク、ヤルツェボ、イェルニャ、あるいはクルィチャウ(クリチェフ)などを奪取していますが、攻勢限界点に達したと思われるあたりで、ドイツ軍のセットアップは装甲・自動車化歩兵師団のうち5個は移動モードで配置しなければならず、また予備マーカーは一つも置けず、そしてソ連軍の先攻で始まるという、「ソ連軍の必死の反撃が始まるのか?」という辺りからスタートするようでした。


 で、私はスモレンスク戦のゲームをほとんどやったことないので、そこらへん非常に豊富なこかどさんに色々教わりながら、ちょっとずつやってみました。

 全体の状況として、ドイツ軍は盤上のSPが本当にわずかなのですが、ソ連軍側はSPがかなり潤沢にあり、砲撃や攻撃をどんどんやっていける感がありました。特に砲兵はかなり集中させて、104砲爆撃力とかで撃てる箇所がありました(一回私がダイスを振ったら目が低くて単なるDGだったのですが、こかどさんが「いや、それはない」と振って、1ステップロスが出ました(^_^;)。

 ただ、ソ連空軍ができることを探してみたのですが、ドイツ空軍の半分以上が非活動状態であるにもかかわらず、できそうなことがない……! とりあえずできることとして、ドイツ軍の増援がやってくる道を移動妨害してました↓(が、これもドイツ軍側がちゃんと意識してれば防げます)
 
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 ソ連軍としては、ドイツ軍側が

1.2ユニット程度しかいない
2.1個師団だが移動モードである
3.1個師団だがDGである
4.川越えで1個師団だが移動モードでDGである

 なら、1~2SP程度を払って攻撃しても良さそうでした。というのは、そういう状態ならばドイツ軍側は防御のためになけなしの2Tを払わねばならず、盤上のSPの少なさからいって本当にドイツ軍にとってはつらい感がありました。まあ、戦闘結果はAL2とかAL1o1だったりするんですが、稀にAL1o1 Do1とか出たりします。



 ↓後攻ドイツ軍ターンを少しやってみた結果。

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 ドイツ軍側としては、スモレンスクの北側にいるソ連軍部隊を補給切れにさせたいところですが、司令部がいる限りは補給キャッシュマーカーで生き延びられてしまうので、司令部を壊滅させるか、司令部からその他の部隊に支給路が届かないようにすべきかと思われました。画像では一応それに成功はしてますが、うーん、この行動のためにSPはすっからかんという感じに……。盤上にあったSPをかき集めたり、このターンに来たSPを専用トラックで取りに行けば、いちおう何とかなるのか……とは思われつつも、本当に最低限の行動しかとれない感がありありでした。かなり苦しい戦いをせざるを得ないんでしょうね~。


Shakos『Napoléon 1806』に出てくるフランス軍指揮官の人物像まとめ

 Shakos『Napoléon 1806』のルール和訳がようやく終わりました……。

 和訳が終わったらやりたいと思っていた、このゲームに出てくる指揮官に関する調べ物をしたいと思います。やりたいメインはプロイセン軍でまだ情報をまとめたことがなかったタウエンツィーンやヴュルテンベルクで(マイナー……(^_^;)、フランス軍の指揮官の情報は放っておいてもとは思うのですが、手持ちの日本語資料で人物像についてだけまとめられそうだったので、それをやってみようと。

 資料は↓のものと、OSG『1806』のヒストリカルノート(OSG『1806』のヒストリカルノートから、指揮官について (2016/01/05) )と、Wikipediaです。



 『歴史群像』はこの2号連続で有坂純さんによる「ナポレオンの元帥たち」という記事があり、素晴らしいものでしたが、元帥全員が取り上げられていない……(T_T)


 『Napoléon 1806』に出てくるフランス軍指揮官はナポレオンを除いて8人で、同梱の指揮官ボードではアルファベット順に並んでいます。


Charles Pierre Francois Augereau

 ↑オージュロー

 果物商と家政婦のあいだに生まれたオージュローは、生まれついての野心家で、その点ではかなり成功したといえる。貪欲かつ強引なうえ、第1級の日和見主義者でもあったが、1796年カスティリオーネの戦いでは、名声への執着から猛烈な戦いぶりをみせ、ナポレオンの全面的信頼を勝ち取った(これは皇帝としては異例のことである)。
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P5

 ……プロイセン軍の優れた下士官として経験を積み……1806年、征服したプロイセンで自分のかつての連隊の戦友たちと再会した彼は、感極まって中隊長以下全員に贈り物をしている。
 ……戦略的な才覚には欠けていたが、彼は一流の軍団指揮官であった。……
 戦術と集団の統率に優れ、剣術の達人で、粗野で無教養、大言壮語し、辛抱が足りず、政治にかぶれて笑いものにされ、磨き抜いた軍靴や金ピカの財宝を好み、将校たちも乱暴者揃いというこの将軍は、夜盗の如き略奪者でもあった。しかし彼の本性は残酷でも貪欲でもなく、立派な教養こそ身につかなかったが、地位と財産を得て落ち着くとともに人柄は丸くなっていった。友人や部下、地元の住民らには気前よく情け深く、大金を使い込んだランヌに同額を無条件で貸して助けたりしている。
『歴史群像』No.123 P9

 オージュローは部下達の自信をかき立てることに長けていたが、忍耐力は不足気味であった。"ランヌのすぐ後についていくのに"彼が失敗したことは、"自発性のひどい欠如を示している"(注51:Petre、【ザールフェルトの戦いに際して】"ランヌのすぐ後についていかなかったことに関するオージュローの言い訳は、自発性のひどい欠如を示している。)
OSG『1806』ヒストリカルノート


 オージュローはヤンキーというか海賊というか劉邦というか、なんかまあそんな感じの人物像っぽい感じを受けます。ザールフェルトの戦い(イエナ・アウエルシュタットの戦いの数日前に起こった前哨戦)で彼がどうだったのか良く理解しておらず、この戦役で活躍した感じもしませんが、それよりはプロイセン軍兵士時代の戦友に会って感激するオージュローの人物像に惹かれますね~。






Jean-Baptiste Jules Bernadotte

 ↑ベルナドット

 ベルナドットは、堅実かつ断固とした非常に有能な人物で……
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P6

 ベルナドットの第1軍団は足場の悪い森の中を北東に向けて120kmにわたり行軍しており、ナポレオンから遠く離れていたため作戦変更に即座に反応しづらい状況だった。ナポレオンはイエナで全プロイセン軍と対峙していると想定し、決戦の日を当初の予定の10月15日ではなく14日に突如変更した。全元帥の中でベルナドットただ一人が、その変更を直接知らされなかった。……悪路に阻まれイエナの戦いには間に合わなかったが、軍団をアポルダ高地に布陣させることで、プロイセン軍の退路を脅かすことに成功した。
 後年ナポレオンは、ベルナドットがアウエルシュタットにてプロイセン軍の主力と遭遇したダヴーの援軍要請を嫉妬心から拒んだと非難し、彼を軍事裁判にかけるため執行令状にサインをしたもののジョゼフやジュリー、デジレの事を思い取りやめたと述べているが、この見解に対して、むしろナポレオン自身に過失があったと異論が唱えられている。実際のところ、ナポレオンは作戦立案を総司令部に集中させすぎたあまり、元帥たちは作戦の全体像を把握できていなかった。ベルナドットはあくまでも皇帝の指示通りに行動したのであり、ナポレオンと参謀長のベルティエが敵主力の位置を読み間違えるという深刻なミスを犯したことのスケープゴートとしてベルナドットが槍玉にあがったという見方もされている
日本版Wikipedia「カール14世ヨハン (スウェーデン王)」

 ベルナドットはいつも半独立的な位置において作戦行動を良くこなしていたが、アウエルシュタットの戦場に登場することには失敗した。
OSG『1806』ヒストリカルノート


 『Napoléon 1806』のヒストリカルノートでもベルナドットはダメ人間扱いされていましたが、R/Dさんの1806年10月14日 ドルンブルクにもあるように、私は「ベルナドットは悪くない派」だと思います。






Bessieres

 ↑ベシェール

 皇帝の古くからの親しい友人ベシエは有能な騎兵司令官であった。部隊指揮官としては凡庸だったが、人の上に立つ者としては、慎重でむしろ強靱であった。
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P7


 イエナ・アウエルシュタットの戦いでベシェールが何をしたか、私は今記憶がないのですが、調べれば色々出てくるのでしょうか……。オシャレで髪の毛に粉をふっていたらしいですね。






Louis-Nicolas Davout

 ↑ダヴー

 皇帝に仕えた将校のうち最も優秀な一人。過剰な厳格さと粗野は万人に嫌われたが、細部に目が届き、有能で、物に動じず、ライオンのように勇敢なダヴーは、真に偉大な軍事指導者であった。
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P9

 貴族でありながら彼には礼儀も婉曲もなく、任務の遂行においては一片の容赦も見せず、自分にも部下にも常に最高度の状態であり続けることを要求し、無能と不服従は無慈悲に罰せられた。ために将校たちには恐れられたが、厳正な軍紀で兵士たちを縛り付ける一方で、その補給と給養が充分であるよう配慮したので、兵士には愛された。同様に、作戦行動に必要とあれば一地方を軍税で丸裸にしたが、その実施は公平で、略奪は厳禁されていたので、住民には憎まれなかった。
『歴史群像』No.124 P10

 極度の近眼のため、分厚い眼鏡をかけ、背が低い上に若禿げで、外見は冴えなかったと言われるものの、ナポレオン麾下で最優秀と評価される事の多い将軍であり、生涯不敗とされるその軍歴は勝利の栄光で満たされている。その才覚は単なる前線指揮官に留まらず、ナポレオンの戦略を高次元で理解し、独自に一軍を維持し指揮することのできる数少ない人物であり、行政官として組織を管理統率する手腕にも優れていた。ナポレオンへの忠誠心は信仰に近いものがあったという。ただし、ナポレオンの方は、ダヴーの有能さは評価しつつ、その才能への嫉妬もあったのか、複雑な心情を抱いていたらしく、後にはかなり辛辣な評も残している。
 人柄はやや問題があり、言動は粗野で非常に冷淡、特に士官以上に対しては異常なまでに厳しく、部下の多くからは嫌われた。規律にやかましく、公私混同を忌み嫌う厳格な人物でもあり、俗物が多い同僚達からは煙たがられる事が多かったという。また、身だしなみを気にしない悪癖があったため、服から悪臭が漂っていることもあったという。よって友人も少なく、元帥の中で親しかったのはウディノ、ネイ、グーヴィオン=サン=シールぐらいのものだった。逆に忌み嫌っていたのはミュラ、ベルナドットの両名という。
日本版Wikipedia「ルイ=ニコラ・ダヴー」

しかしそのような状況においてなおアウエルシュタットで、恐らく元帥中最も有能であったダヴーは自らの優秀さを証明したのである。ダヴーは36歳にして頭は禿げ、やや猫背であり、極度の近眼であった。彼は特別製の戦闘用の眼鏡を頭の後ろ側に留めていた(注50:John R.Elting, 『The Wars of Napoleon』)。
OSG『1806』ヒストリカルノート


 イエナ・アウエルシュタットの戦いにおける最高のヒーローといえばダヴーということになるでしょうし、私もダヴーを尊崇していますが、身近にいたらイヤかもしれませんね……(^_^;






Julie Volpelière (d'après Gérard) - Le maréchal Lannes (1769-1809), 1834

 ↑ランヌ

 「フランスのアイアス(ギリシア神話のトロイア戦争で活躍した英雄にちなむ)」と仇名されたランヌは、大胆な兵士であり、とくに優れた司令官であった。ただし、ときには勇猛さが冷静な判断を上回ることがあったかもしれない。執政政府時代、駐リスボン大使を務めたが、そのあいだにかなりいかがわしい方法で莫大な金を手にしている。
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P12

 ランヌは独立の将ではなく、全軍の前衛として戦うのを常とし、また幾度も凄惨な攻囲戦を最前線で指揮した。……
 ランヌは勇気と独学の人である……熱心に軍事を学んだのみならず、階級と地位の上昇に伴い、ふさわしい見識と教養を身につけようと努力し、毎夜数時間の勉強を怠らなかったという。皇帝は「私は彼を剣士として見出し、騎士として失った」と、彼の不断の成長を回想している。
 ……エジプト遠征でミュラの陰謀を告げ口したのが、皇帝の『身内』(そしてミュラと、その弟分ベシエールの仇敵)となった契機であろう。彼は皇帝に“tu(私的な親しみの二人称)”で呼びかけるのを許された唯一の人間だった。信じられぬほど勇敢で、粗野で直情的で、きわめて嫉妬深く、金銭にルーズなランヌを、同い年のナポレオンは友人と言うよりは愛人を扱うかのように、親愛と信頼に時々のきつい叱責を織り交ぜて接した。
『歴史群像』No.123 P11

 ランヌは非常に優秀な指揮官であるともにナポレオンの親友であり、北翼で一軍を率いて真っ先にイエナに到着した。彼の機動打撃部隊はスーシェのベテラン師団によって強化されていた。
OSG『1806』ヒストリカルノート


 ランヌはザールフェルトの戦いで、「もしかしたらプロイセン軍で最優秀だったかもしれない」と言われるルイ・フェルディナント公を戦死させ、イエナの戦いでも非常に重要な役回りで堅実に勇猛に役割を果たしており、イエナ・アウエルシュタット戦役におけるダヴーに次ぐ2番目に活躍した将軍のように思えます。






Murat2

 ↑ミュラ

 ミュラは、とくに炎のような統率力と騎兵隊司令官としての勇猛さ、華美な服の好みで知られる。確かに彼は国の主よりは騎兵に向いていたし、勇敢ではあっても王者としては誉められた人物ではなかった。
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P17

 恐らく同時代に類を見ないほど優秀な騎兵指揮官であり、ナポレオンの戦いには欠かせない貴重な戦力だった。素晴らしい騎手にしてサーベルを扱わせれば天下無双、勇気胆力全く欠ける所が無く、どんな乱戦にも真っ先に飛び込み平然と生還する勇者でもあった。長身で威風堂々とし、甘いマスクと気の利いた弁舌を備えた大変な伊達男で、自らデザインした派手な軍服に身を包み戦場を疾駆するその姿は、敵味方問わず感嘆の的だった。
 しかし彼の能力は完全にそこまでで、馬を降りれば優柔不断で軽薄で浅はかであり、大軍を指揮する能力も戦略眼も政治外交能力もなかった。……元帥同士の人間関係では、上述のベシェールとは親友同士の間柄であったが、ジャン・ランヌやルイ=ニコラ・ダヴーからは忌み嫌われていた。
日本版Wikipedia「ジョアシャン・ミュラ」

 ミュラに指揮されていた偵察に従事する騎兵部隊はしばしば、不完全で人を惑わせる情報をもたらした。
OSG『1806』ヒストリカルノート


 ミュラは、ヒロアカの青山くんみたいな……?(^_^; ベシェールと兄弟分というのを良く分かっていなかったのですが、騎兵伊達男兄弟分ということですか。






Marechal Ney

 ↑ネイ

 ミシェル・ネーは、とくに最悪の状況下で能力を発揮する異例の兵士で、いみじくも「勇者の中の勇者」「不屈の男」と呼ばれた。その勇気はよく知られるが、自分の職務を知り抜いた熟練の司令官でもあった。
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P18

 「勇気を振り絞って突き進む - ないし踏みとどまる」と言うのが彼の唯一の戦争の原則であり……
 彼は素晴らしい軍団指揮官であったが、一軍を率いる戦略的洞察力と判断力はなかった。
『歴史群像』No.124 P13

 大陸軍ではナポレオン自身に次いで将兵に人気のあった指揮官で、不屈の闘志と人間離れした勇気で名高い国民的英雄だった。人となりは実直で努力家、同僚の多くと違って世俗的欲求にも恬淡としており、気前もよく部下達を物心両面で援助する事を惜しまなかった。ただ武人としての名誉には非常にこだわり、侮辱には黙っていることができず、卑怯未練な態度をひどく嫌った。戦場では極めて厳格かつ冷徹であり、部下の死にも表情を変えることがなかったが、それは「軍人が戦場で倒れるのは当然の運命である」と受け止めていたからだという。……短気で激情家でもあったが、冷静に戻ると自らの非を認め率直に謝罪することもできる度量も備えていた。戦場での勇猛さと裏腹に、平時は気弱で優柔不断な面も見られ、「彼は馬上では半神だったが、馬を降りればまるで子供だった」とも評されている。
 生まれた環境からフランス語とドイツ語を流暢に話し、命令書などに残された筆跡から非常に達筆だったことも知られている。また、フルートとクラリネット演奏を得意とし、チェスの名手でもあったという。
 指揮官としては特に粘り強さを身上としており、防御退却戦で後衛を率いて数々の伝説的武勲を挙げた。ロシアからの退却戦では自ら銃を取って、ロシア兵と戦った。攻撃においても個人的勇気と敢闘精神に富んでいたが、大軍を組織的に運用する事は不得手で、猪突して孤立するという失敗もしばしば犯している。たとえばワーテルローではウェリントンの後退を退却と誤認して騎兵すべてを投入してしまい、予備兵力を失っている。戦略的な視野は持たなかったが、残された命令書などは非常に簡潔明瞭に纏められており、部隊の統率者としては熟達していたようである
日本版Wikipedia「ミシェル・ネイ」

 後衛においてはネイは優れていた。というのは最前部や派遣部隊にいた場合、彼は気が動転して命令にない不必要な危険を冒してしまうことがあったのである。
OSG『1806』ヒストリカルノート


 人間味的にはネイが一番いいような気がします。有坂さんも書いていましたが、ネイがその力量を発揮できるような状況でだけ彼を使い続けていられれば、もっと良かったでしょうに……。人間向き不向きっていうものがあるんだよ、ということの非常に大きな例であるように思えます。






Jean-de-Dieu Soult

 ↑スールト

 スルトは慎重かつ明敏な司令官で、組織づくりと戦略の才に恵まれていた。……元帥たちのなかで最も有能な男の一人だったのはまちがいない。マセナと一、二を争うほど金が好きで、衛星国家からの年金や略奪によって莫大な金を蓄えた。
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P22

 スールトは不仲のネイと正反対の性格といわれる。知的で、冷静で感情を出さず、最前線には赴かず後方で指揮を執った。……管理と数字に精通し、将兵には週に3回、日に12時間もの猛訓練を課し、その軍団はダヴーの軍団と並び最も整っていた。
『歴史群像』No.123 P9

 ナポレオン麾下でも指折りの優秀な将軍であり、特に機動戦に優れた野戦指揮官だった。しかし戦略的視野には欠け、また組織を管理統率する手腕にも問題があった。冷静沈着だが冷酷なまでに非情な人物でもあり、大変な俗物で地位、名声、金銭など非常に貪欲だった。スペイン戦線での略奪、虐殺は後々まで語りぐさとなっており、ウェリントンも「スールトはマッセナ以下である」と断じている。しかしながら結局ナポレオンの麾下で最も功成り名を遂げたのは、スウェーデン王(カール14世ヨハン)となったベルナドットを除けば彼である。
日本版Wikipedia「ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト」


 確か岸田恋さんかが「元帥たちの中で最もつまらない人物」というような書き方をしていたと思うのですが、実際ここまで様々な資料から人物像を抜き出していっていて、まったくその通りだという気がします。というか、スールト(と人物像を良く知らないベシェール)以外の人物像が面白すぎ!(^_^; 誰も彼もが『ワンピース』に出てくる濃い人物達のようです。これで他にもマッセナとかルフェーブルとサン・シールとかもいるわけですから……。

 『ナポレオン~覇道進撃~』という、それほど史実に忠実ではないらしい、『魁!!男塾』か『ジョジョの奇妙な冒険』みたいなマンガがあり、それぞれの将軍名で画像検索するとそのマンガのシーンが結構大量にヒットしてかなり面白そうなのですが、個人的には史実にできるだけ忠実な作品が欲しいです(『風雲児たち』とか『泥まみれの虎』とか大好きです)。



 ところで今回一番びっくりしたのは↓これでした。

不敗の元帥ダヴー ヴァルキリーサーガ



OCSv4.3の和訳ルールや、訳語対応チャートを公開しました

 OCSv4.3の和訳ルールや、v4.3で訳語を今までから変更した差分を修正したチャート類(レイアウトはv4.1のまま)の和訳版を公開しました。↓にリンクを貼ってあります。

OCSの物置2

 v4.3和訳は作る作業だけでしんどくてチェックをしていないので、ミスがありましたらぜひ教えて下さい。またアップデートします。


 『Smolensk:Barbarossa Derailed』の増援到着表やチャート類の和訳は、↓でダウンロードできます。

サンセットゲームズ オペレーション・コンバット・シリーズ


 あと、『Smolensk:Barbarossa Derailed』のデザイナーズノートやプレイヤーズノートは↓で読めます。

『OCSスモレンスク』のデザイナーズノートとデベロッパーノート(2018年8月11日)


OCS『Smolensk』第1~4ターンお試しプレイ

 このお盆の14日にこかどさんと、岐阜からtakuさんが来られて、OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』を初めて研究プレイしてみました。シナリオ1(フルキャンペーン)のセットアップでです。

 takuさんは泊まられて、15日も一緒に続きをプレイしました。



 ↓セットアップ

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 たまたま座った場所により、takuさんが北方(ホート)、こかどさんが中央(グデーリアンのオルシャ方面)、私が南方(グデーリアンのモギレフ方面)をやってみることになりました。松浦方式(片方の陣営を全員でやる)で、研究プレイ的に「あーでもない、こーでもない」と意見を出し合ってプレイしていきます。




 第1ターン先攻(枢軸軍)終了時。

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 ドニエプル川に渡河点を確保しなければならないのですが、一番南のビハウ(Bykhov)の橋は確保できたものの、後攻ソ連軍ターンでそこを奪い返された(1ユニット飛ばされた)り、他に2箇所ほど架橋の候補にしていたところが全部阻止されたりと、正直↑の画像のは「大失敗」だったと思います(^_^;


 反省点としては、

・ドニエプル川に接するドイツ軍ユニットの数をある程度多くして、ソ連軍が全部は阻止できないように飽和させなければならない。

 ところが一方で、それに反することとして、

・ドイツ軍ユニット1個だけでは、それが戦闘モードであってもすぐに吹き飛ばせるだけの力をソ連軍は持っている(特に平地は危ない!)。だから少なくとも2ユニットスタックしておくか、あるいは予備を確保してリアクションフェイズ中に駆けつけられるようにしておいた方がいい。

 しかし一方で、第1ターン先攻は特に、全力攻撃(進撃)をしがちで、予備を確保するのが難しいのですが……。




 第2ターン、渡河点阻止のために部隊を流出させ充分に弱体化したかと思われたモギレフを攻撃してみたのですが……。

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 逆奇襲で一番左のコラムになり、ギリギリAL2を食らってあえなく敗退……。やはりモギレフはアンタッチャブルではないかと……。

 まあダイス目がひどすぎた(逆奇襲6コラムシフト!)という話もあるのですが、しかし『Smolensk:Barbarossa Derailed』は今までのOCSでも見たこともないほどに広範囲で両軍のAR差が大きく、都市でNKVD国境守備隊(AR4)が籠もっているところが鬼門である一方で、ドイツ軍がAR5でソ連軍のARが1だったりする場面が非常に多くて、攻撃側奇襲がぽんぽん発生するのでドイツ軍側は奇襲が起こりやすいオーバーランを非常に多用していくべきだと思われました(で、都市は包囲にとどめて平地を走る)。




 第2ターン先攻(枢軸軍)終了時。

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 ビハウの渡河点は確保してあるのになぜ東へ走らないのかというと、一般補給が届かないからです。あるいはもしかして、SPで一般補給を入れるようにして走った方がいいんでしょうかね……。

 できることがないのでモギレフを自動車化歩兵で囲みますが、それくらいしかできないということがもうダメダメの証(^_^;

 しかしオルシャではオルシャ市街地の南の渡河点をこかどさんが確保していました。ホートも順調?

 第3ターンは枢軸軍がイニシアティブを取ったため後攻を選択し、ダブルターンを狙ってみました。




 ↓第3ターン後攻(枢軸軍)開始時。

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 第3ターンにようやく、エクステンダーを作れるだけの輸送ユニットが到着します。で、エクステンダーの置ける位置や置くと良さそうな場所を研究してみたのですが……。

 赤で囲ったところが、第3ターン中にワゴンエクステンダーが置ける理論上の位置です。ドニエプル川の向こうに置けた方がいいのですが、輸送ワゴンの移動力の関係上、どうしてもこうなります(第4ターンに置くのなら、もちろん向こうに置けるのですが)。

 で、トラックエクステンダーの置ける位置を探ったところ、右の黒い○が理論上最も東に置ける位置。左の○はもうちょっとうまくいかなかった時の位置です。

 で、どうもトラックエクステンダーを置く(で、ワゴンエクステンダーは第3ターンには置かない)方がいいのかな、と考えました。




 ↓第3ターン後攻(枢軸軍)終了時。

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 タイムスケジュール的にはだいぶ遅れているのは分かっているものの、とりあえず東を目指してみます。

 スモレンスクの西側でいったん包囲環を作ってみることを目指してみて、それ自体はうまくいったような気がしたのですが……。



 ↓その包囲環。

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 ソ連軍ターンが来た時に、損耗でどんどん死んでいく(SPはスモレンスクに置いてあり、この中にはほとんどなかった)かと思いきや、新しく導入された「補給キャッシュマーカー」により司令部の指揮範囲のユニットには全部一般補給が引けることに気付く! なんてこった……。つまり、司令部とその他の部隊を隔離しないといけないということ?

 残り時間もあまりなかったので、第4ターンのイニシアティブは枢軸軍が取れたということにして、先攻の機動をやってみました。

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 ↑いちおう隔離はできました。が、もちろん今後のプレイではソ連軍プレイヤーはもっともっとうまくやるはずであります……。



 ↓同時にスモレンスクも攻撃してみましたが……(スモレンスクの中身の多くは黒い板の上)。

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 あえなく敗退。ソ連軍プレイヤーが油断していてこれなので、やっぱ単純にスモレンスクを攻撃して落とすというのは全然無理なような気がしました。なんか他のことを色々からめないと。


 ということで今回はお開きにしましたが、面白かったですし、様々な教訓が得られました。といっても、1度くらいのプレイではまだまだだと思いますけども。プレイヤーズノートなんかでも、ドイツ軍プレイヤーは最初はうまくいかないが、繰り返し研究プレイするたびにどんどんうまくなっていけるだろう、という風に書いてあります。


 また研究プレイを繰り返していきたいと思います。

 takuさん遠くからありがとうございました~。またぜひお越し下さい(*^_^*)




Shakos『Napoléon 1806』の地名読み画像を作りました

 Shakos『Napoléon 1806』ですが、和訳を進めてます。

 思いついて、マップの地名の読み方の画像を作ってみました。どうせなら読み方が分かってゲームができた方がいいでしょうから……。和訳冊子に一緒に入れて印刷しようと思います。


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 ネットで出てくるような綴りとは異なるものも結構あったのですが、ゲーム上でのものを尊重してあります。

 あと、アイゼナッハは「アイゼナハ」の方が普通らしいのですが、銀英伝世代によかれと思いまして……(^_^;


OCSユニットで見るイタリア軍戦闘機の変遷

 先日のイタリア軍の複葉戦闘機CR.42(1/144)を組み立てました (2018/08/10) で書いてましたが、イタリア軍戦闘機の変遷に興味を持ったので、OCSユニットでもってそこらへんを一度まとめておきたいと思いました。


 イタリア空軍全般についてですが、こんな風に書かれていました。

 イタリアは陸軍も海軍もどちらかといえば遅れた軍隊であったが、それと対照的に空軍は意外と先進的であった。……
 ……しかし、一方で多数の航空機メーカーが乱立し、大規模工業化の不徹底、そして高性能航空機用エンジンの開発にも失敗した。
 ……
 そもそもが低い工業力の上に、多数のメーカーがそれぞれ種々雑多な航空機を開発し、量産する状況を国が放置したのだ。……
 そのため機体の種類ばかりが増えて、全体の生産機数は低いレベルにとどまった。さらに整備や補給の面でもムダな負担を生むことになり、その両方が満足にいかない最前線の部隊では、稼働率が著しく下がったという。
 他国の空軍(または陸海軍所属の航空隊)と比べて、イタリア空軍が特別に劣っていたわけではないが、これら航空行政の失敗が重なったせいで、一部に優秀な機体はあったものの、実戦部隊では常時機数が不足していた。このことが軍全体としての効率的な戦力発揮を阻んだことは確かである。
『イタリア軍入門』P196,7



 会社の種類と主な戦闘機の機種(OCSでユニットになっているもの)ですが、以下のようになります。

フィアット:CR.42、G.50、G.50bis
マッキ:MC.200、MC.202、MC.205
レッジアーネ:Re.2000、Re.2002

 これだけ見ると3社で、それほど多い気はしないのですが、今回扱わないものの爆撃機も見てみると、

フィアット:BR.20
サヴォイア・マルケッティ:SM.79、SM.81、SM.82、SM.84
カント:Z.1007、Z.1007bis
カプロニ:Ca.309
ブレダ:Ba.65

 と、計7社ですから、国力が列強最低水準(日本の半分くらい)だったのだからもっと絞れば良かったのに、というのは確かにそうかもしれません……。ただ、以前にSLGamer RE:再評価されるべきイタリア (2013/09/07)で書いてましたように(↓下記)、イタリア人は少人数でバラバラに創造性を発揮するのが好き過ぎるのだとも思われ、性格上やむを得ないのではないかな……という気もします(^_^;

 彼らは与えられた無機質な仕事に熱心になれないだけで、個人の創造性が活かせる仕事には大きな喜びを見いだし、その様な仕事には猛烈に打ち込みます。ですからイタリアには巨大でシステマティックな大企業というのは少なく、個人の裁量が活かしやすい小さい企業や工房が無数にあります。「イタリア兵は11人より多いと弱くなる」(つまりサッカーは強いが、それより人数が多くなるとむしろ弱くなる)というジョークがあり、それを信じられない事だと日本人は笑うのですが、彼らはそもそも大人数が同じような行動を取るべきだとされるようなシステムに向いていないのです(逆に日本人は個人の判断力や能力は非常に弱く、集団だと非常に強くなる感じ)。そして戦争というのはまさに、国家が数十万人規模で人間を規格的に集団で戦わせるシステムだったわけです。そのようなものにイタリア人が力を発揮できなかったのは、ある意味当然だったのでしょう。




 さて、OCSユニットでもってイタリア軍戦闘機を見ていこうと思います。ついでなので、爆撃機等も含めてそのゲームの全部のイタリア軍航空機を切り出してみました(『Case Blue』ではハンガリー空軍にイタリア軍の航空機が使われていたのでそれも)。

 左上に航空機の種類が書いてあり、F=戦闘機、T=戦術爆撃機、Tpt=輸送機(1T等、運べる量も書いてあります)。
 下の数値の左が空戦力(かっこ付きは防御のみ)、右が爆撃力。爆撃力の右上に航続距離。

 まず『DAK-II』。

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 複葉機のCR.42が2-1から始まって、MC.200とG.50が3-1、MC.202が4-1となっています。

 ちなみに同時期のイギリス空軍は、CR.42と同じく複葉機のグラディエーターが2-1、ハリケーンⅠが3-1、ハリケーンⅡcが4-3、スピットファイアV型が5-1ですが、スピットファイアはエル・アラメイン戦の時でもそれほどいませんので、北アフリカ戦では4-1であれば活躍できる感があります(→OCSユニットで見るスピットファイア (2018/05/18)





 ↓『Case Blue』

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 右側がイタリア空軍で、左側はハンガリー軍ですが、CR.42とRe.2000があります。



 ↓『Tunisia II』

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 なぜかMC.202が4-1から3-1へと下がり、MC.205が1ユニットだけあって4-1に。でもMixed(色々な機種の混合)も4-1なので、数が足りないMC.205主体とかかも。



 ↓『Sicily II』

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 シチリア島にあったからか、完全に旧式化しているはずのCR.42も出てきます。Re.2002は書籍資料では「戦闘爆撃機」とあって、普通なら3-4とかになるはずですが、OCS上では「自分から空戦はできないが、空戦をしかけられたら空戦力3で守れる(通常は1とかなのでまあまあ強い)」という感じになってます。



 各機種について。


Fiat CR 42 Falco fighter parked
 ↑フィアット CR.42 “ファルコ(鷹)”(Wikipediaから)

 イタリア空軍は1930年代初めに傑作複葉機フィアットCR32を導入していたが、この戦闘機がスペイン内戦で大活躍したため、次世代においても複葉戦闘機が主力になるべきという結論を出してしまった。その結果、すでにフィアットG50やマッキMC200といった全金属製単葉機の開発が進んでいたにも関わらず、新型複葉戦闘機が開発された。これこそが世界最後の複葉戦闘機といえるフィアットCR42であった。
 ……840馬力という当時としては大出力のエンジンを備えており、運動性に優れ、速度性能もそこそこ満足できるものであった……
『イタリア軍入門』P198

 ……CR.42は、パイロットの評判も良く、整備も楽で信頼性が高く、価格も安いとあって大量生産され……
 最後に現れた複葉機だけに扱いやすく、スピード以外は優れた特性を持っていた……
ウイングキットコレクション.Vol.14 フィアットCR.42 ファルコ



 CR.42を良く良くみてみると、複葉機で固定脚で開放風防であるにもかかわらず(^_^;、機体は二次大戦中期くらいの洗練された形をしているなぁと思います。特にエンジン部分は、MC.200やG.50が「なんだかなぁ」なかっこいいとは言えない形であるのに比べてすっきりしている感が。

 ソ連空軍などもそうですが、2-1であっても数がいっぱいあれば数で押し切ることもできますので、全然使い道はあります。あとグラディエーターとCR.42の空戦とか、ある意味興味深いですね(^_^;




Macchi M.C.200
 ↑マッキ MC.200“サエッタ(稲妻、矢)”(Wikipediaから)

 ……正面抵抗を少なくするためにカウリング直径をギリギリまで絞り、エンジンシリンダーを覆う14個の水滴型カバーが付けられ、これが特徴ある外見となった。また下方視界を望むパイロット達の意見から、横から見てコクピット位置の高く前方が極端に傾斜した独特な猫背シルエットとなり……
 ……英ハリケーンMk.Ⅰに対してその優れた運動性能を武器にして互角に戦い、また800km/hに達する降下速度で鮮やかに敵機を振り切ることが出来た。
『Viva! 知られざるイタリア軍』P184,5

 実戦投入後の評判は良好で、当初は単葉戦闘機を拒絶した保守的なパイロットにも受け入れられ、イタリア空軍の主力戦闘機の1つとして、北アフリカ、地中海、ロシア戦線などで活躍し、卓越した運動性能でホーカー ハリケーン Mk.Iや、カーチス P-40 トマホークなどと互角に渡り合った。ロシア戦線では、赤軍がI-16やI-153を使用しているうちは圧倒的な優位に立って戦う事ができた。
 生産当初は水滴型の密閉式風防を装備していたが、パイロットからの「良好な視界を得たい」「風を感じないと速度の感覚が掴めない」とのさらなる要望に応える形で、後期型は開放式の風防と、イタリア機特有のくびれがついたファストバックという、時代に逆行するような操縦席に改められている。ただし、当時はガラスの製造技術が未熟だった点もあり不純物や気泡が入ってしまう事があったこと、当時の計器は全面的に信用できる性能を持っていなかったために操縦士が勘や経験に頼らざるを得ない面があった事も確かであり、一概に間違った改造とは言い切れない。
日本版Wikipedia「MC.200 (航空機)」



 私がMC.200を知った、というか買ったのは、今でもプラモデル屋で置いてあることがある1/144の第二次世界大戦の戦闘機?のシリーズの萌え(?)パッケージで売っていた↓の左側に惹かれたのがきっかけでした(右側もAmazonにあったので貼っておきます)。



 もう今から10~20年前くらいじゃないかと思うんですがいつ買ったのか覚えてません(^_^; 萌え的であったのと、(私は中学生の頃から北アフリカ戦好きだったので)「トロピカルタイプ」とあって、多分北アフリカ戦で使用されたとかなんとか書いてあって、値段も割と安かったので買ってみたのではないかと思います。1/144で組み立ても簡単そうでしたし(本格的なプラモデルは無理っぽい人間なのです)。

 で、組み立てて、塗装はできない(しない)もののでっかいデカールで主翼にトロピカル迷彩もでき、「わーい、北アフリカ戦の戦闘機だ~」とわけもわからず喜んで置いていた(→写真はイタリア軍の複葉戦闘機CR.42(1/144)を組み立てました (2018/08/10) 参照)んですが、ある時熟練のウォーゲーマーの方がうちに来られてこのプラモを見て、「えっ! MC.200じゃないですか! どうしたんですかこれ!」とものすごく驚かれたのを見て、私の方が驚いてしまいました(^_^; MC.200とかってのも何も知りませんでしたからね~。

 MC.200ですが、エンジンシリンダーの14個の水滴型カバーが、ものすごくかっこ悪いと個人的に思います(^_^; が、北アフリカ戦で初期に大活躍したイタリア軍戦闘機……ということを考えれば、非常に萌え萌えですバキッ!!☆/(x_x)





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 ↑マッキ MC.202“フォルゴーレ(電光)”

 MC.202は、MC.200のイタリア製エンジンをドイツ製のダイムラーベンツエンジンに換装する時に機体デザインも全面的に改良されたバージョンです。

 MC.200のかっこ悪さに比べ、その改良型であるMC.202のかっこ良さは惚れ惚れするほどで、以前その1/144模型を北アフリカづくし (2012/04/22) でベタ褒めしていました。今でも時々眺めて癒やされてます(^_^; OCS上でもMC.202ユニットには愛情を感じてしまいますね~。


 最高速度は一挙に100km/h近く速まり、600km/hを記録。そして高度5500mまでの上昇は6分以内となり、「指先で操縦出来る程に軽快」と言わしめるMC.200ゆずりの運動性能も有していた。これはカストルディ技師による基本デザインの優秀さを示すものでもある。
 ……
 MC.202の量産は1941年5月から始まり、初戦果は9月30日にシチリア上空で『バラッカ』戦隊機が撃墜したハリケーン戦闘機であった。そしてマルティノーリやルッキーニのような“アッソ”(エース)達の愛機となった
 高い機動性や高速降下を持つMC.202は、初めて連合軍との戦力差を挽回出来る機体であり、さらに宿敵スピットファイアにも勝るものであった。それは終戦までに失われた機体の多くが空中戦での被撃墜ではなく、空襲による地上撃破であったことからも証明される。
『Viva! 知られざるイタリア軍』P189~192







Macchi MC-205V Veltro, Italy - Air Force JP6942435
 ↑マッキ MC.205“ヴェルトロ(グレイハウンド)”(Wikipediaから)

 MC.205はMC.202のエンジンと武装を強化した改良型です。

 生産時期や生産数などから、活躍はできなかったものの、P-51D マスタングに引けをとらない高性能であったとも云われている。
 ……
 ヴェルトロは1943年6月、シチリア島沖に展開する連合軍艦船へ攻撃を行った爆撃機の護衛任務でデビューした。その後イタリア降伏までの約2ヶ月に渡り、ヴェルトロは連合国の戦闘機と戦い、それらより優れていることを証明した。一例を挙げると、8月2日にベルトロ6機はP-38、P-40合わせて20機の敵機に遭遇したが、数にして3倍もの敵機を相手に6機を撃墜(被撃墜1機)するという戦果を挙げている。
 MC.200、MC.202と続いたマリオ・カストルディ技師の設計による一連の戦闘機はMC.205ヴェルトロに至って完成した。そしてそれは第二次世界大戦においてイタリアが生み出した最優秀戦闘機でもあった。
日本版Wikipedia「MC.205 (航空機)」



 「P-51マスタングに引けを取らない」ってやばすぎませんか! OCSのP-51は6-4ですから、MC.205も……と思いきや、性能は4-1と、大戦初期のメッサーシュミットと同レベル……。まあ6-1はないにしても、5-1になりませんかね~(MC.202がなぜか4-1から3-1に下げられていたのですが、4-1のままにしておいてMC.205を5-1にしておいてくれれば、ロマン溢れたのですが)。






FIAT G.50
 ↑フィアット G.50“フレッチア”(Wikipediaから)

 イタリアで設計され飛行した初の単座単翼戦闘機で、全金属製(動翼部は羽布張り)で、ずんぐりした胴体に低翼配置、引き込み脚であった。……
 フィアットG50は運動性は良好だったが、適当なエンジンがなかったため低速なのが欠点だった。またイタリア軍戦闘機に共通する欠点として火力は貧弱だった。
 1940年からは小改良型のG50bisの生産が開始された……
 フィアットG50は……ソ・フィン戦争でフィンランド空軍で使用されて大活躍した。
 ……主たる活躍の場は北アフリカであった。
『イタリア軍入門』P202,3

 その性能はライバル機とされたMC.200より劣っていた。カウリング形状や開放式コクピットなど空気抵抗の多い機体で洗練されたものとはいえなかった。
 全金属製とはいうものの舵部分は布張りである。エンジンにはA.74 RC38空冷エンジン(840hp)を採用し、武装は12.7mm機関銃を2丁搭載した。
 第二次世界大戦初期のイタリア空軍における主力戦闘機の内の一機であり、地中海やギリシャ方面に展開した。バトルオブブリテンにも投入されたが、低速で武装が弱かった為戦果をあげることは出来なかった。1941年以降は戦闘機としての任務から外れ、戦闘爆撃機として利用されるようになった。
 総生産機数は782機で、この中には複座にした練習機型も含まれている。また35機がフィンランドに売却され、こちらは1939年12月から1940年6月にかけ33機(2機は輸送途中で喪失)を受領し、フィンランド空軍第26戦隊に配備され冬戦争では1機の損失と引き換えにソ連機11機を撃墜、継続戦争においては12機の損失に対し88機を撃墜、エースも輩出し終戦まで実戦配備についていた。
日本版Wikipeida「G.50 (航空機)」



 なんだか残念の感じのG.50ですが、フィンランドでは大活躍したそうで、日本版Wikipediaの参考文献が『イタリア軍入門』ではなく『フィンランド軍入門』なのがすごいです(^_^;

 しかしOCSで3-1という性能はダメダメというほどではなく、ほどほどに活躍してくれるはずです。ライバル機のMC.200と同じ性能ですし。

 小改良型のG.50bisですが、「bis」と言えばフランス戦車の「ルノーB1bis(あるいはシャールB1bis)」というのがあって、「bis」というのはフランス語で「アンコール」のこと(イタリア語も同じ)。しかし戦車名とか機種名に付けば、「二型」とか「改」というような意味になるということです。

 ガールズ&パンツァーでルノーB1bisが出てきて、ガルパン関係の何か改良型ぽいもの?にも「bis」と銘打たれていたような……。G.50の1/144は別段要りません(というか、絶対出ないと思う)が、ルノーB1の1/144モデルはどこか出してくれないですかねぇ……。





Reggiane2000 San Diego Air Space Museum 2
 ↑レッジアーネ Re.2000“ファルコ(鷹)”(Wikipediaから)

 飛行試験の結果は、ライバルとなるMC.200サエッタを始めとする他のイタリアの戦闘機より優れていた。速度性能、運動性能ともMC.200を上回っていた。しかし、実用面では機体構造がやや複雑なこととエンジンの信頼性が劣ることからMC.200の方が優れていると判断された。また、翼内に設けられた燃料タンクが戦闘時に不利になることが指摘され、これは機体構造の欠陥とされた。結局空軍に採用されたのはMC.200で、Re.2000は他国への輸出用に回されることになった。
 しかし、本機の高性能を耳にした諸外国からは注文が次々に舞い込んできた。まずハンガリーから発注を受け、70機を引き渡した。
日本版Wikipedia「Re.2000 (航空機)」



 OCSでもハンガリー軍にだけRe.2000が出てくるのはこういうわけだったのですね(他にもスウェーデン軍に60機が引き渡されたらしいので、OCSにスウェーデン軍が出てくるゲームが出れば、そちらに出てくる可能性も……)。なかなか興味深い話だと思います。

 ただ、機体はソ連軍のI-16戦闘機みたいなずんぐりむっくりで、個人的にかっこ良くないと思います(^_^;





Reggiane Re 2002 Co-Belligerent Air Force
 ↑レッジアーネ Re.2002“アリエテⅡ”(Wikipediaから)

 愛称は“アリエテ II(Ariete II)”。“II”と付くのは既にRe.2001の愛称に“アリエテ”が使われていたため。……
 ドイツ製ダイムラー・ベンツ DB 601液冷エンジンを搭載し、1941年にイタリア空軍で採用されたRe.2001アリエテは、前作のRe.2000ファルコ(空冷エンジン)に比べてさほど性能が向上しなかった上に、搭載していたDB601エンジンの供給が不足気味であった。
 そこで、Re.2001のエンジンを同程度の出力の国産空冷エンジンであるピアッジョP.XIX RC45“トゥルビーネ(旋風の意)”に換装したのが本機である。このエンジンは直径が小さく、また先細りのカウルやスピナーの形状と相まって、本機の外観は空力的に洗練されたものとなっている。
 また、本機は当初から戦闘爆撃機として開発された。胴体及び主翼の下に設けられた合計3つのハードポイントには合計650kgまでの爆弾が搭載可能である。
 原型機は1940年10月に初飛行し、最高速度こそRe.2001に劣るものの総合的に見て性能向上が認められた。1942年から部隊配属されたが、実際に活動を開始したのは1943年に入ってからである。1943年7月に連合軍がシチリア島に上陸すると(ハスキー作戦)、これを迎え撃つために本機は同島に展開したが損害も多かった。
日本版Wikipedia「Re.2002 (航空機)」

 ……イタリア戦闘機の中で最も敏捷で堅牢な機体となった。本機は航続距離の長さと搭載量を活かして、主に戦闘爆撃機として使用された
 ……生産数はわずか225機で、その上イタリア空軍で運用された機体は149機に過ぎず、残りはすべてドイツ空軍で使用された。ドイツ空軍はこの機体を気に入り、エンジンをFw190のものに換装する計画も立てられたが、実現せずに終わった。
『イタリア軍入門』P204

 レジアーネRe.2002戦闘爆撃機は、1943年になって彗星のごとく戦線に出現し、わずかな期間だけその高い性能を垣間見せた……
 ……堅牢な機体性能に注目したイタリア空軍は、Re.2002の役割を戦闘機から戦闘爆撃機に変更、機体を爆撃用に改修した。ベースのRe.2000から頑丈だったRe.2002は見事にその期待に応え……7月にはシチリアに上陸した連合軍へ対地攻撃をおこなった。
『Viva! 知られざるイタリア軍』P193~197



 若干ずんぐりむっくりなのは変わらないのですが、写真とかOCSユニットのイラストを見比べると、Re.2000よりずいぶんかっこよく見えるのはなぜなのでしょう(^_^;

 第二次欧州大戦の戦闘爆撃機としては、ハリケーンⅡの3-12とか、P-47の5-8とかが凄くて、それに比べてRe.2002の(3)-4というのは割とがっかり感がありますが(^_^;、まあしょうがないんですかね~。

 しかしOCSをプレイしていてもRe.2002が目を惹くのは、「名前がかっこいい」からです!(あくまで個人の感想です) 航空機の名前には1~3桁の数字が付くのを良く見るわけですが、なんと4桁! こんな飛行機なかなかない!(とりあえず同じイタリア軍機のZ.1007が存在してますが)

 Re.2002には後継機Re.2005“サジタリウス(射手座)”というのもあって、「同機の連合軍戦闘機を凌駕する高性能は大いに期待されたが、連合軍の工場爆撃によりその生産数はわずかに終わり、結局戦争の趨勢に影響を与えることはなかった。」(『Viva! 知られざるイタリア軍』P197)なのだとか。


 ところでそれぞれの戦闘機の愛称なんですが、イタリア軍って愛称の使い回しが多いんですよね……。ファルコとかフォルゴーレとかアリエテとか。フォルゴーレとアリエテはもちろん、北アフリカ戦の師団の名称として有名ですし。

 ところでアリエテですが、その由来として、

 「アリエテ」とは古代ローマ軍の攻城槌「アリエテス」に由来する。
『欧州戦史シリーズ VOL.5 北アフリカ戦線』P28

それにアリエテ〔Ariete. イタリア語で「牡羊座」の意〕装甲師団が追随し、ブエラトの西に置かれる予定である。当時、同師団は、骨董品ものの戦車60両しか持っていなかった。軽量であることはなはだしく、かつてアビシニアで黒人を藪から追い出すのに使われた代物だ〔第二次エチオピア戦争での運用を指す〕。
『「砂漠の狐」回想録』P31



 の2つの説を収集しているんですが、どうなんでしょう? まあ“サジタリウス”というのもあったし、「牡羊座」の方が……?


Shakos『Napoléon 1806』のフランス・プロイセン軍シールを自作しました

 ありがたいことにShakos『Napoléon 1806』をギリギリで手に入れていたのですが、性格上&能力上和訳を作った上でないとプレイできず、まだ和訳途中なのでプレイできていません。


 ↓参考
(Shakos)Napoléon 1806 ...YSGA第347回定例会でお披露目された最新ゲームその➋

 積木に貼るシールですが、↑の最後にあった画像のようなものですが、公式ページの一番最初の写真ではフランス軍とプロイセン軍のシールがよりかっこよかったような気がしていて、それに似た感じでできれば自作したいと思っていました。

 ↓公式ページ。
Napoléon 1806


 で、今日自作してみました。


 ↓できあがった自作シールと、同梱のシール。

unit00283.jpg



 ↓切り出して積木に貼ってみました。

unit00284.jpg



 画像の元データは、Wikipedia上にSVGファイル(『Illustrator』でデータとしてそのまま扱える)でキレイなのがあったので大変ありがたかったです。参考にWikipediaへの直リンクを貼っておきます。

Flag of the Kingdom of Prussia (1803-1892)

Drapeau du régiment de Joseph Bonaparte

Emblem of Napoleon Bonaparte


 もしかしたら欲しい方がいるかもなので、自作したデータのpdfへのリンクも貼っておきます。

both flag.pdf



OCS『DAK-II』:ガザラ戦直前に英連邦軍も上陸作戦を予定していた

 ちょっと前に、OCS『DAK-II』:ガザラ戦で敵後方に上陸しようとしていたヘッカー戦闘団 (2018/07/30)というエントリを書いてましたが、『DAK-II』の特別ルールを和訳していたら、英連邦軍側もガザラ戦直前に敵後方に上陸作戦をおこなおうとしていたそうで、それがオプションルールとして載っていました(6.3g)。


 ↓そのルールで使用できるユニット。

unit00281.jpg

 第4王立戦車連隊(4th Royal Tank Regiment:連隊という名前だけど実際には大隊規模。イギリス軍は名称が実際より1つ規模が大きいことが多いです。ヴァレンタイン歩兵戦車を装備していたそうです)と第11王立海兵大隊です。両方、あるいはいずれかを使用可能で、ガザラの戦いのあった1942年5月~6月にかけて、2SPと共に上陸作戦をおこなえます。

 史実ではデルナの周辺に上陸して後方攪乱をしようということで実行に移されかけていたのだけども、ロンメルのガザラの攻勢(ヴェネツィア作戦)が始まったので中止になった、とルールブックにありました。

unit00282.jpg

 ↑デルナが左上の方にあります。ガザラの時の戦線から考えるとだいぶ奥の方です。


 ただ、この上陸作戦について今までに何かで読んだ記憶はなく、しかし見逃している可能性も高そうですし、とりあえずこの時期に関して手持ちで一番詳しそうな『GAZALA 1942』の索引を見てみたのですが、4RTRも11RMも載ってないみたいでした。

 で、ウェブ検索してみると4RTRは英語版Wikipediaに単独項目があったもののこの上陸作戦については他のページも含めてよく分からず。

 しかし11RMについては、英語版Wikipediaの「Royal Marines」で、「ディエップ上陸作戦(1942年8月)の1ヵ月後に、11RMはアグリーメント作戦でトブルクに上陸しようとして大部分が戦死するか捕虜になってしまった。」と書かれていました。

 アグリーメント作戦という名前は初見のような気がするんですが、エル・アラメインの戦いの序盤で、英連邦軍がトブルクに上陸作戦をやろうとしてイタリア軍のサン・マルコ海兵大隊とかによって撃退された……というのはロンメルの回想録とかで読んでいたように思います。

 英語版Wikipediaの「アグリーメント作戦」を読めばある程度詳しそうですが、大変そうなのでちょっとまたの機会にしまして……。

 日本語で「アグリーメント作戦」で検索したら、同作戦でいかにイタリア軍が活躍したかという↓のページがありました。

イタ公と呼ばないで《陸軍編2》~ロイヤルネイビーを弄ぶ高射砲~

 いいですね~。


 『DAK-II』でアグリーメント作戦の時期に同じようなことができるのかというと、どうもできないみたいですけども。
<※2018/10/09追記:「連合軍の上陸作戦が認可される」というイベントが存在しており、これが出ると一応できるようです。

23..24 連合軍の上陸作戦が認可される
[1941 年6 月以降、王立海兵大隊が登場し
ていること、1 回限り]
 発生ターンあるはそれ以降のターンに(1
回だけ)連合軍プレイヤーはRM 海兵大隊
を戦闘モードで、任意の港湾ヘクスから敵
ユニットが占拠していない沿岸ヘクスへと、
2T の補給と共に移動させることができます。
上陸したターンにはこの部隊は移動も戦闘
もおこなえません。その後は部隊は通常ど
おり行動できます。海上からの帰還はおこ
なえません。

イタリア軍の複葉戦闘機CR.42(1/144)を組み立てました

 先日、イタリア軍関係の本に目を通している時にイタリア軍戦闘機への興味が再燃しまして、その流れで以前買ったものの組み立てていなかったCR.42を組み立ててみました。

 CR.42ですが、複葉機ですがイタリア軍が第二次世界大戦に参戦した時の主力戦闘機で、OCSのユニットとしても出てきます(また書きたいと思ってます)。世界で最後まで使われただけあって、最も完成度の高い複葉戦闘機だと言われていたそうです。



unit00278.jpg

 ↑組み立てていて「すごい」と思ったのが、機首の機関銃2丁がちゃんと独立してたことです。その他にも、こんなに小さいのに脚や支柱も穴にきちんと気持ちよく入るのに感動しました。




unit00277.jpg

 ↑途中で「ちっさ!」と思ったので、同じイタリア軍のMC.200(右)とMC.202(左)を持ってきて並べてみましたら、胴体の部分は同じくらいな感じでした。下の翼が小さいので「ちっさ!」と思ったのでしょうが、上の翼も付ければそんなに小さくはないですね。




unit00279.jpg

 ↑完成。非常にいい感じです。




unit00280.jpg

 ↑飾っておくケース上で並べてみました。砂漠迷彩っぽいので揃っているので、下は砂漠のマップであった方がよかったですね(^_^;


 1/144でイタリア軍の戦闘機だけでこんなに揃えられるとはありがたやありがたや……です。


ソ連空軍の女性戦闘機隊のマンガが新連載

 スマホでスマートニュースを見ていたら、第二次世界大戦のソ連空軍の、女性戦闘機隊のマンガが新連載で始まったとありました。

 「ヤングマガジン サード」という雑誌の、『白百合は朱に染まらない』という作品だそうです。




 ↓作者さんによる紹介ページ。

『白百合は朱に染まらない』のおこぼれ@ヤングマガジン3rdさん


 『歴史群像』でまったく同じテーマの連載がずっと続いていて、そちらに関するエントリも書いてました。

『歴史群像』連載「翼をもつ魔女」既刊をコンプリート (2018/03/21)


 新連載の方は架空の人物も出てくるそうですが、ミリタリー描写も詳しく、作者さんはウクライナに取材にも行ったり、ウクライナの描写に関して色々こだわりがあるようで、そこらへんも見所っぽいです。こういうマンガが出てくるのは嬉しいですね(*^_^*)

今も続く『日本はなぜ敗れるのか-敗因21カ条』

 先日、第二次欧州大戦本と、日本史の「目から鱗」本 (2018/08/05) で書いてました、「田中・山根問題とかって、日本社会自体の問題だよね」という視点と、そういうのがどこに書かれていたのを私が昔読んだのかですが、そのものずばりの記事がありました。

日大「内田・井上コンビ」にソックリな人物は日本中の会社にいる

 これの「3」に、『虜人日記』と『日本はなぜ敗れるのか-敗因21カ条』の2つの本が出てきますが、私は前者は読んでない(後者は読んだ)ので、後者で読んだのではないかと思います。


 あと、「(欧米の)産業革命」vs「(日本の)勤勉革命」の件について、その後色々読んでいる中で、日本では履歴書を手書きで書かなければいけないとか、仕事を効率化したら「手を抜くな」と怒られたとかっていう、「一生懸命であることがとにかくいいことで、効率化は良くないことだ」という感覚が染みついてしまっているというような話があるのを見つけました。「上司がまだいるから5時を過ぎてるけど帰れない」とかもその一種じゃないでしょうか。

 日本は高度経済成長期にそれでうまくいった面もあったのだろうと思うのですが、今急激に人手不足が問題化していることもありますし、もう「勤勉至上主義」ではダメで、「勤勉もいいけど、効率化もしてライフワークバランスを」くらいにした方がいいのではないでしょうか。


 ↓こんな記事もありました。

日大・内田前監督の真逆!「体育会的指導」全否定でも結果を出す指導者たち


OCS『Smolensk』補給源問題解決&関東の入門用シナリオAAR

 以前、OCS『Smolensk』入門シナリオの補給を考える (2018/07/28) で書いてました補給源の問題ですが、古角さんがThe Gamersに聞いてくれました(ありがとうございます!)。

OCS『スモレンスク』の補給源の話(2018年8月 4日)

 答としてはやはり、その2つのヘクスはプレイで使用されないヘクスだということで、補給源にはならないということでした。


 私はプレイできてないんですが、「入門シナリオ:ヴィテブスク」に関しては関東で市川さんとN村さんがプレイされたようです。

 そこらへん、「OCSの物置2」の『Smolensk:Barbarossa Derailed』のページ(また各シナリオのページ)から飛べるようにリンクしておきましたので~。

OCSの物置2:『Smolensk:Barbarossa Derailed』


第二次欧州大戦本と、日本史の「目から鱗」本

 最近買ったミリタリー本を紹介します。が、メインはその後の、買ってない日本史関係本です(^_^;


unit00276.jpg


 山崎さんの『クルスク大戦車戦』は、存在自体はたぶんAmazon上で見ていて知ってはいたと思うのですが、店頭で見たことはなく、買ってませんでした。

 先日大阪茶屋町のジュンク堂に行った時に、今まで行ったことのなかった(興味の無かった)文学のコーナーに行ってみたら、なぜかそこに「日本戦記」のコーナーがあり、その横に光文社NF文庫がずらーっと並んでいてびっくりしました。文庫本のコーナーに光文社NF文庫がなかったのはここにあったからなのか……まったく分かってませんでした(^_^;

 で、ずーっと背表紙をチェックして見ていったのですが、WWⅡソ連空軍本なども興味はあったのですが自重しておいて、『クルスク大戦車戦』だけ買うことにしました。クルスク戦自体にはそれほど興味はないのですが、近年の見直し論が盛り込まれているということでもあり、また独ソ両軍の将軍達の人となりなんかもある程度読めそうな感じだったので。

 クルスク戦の見直し論が盛り込まれた本としてはハードカバーの翻訳本もあるのは知っているのですが、値段のこともあり自重しています(*^_^*) 大木さんのホートの本なんかも自重してます。






 あともう一冊は同人誌で、「その1」は持っていてそちらはティーガーⅠの操縦に関しての本で、「その2」はその88mm砲の撃ち方の話でした。

 「その2」も下野守さんに見せてもらったことはあったんですが、この同人誌は絵も可愛くて秋山優花里が生き生きしていて、内容的にも非常に分かりやすく面白いので欲しかったのです。とらのあなに先日行ってみたらあったので、即買いでした。実際、買ってゆっくり読んで大変満足でした。また折に触れ読み返したいです。



 さて、見かけたものの買わなかった本ですが、紹介を見ただけで「いいな!」と思ったのですが、まあ日本史系は自分にとってのメインではないということで自重しようかな……と。教育の世界に関わっている時なら買って読んだと思うのですが、もう教育には関わらないことにしましたし。そしてまた、こういう内容は「きれい事」でなく、教育の現場で歓迎されるような内容でもないとも思います。

 1つ目は『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』。本屋で見つけたのですが、牟田口廉也のような人間をそもそも日本という組織が作っていったのだ、という話が面白そうというか、身につまされるというか、笑い事で済まないというか。



 昨今でも日本で、色々などうにもならない人達が世間を騒がせていますが、「日本というシステム」がそういう人を作っているという視点も必要なような。戦時中の捕虜収容所で、アメリカ人やイギリス人の捕虜達は自分達で自治組織を作っていくのだけども、日本人捕虜達はそういうのが作れなくて暴力や脅迫が支配するようになったそうです……というのをどこかで相当昔に読んだ記憶だけで書いているのですが、この論は合っているのでしょうか?(^_^; 「お互いに社会を作っていく感覚の欠如」というのか、あるいは学校とか会社とかっていう組織で順応してうまくやれる人ほど恐怖支配になった時にそれに順応してひどいことでも率先してやってしまうという傾向性とか(田中側近とか山根側近とか)。

 Amazonの書評では、「牟田口だけでなく組織の問題でもあったというのは、30年前の失敗の本質ですでに言われていて、その蒸し返しに過ぎない」と書かれていたんですが、『失敗の本質』は私も読みましたけども、私はこの本は「インパールの責任が牟田口だけでなく組織にもあった論」ではなく、「牟田口のような人間を日本という組織が作る。同じような人間を日本という組織が今も作り続けている論」かな、と思ったんですが、そもそも読んでいないし勘違いかもしれません(^_^;



 2冊目は、『歴史人口学で見た日本』。これは『言ってはいけない中国の真実』(橘玲)という本で書かれていて知ったんですが、そこで触れられている話が、大略(P45,46)、

 西欧や北欧では(麦作で)人口が少なく、人間が貴重だから「産業革命」で産業を効率化していった。
 ところが日本では(稲作で)人口が多く、産業を効率化すると人があぶれて社会が無秩序化するからむしろ非効率化を進めて、その上で個々人が勤勉に働かないといけないようにするという「勤勉革命」というのをやった、と。

 まあどこまで正しい話なのかは分かりませんが、個人的には目から鱗でした。日本の仕事の効率が悪いのも、女性が産休・育休で嫌がられるのも、「勤勉革命」の結果だとすれば得心がいくように思いました。ただ、女性の件は(受験の得点調整の件は個人的に非常に衝撃的でしたが)、欧米社会が「仕事単位」で人を雇うのに対して、日本社会が「人間単位」で人を雇うからではないかとも思いますけども。人間単位で人を雇うことを日本が減らしていって、仕事単位で雇う方向に進めない限りはなかなか難しい話でしょうから、これも「日本というシステム」の問題でもあり、そこを見ずに批判だけしてもダメなのではないかな、と思ったり。

 橘玲さんという著作家さんもこの2、3年で初めて知った方なんですが、個人的にものすごく参考になることを書かれる方だと思ってます。進化論や脳生理学を中心として、世界中のあらゆる新しい研究を織り込んで色々なことに「きれい事でない」見方を提示してくれます。今回の『言ってはいけない中国の真実』も、「人口が多いと労力の替えがいくらでもあるから人権が低くなる、というのは経済学的な問題だ」という視点はまさに「言っていけない(^_^;」話だと思いましたが、目から鱗で。ブラック企業も、人材の替えがいくらでもいるからブラックになれる。人の数が少ないか、あるいはその能力を持っている人が少ないのであれば、ホワイトにならざるを得ない。

 橘玲さんの他のオススメ本も貼っておきます。





 3冊目は、スマートニュースで見つけた『飢餓と戦争の戦国を行く』。↓記事自体を貼っておきます。

「大河ドラマ」で隠されてきた日本の黒歴史とは?





 戦国時代の敗者は奴隷として売られていっていて、フィリピンで日本女性が売春をやらされていたりもしたというのは(ジャパゆきさんの逆パターン……)びっくりでした。また、江戸時代の飢饉のひどさについては『風雲児たち』などで読んではいましたが、むしろ飢饉のような災害は毎年のようにあったのだとか……。


 これら、読んでみたい気はありますが書評とかで満足しておいて、むしろ私は第二次欧州大戦とナポレオン戦争に関して細かいことを調べてブログに書いていく方に傾注していきたいと思っています。しかし、興味を持った方はぜひ買って読んでみて下さい。買った方が経済が回りますし(*^_^*)


 ただし、経済が回ると地球温暖化はより進むのではないでしょうか。我々はあちらが立てばこちらが立たない世界に住んでいるのであって、人の悪意を責めれば済む世界に住んでいるのではない……と思います。



ロシア皇弟コンスタンティン大公の性格

 だいぶ以前にロシア皇帝アレクサンドル1世の性格とかについて参考になることが書いてないかなぁと思って購入した『アレクサンドル一世時代史の研究』が積ん読になっていたのですが、最近引っぱり出してきて時々読み進めていました。





 アレクサンドル1世の性格について結構記述があり、その点良くてまたまとめようと思うんですが、その弟のコンスタンティン大公の性格についても結構詳しく書いてあるところがあって、「おおっ」となりました。


Grand Duke Constantine Pavlovich of Russia

 ↑コンスタンティン大公(Wikipediaから)


 コンスタンティン大公と言えば、アウステルリッツの戦いでロシア軍の近衛軍団司令官として出てくるのでウォーゲーマーにはお馴染みではないでしょうか。彼に関する話としては、生まれた時に祖母エカテリーナ2世が、「(トルコの)コンスタンティノープルの征服者」となるという意図をもってその名前を付けたというのは、何回か読んだような気がします。しかしそれ以上は何も分かってませんでした。

 ↓今回見つけたもの。

 ……スマッカーはコンスタンティンの性格を次のように描写している。
かれは驚くべきほどせっかちで、風変りであり、しかも残忍で激情的であった。かれの振舞は非常に荒々しく、兇暴ですらあった。その行為の偏奇で狂っていた点、および人間としてのいやらしさの点では他の皇子達のいずれよりも、もっとも父親パーヴェルに似ていた。青年時代のかれの性向は放蕩気ままで、兇暴的であり、成人後のかれは何時も非常に残酷であった」。
 またサヴァリは次のように記している。
「コンスタンティン大公はまったくのフランスびいきであるように思われる。ピョートル3世の血を引いたのか熱狂的な軍隊好きである。ストレーリナのかれの居城は要塞のようである。かれの居室は兵器庫で、図書室にはあらゆる種類の兵書がいっぱいである。……庭にはフランスの捕虜に命じてブーローニュの兵舎の模型を造らせている。……しかしかれはその狂的な性格のために、軍隊では評判が悪い。またその皇室内における地位にもかかわらず、われわれをペテルブルグの上流社会へ導き入れる適当な人物とは思われない……」(概要)。
 この最後の一節は、皇位継承の予定者であったにもかかわらず、ロシア社会では重きをおかれていない、と観察したのであろう。
『アレクサンドル一世時代史の研究』P218,9



 だいぶ評判が悪いです(^_^; ただ、その「軍隊好き」のところだけを読んでいると、まるで我々ウォーゲーマーみたいですね。同じくすごく軍隊好きであったらしい父親のパーヴェル1世(エカテリーナ2世の息子)と合わせて、現代にいたら一緒に喜々としてウォーゲームをプレイする仲間になったんじゃないでしょうか(バキッ!!☆/(x_x))。



 他に資料がないかと思って探してみたら、Wikipediaの記述が非常に面白かったです。以下、日本版ですが、英語版の和訳のようでした。

 コンスタンチンは帝位を獲得しようとはしなかった。1801年に父帝が暗殺された後は、乱脈な独り者の生活を謳歌した。コンスタンチンは政治には関わろうとしなかったが、軍隊には外面を気にしてではなく心から親近感を覚えていた。1805年の戦役では近衛軍の司令官を務め、アウステルリッツの戦いではロシア軍の敗因の一端を作った。1807年の戦役でも、相変わらず軍人としての無能ぶりと運のなさを晒した。
 ティルジットの和約締結後、コンスタンチンはナポレオン1世の熱烈な崇拝者になり、露仏同盟の支持者となった。このため、フランスとの同盟は破滅も同然だと考える兄アレクサンドル1世の信頼を失ってしまった。コンスタンチンにはこうした兄の気持ちが理解できなかった。1812年にモスクワがフランス軍によって陥落させられた後ですら、コンススタンチンは早急にナポレオン1世との早急な同盟締結を主張した。そしてミハイル・クトゥーゾフ元帥と一緒になって、ロシア軍は国境を越えてまでフランス軍を追撃しない方がよいと意見した。
 戦役の間、ミハイル・バルクライ・ド・トーリ将軍はコンスタンチンによる支離滅裂な指揮で軍を敗北に追い込まないよう、2度もコンスタンチンを戦闘指揮から外す必要に迫られた。ドイツとフランスでの戦いにおけるコンスタンチンの役割もまるで無に等しかった。1813年8月26日のドレスデンの戦いでは、コンスタンチンは軍事に関する知識のなさから肝心のところで失敗を犯したが、ラ・フェール=シャンプノワーズの戦いでは勇敢なところを見せて称賛を勝ち得た。パリでは、コンスタンチンは大した戦功もないのに名将ぶって人々の嘲笑の的になった。大公がパリで最初に訪れた場所は厩舎であり、また彼は自分の宿舎でも軍隊を並べて行進や訓練を行わせていたと言われる。
日本版Wikipedia:コンスタンチン・パヴロヴィチ



 なんかもう、どうにもならない感じですが、それ故になんか非常に興味深いですね~。

 こういうことまで調べて書いてくれるWikipediaに感謝です。


ガザラの戦い中のリッチー将軍の攻勢作戦名「アバディーン」

 オスプレイの『GAZALA 1942』を読んでいってるんですが、そこで「えっ」と思ったのが、ガザラの戦いの真っただ中に発動された第8軍司令官リッチー将軍の攻勢作戦に名前があり、それが「Operation Aberdeen(アバディーン作戦)」という名前だった、という話でした(アバディーンというのはスコットランドの港湾都市の名前)。





 ↓同書の「アバディーン作戦」の地図。
Gazala 1942: Rommel's greatest victory



 北アフリカ戦における攻勢作戦名ということであれば、英連邦軍の「ブレヴィティ(簡潔)作戦」、「バトルアクス(戦斧)作戦」、「クルセイダー(十字軍)作戦」が非常に有名です。が、その後におこなわれたガザラの戦いの場合は英連邦軍の防衛陣地ラインの北端(海岸)の地名であるガザラ(アイン・エル・ガザラ)の名前が付けられていて、作戦名ではないです。

 ところが、ガザラの戦いの始まる時のロンメルの攻勢作戦には名前があり、「Operation Venezia(ヴェネツィア作戦)」というのだ……というのは最近いくらか読んでました。しかし、ガザラの戦いの最中の英連邦軍側の攻勢作戦に作戦名があった、というのは今回初めて読み(あるいは読んだことはあったのかもですが、初めて意識し)ました。

 アバディーン作戦についてですが、タイミング的には、

1.ロンメルのヴェネツィア作戦(ガザララインの後ろに回り込む)
2.大釜の戦い(包囲されてやばいことになるが、ガザララインに穴をあけて窮地を脱する)
3.アバディーン作戦(リッチーの攻勢作戦だが、連携がダメダメで大失敗する)
4.ビル・ハケイム陣地の陥落(自由フランス軍が脱出する)
5.トブルク陥落(ロンメルがトブルクを陥落させる)

 という感じのようです。クルセイダーにしてもガザラの戦いにしても、その経緯がごちゃごちゃしていて分かりにくいんですが……(^_^;

 今回アバディーン作戦については良く意識できて、興味も湧いたので、この後『GAZALA 1942』の一部を翻訳した後にできれば情報をまとめたいとも思っています。


 あと、作戦名についてですが、エル・アラメインの時には、モントゴメリーがまず「ライトフット(軽い足取り)作戦」、そしてその後「スーパーチャージ(加圧)作戦」をして英連邦軍が勝利する、というのがありますね。チュニジア戦の時には割と色々細かい作戦名が本に載ってます。


OCS『DAK-II』:インド第5師団第10旅団長デズモンド・ヤングの『ロンメル将軍』

 先日ブログを書いていた時にちょっとびっくりしたこととして、昔出ていた『ロンメル将軍』という文庫本が8000円以上していることがありました。




 私は現状持っていますが、たぶん一度処分して、再度Amazonで古本を買ったんじゃないかな……と思います。しかしこの値段とは(^_^;

 値段ということで言えば、以前一冊定価1万円ずつで買った『ナポレオン戦争』(→『ナポレオン戦争』3~5巻買いました (2014/02/05) )が、1巻=3万円、2巻=なし、3巻=4万円、4巻=7万6千円、5巻=2万6千円となってます……。





 まあそれはともかく、先日ガザラの戦いについて『砂漠のキツネ』を読み直していたら、『ロンメル将軍』の作者について書かれていました。

 第15機甲師団はインド軍第5師団を撃破した。その第10旅団は全滅した。……ネッカールスウルム出身の18歳のバイエル上等兵は、乱戦中、逃走するトミー【イギリス兵】にピストルを突きつけた。トミーはふつうの歩兵のようにみえた。「所属部隊は?」バイエルはたずね、捕虜は首を横に振った。捕虜にはその権利がある。軍事秘密を話す必要はないのだ。「階級は?」それには答えなければならない。「インド軍旅団の将官」バイエル上等兵はまさかという顔をしたに違いない。捕虜はその証拠にズボンのポケットから将官の肩章を取り出して見せた。彼はインド軍第10旅団長デスモンド・ヤングで、戦後すぐれたロンメル伝を書いた人物である。
『砂漠のキツネ』P179




 第5インド師団について『DAK-II』のユニットを見てみると……。

unit00275.jpg

 第10旅団があります。ARが歩兵旅団はすべて4と、優秀ですね。他の『DAK-II』のインド部隊も、半分以上はAR4ですが……。

 第10インド旅団の右隣の「29」とあるのは「29 Ind」となってませんが、『DAK-II』は印刷機の関係で(らしい)部隊の文字が抜けていることが良くあるのですが、それでしょう。今回気付いたのですが、インド部隊は「1x Ind」までは「Ind」があるのに、「2x Ind」からは全部「Ind」がないので、「2x Ind」からは戦力のところに文字が被ってしまって、印刷を諦めたんでしょうね~。


ウジェーヌ本が届きました

 以前、『ナポレオンとバイエルン』から、ウジェーヌについて (2018/07/14) で書いてましたウジェーヌ本が届きました。

 想像していたよりも分厚くて、びっくりしました。

unit00273.jpg



 中を見てみると、目次のところは少しかすれていて見にくかったのですが、基本的にはキレイな感じでした。

unit00274.jpg


 肖像画などが結構入ってましたが、地図はまったくありませんでした(まあ、別にいいかと思います)。索引はちゃんとありました。索引のあるなしは重要だと思うので、日本の歴史系の本も必ず索引を付けて欲しいものだと思います(出典や参考文献も)。

 積ん読にならないよう、見ていきたいと思います。


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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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