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OCS『DAK-II』:ガザラ戦で敵後方に上陸しようとしていたヘッカー戦闘団

 承前。イタリア軍のコマンド部隊について手持ちの資料で調べようと思って、とりあえず『イタリア軍入門』をぱらぱらめくっていましたら、まったく認識していなかったイタリア海軍の海兵部隊についてのページが目に入り、その精鋭サン・マルコ海兵部隊のユニットが『DAK-II』にも入っていることを思いだし(それはうっすら認識していた)、「おおお~、全然分かってなかった~! イタリア海軍なんて、陸戦主体のOCSには全然関係ないと思っていた~」となりました(^_^;

 が、そのサン・マルコ海兵部隊の話はまだ良く分からないところがところがあるのと、他に参照できそうな資料もまだ見てないのでとりあえず置いといて、サン・マルコ海兵部隊の一部が参加していたというヘッカー戦闘団というのを今回調べてみました。


 ↓『DAK-II』のヘッカー戦闘団とその関係ユニット。

unit00271.jpg

 ヘッカー戦闘団というのは、ガザラの戦いの時に、英連邦軍の陣地・地雷原によるガザララインの後方連絡線を切るような場所に上陸作戦をおこない、DAKの主力と手を繋ぐことを企図されていた部隊です。

 左2つのユニットがあまり見ない兵科マークですが、どうも上陸(作戦)部隊を表しているようです。『DAK-II』ではオプションで、右側の3つのユニットを統合して一番左のヘッカー戦闘団ユニットを編成し、任意の港湾から30ヘクス以内の海岸に上陸できるのです(2SPまでが同行可能。任意で解散して元の3ユニットに戻すこともできる)。


 その戦闘序列。

ヘッカー上陸作戦部隊
 約650名あるいは、もし第3サン・マルコ中隊が到着したならば800名超
 第3サン・マルコ大隊がアフリカにいた。2個中隊の373名と、もしかしたら第3中隊(168名)がこの提案された作戦に使用されていたかもしれない。
 第778戦闘工兵上陸中隊(ドイツ軍の上陸作戦工兵中隊で、73名)
 第800ブランデンブルク連隊第13中隊(100名で、うち60名はパレスティナに住んでいたことがあり、アラビア語をいくらか話せた)
 車両:イギリス戦車3両で、MkVI軽戦車か、MkIV中戦車。さらに装甲車3両と、自走砲2両。
 大砲は13/47mm対戦車砲、50mm砲3門、37mm砲6門、2ポンド砲4門
『Rommel's North Africa Campaign』P257




 ↓『DAK-II』のガザラシナリオの初期配置(VASSAL)。

unit00272.jpg


 史実でヘッカー戦闘団はBombaという港におり、ガザラの戦いの時のDAKの主攻勢①の翌日に上陸作戦②をおこなうことになっていました。が……英連邦軍はその計画をウルトラ情報ですでに知っていたようです。

 英連邦軍は、ドイツ軍は正面あるいは南翼を攻撃する可能性があると分かっていたが、その他の装甲師団が恐らくは北へ向かっていることから、正面攻撃がなされるだろうと踏んでいた。さらに、海上輸送(ヘッカー旅団グループ)あるいは空挺(ロンメルには確かに空挺1個大隊が使用可能であった)、もしくは両方による攻撃に関するウルトラ情報が大量に存在していた。第90軽師団が1個装甲師団と共に北へ向かっており、海上輸送による側面攻撃が想定されていたことから、リッチーが攻勢は中旬にあるのではないかと思っていたことが理解できる。
『Rommel's North Africa Campaign』P150


 緑字にした「空挺1個大隊」というのが確かにあったようで、VASSAL画像の一番左上にある2-5-3(Lehr)というのがそれです。『Rommel's North Africa Campaign』の戦闘序列にも載っています。

Fallschirmajaeger Lehr(Parachute)Battalion
 約1100-1200名がMartubaに配置されていた。
『Rommel's North Africa Campaign』P257


 興味はあるんですが、これがどう使われたか、あるいは使われなかったのか、資料を全然見つけられていません。




 それはさておきヘッカー戦闘団についてですが、見つけた中ではGoogle Books上で見られる『Rommel's Afrika Korps: El Agheila to El Alamein』P81が一番詳しかったです。同じ文が「KAMPFGRUPPE HECKER」というページにあり、こちらは本の方にはない(他のページにある?)上陸用舟艇の写真がありました。

 最も大胆な計画のうちの一つが、ヘッカー戦闘団によって実行されることになっていた。戦闘団の内訳は、第13ブランデンブルク中隊、第33および第39装甲猟兵大隊の一部、第778戦闘工兵上陸中隊、それにイタリア軍の第3サン・マルコ海兵大隊で、総計700名以上であった。1942年5月のガザララインへの攻撃中に、トブルクの東30kmの箇所に上陸してバルボ街道の補給線を切ろうというものであったが、中止されたのである。この攻撃部隊はBombaから目的地へと、4艘の自走式上陸船と2隻の上陸用舟艇によって輸送されることになっていた。……
 ……彼らにはまたシャベルとツルハシが250本ずつ配られており、それでもって砂袋をいっぱいにして部隊を断固として阻止することが意図されていた。上陸部隊は3日分に充分な量の弾薬と食糧を持ち運んでおり、もし彼らが上陸地点を保持していれば夜間に追加の補給が海から運ばれることにもなっていた。
 ガザララインへの5月26日の襲撃に関するロンメルの命令は、この文で締めくくられている。「Xデイの次の日にヘッカー戦闘団はGabr Si Hameidaに上陸し、バルボ街道のその周辺12km四方をブロックする。」 この上陸作戦は発動されなかったが、なぜ実行されなかったかは不明となっていたようである。必要な航空支援が得られず、また自走式上陸船の1つが壊れたままになっていたことが示唆されている。車両は舟艇に積み込まれていたし、部隊も準備が完了していたことが分かっているが、作戦開始の命令は出されなかったのである。どうやら彼らは下船したのだが、結局再度5月28日にこの任務の開始が指示された。だが、20分もしない内に別の命令が届いてこの作戦は再び中止されたのだった。
 恐らくロンメルは、DAKの進撃に対するイギリス軍の抵抗が予期していたよりもはるかに強かったため、ヘッカー戦闘団が上陸してもそこで立ち往生することになると考えたのであろう。もう一つ言われているのは、イギリス軍は偵察行動や通信傍受によってこの上陸計画を知って用心していたのであり、ヘッカー戦闘団は罠に飛び込むことになっただろうということである。さしあたり我々にできるのは推測することだけであるが、真相がいつか明らかになるのかもしれない。
『Rommel's Afrika Korps: El Agheila to El Alamein』P81



 中止命令周辺のことについて、『Rommel's North Africa Campaign』には以下のように書かれていました。

 【主攻勢部隊は】2日目は海へ出る道を探そうとして日が過ぎたが、まったく成功しなかった。ケッセルリンクはヘッカー旅団グループに開始の命令を出したが、ロンメルとの連絡が再度ついた午後に、このヘッカー旅団グループによる上陸作戦は取り消された。
『Rommel's North Africa Campaign』P158




 作戦中止後のヘッカー戦闘団ですが、見つけたものとしては『コマンドマガジン日本版 15号』に以下のようにありました。

 ロンメルは、ヘッカー戦闘団(当初強襲上陸を行う予定だったが、中止された)の工兵によってイギリス軍の地雷原を除去したすき間を抜け、シディ・ムフタ【Sidi Muftah】まで下がることを決意した。そこでクリューウェル・グループと主補給線に連結するのだ。
『コマンドマガジン日本版 15号』P19



 これは文脈から推察するに5月29日頃のことらしく、再掲の↓の画像の③のような動きなのかと思われます。「クリューウェル・グループ」というのは、ガザララインの西側にいた枢軸軍グループのことです。水色の○がその後の大釜陣地の場所。

unit00272.jpg

 もう一つ見つけたオスプレイの『GAZALA 1942』P49の地図によると、6月1日に枢軸軍の大釜陣地が何とか窮状を脱しようと西側の地雷原に攻撃をかけた時に、その地雷原を挟んだ西側から協調攻撃をおこなったようです。上の画像の④の場所です。オスプレイの地図上では「ヘッカー戦闘団」という風に書いてあるので、この時はまだ戦闘団を解散していなかった……?

 ただ、5月28日にBombaの港で作戦が中止されて、5月29日に③のように行動して、6月1日に④のように行動するのは、1つの戦闘団としては無理があるような気がします(^_^; ③をこのように解釈したのは誤読で、④に近い動きだったのか、あるいは後述のようにヘッカー大佐だけが移動して、そこにいた工兵でもってそのように行動したとかいうことかもしれません。


 その後ですが、6月8日にビル・ハケイム(ガザララインの南端で、自由フランス軍部隊やユダヤ人部隊による抵抗が続いていた)への攻撃部隊の指揮官としてヘッカー大佐だけが出てきて、ヘッカー戦闘団とは(たぶん)関係がない、各師団から抽出された工兵部隊を率います。

(※2018/08/02追記:『GAZALA 1942』P58には「この襲撃を支援するため、ヘッカー戦闘団全体が南へ向かった。」と書いてあり、この本はヘッカー戦闘団が向かわされたという立場であるようです)

 ↓『DAK-II』のドイツ軍工兵ユニット一覧(OCS『DAK-II』に見る各種工兵ユニット (2017/04/26) から)。

unit00082.jpg

 6月8日、ロンメルは再編成をおこない、新しい方法を試した。彼は各師団から工兵大隊(第33、第200、第900)を集めて、装甲軍工兵将校のヘッカー大佐の指揮下に置いた。そしてロンメルはヘッカーに対して、この地雷原を突破し、第90軽師団がフランス軍とユダヤ人部隊に到達して壊滅させることができるようにせよと命じたのである。2つの戦闘団といくつかのドイツ空軍部隊がヘッカーの夜襲を支援したが、その陣地の500ヤード以内のところで停止した。ユダヤ人大隊の大部分は戦死するか、捕虜となった。
『Rommel's Desert War: The Life and Death of the Afrika Korps』P71

 6月9日に彼は再び攻撃したが、またもや動きが取れなくなった。ヘッカー自身も指揮車が地雷を踏んでしまい、負傷した。
 ヘッカーが失敗を報告すると、ロンメルは再び激怒した。「あの憎むべきビル・ハケイムは、どれだけの犠牲を生むのか!」 彼は大声で叫んだ。彼は怒って、ビル・ハケイムを迂回してトブルクを攻撃することにすると言った。
 ヘッカー大佐はその案に賛同できなかった。ヘッカーはロンメルに、ドイツ軍の歩兵1個大隊を与えてもらえるように頼んだ。それでもって、ビル・ハケイムの戦いに勝利できます、と。
 ロンメルは何とか怒りをこらえた。バイエルライン大佐と短時間相談し、ロンメルは負傷していたヘッカーに、第15装甲師団の第115機関銃連隊(エルンスト・バーデ中佐指揮)の大部分を与えた。
 このドイツ軍工兵の決断は、効果を上げた。ケニーグ【自由フランス軍部隊の指揮官】と彼の部下達の抵抗は恐るべきものであったが、その陣地は6月9日に破られ始めたのである。
『Rommel's Desert War: The Life and Death of the Afrika Korps』P71



 この『Rommel's Desert War: The Life and Death of the Afrika Korps』という本もGoogleBooks上で読めるものだったのですが、これを訳した後にパウル・カレルの『砂漠のキツネ』を見てみたら、そこらへんの経緯についてはるかに詳しく書いてありました(^_^;ので、持っている方は見て頂ければ。P179~181です。

 『砂漠のキツネ』には索引があり、ヘッカーについてその後も見ていくことができ、ドイツ軍側の地雷原関係の総指揮官としてヘッカーは活躍したそうで、ヘッカーの部下達の創意工夫によってDAKの後退も相当に助けられたとか。ただ、ヘッカー自身はエル・アラメイン戦のすぐ後くらいに黄疸と赤痢にかかっていて指揮を譲っていたようです(本国に帰ったかどうかとかは記載ありませんでした)。


 ヘッカー戦闘団による上陸作戦ですが、ロンメルはあまりこういう作戦をやらなかったらしいですし、私はこういう作戦があったことを認識できていなかったのですが、ちょっと興味を持ってみれば大変興味深い話で、ゲーム上でもぜひ試してみたい作戦だと思いました。

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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