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OCS『DAK-II』:ガザラ戦で敵後方に上陸しようとしていたヘッカー戦闘団

 承前。イタリア軍のコマンド部隊について手持ちの資料で調べようと思って、とりあえず『イタリア軍入門』をぱらぱらめくっていましたら、まったく認識していなかったイタリア海軍の海兵部隊についてのページが目に入り、その精鋭サン・マルコ海兵部隊のユニットが『DAK-II』にも入っていることを思いだし(それはうっすら認識していた)、「おおお~、全然分かってなかった~! イタリア海軍なんて、陸戦主体のOCSには全然関係ないと思っていた~」となりました(^_^;

 が、そのサン・マルコ海兵部隊の話はまだ良く分からないところがところがあるのと、他に参照できそうな資料もまだ見てないのでとりあえず置いといて、サン・マルコ海兵部隊の一部が参加していたというヘッカー戦闘団というのを今回調べてみました。


 ↓『DAK-II』のヘッカー戦闘団とその関係ユニット。

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 ヘッカー戦闘団というのは、ガザラの戦いの時に、英連邦軍の陣地・地雷原によるガザララインの後方連絡線を切るような場所に上陸作戦をおこない、DAKの主力と手を繋ぐことを企図されていた部隊です。

 左2つのユニットがあまり見ない兵科マークですが、どうも上陸(作戦)部隊を表しているようです。『DAK-II』ではオプションで、右側の3つのユニットを統合して一番左のヘッカー戦闘団ユニットを編成し、任意の港湾から30ヘクス以内の海岸に上陸できるのです(2SPまでが同行可能。任意で解散して元の3ユニットに戻すこともできる)。


 その戦闘序列。

ヘッカー上陸作戦部隊
 約650名あるいは、もし第3サン・マルコ中隊が到着したならば800名超
 第3サン・マルコ大隊がアフリカにいた。2個中隊の373名と、もしかしたら第3中隊(168名)がこの提案された作戦に使用されていたかもしれない。
 第778戦闘工兵上陸中隊(ドイツ軍の上陸作戦工兵中隊で、73名)
 第800ブランデンブルク連隊第13中隊(100名で、うち60名はパレスティナに住んでいたことがあり、アラビア語をいくらか話せた)
 車両:イギリス戦車3両で、MkVI軽戦車か、MkIV中戦車。さらに装甲車3両と、自走砲2両。
 大砲は13/47mm対戦車砲、50mm砲3門、37mm砲6門、2ポンド砲4門
『Rommel's North Africa Campaign』P257




 ↓『DAK-II』のガザラシナリオの初期配置(VASSAL)。

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 史実でヘッカー戦闘団はBombaという港におり、ガザラの戦いの時のDAKの主攻勢①の翌日に上陸作戦②をおこなうことになっていました。が……英連邦軍はその計画をウルトラ情報ですでに知っていたようです。

 英連邦軍は、ドイツ軍は正面あるいは南翼を攻撃する可能性があると分かっていたが、その他の装甲師団が恐らくは北へ向かっていることから、正面攻撃がなされるだろうと踏んでいた。さらに、海上輸送(ヘッカー旅団グループ)あるいは空挺(ロンメルには確かに空挺1個大隊が使用可能であった)、もしくは両方による攻撃に関するウルトラ情報が大量に存在していた。第90軽師団が1個装甲師団と共に北へ向かっており、海上輸送による側面攻撃が想定されていたことから、リッチーが攻勢は中旬にあるのではないかと思っていたことが理解できる。
『Rommel's North Africa Campaign』P150


 緑字にした「空挺1個大隊」というのが確かにあったようで、VASSAL画像の一番左上にある2-5-3(Lehr)というのがそれです。『Rommel's North Africa Campaign』の戦闘序列にも載っています。

Fallschirmajaeger Lehr(Parachute)Battalion
 約1100-1200名がMartubaに配置されていた。
『Rommel's North Africa Campaign』P257


 興味はあるんですが、これがどう使われたか、あるいは使われなかったのか、資料を全然見つけられていません。




 それはさておきヘッカー戦闘団についてですが、見つけた中ではGoogle Books上で見られる『Rommel's Afrika Korps: El Agheila to El Alamein』P81が一番詳しかったです。同じ文が「KAMPFGRUPPE HECKER」というページにあり、こちらは本の方にはない(他のページにある?)上陸用舟艇の写真がありました。

 最も大胆な計画のうちの一つが、ヘッカー戦闘団によって実行されることになっていた。戦闘団の内訳は、第13ブランデンブルク中隊、第33および第39装甲猟兵大隊の一部、第778戦闘工兵上陸中隊、それにイタリア軍の第3サン・マルコ海兵大隊で、総計700名以上であった。1942年5月のガザララインへの攻撃中に、トブルクの東30kmの箇所に上陸してバルボ街道の補給線を切ろうというものであったが、中止されたのである。この攻撃部隊はBombaから目的地へと、4艘の自走式上陸船と2隻の上陸用舟艇によって輸送されることになっていた。……
 ……彼らにはまたシャベルとツルハシが250本ずつ配られており、それでもって砂袋をいっぱいにして部隊を断固として阻止することが意図されていた。上陸部隊は3日分に充分な量の弾薬と食糧を持ち運んでおり、もし彼らが上陸地点を保持していれば夜間に追加の補給が海から運ばれることにもなっていた。
 ガザララインへの5月26日の襲撃に関するロンメルの命令は、この文で締めくくられている。「Xデイの次の日にヘッカー戦闘団はGabr Si Hameidaに上陸し、バルボ街道のその周辺12km四方をブロックする。」 この上陸作戦は発動されなかったが、なぜ実行されなかったかは不明となっていたようである。必要な航空支援が得られず、また自走式上陸船の1つが壊れたままになっていたことが示唆されている。車両は舟艇に積み込まれていたし、部隊も準備が完了していたことが分かっているが、作戦開始の命令は出されなかったのである。どうやら彼らは下船したのだが、結局再度5月28日にこの任務の開始が指示された。だが、20分もしない内に別の命令が届いてこの作戦は再び中止されたのだった。
 恐らくロンメルは、DAKの進撃に対するイギリス軍の抵抗が予期していたよりもはるかに強かったため、ヘッカー戦闘団が上陸してもそこで立ち往生することになると考えたのであろう。もう一つ言われているのは、イギリス軍は偵察行動や通信傍受によってこの上陸計画を知って用心していたのであり、ヘッカー戦闘団は罠に飛び込むことになっただろうということである。さしあたり我々にできるのは推測することだけであるが、真相がいつか明らかになるのかもしれない。
『Rommel's Afrika Korps: El Agheila to El Alamein』P81



 中止命令周辺のことについて、『Rommel's North Africa Campaign』には以下のように書かれていました。

 【主攻勢部隊は】2日目は海へ出る道を探そうとして日が過ぎたが、まったく成功しなかった。ケッセルリンクはヘッカー旅団グループに開始の命令を出したが、ロンメルとの連絡が再度ついた午後に、このヘッカー旅団グループによる上陸作戦は取り消された。
『Rommel's North Africa Campaign』P158




 作戦中止後のヘッカー戦闘団ですが、見つけたものとしては『コマンドマガジン日本版 15号』に以下のようにありました。

 ロンメルは、ヘッカー戦闘団(当初強襲上陸を行う予定だったが、中止された)の工兵によってイギリス軍の地雷原を除去したすき間を抜け、シディ・ムフタ【Sidi Muftah】まで下がることを決意した。そこでクリューウェル・グループと主補給線に連結するのだ。
『コマンドマガジン日本版 15号』P19



 これは文脈から推察するに5月29日頃のことらしく、再掲の↓の画像の③のような動きなのかと思われます。「クリューウェル・グループ」というのは、ガザララインの西側にいた枢軸軍グループのことです。水色の○がその後の大釜陣地の場所。

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 もう一つ見つけたオスプレイの『GAZALA 1942』P49の地図によると、6月1日に枢軸軍の大釜陣地が何とか窮状を脱しようと西側の地雷原に攻撃をかけた時に、その地雷原を挟んだ西側から協調攻撃をおこなったようです。上の画像の④の場所です。オスプレイの地図上では「ヘッカー戦闘団」という風に書いてあるので、この時はまだ戦闘団を解散していなかった……?

 ただ、5月28日にBombaの港で作戦が中止されて、5月29日に③のように行動して、6月1日に④のように行動するのは、1つの戦闘団としては無理があるような気がします(^_^; ③をこのように解釈したのは誤読で、④に近い動きだったのか、あるいは後述のようにヘッカー大佐だけが移動して、そこにいた工兵でもってそのように行動したとかいうことかもしれません。


 その後ですが、6月8日にビル・ハケイム(ガザララインの南端で、自由フランス軍部隊やユダヤ人部隊による抵抗が続いていた)への攻撃部隊の指揮官としてヘッカー大佐だけが出てきて、ヘッカー戦闘団とは(たぶん)関係がない、各師団から抽出された工兵部隊を率います。

(※2018/08/02追記:『GAZALA 1942』P58には「この襲撃を支援するため、ヘッカー戦闘団全体が南へ向かった。」と書いてあり、この本はヘッカー戦闘団が向かわされたという立場であるようです)

 ↓『DAK-II』のドイツ軍工兵ユニット一覧(OCS『DAK-II』に見る各種工兵ユニット (2017/04/26) から)。

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 6月8日、ロンメルは再編成をおこない、新しい方法を試した。彼は各師団から工兵大隊(第33、第200、第900)を集めて、装甲軍工兵将校のヘッカー大佐の指揮下に置いた。そしてロンメルはヘッカーに対して、この地雷原を突破し、第90軽師団がフランス軍とユダヤ人部隊に到達して壊滅させることができるようにせよと命じたのである。2つの戦闘団といくつかのドイツ空軍部隊がヘッカーの夜襲を支援したが、その陣地の500ヤード以内のところで停止した。ユダヤ人大隊の大部分は戦死するか、捕虜となった。
『Rommel's Desert War: The Life and Death of the Afrika Korps』P71

 6月9日に彼は再び攻撃したが、またもや動きが取れなくなった。ヘッカー自身も指揮車が地雷を踏んでしまい、負傷した。
 ヘッカーが失敗を報告すると、ロンメルは再び激怒した。「あの憎むべきビル・ハケイムは、どれだけの犠牲を生むのか!」 彼は大声で叫んだ。彼は怒って、ビル・ハケイムを迂回してトブルクを攻撃することにすると言った。
 ヘッカー大佐はその案に賛同できなかった。ヘッカーはロンメルに、ドイツ軍の歩兵1個大隊を与えてもらえるように頼んだ。それでもって、ビル・ハケイムの戦いに勝利できます、と。
 ロンメルは何とか怒りをこらえた。バイエルライン大佐と短時間相談し、ロンメルは負傷していたヘッカーに、第15装甲師団の第115機関銃連隊(エルンスト・バーデ中佐指揮)の大部分を与えた。
 このドイツ軍工兵の決断は、効果を上げた。ケニーグ【自由フランス軍部隊の指揮官】と彼の部下達の抵抗は恐るべきものであったが、その陣地は6月9日に破られ始めたのである。
『Rommel's Desert War: The Life and Death of the Afrika Korps』P71



 この『Rommel's Desert War: The Life and Death of the Afrika Korps』という本もGoogleBooks上で読めるものだったのですが、これを訳した後にパウル・カレルの『砂漠のキツネ』を見てみたら、そこらへんの経緯についてはるかに詳しく書いてありました(^_^;ので、持っている方は見て頂ければ。P179~181です。

 『砂漠のキツネ』には索引があり、ヘッカーについてその後も見ていくことができ、ドイツ軍側の地雷原関係の総指揮官としてヘッカーは活躍したそうで、ヘッカーの部下達の創意工夫によってDAKの後退も相当に助けられたとか。ただ、ヘッカー自身はエル・アラメイン戦のすぐ後くらいに黄疸と赤痢にかかっていて指揮を譲っていたようです(本国に帰ったかどうかとかは記載ありませんでした)。


 ヘッカー戦闘団による上陸作戦ですが、ロンメルはあまりこういう作戦をやらなかったらしいですし、私はこういう作戦があったことを認識できていなかったのですが、ちょっと興味を持ってみれば大変興味深い話で、ゲーム上でもぜひ試してみたい作戦だと思いました。

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OCS『DAK-II』『Reluctant Enemies』のコマンド部隊ユニット

 OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』のセットアップをやったりしたものの、ここ一カ月ずーっとOCS関係の和訳や割り付けをしていたせいか、頭がプレイの方に行かないので、この機会にやろうと思っていたOCS『DAK-II』のルールの和訳作業を始めました。

 以前、キャンペーン用のルールを除いた『DAK-II』練習用和訳は作っていたのですが、YSGAで20年ぶりに復帰した方が『DAK-II』のロンメルの第1次攻勢シナリオをやった(YSGA29年連続 GW二日間例会の様子⑩ GWお祭り企画...(MMP/GAMERS)OCS:DAKⅡ)というのを見まして、このシナリオはキャンペーン用のルールも使わないとできないので、「いいなぁ。ロンメルの第1次攻勢なんてすごい機動戦だし、うらやましいなぁ。自分もそれをやるためには、キャンペーン用ルールも訳さなきゃ……」と思ったのです。


 で、作業をしていたんですが、今まで認識していなかったあるキャンペーン用ルールに目をむきました。

c3.12 砂漠挺身隊「ラット・パトロール」
 「砂漠挺身隊(Desert Raiders)」とは、連隊規模未満のあらゆるコマンド部隊ユニットを指すものとします。言い換えれば、第288および第287特殊部隊は砂漠挺身隊ではなく、以下のルールの対象外となります。砂漠挺身隊には以下のルールが適用されます。
a)砂漠挺身隊はその戦闘に参加する自陣営のユニットがそのユニットのみである場合を除いては、攻撃あるいは防御において自身のアクションレーティングを用いることができません。
例外:2個の砂漠挺身隊ユニットが単一の戦闘に参加する場合には、いずれかのアクションレーティングを使用できます。
b)砂漠挺身隊ユニットは補給線を引くことができなくても、6ターンの間は非補給下にもならず損耗判定も行いません
c)砂漠挺身隊はユニットの両面が徒歩移動タイプとなっています(つまり燃料を必要としないのです)。砂漠挺身隊ユニットは移動中、進入するヘクス毎に徒歩もしくは自動車化移動コストのいずれか(有利な方)を用いることができます。


 なんですとー!! 移動モードが徒歩で、6ターンの間非補給にならない……。移動力はどれだけだっ、と思って見てみたら……。

 ↓イギリス軍の「砂漠挺身隊」。
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 徒歩で20移動力……!! 全然認識してませんでした(^_^; これまでOCS最強のユニットは騎兵ユニットかと思ってましたが(燃料いらないで12移動力とかあるので)、『DAK-II』の砂漠挺身隊の方がやばいですね。まあ戦力は1/2とかですが……。


 左の「LRDG」というのは「Long Range Desert Group」の略で、一般に「長距離砂漠挺身隊」と和訳されています。『歴史群像アーカイブ 11 北アフリカ戦線1940~1943』のP36がこの部隊に関するほどよいコラムになっていますので、一部引用しますと。

 ……砂漠を縦横無尽に動き回って敵情を偵察するのみならず、敵の補給戦や通信線を切断したり、後方司令部や兵站拠点を襲撃する、小規模な特殊機動部隊……
 長距離砂漠挺身隊の基本戦闘単位は、重武装を施したジープ数両と四輪駆動中型トラック十数両で編成されたパトロール隊だった……
 長距離砂漠挺身隊は、ほぼ同様の経緯で誕生したSASやコマンドと時に連携するなどして、枢軸軍の戦線の背後を縦横無尽に暴れ回った。例えば、1942年9月に実施された「ヒヤシンス」作戦では、枢軸軍の最前線から約1600キロも後方のバルチェにある飛行場の襲撃に成功している。



 長距離砂漠挺身隊について、今までに収集してあった資料によると……。

 イギリスの砂漠レインジャー部隊【長距離砂漠挺身隊のこと】は砂漠における破壊工作と情報収集を任務とする精鋭の特殊部隊であった。敵戦線の背後での戦いに専念するドイツの《ブランデンブルク部隊》に相当するものだ。
 この砂漠レインジャー部隊は志願者からなり、本部はシヴァ・オアシスの洞穴。のちにはクフラ・オアシスに移った。ここから彼らは敵地奥深く数百キロも大胆不敵な遠征を幾度も試みた。有名なのは戦線後方500キロのドイツ野戦飛行場を何度か襲ったことである。彼らは数週間にわたり数台のトラックに分乗して進んだ。大海に漂う小舟のように。目的地に着くと爆撃機と戦闘機のほとんどを破壊し、ガソリン・タンクを爆破し、守備隊に大損害をあたえ、5、6人の捕虜まで連れてふたたびシヴァ・オアシスへの無限の帰途についたのであった。
『砂漠のキツネ』P50,1

 イギリス本国軍を - 将来あるアマチュアとして、彼【ロンメル】は属目していた。小規模な独立した作戦、つまり個人の創意にまつところの多いものの場合、たとえば長距離砂漠挺身隊とか特別航空部隊【SASのこと】のようなものは、ドイツ軍以上に優秀だと認めることさえしていた。ドイツ軍ではそれほどの自信を持てないし、敵戦線のはるか後方でそのような冒険心を発揮できないだろうと見たのである(公平を期するためにいうが、長距離砂漠挺身隊はイギリス本国の現役将校が組織し指揮していたが、隊員の多くはニュージーランド兵であった)。
『ロンメル将軍』P182

 また、1942年9月の長距離砂漠挺身隊(ロング・レンジ・デザード・グループ)の事例も興味深い。彼らは長躯トブルク付近の枢軸軍補給基地を急襲したのだが、その隊員のなかには、ドイツ軍の軍服を身にまとって偽装したドイツ系ユダヤ人も混じっていたのだった。この作戦は失敗し、ユダヤ人隊員も捕虜となった。彼らが取った行動が戦時国際法違反であることは明白である。にもかかわらず、ユダヤ人隊員が処刑されることはなかった。
『第二次大戦の<分岐点>』P209




 で、先ほどの画像にSASとレイフォース(←これがいわゆるコマンドらしい)もあります。リンクしたWikipedia「ブリティッシュ・コマンドス」には、「その他のコマンド部隊はレイフォース(Layforce)と呼ばれる大編成に加えられ、中東戦線へと派遣された。後のSASやSBSはこのレイフォースの生き残りを再編成したものだとされている。」とありましたが。

 いわゆるコマンド部隊に関しては第二次世界大戦ブックスに『コマンド』というのがあり、そちらである程度読めるのですが、P51に地図があり、それによると、

1941年4月21~22日(ロンメルの第1次攻勢の直後):第7コマンド隊、バルディアを奇襲
 ……これは隊員がまだ未熟で失敗に終わったがドイツ軍側の衝撃は大きかったとか。

1941年6月7~8日:シリアのヴィシー・フランス軍の海岸防衛線を第11コマンド部隊が奇襲
 OCS『Reluctant Enemies』に「レイフォース」としてユニットが入っており、奇襲上陸もルール化されています。

 ↓『Reluctant Enemies』のレイフォースユニット。戦力換算が他のOCSの3倍なので、これら全部まとめて2戦力?

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1941年7月18~19日:トブルク守備隊の一部として勇戦していた第8コマンド隊が、イタリア軍防衛線を強襲
 ……背後から急襲してさっと引き上げたそうで、15分ほどのものでしたが成功したそうです。

1941年11月17~18日:クルセイダー作戦の直前に、コマンド部隊がロンメル将軍の殺害をはかる
 ……舞台となったのはベダ・リットリアという村で、『DAK-II』にはその地名が載っています。

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 El Hamyiaの辺りから上陸し、数日かけてベダ・リットリアへ向かい、一部の兵はキレネ(Cirene)まで行って通信線を切断したそうです。

 このロンメル暗殺作戦ですが、昔書いたGJの記事で私はこれを長距離砂漠挺身隊がおこなったと書いてまして、全然勘違いしていました。本当にすみません……(T_T)


 さらにこのロンメル暗殺作戦の直前(つまりどちらもクルセイダー作戦の直前)、イギリス軍は陽動のためにガザラからティミミにかけて、SASでもって空挺作戦をおこなったのだそうです。

 ↓画像の左上の方にティミミ(Timimi)が、その南東にガザラ(Ain el Gazala)があります。

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 クルセイダー作戦が開始される2日前の11月16日の夜に、2つ目の陽動作戦が実行された。デビッド・スターリング大尉に率いられた「L」分遣隊と、第1特殊任務旅団(この部隊は後に、第1SAS連隊となる)は、ガザラからティミミ周辺の地域へ空挺降下し、飛行場に散らばった敵航空機を破壊するという計画を立てていたのである。この作戦のための57名の兵士を乗せた5機のボンベイが、フカ近くの滑走路から飛び立った。ところが不幸なことに天候が急激に悪化し、兵士達を載せた輸送機の編隊は散り散りになってしまった。パイロット達は濃い雲の中作戦を続行して空挺兵達を降下させたが、彼らの武器や弾薬は広い範囲にばらまかれてしまった。夜が明けると、彼らは目的地からはるか南に降下してしまっており、襲撃を続行するのは不可能だということが分かった。何もできることはなく攻撃を中止するしかなく、降下で生き残った22名は長距離砂漠挺身隊の車との会合を目指して砂漠の横断を開始し、何とかイギリス戦線まで帰り着いた。これが、有名なSAS連隊の初めての作戦であり、幸先の悪いスタートとなった。
『Operation Crusader 1941』P35



 このオスプレイの『Operation Crusader 1941』ですが、読んでいるとイギリス軍はクルセイダー作戦の時に内陸のオアシスからベンガジへ向けての陽動作戦も発動しており、案の定補給線的に全然無謀な試みでまったく作戦に寄与しなかったらしいですが、こんなにも色々な陽動作戦をイギリス軍がとっていたことに感嘆しました。やはり1つの作戦で1冊くらいの本を見てみると、意外な詳しい話が分かって興味深いですね(私が微妙にマイナーなことばかりに興味があるということもありますが(^_^;)


 これらのイギリス軍の特殊部隊全般について、ロンメルの回想録には次のように書かれています。

 かかる英軍支隊は、クフラ、またはカッタラ低地から、遠くキレナイカまで作戦を実行し、大きな災いをもたらして、イタリア軍を著しく動揺せしめたのだった。彼らは、アラブ人がわれわれに反抗するよう、何度も扇動したのだが、わずかな成功しか収めなかったのは有り難かった。
『「砂漠の狐」回想録』P260





 さて、(兵科マークで言うところの)コマンド部隊ユニットですが、ドイツ軍にもイタリア軍にもありました。

 まずドイツ軍から。

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 『DAK-II』のルール上は左右の2つは「砂漠挺身隊」の対象になりませんが。第288特殊部隊については、以前ちょっと書きました。

OCS『DAK-II』の「第288特殊部隊」ユニット (2017/03/13)
OCS『DAK-II』の「第288特殊部隊」ユニットの件に付け足し (2017/03/17)

 画像真ん中の「v.Könen」中隊ユニットですが、『WWⅡドイツの特殊作戦』の中に記述がありました。

 北アフリカ戦が発生するとブランデンブルグ部隊の300名からなる「アフリカ中隊(ケーネン中隊とも呼ばれた)」が編成され、とくに、暗号傍受を行う通信小隊にはアフリカ通の「専門家」が配属された。アフリカ中隊の指揮官はケーネン中尉(のち少佐のフリードリッヒ・フォン・ケーネン)でアフリカについて広範囲な知識と経験を有する人物だった。中隊を任されたケーネン中尉は隊を二つに分けて半数を1941年10月に英軍との激戦続くトリポリへ送ると4ヵ月後に残りの半数を合流させた。このアフリカ中隊の特徴は大部分の隊員たちが英語は勿論のこと、主要な言語であるアラビア語やスワヒリ語のほかに数カ国語を操ることができたことだった。
 特殊な語学力を生かして北アフリカ戦線でブランデンブルグ部隊のアフリカ中隊は偵察任務につき、現地の住民から情報を得たほかに、英軍戦線に侵入して情報を収集しアフリカ軍団司令部に報告した。
『WWⅡドイツの特殊作戦』P104,5


 この後エル・アラメイン戦の頃には、スエズ運河に進撃する時に備えて運河や橋梁をイギリス軍に破壊されないための特殊任務を与えられることになりそうだったものの、実際には進撃ができずにこの特殊任務は実行されなかったとか。

 見ていると、ゲーム上ではドイツ軍のケーネン中隊はイギリス軍の3つの「砂漠挺身隊」ユニットと全く同じ能力値ですが、史実では情報収集任務が主で、イギリス軍のように「小部隊で敵後方に襲撃」とかはしておらず、先ほど引用していた「小規模な独立した作戦、つまり個人の創意にまつところの多いものの場合、たとえば長距離砂漠挺身隊とか特別航空部隊のようなものは、ドイツ軍以上に優秀だと認めることさえしていた。ドイツ軍ではそれほどの自信を持てないし、敵戦線のはるか後方でそのような冒険心を発揮できないだろうと見たのである」というのはある程度その通りなのかな、とも思いました(尤も、他のブランデンブルク部隊は割と敵戦線後方に入っていっていると思いますが、しかし北アフリカでイギリス軍特殊部隊がおこなったような、何百km、下手すると千数百kmも後方に進出するというのはやってない……?)。



 さてさて、イタリア軍ですが、「砂漠挺身隊」がちゃんとあります。

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 移動力ががくんと低いのが悲しく、移動モードでの戦闘力がゼロですが、しかしアクションレーティングはちゃんと5あります。

 略称から名前は一応分かります。略称一覧によれば、

CMA:Centro Militaire Arab
CMI:Centro Militaire Italiano
RW:Reparto Wanda

 で、CentroはCenterで、MilitaireはMilitary、Arabはアラブ、Italianoはイタリア、Repartoは部署という意味らしいのですが、Wandaは単語じゃなくて人名か地名?

 関係書籍を漁れば何か出てくるかもしれないのですが、今までまったく気にしてなくて見た記憶もないので、今回はここまでにしておいて、何か記述が見つかればまた報告したいと思います。


 最後に、今回の参考文献一覧です。




OCS『Smolensk』入門シナリオの補給を考える

 OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』のユニットとマーカーを切り終わったので、とりあえずまず「入門シナリオ:ヴィテブスク」をやってみようと考えました。ヴィテブスクを先攻ターンだけで取ろうとしてみる、ソロプレイ用シナリオです。


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 ↑ヴィテブスク周辺は印刷された陣地だらけです。




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 「入門シナリオ:ヴィテブスク」をセットアップしたところ。ヴィテブスクの都市ヘクス2ヘクスを両方取れば大勝利なのですが、その2ヘクスのソ連軍の戦力は非常に弱体で、他のヘクスを放っておいてその2ヘクスだけ取ればいいような気もしました。

 ちょっと考えて、とりえあず一番西(12.31)にいるソ連軍歩兵師団(残り1ステップ)をヒップシュートしてみたら、出た目が12の6で、爆撃だけで壊滅させてしまいました(^_^;

 「これはだいぶ楽な展開では……?」と思ったのですが、補給問題が気になりました。移動フェイズ中にヴィテブスクを落とせるかもしれませんが、補給チェックで損耗しないといけないかもしれない。

 全体の状況を見てチェックしてみたいと思ったので、試しにキャンペーンの残りのソ連軍ユニットもセットアップしてみました。




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 まあ大して何も分かりませんでしたが(^_^; しかし、入門シナリオは完全にキャンペーンシナリオの一部であって、配置や戦力が違うとかってことは全然ないということは確認できました。入門シナリオに含まれていない周辺のソ連軍ユニットの場所も、影響がない辺りにあるなと思いました。

 で、補給線なんですが、枢軸軍の補給源を確認してみると……

「Map-edge hexes west of 10.xx where any type of road or railroad enters the map are Axis supply sources. Examples are 1.03, 1.26, and 4.00.」
(10.xx 列より西のマップ端で、道路や鉄道線が入ってきているヘクスは枢軸軍補給源です。例:ヘクス1.03、1.26、4.00。)

 で、10.xxを確認してみると、非常に微妙な存在が。10.32と10.33です。

 ↓VASSALの画面です。

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 この2つのヘクスは、枢軸軍補給源なのでしょうか……? そもそもここはマップ端なのかどうかというのもありますが。

 色々考えてみたんですが……最終的に、まあまず枢軸軍補給源ではないのだろうと推察しました。

 枢軸軍補給源だと考えた方が良さそうな理由と悪そうな理由をそれぞれ挙げてみますと、

■枢軸軍補給源だと考えた方が良さそうな理由
・「west of」の意味をネット検索すると「以西」がすぐに出てくる。とすると、10.xx列を含むと考えられる。
・マップ南端を見ると10.xx列周辺で道路等が存在するのは8.00と13.01であり、もし問題の2ヘクスが補給源でないならば、「west of 9.xx」と書けば良かったのに、わざわざ「10.xx」と書くということはその列を含むというつもりなのではないか。

■枢軸軍補給源だと考えない方が良さそうな理由
・史実を調べてみると、この2ヘクスの西側は少なくとも7月13日(キャンペーン開始の2ターン後くらい)まではソ連軍部隊が存在している。
・シリーズルールで「マップに少なくとも半分が描かれているヘクスが、ゲームで用いるヘクスです。」と規定されている。問題の2ヘクスは明らかに半分以下であり、そもそもゲームに用いられないヘクスであると思われる。

 ↑この「半分」の件が決定的であるように思われます(^_^; 11.32と11.33は、「10.xx以西」の規定からして補給源ではあり得ませんし。

(※2018/08/08追記:古角さんがThe Gamersに聞いて下さいまして、やはり補給源ではないということでした。→OCS『Smolensk』補給源問題解決&関東の入門用シナリオAAR (2018/08/08)

 そうすると、この入門シナリオの戦域での補給源はマップ西端しかありません(Lepelの南東に走る鉄道線も全然変換されておらず、使えません)。そうすると司令部が1個しかなく、それを動かすと「7-16」と支給範囲が短くなりますし、次にやってくる司令部は2ターン後です。

 ヴィテブスクには北面から攻撃もできそうですが、多分補給路は南側から引かないといけないと思われるので、そこらへんをうまいこと、補給切れにならないようにしないといけないなぁと思いました。



 ところで、今回セットアップしてみて思ったのが、ソ連軍の配置に割と縦深があるなぁということ。しかしこれでも縦深は足りないのでしょうけども……(『GBII』の初頭など、ソ連軍の後背に何もない空間が割と広がったりしていたので、あの時本当にソ連軍(スターリン)は油断していたのだな、という風にも思いました)。

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OCS『Smolensk』のユニットを切りました

 OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』のユニットを切り終わりました。ただしマーカー類はまだです。


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 いつも角は取っているのですが、今回のカウンターシートはゴミが出やすくて大変でした。

 マーカー類は普段は「すでに切ってあるもの」を使い回しするのですが、『Smolensk』はマップ1枚で色んなところに持っていく可能性も考えて、専用として切ってしまって、一緒に入れておこうと思います。『Smolensk』は分遣連隊の使用できる数も決まっている(使える分だけが同梱のカウンターシートに入っている)ので、そこらへんの意味からも他のものと混ざらないようにした方が良さそうです。



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 ユニットのエラッタが出ていまして、第78歩兵師団と第35歩兵師団の移動モードの能力値が入れ替わってしまっているとのことで、油性マジックで書き換えておきました。

 第78歩兵師団はAR5で移動力も高いのですが、戦車部隊か何かを配属されていたのだとか?(『GBII』にも出てきて、強くて速くて、こういう歩兵師団は1個しかないので貴重です)

 ↓こんなのがありました。

部隊番号[第78]を冠する陸軍師団の編成の推移、および簡単な戦歴についての一考察
東部野戦軍司令部コミュの第78突撃師団


OCSv4.3について、これまでのバージョンからの変更点

 『Smolensk:Barbarossa Derailed』に同梱の新しいバージョンOCSv4.3について和訳作業をしてまして、とりあえずオプションルールの直前まで作業が行きました(つまり通常のルールの部分は一応全部見ました)。

 v4.3における変更点(v4.2からの)については、『Smolensk:Barbarossa Derailed』の枢軸軍用の補助シートの裏にまとめられていたのですが、今回v4.3を総ざらえで見た感じでは、確かにシートにまとめられていた部分(v4.3上で√のマークが付いている箇所)くらいが変更点で、他にはとりたてて変更点がなかったような気がします(気がするだけで、見逃している可能性も大いにありますが)。


 興味のある方々のために、いったんまとめる試みをしてみます(ただし、ミスとか誤解釈とかをしている可能性も付きまといますので、気がつかれたらご指摘いただければ)。


 まず、√が付けられている部分について(補助シートに書かれているのと一緒です)

6.2dと9.3b OCSではヘクスの地形について、「ほんの少しはみ出しているように見える地形でも有効である」ということになっているのですが、v4.3で「都市と村に関してはその例外とする(つまり、ほんの少しはみ出しているだけだったら、そこは都市や村ではない)」ということになりました。

9.12 これまでは「ジグザグに退却はできません」と規定されていたのですが、「ジグザグに退却してもよい」ということになりました。

9.12f 「戦闘開始時に敵のいたヘクスには退却できない」と規定されました。

13.3h 鉄道線の支配について。これは昔のOCSでは「鉄道線を戦闘ユニットで踏んでいく」という作業が必要であったらしいのですが、v4.1とかで「敵戦闘ユニットがいなければ使用できる」に変更されていました。ただこれだと、同じ降車可能ヘクスを両陣営が使えるというおかしなことが起こるような気がしてはいました。それが理由でしょうか、v4.3では「戦闘ユニットで踏む」+「前線の場所から常識的に判断する」に変更されました。

14.5 戦闘機による迎撃について。これはv4.1aからv4.2に変わった時に、「迎撃に成功した戦闘機は活動状態のままではあるけども、同じフェイズ中にもう迎撃はできないよ」と変更されていたらしいのですが(知りませんでした(^_^;)、v4.1aと同じ「迎撃で勝っている限り何度でも迎撃できる」に戻されたらしいです。

18.1c 上陸用舟艇が河口ヘクスにも入れることになりました。しかも、どんな河口ヘクスにでも入れる(陸地で完全に海から隔離されているように見えても)のだそうです。もちろんワープができるわけではないでしょうから、その河口ヘクスの隣のヘクスまでは普通に全海ヘクスとか海岸ヘクスを移動してきて、それで隣の河口ヘクスへ、間のヘクスサイドが全部陸地になっていても、入れる、ということなのでしょう。

18.5g 戦闘ユニット1個だけを荷降ろしするならば港湾能力を超過できる、の件が、揚陸(ALT)においてもそうであることが明確にされました。つまりは、(海上輸送ではなく)上陸用舟艇に積んだ状態で港湾に来ましたよ~、でも1個だけなら港湾能力を超えていても荷降ろしできるし、海上輸送でこのターンここの港湾能力使わないから、荷降ろししちゃえ~、となったら、その時には揚陸結果表でダイスを振らなくてもいいから、損害出る気遣いはないよね、ということだと思われます。

18.5h 揚陸した後、ユニットは半分の移動力で移動できるのですが、DUKWが輸送ユニットに変換されたものに関しては「半分」じゃなくて、「(DUKWにおける移動ルールである)それまでに使った移動力の残り(の割合分)」が使える、ということが明確にされたっぽいです。つまり、DUKWに関しては「揚陸」のルールより「DUKW」のルールの方が強いということが明確にされたということでしょうか。

19.0d 港湾を修復できるのは移動フェイズ中のみであるということが明確にされました。





 次に、統合エラッタに載っているv4.3の明確化&エラッタ(2018/7/1)からも。ただこれは、「変更」というよりは「今までもそうだったのだけど、明確化しました」ということなのかとも思われますが。


10.0c 航空ユニットのみが航空阻止のための砲爆撃を実行できます(砲兵や艦船ユニットは実行できません)。
 ↑
 我々のプレイでは航空阻止(鉄道妨害)は航空ユニットばかりでやっていた気はするのですが、しかし砲兵でやろうとしたことがあったのかなぁ……。でも砲兵でやるとなるとSPがかかるし、砲兵の砲爆撃力が高すぎるしで、現実的ではなかったような気もします。


12.5c(B) 独立ユニットが移動のためのこの「フリーの燃料」を得るためには、フェイズ毎に【訳注:給油状態マーカーを載せた司令部の】支給範囲内にいるのでなければなりません。また、12.3b(D)のため、そもそも給油状態マーカーを載せる時に消費するSPは、その司令部が直接受給の形でSPを使ったのでなければなりません。
 ↑
 前半部分に関しては過去に論争してまして、「まあそうなのだろうなぁ」ということにはなっていたのですが、後半部分に関しては意識してなかったような気がします。尤も、「司令部Aが司令部Bに支給して、司令部Bが支給範囲内に支給する」はアウトだという規定から考えれば、当たり前ではあります。実際、給油状態マーカーを載せる時点ではこれはやってないでしょうから基本的には大丈夫だったと思いますが、しかし「給油状態マーカーを載せる時点では独立ユニットに燃料入れ(られ)ないけど、その後の突破フェイズに燃料入れるためだけに、今この司令部Bに、司令部Aから1SP払うよ」ということは考えられなくはなかったかもですね。





 さらに、「変更点」というほどではないのだけども、個人的に「おおっ」と思った部分や、良く分からない部分。

12.5c 燃料を入れる方式に名前が付けられていました。曰く、「フォーメーション方式」「司令部方式」「個別ユニット方式」。今までは「複数ユニットフォーメーション毎に1SP」とかって言っていた(言ってなかったような気もしますが(^_^;)ので、分かりやすくなったような気はします。

13.3d 鉄道末端マーカーの話の箇所で、「(The flip-sides are marked Wrong Gauge to help mark complex junctions.)」という括弧内の文章が出てきます。誤読かもしれませんが、大略「(鉄道末端マーカーの)裏面は、複雑な分岐点で、変換されていない(ドイツ軍側のゲージではない)ことを表すために使用できます。」という意味かなと。しかし、鉄道末端マーカーの裏面は通常、全部が航空阻止(鉄道妨害)マーカーであって、そんな使用法はできないように思われるのです。

 ただ、OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』到着しました (2018/07/12)でも書いていましたが、『Smolensk:Barbarossa Derailed』のシート3に付いている鉄道末端マーカーの半分は、裏面が「鉄道+禁止マーク」になっています。

unit00250.jpg

 もしかしたらこれが、「鉄道線がドイツ軍ゲージではないですよ」を示すマーカーなのでしょうか?(鉄道末端マーカーは、「ここまでがドイツ軍のゲージです」という使い方をするように指示がされているので) 『Smolensk:Barbarossa Derailed』に同梱されている汎用マーカーシートのバージョンは「OCSv4.2 Markers」となっていて、鉄道末端マーカーの裏面はすべて航空阻止(鉄道妨害)マーカーですが、将来的に「OCSv4.3 Markers」が同梱されるようになったら、鉄道末端マーカーの一部は裏面が「鉄道+禁止マーク」にされるのだとか……?


20.0 分遣連隊 の項に、太字で「“機甲”あるいは“機械化”(3.2a)の複数ステップユニットは分遣連隊を分派あるいは吸収することができません。“その他”タイプのユニットだけがそれらを行えます。」とありました(√はなし)。

 私はこれを見て「ええっ、そうなの?!」とびっくりしました。それができないとは思ってなかったので。

 たとえば、↓こんなユニットが『Guderian's Blitzkrieg II』には入っています。

unit00251.jpg

 兵科マークが赤色で塗られているのは機械化タイプの歩兵師団です。こいつらは平地で攻撃する時には戦闘力が2倍(あるいは1.5倍)になるのですごいのですが、これらが分遣連隊を出せないのだとは認識してませんでした。

 『Smolensk:Barbarossa Derailed』にもそういう歩兵師団、のみならず、複数ステップを持った戦車師団が大量に入っています。

unit00253.jpg

 ソ連軍が分遣連隊を出すためには、元のユニットのARが2以上でないとそもそも分遣連隊ユニットがないので、ダメですが、ステップを持っていてARが2以上なら分遣連隊が出せると思ってしまうところでした。

 『Smolensk:Barbarossa Derailed』のユニットを見ていてさらに気付いたのが、ステップ数(兵科マークの左側の黄色い○の中の数字)が①と書かれているユニットがあること。上の画像の左上の方とか、あるいは騎兵師団なんかがそうです。

unit00254.jpg

 しかし、今まではステップが1しかないユニットに①が付けられていたことなどなく、②以上のユニットにしか付いてなかったように思います。

 ↓『GBII』でもやはり騎兵師団に付いていません。

unit00252.jpg


 しかし見ていると、『Smolensk:Barbarossa Derailed』では師団規模のユニットには必ずこの数字が付けられるようになっていることから考えて、師団規模のユニットには必ず付けるようにしようということになったのかもしれません。




 ……という感じです。

 v4.3は、言い換えや順番の入れ替えは大量にあり、また分かりやすくもなって改善された感もありましたが、実質的なルールの変更点がそんなに多かったわけではなかったのに全ての文章を見直して和訳改訂作業をやるのは、目新しいことがなくて脳がマンネリを感じていたのか、作業中眠くてすぐ気が散ってしょうがなかったです(^_^;(先日読んでいた『脳はなにかと言い訳する』の中に、脳にはマンネリが非常によくないらしい、とあって、「なるほど」と思いました)

 ただこの後、オプションルールやハウスルールが出てきて、それらは(v4.2のを見ていた感じでも)結構面白そうなものがいっぱいあったので、そちらはマンネリにならずに楽しく作業ができるのではないかと思っています。


 あと、v4.3の和訳ルールを作るにあたって、訳語も色々改善しようと思ってます。非公式エラッタも含めて、「OCSの物置2」の中の「v4.3について」にまとめてあります。

 訳語変更は、以下の感じで考えて作業してます。

・「鉄道妨害」(Trainbusting)は「航空阻止」に。
・「弾薬」(Internal Stocks)は「内部備蓄」に。「弾薬減少」(Low Internal Stocks)は「備蓄減少」に。「弾薬欠乏」(Exhausted Internal Stocks)は「備蓄欠乏」に。
・「収容力」(Port Capacity)は「港湾能力」に。
・「鉄道修理」(Rail Repair)は「鉄道工兵」に。
・「パラシュート」(Parachute)は「空挺」に。
・「鉄道終点」(Railhead)は「鉄道末端」に。
・エクステンダーの「崩壊」(Collapse)は「解散」に。
・「盤上補給」(On-map supply)は「マップ上の補給カウンター」に。
・「汎用的な補給集積所」(Generic Supply Dumps)は「補給集積所マーカー」に。
・「燃料マーカー」(Fuel Marker)は「給油状態マーカー」に。
・「補給ポイントからの一般補給」(eat off the map)は「補給ポイントによる一般補給」に。
・「全滅ユニットボックス」(Dead Pile)は「デッドパイル」に。
・「積み荷」(Cargo)は「積載物」に。
・「積載状態」(Full)は「満載状態」に(「積載状態」という用語だと1Tだけを積んでいるのかもしれないので、それがFull状態を示している限りは「満載状態」と表記することにするということ)
・分遣連隊の「統合」(absorb)は「吸収」に(「統合」では13.9 Unit Consolidationの「統合」と区別が付かないため)


『ブラッドランド』:戦前に約350万人(以上)を大虐殺していたスターリン

 『ブラッドランド 上』を読み進めてます。

最近買った本『ブラッドランド』『枢軸の絆』『世界史を動かした脳の病気』など (2018/05/30)


 上巻の半分くらいまで進みましたが、そこまでで主に語られていたのは1933年を中心として、スターリンがウクライナの農民を飢餓に追いやって約330万人を餓死に追いこんだことでした。

 そもそもなぜそんなことをしなければならなかったかなのですが、スターリンの5カ年計画や集団農場政策がうまくいかない*1中で、中央ロシアとは違った民族風土で大集団のウクライナの農民達はそれに抵抗し、元々収奪先だと考えられていたウクライナに対して「思い知らせる」意味でもスターリンはそこに過酷な徴集*2を上積みした。そしたら大量餓死が起こり始めたが、スターリン(ら)はそれを「飢え死にしかけている農民は……ソ連の信用失墜をもくろむ資本主義国の手先として働く工作員である(P86)」と解釈し、「1932年の末、国外からの脅威も国内からの抵抗もなく、みずからの支配の必然性を正当化する論議しか出てこない状況下、スターリンはソヴィエト・ウクライナの数百万人を見殺しにする道を選んだ。悪意の塊と化し、なぜかウクライナ農民は加害者で、自分が被害者であると断言した。(P88)」と……。

 個人政治[独裁政治]の達人であったスターリンは、ウクライナ飢饉を個人的に解釈してみせた。……彼にしてみれば、集団化政策のせいだという可能性が浮かびあがるのはがまんならなかったのだ。責められるべきは……断じてコンセプトそのものであってはならない。1932年前半の改革を推進するにあたってスターリンが問題視したのは、人民の苦しみではなく、集団化政策のイメージ低下を招く恐れがあったことだ。彼はこう不満を述べた。腹を空かせたウクライナ農民が故郷を離れてほかの共和国へ行き、「めそめそ泣いてみせて」ソヴィエト国民を混乱させている、と。
『ブラッドランド 上』P77



*1:ソ連国内の至るところで失敗していたそうですが、特に印象に残ったのは、スターリンが特に入れ込んでいた運河の掘削のために「ときには割れた陶器のかけらを使い、あるいは素手で、21ヵ月をかけて凍土を掘り進めていった。疲労や病気のために、何千人もの人が水のない運河の底で息絶えた。しかし1933年にこの運河が完成すると、実際はほとんど水運の役に立たないことがわかった。(P66)」という話でした。

*2:

 若い法執行者には熱心な者が多かった。彼らはソ連の新しい学校で教育を受け、新しい政治体制の可能性を信じていた。……罪悪感の裏返しか、勝利感からか、彼らは行く先々で農民たちに屈辱を味わわせるようなことをした。……ひとり暮らしの女性たちは穀物徴発という名目で夜間に強姦されるのがあたりまえになっていた。……スターリンの法と彼の国の勝利とは、そんなものだったのだ。
『ブラッドランド 上』P84




 ウクライナ飢饉の様子は様々に描かれていますが、特にここの部分。

 国家警察であるOGPU【後のNKVDやKGBのようなもの】さえ、ソヴィエト・ウクライナの「家庭では、もっとも弱い者 - たいていは子供 - を殺してその肉を食べていた」という記録を残すはめになった。数え切れないほど多くの親がわが子を殺して食べ、その後自分も結局は餓死した。……
 ……心正しい人が先に死んだ。盗みもせず、体を売りもせず、ほかの人に食べ物を分け与えた人が亡くなった。死体を食べることを拒み、同胞を殺すことを拒否した人が命を落とした。人を食うことに抵抗した親は子供より先にこの世を去った。……
 ……
 両親が自分たちの死後は遺体を食べてくれと子供に頼んでいたケースもあった。「母さんは、わたしが死んだらこの体をお食べと言ってたんだ」と、きょうだいに告げるはめになった子はひとりやふたりではない。子の行く末を案じた親の愛だったのである。
『ブラッドランド 上』P100~102



 その結果、ウクライナでは多くの農民が、他国がソ連を侵略して自分たちを苦しみから解放してくれないかと願っていたそうです。

 その後もスターリンは国内で次々に粛清(特に民族的粛清)を繰り返しますが、その手法は地域毎に粛清すべき人数の割り当てがまずあり、現地の担当者は忠誠を示すために割り当てよりも多めに処刑するということで、拷問により自白させてどんどん処刑していくというもの。しかしこのそれらの自白の報告などを読むにつけスターリンは「実際に国内に敵がいるのであり、それを処刑できている」という精神の高揚を感じると共に、自分の息のかかっていなかった上層部をも処刑して自分の意のままになる人物を上層に据えることによって、独裁体制をほぼ完全なものとすることに成功していったと……。

 一方で、ヨーロッパでは(もちろん世界中でも)この飢饉や粛清についてほとんどまったく何も知られていなかったそうで、むしろ当時ドイツでナチスが様々な暴力的手段も使いながら勢力を拡大するのに危機感を抱き、スターリンのソ連を味方としてなんとかナチスを抑えられないかと思っていたという状況だったそうです。1938年11月の水晶の夜事件でドイツで数百人のユダヤ人が殺され、多くのヨーロッパ人がこれを野蛮さの表れとみたが、同時期のスターリンによる民族的大粛清の犠牲者数は25万名近くにのぼっており、この中には数千人のユダヤ人も含まれていたので、

 1938年末の時点では、ソ連で民族的背景を理由に殺害された人の数は、ナチス・ドイツの約1000倍にも達していた。さらに言えば、このときにはソ連のほうがはるかに多くのユダヤ人を殺していたのだ。
『ブラッドランド 上』P186



 以前私は東部戦線のナチス・ドイツ軍兵士の蛮行や残虐性について (2017/07/17)の中で、ウクライナでドイツ軍兵士がいかにウクライナ人をひどく扱ったかという話を書いてましたが、それ以前にウクライナ人達はスターリンによってもっとひどい目にあっていたわけです。

 1930年代のうちにこのこと(ウクライナで約330万人が餓死させられ、その後ソ連国内で約25万人が民族的粛清を受けていたこと)がちゃんといくらかでも知られていたならば……!? いや、今でも(日本では?)知られてないような。『ブラッドランド』は世界30カ国でベストセラーになったそうですが、これは本当に、もっと知られるべき歴史だと思いました。


 それにつけても思うのは、スターリンとかヒトラーとかの、「自分が正しい」といくらでも強引に解釈する/できる/勝手にしてしまっている脳の働きです。

 私は20代前半の頃からポパーに私淑して、「そもそも正しい考え方などというものは原理的にあり得ないのだから、そのことを皆が知れば、色々な不毛な対立が解消してよりよい世界にできるのではないか」とずっと考えてたんですが、ここ1、2年で、「そもそも人間の脳自体が、自分が正しいと考えるようにできているし、自分が正しいと言い続ける人を信じるようにできている。そして、自分が絶対正しいと考える人の方が、自分が絶対正しいわけではないと考える人よりも、チャンスをものにし、人を傷つけてでも高い地位と大きな収入を手に入れる(ただし、時に大コケもする)。それが進化的に安定な状態なのだ。」ということが分かってきました(「そんなの当たり前じゃん」と仰る人もいることでしょうが、私は本当に分かってませんでした)。

 ちなみに、最初にリンクしたエントリで書いていた『悪いヤツほど出世する』ですが、中身はやはり、「実際に成功した人を調べてみると、ほとんど人徳の欠片もないような人が大成功しているよ」というような話で、ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、ジェフ・ベゾス(Amazonの創業者)らの下で働いていた人達は「地獄のような恐怖に日々怯えながら働いていた」そうです。

 特に最近、Amazonの倉庫で働いている人達の労働環境がものすごく劣悪で、一方でベゾスは手に入れた莫大な私産を湯水の如く消費しているとか(今まで読んだ本ではベゾスは消費者のことを本当に良く考えている……という文脈のものが多かったのですが、自社の底辺労働者の人権は全く無視しているということでしょうか)で、ヨーロッパでは人権問題的にAmazon不買運動が起こったりしたそうです。私もAmazonにはお世話になり、商品へのリンクも貼ってますが、不買運動に加わった方がいいのかなぁ……と悩んだり(とりあえずは、洋書は紀伊國屋書店ウェブストアで買うとか……?)。

 ですが、非人道的だからダメだとかでなく、むしろそういう人が実際のところ成功しているわけです。ヒトラーは最後はダメでしたが、前半生から考えればまったく信じがたいほど成功したと言えるでしょう。スターリンは最後まで成功したままだったと言えるでしょう(死後批判されましたが、昨今はまた人気が戻っているそうです)。チャーチルもインドで約300万人を餓死させました(→インド人300万人を死に追いやったチャーチルvs.ウェーヴェル将軍の戦い (2018/05/13) )し、(戦後すぐ失脚しましたが)ノーベル賞もとりましたし、最近も誉める映画が作られていたようです(見てないのですが、映画の中で毀誉褒貶両方あったのでしょうか?)。


 とりあえず、世界を、偏ることなく、バランスを常にチェックしながら考えていきたいと思っています。
(というか、↑それが不可能だというのが脳生理学の知見なんだということでもあるのでしょうが(^_^;)

ドイツ軍(陸軍)は自存本能のために自ら墓穴を掘ったのかもしれない?

 ボードゲームが付録に付いたことで話題になっている『歴史群像』の最新号を少しずつ読み進めています。





 個人的に、「ドイツ陸軍とバルバロッサ作戦」という記事が非常に興味深かったです。

 内容としては、「ヒトラーは対仏戦終了後、次の対英戦のために海軍と空軍を増強して、陸軍は現有の120個師団を35個師団に減らす、という考えを持っていた。これに危機感を抱いた陸軍は自らの存在意義を増させるために独自に対ソ戦の準備に取りかかり、兵力を東方に移したり増員をはかったりした。対ソ戦は容易に勝てるという陸軍の説明でヒトラーは対ソ戦に踏み切り、また陸軍の意向に譲歩してタイフーン作戦も認可した。しかしそれらがうまく行かず、ヒトラー自らが陸軍の総指揮を執るようになったが、ここでやっとヒトラーは今まで自分が陸軍に担がれていたことに気付いたのかもしれない。」という感じで、私は「それでヒトラーが総指揮を執ったソ連軍冬期反攻に対する戦いで、固守命令がうまくいった*1と思ったヒトラーが、この後は陸軍の将軍は全部バカ*2だと思って、自分の意見を通そうとするのは当たり前だなぁ」と思いました(^_^;

*1:固守命令が良かったのではなくて、スターリンの反撃命令が当時のソ連軍の実力を越えていたかららしいですが。
*2:マンシュタインあたりは別格なんだと思いますけども。



 いや、それよりも。ドイツ陸軍は、自存本能とも言うべきもののために、わざわざ自ら対ソ戦を用意した、という側面がある(それだけで対ソ戦が始まったわけではないでしょうから)、というのが興味深かったです。グデーリアンもこれに一枚噛んでいたとか……。

 一説に過ぎないかもですが、今後そこらへんを扱った記事とか本とかが読めるとまたいいなと思いました。


 で、以前書いてました『ブラッドランド』も読んでいってるんですが、そこにもドイツ軍が自存本能により事態を悪化させた(かもしれない)件が書かれていました。

 【突撃隊の指導者であった】レームはまた、ヒトラーのドイツ軍再建計画にそぐわない野心をもいだいていた。彼はみずからが組織した突撃隊のほうが軍よりもナチスの精神をよく反映していると考え、ドイツ軍を自分の指揮下に置きたいと思っていたのだ。突撃隊の成員は300万人で、ヴェルサイユ条約がドイツ軍に許した兵力10万をはるかに越えていた。
 ……レームの処刑により、軍最高司令部はヒトラーに借りができた。……ヒトラーが突撃隊を使って軍を支配するつもりはなく、軍そのものの再建を計画しているのだとわかったとたん、事態は急速に変化した。数週間後にヒンデンブルク大統領が死去すると、軍はヒトラーの国家元首昇格を支持した。
『ブラッドランド 上』P137~9



 レームとかって第二次世界大戦が始まる前の人物ですから良く知らなかったのですが、水木しげるの『劇画ヒットラー』は戦争前に重点があって、人物像が非常に分かりやすく描かれているのでようやく頭に入ってきた感があります。





 ともかくも、ドイツ軍(陸軍)が自存に関する危機意識を持ち、それに対抗するために自ら墓穴を掘っていったのかもしれない可能性に関して、旧日本軍にもそういうことが確かあったのをどこかで読んだ(あるいはテレビで見た)ような……。

 やむを得ないんでしょうけどもね~。

ウジェーヌがエジプト遠征の時に買った女奴隷の話

 承前、ナポレオンの義理の息子(ジョセフィーヌの連れ子)のウジェーヌ将軍の件ですが、以前のエントリで「どこで読んだか分からない」と書いていた、ウジェーヌがエジプト遠征の時に買った女奴隷の件がどこに書いてあるのかを見つけました。


Andrea Appiani 003

 ↑1800年代のウジェーヌ・ド・ボーアルネ(Wikipediaから)


 「ナポレオニック雑文集」の中の、≪エジプト遠征軍ハーレム事情≫という記事です。

 リンクしましたが、ウジェーヌのくだりだけ引用します。

ウージェーヌも女奴隷を買っており、彼女を金銀宝石で飾り立てていました。Bernoyerによるとウージェーヌは以前、(パリでは)ジョゼフィーヌは自分が何をしてもとがめなかったし、(エジプトでは)ボナパルト将軍は何の仕事も与えてくれない、と言ってこぼしたことがあったそうです。Bernoyerによると、ウージェーヌはパリとつながりのある商人から一万フランを借りたそうです。Bernoyerが、自分も女奴隷を買うところだったと言うと、ウージェーヌはこう答えました「ムシュー、今まででこんなに有意義な散財をしたことはありません。すでに6,000フランを費やして彼女を女王様のように飾り立てました。どうにもならないくらい惚れているんです。彼女の奥ゆかしい心栄えと明朗な人柄のおかげで、涸れることのない楽しみの泉を見つけることができたのです」



 当時の1フランが何円くらいなのか気になりますが、検索したところYahoo! 知恵袋で「レ・ミゼラブルの頃の1フランは2000円くらい」とあるのを見つけました。とすると、ウジェーヌがその女奴隷の娘にかけたお金は1200万円くらいだということになります。うおお(^_^;

 現代日本のスマホアプリゲームでは、1つの衣装欲しさに70万円くらい課金するという話は聞いたことがあって(『デレステ』の例。ガチャでゲットするので、宝くじと同じようなものなのです)、ウジェーヌの件もそれに似た感じかなと思ったりしていたのですが、しかし桁が違った(^_^;

 あ、尤も、私も『Blade&Soul』というゲームで、800円~2500円くらいの衣装を何着も課金して買ってます(→4k:Blade&Soul)ので、桁は全然違いますが、似たようなものかもしれません(*^_^*)(ただし私は、絶対にガチャ系の衣装には手を出さないと決めていて、ゲットしているのは無料か、定額出せば手に入るものだけで、衣装に使った総額は2~3万くらいじゃないかと……)


 『Napoleon and his adopted son: Eugene de Beauharnais and his relations with the emperor』でそこらへん書かれているかどうかちょっと見てみようかなと思ったんですが、ちと探すのが面倒そうなのでやめておきました。ただ、見出しだけ見ている限りでは、「ウジェーヌの初恋」という見出しがあってそれはエジプト遠征より後の時代なので、この女奴隷の件は書かれていないか、あるいは書かれていたとしても恋ではないという扱いなのでしょう。

 バイエルン王女アウグステの結婚の件はすぐに場所が特定できそうだったのでちょっと目を通してみたのですが、アウグステにすでに婚約者がいたのに、という件が数ページにわたって書いてあり、ウジェーヌの髭の件がちらっと。で、アウグステと初めて会った時ですが、「その時のウジェーヌの感想については何も残っていない。だが、ウジェーヌに関して書いた歴史家はいずれも、この時ウジェーヌはアウグステに一目惚れしたと書いており、しかもそれは永続的な愛情となった」という風に書かれていました。

 で、アウグステ側がどう思ったかについて探してみたのですが、なんかぱっと見つけることができなかったので、とりあえず諦めました(^_^;

『ナポレオンとバイエルン』から、ウジェーヌについて

 承前、『ナポレオンとバイエルン』から、ウジェーヌについても。

 なぜ『ナポレオンとバイエルン』にウジェーヌの話が出てくるのかといいますと、ウジェーヌはナポレオンによる政略結婚で、バイエルンの王女アウグステと結婚したからです。


Auguste Amalia Ludovika von Bayern1

 ↑ウジェーヌの妻アウグステ(Wikipediaから)


 この政略結婚の最初の知らせについては、このように書かれています。時期的にはアウステルリッツの戦いの少し後ということになります。

 【1805年の】クリスマスの夜、皇帝の官房長官デュロックがナポレオンの手紙を持って到着した。それには単刀直入にアウグステを義理の息子【ウジェーヌのこと】の嫁に欲しいとあった。【バイエルン国王】マックス・ヨーゼフは直ちに病気になり、こともあろうに父として願う手紙を【息子の】ルートヴィヒに持たせてアウグステのところにやった。その中で彼は、国の未来の邪魔をしないで欲しいと懇願した。アウグステは自分を抑え、了承した。
「愛する父の安寧と国民の幸せがそれに懸かっているのなら、どんなことでも我慢します。
しかしウジェーヌ皇太子が和約を結び、イタリア王として承認されるまでは、手を与えません。私は自分の運命を貴方に託します。でもそれがどんなに酷いことであっても、私は祖国のために犠牲になったのだという思いがそれを和らげてくれるでしょう…」。
 王女よりももっと打ちひしがれていたのは母のカロリーネで、その心臓はジョゼフィーヌの「血筋の悪さ」と「我々の運命を決める暴君の専政」への「怒りのために締め付けられた」。
『ナポレオンとバイエルン』P122



 しかしそれから2週間くらいした1806年1月8日頃に、ナポレオンは(バイエルンのどこかで?)アウグステの母カロリーネと会い、「好意的な印象を与えることに成功した」そうです(P125)。

 日時不明ですが、その日か次の日かぐらいに?ナポレオンはアウグステと初めて会いました。

 その間に婚礼の最後の準備が進められていた。ナポレオンがミュンヘンに到着して数時間後にアウグステ・アマリエが紹介された。皇帝は王女の美しさに感銘し、義理の息子ウジェーヌに彼を待っている運命についてついに説明することにした。「私はミュンヘンに到着してお前と王女アウグステとの結婚をまとめた。このことは公表された。今朝王女は私を訪ねた。かなり長時間私は彼女と話をした。彼女は大変美しい。彼女の絵が同封の皿に描かれているが、実物はもっと良く見える」。
『ナポレオンとバイエルン』P126



 この書き方からすると、ナポレオンはこの時点ではまだウジェーヌに、アウグステとの政略結婚の件を伝えていなかったようです。ところがその1日か2日後とみられる1月10日にウジェーヌはミュンヘンに入り、13日には結婚式を挙げるのです(はやっ! ものすごく急いでいた印象を受けますが、どうなんでしょう)。ということは、さすがにまったく何も知らせてないということはなく、「ミュンヘンに来るように」という命令は出し、また「何らかの王家と政略結婚することになるだろう」ということは伝えてあったんでしょうかね?

 ウジェーヌとアウグステが会うと、二人はすぐに惹かれ合ったようです。

 【1806年】1月10日ウジェーヌはミュンヘンに入った。彼がイタリアで伸ばしていた口ひげはたちまちナポレオンの不興を買い、ウジェーヌは花嫁に見せる前に床屋に送り込まれた。あらゆる騒ぎをものともせず、アウグステとウジェーヌは急速にお互いが気に入り、この結婚が間違いなく幸せなものになるだろうと思われた。
『ナポレオンとバイエルン』P127



 口ひげの件がカワイイです(^_^;

 Wikipediaによると夫婦仲は円満で7子が生まれました。

 その後のウジェーヌについて、『ナポレオンとバイエルン』から。

 しかしすぐあとにナポレオンを見捨てたミュラと違って、ウジェーヌは類い稀な無私の純潔さを示した。
『ナポレオンとバイエルン』P289

 彼は妹のオルタンスと同様にナポレオンの忠実な支持者であり、ボナパルト派と連絡を取っていたにもかかわらず、常に控えめな態度を取ったが、それは彼の舅に対する忠誠心がそうさせた。
 ……
 それ【ナポレオンの死】から3年も経たない1824年2月21日ウジェーヌはミュンヘンの宮殿で心臓発作のため死んだ。……墓の上の扉の上には実際に彼の生涯をよく表しているウジェーヌのモットー"Honneur et Fidelite"「栄誉と誠実」と書かれている。
『ナポレオンとバイエルン』P309



 日本版Wikipedia「ウジェーヌ・ド・ボアルネ」によると、こうあります。

ウジェーヌ・ド・ボアルネは1824年2月21日、ミュンヘンにて脳卒中のため42歳で没した。彼の葬儀は荘厳に行われ、義父であるバイエルン王は個人的に喪に服した。彼の性格、そして知性に率直に魅了されていた妻オギュスタ=アメリーの家族とバイエルン国民は、心から彼の死を嘆いた。彼の子供たちのそれぞれの結婚によって、ウジェーヌはノルウェー、スウェーデン、デンマーク、ギリシャの各王家の先祖となっている。




 ウジェーヌに関しては、その高い評価に関して何回か書いてましたが、ますます興味を持ちます。

ウジェーヌへの高い評価、他 (2015/07/11)
『歴史群像 No.147』 ヨハン大公とウジェーヌが素晴らしい! (2018/02/15)


 ウジェーヌに関して英語で読める伝記は、『Napoleon and his adopted son: Eugene de Beauharnais and his relations with the emperor』というのがあるようで、1917年出版の本で、Internet Archiveで読めるようです(Amazonでペーパーバックになったやつを買うこともできます)。

『Napoleon and his adopted son: Eugene de Beauharnais and his relations with the emperor』




 ↑複数ありますが、一番原典に忠実そうなもの(ペーパーバック版では一番値段が高い)。

 買うかどうか悩むところですが、Web上で見出しだけ見てるとかなりワクワクするので、買ってみようと思います(本になっている方が読みやすいので)。本文はやはり、見出しほど読みやすい英文ではないようですが……。

『ナポレオンとバイエルン』から、ヴレーデ元帥について

 もう1年半も前に買っていた『ナポレオンとバイエルン』という本をようやく読了しました。




 横長でけっこう重さがあり、持ち運んで読むのが非常にやりにくい形の本でもあったので……それで、最近年のせいか夜中に目が覚めるのですが、その時に寝付くためにキリン・ザ・ストロング ハードコーラを飲みながら読み進めてました。




 この本、ナポレオン時代のバイエルンについて書いてあるわけですが、1809年戦役でバイエルンが戦場になっている辺りは軍事的な記述が詳しく、また巻末にはバイエルンにナポレオンが来た時に庶民とかがそれを見に寄せた時の話とかが詳しく書かれていて興味深かったです。

 バイエルン軍の最高司令官的な人物はヴレーデ将軍(のちに元帥)という人で、以前、フェルトヘルンハレに顕彰されたヴレーデ元帥というエントリにある程度調べて書いてましたが、『ナポレオンとバイエルン』にも出てきて活躍するので、その人物像に関する記述を拾い抜きしようと思います。

 まず、フランスの配下という状態にあったバイエルン時代のヴレーデについて。

 ヴレーデはその並外れた行動意欲によってフランス軍の注目を浴びていたが、決戦の間ナポレオンの大陸軍の背後を守るように命じられていた。一日中続く執拗な小競り合いになったあと、12月5日孤立しているバイエルン軍は遙かに優勢なフェルディナント大公率いるオーストリア軍のボヘミア隊に攻撃され、必死の抵抗のあと押し返した。バイエルン軍は今回の出兵でかけ離れて多い、ほぼ1000名を失った。
『ナポレオンとバイエルン』P100

 ……ナポレオンが高く評価しているヴレーデ……
『ナポレオンとバイエルン』P203

 【バイエルンで嫌われていたルフェーヴル元帥に関して】ヴレーデだけは皇帝に好かれていたので自説を主張した。
『ナポレオンとバイエルン』P238


 これらによるとヴレーデはナポレオンから高く評価され、好かれていたようです。その理由については明示されてないんですが、「その並外れた行動意欲」ともあった部分がその理由かもしれないと個人的に思います。というのは、この本にはナポレオンとカール大公の差異についてこんな記述があったりするのです。

「積極的に、積極的に、速く」とナポレオンはあの日のマッセナ元帥宛の命令に書いた。これは軍が多分に持っている特性であるが、これを動かし、導くことが必要で、それをナポレオンは誰よりもよく知っていた。カール大公はこのような呼びかけをほとんど利用しなかった。というのは単にそれに必要な性格を持ち合わせていなかっただけでなく、また彼の個人的な能力が彼の軍の欠点を補うのにあまり適していなかったからである。
『ナポレオンとバイエルン』P213



 別の本ですが、『Blundering to Glory:Napoleon's Military Campaigns』という本(の前書き)には、ナポレオンはワーカホリック(仕事中毒)であるという特性があり、その恐るべき行動力によって、戦役前にあらゆる情報を取得し、考え抜いておくということをしていたし、また戦役の途中で自分の失敗が分かっても、それをまた恐るべき行動力によって帳消しにし、大勝利に繋げることができた……というようなことが書いてありました。

 ナポレオンがそのような特徴を持ち、またその特徴を大事なものだと考えていたならば、似たような傾向を持っていた(かもしれない)ヴレーデをナポレオンは高く評価し、好んでいた可能性があるのかも……(尤も、よく指摘されているように、ナポレオンは麾下の元帥達を単に自分の命令を遂行するだけのロボットのように扱い、独自の判断力を殺していった……という話もありますが)




 しかしナポレオンによってバイエルン(軍)が理不尽な扱いを受けまくり、ヴレーデは反ナポレオン感情を増大させていき、バイエルンの反ナポレオン派においても最も行動的な人物となりました。

 モンジュラが裏で用心深く動いている一方で、ヴレーデは大臣の了解のもとに非常に活発な推進役を務め、独断の危険にもひるまなかった。かれは反ナポレオン陣営の代弁者となり、これによって王太子の変わらない賞賛と感謝を獲得した。イン川にある彼の司令部は時にはオーストリアとの交渉使節となった。
『ナポレオンとバイエルン』P274

 ヴレーデの指導力のお陰でバイエルンは軍事的決着が付く前にナポレオンと訣別した唯一のライン連邦国であった。
『ナポレオンとバイエルン』P285

 こうしてヴレーデは【ハーナウ会戦のあった1813年】10月末に完全に孤立した状態で、ハーナウでライン川への退却を防ぐためにナポレオンの主軍に立ちはだかることになった。戦いの中に身を置いてやっと現実の状況が明らかとなった。ヴレーデはどんなことがあってもこの会戦に勝とうと奮戦した。というのも政治的状況が、バイエルンの同盟変更が真剣なものであることの証明を必要としていたからである。「どんな犠牲を払っても、勝って敵を阻止しなければならない」とヴレーデは10月29日に言った。「我々は血を流してでも真剣であることを証明しなければならない新参者である」。
『ナポレオンとバイエルン』P286

 ハーナウの戦闘でバイエルンとオーストリアは合計9000名を失ったが、フランス軍の損失はこれよりもかなり少なかったものの、会戦の前後で約1万名の捕虜を出した。「可哀想なヴレーデよ、私は彼を伯爵にしてやったが、よい司令官にはしてやれなかった」とナポレオンは勝利のあと語ったが、それには明らかにバイエルンの「裏切り」に対する怒りの響きも混じっていた。
 ヴレーデは明らかに敗北したが、会戦の政治的目的を達することができた。同盟国の君主たちが負傷したバイエルンの将軍を見舞いに訪れたことがそれをはっきりと物語っている。ネルトリンゲンの画家ミヒャエル・フォルツがその場面を描いている。ヴレーデは椅子に座って、ロシア皇帝(左)、オーストリア皇帝(中央)、プロイセン国王を迎えている。バイエルンはこれで反ナポレオン同盟の一員として受け入れられ、その後のヨーロッパの平和秩序における居場所を確保したのである。
『ナポレオンとバイエルン』P287

 皇帝の失墜で終わった出兵の結果に関してバイエルンは少なからぬ貢献をした。特にブリエンヌおよびアルシ=シュル=オーブで同盟軍が危うく敗北しそうだったのを救うのに彼らは決定的な働きをした。ヴレーデは主軍の司令官たちの中で最も活動的で、最も攻撃的であった。国王は同年のうちに彼を元帥に任命し、侯爵の爵位を与えた。一方バイエルン軍は4月2日パリに入城し、ブラヴァール・オスピタルをパレードしたが、4月10日にはもう首都を離れてロートリンゲンに向かい、6月に最終的に故郷に向けて行軍したが、ヴレーデはパリに残った。彼は先年リート条約締結の際に素晴らしい働きをしたので、これから同盟変更に伴う領土交渉においても信頼されていた。彼がこの課題に対して選ばれたのは、間違いなく彼が同盟国に対してバイエルンの新しい地位を代表するのに最も信頼できると思われたからであった。
『ナポレオンとバイエルン』P292



 最後の「ヴレーデは主軍の司令官たちの中で最も活動的で、最も攻撃的であった。」という箇所は、(良く知らないながらも)ブリュッヒャーの方が狂ったように攻撃的であったのではないのかな~と思ったりもするのですが、ブリュッヒャーは「主軍」の中の司令官ではない……とか?

 ハーナウの会戦についてはフェルトヘルンハレに顕彰されたヴレーデ元帥でも書いていましたが、そちらでは「ヴレーデごとき」が判断を誤ってナポレオンの前に惨敗したかのようになっていましたが、『ナポレオンとバイエルン』ではヴレーデの必死さが伝わって男泣きできる内容であり、ハーナウの戦いをテーマにしたゲームがあればプレイしたくなってしまう感があります(Vae Victisのゲームがあるようですが、OSGで予定?されているコンポーネントの方がはるかに好みですね……)。


OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』到着しました

 OCSの最新作、『Smolensk:Barbarossa Derailed』が今日うちにも到着しました。


 ↓コンポーネント

unit00248.jpg



Smolensk
 ↑
 すでにこのページで色々見られていたのですが、マップ全体(の詳細)と、あとカウンターの裏面が分かりませんでした。





unit00249.jpg

 ↑
 このゲームではIL.2(シュトルモビク)は1ステップしかない……とすでに公開されていたルールには書いてありましたが、裏面は絵は描いてあるけども名前や能力値は書かれていないものになってました。こういうのは初めて?




unit00250.jpg

 ↑
 『Smolensk:Barbarossa Derailed』では、グデーリアンの第2装甲集団と、ホートの第3装甲集団は作戦境界線を境としてお互いに行き来してはならないということで、第3装甲集団麾下の複数ユニットフォーメーションには細い白帯が描き加えられています。しかも、補給集積所も分けなければいけないということで、汎用マーカーシートにある補給集積所マーカー(燃料マーカーの裏面)に、細い白帯が描き加えられたものがカウンターシート3に入っている……とルールには書いてあったのですが、おおお、確かに入っている……(J、K、L、M、Oのもの)。

 あと気付いたのが、鉄道末端マーカーの裏面の鉄道妨害マーカー(TRAIN BUSTING)なんですが、下半分が鉄道線に禁止マークが付いたやつになっている……?

 ルールを再度確認すると、枢軸軍は占領した都市ヘクスに警備部隊を置いておかないと自動的にパルチザンからの攻撃で「ソ連軍の」鉄道妨害マーカーが置かれるというのがあるので、「(ドイツ軍のでなく)ソ連軍の鉄道妨害マーカー」であるということをはっきりさせるために入っているもの? 多分ですが、今までこういうマーカーはなかったと思うので……。



 和訳のデータ化はかなりの程度やっていたのですが、現物を見るまでは本当に大丈夫かどうか分からなかったので、これから現物を見て電子データと違わないかチェックするつもりです。違いがなければ、最終的な作業にかかれるかと……。


『日本軍とドイツ軍』『「砲兵」から見た世界大戦』読了

 だいぶ前に買っていた、『日本軍とドイツ軍』を読み終わりました。




 第二次世界大戦における日本軍とドイツ軍に焦点を当て、さまざまな観点から比較分析した本です。

 知らないこともいっぱいあって色々参考になりました。が、連合軍側にとっての「ドイツ軍は勝ってしまう可能性があったが、日本軍ははじめから勝つ可能性などないと(アメリカとかに)分析されていたから、まずドイツ軍をなんとかする。ドイツ軍をなんとかすれば、日本軍に勝ち目はそもそもまったくない」という話は、日本人としては悲しくなりますが、しかしそれが現実だったということなんでしょうね……。

 個々の点でもドイツ軍にも色々ダメな点があったけども、日本は輪をかけてダメダメだったケースが多い……というように感じました(もちろん、良かった面も色々とあったとも思いますけども)。



 あと、ワニミさんに頂いていた『「砲兵」から見た世界大戦』も読み終わりました。



 表紙には「真の主役は戦車ではなく、砲兵だった!」と書いてあり、機動戦好きとしては「えっ、そうなの? うーん」と思いながらも読んだんですが、第一次世界大戦と第二次世界大戦の全期間を通じてずっとそうだった、ということではなく、第二次世界大戦の前半は機動戦ドクトリンが(砲兵がない/砲兵がイヤだから)優勢で、しかし途中(エル・アラメインとか)で砲兵戦ドクトリンとその結果の方が優勢になっていく……ということでした。

 個人的には北アフリカ戦について、機動戦ドクトリンが砲兵戦ドクトリンに変わっていき、それに最も早期に気付いたドイツ軍の将軍がロンメル将軍となり、ノルマンディーではおよそ「砂漠の狐」らしからぬことを主張していた……という話は「なるほど……」と思いました。

 世界大戦(陸戦)に興味のある人や、ウォーゲーマー全般にオススメですが、牽引砲とか自走砲の戦術とかの話が多いので、自走砲好きとか戦術級好きな人にとって特にいいのかもしれません。

 個人的に大変興味深かったのですが、他の本でもこういう話は読んでみたいところなんですが参考文献が全然挙げられていないのが残念です(>_<)(『日本軍とドイツ軍』でも砲兵の方が重要だったということは触れられていました。こちらは日本語文献は挙げられているのですが、外国語文献は全然でした)


 「機動戦に強い(と思われる)OCS」のゲーマーとしては、OCSが二次大戦の前半や後半の色々な戦いを扱っていることもあり、機動戦ドクトリンや砲兵戦ドクトリンがどのように再現されているのか、あるいは再現されてないのか?興味のあるところです。


OCSバグラチオンやOCSウクライナが? 他、OCSのこまごま

 OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』がプレオーダーしていた人に届き始めたようで、さとうさんがツィッターで報告しておられます。


https://twitter.com/Chihaya1234/status/1013302806562783232?s=19


 今までの経験からすると、プレオーダーしていた人の間でもゲームの到着にはかなりの時間差があるようなので、たぶん早めにプレオーダーしていた人の所には早く届き、遅めにプレオーダーしていた人の所には遅く届くということなのではないかなと思います。私はだいぶ遅めにプレオーダーした方だと思われるので、まだ結構かかるか……。MMPからは、6/28に「作業開始して、パックしたよ」というメールは来てます。


 『Smolensk:Barbarossa Derailed』なんですが、以前、「final」と銘打ったルールがpdfで公開されていたので、それを元に翻訳しまして、『InDesign』上にも割り振りして、後は現物を見て調整するところまでやっていました。ただ危惧があって、「finalというけど、ホントにfinalなのか?」と。まあfinalじゃないんだろうなぁ……と思っていたんですが、今日、公式のOCSのページを見てみましたらSmokenskのページがあり、そこには案の定、今度は「last」と銘打ったルールが公開されてました。がっでぇーむ。

Smolensk
 ↑「Smolensk Rules (printed file).pdf」と書かれているものをクリックして表示すると、ファイル名自体は「Smolensk Rules (last).pdf」となっているのです。他にもユニットシートとか、色々見られます。

 見てみると、とりあえず2.4 Slow Mobilizationは、finalにはなかったものです。(2018/07/04追記:なかったわけではなく、オプションルールから格上げになったようです) ただ、一応は目視で比較しないとダメだと思うんですよね……。現物が来てから、finailと現物の間で比較した方がいいですかねぇ。



 あと、Series Rules, Charts, Etc.というページには、最新のv4.3ルールやMiscellany(雑録)などがあり、その中の↓には、まるでOCSバグラチオン(フルマップ4枚)やOCSウクライナ(フルマップ4枚)を作るつもりかのような……?(OCSウクライナ=『Hube's Pocket』を包含するという新作『Third Winter』?)

Combo-HP-CB-BG-GBII (3).jpg


 バグラチオン作戦は、ソ連軍版電撃戦という感じで、ぜひOCSでゲーム化して欲しいと思ってます。



 それから、マトリクス表もありました。

OCS Helps 2018.pdf



 v4.3も訳さねばならないでしょうし、できるところから手をつけていこうと思います。

OCS『Guderian's Blitzkrieg II』レッドタイフーン第1ターン

 OCS『Guderian's Blitzkrieg II』の1941年12月5日からの赤軍反攻キャンペーンの第1ターンを、拙宅(尼崎会)でワニミさんと、富山からKさんが来られて一緒にプレイしてました。

 半月ぐらい前にプレイしていたのですが、仕事が忙しくてなどでアップしてませんでした……。



 ↓第1ターン先攻(ソ連軍)終了時のモスクワ北面

unit00242.jpg

 北と南(画像では左と右)からソ連軍が突破、浸透しています。




 ↓同、南方。

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 画像の左上でドイツ軍部隊が包囲されているのと、画像中央あたりでソ連軍の騎兵が2箇所に浸透してます。




 ↓先攻ターン終了時の損害。だいぶドイツ軍側がやられてしまってます。

unit00244.jpg





 ↓第1ターン後攻(ドイツ軍)終了時、モスクワ北面。

unit00245.jpg

 ここのドイツ軍は私が担当しました。ある程度踏み留まって戦うか、救えない部隊は見捨ててガッと下がるか悩んだのですが、後者の策をとってみました。うーん、しかし良くなかったかなぁ……。



 ↓同、モスクワ西方。

unit00246.jpg





 ↓同、南方。

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! VASSALでのオンラインインストも大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

 ブログで書いた物のうち、

 OCS関係の記事は

「OCSの物置2」



 戦史物の記事は

「戦史物の物置」


 で、アクセスしやすいようにカテゴリ毎にまとめてありますのでそちらもどうぞ。

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