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『Endgame at Stalingrad Volume3. Book two December 1942 - Feburary 1943』が来ました

 グランツのスターリングラード三部作(の一部)などを購入・注文しました (2017/04/23) で書いてました三部作第三巻三冊のうちの真ん中の、『Endgame at Stalingrad Volume3. Book two December 1942 - Feburary 1943』が配送されてきました。


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 中をじっくり見てみると、1942年12月のチル川の戦いと冬の嵐作戦から始まって、小土星、鉄環で終わりという構成になってまして、地図はたくさん入ってますが戦闘序列は全然なく、ひたすら文章が続いてます。本文部分だけで608ページ。注釈、参考文献、索引まで含めると744ページでした。

 ちょっと驚いたのが、チル川の戦いについて結構詳しい(P39~85)のと、小土星作戦の記述が、イタリア軍戦区を突破してモロゾフスクとタチンスカヤへと大突破していく主攻勢軸等の部分がP223~245と18ページ分なのに対して、チル川の戦いの戦区であったニジネチルスカヤや、その南西の方向にあるトルモシンの村への攻勢に関してがP245~285と41ページ分もあることでした(『From the Don to the Dnepr: Soviet Offensive Operations, December 1942 - August 1943』とあまり重複しないようになっているのかも)。


 ↓『Enemy at the Gates』から。一番右下の矢印の右側がその戦区で、ドイツ軍司令部のいるヘクスがトルモシン。

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 上記写真のプレイでは、そのチル川沿いからモロゾフスクとタチンスカヤへ突破していっているのですが、史実ではこの戦区からはトルモシンを目指して攻勢がなされたようで、ゲームとの差異が気になってました。『Enemy at the Gates』ではモロゾフスク方面へ行けてしまう感があるのですが、しかしそういえば『激闘! マンシュタイン軍集団』ではそっち方向に向かうのは兵力配置とか枢軸軍ユニットの存在的に無理があり、トルモシン方向へ向かうのがセオリー……というかそうするしかない感じだったような気がします。そこらへんのことが読み解けるかもしれず、読みたい気がしました。

 『Case Blue』の出版が2007年なのですが、この本の出版は2014年らしいので、この本の情報で置き換えていくのはありなのかもしれません。とりあえず『Case Blue』のチル川の戦いシナリオとの比較から始められるのではないかという気がします。

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OCS『DAK-II』に見る各種工兵ユニット

 OCS『DAK-II』に出てくる工兵ユニットについて。

 北アフリカ戦では地雷原が大量に作られたことから工兵の活躍について触れられることが多いですが、OCSでは工兵ユニットが入っていることが割と少なめなので、『DAK-II』でも入ってないんだろうなぁと思い込んでいて、『砂漠のキツネ』などで工兵についての記述があっても、その資料を集めるのを怠っていました。

 そしたら先日、別件で『DAK-II』のユニットを眺めていて、びしばしに工兵がユニット化されているのに気付き、「しまったぁー!」と……(最近、こういう思い込みで失敗することが増えてきてまして……(T_T))。



 ↓『DAK-II』のドイツ軍とイタリア軍の工兵ユニット。英連邦軍には工兵ユニットはありませんでした(多分)。

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 ドイツ軍は各師団に戦闘工兵大隊が配属されています。『DAK-II』は第5軽装甲師団→第21装甲師団や、アフリカ師団→第90軽師団とかの史実での名称変更にも手を抜かずにそれぞれの名称で全ユニットが入れられているので、第200工兵大隊と第900工兵大隊は重複しています。第22空輸師団の第22工兵大隊が入ってますが、第22空輸師団が北アフリカにどのように出てくるのか、私よくわかってません……。

 イタリア軍は普通の工兵と突撃工兵、それにフォルゴーレ空挺師団内の空挺突撃工兵大隊が入ってました。



 と、ここまでで兵科マークで3種類以上あるじゃん、というツッコミが入りそうですが、
 ↓のように、OCSに出てくる工兵には3種類あるのです。

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 OCSの原文からの訳としては、

Assault Engineer → 突撃工兵
Pioneer → 戦闘工兵
Engineer → 工兵

 としてるんですが、どれほど合っているのかも良く分かりません……。その違いについても今回ちょこっと調べてみたのですが、Pioneerは最前線で活動し、Engineerはより後方で土木作業をやる、とかって話の他には、各国軍隊における名称の違いに過ぎないのかなぁという資料とか。

 ただ、ドイツ軍の工兵部隊は戦闘団を形成して戦闘でもって大きな役割を果たしていたりするみたいです(ガザラの戦いの時のビル・ハケイムに対するヘッカー支隊とか)。一方で英連邦軍にだって史実では大量に工兵がいたはずで、しかしそれがユニット化されていないのは、英連邦軍の工兵はあくまで純粋に工兵の仕事だけをしていたということかもしれません。


 そもそも『DAK-II』では、地雷原の敷設や除去は歩兵でもできるのです。じゃあ、『DAK-II』の工兵には何ができるのか。OCSの通常ルールでは「戦闘工兵や突撃工兵は工兵を能力を持っていません。(無印工兵は工兵能力を持つ)」とあるのですが、『DAK-II』では「戦闘工兵や突撃工兵も工兵能力を持つ」とあります。ところが、「枢軸軍は、司令部も含めて、その工兵能力で架橋はできません。それから、港湾修理ができるのはエジプト軍港湾工兵大隊のみです」とあるので、架橋も港湾修理もできない。できることとしては、陣地と航空基地を2ヘクス先でも作ること。ただし、OCS標準ルールの規定で航空基地は工兵能力を持つユニットでしか作れませんが、陣地はどんなユニットでもそのユニットがいるヘクスになら作れるので、ありがたみ的には薄れます。

 実際のところ、『DAK-II』の工兵ユニットの工兵能力はほとんど意味がない……? しかしまあ、その戦闘能力の高さ(ARの高さ)は恐るべきものがあると思いますので、いいでしょうか。


 以下に、『砂漠のキツネ』で見つけた工兵に関する記述を載せておきます(が、目視検索していた時にはもう一箇所くらいどこかに詳しいことが書いてあったような気がするのと、あと、戦闘に関する記述とか、地雷をいかにトリック的に作るかってな話もいっぱい載っていたのですが、長いのでパスで……)。

 ロンメルの工兵は独特の技術を開発した。アフリカ軍工兵指揮官ヘッカー大佐とその部隊をさしおいて砂漠戦の歴史は考えられない。第200、220、33、900工兵大隊、特殊工作部隊、軍直属部隊は縁の下の力持ちではあるが、アフリカでのドイツ軍の勝利の大事な条件であったのだ。
 エル・アラメインは地雷戦の頂点といってよい。第二次大戦中、ここほど地雷が活躍したことはない。
 第220工兵大隊は戦線北部に着くと、アフリカですでに伝説的存在となっている第900工兵大隊と交替した。これはデッサウ=ロスラウ工兵学校の伝統を受けついだ部隊で長はカーベ少佐である。第200大隊が第21機甲師団に、第33大隊が第15機甲師団に、所属していたように、第900大隊は第90軽師団のために道をととのえ、後退の際には掩護した。第220大隊は第164アフリカ軽師団とともにあった。グリュック・フリードリヒ・プファンツァーゲル少尉はこう訓示した。「アフリカで工兵といえばちょっとしたものである。ロンメルの現在の用兵ではおそらく最重要の兵種であろう。だからといって、地雷に触れて四散するとき、気が楽になるというものではないが、それでも……」数週間後名簿のグリュックのところに十字のしるしがつけられた。戦死-。
『砂漠のキツネ』P263


 歩兵、通信兵、戦車兵は、工兵の仕事ぶりをあっけにとられてながめていた。なにしろ、たえず死と隣りあわせで、何かを叩いたり、穴を掘ったりしているのだ。手榴弾の束や分捕った砲弾に精密機械工場でのように信管が取りつけられ、その間に爆薬をはさみ込む。なんでもないような木の杭にも大量の爆薬が連結されていて、それを敵戦車がひき倒せば、そのまま昇天である。
 このすべてを晩夏のアフリカの太陽の下でやりとげたのだ。工兵隊は50万個の地雷をエル・アラメインの砂に埋めた。働いたのは昼ばかりではない - 昼のほうが、ずっと楽だった。夜は物騒である。事故を最小限におさえるため、すべてを細かいところまで組織しなくてはならない。
『砂漠のキツネ』P267




グランツのスターリングラード三部作(の一部)などを購入・注文しました

 ここ最近、リトルサターン周辺で洋書を購入してます/しました。

 報告してない中で一番古いものでは、『Stalingrad Battle Atlas』のIIIとIVを注文しました(2017/01/14) の2冊が届いてます。



 中身としては、IIIはウラヌス作戦のみを扱ったもの。IVは冬の嵐作戦のみを扱ったものでした(IVがリトルサターンだろうという推測は外れてました(^_^;)。あまり精密でないものですが地図が1日単位とかで入っており、師団単位くらいの戦闘序列で、それぞれ値段相応の分厚さなので概説的なものという感じでしょう。IVの方は当時の命令書の写真とそれをちゃんと読めるようにした文とがひたすら入っているのが特徴的です。



 その後買ったのが、『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』という本です。



 この本、Google Books上でかなりの分量が読めてしまうのですが、個人的に非常に興味のある内容で、しかも見つけた当初2500円くらいだった値段が1500円くらいに下がっていたので、注文してしまいました。

 イタリア軍のアルピーニ軍団を扱った本で、リトルサターン作戦の時にはそれほど戦闘に巻き込まれなかった(ただしユリア師団は側面を防御するために移動して戦闘し、結構損害を被っている)アルピーニ軍団ですがその後の1943年1月のオストロゴジスク=ロソッシ作戦でソ連軍に包囲されそうになり、敢闘したもののもちろん支えきることなどできずつらい撤退戦を戦います。大損害を被りながらも一部は撤退に成功しますが、捕虜となって収容所に送られた兵たちもおり、それらの人々は1946年になってようやくイタリアに帰ってこられたらしいです。

 著者は叔父達がこのアルピーニ軍団に所属していたため、小さい頃から何度も当時の話を聞かされて育ち、イタリアではある程度知られているらしいものの英語圏ではほんのちょっと触れられるくらいで知られていないこの話を英語圏の人達にも知って欲しいということで、叔父達を含め当時実際に従軍したイタリア兵達の証言を元に書いたそうです。

 ということで、戦闘序列とかよりも当時の実際の兵士達が体験したことの描写とかセリフとかがメインですけども、そこらへんも非常に興味のあるところで、非常に読んでいきたいと思ってます。地図も何枚か入っていて、綺麗で分かりやすいです。




 そして、つい先日注文したのがグランツのスターリングラード三部作とかいうものの最後の巻である三冊(何を言っているか分からないと思うが……以下略)。

 その前提としてなんですが、OCS『Enemy at the Gates』に入っているリトルサターンシナリオがOCS『Case Blue』には入ってないという話があります。私が最もやりたいのはリトルサターンシナリオ(そこから第3次ハリコフ戦まで、つまり『激マン』の扱う範囲)なんですが、どうせなら『Enemy at the Gates』よりは『Case Blue』でやりたい。ないならなんとか分かる範囲で作ってしまえばよいのかもしれない。それでウラヌス作戦を扱ったグランツの本を探せばいいんじゃない? と先日思いついて検索したら出てきたのがこれ。



 「スターリングラード三部作の第3巻で、1942年の11月を扱った本……? おおー。こんなものがあったのか……。期間的にはウラヌス作戦を扱っているっぽいけど、『Stalingrad Battle Atlas IV』がリトルサターンだと推測して買ったら冬の嵐だったとかもあるし怖いなぁ……。むむむ、そういえばワニミさんがこの本を持っているかも? そういえばそんな話をされていたような気もする……。聞いてみよう!」と思って連絡したら、持っておられるとのこと。で、尼崎会(拙宅)に持ってきてもらえることになりました。

 来られたワニミさんの荷物を見てみると、なんかえらい分厚い本が3冊も入っていて、
「あ、三部作を全部持っておられて、全部持ってこられたんですか? 第3巻だけで良かったですのに……」
「なに言うてんねん、これがスターリングラード三部作の最後の第3巻の、全3冊や!」
「はっ? ええーと……。ああ~、なんかそんな話ワニミさん以前もされてましたっけ……!!」
(そういえば聞いたことがあって、「へええ~」とか思っていたのです(^_^;)


 どうもグランツ氏は「スターリングラード三部作」とかっこいい名前で銘打って書き始め、

Volume1. April-August 1942
Volume2. September-November 1942
Volume3. November 1942

 と来たものの、Volume3の途中で今までの2冊の分量まで到達してしまい、それを「Book one」ということにして、

Volume3. Book two December 1942 - Feburary 1943

 を出し、さらにその増補として

Companion to Endgame at Stalingrad

というものを出したということらしいのです(^_^;

 それらの本がどれほど分厚いかなんですが、ワニミさんの持っておられる本を横から撮るのを忘れてしまっていたので、ネット上で探してみると、War in the East: On the dusty track to oblivionというページにVolume1、Volume2、Volume3(Book One)を並べて横から撮った写真がありました。Book TwoとCompanionもほぼ同じ厚さでしたが、Companionにはなぜかカバーがありません。

 AmazonではなぜかBook Twoが出てこないので、ワニミさんが紀ノ國屋書店のウェブストアで買ったと仰るので私もそうしてみました。以下に一応Amazonにある分を並べてみます。



 CompanionはAmazon自体には在庫がないようで、Amazon以外から購入しようとすると8500円以上になるようです。Amazonの在庫は、「ある」と書いてあっても在庫がなかったという例に最近2度ほど接した(それでOspreyのトブルク本は来ませんでした)ので、紀ノ國屋書店の方で一緒に頼むことにしました(こちらも9000円くらいでしたが)。


 ワニミさん手持ちの分を見せてもらった感じだと、第3巻全体で、ウラヌス、リトルサターン、冬の嵐、コリッツォーを扱い、戦闘序列はかなり詳細(少なくとも旅団規模までもあるのは確認しました。OCS『Case Blue』でユニットになっているものも全部出てきてくれるとありがたいのですが……)、戦闘序列以外でも記述が膨大で、索引には恐らくすべての部隊毎にどのページに記載があるか網羅されており、地図も膨大とは言えませんがある程度以上ありました。

 えらい出費ですが、まあOCSしかやらないですし、OCSの中でも一番やりたいのがリトルサターン周辺なのでOKで。しかしさらにできれば、オストロゴジスク=ロソッシ作戦だけを扱ったシナリオとかも欲しい(作れれば……)のですが、それはさすがに無理かなぁ……中央軍集団も関わってくるっぽいし、資料がないか……。疾駆作戦と星作戦も欲しいですが、それは『From the Don to the Dnepr: Soviet Offensive Operations, December 1942 - August 1943』でなんとか?



 あと、戦争関連で昨日、本屋でこんなのを見つけて買いました。



 左側は戦略家として名高いらしいエドワード・ルトワックの本で、「本当の平和は、戦争の当事者自身が戦争を倦むほど、徹底的に戦った後でなければ訪れない」「難民支援が難民を永続化させる」「国際組織やNGOは紛争をビジネスにしている」などの項が。

 右側は自衛隊の元陸将補の方が書かれた本で、「戦術」とありますがウォーゲーマー的な用語で言えば「作戦」的な次元でのものを扱っており、例えば機動、迂回、包囲、突破、浸透、防御、兵站、決断のステップなど、OCSをプレイする上でも非常に役立ちそうなことが書かれているっぽかったです。

「Operational Combat Series(OCS)の物置2」へ引っ越ししました

 これまでfc2wiki上で「Operational Combat Series(OCS)の物置」を作成していたんですが、どうもなんか不安定っぽいので引っ越しを画策しまして、シーサーwiki上に「Operational Combat Series(OCS)の物置2」を作りました。

 で、引っ越し作業をしてまして、ようやく一段落つきました。

 このブログのOCS記事には、2からは全部リンクを張った状態にしました。今後、ネット上にあるOCS記事も調べてリンクを張っておきたいと思います(が、いつ終わるかは……(^_^;)。

 また、今後1の方は改訂せずに、2の方だけを改訂していきますので、よろしくお願いします(そのうち1は閉鎖する?)。

OCS『Case Blue』「第2次ハリコフ」セットアップ

 次のプレイ用に拙宅(尼崎会)にOCS『Case Blue』「第2次ハリコフの戦い」シナリオをセットアップしました。


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 午後から用事のため、ワニミさんとは2時間のみ、2人プレイでのやり方(命令書の出し方)や勝利条件について相談していました。

 「第2次ハリコフ」シナリオの勝利条件は複合的なVPを取り合うもので、「世界の果て」の勝利条件よりは穏当そうです。ただ、むしろ「長いキャンペーンの途中を戦っているようにプレイ」すればこそ、ソ連軍はハリコフを目指して攻勢などせずに退却して最小限のVPだけを狙った方がよくない? という話がありまして(^_^;

 史実でのソ連軍の攻勢到達ラインとプレイを比較し、枢軸軍の反撃の成果とプレイを比較して、その差で勝敗を出すというのも考えたのですが、しかしゲーム的にやれば進出線的には史実を超えることは比較的容易だとも思われ、そういうのもよくないなぁ……と。


 勝利条件を常に計算しながらプレイしていくのではなく、最初におおまかに勝利条件を確認したら後は忘れて、当時の指令を念頭にプレイしていき、シナリオ上のターン数が終了したら、勝利条件を計算してみる……とかはダメですかね? ファジーにやるのがよい、というかそれくらいしか手段がないような気もしています。

黒シャツ隊「アフリカ」師団と"M"黒シャツ大隊群「タリアメント」のOCSユニット

 『コマンドマガジン89号』P47「第二次世界大戦中のイタリア陸軍の編成」を見ていて、「えっ」と思いました。

 黒シャツ(Blackshirt)師団:対仏戦までに23rd Marzo(1)、28th Ottobre(2)、3rd Gennaio(4)の3個歩兵師団の編成を完了していましたが、21st Aprile(3)師団は連隊規模の兵力を超えることはなく、残りの3個師団と共に1941年5月までに北アフリカで全滅しています。1940年にはCacchatoie d'Africa歩兵師団も編成されましたが、1941年5月に東アフリカで全滅しました。その直後に編成されたAfrica歩兵師団も1942年には北アフリカへ派遣されましたが、チュニジアで全滅しています。また、1943年にはCentauro Legion(1)装甲師団が編成されています。
『コマンドマガジン89号』P47「第二次世界大戦中のイタリア陸軍の編成」



 「チュニジアへ送られた黒シャツ隊の「アフリカ」師団……? 初耳だ……」と。

 早速『Tunisia』や『Tunisia II』のユニットを再点検してみましたが、それらしきユニットは見当たりません。師団規模では見逃しようもないはずですが、師団規模ではない?(→OCSのユニットで見る黒シャツ隊 (2017/01/31) 参照)


 しかし例えば、日本語版Wikipedia「黒シャツ隊」には、

 1940年時点で国防義勇軍(黒シャツ隊)は34万名の兵員を持ち、北アフリカ戦線に新しく編成した第1師団・第2師団・第4師団を援軍として派遣、これは英軍との戦闘で壊滅した。戦争後半には第4師団「M」と第5師団「アフリカ」が戦場に展開した。


と書かれていますし、英語版Wikipedia「Blackshirts」にもこうありました。

 1940年にMVSN【国防義勇軍】は34万名を召集して前線部隊とすることができ、3つの師団(第1、第2、第4。この3つの師団はすべて北アフリカ戦役で全滅した)を編成。のちに1942年には4つめの師団("M")と5つ目の師団「アフリカ」を編成しつつあった。
 ……
 のちに41個の機動群が編成されイタリア陸軍師団の3つ目の連隊となったが、それは実戦での経験からイタリア陸軍の2単位師団では兵力と重装備の面で小さすぎるということが分かってきたことからの決定であった。これらの機動群は兵力、装備、訓練等の不足により大損害を被った。……MVSN【国防義勇軍】はイタリアの戦うところのすべてで戦った。



 しかし、文献資料でもGoogle Booksなどで調べてみましたが、どうにもこの黒シャツ隊「アフリカ」師団について見つけられていません。気になるので探してしまうのですが、他のことが進まないのでとりあえず放置しておいた方がいいか……。

 「編成しつつあった」というのが落としどころなのかなとも思いますが。





 それから、「21st Aprile(3)師団は連隊規模の兵力を超えることはなく、残りの3個師団と共に1941年5月までに北アフリカで全滅しています。」の件も気になりました。

 ↓『DAK-II』には師団規模の黒シャツ隊以外にもいくらか黒シャツ隊ユニットがあるので、これらがそう……?

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 しかし例えば、

 そこで新たに4個師団(『1月3日』『4月21日』『3月23日』『10月28日』師団)が再編成され、リビア黒シャツ師団として北アフリカに派遣された。その後、1940年5月に『4月21日』師団は解散して他3個師団に吸収されている。
『イタリア軍入門』P247,8


 とか(イタリア軍のエジプト侵攻は1940年9月9日から始まる(『DAK-II』もそこから開始)ので、それ以前に解散されたということになります)、

 国際情勢における困難さが増大してきていることを考慮して、4つのファシスト(CCNN)師団、いわゆる「libiche(Libyan)」が北アフリカに配備された。「23 marzo」「28 ottobre」「21 aprile」「3 gennaio」である。1939年9月に動員されると彼はすぐに2つのファシスト軍団へとまとめられた。XXIIファシスト軍団とXXIIIファシスト軍団で、指揮官はそれぞれUmberto Somma将軍とMario Berti将軍であった。Mario Berti将軍は後に、1940年12月のオコンナー将軍の攻勢の開始時にシディ・バラーニで撃ち破られた時のイタリア軍指揮官となる。
 しかし「21 aprile」師団は間もなく解体され、他の3つの師団への増援と、アフリカに送られるCatanzaro歩兵師団の一部として使用されることとなった。Catanzaroは1940年晩秋までに、すでにアフリカにいたイタリア人で編成されることになっていた。……
『Rommel's North Africa Campaign』P42


 とありました。

 「21 aprile」が北アフリカで全滅、というのはやや信憑性が薄いか……?




 さらにさらに、ここも気になりました。

 第二次大戦の参戦時には34万名の国防義勇軍が前線任務に付き、フランス戦を皮切りに41個黒シャツ連隊が陸軍歩兵師団と共に各戦線で従軍した。また、1941年8月には第63黒シャツ連隊が独立部隊としてロシアに派遣され、黒シャツ部隊を持たないCSIR(ロシア派遣イタリア軍団)の『パスビオ』『トリノ』歩兵師団と共に東部戦線を転戦した。翌年同部隊は、ロシア戦線でイタリア第8軍(ARMIR)の"M"黒シャツ大隊群『タリアメント』として再編成された。さらに1943年6月に第1"M"黒シャツ機甲師団『レオネッサ』が創設され、独軍戦車36輌を装備したが訓練中に休戦となっている。
『イタリア軍入門』P248,9



 そこで『Case Blue』の黒シャツ隊ユニットを再度見てみると、確かに「タリアメント」という部隊が!

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 右側の3つのユニットも「黒シャツ大隊群タリアメント」の一部なのかどうか……? 気になります。




 その他に、第1"M"黒シャツ機甲師団『レオネッサ』という話も気になってネットで資料を集めたりしたのですが、しかしOCSで現状扱っている範囲から外れるし、もうやめておいた方がいいか……ということで放置することにしました(^_^;

OCS『Case Blue』の改訂ルールとブックレット他

 OCS『Case Blue』は2007年発売ですが、『Case Blue』の公式サイトを見ていると特別ルールが2015年12月28日にアップデートされたv2.04が最新となっています。

 しかし我々はとりあえず(発売当時の特別ルールを元にしているはずの)サンセット和訳で大掴みして、なんか疑わしい時は原文(ゲーム添付のオリジナルを基本で、時々v2.04も)を見るという方法でプレイしていたんですが、今回v2.04に先頭から目を通していて、あることに気付きました。

 なんと、特別ルールがアップデートされていただけではなく、ブックレット(枢軸用とソ連軍用があり、チャートや増援表が入っている)もアップデートされており、それは『Guderian's Blitzkrieg II』のリプリント版に入っている(というか共通で使用する)、というのです!

 なんという方法……。まあ、合理的なのかもですが~。


 ちなみに、それらの出版年は以下の通りです。

2001 『Guderian's Blitzkrieg II』,OCSv3.0
2007 『Case Blue』,OCSv4.0(この時点で『Guderian's Blitzkrieg II』と連結は可能)
2011 『Guderian's Blitzkrieg II』リプリント,v4.0(『Case Blue』との連結を前提に改訂)
2015 『Case Blue』特別ルールv2.04発行

 『Case Blue』のエラッタを見てみましたが、もう無茶苦茶大量にあります。それらもv2.04やReviesd Bookletでは修正されているらしいです。


 で、ちょっとその修正された『Guderian's Blitzkrieg II』リプリント版同梱のブックレットを見ていましたら、補充表の修正のところに、「『Case Blue』しかプレイしてない時は、補充ポイント1つずつにつきダイスを1回振って6の目だけで到着する」とありました(『EatG』などの件は省略)。

 つまりものすごく補充が届く確率が減るわけですが、これは『Case Blue』「世界の果て」をプレイした感じでは、確かにその方がいいと思われます。というのは、「世界の果て」を元のバージョンでプレイしていると補充はダイス目が-2修正されるだけなんですが、それでは補充が届きすぎ、「補充ユニットが大量にあるからどんどん自軍部隊を損耗させて復活させないと損だよね」というプレイになってしまっていたのです。


 v2.04の存在に気付いてはいてもそれを訳すのは大変なのでとりあえず置いといたのですが、しかしやっぱりチェックした方がよさそうです。とりあえずプレイの合間(対戦相手のプレイ中)にv2.04に目を通し、サンセット和訳に修正箇所を書き込んでいくというのをやっていこうと思います。


 あと、v2.04に関係なく、単純にルール理解を間違えていたことにも色々気付きました。南端ボックスで航空ユニットの整備が無料で無制限にできるとか、天候が「Flight」でない場合は「Limited」でこれは「自軍の移動フェイズ中にしか航空作戦ができない」ということであって、「No Flight」ではないのだ、とか。


 まあいっぺんに全部やるのは無理なので、ちょっとずつ改訂・改善していきます。

OCS『Case Blue』「世界の果て」第16~19ターン(終了)

 OCS『Case Blue』「世界の果て」第16~19ターンを尼崎会(拙宅)でワニミさんとプレイすることができました。


 第16ターンの写真を撮り忘れたので、第17ターンから。



 ↓第17ターン(1942年10月1日ターン)終了時。

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 グロズヌイの南東から圧迫が始まってます。



 ↓第18ターン(10月5日ターン)終了時。

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 グロズヌイの南方の平地への両翼包囲が始まり……。



 ↓第19ターン(10月8日ターン)終了時。

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 ダブルターンで一旦完全包囲されたのですが、オーバーランを繰り返して(死体の山を築きながら)なんとか包囲環を破りました。しかし、損害が大きすぎ、「むしろ包囲環はそのままにしておいて、その他の手段を探した方がよほどよかったのでは……」と途中で思いました。「もうダメだぁ~」となって思考が狭まっていたと思うのですが、あくまで諦めずにその時にできる最大限のことを考えた方がよかった……。

 ワニミさんに言われてなるほどと思ったのですが、「枢軸軍はスパッと敵の弱点を切って崩壊させ……を繰り返していくべきだけども、この状態ではがっぷり四つに組んでしまっているから、立て続けにソ連軍に殴られたら部隊は帰って来られないだろう」と。しかもソ連軍側はSPをすぐに使える場所に主戦線があるのですが、枢軸軍は1SPは鉄道輸送で運べるとしても、残りの1SPをトラックで運ぶのが大変だと。

 それに、赤い矢印のようにソ連軍の騎兵軍団で鉄道線をカットできるじゃないかと。私はその上の司令部を踏むことは考えには入れていたんですが、その背後に居座ることにはその時点では気付いてませんでした(^_^; この数ターン、鉄道線居座りを色々考えていたにもかかわらず……(OCSはあまりにも選択肢が広いこともあり、弱点ががら空きになっていても両プレイヤーとも気付かずにそのまま進行することがままあると思われます:p)。ワニミさんも「見落としていた……頭が突進でいっぱいになっていた」と仰って、この日の最後は二人とも思考が狭まってしまっていました(T_T)


 色々反省点だらけですが(いつもそうですが)、楽しいプレイでした。

 次は『Case Blue』の第二次ハリコフの戦いシナリオをプレイする予定です。

イタリア軍歩兵師団が「2単位」編成であること等の合理的な理由

 イタリア軍歩兵師団が「2単位」編成、すなわち2個連隊しか持たないことは色々な文献で触れられています。

 曰く、第二次世界大戦中の他国の軍隊では「3単位」(3個連隊)編成が通常で、これならば2個連隊を前線に配備して、1個連隊を予備にすることができる。しかし「2単位」では予備部隊を持てないから、前線の動きに柔軟に対応できず、敗北につながりやすい。このような「2単位」編成をとったのはイタリア陸軍やムッソリーニが歩兵師団の「頭数」を増加させて、それで満足するためで、まったく馬鹿げたことであった……云々。

 また、自動車化されていないことも揶揄の対象で、「守備部隊としてしか役に立たない」「自動車化可能師団(半分とかちょっととかだけトラックが配備されてたり、あるいはトラックの運転の練習だけはした兵士で構成されていた歩兵師団らしい)とかってなんなの(笑)」とかって感じで言われていました。


 しかし、『コマンドマガジン27号(エチオピアのライオン特集号)』のP14「イタリア陸軍の編成」を読んでいて、「なるほど!」と思いました。

 2単位編制のほうが、標準的な3単位編制の師団に比べて、補給は容易だった。エチオピアでの成功により、2単位編成がイタリア軍で正式採用されたが、後により強力なヨーロッパの軍隊と戦うことになり、それでは力不足だということが判明したのは、悲劇以外の何ものでもない。
 ……
 編成上で見る限りは、後方支援部隊、補給部隊、砲兵隊は自動車化されている。しかし実際には、大戦を通じて馬匹牽引の馬車、荷車などが使われた。ただし、他の戦場でならいざ知らず、道路が未発達のエチオピアでは、悪路のためにトラックの走行が思うに任せず、自動車化されていないことは欠点にはならなかった。むしろ荷馬車や馬匹のほうが、確実に歩兵の行軍ペースに合わせることができたくらいだ。
 【エチオピア戦に】途中参加の歩兵師団(アジエッタ、コッゼリア、メタウロ、ティヴェレ)は、2個歩兵連隊を主軸とする「2単位」編成である。連隊数は少ないものの、実戦では、3単位編成の師団と同等の働きをした(3単位編成の師団であっても、1個連隊は予備に回されるのが普通だった)。先にも述べたように、2単位編成の師団は補給が容易で、それだけ戦場に長くとどまることができた。





 自動車化されていないのは、そもそも当時のイタリアの国力・産業力が弱く、トラックを揃えることなどできなかったということもあるでしょう(当時の日本も同様です)。↓参照。






 巷間、なにかものごとだとか人だとか集団とかを揶揄・嘲笑することで「印象を強くすることができる」「話題性を強められる」ということはあるでしょう。けども私は、そういうのを見て「えっ、そうなの?」と思って色々調べてみると、「揶揄・嘲笑されるほどのことはなかったし、しかもそこには何か合理的な理由があった」ということに普段でも、このブログ上でも、多く接してきた印象を持ってます。

 有名なものではシュリーフェンプランの小モルトケによる改訂はゆえなきことではなかったって話とか、このブログ上で最近では黒シャツ隊の話(OCSのユニットで見る黒シャツ隊)とか、グルーシーとリュッヘルの話(ホーエンローエの方が悪かったのにリュッヘルがバカにされ、ナポレオンの方が悪かったのにグルーシーがバカにされ)とか……。

「OCS輸送まとめ図」をver1.1に改訂しました

 「OCS輸送まとめ図」で誤字があったのを見つけたのでそれを修正すると共に、ちょっと情報を書き足してver.1.1にしました。↓からダウンロードどうぞ(A3サイズで作成してますので、印刷の時には気をつけて下さい)。

OCS輸送まとめ図ver1.1.pdf

 修正・追加したのは「空挺降下」のTipsの部分です。

Tips:つまり被包囲下の自軍戦闘ユニットの真上に、臨機応変にSP を降ろすことが可能なのです。ただし、目標ヘクスが敵の警戒空域内にあれば「迎撃」の対象になりますし、また対空射撃を必ず受けます。警戒空域の中になければ「迎撃」されず、対空射撃を受けることもありません。ですからまずは「制空戦闘」をすべきでしょう。



イタリア陸軍のアルピーニ師団と山岳歩兵師団の区別など

 イタリア陸軍の師団についての記述を色々見ている内に、あることに気付きました。

 イタリア陸軍には山岳歩兵師団、あるいはアルピーニ師団と呼ばれる兵種があるんですが、どうもこれが別々の存在であるらしいのに、私自身区別できていなかったし、資料によっては同一視されているようだ……と。


 アルピーニ師団と呼ばれるのは以下の6個師団です。

第1アルピーニ師団「タウリネンゼ」
第2アルピーニ師団「トリデンティーナ」
第3アルピーニ師団「ジュリア」
第4アルピーニ師団「クネーンゼ」
第5アルピーニ師団「プステリア」
第6アルピーニ師団「アルピ・グライエ」


 ところがこれとは別に、イタリア陸軍の歩兵師団には「タイプ」が存在しており、その中に「山岳歩兵師団」と区分されているものがあるのです。英語版Wikipedia「List of Italian divisions in World War II」によると、以下のもの。

1st Mountain Infantry Division Superga
2nd Mountain Infantry Division Sforzesca
3rd Mountain Infantry Division Ravenna
4th Mountain Infantry Division Livorno
26th Mountain Infantry Division Assietta
33rd Mountain Infantry Division Acqui
36th Mountain Infantry Division Forlì
37th Mountain Infantry Division Modena
59th Mountain Infantry Division Cagliari

 GJ41号P51の古谷氏の表には上記以外に第27ブレシア師団も山岳歩兵師団とありますが、これは誤記ではないかと思います。


 資料として上記のWikipediaの表とGJ41号の古谷氏のものの他に、CMJ89号P47に澤田氏の一覧、それから『イタリア軍入門』の吉川氏のものを利用できることが分かりました。が、これらの資料間でそれぞれに微妙に食い違いがあるので困惑し、フト思いついて表計算ソフトで表を作ってみることにしました。ついでにOCS上での兵科マークも載せまして……。

スクリーンショット_160405_170

 全部のイタリア軍歩兵師団に興味があるわけではなく、OCSで出てくるものだけなのでそれらだけを抜き出してあります。アルピーニ師団や黒シャツ隊師団、リビア師団などはそもそも番号の振り方が異なっていて問題ないので除外。戦車師団や空挺師団も番号的には歩兵師団と連続している面があるのですが、間違えようもないので除外。トレントとトリエステは若干資料によるばらつきがあるので入れてあります。

 「Wiki-A」とあるのは、英語版Wikipedia上に独立した記事(Article)があって、そこの記事を読んだ上での種別です。どうも全師団について独立記事があるらしく、個人的にはこの表上の師団はすべて翻訳して情報集積したいです。

 分かってきたのは、山岳歩兵師団が強襲上陸師団に改編されたりとか、自動車化可能師団の中に北アフリカ型とか、そうでないのが存在するってことです。詳しめの資料だとそこらへんが経緯とか内実とか詳しく書いてあるので、より信頼できそうな気がします。英語版Wikipedia記事は(Wikipediaは信用できないと言われたりしますが)分量的にもどうしても一番多くなり、詳しいので、現状手に入る資料の中では一番信頼できそうな気がしています。

OCS『Tunisia II』で「第999懲罰師団」が活躍した場所

 先日のOCS『Tunisia II』の「第999懲罰師団」ユニット (2017/03/31) に追加です。

 『砂漠のキツネ』に以下の文がありました。

 イデオロギーの錯綜した今度の戦争の暗いシンボルのような事実がある。第999執行猶予師団第1連隊がフルリーデ大佐の支隊とともに、敵2個師団以上の兵力に対し6日間もピション=フォンドゥクの峡谷を守り、アメリカ戦車60台を撃破し、4月13日に友軍が新陣地にはいるのを援護したことである。
『砂漠のキツネ』P349



 「ピション=フォンドゥクの峡谷」というのは、OCS『Tunisia II』の「第47歩兵連隊」ユニット (2017/03/29) で挙げていました地図の、第47歩兵連隊が進撃した首元あたりになります。カセリーヌ峠の戦いの2ヵ月後くらいの話ですね。

unit00076.jpg


 「泡沫戦史研究所」さんの「第999アフリカ旅団/第999アフリカ軽師団」にはこうあります。

 DAKとイタリア第1軍の退路を遮断するため、4月7日からイギリス第9軍団はフォンドークへの攻撃を開始しましたが、ここを守る師団の「執行猶予」の兵たちはよく戦い、後退中のDAKとイタリア第1軍は4月10日にはカローンに到着しました。 心配された脱走兵も少数はあったものの、「執行猶予」の兵たちはその任務を果たし、ナチスの新聞「フェルキッシャー・ベェアバハター」で取り上げられたり、南方軍総司令官ケッセルリンク元帥からの感謝の言葉も送られました。





 また、英語版Wikipedia「999. leicth-Afrika-Division」には以下のようにありました。

 この第999師団の部隊はチュニジアで、様々な戦闘団の一部として、その時点で北アフリカにいた他の多くのドイツ軍部隊と一緒に戦った。ピション、フォンドーク、および「ロングストップ・ヒル」の3個所が、この第999師団がチュニジアでいる間に戦った場所として重要である。第999師団はまた、1943年5月に連合軍に対して北アフリカの枢軸軍が最終的に降伏するまでの数週間、激しい戦いを繰り広げたのであった。





 残りの1つの第999師団による「ロングストップ・ヒル」の戦いですが、『Tunisia II』の最後のシナリオであるシナリオ6「アフリカ戦線の終焉」は、まさにその時期から始まります。


 ↓『Tunisia』のVASSALによる初期配置。ヘクス41.24が「ロングストップ・ヒル」だと思われます。

unit00080.jpg

 敵味方が判別しにくいんですが、濃い茶色がイギリス軍で、薄い茶色がドイツ軍です。濃い緑色がアメリカ軍で、薄い緑色がイタリア軍。青色は自由フランス軍。



 ↓『Tunisia II』のVASSALによる初期配置。自由配置のため、ヘクス41.24が空いていますが、付近の地形が分かりやすいです。

unit00081.jpg

  『Tunisia』をやっていると、この場所は非常に大事な場所であるのが分かります。


 「第999アフリカ旅団/第999アフリカ軽師団」にもこうありました。

 師団はその後もチュニス前面の防衛拠点であるクリスマス山(連合軍の呼称ではロングストップ・ヒル)の付近で最後まで頑強に抵抗しましたが、5月12日には他の枢軸軍部隊とともについに連合軍に降伏しました。




 英語版Wikipediaで「Battle of Longstop Hill (1943)」という結構分量のある項目があるので、それを読むのもありかも……(私は今回そこまではやめておこうと思います(^_^;)。


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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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