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オラニエ公の評価、再び


 『Who Was Who at Waterloo』ですが、以前気になっていたオムプテーダとオラニエ公のこと(→ワーテルローにおけるオラニエ公の命令とオムプテーダ大佐)がこの本でどうなっているかと思って、読んでみました。






 ……といっても、オムプテーダの方は大して新しい情報はなし。まあアルテンが最初に命じたのはもう間違いないだろうな、というのと、あとはオラニエ公による最後のセリフの前に、オムプテーダの項で「questioning his honour,」、オラニエ公の項では「(Ompteda's) honour he(オラニエ公) called into question」という記述があって、つまりオラニエ公はオムプテーダの名誉に疑義を呈したということ? そういう話はこれまで見てなかったので「あれ?」と思いましたが、しかしまあ記述が簡潔なので良く分かりません。





 オラニエ公に関してですが、読んでますと、以前このブログで書いてましたオラニエ公の評価推測でばっちり合っているっぽかったです。おおお~。

 整理しますと、まずオラニエ公は1811年に半島戦争、1815年にワーテルロー戦役に従軍してますが、

 オラニエ公はこの2年間で数多くの戦闘に参加し、決して勇気に欠けなかった。(だが)ウェリントン公爵による彼についてのコメントは、「オラニエ公は勇敢な若者だが、それで全てだ」というものだった。
-『Waterloo Companion』P99-


 ということがあります。

 1815年戦役の時、在オランダの連合軍部隊の最高司令官にまずなったのはオラニエ公だった(父のオランダ王がそうなるように仕向けた)のですが、ウェリントン公爵がやってきて最高司令官に就任します。しかし政治的な意味合いにおいてオラニエ公をあまりむげにするわけにはいかなかったので、オラニエ公には第Ⅰ軍団長の地位が与えられました。

 一方、ウェリントンは(自身の信頼する)ローランド・ヒル将軍に、オラニエ公がその麾下の部隊でもって性急なことをやらかすのを防ぐという任務を与えた……
 『Who Was Who at Waterloo』P302



 『The Duchess of Richmond's Ball, 15 June 1815』(2005)という本を書いたDavid Millerという歴史家によると、オラニエ公は、

 「非常に勇敢ではあるがそれが全てで、他にはほとんど何もないと見なされており、実際に軍事指揮の経験も、円熟さにも欠けていた。」
 『Who Was Who at Waterloo』P302


 とか(これはウェリントン公の評によるもの?)。


 カトル・ブラの戦いの時にハルケット旅団に対するピクトン将軍の命令を覆させた件については、こう書かれてまして「なるほどなぁ」と。

 だがハルケット旅団は厳密にはピクトンではなくオラニエ公の指揮下にあり、そしてこの23歳の新米指揮官は、56歳の老練な将軍(ピクトン)よりも地位が上だったのである。歴史家のJac Weller(『Wellington at Waterloo』1967)によると、オラニエ公はピクトンの干渉を不快に思い、自身の権威を強引に行使することにしたのだという。
 『Who Was Who at Waterloo』P302




 この本、オムプテーダが戦死した後すぐにオラニエ公が負傷して戦場を離れたことに関して、「thankfully(ありがたいことに)」という表現を使っており、なかなかに皮肉です(^_^;

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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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