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リッチモンド公爵夫人の舞踏会の場所について

 前エントリで書いた『Children at the Battle of Waterloo』を読み始めてます。ある程度時系列に沿って、複数の子どもについて扱われているようで、最初に出てきたのはリッチモンド公爵の息子ウィリアム(当時15歳)でした。

 ワーテルローにおいて「リッチモンド公爵」と言えば、カトル・ブラの戦いの前日にブリュッセルで開かれていた「リッチモンド公爵夫人の舞踏会」です。映画『ワーテルロー』でも前半に出てきます。

The Duchess of Richmond's Ball by Robert Alexander Hillingford
 ↑1870年代にRobert Alexander Hillingfordによって描かれた絵(Wikipediaから)。

Intelligence of the Battle of Ligny
 ↑1818年にWilliam Heathによって描かれた絵(Wikipediaから)。
 (『1815 The Waterloo Campaign: Wellington, His German Allies and the Battles of Ligny and Quatre Bras』の同挿絵解説によれば、「ミュフリンクがフランス軍によるカトル・ブラへの急進撃の知らせを持ってきているのが見えるが、実際の伝令使はウェブスターであったし、実際にはこの時にはソンブルッフにいたブリュッヒャーがどういうわけかリッチモンド公爵夫人の舞踏会に姿を見せている」)

 以前、1810~1820年のイギリスというエントリで、この舞踏会が午前0~2時とかに開かれていたのは普通のことだったのか……? という以前から疑問について書いてましたが、他にもそこはかとない疑問がありました。

 それは、「リッチモンド公爵はイギリスの貴族だろうに、ブリュッセルに自分の邸宅を持っていたのか……?」ということ。

 ところが、この『Children at the Battle of Waterloo』には、こうありました(概略)。

 (売官によってウェリントン公爵の副官となっていた)ウィリアムは、ウィーン会議に出席していたウェリントン公爵がブリュッセルに向かうとそれに従い、その地でリッチモンド公爵の残りの家族と合流し、彼らは a rented house に居を構えた。


 おおう、ということは、かの舞踏会も借家(借邸宅?)で開かれたのか?

 と興味を持って少しく調べてみますと、割とそれどころでない実情が。

 Wkipediaの「Duchess of Richmond's ball」によりますと、この舞踏会が開かれた場所に関して詳しい記録は残っていないが、1888年にある人がそれらしい場所を発見して、その広さは37m×16mであったとのこと。ちなみにバスケットボールのコートが28m×15mだそうですから、それよりちょっと長い程度ですね。

The Duchess of Richmond's ball (the coach-maker's depot)
 ↑舞踏会があった場所と1888年に推定された馬車置き場(Wikipediaから)。


 「舞踏会」と言えばアニメとか映画では、かなりの広さの場所でおこなわれているイメージがあるのですが、そういえばこの「リッチモンド公爵夫人の舞踏会」は、絵画にしろ映画の中でにしろ、やや手狭な場所でとして描かれている感がありました。

 しかもその場所なのですが、リッチモンド公爵が借りていた邸宅自体ではなく、その裏手にあった馬小屋、あるいは馬車置き場、あるいは馬車整備工の作業場であった場所(雨の日にはリッチモンド公爵の娘達がそこでバドミントンをしてたりした)をリッチモンド公爵夫人が一生懸命に舞踏会場として飾り付けをしたものだったようです。

 “There was never such a ball”によると、「全ての柱には花や緑樹で花輪の飾り付けがされ、壁は赤、金、黒色の厚手のカーテンがかけられた。」

 『Children at the Battle of Waterloo』でも「ダンスホールとするべくふんだんに飾り付けられた」とあります。

 しかし、後世の絵にあるような立派な柱や、柱や壁に見られる彫刻、それにシャンデリアなんかは本当はなかったのだと理解すべきでしょうか。


 また前記ウェブページによると、招待された客は224人で、うち女性が55名。かなり狭い。リッチモンド公爵家自体がイギリス貴族でもかなり上位の家のようですが、そこにウェリントン公爵(彼は初代ですが)、オラニエ公(ネーデルラント国王の息子)、ブラウンシュヴァイク公爵、アクスブリッジ卿なども参加していて、かなり豪華な出席者だったという認識らしいです(そうなの?)。

 出席していたブラウンシュヴァイク公ですが、すでに手持ちの『The Battle of QUATRE BRAS 1815』(Mike Robinson)でも「死を予感しているかのように青白い顔だった」(P108)と書かれていたを見ていたのですが、『Children at the Battle of Waterloo』上でも、「死を予感したかのように激しく身震いしていた」と書かれていました(そして実際に彼はこの翌日、カトル・ブラの戦いで亡くなります)。

 『Children at the Battle of Waterloo』ですが、若者向けということで、ひょっとしたら体裁が歴史物になっているだけのフィクションだったりするのではないか(洋書でも子ども向けのノルマンディー戦ものとかだとそういうのがあるのを見つけてました)……という危惧を抱いてもいたのですが、出てくる人物がえらい具体的で割と細かいですし、「ウィリアムはお金で副官の地位を買ってたんだ! 当時はそれが普通だったんだけどね!」(もっと抑えた書き方ですが)とか、「ウェリントンは横柄な態度で有名で、彼の冷たい態度は容易に忘れられないようなものだったから、誰もが彼に尋ねるのを躊躇した」ってな感じで書いてあったりと、よくある子ども向けに「いい話」にソフティフィケートされた感じではないのかな、と好感を持ってます。

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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