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『The Hussar General』に黒公爵の記述他

 フト思いついて、『The Hussar General』の自分で訳した全訳冊子を読み始めました(以前冊子作って数ページ読んだだけで放置してました(^_^;)。

 そしたら、1793年のフランス革命戦役で、22歳の後の黒公爵(ブラウンシュヴァイク公)が小さなプロイセン軍団指揮官として、53歳?のブリュッヒャー大佐の所属する部隊(Black Hussars連隊)を指揮下に収め、ブリュッヒャーと直接やりとりするシーンが出てきました(ブリュッヒャー自身は大隊長)。

 (もちろん、訳している時に読んでいるハズなのですが、全く覚えていませんでした(^_^;)

 内容としては、ブリュッヒャーはRoermonde(ルールモント? オランダの一番南のあたり)の偵察を命じられ、その結果「プロイセン軍の動きが早ければルールモントのフランス軍に攻撃をかけられるだろうに、フランス軍はこの夜のうちにルールモントを去ってしまうでしょう」と報告。ところが後の黒公爵はこの見方を拒否。「私は完全な防御を期待する」と答えた。

 しかしいつも性急なブリュッヒャーは将校一人をルールモントに偵察に送った上で手持ちの部隊を率いて出発したが、その途中で偵察に送った将校が戻ってきて「敵はすでにルールモントから撤退してしまった」と報告。ブリュッヒャーはすぐさまこれを後の黒公爵に伝えたが、後の黒公爵は直接ブリュッヒャーのところにやってきて、「その将校の報告は信じられない」とブリュッヒャーに言ったとか。で、ブリュッヒャーはあきれ果てて、馬首をめぐらせてルールモントへ向かった……と。

 これは明らかに、後の黒公爵にとってマイナスの逸話でありましょう。尤も、ブリュッヒャーの伝記本に載っている話なので、ブリュッヒャーを称揚するために偏向がある可能性もあります……。

 この1790年代前半の黒公爵の動きについて、今まで集めた資料で触れているのは『A Full and Circumstantial Account of the Memorable Battle of Waterloo』くらいしかないのですが、この資料によれば以下の通りです。

 公子殿下はその職業の義務に最大の熱心さと精励さをもって専心し、急速に昇進した。そして彼は19歳の若さでthe grand order of the Black Eagleを授与された。1792年に始まったフランスとの戦争に、公子はプロイセン軍と同行した。彼は経験を積んだ。そしてその軍事的才能と大胆さを彼は徐々に発展させ、あらゆる機会に群を抜いて見せつけた。時折、実際に、彼の銃剣の若いエネルギーのセンスは個人的な恐怖というすべての概念を払いのけ、分別の垣根を越えて彼を駆り立てたのであった。1792年11月27日に、彼はWurbel近くのEtchの村の中で散兵として彼の人生の中で最も切迫した危険に会った。彼はそこで2つの傷を受け、彼がそれらの影響から回復するまでそれは重大な時間であった。



 で、1793年と1794年に関しては手持ちの資料には他にまったく載っておりません。こうして見ると、『A Full and Circumstantial Account of the Memorable Battle of Waterloo』が非常に褒めている一方で、『The Hussar General』の1793年の後の黒公爵は間抜けな感じで、「やはり、褒める意図で書かれているのか、そうでないかで全然違うような……」という気がすごくします。


 あと、『The Hussar General』の最初の辺りに、騎兵のサーベルによって人間がどう斬られてしまうのかの詳しい描写がありました。

 グロ注意です!

 この重いサーベルは一撃で手足を切断し頭を割る事が出来、これらの短い行動の後、切断された人や馬を踏みにじるぞっとするような光景が見られるのだった。彼の馬にまだ両足を広げている男はその顔に斜めの一撃を受けており、彼の口はあごがぽっかり割れて彼の胸に落ちてしまうほどに深い傷を負っている。頭のない死体が手綱を握ったまま鞍の上に直立状態で座っている。その腕のないユサール兵は、依然として膝でグリップしているのだ。これらの様な事があまりにも当たり前で日常的な事となってしまった……


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『TUNISIA』キャンペーン第2ターンでビゼルト陥落!(T_T)

 ホントに久々に、ワニミさん宅にお邪魔して、ようやく『TUNISIA』キャンペーンを開始することができました(前回はセットアップのみ)。

CIMG0733.jpg
 ↑
 マップ全景……ではなく、よく使う北半分のみ。


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 私は枢軸軍側を担当することになっていたので、枢軸軍側(東側)からの景色。黒い線が枢軸軍側の前線で、赤い○がチュニス(左側)とビゼルト(右側)の港。青い○は一番近いところにいる連合軍部隊です。


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 連合軍の攻勢は、(実は私は予期していなかった)真ん中方面がメインでおこなわれ、そこにいたイタリア軍戦車部隊が壊滅。で、枢軸軍ターンなんですが、結構悩んだんですが判断材料の8割方が「反撃」に有利な材料だと思ったので、装甲部隊2ユニット(190とWizig)の11戦力+イタリア軍歩兵3戦力で反撃してみました(赤い楕円の部分)。

 航空爆撃が、爆撃力は3しかなかったのに2Dで6ゾロが出て、DGさせた上1ステップロスさせる!(それまで空戦では負けまくっていたのですが) 次の攻撃でさらに1ステップロスさせ、ここまで陸上ユニットのキルレシオは2:1。結構よいかも。

 しかし連合軍は続く第2ターンで、一番海沿いの道路の守備部隊を飛ばして突破してきまして(青い矢印)、南の方は気にしていたのにここらへんの一帯をほとんど気にしていなかった枢軸軍は、ビゼルトに移動モードで0戦力の守備隊しか置いておらず、ビゼルトが陥落!(T_T)

 「コレは……終わりなのではなかろうか……?」と思ったりもしたものの、「OCSは振れ幅もでかいけど、その分揺れ戻しもでかくなるので、一掃できるのでは」というように言われ、確かに以前からそのように思ってもいましたし、反撃してみよう、と。


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 ドイツ軍装甲部隊2ユニットのオーバーランでビゼルトへと進撃していきますが、ビゼルト自体への攻撃はサイの目が悪くてはじかれてしまい……(T_T) しかしこのターン中にビゼルトを落としておかないと増援部隊を揚陸されてしまうので、歩兵部隊をかき集めてなんとかして奪還しました。


CIMG0737.jpg

 というわけで、第2ターン終了時の枢軸軍戦線ですが、割とボロボロです。ただ、投了してしまうには、まだ可能性がゼロではないと思えるので、続けてやろうということになりました(体調問題によりプレイはここまで)。

 反省点は色々ありますが、ビゼルトに0戦力部隊しか置かなかったのが最大の反省点(大都市なので0戦力部隊でなければ守れた可能性が高かった)。あと、前線守備部隊の強弱(+その背後の縦深の部隊)への配慮が足りなかった、予備部隊を第1ターン終了時にゼロにしたのはまずかった、突破されるのは戦力的にしょうがないので突破される部分を操作して反撃できるように企図するのをもっと意識すべき……? とかとか。うーん、面白い

 『TUNISIA』シナリオ1「チュニスへの道」のセットアップシートも作ってプレイしたり研究したりしたいと思いました。

1809年5月18日~26日 ライプツィヒ周辺

 承前、ブラウンシュヴァイク公の動きの続きです。

 関係各資料を読んでいると、あの後やたら登場人物が増えるのですが、正直把握/理解しきれず、「順番に、最も細かく分かるところまで理解しつつ読んでいく」ことの限界を大きく感じました。細かいことが気になって前に進めない性格の欠点は、ある程度は分かっていたんですが……(^_^;

 というわけで、「とりあえずある程度記述の少ない資料でもって大掴みしてしまう」べきだなと思いまして、『Brunswick Troops 1809-15』でもって地図をどんどん作っていこうということに方針転換しました。

1806_1812Map02_1809_05.png

 6月12日の時点で、オーストリア・ブラウンシュヴァイク軍はドレスデンを占領し、その西の辺りまで進んでいます。

 ドレスデンはザクセン王国の首都ですから、ザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世(「やることなすことうまくいかない人(少なくともナポレオン戦争中は)」という印象があります)やドレスデン市民はどうしていたのだろうか……というのも個人的に気になってました。

 とりあえずフリードリヒ・アウグスト1世はヴェストファーレン王であるジェローム・ボナパルトに救援要請を発していたのですが、ジェローム・ボナパルトは当時独断でプロイセン軍部隊を率いてヴェストファーレンなどで大暴れしていたプロイセンのシル少佐(5月31日に敗死)の行動のために、ザクセンへの救援が遅れることになってしまっていたようです。
(このシル少佐の件も大いに知りたい/調べたいところなのですが……!)

 しかしともかく、ジェローム・ボナパルトはまずは?ザクセン王の警護のためにEisenachへいくらか部隊を送り(時期不明)、6月18日にはヴェストファーレン王国の首都カッセルを出発し、24日にはライプツィヒに近いMerseburgに到着しました。

 オーストリア・ブラウンシュヴァイク軍の方ではすでに6月22日にはライプツィヒを占領していたのですが、ジェロームの部隊が近づいてくるのを知って24日に退却します。そしてジェロームは26日にライプツィヒに入り、ライプツィヒ市民の歓呼を受けました。

 とりあえずここまで。

『TUNISIA』マレトラインの連合軍

 5/11、ミドルアース大阪に行ってきまして、こかどさんとOCS『TUNISIA』のマレト・ラインシナリオをやろうとしてみました(といっても別件の話を長々してたり、時間の関係とか気力の問題とかもあってそもそもまったく大したことはできてないのでそこのところ勘弁してやってください(^_^;)。

 以前一度マレトラインシナリオをやったことがありました(『TUNISIA』マレトラインシナリオ)が、その時は枢軸軍側で、今度ぜひ連合軍側でやってみてみたいと思っていたので、連合軍側を持たせてもらいまして。

 まず枢軸軍ターンなので、こかどさんが制空権を握るべく戦闘機で空戦。その後陸上ユニットを3ユニットだけ動かしてDAK司令部の南東に戦線を張って、補給をなるべく使用しないようにして終了(あ、あと勝利条件都市のGabesに陣地を作っておられました)。で、連合軍のターン。

(↓この写真は途中経過というよりは、投了後に再確認のために司令部を置き直ししてあります。また、黒い線が戦線、青い四角は枢軸軍の装甲部隊の中身を仮に置いてある場所、黄色枠ヘクスが連合軍の補給源です。)
CIMG0718.jpg


 やるべき事として補給路の確認がありますが、

松浦:「ここ(Médenine:赤色枠ヘクス)に村があるので降車可能ヘクスですから、ここから補給を引くんですね」
こかど:「そうだね」

 ということで補給範囲を確認しつつ、せこせこと機甲部隊を山脈の西側に動かし、マレトラインには(ワジで攻撃戦力が半減しない)歩兵をぶつけるべく部隊を動かしておりました。

 ところが、ある程度までやったところでハッと気付きました。

松浦:『ここ(Médenine)、鉄道線が走ってないから降車可能ヘクスでもなんでもないじゃん!

 ということは、あくまで補給源から補給を引かねばならないということなのか……。数えてみたところ、写真上の山脈の東側に置いてみた司令部の位置からなら補給源まで補給が引け(緑色の矢印)、その司令部は戦闘モードであればぎりぎりDAK司令部のあたりまで補給路が伸ばせますが、こんな余裕のない補給線では柔軟な戦術戦闘はできないですから、マジで山脈の西側に攻勢をかけるならば、途中の地点に補給集積などをしておかねばならないでしょう(あるいはマレト・ラインの第一線を抜いてそこから西へ補給路を通すか)。

 前回のマレト・ラインシナリオでのプレイについてワニミさんが「ルール間違えてたので、今後ちゃんと対戦者と確認しながらやった方がいいなと思いました」と後日仰っていた(しかし私は詳しい話は分かっていませんでした)ことや、あるいは史実を調べてみると史実では第3ターンくらいから連合軍側の山脈の西への攻勢が始まっていることなどを考えて、得心がいきました。

「なるほど~。そうするとこのシナリオで連合軍は、とりあえずはマレト・ラインへの攻撃をかけながらも、2ターン程度をかけて山脈西側への攻勢を準備し、3ターン目あたりから山脈西側への攻撃をかけ始めるのだな~」

 また、マレト・ラインへの攻勢にしても、防御砲撃で攻勢部隊はほとんど混乱させられることが目に見えている中で、数カ所あり得る占領目標ヘクスをどう配分していくか(陽動や犠牲を勘案しつつ)……また枢軸軍の補給を使わせるためにどうしていくか(コストパフォーマンスをどう見積もるか)……あるいは部隊の効率的運用のためにどう部隊編成や地域配分で戦っていくか……など、色々考えるべき、考えられる要素があって、非常にワクワクしました。

 と、しかし、やり直しする気力はなかったり、他諸々の事情により、この時点で投了しまして、こかどさんは3ユニットを動かしただけで勝利されました(おい)。いや、このようなプレイに笑ってつきあっていただけるこかどさん本当にありがたいです。その後、来られた鉄人デグさんを交えて、OCS談義で盛り上がりました(が、所用のため早々に帰宅しました)。

 『TUNISIA』はほんとやりやすくて良いです(絶版なのが残念……)。カセリーヌ峠シナリオにも興味はありますが、それよりもこのマレト・ラインシナリオが現状ダントツで興味がありますね。今度また、ちゃんと事前計画立ててやってみたいです(セットアップシートを作り始めてみました)。

 あと、Médenineの北東2ヘクスのところにある司令部に補給線が引けないの件なのですが(前回まったく分かってなかったのですが)、その場所ではこの司令部には補給線は引けないと思われます(補給源から司令部に向けて5移動力+1なら引けるのですが、司令部から引かねばならないと思われるので)が、Médenineにいた司令部からこの司令部に補給を与えて1ヘクスだけ紫色矢印の方向に動かせば補給が引けるようになると思うので、そうすれば良い……? という選択肢なのだろうかと思いました。(しかし、補給の引き方についてまだ何か考え違いをしている可能性もあるので、ご指摘いただければ幸いです)


 ミドルアース大阪ですが、しばらく体調不良&別件の仕事があって休んでいたのですが、その間に来られた新しい方々とか、あるいはこの日も何人も「興味があって」とか「昔やっていて」とか「転勤で」という方が来られて、なかなかすごかったです。人数が増えれば嬉しいですし、どんどんそういう方が来られればなぁと思います。

『激闘! バルバロッサ作戦』でモスクワへの突破!

 5月4日、5日と長浜のゲーム合宿に参加してきました。

 目当ては『激闘! バルバロッサ作戦』です。今回はGJ編集長とGJ友の会常連?3名と、岡山ボードウォークの方々+Trajanさんで、枢軸軍が5名、ソ連軍が3名で2日がかりで8ターンまでプレイしました。

 私は前回『激闘! バルバロッサ作戦』テストプレイと同様にドイツ軍側のホト(第3装甲集団)を担当しましたが、前回までとは異なりホトとグデーリアンの間には(ブレスト・リトフスクが2ターンまで落ちなかったことを除けば)重大な障害がほとんどまったく起こらずミンスク前の小包囲も、ミンスクでの大包囲もほぼ完全に成功し、かなり良いスタートとなりました。

 ただ、北方軍集団はチットの順番の関係でダウガスピルスがすぐに陥落せず、しかもウェルキエ・ルキのソ連第22軍が援軍にやってきて大苦戦(この第22軍は最終的に、活性化されるのを1ターン遅くするのが適当であろう、という裁定になってました)。

 レニングラードを取るのは不可能という判断になったため、途中で手薄だったウェルキエ・ルキ方面に北方軍集団は転進します。中央軍集団は2個装甲集団のくるまがかりでモスクワ方面への突破をはかり、(私が参加した)連結ゲームテストプレイ4回目で初めて、モスクワ方面への突破を果たしました(といっても、実は2日目私は寝不足?と体調不良からほとんど寝てまして、指揮はグデーリアンとマンシュタインがほとんど全部やってました(^_^;)。

CIMG0700.jpg


 南方軍集団はボードウォーク店長さんが指揮されていて大進撃されていたのですが、キエフは惜しくも取れず。勝利条件的には大まかに言って「モスクワ方面への突破をした上で、さらにレニングラードかキエフのどちらかをとっていれば枢軸軍の勝利」らしいので、惜しくも敗北となりました。

 が、今回はかなり気をつけていたので今までのように手薄な場所からソ連軍の大反撃を食らって危機に陥るということもなく(2回目の連結プレイ時には北方軍集団と中央軍集団がソ連軍に包囲壊滅させられたのは秘密です)、その点やはり進歩はあったという気がします。

 ドイツ軍側としては、やはり勝つ為にはレニングラードかキエフは取らねばならず、レニングラードを取るためにポロツク辺りで第3装甲集団から数個装甲師団を北方軍集団に回すか、あるいは南方大旋回をやることを考えるべきでしょうか。ソ連軍側としては、反撃をかけてドイツ軍側にプレッシャーを与えねばということが言われていました。


 私は一日目はかなり良かったのですが、二日目にほとんど死んでいたのが残念です。尤も、マンシュタイン殿とグデーリアン殿に指揮を任せていたからあそこまで行ったのかもですが(^_^; 出先で良く寝られないのが原因か、前回も2日目ほとんど寝てましたから……というか体調が全般に若干悪いのも確かです(一時期よりはマシなのですが)。
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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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