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『戦争と平和』(AH)のプロイセン軍指揮官達

 風邪は治ったのですが、いまいち何かをやる気が起きません。

 『The Blitzkrieg Legend』の練習……が出来る気はせず、意外なところとして『ボードウォーゲームで見るイタリア軍大敗走:後編』の作業をするということも考えてみたのですが、色々ソフトの扱いを忘れていることが予想でき、そうするとそれも現実的ではない……。

 ただ、そんな中で以前乾野実穂さんの『ナポレオニックこぼれ話』(今はネット上から削除されているっぽいです)をB5サイズ冊子に印刷して読むことができはじめたのでちょっとナポレオニックにやる気が出てきたので、以前からやってみたいと思っていた『戦争と平和』(AH)のプロイセン軍指揮官を調べてみるということをやってみることにしました。


 ↓が指揮官の一覧です。

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 大学生の頃もですが、今でも多くの指揮官は、名前だけは知っていてもどんな人物かは分からないのばかりです。現状、プロイセンに興味があるので、プロイセン軍の指揮官だけでも、どんな人物かは分かる状態になればなぁと。

 その前にイギリスですが、アクスブリッジ卿がユニットになっていたのですね……。ワーテルローの時に部隊を3つに分けるとしたらウェリントン、ヒル、アクスブリッジの3人でやるということでしょうか。オラニエ公……を入れるというのは現実的でないかー。


 さて、プロイセン軍ですが、唯一の能力値2がブリュッヒャー(ブリュッヘル)。

 その他に能力値1で、ブラウンシュヴァイク、ビューロー、ホーエンローエ、クライスト、リュッヘル、ヨルク。

 これらの指揮官は今までにいくらか調べてきてある程度知っている者もいましたが、クライストはちゃんと調べてなかったので、『Dictionary of the Napoleonic Wars』や『Who was Who in the Napoleonic Wars』で調べてみました。


 ブリュッヒャーは別格として、その他のプロイセン軍指揮官を、その活躍の年代毎に分けてみると、こうなります。

 ブラウンシュヴァイク公、ホーエンローエ、リュッヘル
(1806年戦役までに著名であり、1806年戦役でぼろぼろに敗北して退場した人達)

 ヨルク、クライスト、ビューロー
(主に1813、14年戦役で活躍した人達。しかし1815年戦役では彼らの活躍は人為的に制限された)


 ブラウンシュヴァイク公は1792年のヴァルミーの戦いでプロイセン軍を指揮して退却、1806年にはプロイセン軍の総指揮を(形式上)いやいやながら任されてアウエルシュタットの戦いで重傷を負い、数ヶ月後に亡くなりました。

 ホーエンローエは名家の出身で革命戦争で名を挙げ、1806年戦役では3つの主力軍のうちの一つを指揮しましたが、幕僚のマッセンバッハに引きずられて多くの判断ミスを犯すことになり、不名誉のうちに降伏して引退しました。

 リュッヘルも革命戦争で名を挙げ、1806年戦役で3つの主力軍のうちの一つを指揮しました。フリードリヒ大王を敬慕して「なんでもフリードリヒ大王のようにやるのが良いのだぁぁぁぁ」「プロイセン軍の強さはあ、世界一ィィィィィィ!」という感じだったそうです。当然時代の流れについていけず敗北。しかし後にポーランドで戦ったりしたとか。

 ヨルクはナポレオンによる1812年のロシア侵攻に、しぶしぶながら(フランス同盟軍とされていた)プロイセン軍団を率いて参加。しかしナポレオンの敗走の時に、プロイセン王の許可なしにロシア軍と協定を結んで独断でフランス同盟国から離脱。当初プロイセン王は激怒しましたが民衆はヨルクを歓呼し、後に王もそれを認めました。1813~14年戦役で活躍するも、1815年時には現役から遠ざけられて怒って引退(←だったと思うのですが、今ぱっと確認できず)。

 クライストは1813~14年戦役で活躍。Laonの戦いではナポレオン自身に対して勝利を収めたとか? 1815年当初は西方ドイツのプロイセン軍を指揮し、ナポレオンと戦うことになるはずだったのですが、プロイセン王がその任をブリュッヒャーに任せることに決めたため、激怒したとか。なんかここらへんそういうの多い?(また調べます……)

 ビューローも1813~14年戦役で活躍……しかし1815年戦役では、多くの将官がグナイゼナウより序列が上にならないようにするために外されていて、ビューローは唯一のグナイゼナウより序列が上の指揮官として1個軍団を指揮するも、グナイゼナウと仲が悪く&グナイゼナウがビューローの機嫌を損ねないように命令を丁寧に書きすぎて意図が良く伝わらず、ビューロー軍団の行動が遅れリニーの戦いに間に合わず。しかしそれが後に幸いして? ワーテルローの戦いにビューロー軍団を振り向けることができました。1816年死去。


 なんか、プロイセン王フリードリ・ヴィルヘルム3世が指揮官としてブリュッヒャー(&グナイゼナウ?)を選択したことから、後ろ3者は遠ざけられたっぽい感じなんでしょうか(BL?バキッ!!☆/(x_x))。事実誤認もあるかもしれませんが、また調べていこうと思います。


 実は、『Dictionary of the Napoleonic Wars』を取り出す過程でキーボードに本が落ちてキーボードが壊れてしまいました……。ので、あまり今調べたりせずに終了します。良くない時に何かやると良くないっすね……(実はイヤホンも昨日壊れまして……トホホ)。

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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