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『西方電撃戦』の写真をグーグルストリートビューで探してみました

 3/12のエントリー『英辞郎第7版』『西方電撃戦』発売!で書いてました『西方電撃戦』を買ってきました。



 梅田茶屋町の「売り場面積日本一」のジュンク堂で買ったんですが、ミリタリー本コーナーであっても新刊は通常表紙が見える様にして数冊置かれているものなのですが、この本は棚の一番下に、同種本の『パンツァーズ・イン・ノルマンディー』の横に一冊だけ背表紙が見える様にして置かれてました。そもそも冊数入ってなくて、それほど売れる本ではないという判断なのでしょうね……(T-T)

 中身的には、同じジャン・ポール・パリュ氏の『バルジの戦い』をご存じの方なら想像がつくように、膨大な戦場写真と、その半分くらいには現在の同地点の写真、それに割と淡々とした記述が続きます。




 ただ、フランス電撃戦の写真集は↓くらいしかなく、そもそもあっという間に終わってしまった戦争であった為に元々写真が少ない(と『西方電撃戦』に書いてありました)ので、非常に貴重。少し見ただけの印象ですが、死体の映っている写真(グロくはない)がいくらかあったり、撃破された戦車数台の名前と撃破箇所とかが数枚の写真と共に詳しく載っていたり、捕虜の様子とか、色々な写真があります。



 地図はそれほどないのですが、本文部分の文字はかなり多いですし、西方電撃戦の詳細を知る上でも貴重かと。戦車兵の手記からの引用なんかも結構ありますし、時々ある局地の戦いを詳しく地図付きで何ページにも扱っていたりします。何しろページ数も多いので、すぐに読める量では全然ありません。舐める様にじっくり味わいたいと思います。

 値段が高いのは、「売れない本」だから値段を高くせざるを得ないという面があると思うのですが、せめて初版は売り切れるくらいのところまではいってほしいです(第2版が出ないと困るけど)。


 売れてくれる為にも内容を紹介したいのですが、どれくらいやっていいのか……。目次とか、大丈夫でしょうか。

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 第2章で、オランダ・ベルギーの戦いも扱われてます。『The Blitzkrieg Legend』でそこらへんの戦いをやってみたい気が高まってます。

 第3章が恐らくメインの部分で、自作フランス戦ゲームでも扱いたい部分ですが、ここが200ページくらいあり、やはりこの本のメインと言えるでしょう。ダンケルク撤退後も150ページくらい。


 それと、この本を見てやってみたかったのが、戦場写真、現在の写真(と言っても、撮られたのは1980年代から1990年代?)とあるのを、グーグルストリートビューで探してみること。地名が無茶苦茶詳しく書かれているわけではないのでそれほど簡単ではないと思うのですが、なるべく簡単そうなものを探してやってみました。


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 ↑同書P256にある、ロンメルの第7装甲師団によって通過される前のボーモンの町の様子です。

 で、写真のキャプションからボーモンの通りを探し、グーグルストリートビューで探していきます……ありました! 多分合ってるでしょう。それほど苦労しなかったです(わかりやすめのものだからですが)。

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 同書の写真とは結構変わってますね……建物の形は全く違わないのですけども、看板とか標識とか、歩道の幅とかが全然違います。あと、この位置関係だとフランス軍戦車が西を向いていることに……?


 ↓ボーモンの位置。第7装甲師団はディナンでミューズ川を渡河し、フィリップヴィルを通過してボーモンを経由、フランス国境を越えました。

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アラスシナリオ第3回(最後まで)

 前回の続きです。

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 結局、連合軍側の移動は上の様な状態で終えました。運べる補給ポイントはアラスへ運び、道路(橋梁)をおさえておくために一部のイギリス軍ユニットがアラスの東にいるようにしています。


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 さて、ドイツ軍側のリアクションなのですが、第7装甲師団にはいくらかの選択肢があるとは思いますが、ためしにアラス東のイギリス軍部隊をオーバーランしに行ってみることにしました。前回までまったく忘れていたのですが、装甲部隊ユニットは平地でなら攻撃力が2倍になるというルールがある(一方、装甲部隊が防御側の場合、攻撃側の2倍を1.5倍に軽減したりはするが、自分の攻撃力が上がるわけではない)ので、装甲部隊は攻撃を受けるよりも自分から殴りに行った方がいいのでしょう。

 第7装甲師団は(相手側に装甲部隊がいたため)装甲部隊の戦闘力は1.5倍されて、総計20戦力、イギリス軍側は10戦力。アクションレーティングでも1上回っていたのですが、奇襲判定の結果はまさかの防御側奇襲5シフト!(サイの目が悪かった(^_^;)) ロンメルさんの第7装甲師団は2ステップの損害を食らって、やむをえず真下の司令部+補給ポイントとスタックするようにしました。

 一方、トーテンコップフは前回と同じ様に左下の第6装甲師団とスタックし、スタック制限を超えてしまう砲兵部隊のみが後方からフランス軍部隊を撃ちました。砲撃力は6で大したことはなかったのですが、相手のフランス軍スタックの密集度が高かったので右に3コラムシフトされたりで結局DG(混乱)の結果を与えることに成功しました。

 リアクションフェイズはこれで終了です。


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 さて、連合軍側の戦闘フェイズ。まずは砲爆撃セグメントです。

 左下のフランス軍スタックは自身が混乱状態にされ、戦闘力・砲撃力が半減。しかし砲兵を連れてきているので、撃ってみます。砲撃力が半減して5になっているものの、ドイツ軍側の密集度もかなりのものなので当たるハズ……結果はDGとなり、つまりはお互いが混乱の大混乱状態です(^_^;)

 右下への砲撃は総砲撃力44などという恐るべき砲撃だったのですが、こちらはサイの目がえらく低く、DGの結果だけで終わりました(DG+1ステップロスとかもあり得るのですが)。


 戦闘セグメントに入りまして、左下での戦闘。攻撃力は45.5もあったのですが、防御側も27あり、2:1が立たない。しかも奇襲判定は防御側奇襲1シフト……。サイの目も悪く、結局ここのフランス軍は1損害で1ヘクス退却しました。

 ところが右下の戦闘で戦闘力を数えてみてびっくり。攻撃側は70。防御側は(DGで半減して)6。オッズは11:1。奇襲はなしで、戦闘のサイの目も良く、突破+防御側2ステップロス+2退却。


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 さて、最後の突破フェイズです。

 アラスにとどめておいたイギリス軍部隊ですが、左下の第6装甲師団+トーテンコップフを殴りに行くのは戦力的にいくらなんでもキツそう……。これは2ステップロスしている第7装甲師団を殴りに行った方がいいだろうと考え、真南へ。

 右下では、さすがに補給ポイントが足りなくてフランス軍2個師団で第5装甲師団を殴れないことが分かったので、1個師団は補給ポイントを踏みます、が、まったく何も捕獲できず(^_^;)(補給ポイントをいくらか取得できる可能性もあったのですが……ってか、取得できてたらそのまま2個師団で殴れた可能性もあったのか) 1個師団は第5装甲師団を殴る位置へ。

 砲爆撃セグメントでは、イギリス第50自動車化歩兵師団砲兵が第7装甲師団に砲撃を加え、混乱させます。

 戦闘セグメント。第50自動車化と第7装甲のオッズは2:1だったのですが、ここで防御側奇襲4シフト! 第7装甲師団は混乱しながらもイギリス軍部隊に2ステップの損害を与えます(しかし、ここだけ切り取るとかっこいいけど、その前にオーバーランしにいって2ステップロス食らってすごすご引き返してますからね……(^_^;))

 右下でのフランス軍部隊とドイツ第5装甲師団との攻防では、ドイツ軍側に1損害で、フランス軍側は1ヘクス退却しました。



 結果。

 連合軍側の戦果:Cambraiの占領で+1VP、敵に5ステップの損害を与え1.25VPの計2.25VP
 ドイツ軍側の戦果:敵に3ステップの損害を与え、0.75VP

 と、連合軍側の大勝利となりました(^^)//""""""パチパチ


 次は航空ユニットも入れてやってみましょう……。しかし、ドイツ軍側は右下の第5装甲師団がえらい弱体で、そこに来るフランス軍部隊の数も多く、Cambraiを守る事が難しいですね……。次回ドイツ軍の動かし方としては、そっちをどうにかする方向で考えた方がいいのかもしれません。

アラスシナリオ第3回(途中まで)

 というわけで、前回に続いてアラスシナリオをやり直してみました。

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 ドイツ軍側の初期配置は前回と同じままとします(両端に予備があるより、真ん中に予備がある方がドイツ軍にとって有利な様な気がしました)。

 連合軍側にとって前回の件で困るのは、フランス軍部隊が(割と弱体な)トーテンコップフを殴りにいっても、戦闘回避されてしまうこと。しかしフランス軍部隊がまったく何も殴れないのは、まずい。

 そこで思い出したのが、イギリス大陸派遣軍は予備マーカー2個が使える、ということ(フランス軍は使えない……んですよね? シナリオ指定的に)。「連合軍側に予備マーカーって、これ何に使うの?」とか最初は思ってたんですが、移動フェイズの頭に予備マーカーを置いておいた部隊は、移動フェイズ中に1/4の移動力で移動でき、かつ突破フェイズ(つまりこのシナリオの最後の最後)に、予備マーカーを取り外して全移動力で移動し、砲爆撃し、全戦闘力で攻撃できるんですよね。

 これを活用すべきなのだろう……ということで、左下のドイツ第6装甲師団はフランス軍部隊で殴りにいくことにし、イギリス軍側の主力である第50自動車化歩兵師団には予備マーカーを乗せてみました。

 で、アラス周辺のことも考えねばならないのですが……それは後回しにして、右側のDouai~Cambraiの件を先に考えてみました。

 右下のドイツ第6装甲師団を殴りにいくのは、変更なし。ただ、予備マーカーの乗ったドイツ第7装甲師団がリアクションで突進してくる可能性がある。戦闘補給を供給する前に補給集積所などが蹂躙されることは防がねばならないので、いくらか部隊を置かねばならないのかー。しかし、リアクションする側は戦闘はできないけど、オーバーランはできるんですよね……(移動力は半減)。

 そこでオーバーランのルールを読んでみると、移動力が3MPまでのところにしかオーバーランはできない、また、橋梁などでそれを軽減はできない、とあります。『The Blitzkrieg Legend』では小川でも(装軌で)+3MPを要求するので、小川越しに守れば橋梁があってもオーバーランはかけられることはない?

 というわけで、小川越しに戦線?を張ってみました。この理解で合ってるんでしょうか?

 ただし、南側から第7装甲師団が第5装甲師団を助けにいくのを防ぐには部隊が足りないと思うので、それは諦める……。


 と、今日はここまで。

アラスシナリオ第2回

 アラスシナリオについて、もう1回やってみました。

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 前回はドイツ軍は右下と左下の装甲師団に予備マーカーを置いていたんですが、今回はSS-トーテンコップフと第7装甲師団に予備マーカーを置いてみます。

 連合軍側は、別に全部移動させられるっぽい事が分かったので、時々ある「戦闘モードでは前線まで移動力が足りないよ」という部隊は移動モードに変更することだけ気をつけて、全部前線へ。補給ポイントは事前に全部計算して、足りることは分かっているので処理せず。

 で、ドイツ軍側のリアクションを考える段になり……。

「トーテンコップフは攻撃をかけられてはいるけど、予備モードを解除して移動できるので、戦闘は回避して、左下の第6装甲師団とスタックして防御力を増強するか……。トーテンコップフの砲兵は撃てるので、後ろから撃とう。」

「さて、第7装甲師団はどうするか……。右下の第5装甲師団にスタックして防御力を増したらいいんだろうけど、スタック制限の10RE(連隊相当)には2ユニット余るし……」

 とか考えていたら、よく考えてみると、余りの2個ユニットでアラスを蹂躙してスカルプ川の北岸にいけるじゃん、という事に気付く。本来輸送ユニットでアラス辺りに連合軍側の補給ポイントも運んでいるはずで(抽象化省力化でオミットしてた)、それが踏まれてしかも連合軍側に戦闘補給がいかないということに……? いやいやいや、今良く考えてみると、右上の方の司令部とかも全部踏まれるんじゃ……(一応防御力はあるはずですが)。


 なるほど、半ターンのシナリオであっても、補給部隊の防御部隊とか、そういうものは用意しておかなければならないという事が分かりました(^_^;)

 あと、予備マーカーが乗っているスタックは戦闘回避できる(らしい?)というのは、連合軍側にとって痛いですね……。予備マーカーが乗っているスタックに全力で攻撃、というのはバカらしいという事でしょうか(しかし他に選択肢が……)。

 とりあえず、またやりなおしですね~。

『The Blitzkrieg Legend』アラスシナリオソロプレイ

 『The Blitzkrieg Legend』のアラスシナリオをソロプレイしてみました。

 いったんマップ上でやったものを、テキトーにVASSAL上で並べ直してキャプチャして矢印を描き込んだものを下に挙げてます。

 とりあえずVASSALの『The Blitzkrieg Legend』モジュールは、Fog of Warオプションが最初からオンになっている様で、そのままだとソロプレイに重大な支障があります。色々見ていると、[ファイル]→[個人設定を編集]→[全般]タグの、「OCS-Disable all Fog Of War」にチェックを入れてOKし、一度VASSALを終了させて再度起動すると全部のユニットが見える様になるのが分かりました。


 ソロプレイですが、ルールブックは和訳の時にさんざっぱら見ていたわけですが、実際にちゃんとプレイするのはほぼ初めて(以前、『Enemy at the Gates』にほんの少しだけ参加したことはあるのですが)なので、いやいや、分からない分からない(^_^;) 無茶苦茶手探りでマップとルールに首ったけになっている最中に疑問に思ったのが、

「自動車化歩兵師団は戦闘モードだと徒歩タイプなのだが、それゆえ燃料を消費せずに移動できる……という事はトラックとかは元いたヘクスに置いていくという事だろうか? それでどうやって移動先で乗車できるのか……?」

 ってな事を考えてしまいまして、MustAttackで質問してみました。

 そしたらすぐに回答が来てまして、

「そこらへんは抽象化されてるんですよ。あるいは、人乗せてないから補給ポイントを消費するほどでもなく移動させられる、とか」

 ということで「なるほど……」と(^_^;)


 アラスシナリオは入門用シナリオなので色々シークエンスを飛ばせます。さらに私は初めてなので、航空ユニットも無視。そうすると、シークエンスは以下の様に(といっても、基本のところは残っていて、枝葉末節が抜けているぐらいですが)。

■モード決定&移動フェイズ
  モード決定&移動セグメント

■補給フェイズ

■リアクションフェイズ
  移動セグメント
  砲爆撃セグメント

■戦闘フェイズ
  砲爆撃セグメント
  戦闘セグメント

■突破フェイズ
  移動セグメント
  砲爆撃セグメント
  戦闘セグメント

 よーするに、移動した後に一般補給をチェックして、相手側のリアクションがあり、戦闘した後、突破が可能ならする……という事ですね。半ターンしかないシナリオなので、連合軍側でこれをやって終了するシナリオです。

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 最初色々な部隊が初期損害をプレイヤーが配分することになっているので、以前鉄人デグさんから「砲兵はポイントないから撃てないよ」と聞いていたので、とりあえず師団砲兵から飛ばしてみました(しかしこれは結果から見るとよくない選択だったかも)。ドイツ軍は、アラスのすぐ下の第7装甲師団は固定(3/25追記:これは間違いで、可変配置でした……)で、あと左下の第5装甲師団、右下の第6装甲師団(それぞれ画像ではDG(混乱)モードマーカーが置かれてます)、SS-T(トーテンコップフ)はやや自由配置ですがとりあえずの位置に(基本的によくわかってないので、テキトーです)。

 まず悩んだのは、補給フェイズに一般補給が引けなきゃならない……の件なのですが、ArrasおよびDouaiから引けるっぽいのでまあこのシナリオで問題になることはないだろうと判断(Arrasは占領してなきゃだけど)。

 それで次に考えたのは、移動時に装軌/自動車化部隊は燃料で補給ポイントを消費し、砲爆撃で補給ポイントを消費し、戦闘で戦闘補給で補給ポイントを消費する……辺りの件なのですが、これはどうも概算すると最大限やったとしても足りるだけの補給ポイントがあって、引けそうな感じ。

 そうすると次に移動なのですが、最初は「全力で第7装甲師団だけを殴ってみるとか?」かなぁと思ったりしていたのですが、ゲームルールで「英仏混合では殴れない」とか、移動力が足りないとかいう問題から考えて、Arras周辺のイギリス軍は左下へ、Arrasの北のフランス軍は第7装甲師団へ、Douai周辺のフランス軍は右下へ……と行くしかない感じ? Arrasの北のイギリス軍が初期配置のまま放っておかれているのは、ZOC停止で動けなくなるかと思ったからなのですが、いやいや今良く考えたらそこに自軍部隊がいたら大丈夫だったか(^_^;)

 連合軍の移動は終わって、さて、リアクションフェイズなのですが、何が出来るんだっけと再確認してみると、「あ、戦闘はできないのかー」。ドイツ軍側から戦闘をかけられるような気がしてしまってました(^_^;) 右下と左下の装甲師団に予備マーカーを置いてみていたのですが、移動してもしょうがない様な気もするので、単に予備マーカーを外すだけにしてみました(しかし今考えると、戦闘回避が出来たのか?)。

 砲兵部隊は最初の損害配分でだいぶ削ってあったのですが、Douai周辺には結構砲兵部隊がいたので、右下で集中して撃ってみることにしました。左下でも砲兵部隊があったので、撃ってみる。そしたら、どちらもDGの結果に(左下には損害1ステップも)。「DGはどうなるんだっけ……なになに。戦闘力半減で、アクションレーティングが-1? それはでかそうな……なるほど、砲撃はこの為に使うのだな……」

 さあ、戦闘解決です。左下からやったのですが、アクションレーティングに差がなかったにも関わらず、奇襲チェックで防御側の6シフト奇襲に! で、イギリス軍側に損害が出たのですが、後で良く考えたらDGによる戦闘力半減を処理してなかったので、そこまではいかなかったかも。

 真ん中では大した戦果はなく、お互い退却(を選択)。

 右下ではフランス軍が大部隊を集結させているだけあって、ドイツ軍側に2損害+2退却を与え、突破の結果さえ獲得。続く突破フェイズでは右下のCambraiは落とせるでしょう……。

 ってな辺りまでやりました。


 派手に色々間違えてましたが(^_^;)、まあ最初なのでこんなものでしょう。また時間がある時に再度、再々度やっていって、ルール習得していきたいと思います。

『ブリュッヒャーとプロイセン』第3回:1757年のブリュッヒャーとカール

 『ブリュッヒャーとプロイセン』第3回、「1757年のブリュッヒャーとカール」です。

 カールというのは、カール大公のことではなく、ブラウンシュヴァイク公カール2世、あの「ヴァルミーで負け」、「アウエルシュタットで負け」たことで有名(^_^;)なブラウンシュヴァイク公のことであります。


 なんでいきなりそーゆー人が出てくるのかといいますと……。以前からオラニエ公(父と子)、ブラウンシュヴァイク公(父と子)にも興味はあり、その一部については書きたい……と書いてましたが、1758年以降の地図を用意するために調べ物をしていたら、ブラウンシュヴァイク公(父)の叔父にあたるブラウンシュヴァイク公フェルディナントが1758年から活躍しはじめるので、「そうか……そういえばブラウンシュヴァイク公(父)のこと関係でフェルディナントのことを調べてそれも地図に描こう」と思い、ついでにブラウンシュヴァイク公(父)について調べてみたら……あらら、1757年に初陣してるじゃん! だったらもう、ついでに地図に入れてしまおう……ってか、だったらブラウンシュヴァイク公(父)についても書くか……となったわけです(オラニエ公やブラウンシュヴァイク公については別立てで書こうかとも思っていたのですが、まあ別立てでもいいし、『ブリュッヒャーとプロイセン』の中に組み込んでもいいし、テキトーにやろうと(おい))。

 調べてみるとブラウンシュヴァイク公(父)は、日本語Wikipediaでは「フェルディナント」と呼ばれたりしてますが、カール2世というのがブラウンシュヴァイク公としての名前らしいので、カール、あるいはカール2世と呼ぶのが良いのではないかと思いました。というか、日本版Wikipediaのカール2世の記事がかなり充実してます。しかし、叔父のブラウンシュヴァイク公フェルディナントの記事はまったく存在すらしていません。なんでやー(↓の七年戦争のツィーテン将軍の記事はものすごく詳しいのに)。

 あと、七年戦争の記事を読んでいるとプロイセン軍側の将軍としてツィーテンという人が出てきまして、ワーテルローの時の軍団長のツィーテンと何か繋がりのある人かも? と思ったりするわけですが、日本版Wikipeidaの「ハンス・ヨアヒム・ツィーテン」では、「遠戚である」と書いてある一方、英語Wikipediaにの「Hans Ernst Karl, Graf von Zieten」には、「he was not related to the Frederician general Hans Joachim von Zieten.」と書いてあります。どっちやねーん!



 1757年に北プロイセンへ侵攻したスウェーデン軍は、12月に来援したレーヴァルト元帥麾下のプロイセン軍によって撃ち破られ、スウェーデン領ポンメルンの港湾都市であるシュトラールズントに押し込められ、封鎖されることとなった(*10)。

*10:この1757年のスウェーデン軍の行動にブリュッヒャーがどう従っていたかは、手持ちの資料からは不明。


 この七年戦争の第2年目、1757年にブリュッヒャー同様に初陣を経験したのが、後にブラウンシュヴァイク公としてヴァルミーの戦いでフランス革命軍と対峙し、1806年の対ナポレオン戦争で最高司令官として敗北を喫することになるカール・ヴィルヘルム・フェルディナントである(以下、カールと表記する)。

 カールは、プロイセンとハノーファーの国境周辺に領地が分布するブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領の君主、ブラウンシュヴァイク公(*11)カール1世の長男として1735年10月9日に生まれた。母は当時のプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の娘であり、後のフリードリヒ2世の4歳妹にあたるフィリッピーネ・シャルロッテである。

*11:正式には「ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公」。

 この一事だけでもブラウンシュヴァイク公カール1世にとってのプロイセンとの結びつきは強固であると言えるだろうが、いやいや、それどころの結びつきではなかった。なんと、カール1世の2歳下の妹エリーザベト・クリスティーネはフリードリヒ2世と、9歳下の妹ルイーゼ・アマーリエはフリードリヒ2世の弟アウグスト・ヴィルヘルムと結婚しているのである。

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 つまりカール1世の兄弟3人が、フリードリヒ2世の兄弟3人と結婚しているのであり、この後七年戦争中にプロイセンがいかに窮地であろうともブラウンシュヴァイク家がそれを支え続けたのはこの婚姻関係の為だったのかもしれない(ただし、なぜこの様な婚姻関係を結んだのか、についての説明を見つけられていないので、ぜひ知りたいところ)。

 ただし、フリードリヒ2世とエリーザベト・クリスティーネとの結婚生活は非常に不幸なものだった。『フリードリヒ大王 啓蒙専制君主とドイツ』を見ると、フリードリヒ2世は父王の軍国主義的厳しさにつらい目にあわされ続け、優しい母(イギリス王ジョージ2世の妹ゾフィー・ドロテア)が望んでいたジョージ2世の娘アメリア・ソフィアとの結婚をずっと夢見ていたらしい。ところが父王がこれを頑として許さず、無理矢理にエリーザベト・クリスティーネと結婚させられたのである。父王への反抗の故であろうか、王になった後もフリードリヒ2世はエリーザベトとは行事の場でしか会うことはなく、完全に別居状態であった。

 日本語Wikipedia「エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1715-1797)」にはこう書かれている。

 エリーザベトは美しい容姿で、信仰心が篤く善良な人柄であったが、フリードリヒは終生彼女に関心を持つことがなかった。控えめな性格でもあった彼女は、王に顧みられることの全く無い境遇を甘んじて受け入れ、かつひたすら夫を深く尊敬し続け、1786年のフリードリヒの死に際しては人一倍悲しんだと言われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AF%EF%BC%9D%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%AB_%281715-1797%29



 二人の間に子はなく、フリードリヒ2世は自身の跡継ぎを残さなかった為、前記の3組の婚姻関係のうちの最後の1つ、フリードリヒ2世の弟アウグスト・ヴィルヘルムとルイーゼ・アマーリエとの間の息子がフリードリヒ・ヴィルヘルム2世として、プロイセン王を継いだ。

 閑話休題。

 さてカールは、公爵家の跡継ぎとして非常に幅広く徹底的な教育を受け、若い頃にネーデルラント、フランス、ドイツ各地を旅した。

 彼の初陣は、この1757年、イギリス王ジョージ2世の三男であるカンバーランド公の元でであった(21歳の時)。七年戦争でプロイセン側についていたのはイギリス、ハノーファー(この2国は1714年以来同君連合であり、当時その2代目のジョージ2世が君主であった。ジョージ2世はイギリスにおり、ハノーファーは貴族達によって統治されていた)、ヘッセン、ブラウンシュヴァイク、ザクセン=ゴータなど数えるほどしかなく、その他列強やドイツ諸邦は敵側である。

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 フランス軍10万がハノーファーを攻略しようとするのに対して、イギリス側はハノーファー、ヘッセンおよびプロイセン(10,000名)の兵を合わせ、合計47,000名の兵をカンバーランド公の指揮下に置いた。ハステンベックの村で両軍は会戦し、当初はカンバーランド公側に有利に展開した。カールは歩兵旅団の先頭に立った勇敢な突撃で名声を勝ち取った。だが結局カンバーランド公側の部隊は崩壊し、軍勢はばらばらになって北を目指した。最終的に1757年9月8日にクローステル・ツェーヴェン協定(ツェーヴェン修道院協定)が結ばれ、カンバーランド軍は解散となった。だがカールは、カンバーランド公の後任となった叔父のブラウンシュヴァイク公フェルディナントに説得され、幕僚として戦争を継続することにした。叔父のフェルディナントは非常に優秀な将軍であり、苦境の連続の七年戦争の間、西部戦線を数度の勝利で彩り、維持し続けた。カールはこの後数年に及ぶ戦いの中、叔父の指揮下でさらに名声を獲得し、特に1758年のミンデンの戦い、1760年のヴァルブルクの戦いでの活躍が大きかったという。




 実は、カールについては七年戦争期にはこれ以上の記事をとりあえず見つけてません。日本語Wikipediaにはこの期間中の父との確執についても書かれているのですが、なんか良く分からないのでスルーして、英語Wikipediaの方の記述に基本的に沿って書いてます。

 ブリュッヒャーが関係したスウェーデン軍の1758年についての動きはいくらかあるので、次回こそそちらを。ブラウンシュヴァイク家については、ブラウンシュヴァイク公フェルディナントの動きについて今後地図で描いていく感じにしようかと。

ミュフリンクについて再点検

 ここ数日ずっと気になっている事がありました。それは、以前「偉大なるプロイセン陸軍参謀総長様だったとわ……!」で書いていた、ワーテルロー戦役時のプロイセン連絡将校として知られているミュフリンクが後のドイツ参謀本部の参謀総長であった……という件について、「もしかしてあれって、Wikipedia上の勘違い情報で、他の資料には全然載ってなかったり、あるいは同名の別人だったりするんじゃ……?」という疑いがもたげてきたこと。

 先日、渡部昇一氏の『ドイツ参謀本部』とヴァルター・ゲルリッツの『ドイツ参謀本部興亡史』を読み返していた時にも、ミュフリンク参謀総長について、ワーテルローの時の事は何も書かれてなかったし、『Dictionary of the Napoleonic Wars』にはワーテルローの時の事は書いてあっても参謀総長になったとは書かれてなかったし……(そもそも記述が10行くらいしかない)。

 気になりつつも目を背けていたのですが、今日調べてみました。そしたら……大丈夫でした。『Who was Who in the Napoleonic Wars』にはミュフリンクについて詳しい記述があり、連絡将校の件についても、参謀総長職についても書かれていました。一安心……。

(しかし、以前のエントリーで書いていた1794年の対フランス戦役でのミュフリンクというのは、同名別人ではなかろうかという気もしてます)


 訳していて面白いなと思ったのが、以下の記述(訳にいまいち自信がなかったりはするのですが……最近、やたらワンセンテンスが長い英語文を訳すことが多く、若干慣れてきた気もするのですが、しかし危うい)。

 彼がこの職【連絡将校】に選ばれたのは恐らく、彼の英語の知識の故であった(だが彼は、彼の英語知識はGoldsmithの『Vicar of Wakefield(ウェイクフィールドの牧師)』を読む能力を超えたものではなかったと認めている)。彼は当初この任命に乗り気ではなかったが、彼が連合軍将校のうちで最も有能な人間のうちの一人であることが分かって来て、ウェリントンに好かれ、尊敬された。

 He was selected for this post perhaps for his knowledge of English (though he admitted that his knowledge of the language had not progressed far beyond the ability to read Goldsmith's Vicar of Wakefield!), and although initially not enthuiastic about the appointment he proved to be an most valuable member of the Allied staff, liked an respected by Wellington.



 「英語が出来ない連絡将校」というネタをどっかで見た気がするもどこで見たかを発見できてないのですが、「英語の知識の故に選ばれた」しかし「本人は自分の英語の知識は大したものではなかった」と認めている、と。

 それから、ミュフリンク自身が連絡将校という任務に乗り気でなかったのだけども、その有能さからウェリントンに後に好まれ、尊敬される様になった……というのは(訳があっているとしたら)、なかなか非常に面白いです。以前のエントリーに書いたような「ドタバタとした、からかわれる対象としてのミュフリンク像」とは全然違ったミュフリンク像こそが本当だった……?

 これが合っているとしたら、ウェリントンに評価されていく過程のミュフリンクとの逸話とか、ぜひ知りたいところです(しかし、訳が間違ってましたらぜひご指摘お願いします!(^_^;))。



 あと、『Who was Who in the Napoleonic Wars』のブリュッヒャーの記事も訳しておいたのですが、そこに1812年にブリュッヒャーはポメラニア総督をやっていたとありました。今まさにポメラニア辺りで地図を作っているわけですが、そこらへん面白いなぁと思いました。

『ブリュッヒャーとプロイセン』第2回:スウェーデン軍の兵士となる

 書けたので、『ブリュッヒャーとプロイセン』の第2回を。ブリュッヒャーがスウェーデン軍に所属することになるまでです。

 前回も出してましたが、地図を再度。

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 1756年のフリードリヒ2世によるザクセンへの先制攻撃に対して翌1757年、オーストリアのみならずロシアやフランスが対プロイセンの兵を差し向けた。1720年にプロイセンに割譲させられたポメラニアの領土の回復をかねてから望んでいたスウェーデンも、オーストリアからの誘いと、当時政権の座にあったHats派が『プロイセンのフリードリヒ2世は多くの敵を抱えて敗北するであろうから、失われた領土を回復するまたとない好機である』と信じ、1757年3月に軍を進発させた。

 スウェーデン軍16,000名(*6)がバルト海を渡って北プロイセンに侵攻したが、その時にブリュッヒャーのいたリューゲン島を経由した。戦争を身近に感じたゲプハルト・ブリュッヒャーは、その誘惑に耐えられなくなり、兄のウルリッヒと共にスウェーデン軍のMörner Hussar連隊のとある騎兵中隊大尉に働きかけて、軍務に就くことを申し出た。だが、この試みはあわや失敗しかけた。交渉したその騎兵中隊大尉は彼らの姉の夫と知り合いであり、彼らをその家に追い返してしまったのである。

*6:『The Hussar General』P4による数字。『フリードリヒ大王 啓蒙専制君主とドイツ』P72によれば10,000名。


 彼らの姉の夫であるフォン・クラックウィッツは自身が以前騎兵大尉をしていたことがあり、妻と共に2人の義理の弟達に、軍隊に入らないように訴えたが、2人はそれを拒絶した。ゲプハルト・ブリュッヒャーは主張した。自分は遅かれ早かれ軍隊に入るだろうし、「そして軍隊に早く入った方が、失う時間が少ないだろう」(*7)。彼らは再びスウェーデン軍部隊の元へ向かい、Mörner Hussar連隊に入隊した(*8)。このことにより、ブリュッヒャーの兄弟全員が兵士となった。彼らは戦争の両側の様々な軍隊、プロイセン軍、ロシア軍、デンマーク軍、およびスウェーデン軍に属していた。


*7:『The life and campaigns of Field-Marshal Prince Blücher』P4
http://books.google.co.jp/books?id=G_UEAAAAYAAJ&pg=PA4&lpg=PA4&dq=and+the+sooner+he+entered+the+service,+the+less+time+would+be+lost&source=bl&ots=WbUnxkcmq7&sig=ZYq_UipNJEShIFVQRcTyr27zQE8&hl=ja&sa=X&ei=t49LUcXNJ4XNkgXGuoCIAg&ved=0CC4Q6AEwAA#v=onepage&q=and%20the%20sooner%20he%20entered%20the%20service%2C%20the%20less%20time%20would%20be%20lost&f=false

*8:『Dictionary of the Napoleonic Wars』P58による。その他の資料ではMörner Hussar連隊に入ったかどうか判然としない(様な気がする)。




 スウェーデン軍の「Mörner Hussar連隊」についてどういうものなのか調べようとしたのですが、検索してもぱっとは出てこないので諦めました(^_^;) 『The life and campaigns of Field-Marshal Prince Blücher』なんかも読んでいってみたい気に駆られるのですが、(英語力の問題もあって)様々な文献を調べる事に主眼があるわけではなく、「とりあえずのブリュッヒャー伝を日本語で書いてみる(間違いが分かれば後で修正する)」ことに主眼があるので、基本は『The Hussar General』のみで、その他周辺事情を参照しやすい諸本で足していく……という事に限ろうと思いました。

 あと実は、この時ブリュッヒャーが「リューゲン島の近く」にいたのか、「リューゲン島(の中)」にいたのか、いまいちよく分からない(『The Hussar General』にどちらの表現も出てくる)のですが、「まあもうどっちでもいいじゃん」という投げやりな態度で(おい)、「リューゲン島の中」という解釈でやってます(第1回では「リューゲン島の近く」と書いてあるのですが、自分の元データを書き換えておきました)。

 この後、(多分)ブリュッヒャーは3年間スウェーデン軍に所属して七年戦争を戦うのですが、その地図を用意していきたいと思ってます。

ブリュッヒャー関連の七年戦争地図に着手

 3/20の祝日には、フランス革命戦争について調べ始めようかと思っていたのですが、それは後回しにしてブリュッヒャー関連の七年戦争について調べることにしました。

 『ブリュッヒャーとプロイセン』を書き始めているわけですが(まだ第1回しか書いてませんが(^_^;))、とりあえず七年戦争におけるブリュッヒャーの活動について書かねばならず、それが終わってブリュッヒャーが軍隊をやめて農場経営者になって、その後再度軍隊に入って、フランス革命が起こって……という所まで書いて、その後フランス革命戦争について調べた方が順番として良さそうだと思いまして。


 ただ、私は七年戦争にそれほど興味があるわけではなく、正直言って七年戦争の経過についても良く理解していないので、ブリュッヒャーに関連して私の興味の持てるところだけ調べて書いていく感じになります。

 資料としては、『歴史群像 No.64』の記事「フリードリヒ大王の七年戦争」(←Wikipedia日本語版「七年戦争」の脚注が、これだけからであるという……)、『フリードリヒ大王 啓蒙専制君主とドイツ』……以上になります。本当は「七年戦争」という上下巻の本が出ているのですが、評価があまりにも悪く、まったく手を出す気になりません……(T-T)



 それと、英語版Wikipediaを適宜参照してます。「Swedish Pomerania」とか、「Pomeranian War」とか。

 とりあえず、1757年のスウェーデン軍によるプロイセン侵攻の時にブリュッヒャーが自分の身近に軍隊が通るのを見て、それに入隊することになるのですが、それ関係の地図を作ろうと。

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 基本的には『歴史群像 No.64』P73の「1757年の戦況②」という地図を一番参考にして作ったのですが、色々推測が交じってます

 リューゲン島を通っているスウェーデン軍の矢印は、『The Hussar General』に「スウェーデン軍がリューゲン島を通過して北プロイセンに侵入した」と書いてあるので、「まあ多分こんな通り方をしたんだろうな」という勝手な推測による矢印(^_^;) プロイセン軍の矢印とそれに撃退されるスウェーデン軍の矢印は、歴史群像の地図上の矢印そのまま。で、北プロイセンからシュトラールズントへ向かうスウェーデン軍の矢印は、「Pomeranian War」に「1757年にスウェーデン軍がプロイセン領に侵入したことによって始まったが、スウェーデン軍は撃退され、1758年にロシア軍によって救出されるまでシュトラールズントにおいて封鎖された。」と書いてあるので、「まあ多分こんな経路を通って行った(その際、2本目の矢印を踏むと見えにくいから、踏まない様にして……と)んじゃないかな」という適当なものです。

 …………こうやって、乏しい資料からのテキトーな推測が、さも事実であるかのように誤解されながら再生産されていくのですね(バキッ!!☆/(x_x))

 「スウェーデンが1720年にプロイセンに割譲させられた地域」というのは日本語版Wikipediaの「大北方戦争」にあった「バルト帝国」という地図からテキトーに作成したのですが、「Pomeranian War」の方に「よりいい加減でなさそうな地図」があるのに先ほど気付きました。あれでも、元地図の大きさが非常に小さい……。

 あとちょっと書いておきたいのは、シュトラールズントという港湾都市の位置に関してなのですが、『歴史群像 No.64』の地図では、スウェーデン領ポンメルンの(飛び地は別として)一番西にある細長く突き出た半島の付け根にある事になっているのですが、GoogleMapで調べたら全然違う、上の地図の様な場所にあったので、その様にしてあります。

『戦闘技術の歴史4 ナポレオン編』4/19発売!

 細々としたネタはあるのですが、とりあえず『戦闘技術の歴史4 ナポレオンの時代編』の発売日が4/19に決まった様です! 祝!


 創元社サイト
 ↑ソース


 ↑こちらでは4/23発売となってます。


 この本は私は第3巻(1500年~1763年ヨーロッパ)だけ所有してるのですが、非常に詳しく、値段もそれなりに張る本で、ナポレオン時代の巻を心待ちにしていました。このシリーズの特徴として、戦闘技術について述べているかと思えばその流れでいきなりとある会戦の話に入ったり(良く知らない人には読みにくい)、あるいは詳細にゆるやかな変化について述べていて結局のところまとめて書けば数行で片付くような内容が何十ページにも渡って書かれていたりもするのですが、いや、「それがいい!」という向きもあるでしょう。




 ともかくも、こういう本が増えてくれるのは嬉しい限りです。



 先日、「大陸軍 その虚像と実像」などを自分用に冊子にしてみましたで書いていた冊子の件ですが、R/DさんにPDF配布の許可が取れたので、もし希望の方がおられましたらご連絡下さい。

 私の方はホッチキスの針がようやく届き、80ページ程度の「1800~15年」、230ページ越えの「軍隊・人物・アーカイブ」などを閉じていってみたのですが、しまった、後者に表紙と裏表紙を付けるの忘れた……



 表紙と裏表紙が痛みやすく、へなっとなるので厚紙で表紙・裏表紙にすべきかと思って↑を買ってきて一部のやつにはやってみました。すこぶる快調の様な気がします。

 B5の両面印刷用紙ですが、Amazonにもありました。



 これが早くに検索に引っかかってくれていたら、他のやつもB5でやっていたのに……。



 ↑上記のレーザープリンターで印刷しているのですが、インクジェットより遙かに早く、キレイに印刷出来るのでオススメです。ただ、今まで使用していて、例えば「日」という字の横線部分が細すぎてほとんど見えなくなってしまうのが不満ではありました。ところが、前述のB5両面用紙だと、それが全然キレイにはっきりと印刷される……!

 「これだ! この用紙なのだ!」と思って、喜び勇んで同種のA4両面用紙も買ってきて、『The Blitzkrieg Legend』のルールブックを印刷してみたのですが……横線が細すぎて見えない!(箇所が出る) 一体何なのか……B5用紙だと全然大丈夫なんですが……今後自分のやつはルールブックとかもB5用のやつでもつくろうかしらん(結局A4はインクジェットプリンターで印刷しなおしましたが、時間がかかるし、レーザーよりも品質がやっぱ落ちます)。

 『The Blitzkrieg Legend』の特別ルールブックですが、フト思いついて表組になっているやつに網掛けをしてみました。

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 サンセットの古角さんに渡したデータには網掛けはしておらず、網掛けでは提供されないと聞いております。というのは、網掛けはコピーすると潰れてしまったりするかだそうで、やむを得ないかなと思います。


 その他に、自分で今までに訳してあったブリュッヒャーの伝記本『The Hussar General』をB5サイズで印刷してみました。訳してある部分が1807年までと、1814年以降という、わけの分からない状態ですが(^_^;)

 オラニエ公関連のウェブ資料なんかも訳していて、オラニエ公、ブリュッヒャー双方(あるいはブラウンシュヴァイク公も……)のフランス革命戦争当時のことを理解していきたいと思ってます。オラニエ公は1795年にイギリスに亡命し、1799年のイギリス・ロシア軍によるオランダ遠征に参加したとか、ブリュッヒャーは1793年と1795年のフランス革命戦争に参加していた様なのですが、詳しい事も何も、概略さえ理解してないので、R/Dさんのフランス革命戦争のまとめページで勉強させてもらおうと思ってます。


 

なんば会&送別会に行ってきました

 ここ2、3年?、関西でウォーゲーム会に参加してくれていた25歳のA瀬2等兵さんが就職が決まり東京へ引っ越しになるということで、関西勢としては残念な気持ちもありながら、しかし若きウォーゲーマーの前途を祝してなんば会&送別会が企画され、行ってきました。

 とりあえずなんば会では、一卓で『謙信上洛』がプレイされてました。

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 展開としては、上杉軍を阻止すべく移動していた徳川軍が損耗しまくって崩壊し、上杉軍の勝利となったそうです(^_^;)


 私はもう一卓の方の、北条投了さんの『謀略級三国志改訂版?』の方に参加しました。6人プレイです。以前GJで付録ゲーム化されていた『謀略級三国志』を色々な点で改訂したものだということです。

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 1回目のプレイでは私は荀[或〃]を引きまして、勝利条件は、

1.曹操の軍師であるならば+2
2.孫策勢力が滅亡していれば+1
3.仕えている勢力の城(四角のとこ)の数

 で、合計して10になっていればOK。ところがルールが良く分からないでまごまごしている内に曹操陣営の軍師に他の人が2人もなってしまい、私はしょうがなく呂布軍をそそのかして孫策を滅亡させようと画策するも、絶対勝利だと思われた大戦闘にまさかの敗北! その間どんどん曹操勢力が拡大し、曹操軍の軍師になれない(既にいる軍師が拒否すれば新参は軍師になれない)でさまようも、ひょっと弱小勢力をそそのかして曹操の領地に攻め込ませ「裏切り(裏切って相手側の軍師になる)」カードを発動して軍師におさまり、その後既に7つになっていた曹操勢力をひょいっと動かして8つ目の城を占領して、勝ちを拾わせていただきました(^_^;)


 2回目のプレイは法正。勝利条件は成都で+2、劉璋の軍師で+1。

 しかし、前回のプレイで「戦闘に勝利して自分の持っているカードの枚数を増やす方が得策らしい」という事を学んだので、とりあえず曹操の軍師となって暴れ回ってみます。他のプレイヤーは孫策に軍師2人、劉表に軍師1人、馬騰に軍師1人という状況(A瀬さんはなんか色々放浪してた)。自分は「天下三分の計」という、劉備陣営をいきなり出現させてその軍師になれるというカードを最初から持っており、それを出して劉備軍でやるというのもありだし、曹操で成都が落として勝てるならそれでもいいやと思ってプレイ。

 ところがこのゲーム、軍師が2人いる勢力は移動や補充が2倍のスピードで出来るので強い強い。私としては曹操が滅んだって別に構わないので、むしろやばい勢力をつぶそうと、孫策を暗殺した上で、孫権軍を削ろうとします。ところがそこで水計を使われて曹操軍が壊滅……! と思ったら、A瀬さんが『自分、田豊なんで、北での安全を保証してくれるならこの水計をキャンセルしますけど』と仰ってくれたので、『了解です』とキャンセルしてもらうことに。

 結局孫権軍はやや退潮し、さらに邪魔者をつぶすべく曹操軍を操って劉表や馬騰とも戦います……が、馬騰軍の計略で曹操軍は壊滅! その間に孫権陣営の軍師2人は仲間割れして一人がもう一人の軍師を追い出す!(戦いに行って負けた側の軍師が、もう一人の軍師に負けた責任はお前にある! と追い出したという構図(^_^;)) その後、孫権勢力と馬騰勢力の争いが激しくなり、私は一旦劉璋軍をそそのかして孫権の領地を攻めるも敗北。その間、「やはり2人軍師がいないと苦しい」と考えた孫権軍師が追い出した一人を再リクルートしましたが、叩かれ続けた孫権勢力に代わって馬騰が台頭し、今度は馬騰勢力がみんなの標的に。A瀬さんが軍師となっていた袁紹軍と馬騰軍の一大決戦が行われ、馬騰軍が敗北! 手薄となった馬騰勢力を私がぽっと出した劉備軍(唯一残っていた曹操軍を除去して出した)で分断し、馬騰勢力はジ・エンド。しかしその背後で、一度追い出されていて復帰した孫権軍師が「曹操滅亡しましたね。じゃあ、1個城取って……勝利です!」と劇的な幕切れ。プレイしていた軍師は周瑜で、曹操が滅亡していれば+2なのでした。

 プレイ終了後、すべての軍師をオープンにしてみれば、なんと孫権陣営では陸遜が周瑜を追い出していたことが判明。なんという……!(^_^;)

 いやはや、なかなか面白いゲーム&プレイでした。駒が除去されると裏になって、新しい人材が湧いてくるだとか、中原出身の武将が多いので中原を押さえるとたくさん人材(駒)をリクルートできるので中央部を取る事にも意味がある……なんていうギミックも面白かったです。


 東京へ行かれるA瀬さんには、私から『積み木のロンメル』と『NO RETREAT!』を餞別として進呈しました。どちらも恐ろしいほどの名作として名高いですが、私はどうも、ヘクス数がある程度以上いっぱいあるゲーム(具体的に言うと小さめのヘクス経でハープマップ以上ぐらい?)でないとダメらしいという事が分かって来まして、プレイしてみても面白さよりはつらさがついて回るので(『積みロン』で色々お世話になった方々、本当にどうも申し訳ありません……(T-T))、「これら名作を私なんかのダメダメな人間が持っていて埋もれさせるのはよくない! それよりも前途のある若者に譲って、存分にプレイしてもらうべきだ!」と考えまして。A瀬さんも、どちらも興味あるとのことで、ぜひ東京に行って、東京勢の方とプレイされたり、あるいはA瀬さんと同年代の人でウォーゲームやる人を発掘してプレイされればと思ってます(A瀬さんも「同年代のウォーゲームやる人がいなくて……どうしたら同年代でやってくれる人が見つかりますかね?」と仰っていたので、「ウォーゲームというものの存在を知れば興味を持つ素養の人は一定数はいると思うので、ウォーゲームの露出を多くして、とにかくウォーゲームというものを多くの人に見せて、それで興味を持ってくれる人とやるのが良いと思う。ウォーゲームに興味を持ちそうにない人に、やろうよ、と言ってもそれは無理だから」という風に言っておきました。……どうでしょうかね?)

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 赤瀬さんからは、出たばかりの海洋堂のガチャガチャの「ドイツ装甲師団」シリーズをいただきました。私は無理いってハーフトラックをN川さんから強奪したのですが、申し訳なかったのでまた自分でも買ってお返ししようかなとも……(^_^;)


 また、「連結バルバロッサ」についても編集長に「やりましょうよ」と声をかけまして、京都の編集長宅で、人数が集まれば2人連続プレイ(泊も可能)いいですよと許可をもらいました。人を集める事に関しても許可を頂いたので、興味のある方はコメント、あるいはdsssm@cwa.bai.ne.jpの方にご連絡いただければ。日程はまだ全然未定で、人数がある程度集まったら日程調整していく感じかと思います。ルールは簡単ですし、多人数プレイなので同じ陣営でアドバイスも出来ると思います(というか、敵陣営からも指摘してもらえます←私はこういうプレイが好きで、ガチ寄りのプレイは苦手だという事を最近自覚しました)ので、お気軽に手を挙げて頂ければ!

「大陸軍 その虚像と実像」などを自分用に冊子にしてみました

 『The Blitzkrieg Legend』の作業が終わる頃に、「次はこれをしよう」と思っていたことがありました。

 R/Dさんの「大陸軍 その虚像と実像」や、関連blogを『InDesign』で自分用に冊子にして読みやすく、線を引いて何度も参照出来る様にする……という作業です。

 上記サイト及びブログは、ナポレオニック関係のことについて本当に興味深く、恐ろしく詳細で、珠玉の様なコンテンツであると思ってます(日本語でこういう内容が読めるというのは本当に……!)。以前サイトの方に関しては一太郎でもって(二段組みにせず)だだーっとプリントアウトして読んでいたんですが、そのやり方では読みにくいという問題がありました。また、ブログの方は特に内容が順不同なので、自分にとって分かりやすく並び替えて、出来れば本の様な形にして読みたい、と……。『InDesign』が使える様になってきたので、それをやってみることにしたわけです。

 B5の両面印刷用紙がAmazonを探しても見つからずにいたので、A4でやろうかどうか迷っていたのですが、フリースクール近くの文房具チェーン店でB5両面印刷用紙を見つけたので、B5サイズに決定!(A4は日本人には大きすぎ、弱い紙だと上部左右がよれて見にくい……と思います。多くの同人誌がB5サイズであるのにはそういう理由があるのでしょう)

 『InDesign』上で今までの経験を元にレイアウトグリッドの大きさを決めて、データを流し込んでいきましたが、「大陸軍 その虚像と実像」の部分だけで最終的に236ページ、紙118枚にもなりました。これをホッチキスで閉じるために、また新しくホッチキスも買うことに……



 210枚程度まで閉じられて安めの価格の様な気がします(これ以外だと1万円を超えるような?)。


 印刷、ホッチキス、製本テープ止め……なんかちょっとひんまがってしまいましたが、まあ許せる範囲ということで。ただ、表紙と裏表紙が弱い紙であるためにどんどん破れていきそうなので、文房具屋さんで透明カバーを買いました。


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 分厚さは12mmほど。


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 早速読んでいって線を引いていってます。PDF状態にもしたので、検索もしやすくなると思います。


 続けて関連blogの方も、年毎や「軍隊」「人物」「アーカイブ」「ナポレオン漫画」などのカテゴリに分けて、StoryEditorというソフトで分けていきました。結構時間かかりました……。

 『InDesign』でデータ化するにあたって、「軍隊・人物・アーカイブ」「1800~15年」「ナポレオン漫画」でとりあえず分け、1799年以前のものは今後ブリュッヒャー関連やオラニエ公関連で必要な時に再度データ化しようと思ってます(1799年以前のことは正直まだ良く分かってないので)。しかしそのデータ化でも既に、「軍隊・人物・アーカイブ」で230ページ越え、「1800~15年」で80ページくらい、「ナポレオン漫画」で200ページ越えしてました。

 印刷してまたじっくり読んでいくと共に、先日読んだ『スイス・ベネルクス史』で再び自分の中で興味が湧いてきているオラニエ公関連のことを一度自分なりにまとめておきたいと思ってます(今後また情報量は増えるとしても、今現在分かったこと(様な気がすること)をまとめる)。


 で、とりあえず一刻も早く作業したいことは一段落したので、ようやく『The Blitzkrieg Legend』のアラスシナリオに着手すべく、ユニットを切ろうかとも思い始めてます。自作フランス戦も少しずつは着手したいですし……。

『英辞郎第7版』『西方電撃戦』発売!

 今日、日本史の教材を買わなければならなくなってジュンク堂書店梅田店(茶屋町にあるので、茶屋町店と言った方がとおりがいいような気がします。他に梅田周辺に2店舗あるし……)に行ってきました。

 首尾良く教材用の本を取って7Fの帰り道、辞書コーナーに『英辞郎第7版』を発見! ずいぶん前から「もうすぐ出るハズ」と心待ちにしてたんですよ~。やたぁ!




 見たら、「2013年1月8日版」と書いてあったので「ずいぶん前に出てたのに知らないでいたんだなぁ。残念」と思ったのですが、帰ってきてみてAmazon見たら「2013年3月11日発売」と書いてありました。なんだ、昨日出たんじゃないか!

 本当に英辞郎様にはお世話になってますので、今後とも貢がせていただく予定です。英辞郎の素晴らしさについては英文和訳ができるようになるためにで触れております(だいぶ下の方で)。


 それからいつもの習慣で、ミリタリー本コーナーに……んーむ、特に何も出てないかなぁ。そして1Fで話題本などを見た後、最後にいつもチェックする、ミリタリー雑誌コーナーに。んーむ、まぁ何もないかなぁ……と振り返ると、ガルパンの表紙が。



 一度もっと小さい本屋で少し立ち読みした気もするのですが、もう一度じっくり見てみて、「おー、ポスターも付いてるのかぁ……でもプラモは作らないしなぁ……」とぱらぱらめくっていると、「西方電撃戦」の文字が目に入る。「んんっ? なんだ?」と思って見てみると、「西方電撃戦」という名の1万円越え(11000円と書いてあったと思う)翻訳本が出るということが2ページに渡って紹介されてます。

 読んでみると、かつて出ていた大日本絵画のでっかくやたら詳しくて写真の撮られた場所を特定しまくる『バルジの戦い(上・下)』の西方電撃戦バージョンらしい。『バルジの戦い』は一時期興味を持って、たまたま古本屋で上を売っているのを見つけて買ってみた(古本でも結構値段した記憶が)のですが、バルジの戦い自体が混乱を極める戦いであるからか、よく分からなくて読むのが途中で止まってしまってます……。ただ、写真の撮られた場所の同定とか、そういう話は面白かった気がします。それの西方電撃戦バージョンですか! 値段がすげぇですけど、西方電撃戦オタクになってしまった今、買わないでどうしますか。ってか、いつ出るんですか!(その特集記事には、「近々出る」とだけ書いてあって、いつ出るか書いてない!)




 で、帰って調べてみると、3月26日(火)発売予定らしいです。これは買わねば!(最近金使いすぎですが、アベノミクスで景気刺激してる時に、かさにかかって景気刺激しまくるべきである、という理論によります。後は野となれ山となれです(おい))

GJ連結バルバロッサやってきました

 なんば会に行ってきまして、以前『激闘! バルバロッサ作戦(仮)』初テストプレイで書いてました連結バルバロッサのテストプレイに参加してきました。

 ただし今回は、人数が4人しかおらず、南方はプレイしない事になりました。私は前回と同じく、中央軍集団をプレイしました。

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 置かれている本に意味はありません(^_^;)

 ↑第1ターン終了時。中央軍集団では小さいポケットが完成しています。ただ今回は、(とにかくターンの最後の方にサプライが出まくった前回と異なり)割と最初の方にサプライが出まくったため、この小ポケットによるソ連軍ステップロスはこの時点では発生しておりません(しかし第2ターン開始直後にそれが発生)。第1ターンのサプライ時には、ブレストリトフスクなど少数の場所でステップロスが発生し、それでその要塞が割と簡単に落ちたという事はありました。



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 ↑第2ターン終了時。前回と異なり、ミンスクポケットも完全に成功し、のみならずソ連軍部隊をだいぶ削ることができています。



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 ↑第3ターン終了時。オルシャとモギレフは落としていますが、ビテブスクはまったく全然です。今回、「ビテブスクにどれだけの価値があるのだろうか?」という事がずっと気になっていたのですが……。



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 ↑第4ターン終了時。ビテブスクはまだ落とせてないのですが、スモレンスクはとっくの昔に落とし、+1ヘクス前進しています。ただ、北方軍集団の側面にソ連軍部隊が回り込まれており、サプライが出て補給切れ判定でほとんどの部隊がステップロス……!



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 ↑第5ターン後半。中央軍集団はビテブスク~スモレンスク間に総計6つの司令部を集め、ソ連軍部隊を撃破しまくり、モスクワを狙う勢い(実はこの時、私は北方軍集団を救うべく「北方展開」を視野に入れており、実際「北方展開したいです。モスクワなんか取っても燃えないじゃないですか。ぜひ北方展開を!」と主張したのですが、「そんなわけがあるか!」と却下されてました(^_^;))。
 ところが北方軍集団は完全にやばい状況……ここでサプライが引かれ……。



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 ↑北方軍集団の核となる部隊が壊滅! 写真は裏になっている状態なので、表ならば1戦力ずつ多い状態になります……。



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 ↑壊滅部隊を取り除いたところ。私はこの日早くあがる必要があった為、ここでおいとましたのですが、この後プレイが続けられ、ソ連軍の反撃によって中央軍集団も補給切れになったそうです(^_^;)


 今回のプレイで得られた教訓として、北方軍集団と中央軍集団の間の境目への手当がおろそかになり、そこにソ連軍部隊が来て、それが補給切れを引き起こしたということがありました。具体的には、タウガスピルスとビテブスクの間(polotsk?)の方向へ、いくらかの部隊を割り振らねばならない、と。

 また、ずっと気になっていたビテブスクの攻略の意味なんですが、実際私がおいとました時にはビテブスクは攻略はしてましたがその北を掃討は出来ておらず、そこがソ連軍側の突出部を作り出していたので、そこから(また南はモギレフ辺りから)中央軍集団まるごとのポケットを作られてしまったのではないかと思います。つまりビテブスクがなかなか攻略できない状態というのは、そういう危険を作り出すということであり、それを考えるとビテブスクは割と早めに攻略しておくべき、あるいは、オルシャなどの攻略よりも急いで攻略すべきなのかもと思いました。

 それから今回は歩兵軍司令部もなるべく前線へと急がせて前線を複数回活性化させることに使用しましたし、装甲軍司令部も近接させてました。しかし、あまりにそれらを近接させてしまうと(ソ連軍部隊を削ることは出来るものの、一方)自分からポケット的な首を作り出すことになってしまいます。司令部を重ねることは有効ではあるものの、重ねないで、広い面で攻略していくことの有効性も考えていくのもありだと思いました。


 このゲーム自体は、大体6ターン、長くて9ターンで終わるらしいのですが、この日後半は頭が回らなくて結構適当にやってしまっていた面がありました。ので、2日間置きっぱなしに出来る場所で、ゆっくり目にプレイしてみたいと思いました。編集長の家でなら出来るそうですので、プレイヤーを募って個人的にはやりたいところです。

ゲームマーケット大阪行ってきました

 ゲームマーケット大阪行ってきました。

 人は多かったですけども、去年の2倍の面積の会場になっていたらしく、人口密度的には去年より相当楽でした(といっても、11:30以降に回ったので、10時過ぎとかだともっと多かったのかも?)。

 とりあえず端から回り始めたのですが、端のa-game?のとこで鹿内さんが来られてて、ウォーゲーム日本史の最新号?をプレイしておられました。ミドルアース大阪の小野部長が鹿内さんに「この駒は動かさない方がいいですよ」と仰ってましたわ~(いや、マーカーか何かのルールに関してだったんですが)。

 途中で砂漠のキタキツネさんにお会いしまして、自作フランス戦ゲームのアドバイスをいただきました。「ダイス同時振りってとこですけど、ダイスを振る回数を減らすなら、攻撃側が成功した時のみ防御側がモラルチェックするというのもありですよ」と。なるほど~。同時ダイス振りの場合、あのルールだと振り直す回数が結構ある可能性があるなぁと気になってました。それもアリですね……(というか、普通そうらしい(^_^;))。

 で、人から頼まれた買い物があったので南方軍集団の場所を教えていただきまして、首尾良く買うことが出来ました(『AFRIKA!』とか)。その後じっくり回りまして、フリースクール用に2つほどカードゲームを買ってみました(なんか、百物語ってのと、カレンダーを使って多人数でやるウォーシミュレーションカードゲーム(謎))。ウォーゲームは買わず。事前情報から『ドイツ戦車軍団』は買うかどうか悩んだ(『コンパス作戦』も入ってますし……)のですが、「自分の中の優先度が高いウォーゲームもプレイ出来てないのに、買っちゃダメ」という心の中の天使(悪魔?)が勝ちまして(^_^;)

 会場では、色々知り合いのウォーゲーマーさんとお会いしました。ゲームマーケットにおけるウォーゲームの比率をもっと高められたらいいですねぇ……(これ去年も書いてたかな(^_^;))。一応、南方軍集団で委託販売されていた『SLGamer』には寄稿&ユニット/マップデータ作成しているわけですが、もっと何か。とりあえず自分で出来るとしたら、ゲームマーケットで販売される、好みの規模・テーマのウォーゲームを会場でプレイしとく(インストも)とかでしょうか。好みの範囲が狭い(ヘクスでハーフマップ以上くらいとか……)のが難であり、販売されるものでなけれりゃあなあというのが次に(?)難ですね……。

 販売されないウォーゲームを勝手にそこでプレイしてるとか、ダメですよね?(『The Blitzkrieg Legend』のアラスシナリオを会場でソロプレイとか、ワンチャン考えてたんですが(^_^;))

自作フランス戦をA2に

 和訳が終了してノルマがなくなり、「はて、何をするかな……」とぽーっとしております。

 昨日夜に『スイス・ベネルクス史』の興味のある部分は読み終わったので、オラニエ公に関して調べ物をして何か書こうかな……とも思ったのですが、他の資料も読んでからの方がいいだろうと思いまして、自作フランス戦ゲームに関して、以前作っていたデータを引っ張り出してきてみることにしました。

 自作フランス戦ゲームは、最初フルマップ(A1)で作ろうとし、次にハーフマップ(A2)にグレードダウンし、さらにクォーターマップ(A3)にして、これはいくらかテストプレイするところまで行きました。が、しかしクォーターマップのものは破棄して、再度ハーフマップにしようと考えております(ちまちまやるよりは広いマップでやりたいと考えて! フルマップにしないのは、フルマップだとユニット密度的に広すぎる様な気がするのと、シングルブラインドでマップ2枚でやりたいので、そうするとハーフマップが限界&ハーフマップならコピー2回で繋げるとか、ハーフマップ2枚を印刷してフルマップで提供とか、そういう感じがあり得るかなと思いまして)。

 ただ、もう触らなくなってからだいぶ経つので、データを発掘して来なければなりませんでした。発掘してきた上で、以前は『Illustrator10』でやっていたのですが、『IllustratorCS6』のデータに更新したり、アートボードやプリント範囲の調整……。

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↑クォーターマップ(A3)のもの


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↑ハーフマップ(A2)で作っていた頃のもの

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↑クォーターマップ用に作っていたユニット


 で、とりあえず今後いじれる様に、データを分かりやすい場所に移動……。


 あと、『The Blitzkrieg Legend』の練習用シナリオ「アラス」をプレイしてみようと思い、VASSALのアラスシナリオのマップをキャプチャーして、A4厚紙に印刷してみました。

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 印刷してみたところ、ヘクス経が22mmになりました。これで、とりあえず必要なユニットだけをカウンターシートから切り出してきて、練習プレイをやってみたいと思ってます。

 先日、ボードウォークさんでカウンタートレーも購入しました(その後日本橋のイエローサブマリンに行ったら、置いてありました。全然分かってなかった(^_^;))。

『The Blitzkrieg Legend』和訳完成+ドイツ史本など

 『The Blitzkrieg Legend』の和訳ですが、完成しました。こかどさんにはとりあえずお送りしました。

 今回は『InDesign』で戦闘序列なども全部入れたのでそのチェックなどがしんどかったです。和訳に関しては、フリースクールのボランティアの方で英語が得意な人に聞いたり、あるいはMustAttack上でよく分からない所を質問させてもらって、大変助かりました。御礼申し上げます。

 チェックは多重にかけましたが、まだ間違っているところがあるかもしれません。先々で手に取られた方で、間違いを発見されましたら教えて頂ければ幸いです。

 何はともあれ、これで3ヶ月以上に渡った「和訳生活(『InDesign』上の仕事の方が今回はダメージ多かったかもですが)」から抜け出せました……。休みの日も基本的にその作業ばかりしてましたから……。『The Blitzkrieg Legend』自体をやってみたい気持ちはまだ残っているのですが、とりあえずはしばらく休憩したいです。

 あと、自作フランス戦ゲームにも着手したい気が上昇してますが、まあバランスで……。


 自作フランス戦ゲームはルール部分は極力簡単にしたいと思ってまして、戦闘解決も以前は戦闘力差方式でやってたんですが、考え直して、2D以下が出たら「攻撃成功」「防御成功」という方法はどうだろう、と考え始めてます。

 例えば、ドイツ装甲師団は10-5-10、フランス歩兵師団は2-4-4、フランス機甲師団は6-6-4など(適当です)で、攻撃側は2D(ダイス2個振り)で攻撃力以下を出せば攻撃成功、防御側も2Dで防御力以下を出せば成功、で、「双方成功」「双方失敗」はダイス振りをやりなおす。

 単純で良いかもと思ってはいるのですが、上手く動くかどうか、やってみないと……。本当は既存のシステムで出来ればその方が良いに決まってるのですが。どなたか、スタックなしで、攻撃がどんどん成功してふっとんでいく様なゲームシステムをご存じでしたら教えて下さい(>_<)


 さて、最近ドイツ史を中心に、フランス史、オランダ史などにハマっております。というのは、フリースクールの方で世界史を教えていた時に神聖ローマ帝国について自分が良く分かってないな……そこのところをもっと知りたい、と思ったのがきっかけで、たまたまバイト先で入った本屋で『カペー朝』『神聖ローマ帝国』という本を見つけて買ってみたのでした。



 『カペー朝』の方は帯の宣伝文が非常に面白そうで、中身的にも俯瞰的分析的で面白かったです。

 『神聖ローマ帝国』の方も、この帝国の大きな流れを理解するのに大きく役立ちました。

 で、昔買ったハプスブルク家の本を読み返してみたりとか、さらに『神聖ローマ帝国』という本を買ってみたり。




 先日また買ったのが、『ドイツ史2』と『スイス・ベネルクス史』で、とりあえず後者から読み始めているのですが、オラニエ家の流れとかが良く分かって面白いです。やはり詳しい概説書があった上でやらないとダメですね……。




 『ドイツ史2』の方はまだ見てないですが、フリードリヒ大王の死後から1815年までは非常に興味のあるところなので、それがかなりのページ数で語られるのは期待しています。

 それからそれよりも前に、しばらく「欲しい物リスト」に入れていたものの、買ってしまえ~、とぽちったのが、下記のもの。



 ブラウンシュヴァイク公の部隊について書かれた本で、最初の数ページを辞書なしで流し読みしてみたのですが、(1809年のブラウンシュヴァイク公の部隊のことを語り出す前に)神聖ローマ帝国内の諸邦に関することが書いてあったりで、こちらも興味深いです。

 ブリュッヒャーのことを書き出してましたが、それ以外にオラニエ公(二代とも)、ブラウンシュヴァイク公(こちらも二代とも)にもかなり興味があるので、知りたいところです。

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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