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ブリュッヒャーとフリードリヒ大王の喧嘩

 ワーテルローなどの本の和訳ですが、その後、「やっぱりブリュッヒャーやグナイゼナウに関する1814年までの事が分かってないとダメだよなぁ」と思って、『THE HUSSAR GENERAL : The Life of Blücher, Man of Waterloo』を全部和訳していく方向にシフトしました(その後、1806年に関するOSGの冊子なども……)。

 なぜウェリントンに関してはスルーなのかというと、一応すでにウェリントンに関してはある程度詳しい和訳本があるからです。




 ところが、訳していくうちに「やっべ……」と思う様な事が。



 ゲームジャーナル41号『ワーテルローの落日』のブリュッヒャーの項で私は、「ブリュッヒャーは……フリードリヒ大王と口論した事さえある経歴の持ち主だった。」と書いていたのですが、今回和訳しているうちに思ったのが、「手紙のやりとりはあると言えばあるけど……口論なんてしてないよ……?」

 「いやいやいや、そのうち実際に会って口論というシーンになるかもしれないし……フリードリヒ大王が死ぬまでは分からないよね!」と和訳を続けていくと、あう、ブリュッヒャーとフリードリヒ大王が会うシーンなどないままにフリードリヒ大王がお亡くなりに……。

 ぐはっ。これはウソを書いたという事に……。大変申し訳なく……。いや、手紙のやりとりでも口論と言えなくもなくもなく……ごにょごにょ。


 『THE HUSSAR GENERAL : The Life of Blücher, Man of Waterloo』(および英語版Wikipedia)による大まかな経緯はこうです。

 ポーランド分割に伴うポーランド人ゲリラ掃討活動に従事していたブリュッヒャーは、ポーランド人ゲリラに対して非情である事が正しいと考えており、その余りの熱心さゆえにある時上級司令部に断り無く一人の僧侶を撃った(Wikipediaでは「模擬処刑」。この僧侶がポーランド人かどうかも本からは不明ですが……)。これが大問題とされた、と。

 本によると「フリードリヒ大王は外交政策を懐柔策に変更しており、それに逆行する様なこのブリュッヒャー大尉の行動を快く思わなかった」というニュアンスで、Wikipediaでは「この僧侶の模擬処刑が1772年のポーランド反乱を支援したという疑惑をかけられた」とあります(支援……?)。

 さらに、それまでブリュッヒャーにとっての素晴らしい上官であったベリンクが退役してしまって、仲の悪い人物が上官となってしまいます。

 以下、『THE HUSSAR GENERAL : The Life of Blücher, Man of Waterloo』のP13~14から(色々和訳がつたなく、分からないところがあります)。

 10年以上彼の家であり続けていたその連隊の中での彼の居場所は、徐々に不満なものになり、1772年の秋には耐えられないものになっていた。Lossowはブリュッヒャーの昇進を見送り【?】、ブリュッヒャーより年長ではあるが階級の低いある将校の方を可愛がった。ブリュッヒャーは、彼のライバルが彼自身と彼の指揮将校の間の嫌悪の感情を通してと、またそのもう一人がより位の高い家の出身であった事の両方から恩恵を与えられる事になったのではないかと疑った。10月の最終日、怒り狂ったブリュッヒャーはそれゆえフリードリヒ大王に直接、ある申立書を送った。
「Bellingユサール連隊のStaff Captainであるvon Blucherは去る事を許していただけるようにお願いいたします、なぜならば、von Jagersfeld中尉がZulow騎兵中隊の欠員を埋める為に選ばれたのですが、彼は彼の非のない言動を確信しているのです【?】。彼はその痛みに耐えられませんが、それは彼に原因があるのです【?】」(15)

 この要求は同情を引かなかった【?】。フリードリヒはポーランドにおける彼のユサール連隊の外向的手腕のない行動に嫌気がさしており、ブリュッヒャーの手紙の余白に殴り書きをした。
「こいつはユサール兵なんかではなく、ジプシー連隊だ!」

 プロイセン国王【フリードリヒ大王】は返事を送らなかった。1773年の春にこの不満たらたらの大尉は再び挑戦した。

>お言葉ですが私に、陛下に、あのSwedtのMargrave家の息子である事以外に自慢できる様な利点を持ち合わせていない様な将校を私にとって代えると言う事がいかに耐え難いかという事を知らさせて下さい【?】。それゆえ陛下は、私の人生の毎時の間の鋭い感覚のほとんどをさらけ出すよりはむしろ、寛大にも私の辞任を喜んでお許しいただく事でしょう【?】。

 今回はフリードリヒは、ブリュッヒャーの友人であり直前の上司であったvon Schulenberg少佐に宛てて短い覚え書きを送った。
「von Blucher大尉は退役すれば良く、彼の気に入る限り早く破滅すればよかろう【?】」(16)

 ブリュッヒャーの軍歴は突然終了し

た。


 このやりとりを見ていると、ブリュッヒャーはまだ20代後半なんですが、まあ色々とだだっ子の様であります(^_^;)

 ところが、日本版Wikipediaのブリュッヘルの項を見てみると、かなり感じが違うのです。

戦争が終結して平和になると、ブリュッヘルの猛々しい性格は周囲との軋轢を生んだ。1773年、昇進が見送られた時、ブリュッヘルは軍を離れる決心をした。この際、以下のような無礼な手紙をフリードリヒ2世に送ったとされる。「フォン・ブリュッヘル騎兵大尉は消えることにする(Der Rittmeister von Blücher kann sich zum Teufel scheren)」。



 これは大変かっこいい……! ブリュッヒャーが自ら啖呵を切って退役したかの様です。

 だが、しかし……? 少なくとも『THE HUSSAR GENERAL : The Life of Blücher, Man of Waterloo』の記述とはかなりニュアンスが違います。


 で、英語版Wikipediaで見てみると、以下の様になってました。

In peace, however, his ardent spirit led him into excesses of all kinds, such as mock execution of a priest suspected of supporting Polish uprisings in 1772. Due to this, he was passed over for promotion to Major. Blücher sent in a rude letter of resignation, which Frederick the Great granted in 1773: Der Rittmeister von Blücher kann sich zum Teufel scheren (Cavalry Captain von Blücher can go to the devil).

だが平和時に彼の熱心な情熱が全ての事を過度に彼を持って行き、ある僧侶の模擬処刑が1772年のポーランド反乱を支援したという疑惑をかけられた。このため、彼は少佐への昇進を見送られた。ブリュッヒャーは辞職の無礼な手紙を送り、それを1773年にフリードリヒ大王が承諾した。「von Blucher騎兵大尉は破滅することができる」

(go to the devilは、破滅する、落ちぶれる、堕落する、《命令形で》うせろ、くたばれ、いいかげんにしろ、うるさいなどの意味。「くたばればいい」などの訳も出来そうです。英語の出来る人に聞いてみたところ、「can go to the devil」で、(ブリュッヒャー自身が書いたと理解して)「消えることにする」という訳をしたとしても変ではないとの事でした)



 これは一応、ブリュッヒャーは失礼な手紙を出したけども、フリードリヒ大王が返答をしたその内容が、「Cavalry Captain von Blücher can go to the devil」というものだったという書き方でしょう。


 ではこれはドイツ版Wikipediaではどうなっているのか? 原文をエキサイト翻訳で日本語と英語にしてみました。

Da Blücher bei Unruhen in Polen (1772) an einem verdächtigen Priester eine Scheinerschießung vornehmen ließ, überging man ihn bei der bevorstehenden Ernennung zum Major und Eskadronschef. Daraufhin verlangte er trotzig seinen Abschied (1773), der ihm von Friedrich dem Großen mit den Worten „Der Rittmeister von Blücher kann sich zum Teufel scheren“ gewährt wurde.

Bl cherが疑い深い聖職者で不安で出演を撃つことをポーランド(1772)でエレガントなままにしたので、人は少佐と戦隊-ボスにこの次の指名で彼/それをスキップしました。 その結果、彼/それは挑戦的に彼/それの別れの(1773)を求めました。そして、フリードリヒからの彼/それのためのその缶がBl cher(悪魔はさみへの彼自身)から語.Der RittmeisterによるBigでした」与えました。

Since Blücher left elegant in Poland (1772) with unrests at a suspicious priest an appearance-shooting, one skipped him/it at the forthcoming nomination to the major and squadron-boss. As a result, he/it asked defiantly for his/its parting (1773), that can for him/it from Friedrich the Big with the words .Der Rittmeister from Blücher, himself to the devil shears" was granted.



 少なくとも最後の手紙文の部分は、フリードリヒ大王のものである様に読める気がします。

 とすると、日本版Wikipediaの記述はかなり怪しい様な気がしますが……(編集すべき……?)。


 ちなみに『THE HUSSAR GENERAL : The Life of Blücher, Man of Waterloo』での表現は、以下の様なものです。

「Bellingユサール連隊のStaff Captainであるvon Blucherは去る事を許していただけるようにお願いいたします」
 ↑
「Staff Captain von Blucher of the Belling Hussar regiment asks to be allowed to leave,」

「von Blucher大尉は退役すれば良く、彼の気に入る限り早く破滅すればよかろう【?】」(16)
 ↑
「Captain von Blucher has leave to resign and may go to the devil as soon as he pleases.」(16)



 この最後の(16)というのは、この『THE HUSSAR GENERAL : The Life of Blücher, Man of Waterloo』の中での巻末の出典文献を記してあるものの注記です。実は上段のブリュッヒャーによる「Blucherは去る事を許していただけるようにお願いいたします」という手紙にも出典文献は書いてあるのですが、ドイツ語の本でもって、Googleブックスでは第2巻はいくらか表示されても第1巻が出てこない……?

 巻末の参考文献一覧の中でこう書かれている本のものですが……(第1巻の67ページだそうです)。

 ドイツ語による多くの伝記の中で最も包括的・総合的なものは、W.von Unger少将による『ブリュッヒャー』2巻(Berlin 1907)であり、私自身はこの著作に大々的に頼った。



 さて、(16)ですが、出典文献に「Marston,9」と書いてあるこの本が参考文献一覧の中のどの本なのか探すのにえらい苦労したのですが、結論から言えば一番最初に書名が出されて、かつ著作者名が書いてない本でした(T_T)

 これまでに英語で出版されたブリュッヒャーの伝記は、2つしかない。最初のものは『The Life and Campaigns of Field-Marshal Prince Blucher』(London 1815)であり、ワーテルロー直後に書かれたに違いないが、それゆえこの伝記は明らかに不十分なものであった。この本には非常に多くの誤りが含まれていたが、とは言ってものびのびとした価値があり、作者は複数の目撃者をインタビューしている。



 この本はGoogleブックスで全部読める様です(Googleブックスの仕組みが良く分からないのですがぁ……とりあえずリンク先に行って検索窓から「The Life and Campaigns of Field-Marshal Prince Blucher」と入れてやって色々いじってると見られます)。

 探していると当該箇所は9ページ目ではなくて10ページ目でしたが、確かに全く同じ文が載っていました(9ページ目にはブリュッヒャー自身の手紙もあります)。

 ただ、『THE HUSSAR GENERAL : The Life of Blücher, Man of Waterloo』の作者が「この本には非常に多くの誤りが含まれていた」と書いてあるのが気になりますが、ここはOKなんでしょうかね、やはり?(^_^;)

 『THE HUSSAR GENERAL : The Life of Blücher, Man of Waterloo』のワーテルローの辺りを訳していた時には、6月15日深夜のリッチモンド公爵の舞踏会の後で地図をチェックしたウェリントンが、ワーテルローを指さすシーンが出てきました。この逸話は最近出版された様な多くのワーテルロー本では「非常に疑わしい」という扱いをされているとは思うのですが、まあしかし『THE HUSSAR GENERAL : The Life of Blücher, Man of Waterloo』の出版は1975年ですし、少なくとも参考文献一覧や出典が結構細かく書いてあるのは素晴らしいと思います。

 ……というか、ブリュッヒャーに関する本が他にあるかというと、見つからないんですよね。ドイツ語本は無理なので……。実は英語版Wikipediaの参考文献欄で1994年出版と書いてあるHenderson, Ernest F. の『Blücher and the uprising of Prussia against Napoleon, 1806-1815.』がAmazonで見てみると1800円くらいだったので注文してみたら、すでに『THE HUSSAR GENERAL : The Life of Blücher, Man of Waterloo』の参考文献一覧の中に以下の様に書いてあったという……(1911年じゃないかぁ!)。

 2つ目の英語によるブリュッヒャーに関する著作は、Ernest F.Hendersonの『Blucher and the Uprising against Napoleon』(New York 1911)であるが、古くさく、タイトルが示している様にこれもまた不十分なものである。




 ……で、私がGameJournal誌に「フリードリヒ大王と口論した事さえある経歴の持ち主だった。」と書いてしまった件ですが、これは私がどこかの本で見たからこそ書いたものであるはずで、出典文献を探してみた(すぐ見つかると思っていた)のですが、……ない……ない……見つからない! 私はこの様な表現をいったいどこで見たのか……(T_T)(T_T)

 とりあえず一旦探すのは諦めて、不意に見つかる事を期待したいと思いますが……やはり、出典は書かないとダメっすねぇ……(自分が自由に何か書ける時には、出典や注記だらけの本にしたいという思いが強まりました)。

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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