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1789年から1815年の独仏国境周辺

 以前のエントリー「ドイツの歴史地図」にも書いてたんですけども、Wikipedia英語版(あるいはドイツ語版)から、1789年から1815年のドイツ諸邦の地図を落としてきて、それを大変参考にさせてもらってます。

 再度ある場所を書きますと、たとえば以下の様な場所です。

Unification of Germany
Rheinbund
Deutscher Bund

 今回試しに、これらの地図の独仏国境周辺だけを並べたものを作ってみました(サイズが若干違ってたりするので、調整してます。クリックすると元の3232×1200ドットの画像が表示されると思うのですが、FC2ブログが500KBまでの画像しか入れられないので、画質は悪いです)。

11123001

 以前書いた事とだいぶ重なってしまいますが、その後得た知識も含めて書きますと……。

 1789年にはまだ細かい諸邦がたくさんあるのが分かります。ただ、この時点でも(というか結構昔から)プロイセンの領土がこの地域にも存在しています。具体的にはオランダの北東隣の青色の領域はプロイセン領で、同じ色の領土がその下にも点在しています。1789年の地図の右端には、ほんの少しプロイセンのメインの領土が見えています。

 1806年において特筆すべきは、ライン川西岸がすべてフランス領となっている事です。さっき読み返していた『ドイツ史』という本では、ドイツ語を話す地域のうち、このフランス領となった地域がまず、フランスをモデルとする近代化が最も徹底的におこなわれた、とありました。



それから1806年(プロイセン戦役前)においては、(1803年にフランスが占領した)ハノーファーが、プロイセンの領土となっています。プロイセンの領土の移り変わりの地図を今回色々見たのですが、この1806年時の、ハノーファーをナポレオンから得て東西ドイツを貫通している地図というのは、これしか見た事がありません(貴重ですよ!)。それから目に付くこととして、そのプロイセン領とフランスの間に、ミュラに与えられたベルク大公国があります。

 1808年の地図ではさらにベルク大公国の領域が増え、またプロイセンはエルベ川以西の領土を全て失って(ブラウンシュヴァイク公国も消滅)、跡地にはヴェストファーレン王国(国王はナポレオンの弟ジェローム・ボナパルト)が出現しています。

 1812年には、ナポレオンの弟ルイ・ナポレオンに与えられていたオランダ(ホラント)がナポレオンに取り上げられ、フランス帝国の一部となってしまっています。そればかりかデンマークの南の辺りまでフランスが浸食……

 1815年の地図では、プロイセンが大いに領土を拡張していますが、これは実はプロイセンにとって当初の望みを達成したものというわけではありませんでした(と、『プロイセンの歴史』に書いてありました)。プロイセンは元々(ザクセンに与えられていた)ポーランドの領土を希望していたのですが、ロシアに拒否されます(ただしちょっとだけはもらえた)。そこで代わりの領土的要求をザクセン(の全土)に求めたのですが、こっちはオーストリアに拒否されます。プロイセンは結局折れて、ドイツ西部の領土を獲得する事で満足せざるを得ませんでした。ですがこれは、プロイセンが「対仏の防波堤」の役目を、心ならずも引き受けざるを得なくなった事を意味します。このプロイセンの発言力の弱さは、国力的な面はもちろん、それまでのナポレオン戦争で他の大国に比べて敢然とフランスに国として努力して敵対して来なかったという事があったそうです(←これ、言われてみればそうなんですが、ブリュッヒャーやグナイゼナウらの対仏強硬派が最終的にフランスを打倒した部分を知ってしまっているのでどうも、プロイセンは対仏戦に努力した印象を持ってしまっていたかもですね……)。




 『1815 THE WATERLOO CAMPAIGN:Wellington, his German Allies and the Battles of Ligny and Quatre bras』を読んでいても、(ナポレオン帰還前や、あるいは帰還直後の)プロイセンは非常にびくびくしていて、兵の質的には列強中最弱といった体であるのに(あるいはだからこそ)ナポレオンの帰還のニュースを聞いて即刻動員令を発動し(他の大国はまだ全然なのに)、それゆえにワーテルロー戦役前~最中には最大の戦力を持つ事が出来、それがプロイセンにとって「棚からぼた餅」の様に作用した……という面があった様です。

 ブリュッヒャーやグナイゼナウらばかり見ていると、「プロイセンはフランスをやっつけたがっており、ドイツ西方に領土を獲得したのも(面積的に結構大きいし)喜んでいたんだろう」みたいに思っていたんですが、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の臆病さが実は当時としてはでかい側面であって、しかしその臆病さのために西方に領土を持つことになり、そして臆病さがワーテルローの戦勝を可能にしたとは、歴史って面白いですねぇ。



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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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