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ネーベルヴェルファー連隊、火炎放射戦車大隊

 『BARBAROSSA:Army Group Center』の「学習シナリオ」のロケット砲連隊ですが、シナリオ解説を読んでいたら「第53ネーベルヴェルファー連隊」だと書いてありました。

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 ネーベルヴェルファーは、存在は知ってましたけど勝手に戦争後期のものだと勘違いしてました(^_^;)

 詳しい資料を持ってないので良く分からないのですが……。





 音が確かにスゴイです。


 ゲーム中には「Ent」と書いてあるロケット砲部隊もあるので、略称を探してみたら、「化学戦」だと書いてありました。ネーベルヴェルファーのWikipedia記事に書いてあった、毒ガス兵器の事なんでしょうか……?

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 「学習シナリオ」に登場する独立戦車大隊についても見てみると、これは「第100火炎放射戦車大隊」とのことです。

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 ドイツ軍の火炎放射戦車というのも、私は良く知りませんでした……。

 部隊名は「Flampanzer」の略との事なので、英語しか知らなくても連想しやすいですね。Wikipediaの火炎放射戦車の項には、色々なドイツ戦車の火炎放射戦車の型が載ってますけども、どれ(ら)だったんでしょうか……。


 ソ連軍側について見ると、数個ユニットがある「Mos」と書いてあるのは「第1モスクワ自動車化狙撃兵師団」だそうです。

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 ヒストリカル・ノートには、こうあります。

 防衛はYa.G.Kreyzer大佐に率いられた示威部隊である第1モスクワ自動車化狙撃兵師団にかかっていた。この部隊は、12,000名の兵員、30両のT34と10両のKVを含む265両の戦車を装備していた。
 ……
 この戦闘と続くSmolenskポケットからの突破により、Kreyzer大佐は昇進してソ連邦英雄の称号を得た。


 詳しく知りたいですが、ちょっとググっただけでは何も出てきませんでした……orz


 また、「BTTU」とあるのは「Borisov戦車技術学校」の略称とのことです。

 枢軸軍部隊が東進するに連れて、何としても侵略者を止めるために、ソヴィエト軍は訓練部隊や士官学校を通常の戦闘部隊として動員した。多くの学校部隊は東方に避難させられたが、いくつかは戦闘に巻き込まれた。


 「BTTU」ですが、戦車技術学校の生徒の部隊ならば戦車部隊なのか……と思えば、歩兵部隊でした。ということは、戦車なしで歩兵として戦闘に投入されたということなのですね……(T_T)


 それから、一番南東にある「3 Istr」という部隊について略称を探してみると、

Istr Istrebitelnyyebatal'ony(駆逐大隊):
 軽装備の献身的で信頼できる特別志願兵部隊。


 とありました。それ以上の事は全然分かりませんが、色々詳しく知りたいところですけども……。


 ※一度公開した後、フト思いついてパウル・カレルの『バルバロッサ作戦 上』を探してみたところ、この「学習シナリオ」の時期の記述が2ページほどですが、ありました。文庫版のP133とP134です。



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『BARBAROSSA:Army Group Center』のミニゲーム!?

 『BARBAROSSA:Army Group Center』のエラッタ修正作業をちょっとしていて、今までよく分かってなかった「学習シナリオ」のセットアップ情報が書いてあるシートを見つけました。

 「学習シナリオ」はプレイブックを見て興味を持ってたんですが、どこに情報があるかよくわかってなかったんですよね……セットアップシートを全部ひっくり返して探してみれば良かったのかー(セットアップシートはどこに何が載ってるか分かりにくい面はあるのですが)。

 それでよくよく見てみると、この「学習シナリオ」はヒストリカルなシナリオでありながら、9×13ヘクスを使用するだけで、使用するユニットもたったの21個! 早速マップをカラーコピーしに行きました。うおー、カワイイ!

 ユニットを選別して切り出し、マップは1mm厚のボードに貼ってどこにでも持ち運べる様にし、勝利目標ヘクス(5つあるうちの4つを3ターンで取ればドイツ軍は勝ち)を蛍光ペンで分かりやすく塗ってしまいます。

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 写真はセットアップ時点での写真。一番左下にある都市ヘクスはミンスクです。右上方向に伸びているオレンジ色の道路が、スモレンスク方面に続いている高速道路(この時代のこの高速道路って、今の日本の高速道路を想像してあってるんでしょうか??? 料金は取らない感じなら、名阪国道(高速道路っぽいけど普通の国道)みたいなもんなのカナァ……)。

 ミンスクの東隣にあるハイスタックが第18装甲師団です。ハイスタックの下には工兵部隊や独立戦車大隊ユニットなんかもいます。ミンスクの北にはロケット砲部隊が(この時代のドイツのロケット砲部隊って、具体的になんなのでしょう?)。

 ソ連軍側には装甲列車ユニットもいますし、T-34やKVがいた戦車連隊ユニットも。写真に写し忘れましたが、増援の戦車連隊ユニットが1個マップ東端から登場します。


 天候は自動的に乾燥(好天)で、補給ルールも関係ないらしい(関係ない、の意味がよくわからんのですが)ので、色々オミットした上でゲームシークエンスの基本的な部分だけを学ぶには最適の様な気がします。チョー詳しい解説もプレイブックには載ってますし……。


 どこにでも持ち運べる様にしたので、普段ガラス戸付きの本棚の1/144スケールの戦車が置いてある一角を開けて、そこに置いてほこりがかぶらないようにしてゆっくりプレイする事もできますネ。

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 さて、ゲームシークエンスを追っていきながら、練習プレイです。

9/25ミドルアース大阪

 9/25、ミドルアース大阪に行ってきました。

 この日は先月新加入(出戻り)のKはしさんと『激闘! マンシュタイン軍集団』の練習プレイ(Kはしさんが初めてで、また私が5時までしかいられないので)でした。『激マン』は熟練側が枢軸軍側をやるべきゲームなので、枢軸軍側でプレイです。

 ただ『激マン』の枢軸軍は結構暇(ソ連軍側のユニットが多く、結構考える時間が必要なのに比べて、ユニット数が少ないので)なので、『BARBAROSSA:Army Group Center』のセットアップを同時にさせてもらう事にしました(Kはしさんにも「せかされる気がしなくてその方が気楽」だとも言ってもらえましたので……(^_^;))。

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 とりあえず『BARBAROSSA:Army Group Center』のシナリオ4「北方軍集団」をセットアップしてみた状態です。下にある本は、山崎雅弘さんの『宿命のバルバルッサ』の、北方軍集団の進撃路の地図のページ。マップ右上の方にある都市が、地図上のダウガスビルスです。

 まだ何も全然分かってない状態でセットアップして、CMJの解説記事を読んでいたので、いくつかの事が分かりました。

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 シナリオが始まった時点で1ステップロスさせる様に指定されているユニットがいくつかあるのですが、ステップロスは「8防御力以上あれば4ステップ、5防御力以上あれば3ステップであり、4ステップあるものが1ステップロスするとステップロスマーカー(攻防-2)を置く。さらに1ステップロスするとマーカーはどけてユニットの裏面を向ける。さらに1ステップロスするとその状態の上にさらにステップロスマーカーを置く」という方法だったんですね。

 『これはなるほど、うまい方法だな』と思いました。『THE AFRICAN CAMPAIGN』とかだと、4ステップあるようなユニットはステップロスした先の取り替えようのユニットがあったりしますが、この方法だとそれを探す必要がない。また、OCSだと(多分?)いきなりユニットが消えて後で戻ってくるという方法だと思われ、なんか違和感があったのですが、この『BARBAROSSA:Army Group Center』の方法は好きな気がします。

 ただ、3ステップの時はどうするかという事が書いてない様な……。1ステップ目は、マーカーを置くのか、裏返すのか? でも今見てみたところ、表4-5-5が裏1-2-5とかなので、1ステップ目はマーカーを置く以外のやり方はあり得ないですねぇ。

 あと、枢軸軍側の歩兵はステップ分だけの連隊代替カウンターを使用できるというルールが。シナリオ4だと4つまでのカウンターを使用できると指定されていたのですが、このカウンターを切ってませんでした。切らなければ……。

 さらに、「高速道路はミンスク~スモレンスク辺りにしかない」とか「蹂躙は比率によって修正などが変わってきて、それらがチャートにまとめられている」とか、INBさんに教えてもらいました(^_^;) あのチャートいいっすね!

 『BARBAROSSA:Army Group Center』に興味を持っていると仰る方も何人かおられましたので、それも嬉しかったです。


 さて、『激マン』の方ですが、いくらかの損害を出しつつも、ドネツ川沿いの美しい戦線が……。

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 ところがその後、怒濤にぼろぼろにやられまくり……

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 という辺りでしかし、帰らなければならない時間が来て、申し訳ないながらお開きとさせてもらいました。いやー、負けなくてよかった!(おい)

 

ナポレオン戦争時代の実相

 『ナポレオンの戦役』をようやく読み終わりました。衒学的な雰囲気のする叙述、なんだかなぁな地図などいくつかの欠点を持ちつつも、ひもとく価値ある本だったと思います。



 褒めるべき所としては、通り一遍の概説書的ではない、ナポレオンびいきのフランス人であるからこそ知っていて書けるのだと思われる様々な話、ナポレオン戦術に関する記述、戦いに熱くなる記述、それに著者がナポレオンびいきにも関わらずナポレオンの宣伝のウソについては何カ所も「これはウソである」と説明してあるところなど。

 私が最も良かったと思ったのは、当時の兵士達や人々の様子や、ナポレオン戦争当時の兵士達が戦場でどのような事に晒されているのかが良く分かる叙述に溢れていることでした。


 以下、引用してみます。(グロ注意です!

 最初の危険は砲弾によるもので、首と下腹の間に砲弾を受けた兵士は、近くの戦友に血と骨の粉や内臓をまき散らしながら、肉の塊となり飛散することになる。……数人の者は単に首がはねられ、頭のなくなった胴からは、鮮血が泉のようにごぼごぼ噴き出す。…… -P171

 【前進する歩兵縦隊が敵から】五百メートルほどに近づくと、相手の小銃が発砲される。……最初から運の悪い兵士が何人か倒れるし、的に近づけば近づくほどその数は増えてくる。……戦友が胸から血を出し、頭を吹き飛ばされても一瞥も与えない。……どの歩兵もが忘れることのできない恐ろしいこの数分は、勇者と怯者を分け、これが為に兵を練るのであり、その数分こそが勝利を決めるのである。-P135

 大体の場合、白兵戦は起こらなかった。防御側は死へと導く太鼓と笛の音に恐れをなして総崩れとなった。-P172

 騎兵と士官は良く切れるように反りのついた重く長いサーベルを用いた。安定した姿勢で立っている戦士が真上から下にサーベルを振り下ろせばほとんど何でも切れた。手首、くるぶし、頭はもちろん、胴体を水兵に薙げば犠牲者は薪のように割られてしまう。-P173

 【騎兵突撃に対して、近距離まで射撃が抑制され】三十歩の距離で射撃命令が出る。効果は恐るべきものがあった。第一線はまさに苦痛の叫びといななきの狂乱の中で拒止(ママ)される。多数の馬は前方に倒れ、騎手を体重で押しつぶした。激しく跳ね上がり向きを変える馬も居る。-P188

 帝政時代においては、兵士の三分の一が敵と接触し、残りは地形に紛れて散り散りになって身体に弾丸を受けないようにし、勝てば、そして負ければ尚更のこと、後ろにいた自分達のことは忘れてもらえるだろう、とあてにしていた。-P134

 後方で看護されるとき、負傷兵は銃剣やサーベルの一突きで殺してもらうことを望むことがよくあった。-P172


 こういうことは一般のナポレオン戦争ものだけではなかなか知る事が出来ないので、非常に価値があると思いました。この本では他にも、兵士達の食糧事情や、戦傷兵がどのような状況に置かれたかなどの事も詳しく書かれています。


 徴兵逃れ、戦傷兵の状況のひどさ、兵士達の実情については、ページ数は少ないですが『反ナポレオン考』の第7章も参考になります。(↓同じ本だと思うのですが、値段が1円からとは……)





 またナポレオン時代にも(というか、ベトナム戦争以前には)発砲率や実際に戦う兵士の少なかった事については、ミリタリーに興味を持つ人にとって必ず読むべき本の一つと思われる『戦争における「人殺し」の心理学』に触れられています。ちなみに、もう一つの必読本は『補給戦』かと。






 他にわりと気になる事として、兵士と女性の関係があります。例えば『ナポレオンの戦役』には以下の様な既述が。

 兵士は若い。村に入ると直ぐさま娘と一緒になろうとする。時には意気投合してしまう。そうなってくると、連隊の後ろに、女の小部隊がついて歩くことになる。下士官はそれらを大目に見て、炊事のときに用事を言いつけたりする。-P120



 ナポレオン戦争に付いていった女性に関しては、これまたページ数は少ないものの『反ナポレオン考』が若干参考になります。例えば、

 当時にあっては、軍隊に女性の従軍を認めるのは各国に共通したことだった。イギリスでは正規の妻のほか、一個中隊につき六名の女性を公認したし、ボナパルトもイタリア戦線で一個大隊に四名の女性参加を許している(1797年)。-P167

 まず将校や下士官の夫人があるが……彼女たちの従軍の動機というのは、要するに夫と離れがたいためであり、あえて戦場に赴いて、あたら苦難の生活にとびこんだ。ロシアからの敗走の途上、ベレジナ渡河作戦で幼い娘を抱いたまま馬蹄に踏みにじられた某大佐未亡人のような悲劇を招いたり……-P167

 次の種類の従軍女性は洗濯婦、修理婦、酒保商人などの一群で、特に最後のものは馬車を御して兵士たちにブランデー、ソーセージ、生活用品を売り捌き、小金を貸したり、時には兵士たちの略奪品を買いたたいたりして生計を立てる人たちだった。-P167

 そして最後にくるのが「兵士たちのための娘たち」で、「その数は兵士と同数はあろう」……当時の貧しい農家や小市民の家庭が夥しい娘子軍の供給源となったのは確かである。彼女たちは駐屯地の周辺に群がり、あるいは馬車に揺られながら行軍する部隊の後を追いかけた。-P168

 大遠征軍と行動を共にして、売笑婦【売春婦】であるなしを問わず、正式の、あるいは臨時の情婦であるなしを問わず、正規の人妻さえ含む女性たちの大群があらゆる種類の車輛に乗って、遠くなり、近くなりつつ、行軍の苦難を共にした。彼女らもまた寒さ、雪、泥濘を越えていった……-P169


 「貧しい」の件ですが、貧しいから家では食えず、たまたまやってきた外国の兵士と仲良くなってその後を付いていくとか、あるいはもうほとんど必然的にある一定数の娘達はそうするしかない社会状況だった、という事でしょう。

 読んでて涙を禁じ得ないんですが……。

 ただ、この『反ナポレオン考』の記述の他の裏付けが欲しいところです。特に私は今、ワーテルロー戦役に興味があるので、ワーテルロー戦役においてどうだったのかが知りたいところ。

 Regula Engelという女性の自伝『L'Amazone de Napoleon』という本があるらしいのですが、フランス語ですよね……(ちょっと調べたのですが、ぱっとは英語本は見つからず)。

 ワーテルローの戦い(だけ)を扱った『The Battle』には、以下の様な記述がありますが……(P39~)。

 ワーテルローでの兵士達がその妻達を同行していたのはまれな事ではなく、大体それらはすべて軍の同行車列の一部となっていたのだと思われる。……いくらかの兵士達もまた、それらの者達を連れてくる許可を得ており、軍の経費で維持され、彼らの妻達や子ども達は、さもなければ結局その道路上でいることになったのだった【??】。第42連隊 - the Black Watch【ブラックウオッチ連隊◆英国陸軍スコットランド高地連隊(Royal Highland Regiment)のこと。制服が黒い色をしていることからこういう呼び名がついた。Watch は「警備隊」】 - がアイルランドでOstendへの航海のため乗船した時、各中隊は4人の女性を連れて行く事を許され、それぞれの女性には通常の半分の食料の割り当ての資格があった。Flandersへ着いて、その連隊は運河への航海を続けるために荷船へ乗り換えなければならず、各中隊につき2人までしか女性を連れて行ってはいけないという命令が出された。すでに非常に仲良くなっていたから、他の者達は泣きながら兵舎へ帰らされたが、その後彼女らは何とか逃げ出して、すぐにその夫達と合流した。もしその割合が全連隊で同じならば、数千もの女性がベルギーへ向かうウェリントン軍の後を付いていき、もっと多くの者達が下船した後の彼らと合流した事になる。第73連隊の擲弾兵であったJack Parsonsは一人のベルギーの少女を拾ってはるばるワーテルローまで連れてきていた。ワーテルロー会戦の日の夜明けに、悪い夢と不吉な予感に苦しめられて起き出した彼は、彼の上官【captain】に、その少女に、世界中で彼の持ち物の全てである未払い給与を贈与するという遺書を書く手助けをしてもらえる様に頼んだ。

 この戦役の最初の数日は、女性達と子ども達はそれぞれの夫や父親の近くにいて、時々彼らと同じ危険に冒された。カトル・ブラからの退却の間、第95連隊の何人かの狙撃兵は頭をマスケット銃の弾で撃ち抜かれて死んで横たわっている一人の女性の腕に、まだ生きている子どもが抱かれているのを見つけた。彼らはその小さな男の子を拾って、父親を見つけて息子を彼に帰すまで、一緒に連れて行った。しかしワーテルローの戦いの前夜、ウェリントン公爵は全ての非戦闘員を軍隊の作戦行動の邪魔にならない後方の線まで下げるように命令した。だが全ての人々が従った訳ではなかった。5歳の子どもだったElizabeth Watkinsは、ワーテルローの戦いの間中、布を引き裂いて包帯のための布きれにするのを手伝うために彼女の母親とずっと一緒に戦場に残っていたと言っていた。彼女は1903年になっても生きていて、それを覚えていた。だがほとんどの女性と子ども達は - 他の市民達や召使い達、職人達、行商人達のほとんどと同様に - 比較的安全なブリュッセルの方向を目指して、暗闇の中で幹線道路に押し寄せていた。





 こうしてみると『The Battle』の記述はやっぱ非常に興味深いというべきでしょうか……(「結局どっちやねーん」と意味の分からない時もあるのですが(^_^;))。こういう具体例がもっと知りたいところです。


 『ナポレオンの戦役』には以下の様な叙述もありました。

 保護者のいない農婦は強姦された。-P24



 宮本武蔵を扱ったマンガ『バカボンド』にも、戦国時代の農婦がいきなり強姦されるシーンがありますが、こういうのはないと思う方が難しいと思われ……。

 ヒロイックな面だけでなく、こういう問題も知りたいところです。

大砲の跳弾など

 台風で勤め先のフリースクールがお休みになったのですが、調子が悪くて寝てました……orz

 ぼーっとしてニコニコ動画をテキトーに見てたのですが、見てるうちに「かつて一度見て、スゴイ! と思ったけど、ゲーマー仲間に見せようと後で探しても見つけられなかった」動画を見つける事が出来ました。

 ↓コレ(グロ注意です!)



 アメリカ独立戦争(1776年とか?)を扱った映画の様ですが、私がすごいと思ったのはナポレオン戦争の大砲に関する記述でも出てくる、「大砲の弾(4kgくらい)は撃ち出された後、地面で何度も跳ねて、一発で1ダースくらいの兵士を死傷させる」というのが見られるというところ。

 これは怖いです……。(→以下グロ記述注意)『ライプツィヒ戦場哀話』には「大砲を撃っていた兵士の体が吹き飛んで、頭部だけが残っていた」という様な記述があったりしたのですが……。



 ↑この本は素晴らしいのですが、手に入りにくそうな気がします……。


 上記動画の「動画の説明文」のところから色々見られると思います。映画『ワーテルロー』動画もありますね。その中で演奏される「la victoire est a nous」という曲がいいなぁと思ったので、それを探してみたらありました。




 あと、ニコニコ大百科の「戦列歩兵とは」という記事が「オススメ記事」に選ばれた事があるとか……。

ナポレオニック時代の肖像画は著作権切れ?

 続けて『L'Armée du Nord』のヒストリカルコメンタリー和訳の見直し+用語統一をやってます。

 そこでハタと止まってしまったのが、「Prince of Saxe-Weimar」。この人物はイギリス・オランダ連合軍の第2ネーデルラント歩兵師団の中の第2旅団の指揮官であるのですが、「なんかザックス・ワイマールの王子かなにかなのかー」と思いつつも、それほど大きく取り上げる必要がある感じはしなかったので、今まで調べていませんでした。

 でもまあ今回出てきてしまったので、少なくとも読みは調べなければなりません(ちなみに、あの『Waterloo:Companion』にもこの人物の伝記は載ってませんでした。さすがに旅団長クラスまではカバーしておらず、師団長までなんですね)。

 しばらく調べていると、Wikipediaの↓のページに行き当たりました。

カール・ベルンハルト・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ

 なんか以前にも一度見た気がするページで、どこかにも書いたのかもしれないですが(^_^;、いやー、すごい褒められ方です。

 読みは「ザクセン・ヴァイマル」との事ですが、「ワイマール」とは違うのか、という件については以下のページで検討されていました。「ヴァイマル」の方が良いという理解で良いのでしょうか。

ノート:ヴァイマル


 ゲームでもこのザクセン・ヴァイマル公のユニットを探してみました。

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 ユニットシートの上にちょこんと載せてあるのが『L'Armée du Nord』のザクセン・ヴァイマル公指揮下の第2ネーデルラント歩兵師団第2旅団のユニット。その下のが、『La Bataille des Quatre Bras』のザクセン・ヴァイマル公の指揮官ユニットです(左隣はネーデルラント騎兵師団の第1軽騎兵旅団指揮官のGhigny)。

 基本的に緑色いのですが、『L'Armée du Nord』のヒストリカルコメンタリーにはこうあります。

 一方ネイ元帥はレイユ軍団の次の師団(バシュリュ師団)の先頭に立ってフラーヌ(Frasnes)を目指した。親衛軽騎兵師団はすでにその方向に急行しており、ネイが彼らと夕暮時に会ったのは、彼らがキャトル・ブラ(Quatre Bras)の十字路から戻ってきている途中でだった。彼らが言うには、そこにいた散兵や歩兵はプロイセン軍の青ではなく緑色の軍服を着ており、彼らが敵部隊に圧力をかけたところ、敵はソンブルッフの方向にではなく、ブリュッセル方向へ伸びる主要街道に沿って後退したという。この報告から、それらの敵部隊は、初めて出会ったウェリントン軍の部隊だと考えられた。




 ところで、先日「洋書の肖像画などは著作権的に使用するわけにはいかないですよね」という風に書いていた件について、フト、「そういえば写真や肖像画は、本人と撮った人、描いた人の死後数十年で消滅するのでは……?」と思い至りました。

 そこでものは試しに、このザクセン・ヴァイマル公のWikipedia上の肖像画(写真?)をクリックしてみたところ……。

ファイル:Karel Bernhard van Saksen-Weimar-Eisenach.jpg

 以下の様な記述を発見。

この画像(ないしその他のメディアのファイル)は、著作権の保護期間が満了しているためパブリックドメインの状態にあります。
これは、アメリカ合衆国、オーストラリア、欧州連合加盟国など、著作権が著作者の没後70年まで存続する国に適用されます。



 「おおお!? やはりいけるのか?」と思い、「肖像画 著作権」などの検索ワードで色々見て回ったところ、基本的にはいけそうな感じですね……?

 ナポレオン時代(~1815年まで)と言えば、肖像画も絵画も著作権が切れているのはまあ確実?なため、かなりの部分が使えると見て良いのでしょうか……。ただ、いくらか留意せねばならん部分もあると思いますし(それが何なのか、いまいちよくわからないのですが……)、上記の認識が基本的に誤っている可能性もあるかと思います。

 どなたかまた、お教え頂ければ幸いです。

1940年5月22日のブーローニュ戦

 同じ作業ばかりやっているとしんどくなってくるので、別の事にも手を出してみていました。

 とりあえずやらなければならない事として、自作の1940年フランス戦ゲーム(→このブログ内の関係記事)の作業を進めるべきだろうというのがあります。

 ゲームの基本的なところは(仮ながらも)ある程度出来て、中盤まで(5月13/14日ターン~17/18日ターン)のプレイは一応できるようになっていたのですが、ゲーム後半(19/20日ターン以後)の連合軍側の戦闘序列がさっぱり分からないので、作業がストップしていました。

 で、下記の本を入手したところで他のウォーゲーム関係の作業が入ってきてそのままになっておったわけです。



 左の本は1940年のイギリス大陸派遣軍に関して書かれた古典本で、実は内容がそのまま載っていたウェブページが存在していたものの、消えてしまっていたので購入したものでしたが……。たまたま「お気に入り」に残っていたリンクをクリックしたら、ページが復活してる!(^_^;

THE WAR IN FRANCE AND FLANDERS 1939-1940

 ↑地図資料などもものすごいので、ぜひ参照されて下さい。

 ただ、今回本の方で調べてて思ったのですが、索引(ものすごい充実してる! ある部隊に関する記述のページ数だけでなく、そこに何が書いてあるかも書いてあるという!)や地図を見ながら作業したり、あるいは私は最近ページの余白に和訳の要約をメモしていく方式で読んでいってるんですが、そういうやり方から考えるとやはり本という形態であった方が何事もやりやすいなぁと。


 さてさて、とりあえずさっぱり不明なイギリス大陸派遣軍のいた場所などについて調べたいのですが、たまたま索引の最初に載っていたイギリス第1機甲師団を調べているうちに、『THE WAR IN FRANCE AND FLANDERS 1939-1940』のブーローニュ戦に関する部分を読んでいて結構面白かったので、「これは地図にしてみたいな……」と思うと同時に、以前GJ編集長から教わった「『Illustrator』で矢印の形をブラシ機能で作る方法について試してみよう」と考えました。

 「矢印を作る」というのは、「矢印の支柱の部分が根本が太く、先の方が細くなる」ものを作りたいという事でして、試行錯誤した結果とりあえず、

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 ↑の様に下半分を作った上で、それをコピーして鏡面反転して重ねる……という方法でやってみました。しかし傾き具合が気に入らず、何度もやり直す……。ブラシ機能への登録は、解説本を見ながらやってみるとむちゃくちゃ簡単でした。

 ただ、この方法は後で色は変えられないんですね……。ので、「矢印登録用.ai」というファイルを作っておいて、そこで色を変えたものを作って保存し、「ブラシの読み込み」をしなければならない。尤も、これはそんなに大変な作業ではないので、ある程度「作りたかった矢印が作れる様になった」だけで大変嬉しいです(しかし傾きが、まだまだ気に入らない……)。

 さて、それで作ってみた、1940年5月22日のブーローニュ戦の地図です。兵科マークは全部黒ですが、矢印をイギリス軍は茶色、フランス軍は青、ドイツ軍は灰色にしてみてあります(今気づいたんですが、カレーにいるのは「第1機甲師団の一部」であって「第1機甲旅団」になってるのは間違いでした)。

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 以下、『THE WAR IN FRANCE AND FLANDERS 1939-1940』の第10章、P153~155の要約です。

 ブーローニュには当初ちゃんとしたイギリス軍守備隊はおらず、イギリス軍の対空砲がいくらかあるだけだった。フランス側は対戦車砲を数門持っていただけ。兵員がいないわけではなかったけども、徴兵したばかりの未訓練状態兵士がいるだけで使い物にはならず、ドイツ軍がやってきたのを知って下士官らも、あるいは地域の人々もブーローニュに逃げ帰ってきた。

 イギリス本土にいた第20近衛旅団はCamberley(キャンバリー? ロンドンの東の海岸からある程度入ったあたりか)で21日の朝訓練中であったが、直ちに海を渡る様に命令を受け、24時間経たないうちにブーローニュの港へと到着した。第20近衛旅団の戦力はアイルランド近衛大隊とウェールズ近衛大隊の2個大隊であり、それに付け加えて第20近衛旅団の対戦車中隊と、第69対戦車砲連隊の中の第275砲兵中隊であった。旅団を指揮していたのはフォックス・ピット准将である。

 イギリス大陸派遣軍司令部からは、戦いの役に立たない民間人などはブーローニュから出し、兵士だけにするように命令が来た。報告によればドイツ軍の兵員はエタプル(地図上ブーローニュの南の一つ目の湾口の辺り)まで来ており、その装甲部隊はクレシーの森(地図上ドイツ軍第1装甲師団マークの左下にある森)まで到達しているとの事である。フランス軍の第21歩兵師団がブーローニュの南東に到着しつつあり、まだ来ていない残りも東方から鉄道輸送中である。フォックス・ピット准将はブーローニュを守る様命令を出し、そのためにはカレーに到着しているイギリス第1機甲師団の一部のうち、第3王立戦車連隊(多分実際には大隊規模)と第1ヴィクトリア女王ライフル大隊(多分実際には中隊規模)を翌日ブーローニュに持ってくるべきだと主張した。

 ブーローニュの周りの地形は急峻な山であるが、故にこの山を取られたらブーローニュの町はもうおしまいである(ここらへん、訳がよく分かりません)。

 数日前の戦いでやられて逃げてきた約150名のイギリス軍兵士もブーローニュに入り、フランス軍第21歩兵師団も準備は完了していた。

 21日のアラスでの反撃によってドイツ軍装甲部隊の進撃はスローダウンしていたが、22日になってその進撃は再開された。グデーリアンの第19軍団の戦闘日誌にある記述はこうである。

 まず最初の記述は12:40となっており、「第2装甲師団はサメール~ベンクタンの線を経由してブーローニュにまっすぐに前進すること。第1装甲師団は、カレー方面からの第2装甲師団への攻撃から前記進撃路を守るために、デヴルを経由してマルキーズへと前進すること。」 この日の終わり(とあるけど、いつの事か良くわからん……)の記述では、急ぐ必要を認識して「クライスト将軍の命令を待たずに、グデーリアンは第2装甲師団を午後にブーローニュへ送った。その結果、第2装甲師団は町へ入ることに成功した。」 第2装甲師団はサメールにいたフランス軍第21歩兵師団にやや手こずったものの、昼に(?)ブーローニュの郊外のアイルランド近衛大隊と接触した。


 とりあえずここまでで、後はまだ町での戦いの記述が続くような気がします。

 私にとって特に興味深いのは、第1装甲師団が、第2装甲師団が側面攻撃を受けない様に進撃路を取るあたりです。ウォーゲームだとこれはむしろ、スタック制限でスタックできないとしても、ブーローニュの町を両装甲師団で包囲して攻撃するところではないでしょうか。でもむしろ史実では、第1装甲師団はブーローニュとカレーの間に入ろうとしている? ゲーム上でもそれが再現できたら最高なんですが、しかし難しいですかねぇ……。

ワーテルロー用語など

 次号のGame Journalの付録ゲーム『The Sunset of Waterloo』のルールブックバグ出し会に行っておりました。

 ゲームのコンポーネントの方は、さらに改良・訂正されて、ほとんど完成版になってきておりました。今回のマップのチェックでは訂正点は2カ所程度(前回無茶苦茶多かったことを考えると減りました)。

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 ただ、ルール表記の訂正点は山のようにあり、こりゃー今回でもまだ終わらないなぁ……という事で、もう1回やることに……。大変です。

 プレイの方は、また私が連合軍側をプレイしてやってみていたのですが、なんと第1ターンにウェリントン公爵が戦死!

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 ↑壊滅したユニットを置いていくトラックです(製品版は変更されるかもですが)。ウェリントン公爵の戦死に伴って士気値が5下がっております。

 「いきなり投了か……?」とも思われたのですが、バグ出しのためのテストプレイでもあるので続行したところ、編集長のサイの目がもうともかくもひたすら悪く(^_^;)、フランス軍はなかなか進撃できなかったのですが、私がプロイセン軍にチットをいきなりつぎ込みすぎたせいでイギリス連合軍の戦線が突破され、サドンデス負けしました(T_T)

 やっぱいかにサイの目が相手にとって悪かろうと、舐めたまねしてると負けますね~。


 前回に引き続いて隣では『ドイツ装甲師団長』のテストプレイが。

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 あと今回は、編集長に『Photoshop』でのマップ画像の作り方を少しだけ教えてもらいました。パスと、えーと、あと何が大事と仰ったか……あうあう(^_^;) ただ、『Illustrator』は解説本を買ってそれをずっと活用していたのですが、『Photoshop』の解説本は全然買わずに試行錯誤だけでやっていたのですが「それではさすがにムリがある」事に今回気づきまして(当たり前だ!)、帰ってきてからAmazonで『Photoshop6.0』の解説本を注文しました……。もっと早く買っておけばよかったのだ……!

 それからこの日は、時間つぶし的に入った本屋で山崎雅弘さんの『宿命のバルバロッサ』を発見し、ちょっと見てみたところ今後プレイ予定の『BARBAROSSA:Army Group Center』の「北方軍集団」シナリオのところに関してだけでも、持っているどの資料よりも詳しそうだったので、今後同ゲームをやる上でも良いだろうと思って、思い切って購入しました。



 本の体裁が大きい割には安いと思います(字はもうちょっと小さくても良いのではと思ったりはするのですが……)。あとがきを読んでも、結構好みそうなので、買って良かったのではないかと思います(というか実は、パウル・カレルの記述が私には非常に分かりにくい上に、「北方軍集団」シナリオの部分の記述の少なさに泣いたという)。

今日の教訓:必要なものは先行投資すべき。後で投資しても遅いよ。


 ここんとこずっとまた体調が悪かったのですが、残り少しになっていた『L'Armée du Nord』のヒストリカルコメンタリーの和訳は、とりあえず最後まで終わりました。ただ、公開するつもりなので、この「とりあえずの和訳」をある程度また良い状態に持っていかねばなりません。

 前回書いていた「ナポレオニックの用語統一」と絡めて、この『L'Armée du Nord』のヒストリカルコメンタリーに出てくる固有名詞などに関して、Excel上で表を作っていってます。下の様なもの(ブログに貼り付けるに当たって、http://eda.s68.xrea.com/archives/000204.phpを使わせていただきました。












































Bavariaバイエルン
Rheinlandラインラント
Saxonザクセン
Westphaliaヴェストファーレン
OstendオステンドオーステンデOostende。オステンドの名称も一般的
Liégeリエージュフランス語で Liège(1946年以前はLiége)
Aachenアーヘンフランス語名はエクス・ラ・シャペル (Aix-la-Chapelle)
Blücherブリュッヒャー
Monsモンスオランダ語でBergen
Lysリス川オランダ語ではレイエ川(Leie)←Wikipediaではこの名
Namurナミュール
Charleroiシャルルロワ
Brusselsブリュッセル仏:Bruxelles、蘭:Brussel
Vendéeヴァンデ
Metzメスドイツ語の発音ではメッツ
PhilippevilleフィリップヴィルGoogleMapでの表記
Meuseムーズ川オランダ語:Maas マース、フランス語:Meuse ムーズ
Sambreサンブル川
House of Orange-Nassauオラニエ・ナッサウ家
Dutchオランダ
Gérardジェラールコンサイス外国人名事典に同綴り名あり
Tirlemontティールモンフランス語名。GoogleMapではオランダ語Tienenティーネン
SombreffeソンブルッフGoogleMapでの表記
Athアト
Braine-le-Comteブレーヌ・ル・コントGoogleMapでの表記
Nivellesニヴェルフランス語発音、GoogleMapでの表記
Quatre Brasキャトル・ブラGoogleMapでの表記
Zieten,ZiethenツィーテンWikipediaのハンス・ヨアヒム・フォン・ツィーテンの記事
BeaumontボーモンGoogleMapでの表記
Lower Rhineライン下流軍?保留
BülowビューローWikipediaのビューロー
Vandammeヴァンダーム『ナポレオンの元帥たち』やWeb検索で
Pajolパジョール?http://guerresnapoleoniennes.web.fc2.com/whoswho/f-general-p.htmlhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E7%B7%8F%E7%9D%A3
Domon?
Exelmansエグゼルマンhttp://guerresnapoleoniennes.web.fc2.com/whoswho/f-general-e.html
Kellermanケレルマン多くの傍証
Milhaudミロー、ミヨーhttp://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/49014635.html
Reilleレイユ多くの傍証
Marchienne au Pontマルシエンヌ・オー・ポンGoogleMapでの表記
ThuinテューアンR/Dさんの表記。GoogleMapではチュワンであるが、好みで
Bincheバンシュバンシュのカーニバル
Soultスールト


 といってももちろん、上記が正しいというわけではなく、「一般的らしい」とか「許されそうな範囲で、好みであるとか、こっちを採った方がよさそうだ」というものに過ぎません。でもニヴェル、ヴァンダームなどは長音の位置が意外でした。ツィーテンなどはフリードリヒ大王の時代の有名な指揮官がWikipediaに載っていてびっくりしました(ナポレオン時代のツィーテンは、日本語版Wikipediaでは「遠縁」と書いてあるのに、英語版では「両者に関係はない」と書いてあるあたりが(^_^;))。

 なかなか資料?が出てこないものがあって難儀するのですが、なかなか楽しいのは楽しいし、有益な気もします。しかし現状とりあえず一番困っているのが、フランス軍の騎兵師団指揮官であるDomonの読みが全然出てこない事です。フランス語Wikipediaを見たら名字としては一応載っているのですが、曖昧さ回避のページでむしろ日本のキャラクター名の「ドモン」とかの方が多いという……。

 この人物の読みは、「ドモン」「ドーモン」あたりなのでしょうか……? どなたかいくらか分かる方、教えて下さい~(T_T)


ナポレオニック関係用語の表記を自分なりに統一する

 ナポレオニック関係の記事を書く(あるいは翻訳の)際に、今までも気になっていた事として「用語表記」の問題がありました。

 例えば、Grouchyは「グルーシィ」と書くのか、「グルーシー」と書くのか。
 Blücherは「ブリュッヒャー」なのか、「ブリュッヘル」なのか。
 「Landwehr」は「ランドヴェアー」なのか「ラントヴェール」なのか「後備兵」なのか。っていうか、民兵(Militia)とどう違うのか、も含めて……。

 以前から結構やばいと思っていたのが、「Chasseurs(シャスール)」でして、これをどう表記したら良いのか、と。

 で、『L'Armée du Nord』のヒストリカルコメンタリーを訳してて、このシャスールという用語が出てきた事もあり、「こりゃー、これを機会に調べてみよう……」と考えました。


 とりあえず『Waterloo Companion』の騎兵の項を参照してみると、各国の騎兵の種類を重騎兵、中間、軽騎兵に分けて類別してあるのを発見。で、この中のそれぞれの訳を探してみました。探し方は、英和辞典やネット上で、でしたが、やっぱWikipediaが結構助かりました……。

 以下、その類別と見つけた訳です。

■イギリス連合軍
 重騎兵:
   Life Guards →近衛騎兵連隊(ライフガーズ(Life Guards)はイギリスの近衛騎兵連隊であり、イギリス陸軍に於ける連隊序列第一位の連隊である。)
   Horse Guards →近衛騎兵旅団?(近衛(このえ)騎兵旅団 《3 個連隊》)
   Dragoon Guards →?近衛竜騎兵?

 中間:
   Dragoons →竜騎兵

 軽騎兵:
   Light Dragoons →軽竜騎兵
   Hussars →驃騎兵


■フランス軍
 重騎兵:
   Grenadiers a Cheval →騎馬擲弾兵
   Empress's Dragoons →皇妃近衛竜騎兵
   Cuirassiers →胸甲騎兵
   Carabineers →騎馬騎銃兵

 中間:
   Gendarmes d'Elite →精鋭ジャンダルム
   Dragoons →竜騎兵

 軽騎兵:
   Chasseurs a Cheval →猟騎兵
   Lancers →槍騎兵
   Hussars →驃騎兵


■プロイセン軍
 中間:
   Dragoons →竜騎兵

 軽騎兵:
   Lancers(Uhlans) →槍騎兵(Uhlansはポーランド騎兵を指す)
   Hussars →驃騎兵(ユサール)
   Landwehr →(後備兵騎兵? 保留)



 イギリスのLife Guardsはまあ良いとして、Horse Guardsは良く分かりません。Life Guardsの一部の様でもある。これは、『Waterloo Companion』の分け方があんまり良くない様な気がします(たぶん)。

 プロイセン軍のLandwehrをどうしたものかと思うのですが、これを「後備騎兵」と訳すと「後備の騎兵」っぽいですが、しかし恐らくは「後備兵の中の騎兵」だろうと思うので、「後備兵騎兵」とでも訳すべきか、とか……。


 探していて大変ありがたいと思ったのは、Wikipediaの「大陸軍(フランス)」の記事でした。この中に相当詳しく各部隊について書いてあって、面白いと共に、訳を決める上で大変参考になりました。あまりにも素晴らしいと思ったので、印刷して読む事にしました。

 読んでいて思ったのは、フランス軍の親衛隊の呼称で、私は(たぶん)ウォーゲーム界の慣例として老親衛隊、壮年親衛隊、青年親衛隊という訳語を使ってましたけども、この記事中では古参、中堅、新規(近衛隊)という訳語をあてておられる(ノートにもその件についての検討がありました)。実際、親衛隊員は老とか壮年とか青年とかではなく経験度によるものだったはずなので、老とかは使わない方がいいなあとも思うので、今後はこの訳語を採用させて貰おうかと……。

 また、「親衛」か「近衛」か、という事に関しては、「ノート:古参近衛隊」もの凄い議論(というか、ケンカ?)がされていて「うわぁぁ……」と思ったのは思ったのですが、私にはよく分からないながらも(おい)「親衛」よりは「近衛」でしょ、という事は当事者間で納得されている様であり、「親衛隊」という呼称が流布したのはなんか時代的制約?とかもあった様なので、特にこだわるところのない私としては先人の議論を尊重して今後は「近衛隊」で行こうかと……(尤も、イギリスが「近衛」でフランスが「親衛」だったら分かりやすいなぁとも思っていたのですが)


 ナポレオニック関係の和書を読んでいると、こういう用語(人名、地名も含めて)の不統一さはものすごい面があるのですが、これはナポレオニックがまだ日本で成熟しきってない?という事で、しょうがないのでしょう。ただ、あらゆる書物においてそうだと思うのですけども、「最終的な真実の確定」なんてものは原理的に出来ようがない(絶対に正しい説というものは存在しない。あらゆる説は仮説にとどまる。by K・R・ポパー)ので、一応私もある程度確定させようとするものの、それは後の人によって再度検証・反証がなされるものだと思います。それはそれで気楽なので(おい)、私は用語は「ある程度統一しないとやってられないから統一しなきゃー」とは思うものの「統一そのものが目的」というわけではないので、ほどほどにして、調べたい事を調べていこうと思います。というか、私がやりたいのは真実の確定というよりは、「私がいくらか読めた事を、日本語で読みたいと思っている人に分かりやすく読みやすい状態で(ただし著作権には配慮して)提供すること」なので、そっち優先で……。


 あと、今回「やっぱWikipediaは助かるわぁ……」と心底思ったので(Wikipediaは信用できない、という話もありますが、別に、本だって信用できるわけではないので……)、「利用させてもらうばかりでは悪い。自分がある程度協力できることは協力していこう」と思いました。Wikipedia上にナポレオニック関係の事が詳しく載っていたら、それを見てナポレオニックに惹かれる人が出てくる可能性もありますし

 ただ、Wikipediaの編集方法について良く分からないので、やむを得ず入門本を買う事にしました。



 ウェブ上でWikipediaの編集方法について分かりやすくまとめたページがないかなぁと思って軽く探したのですが、良く分からなかった……(T_T)

オランダ王ウィレム1世(オラニエ公)

 ちょっとまじで電子書籍でワーテルロー戦役について書いていけないかと思って、洋書を読んでいく様にしようかと思い始めました。

 ワーテルロー戦役全体を扱うも、読む側にとってはうっとうしくない程度の叙述量で分かりやすさとおもしろさ優先で書いていけたら……と妄想爆発中ですが、とりあえずワーテルロー戦役の最初から書いてある『1815 THE WATERLOO CAMPAIGN:Wellington, his German Allies and the Battles of Ligny and Quatre bras』の、戦役前の状況あたりから読み始めることに(そのうちに、R/Dさんに教えていただいた1900年前後の書物にも手を出したいと思ってます)。




 するとまずは開戦前のネーデルラントの状況ということで、オランダ王ウィレム1世の事がいくらか書いてありまして、この人のことは以前から興味があって調べなきゃなと思っていたし、興味深い事が分かったのでその辺りを(そしてまた、多分以下の事はワーテルロー戦役の本論でないので、電子書籍が書けるとしても書かない部分だと思いますので)。


 ウィレム1世は1795年にイギリスに亡命し、1798年にプロイセンに渡って中将に任命されます。

 ↑この辺の事情については何も書かれてないのですが、簡潔に言って彼がドイツ西方の一公国+さらにその西方の中くらいの国の君主の子であり、かつプロイセン王家と非常に血縁関係があった事が、こういう任命につながったのかと。

 具体的事情としては、彼はナッサウ・オラニエ家(以前描いた「イギリスの同盟国とプロイセンの領土」の地図上で、ネーデルラント(の北半分?)とナッサウ家の君主……という理解で良いのかな?)のウィレム5世と、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世(フリードリヒ大王の甥で、1797年までのプロイセン国王)の妹との間の子であり、かつ1797年からのプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の妹のフリーデリーケ・ルイーゼ・ヴィルヘルミーネと結婚していました。

 1806年戦役のプロイセン軍の総司令官となっていたブラウンシュヴァイク公がプロイセン国外の人であった事については、ブラウンシュヴァイク公国がプロイセンとかなり密な関係にあったことや、このブラウンシュヴァイク公の叔父さんがフリードリヒ大王の右腕として活躍した人で、その薫陶を受けた彼も名高い歩兵司令官であったという事情などがあって分からないでもないのですが、このウィレム1世(当時はオラニエ公と言うべきか)がプロイセンにやってきていきなり中将に任命される辺りは、現代日本人からすると違和感ありますけど、当時のヨーロッパとしては当たり前だったのでしょうね。

 あ、ウィレム1世(以後はオラニエ公と書きます)は、それ以前にオラニエ・ナッサウ軍で軍歴はあります。ただ、大尉として軍歴を始めて、3年後に将官(少将?)になったというので、やっぱ王族っすね。


 彼は1806年の戦役でブラウンシュヴァイク公指揮下の第Ⅰ軍団麾下のプロイセン軍の師団を指揮し、当初エアフルト(Erfurt)の辺りにいた様ですが、フランス軍の侵入にともなって移動してアウエルシュタットの遭遇戦に参加しました。

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↑『1806: Rossbach Avenged』(OSG)のパッケージ。


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↑同ゲームのヒストリカルノート上の地図。四角い部分が、ゲームの地図(フルマップ2枚)にあたります。アウエルシュタット、イエナ、エアフルトを赤く塗ってみました。四角の部分に突き刺さっている矢印は、フランス軍の進入路かな?
(著作権は一応気にしているのですが、ブログ上では一応出版社側の利益になる様な範囲かと考えまして……。ただ、電子書籍上なんかでは地図は自分で作り直すべきでしょうし、写真なんかは本からは全然アウトでしょうね……)

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 ↑『1806: Rossbach Avenged』(OSG)のオラニエ公指揮の師団のユニット。ブラウンシュヴァイク公の指揮官ユニットが隣に。

 『La Bataille D'Auerstaedt』(COA)にもオラニエ公は登場していました。以前プレイしたこともあったのですが……よく分かってなかった……(^_^;

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 ↑オラニエ公指揮の師団のユニット。オラニエ公(Prince of Orange)のユニットもあります。

 アウエルシュタットの戦いで彼がどうだったのかを調べるとまた大変なのでそこらへんはパスしまして……。

 アウエルシュタットの戦いでプロイセン軍は敗北し、オラニエ公は再度エアフルトの方に向かった様です。で、エアフルト要塞でアウエルシュタットの戦いの2日後に、彼は「いつの間にか降伏の交渉を始めていた」のだとか。

 この重要な要塞の不必要な降伏について、後の調査委員会でだいぶ問題となった様です。ところがオラニエ公は、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の義理の兄弟となっていたために国王の介入で処罰されることを免れたのだとか。

 一方でこの調査委員会の調査で、Kolberg要塞をよく守備したグナイゼナウは株を上げ、意気消沈したプロイセンにおける人気の人物となったのだとか。そしてこの2人の対比(対立?)は、のちのワーテルロー戦役の時にも解消されなかった……とか。

 しかし地図で調べてみると、エアフルト要塞がイエナ・アウエルシュタットよりもフランスに近い方にあってしかも主戦場にも近いのに対して、Kolberg要塞というのはバルト海に面して非常に遠い場所にあります。

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 私が思うには、エアフルトがあっという間に陥落したのはやむを得ない様な気もしますし、Kolberg要塞が持ちこたえたのは場所的問題もあった様な印象を受けるのですが、地理的問題以外に、敢闘精神的なもので大いに差があった、という事なんでしょうね。

 その後、1813年の諸国民戦争でネーデルラントが連合軍の手に落ちると、オラニエ公はウィレム1世ネーデルラント国王として即位します。


 ちなみに、ウィレム1世の即位にともなってオラニエ公となった息子(後のウィレム2世)は、半島戦争などで軍歴はあり、1815年当初には「ネーデルラントにいる連合軍部隊の最高司令官」となりました(若干23歳で!)が、軍歴はともかく政治的な事とかについてあまりにも経験不足だったので、ウェリントン公爵に最高司令官の地位を譲ったそうです。しかし、ネーデルラント軍全体の指揮権は保持しました。

ドイツ軍銀輪部隊?

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 コマンドマガジン日本版の第29号に載っている『BARBAROSSA:Army Group Center』のシナリオ4「北方軍集団」の記事(「アリョーガラ鉄橋を越えて」)を良く読んでいたら、ドイツ軍の「自転車大隊」という言葉がさらっと出てきました。

 「えっ?」と思って調べてみると、確かに第402自転車大隊と第403自転車大隊というのの駒がありました。「Rad」というのが「Radfahrer(ドイツ語で自転車?)」の略なのだそうです。

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 プレイブックの「ユニットの略号」というところを見ていると、こんな風に書かれていました。

 1941年でさえ、ドイツ軍は広範な車両不足に悩んでおり、いくつかの部隊は機動性を持たせるために自転車に跨っていた。これらの2個の独立大隊は、他の小規模な分遣隊で補強されていた。


 確かに、普通の歩兵師団の移動力が5であるのに比べて移動力が1高いです。(ちなみに自動車化や装甲連隊の移動力は7、装甲偵察大隊の移動力は9。ただし彼らは1ターンに2回以上動くので機動力はもっと高いでしょう)

 日本軍の自転車部隊である「銀輪部隊」というのは知ってましたけど、ドイツ軍も使っていたというのは知りませんでした……しかし、自転車は私も通勤で使い倒しているのですが(自転車屋さんに整備で持っていくと、「乗り込んでますねぇ」と言われる)、便利ですし、軍隊で使わない方が不思議ではあります。

 Wikipediaで見てみると「自転車部隊」という項目があって、その利点や、ドイツ軍を含む各国の自転車部隊について触れられていました。

 ただ、Wikipediadでは結構広範に自転車部隊があった様な感じで書かれてますけど、『BARBAROSSA:Army Group Center』でユニット化されているのはこれだけなんでしょうか。まあ大隊規模(600名程度?)の多くが自転車に乗っていた部隊というのはこれだけだったのかもしれませんね。

 私はこういう細かい戦闘序列とか、結構好きです。なんか愛おしくなります。


 他にも探して見ると、こんなのとか。

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MSK Marinesonderkommando(海軍特殊部隊)
MST Marinestosstruppe-Abteilung(上陸大隊)

 Libauの街と港湾のソヴィエト軍部隊の排除を支援するために使用された、臨時編成のドイツ海軍部隊。両部隊共に第291歩兵師団の指揮下に置かれたが、MSKはあまり活躍しなかった。




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Sich Sicherungs(保安部隊)

 保安部隊の各師団は、通常の歩兵連隊、Landeschuetzen連隊(前線勤務に不適な兵士)、1個砲兵大隊、種々雑多な小分遣部隊から成っていた。これらの部隊はほとんど重火器を持たず、厳密に占領任務を目的としていた。



 保安部隊というのは他のゲーム(ビッグゲーム)でもいくらか見るのですが、説明を読んでいると「前線勤務に不適な兵士」というのはどういう人達で、どういう思いで保安任務についていたのかとか、興味をかき立てられます。

 ちなみに「重火器」という言葉も、なんとなくの理解だったのですが、今Wikipediaで見てみると、

 小火器:拳銃・小銃・短機関銃・歩兵砲・迫撃砲
 重火器:榴弾砲、カノン砲、臼砲

 という感じでしょうか? つまり砲兵に分類される部隊が運用する砲が重火器ということかしらん。でもそうすると保安部隊師団は、1個砲兵大隊は持っていたという事だから、そこにだけ重火器はあった……?

 尤も、『BARBAROSSA:Army Group Center』だと歩兵師団が「8-9-5」や「7-8-5」の能力を持つのに比べて保安師団が「2-4-4」ですから、かなり弱体ではありますね。同じ師団規模だから、人数は同じくらいいたと見ていいのでしょうか……?


 あと、この北方軍集団には武装SS部隊も参加しています。

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 「Tk」というのが「Totenkopf(トーテンコップフ)」で「髑髏(されこうべ)部隊」。強制収容所の所員を中心に編成された武装SS部隊。「Pol」は「Polizei(ポリツァイ)」で「警察」。保安・公安警察の一部と収容所警備部隊から編成された部隊です。それぞれ後に「第3SS装甲師団」「第4SS警察装甲擲弾兵師団」となっていきます。

 こういう人達も、どういう思いで前線にいたとか、興味のあるところです。

 そういえば、



 という本を買って、途中まで読んでました。かなり詳しい本で、文庫で安く買えるのでオススメです。今ぱらぱら見てても、やはり詳しくていいっすね。SS12ヒトラーユーゲントの辺りで止まってたんですが、また読みたいと思います。

シナリオ4「北方軍集団」の史実を調べてみた

 『BARBAROSSA:Army Group Center』(GMT)のプレイを11月20日に(から?)ミドルアース大阪でやろうという話になっております。

 シナリオは、YSGAの方に薦めていただいたシナリオ4『北方軍集団』です。中央軍集団のゲームなのになぜか北方軍集団のシナリオが入っており(『BARBAROSSA:Army Group North』にもこれは入ってるとのこと)、そしてこのシナリオが入門用としてシナリオとしても良い出来なのだそうです。

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 ユニットを切り始めている(写真の手前半分全部+αがシナリオ4のユニット)のですが、ふと思いついて史実でどうだったのかを調べてみました(ウォーゲームで歴史を楽しむのが姿勢ですので!!)。

 資料としては、以下のものとか……。



 とか挙げつつ実は、最初の2つを持っていることを忘れていたため、後ろの3つで調べていたんですが(^_^;、大略以下のことが分かりました。

 ↓は、この「北方軍集団」シナリオに使用するMapCです(中央軍集団の戦区は関係ないので白く塗りつぶしてあります)。

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紫色の線が国境です。黒い矢印線(2つ)がマンシュタイン将軍指揮の第56軍団(第8装甲師団、第3自動車化歩兵師団、第290歩兵師団)の進撃路。『BARBAROSSA:Army Group Center』は1ターンが2日なのですが、何と驚くべき事に、この黒い矢印線の1本分が、2日分(つまり1ターン分)です。2ターン(4日)でマップのほぼ向こう側までとか、どんだけやねーーーーーん!! この時の進撃は、ほんとに凄かった様です(ただしその後数日間、補給問題と敵中孤立を理由として上層部から停止を命じられて、マンシュタインは歯ぎしりしたとか)。

 ちょっとこんがらがったのが、『どくそせん』の地図のアリョーガラ鉄橋の位置でして、『どくそせん』の地図ではこのMapCにおける最初の渡河点(黄色いでっかい橋がかかってますが)あたりがアリョーガラ鉄橋であるかの様に見えるのですが、実際には2つめの渡河点がアリョーガラ鉄橋だと分かりました(このシナリオの解説が載っているCMJ29号を参照して)。

 『どくそせん』では、アリョーガラ西方のロッシニという町の辺りで、ラインハルト将軍率いる第41軍団(地図上で赤い矢印線)がKV-2に出会った……と書かれているのですが、アリョーガラの位置が間違っているので、良く分からないハメに……。それにまた、西方というよりは北西のラセイニュイという町の近くだった様です(赤い矢印の位置辺り)。ただ、町の名前の発音は色々ありそうなので、それは良いかと。マンシュタインの第56軍団が四日目に取った都市の名前は資料によって、ドヴィンスク(ロシア語)、ダウガフピルス(ラトビア語:ゲーム中ではこの名前)、デューナブルク(ドイツ語)とか色々な書き方がされていて、こんがらがります。しかしまあこれは、この当時ラトヴィア国内にあったこの町(やその辺り)が、様々な国に属していた事があるという事なのでしょうか?(よく知りませんが)

 第41軍団(第1装甲師団、第6装甲師団、第36自動車化歩兵師団、第209歩兵師団)のうちの第6装甲師団が開戦まもなく、たった一両のKV-2によって48時間に渡って進撃を邪魔された逸話(これが「街道上の怪物」というやつですっけ?)はなんか多分有名で、東部戦線に詳しくない私もいくらか読んだ記憶がありますし、『タンクバトルI』にも詳しく載っております。このヘクスの辺りでそれがあったんだ……と考えるとなかなかに興味深いです。

 地図ではまったく省略しましたけど、第56軍団の南側では歩兵師団主体の第16軍が、また第41軍団の北側では第18軍がゆっくり進んでいた様です。ゲームではこの第16軍がKaunas(カウナス)の町を占領せねばならなくて、結構難儀する様です。

 というか、マンシュタインがやった様に、ダウガフピルスの町を第3ターンには占領しなければならない(ゲーム自体は第5ターンまで)ということなので、そりゃー確かに、電撃戦っすわぁ……。

 ううーん。プレイするのが楽しみです。

SLGamer Vol.4『ロンメル@エル・アラメイン』

 埼玉の、初心者向けウォーゲーム同人誌『SLGamer』の手伝いをVol.1からさせてもらってます。Vol.1からVol.3までの件はまた今度書かせてもらうことにしまして……。

 今現在は、Vol.4の北アフリカ特集号の付録ゲーム『ロンメル@エル・アラメイン』のマップとユニット(デザイナーの天津老師さんの作られたもの)を『Illustrator』などでリファインする作業をやっております。

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 ようやくユニット作りの作業が一段落してきました。今回は装甲・機甲ユニットや自動車化歩兵ユニットは戦車や装甲兵員輸送車のシルエットを使うという事で、『Photoshop』でその作業もしてましたが、こういう作業は初めてだったので試行錯誤してまして、MustAttackのコミュニティ上でより良いやり方を教えてもらったりもしました。

 戦車などのシルエットについてですが、よくある、ケーニヒスティーガーもシャーマンも豆タンクも同じくらいの大きさで表示されているのが私はどうもイヤでして(尤も、見やすさの面などでしょうがない面もあるとは思うのですが)、 「大きさの差が分かる方がいいやん!」と思ってました。なので今回(Vol.2の時もですが)、大きさをほぼ比例させる様に作業してみました。

 具体的には、ユニットは12.5mm×12.5mmで作業しているので、全長10.3mのケーニヒスティーガーならば、1000分の1にして10.3mmにするという方法です。そうやって全部をほぼ1000分の1のサイズでユニット上に並べてみると……イタリア戦車がちっこい(^_^; もう、愛らしいとしか言いようがありません。ちなみにイタリア軍のトリエステ自動車化歩兵師団のシルエットは、装甲偵察車のアウトブリンダAB41という、結構な傑作として知られるものです。尤もこれは、ドイツ軍のSdKfz.251やイギリス軍のM5ハーフトラックと違って兵員装甲輸送車ではないわけですが、イタリア軍はそういうの持ってなさそうで(でしょうか?)、かと言ってトラックをシルエットに使うのはなんかさすがにという事で、これになったのでした。

 イギリス空軍の飛行機は、ハリケーンを使用しました。最初は良くある、上から見たシルエットにしようと思っていたのですが、それで1000分の1サイズだと、ユニットにうまく入らないので、横から見た状態に。スピットファイアもエル・アラメインの時にはいたらしいのでどっちにしようかと思ったのですが、『DAK2』の戦闘序列を調べてみるとハリケーンの10分の1くらいしかスピットファイアはいなかったみたいなので、まあハリケーンでいいかと。


 マップは以下の様に大体できあがってきております。

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 まだ作業中ですし、見えにくいものとかバランス調整とかもこれからです。

9/4ミドルアース大阪

 続けて、9月4日のミドルアース大阪に行ってきました。結構今回人数が多かった様な気がします。初見の方も多くおられました(ってか、私が新参ではあるんですけども(^_^;))。

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 以前からの約束で、N川氏と『積み木のロンメル』をプレイです(と言っても、N川さんがかなり良くこのゲームのルールを把握しておられるのに比べて、私はどうもまだ積み木シリーズへのルール面での苦手感が強く、ルール的には完全におんぶにだっこの状態でした。ありがとうございます!>N川さん)。

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 陣営としては、前回私は枢軸軍側で、まだ慣れてない状態としては継続してやった方がいいだろうなぁと思ったので枢軸を希望。最初の進撃の部分は、(後から考えれば)うまく補給カードだけ使わされてしかし戦果的には何もない感があります。

 とりあえずトブルク周辺まで行った辺りで、INBさんの「ドイツ軍はむっちゃ強いから、とにかく殴れば勝つんだよ!」というご助言に従って、トブルク東方の英連邦軍集団を殴りに行ったところ、補給線が狙われてあちこちで戦闘が発生する事態に! 戦いはしばらく続いたのですが、最終的に補給線が切られてしまい、最先端にいた第21装甲師団が補給切れ→敗走→退却先がないため全滅!

教訓:補給線は大事です

 しかし、すぐに第15装甲師団も到着するため、「まだ枢軸軍はいけますよ」というN川氏のご助言に従って、プレイを続行してみる(「ご助言に従って」ばかりだナ(^_^;) いや、まだまだ全然良く分からないので、色々人に聞きながら「とりあえず」でやってみてたのです。でも、自分で考えて決断した部分もかなりあったんですよ!(..;))

 この辺りで漠然と考えていたのは、「枢軸軍は先の方に行くのは苦しいなぁ……」という事でして、ちょうどうまい具合に割とN川さんが前のめりで戦闘をしかけて来られたので、よく分からないながらも決戦的に戦力を集中すると?、大戦果が!(サイの目が、N川さんの砲兵がまったく当たらないのに対して、ウチのイタリア軍砲兵ユニットの攻撃がまじ当たりまくってました。イタリア軍部隊のほとんどが消滅させられていたのの復讐ですね、分かります)

 ただ、ここら辺で感じたのは、「とにかく補給が足りない」ので、このまま補給があるのなら戦果をどんどん拡大できそうなのに、それができない、という事。そこで考えたのは、

教訓その2:補給カードが貯まらないとダメなのかも? かも?

 そこでしばらく補給カードを貯めてみます。途中で起こった戦闘としては、英連邦軍のユニットを壊滅させてはいないのだけども、損害は与えまくっているという印象でした。英連邦軍は補充はするでしょうけども、それでポイントを使わざるを得ず、そのうち「根拠地に移動させるためのBPを節約する」事態になっていた様です。それに対して枢軸軍はもう、BP使いまくりで移動→補充し(大して損害もなかったですし)、あまったポイントは全部、補給カードを買うのに使う!

 で、途中、補給カードを貯めた上でカード3枚を消費して電撃戦(MC+MC)をやってみたのですが、まあ戦果は出たものの、3枚消費に見合うのかというと、微妙な印象も……。

 その後は、再度カード1枚(MC)で連続で行くというのを試してみます。が、どうも英連邦軍が前のめりであったために(N川氏は「攻めダルマ」としてミドルアース大阪において有名?で、「すぐ攻めたくなるのを抑えきれない」そうで)、枢軸軍側は戦闘することが出来、そして戦闘すればドイツ軍が圧倒的に勝つ、という図式であった様です。

 ↑というのは、なぜドイツ軍が勝つのかが私は良く分からず、N川さんと諸兵科連合効果なのか? 砲兵がええのんか? んん? とか色々考えていたのですが、INBさんが「連合は戦闘したらあかんのや。それはオレが10回もやってずっと失敗しまくり、水池師匠に馬鹿者!と怒られまくったんや(←表現に誇張アリ(^_^;))。連合はなるべく戦闘せずに、ドイツ軍に補給カードを使わせる事を最優先に考えるんだよ」と噛んで含める様に説明してくれたので、ようやく分かって来た次第です。ほむほむ。


 『積み木のロンメル』は、まだやっぱ積み木ルールが慣れない感があるものの、補給線の大事さや、諸兵科の効果(対戦車砲を隘路に置いて、そこに戦車部隊が突っ込んで来たらとか、にやけが止まりません(^_^;) 砲兵も、先に撃てるとか、歩兵がいたら攻撃されないとか、うまく出来てるなぁと)、補給がたくさんあったらむっちゃ戦果が拡大できるのに補給なんかねえよという辺りが、うまく北アフリカでいいなぁと思いました。また折に触れプレイしてみて、慣れていきたいです。



 今回は、見学の方も多く、試しに来られて「昔ちょっとやってたんだけど……」という方お二人ほど(時間はずれて)と結構長くお話したりしました。

 そして、台風の中(心配でした!)関東からHAさんが来られまして、厚かましくも代理購入をお願いしていた中黒さんデザインの「魔法少女まどか☆マギカ」のカードゲームを頂きます。私はゲームプレイ中であった事もあって、HAさんは持参されておられた『ウォーゲームハンドブック2011』の『日露大戦』を小野部長と対戦。この関東では大流行というゲーム、実はミドル大阪では誰も買ったのもプレイされているのも見たことがないという不思議(^_^;) でもN川さんが「これは私向きのゲームかもですねぇ」と仰っていたので、買ってくれる様頼んでおきました(おい)。


 あと、お昼のミーティング?の時にINBさんが「これから、こういうゲームをしたいんだけどという紹介をこの時間に1、2分とって回していきましょう。……じゃあ、松浦さん!」と言われたので、ちょうど持っていっていた『L'Armée du Nord』を紹介しました。実はまったく期待はしていなかったのですが、結構興味を持ってくれた方が多くて嬉しかったです(*^_^*) あと、ぽんにゃんさんが『1806』興味ありますとも言っておられて、これも望外な!

 『積み木のロンメル』が6時くらいにお開きとなったので、残り時間で、やりたかった『L'Armée du Nord』のお試しセットアップをしてみました。

map09

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 駒数が少ない割にフルマップ3枚でワーテルロー戦役を再現するというこのゲーム、キャンペーンシナリオの他に「リニー/カトル・ブラ」、「ワーテルロー/ワーブル」シナリオが入っていて、後者はマップの場所的にマップ2枚は必要そうだけど、前者はマップ1枚で出来るのではないかなぁ……と思っていたのですが、甘かったです。配置を確認してみると、3枚のマップ全体にユニットが分散している+マップ外移動チャートに大量に部隊が!

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 ↑写真は「リニー/カトル・ブラ」シナリオでのリニー周辺のプロイセン軍部隊です。


 むしろ「ワーテルロー/ワーブル」シナリオの方が、おおむね3枚のマップの北の方に部隊が移動し終わってて、分散せずにプレイできる印象でした。

 (シナリオの)ルール的には大した事ないと思うのですが、さすがにこれだけ場所を食うとなるとちょっとやってみる感でプレイは出来ないので、そういう意味でも「一度(以上)ソロプレイをしてみて、自分はある程度分かった状態にしておく」事が必須だなと思いました。


 その後、雑談を経て、恒例の王将での食事に移行。同人誌をオフセットで出すより、電子書籍で出した方がカラーを制限なしで使いまくれるという意味では優れているよねぇという話題とか、HAさんのこれまでのゲーム歴の経緯とか、関東の諸事情と関西との比較とか、こかどさんが天才?過ぎて我々では理解できないですよねとか、ボークス1Fエレベーター前に置いてあるミドルアース例会開催中のチラシ?にゲーム画像を入れましょうとか、誰がどういうゲームをやりたいかの情報をブログでなくホームページ上に置きましょうという話とか、色々やってました。

 中でも望外にして嬉しかったのが、前回から参加のある方が「ビッグゲーム好き」という情報でして、ビッグゲームやりましょう、と。Toonさんも『The Longest Day』がやりたいとのことで、それもありですねぇ(以前『The Longest Day』を練習してみてた時に精神的に折れてしまったのは、後半のシナリオをやって部隊数が多すぎたのが原因で、むしろキャンペーンをやれば最初部隊数が少ないので出来るのではないでしょうか)。

 INBさんには「『BARBAROSSA:Army Group Center』を11月からやる! これ決定ね!」と言われまして、準備は全部私がせねばならないわけですが(休日に片付けなければならない仕事に追われまくっているのですが~(T_T))、せっかくの機会ですし、熱が高まっている時にやらないといつできるか分からないし、Valさんも「やらないでもない」という感じらしいので、努力しようと思います。

 小さい目のゲームが好きという方がある程度おられる中で、私はビッグゲームが好き(ただしルールは簡単な方が……(^_^;))なので「マッチングが難しいなぁ」と感じていたのですが、いや、そうでもないという事が分かって来ました。

 『The Longest Day』、『Wave of Terror』、『Operation Typhoon』、『BARBAROSSA:Army Group Center』、『BRUMA』などは視野に入ってくるのではないでしょうか。このまま気を逃さず、ビッグゲーム道に邁進したいところです(フリースクールの方でもやらなきゃならんこと山積みなんですがぁ……)。

 王将の後は、HAさんに大阪名物を食わすのだ! というこかどさんの陰謀により、なんばまで歩いてグランド花月の前のたこ焼き屋まで行って、そこで私は店には入らずにお別れの挨拶をさせていただきました。皆さん(特に遠く関東からやって来られて待望のゲームをもたらして下さったHAさん)ありがとうございました~。


 次回の9月25日は、Kはしさんと『激闘! マンシュタイン軍集団』の予定です。Kはしさん、すごく楽しみにされている様で、こちらまで嬉しくなりました!
 

『The Sunset of Waterloo』最終チェック

 次号のGame Journal付録ゲームの『The Sunset of Waterloo』の最終チェックの会合?に行ってきました。といっても実は私としては、まだ書けていない『The Sunset of Waterloo』プレイガイドのネタを教えてもらうのがメインだったのですが……。

 カウンターがすでに完成しており、マップもリフレッシュされてました。

map02

 ただ、マップに印刷されてる初期配置の印を見てユニットを並べていくと、色々まだ修正しなければならない点がごろごろ出てきました(^_^;)

map03

 しかもLa Belle AlianceをLe~と表記するなどの超絶ミスも発見! やっべー。

 写真で、ネイ元帥やロボー伯爵、向こうにはデルロン伯爵も見えます。まっすぐ行った先がラ・エイ・サントですね。


 この日は同時に、将来付録ゲームとなる予定で改変作業が開始されている(らしい)、アド・テクノスの『ドイツ装甲師団長』もテストプレイがされていました。

map04

 私は関わってなかったので良く知らないのですが、プレイヤーがドイツ装甲師団長となって、RPG的にミッションを繰り返していくゲームらしいです。上の写真は箱がアド・テクノス版で、マップはGJ用に改変されたもの(テスト用)。

map05

 上の写真はマップがアド・テクノス版で、ユニットは改変版(なぜに……(^_^;))


 さて、『The Sunset of Waterloo』の方ですが、私はプレイガイドさえ書ければ良いのでプレイする気はなかったのですが(おい)、ルール記述の不明瞭な点を出す必要性が無茶苦茶ありそうでもあったので、あまり気負わず連合軍でプレイ。そしたら出るわ出るわルールの疑問点。今までも結構テストプレイはしてたのですが、それはルールの構築を練るのが主眼で、今回はルールは概ね固まって最終的なルールの表記をチェックするものだったからかもしれません。

 プレイですが、ウーグモンとパペロットへのフランス軍の攻撃はすんでのところで耐え、逆にウーグモン周辺には逆襲をかけまくったところ、これが成功してなんだか割と安泰な状況に? 編集長曰く「第2ターンで投了しようかと思った」ほどにフランス軍は攻撃失敗しまくってたのですが、第3ターンに入ると一転、パペロットが落ちて左翼に穴が開いた上に、ラ・エイ・サント(中央)の部隊を引き抜いて薄くなってしまっていた所にフランス軍が殺到! ラ・エイ・サントも陥落し、逆に「やばい~~!!」な状況に。

 予備をなんとか連れてきて埋めたり、砲兵が撃ち、騎兵突撃が両軍発動されまくり、そのたび毎に「うわ~!」と悲鳴が交錯する、なかなかにハラハラドキドキな展開(途中、突出したフランス軍騎兵を潰すためにイギリス軍騎兵3ユニットが突撃をかけ、除去したもののスタックオーバーで1ユニットイギリス軍騎兵が飛んだりとか)で、連合軍側としてはイギリス同盟軍側の戦線はなんとかなると踏んで、プロイセン軍の突進に全チットをかける! フランス軍側は親衛隊をプランスノアとイギリス軍戦線中央部に投入する!

 まさに「食うか食われるか」の展開となりましたが、時間もなくなったので8時頃に終了しました。↓写真が終了時(第4ターン終了時)です。

map06

 親衛隊も結構ぼろぼろになっていたようで、「最終的にはプロイセン軍が突破して連合軍の勝ちになるのではないか」という事でした。


 プレイガイドも色々教えてもらいながらほぼ書けまして、ようやくこの関係の仕事は終わりに近づいた様な気がします。でも『The Sunset of Waterloo』のルール表記チェックがまだ必要だなぁという事が分かりまして、再度テストプレイ会が開かれそうな気配です。

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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