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イギリス軍やナポレオン本

 前から買おうと思っていた『イギリス機甲部隊』がすでに出ていた事を知ったので、買ってきました。

br001 ガリレオ出版のホームページ

 Amazonからは(まだ?)買えないみたいですね……。あと、もしかして事実上東京の書泉か大阪の旭屋でしか売ってないんでしょうか。

 イギリス機甲部隊の経歴について詳しいです。自作フランス戦ゲームのイギリス軍部隊の位置に関して少しでも知りたかったですし、基本的にイギリス軍の各部隊について興味があるので、ありがたい。後半の写真の部分は、文字情報を期待もしていたのですが、まあしょうがない。

 記述中には「ロイヤル」という表記が何度も出てきます。「王立」の方が良かったのではーと思いつつも。


 ところで、『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』の一番最後の各軍の説明のところを訳していたら、ハイランダーズ(スコットランド部隊)が「キルト」を着ているよ……という記述が出てきまして、そこでちょっと気になって「キルト」で検索してWikipediaを見ていると、その中になんかイギリスの連隊名のリンクが存在。「おっ」と思ってクリックしてみると、「ロイヤル・スコットランド連隊」という項目があって、そこに各連隊の説明が、キルト生地パターンなどと一緒に! こ、これはすばらしい……!!

 中には、「1940年5月のダンケルクの戦いにキルトを着用して参加し、戦場でキルトを着用した最後の部隊となった。」とかってのがあって……。これは自作フランス戦ゲームの駒の下半分をキルトパターンに塗るしか! と思ったりしました(おい)。


 あと今日、韓流ドラマにハマってる母親が韓国語辞書を買いたいというのでジュンク堂書店に一緒に行き、大して期待もせずにフランス史のコーナーを見ていたら、『ナポレオンの戦役』という本が……! 2011年1月頃に出ていたようです。全然知りませんでした。



 試しに見てみると、地図は巻末にNHKで使用しそうなのがあるのみで「それはどうだろうか?」(バクマンのギャグです。一応(^_^;))と思ったのですが、ワーテルローの記述を読んでみると、15/16日にウェリントンが判断を誤った事が書かれているし、結構私が今まで見た事ない事実も書かれているなぁという気がしたので(ただし、時々日本語が非常に変!)、買う事にしました。なにしろあれですよ、日本語で読めるというだけで大変ありがたい!!

 帰って良く見てみると、著者がフランス人(フランス語からの翻訳)で、ナポレオン贔屓で「ワーテルローでのナポレオンの敗北は、あり得なかったのだ!」とか言っているらしく(私は現今、割とナポレオンの敗北は結構必然だったように感じているのですが)、「ああ、だからウェリントンの悪い面を書くわけだなー」と思ったりしたんですが、色々な立場からの本が、しかも詳しめのが読めるという事が非常に価値があると思うので、ありがたい。しかも叙述が結構面白く興味深く読めそうなんですよ。

 訳書あとがきから引用しますと、

 ……皇帝、将軍、そして兵士の描写に力を注ぎ、ナポレオンの主要戦役を物語風戦記として、ある時は愉快に、必要に応じて悲惨な有様も漏らすこところなく生き生きと描いて見せると同時に、ナポレオンの知謀、人となり、またフランスを巡る政治・外交事情の概略も併せて説明してくれる。
-『ナポレオンの戦役』P307-



 扱っている戦役は、ロディ、ピラミッド、マレンゴ、ウルム/アウステルリッツ、アエウルステッド(ママ)、アイラウ、ワグラム、ワーテルロー。フランス贔屓だから基本勝ってる戦いばかりなようです(アウエルシュタットはしかし、ナポレオンにとってはどうなのかな~)。



 あと、



 というシリーズがあったんですね。そういえばどこかでどなたかが書かれていた様な気が……。これの4巻がナポレオン時代のみを扱ったもので、続刊で出るらしいので、これは期待していいのですよね? ね?

 さらに、



 というのも、かつてぱらぱらと見てみた事があり、その時は「まぁいらんか~」と思って買わないでいたのですが、今回改めて見てみて、1806年戦役に関して結構詳しく載ってそうで、ワーテルロー周辺も若干あり、シャルンホルスト論も興味はあるので買おうかと。(あと、ロシア戦役も結構分量がある)

 今私が興味があるのが、まずはダントツでワーテルロー(1815年)。あと、イエナ・アウエルシュタット戦役(1806年)。これはOSGの『1806』を買ってあるのと、ワーテルロー戦役に出てくるブラウンシュヴァイク公の父ちゃんが負けた戦いであるというのと、この戦いにブリュッヒャーやシャルンホルストも参加していてそこらへんの逸話が渡辺昇一氏の『ドイツ参謀本部』で読んでいて非常に興味深いという事があります。あと、1813年戦役がグナイゼナウの関係で興味が結構あるという状況です。後の戦役はとりあえず後回し……。

 それからこれは若干余談めきますが、



 というのもジュンク堂で発見。このキャロライン王妃というのは、ナポレオン戦争時のイギリス摂政王子ジョージ(後のジョージ3世)の妃となった人物で、さっき書いた1806年戦役で負けて戦死したブラウンシュヴァイク公がその父親で、ワーテルロー戦役の時にキャトル・ブラの戦いで戦死したブラウンシュヴァイク公はその兄ちゃんです。ところがこのキャロラインという女性が、風呂に入らず(当時ヨーロッパで当たり前ですが)異臭を放ってジョージ(これがまたものすごい放蕩……)から邪険にされまくって……という話。

 ブラウンシュヴァイク公辺りの話が詳しく載っていればなぁと思って立ち読みしたものの、半ページくらいしか載ってませんでしたが、しかしこのキャロライン王妃の話は結構興味を持ってます。しかし4000円はいくらなんでも高いなぁ……と思ってジュンク堂では見送ったのですが、今Amazonで見ると、中古で800円……だと……? 買おう……ぽち(^_^;)

 いやでも、こういう本を本当は買わないと、出版業界をもり立てる事にならないのでしょうねぇ。まぁナポレオン関係そのものの本は新刊で買ったのでお許しを。しかしなんか、ナポレオンものが結構出ている様な気がするのですが?


 最近『ドイツ参謀本部』を読み返してまして、「やっぱ面白いなぁ~」と思って、「シャルンホルストかグナイゼナウかブリュッヒャーかを扱った本を探してみよう!」と一念発起。で、Amazonで色々検索してみたのですが……そんな日本語の本ない! (>_<) で、しょうがなく英語の本に検索の対象を移動……しかしこれがまた、ない! というか、ないでもないのですが、できればここ20年くらいの間に出版された、人物本位の本……という事で探すと、ない。1900年前後に出された本のリプリントとかならあるんですが、「それはどうだろうか?」と……。

 ようやく見つけたのが、



 で、まあ1000円程度なので良いかな、と。ブリュッヒャーも結構興味ある割に、今手元の本では人となりが良く分かるとまでは言えないんですよねぇ……。

 できればグナイゼナウに関する詳しい本が欲しいのですが、かなり探しても……ない!!

 あるとしたら、ドイツ語の本ばかり……。

 しかしこれで分かって来たのが、ワーテルロー本というのはイギリスの勝利だからでしょう、英語圏でかなり人気があり、本もそれこそ大量に出ている。ところが、それがプロイセンのシャルンホルスト、グナイゼナウ、ブリュッヒャー……という事になると、とたんに英語の本が存在しなくなる。そしてそこらへんに関して読もうとすれば、ドイツ語の本を読まなければならない……。

 「英語さえ読めれば知りたい事はたいてい分かる」のかもと私は思っていたかもしれませんが、それが甘いということが早速分かってしまいました(>_<) こんなにも情報は偏在しているとは……。


 日本語で読めるナポレオニック関係の本もやっぱまだまだ少ないですし、私自身がある程度情報がたまってきたら、なんらかの形で日本語で情報を出すようにしていきたいと思ってるんですが、それをどういう媒体でやっていくか……という事もあるなぁと考えたりしてます(最初は動画で、とか思ってたんですが、動画はむしろ後回しの方がいいなぁと思い始めてます)。


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King's German Legionの詳細

 King's German Legion(KGL)について。

 King's German Legionって何なのか? 私は『Wellington's Victory』のKGLのユニットが緑色をしていた事から、「とりあえず緑色っぽいやつらで、ドイツ人傭兵かなにか?」と思っていた程度でした。

 ……と書いてたんですが、改めて見てみると茶色じゃん!(..;)(うへー)

KGL01

 まあつまり何にも分かってなかったのですが(^^ゞのですが、ある程度分かってきてみると、なかなか面白いです。


 なんでドイツ人がイギリス連合軍の中に少数いて、しかも結構強いのか。これは、この時のイギリス王がドイツから来た(というか今もその系統?)のだったという過去があって、ここらへん日本人にはわかりにくい気がします(天皇家が途中で、中国の地方王朝からの系統に変わった様なもんか~)。

 名誉革命(1688年)でも「オランダ総督をイギリス王にしたぜイエーイ」ってな過去があったんですが、1714年にアン女王が死去すると、「カトリックの王は何がなんでもイヤだ」という王位継承法によって、イギリス王の血統であったハノーファー選帝侯ゲオルグ(ジョージ1世)をイギリス王として迎えるという事をやったわけです。

 で、この時から、ハノーファー選帝侯国(1814~15年のウィーン会議で王国に昇格)とイギリス王国とは「同君連合」となりました。実際、ハノーヴァー朝のイギリス王ジョージ1世、ジョージ2世までは英語を解さずドイツ語でしゃべり続けており、1760年から王となったジョージ3世の時になってようやく英語を解するイギリス王となったのでした。

han01
(Wikipediaの「ハノーファー王国」からの地図)

(ハノーファーの表記ですが、資料を見ていると現地読みが「ハノーファー」で、英語読みが「ハノーヴァー」の様ですね。φ(..)メモメモ)


 ところがこのハノーファー選帝侯国は1803年、フランス軍に占領されてしまいます(~1813年)。

 1803年、フランス軍がハノーファーを侵攻した後、ハノーファー軍の多くの兵士達や将校はイングランドへ逃げ、ジョージ王【ジョージ3世】が彼らを部隊へと組織し、彼の個人的部隊として維持した。その後数年の間に、このKGLはスペインにおいてウェリントンの下で戦い、あらゆる面において最も優秀なイギリス軍部隊と同等であると言われるほどの高いプロフェッショナリズムを持つに至った。
-『The Battle』P33-

(ちなみに、ワーテルロー戦役の時のイギリス連合軍の中には「ハノーファー」の部隊も登場しますが、これは1813年以降に復活したハノーファーで編成された部隊であり、KGLとは別物という事になります)

 KGLは全員が志願兵であり、数年で18,000名を超えるほどにまでなりました。

 このジョージ3世は、1760~1820年のイギリス王で、晩年は王子や子ども達の放蕩に悩まされて精神異常を来したものの、以下の様に好ましい人物であった様です。

 生来の正直さと、勇気と、私生活の清潔さは、誰からも愛され、外国からの王家という、ハノーヴァー家に対するレッテルを、完全に拭い去った国王である。
-『英国王室史話』P509~10-



 イングランドにいた時代のKGLの生活は非常に幸せなものであった……と『Waterloo Companion』に書かれているのは、ジョージ3世の力によるものか、あるいは戦闘がなかったからか……? あと、KGLには、イギリス人部隊に適用された鞭打ちの刑罰は適用されなかったらしいです(イギリス軍における鞭打ち刑については『The Battle』が詳しいです)。

 また、Wikipediaの「King's German Legion」を見ていると、KGLを設立する認証をもらう様に働きかけたうちの一人は、元々Dutchの軍人であったColin Halkettであるとのこと。このColin Halkettはワーテルロー戦役の時には、KGL出身のドイツ人でイギリス部隊を含む第3イギリス歩兵師団長にまで昇進したSir Charles Alten(ドイツ語でいえばKarl von Alten)の下で、第5イギリス歩兵旅団を指揮しており、その弟のHugh Halkettは第3ハノーファー旅団長でした。


 さて、ワーテルロー戦役に参加したKGL部隊は、歩兵が2個旅団(8個大隊)、騎兵が4個連隊でした(砲兵もKGLで組織化はされていた様ですが、ワーテルロー戦役には参加してないのか、編成表やユニットに見つけられませんでした。あれ、でも『Wellington's Victory』にはユニット化されてる……orz)。

 以下、『La Bataille des Quatre Bras』(COA)のユニットから。

KGL02
↑第2イギリス歩兵師団所属の第1KGL旅団(du Platt大佐指揮)

 2個ユニットごとで、右から第1、第2、第3、第4の各戦列歩兵大隊となります。
(部隊規模マークは通常、「||」が大隊、「|」が中隊を表しますが、ボタンを模しているのか、「○○」が大隊、「○」が中隊になっている様ですね。今気づきました……)

 バタイユシリーズの戦力値は、単に歩兵なら100人を表すに過ぎず、射撃力・白兵戦力・士気値は裏に印刷されています。『Waterloo Companion』を参照すると、

 第1戦列歩兵大隊……478人
 第2戦列歩兵大隊……527人
 第3戦列歩兵大隊……589人
 第4戦列歩兵大隊……478人

 となっており、かつKGLはキャトル・ブラの戦いには参加してませんから、この人数が『La Bataille des Quatre Bras』で数値化された人数と考えていいでしょう。

 で、なぜ各大隊が「1-8」の(裏にLtと書いてあるので)軽歩兵中隊を伴ってユニット化されているのか……。すいません、分かりません(>_<) 軽歩兵とはつまり散兵か、あるいは散兵化できるように訓練された歩兵のことである……という辺りまでは分かっているのですが、『Waterloo Companion』を読んでいてもKGLの(戦列歩兵中の)軽歩兵に関して書かれていない……。

 まあ分からない事だらけなんですが、とりあえずそれはそれとして(おい)。


KGL04KGL03
↑第3イギリス歩兵師団所属の第2KGL旅団(Ompteda大佐(男爵)指揮)

 今度は左から(なぜだー!)、第1軽歩兵大隊(ユニットは3つ)、第2軽歩兵大隊、第5戦列歩兵大隊、第8戦列歩兵大隊。

 なぜ今度はユニットが3つとかあるのだ……orz。調べてみると、

 第1軽歩兵大隊……519
 第2軽歩兵大隊……403
 第5戦列歩兵大隊……529
 第8戦列歩兵大隊……636

 なので、「100人をちょっとでも超えると1インクリメント増える」という事なら計算が合います。第2軽歩兵大隊は「3人で1インクリメント(100人)分」なので、非常に得した気分がしますが(おい)、しかしこの部隊はラ・エイ・サントを少人数でひたすら守備し続けたBaring少佐の部隊であるので、むしろちょうどいいのかもしれません。

 彼らKGL歩兵の軍服は、「イギリス軍のものが適用された(『Waterloo Companion』)」というのですが、パターンがイギリス軍そのままではないような……? ともかく、KGLは戦列歩兵が緋色のジャケット、軽歩兵はダークグリーンのジャケットを着ていたという事です。

↓は『Waterloo Companion』に載っていた唯一のKGLのイラスト。
KGL005

 ユニットの方は下半分がグレーですが、イラストではズボンもダークグリーンですねぇ。


 これらKGL歩兵部隊のうち、最も激しく交戦したのは第2KGL旅団の方で、先述の第2軽歩兵大隊は弾薬不足でラ・エイ・サントを放棄せざるを得なくなるまでずっと戦い続け、その放棄の少し後には第5戦列歩兵大隊が胸甲騎兵によって粉砕されてしまいました。

 ここのところの経緯を(ちゃんと訳したものが今ないのでかつての記憶によって)再構成してみると、師団長のアルテンが第5戦列歩兵大隊に対して、ラ・エイ・サントに突っ込む命令を出したのだけども、第2KGL旅団長のオムプテーダ大佐がその視界内にフランス軍の騎兵を見ていたためにその命令に抗った。ところがこのやりとりを聞きつけたオラニエ公がオムプテーダ大佐に対して、アルテン中将の命に従って前進する様に命じたため、オムプテーダ大佐はそれ以上抵抗できず、自ら指揮して前進したところ、案の定フランス軍胸甲騎兵が突撃してきてめちゃくちゃに粉砕され、オムプテーダは戦死、軍旗までが奪われたという……。

 『ウェリントン公爵と皇帝ナポレオン』には、以下の様に書かれています。

 ワーテルローの会戦から二十年後に、スタンホープも語っている。「公爵は、そこの守備を指揮していた将校『オレンジ公』の落ち度でラ・エイ・サントを奪われたのを口惜しがった。しかし、彼はすぐに言い直した。『いや、実際には、私の落ち度だった。私が注意していればよかったのだ』」。一方、ナポレオンはワーテルローで敗北した責任をグルーシー、スールト、ヴァンダム、それにネイに押しつけている。
-『ウェリントン公爵と皇帝ナポレオン』P361-



 「ラ・エイ・サントが落ちたのはオラニエ公の落ち度からである」という文を私は他で見た記憶がないのですが、『Waterloo Companion』でも「弾薬不足」「弾薬の供給に失敗して、放棄せざるを得なくなった」とかKGLの所に書いてあるので、オラニエ公が弾薬供給を怠ったからラ・エイ・サントが陥落したという事なのかもしれません(よく分からない)。

 そしてこれは更なる推測ですが、オラニエ公はラ・エイ・サントの陥落という事態に対して、なんとかしてそれを取り返そうとはやっていたのかもしれません。と、思いました。(しかしこのスタンホープという人物の証言は、ワーテルローの20年後という事なので、「大陸軍の虚像と実像」で指摘される様な基準からすれば、あまり信頼に値しないということにはなりそうですが)


 さらには、『Waterloo Companion』には第8戦列歩兵大隊は親衛隊騎兵に捕まって大損害を被り、軍旗を奪われた……という話が出てくるのですが、なんかいつの事か良く分からない(原文では「Earlier in the afternoon」。午後早く?になぜ親衛騎兵が……?)のでパス(^^ゞ


 『Waterloo Companion』はKGLが被った損害の大きさについて、こう記します。

 KGLはワーテルローにおいて、もっと良い運命になる資格があった。彼らは長く、激しく戦っており、上級指揮官による戦術上のミスによって不必要な損害を被り、ラ・エイ・サントから退却したのも、その弾薬補給が失敗したからに過ぎなかった。
-『Waterloo Companion』P179-


 めったに人を褒めないウェリントン公爵も、KGLに高い評価を与えていたという事でもあるので、この評価は首肯できそうな気がします。


 あと、KGLの騎兵なんですが、以下のものが『La Bataille des Quatre Bras』でユニット化されています。

KGL006
↑左から、第7イギリス騎兵師団所属の第1Hussars KGL連隊、
 第6イギリス騎兵師団所属の第3Hussars KGL連隊
(ただしこの2つは、『Waterloo Companion』の編成表上では所属師団が逆になっている)
 第3イギリス騎兵師団所属の第1Lt Dragoons連隊
 第3イギリス騎兵師団所属の第2Lt Dragoons連隊

 KGLには第2Hussars KGL連隊というのも存在していたのですが、ワーテルロー戦役の時にはCourtrai(ブリュッセルの真西60km辺り?)の国境にまだいたため、戦いには参加していません。

 これらのKGL騎兵はイギリス連合軍の右翼後方に配置され、ネイの大騎兵突撃の際にそれに対抗するために投入されて戦ったりしました。

 KGL部隊の『La Bataille des Quatre Bras』における士気値(バタイユシリーズの士気値は低い数値の方が優秀)なんですが、歩兵はBaring少佐の大隊が15で最も高く、あと16が2個大隊ほど、のこりが21~22という辺り(サイコロ2つの出目の片方を10の位として判断する方式なので、16のすぐ下が21となります)。騎兵は15~16の辺りで、この10代の数値は優秀なのではないでしょうか。他のイギリス軍騎兵も多くが20代であり、ポンソンビーの連合王国騎兵旅団でも16~21です。さすがにソマーセットの王室騎兵旅団の11~13辺りにはかないませんが……。


オラニエ公の評価

orange01←『La Bataille des Quatre-Bras』のオラニエ公のユニット
orange02←同、オラニエ公の参謀長コンスタン・ルベックのユニット



 ずっと気になっているオラニエ公の評価ですが、『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』でキャトル・ブラの戦いの記述が終わるところまで読み進み、最後のところにHofschröer氏によるオラニエ公およびウェリントン公爵に関する全般的な評価が書かれていました!

 ウェリントンは、彼の成功を幸運と彼の連合軍に負っていた。彼はこの日大規模戦闘を戦わなければならないとは予期しておらず、戦いの準備をほとんどしていなかった。ネーデルラントとピクトンの師団だけでは、ネイの決然たる攻撃を撃退することは不可能であった。ともかくもこの朝、キャトル・ブラに幾ばくかの連合軍部隊がいたのは、ネーデルラントの指揮官達が、ウェリントンが前の晩に出したこの位置を放棄してニヴェールへ後退せよという命令を無視した事が原因であったのが事実である。これは唯一、オラニエ公がキャトル・ブラへより多くの師団を移動させるように命令したおかげであり、その間にウェリントンがブリューでしたことは、ウェリントン公爵がこの非常に重要な交差点を保持する手段と有利な条件を持っているとしたことであった【?】。実際には、ウェリントンはリニーのブリュッヒャーの支援のために送ると約束した20,000に充分な兵を招集することさえしていなかった。もしデルロンが到着していれば、ネイがこの日目標を達成したかもしれないチャンスはあり、連合軍は壊滅的打撃を被ってブリュッセルへの道は開かれただろう。ウェリントンが集結をしくじり、彼が現実の状況を把握するのに失敗した事は、破局をもたらす可能性があった。幸運が、彼を屈辱から守った。この窮地が回転したのだ。次の2日間、ウェリントンはこの時代の最も偉大な戦術を駆使する将軍として再び輝くことになるだろう。
-『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』P71~2-



 また、ウェリントンが到着するまでのキャトル・ブラの戦いの展開においても、オラニエ公が自分自身の判断で戦いを賢明に懸命に維持していた事が描かれていました。

 歴史書はしばしばウェリントンがこの日確保するためにぎりぎりでキャトル・ブラに充分な部隊を得たことをもって褒め称えるが、しかし実際には戦いの過程の間に到着した部隊のほとんどは、彼の不在中に招集されたものだったのだ。
-『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』P58-


 この「不在中に招集」を行ったのは、オラニエ公わなけです。

 オラニエ公は前進してきたジェロームの縦隊に対するためにBossuの森に迅速にナッソー大隊を増援として送り込んだ。
-『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』P60-


 1個槍騎兵連隊が3回目の突撃のために整列している間に、オラニエ公は部下達を勇気づけるために馬で走った。……オラニエ公はメルレンにこの縦隊への突撃を命じ、その間彼は民兵と猟兵に、この縦隊の側面に向かわせた。彼の対抗手段は成功した。そのフランス軍は退却させられ、Gemioncourtの農家から立ち退かざるを得なくなりさえしたのである。
-『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』P61-




 また、この『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』にはコラムの形で各指揮官についても説明されています。そこのオラニエ公のところにはこう書かれていました。

1815年6月16日の彼の素早い判断がこの日の連合軍を守り、彼はワーテルローで負傷した。彼はいくつかの戦術的判断ミスをしたが、彼の状況の戦略的な理解はウェリントンよりもすぐれており、連合軍の勝利の重要な要素な要素のうちの一つとなった。
-『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』P55-


 尤も、これは褒めすぎの可能性がないわけではない様な気もします。ウェリントンは確かに、戦略的判断ミスをしたかもしれませんが、人間誰しもミスはあるでしょう。一方、オラニエ公は(今まで私が本を読んできた限りでは)別に自分で戦略的判断をしたわけではなく、キャトル・ブラでウェリントンが不在になった後にフランス軍から攻撃を受けてすぐ援軍を招集したのも、単細胞的に「戦いが起こったから、そこに援軍を呼んだ」という可能性の方が高い様な気も(^_^;)

 オラニエ公の「戦術的ミス」の件ですが、これは2つあった様です。1つは、キャトル・ブラの戦いで、午後5:30分頃に、第69歩兵大隊が方陣をとっていたのに対してそれを解除して進むように命令し、第69歩兵大隊を壊滅に追い込んだというもの。

 オラニエ公に辛口な感じのする『Waterloo Companion』は、オラニエ公に関する記述でこう記述します。

 彼はカトル・ブラにおいて最前線で活動しており、2つの大隊が騎兵と出会った時に方陣ではなく横隊になることを命令したという責めを受けた。第69歩兵大隊はこの結果軍旗を失い、第69歩兵大隊のLindsay少佐が2個中隊への間違った指揮の言葉を与えたために混乱させたのと同様に、オラニエ公は部分的に責めを負うべきとされた。
-『Waterloo Companion』P99-



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↑『Ney vs. Wellington』の記事中の地図。第69歩兵大隊が騎兵突撃を受けている。

 一方、『Ney vs. Wellington』のヒストリカルノートにはこの事に関する詳細な記述があります。このヒストリカルノートは、オラニエ公に辛口な感じはあまりしない様な気がしますが、ウェリントン公はひいきしている様な気がします。例えば、Hofschröer氏が、16日の午前中にウェリントンがのろのろと判断をできるだけ保留しながらゆっくりとキャトル・ブラにたどり着いた……と記述するのに対して、「ウェリントンは全速力で馬を駆けさせて、キャトル・ブラにたどり着いた」とか書きます。尤も、このヒストリカルノートは1979年のもので、「どうもイギリス側の資料ばかりを信頼しすぎていたのではないか?」という反省が大きく起こる前のものだと思うので、ある意味当たり前かとも思いますが……。

ピクトンはフランス軍騎兵が突然に彼らに襲いかかる事を予期して、これらの部隊も同様に方陣隊形を取らせた。その後、彼は彼の戦線の残りの配置を見るために馬に乗って出発し、踏みつぶされたライ麦畑を横切って漂う煙の雲の中を幽霊のように姿を消した。

 ウェリントンからHalkett旅団の到着について相談を受けていなかった若きオラニエ公は、第69歩兵大隊(新しく来た部隊のうちの一つ)に乗り付けた。「Morice大佐、なぜ君の部隊は方陣隊形をとっているのか?」彼は尋ねた。

 「殿下、私は今し方ピクトン将軍からそのようにせよと命令を受けたところでして、ピクトン将軍はほんの少し前にどこかへと去られました。」Moriceは答えた。

 恐らくピクトンの権威を不快に思ったのであろう、オラニエ公は答えた。「大佐、騎兵が来る事はあり得ない。即座に縦隊へと隊形変換し、戦線に戻り給え。」 そしてオラニエ公は、Halkettが猛烈に抗議しているにも関わらず、Halkett旅団の残りの大隊に同じ命令を伝えるために馬を小走りさせて去っていった。

 この瞬間、フランス軍胸甲騎兵達が4度目の - そして最後の - 攻撃を始めた。彼らはブリュッセル道路をまっすぐあがって来て第69歩兵大隊に突撃した。Morice大佐は彼らが来るのを見つけて、部下達に方陣に戻るように命令した。この変換は成功するはずだったろうが、擲弾兵中隊を指揮していたある少佐がこの命令を無視し、騎兵へ射撃できるように中隊を横隊に回転させた。不運なことに、そうするまでに第69の方陣は閉じず、数秒以内にそのフランス軍騎兵は彼らの間に入ってきて、猛烈に彼らのサーベルで切りまくった。第69歩兵大隊は簡単に消滅してしまった。その連隊旗は捕獲され、兵士達はあらゆる方向に散り散りになってしまった。
-『Strategy&Tactics nr.74』P9~10-




 ではHofschröer氏は、ここの部分をどう記述するのでしょうか? 探して見ると、「あーうー」と唸ってしまう事に、Hofschröer氏はここにオラニエ公の名前を出していませんでした(^_^;)。

第69はそれらの甲冑を着た騎兵がわずか30ペースの距離になるまでその射撃を自制したが、その一斉射撃はその衝撃力を停止させなかった。それは馬に追いつかれ、その王の軍旗を失った。
-『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』P69-



 これはHofschröer氏が、オラニエ公の不名誉になる様な記述を伏せたのか、それともこの『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』が入門的な本で紙幅が限られているために、細かい記述をはしょっただけなのか……?

 とりあえず、Hofschröer氏のさらに詳細な本は注文しているのですが、全然別の第三者の記述を見てみたい気がします。今までに手に入れた本の参考文献などを漁って、情報収集しようと思います。


 もう1つのオラニエ公の戦術的ミスというのは、ワーテルローの戦いの時の事で、以前MustAttackで私が書いていたのをコピペ(若干分かりやすく改変)しますと、

「オムプテーダに対してアルテンが隊形変換してラ・エイ・サントに向けて攻撃を行うように命令した時、オムプテーダは稜線の向こうにフランス軍騎兵がいるのが見えていたので方陣を崩すのは危ないと思って反対したのに、オラニエ公がいらん事を言ったために(彼は実はカトル・ブラの戦いでも同じミスをした)、オムプテーダは突っ込まざるを得なくなり、当然騎兵に蹂躙されてオムプテーダは戦死し、軍旗までが奪われました。」


 ここらへん見ていると、オラニエ公は、『Waterloo Companion』が、

王子はこの2年間で数多くの活動をして、決して勇気に欠けなかった。ウェリントン公爵が彼について言っている。「かの王子は勇敢な若者だが、それで全てだ」
-『Waterloo Companion』P99-


と書いている様に、危機にあたっても沈着冷静で非常に勇敢であり、ひとたび戦いとなるとそれに必要な援軍を呼び寄せたり攻撃をおこなうのに躊躇しないが、方陣というような防御的なものを嫌う傾向にあるのか、キャトル・ブラでもワーテルローでも、騎兵突撃される予兆(あるいは視認)から方陣を取っていた部隊に対して果敢に前進し攻撃させる様な「命令変更」を強要し、その結果2回の大隊壊滅と軍旗喪失を誘引した……という感じになりましょうか?

(しかし、この発言がいつのものか分かりませんが、ウェリントンがオラニエ公に助けられた側面を考えると……ウェリントンェ……)


 あと、オラニエ公の参謀長であったコンスタン・ルベックの功績についても触れておきたいと思います。

1815年、彼はオラニエ公の参謀長として従軍し、ウェリントンがキャトル・ブラの位置を放棄する様にネーデルラントの兵士達に命じたのを、そうしない様に取りはからった。これは6月16日のここでの連合軍の戦いを考えた場合、この戦役における致命的に重要な決断のうちの一つであった。
-『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』P57-



 「キャトル・ブラの位置を放棄して後退せよ」というウェリントンの命令を無視したのは誰だったのか、ペルポンシェルだったのか……? と疑問に思っていたのですが、どうやらルベックであった様です。そうするとこの功績はルベックに帰せられる事になるでしょう。一方で、キャトル・ブラに援軍を集めた事に関してはこれまで読んだ中では、一貫してオラニエ公に帰せられており、参謀長ルベックがそれを進言した、という様な文章には出会っていません。とりあえず今まで読んだ限りでは、その件はオラニエ公の功績であると考えてよさそうです。


ワーテルロー戦役ゲーム2つ、届きました

アメリカのオークションであるeBayでの取引を非常に簡単に代行してくれるセカイモンから、『The Emperor Returns』と『Hundred Days Battles』が届きました。というか、ロサンジェルスの倉庫を出たというのが先週土曜とかのはずで、てっきり船便とかで半月以上かかると思い込んでいたので、飛行機で成田に月曜日に来て、翌火曜日の午前9:30に届くとは驚愕でした。

 体験してみてわかる、このネットの威力……。セカイモンはヤフオクよりも楽なくらいなので、まぢすごいと思います。

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 以前持っていたのでコンポーネント的には『The Emperor Returns』のカウンターシートが薄いのにびっくりしたくらいだったのですが、指揮官シートの人物が以前全然分かってなかったのが今はある程度分かる様になっているのが嬉しいです。

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 しかし中を見てびっくりしたのが、Prince Frederick of the Netherlandsという人物が写真付きで入っていること。私はこの人物について、今まで数行程度の記述しか見た事がありません。他の人物についても結構書かれていたのでそこを和訳引用しますと……。

 ナポレオンと同様に、ウェリントンは要職の任命にかなう人物の選定に問題を抱えていた。潜在的に言って、恐らく最も深刻な問題は、高級指揮官をその高貴な生まれと国籍をもとにして無条件に選ばなければならないという事から生じていた。その第一は、その長い首から「Slender Billy」(あるいは、その父親ウィレムが「老けガエル」と呼ばれていたのと区別して「若ガエル」)と呼ばれていたオラニエ公ウィレムであった。彼は半島戦争で副官を務めてはいたけれども、23歳という若年で高級指揮官の経験はなく、彼の地位に相応しい名誉ある任命という事を維持するための、純粋に政治的な理由からであった。彼はキャトル・ブラとワーテルローの両方で、大きな損失を招く重大なミスを犯した。第二は、18歳のPrince Frederick of the Netherlandsを、小さなネーデルラント軍団の指揮官として受け入れる必要があるという事だった。たぶん幸運な事に(あるいは意図的に)、この部隊はワーテルローにはいなかった。ウェリントンはまた、摂政王子とヨーク公に贔屓されていた比較的経験の浅いアクスブリッジ卿に、騎兵指揮の全権を与えざるを得なかった。彼はまた、ウェリントンの弟の妻と駆け落ちした人物で、それが恐らく彼の応対の冷たさの一因となっていた - 戦場では反目は明らかには見えなかったけれども。
- 『Waterloo Companion』P26 -



 よく分からないのですが、オラニエ公ウィレムの父親(ネーデルラント王?)がネーデルラントにいた軍の全権を一応握っていた状態であったらしく、そこにウェリントンが送られてきて、連合側の政治的・軍事的期待としてウェリントンに全権を渡して欲しいのだけど、ネーデルラント王側としては「はい全部渡しますよ」という感じにはいかず、その息子のオラニエ公に、全軍の3分の1にもあたる第1軍団長をやらせざるを得なかった……という感じのを読んだ気がします。しかしその「最初の事情」の辺りがよく分からない……。

 オラニエ公ですが、改めて読み返してみても『Waterloo Companion』はオラニエ公と徹底的に無能呼ばわりし、むしろ戦場に邪魔だったという立場ですが、『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』を呼んでいると、キャトル・ブラではウェリントン公爵が不在(でかつ、色々前後にミスしたりごまかしたりしている)の間、頑張っているという印象があります。

 というか、キャトル・ブラの前の数日間、こま犬の様に一生懸命に働くオラニエ公の姿は、その有能な参謀長コンスタン・ルベック(当時46歳)の姿と相まって、なんか萌える様な気がします。


 Prince Frederick of the Netherlandsという人物が「当時ワーテルローにいなかった」の件ですが、これはワーテルローの戦い当日、海峡方向への連絡線を切られる事をまだ恐れていたウェリントンが全軍9万9000のうち1万7000を割いて、西方のHal周辺に、有能で人望がむちゃくちゃあったヒル卿に任せており、そこにこのPrince Frederick of the Netherlandsもいた……という事によります。

 が、オラニエ公ウィレムとこのPrince Frederick of the Netherlandsの関係は……? そもそもネーデルラントとオランダとダッチとベルギーの関係が良く分からないのですが~。どなたか教えて下さい(>_<)

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 アクスブリッジ卿のところに書いてある「摂政王子とヨーク公に贔屓されていた」の件ですが、当時のイギリス国王ジョージ3世は、その王子ジョージ(4世)のあまりの放蕩に精神異常を来してまして、それで当の息子が「やった! これで思い通りになんでもできるぞ」とばかりに摂政になっていたという、とんでもない王様の多いイギリス王室史でもかなりすごい状態の、その摂政王子とその悪友ヨーク公の、悪い友達仲間だったんですね、アクスブリッジ卿は。

 人の妻を奪わずにはいられないその性分も困ったもんで、こう見てるとウェリントン陣営って、ヒル卿以外「どーにもならん」という感じですが、アクスブリッジ卿は、それ以前は知らず、ワーテルローでの指揮は悪くなく、むしろ良かったのではないでしょうか。ポンソンビーやソマーセットの突撃を指揮したり、ネイの騎兵突撃の時にも独自の判断で(というか、ウェリントンは方陣の中にいたので)後方から騎兵突撃を命じたりと、結構活躍している印象があります。


 『The Emperor Returns』ですが、プレイヤーズノートが2ページに、スタディフォルダ(当時の状況を説明したもの?)が15ページほどもあって、これは嬉しい!

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 たださすがに、訳すべきものが多種大量になってきてしんどくなってきました(^_^;)

 先日書いてましたキャトル・ブラ戦況図のサイトの、キャトル・ブラのところだけは訳し終わりました。駆けつけてきた騎兵が、とりあえずキャトル・ブラ村の辺りで馬に餌をやっていて、その後戦況悪化でその騎兵しか頼るモノがなくなったよ~ってな展開で、「餌ってそういう状況でもやっぱ食べさせないとダメなんだろうなぁ」とか、そこらへんが非常に興味深かったんですが(そういうのもっと詳しく知りたい)。

キャトル・ブラの戦況図

 以前ウェブ上から印刷してあったワーテルロー関係の資料を漁っていて、キャトル・ブラの戦況図が何枚も入っているウェブサイトがあったことに気づきました。

History and organisation of the Dutch 8th Militia Battalion

 という、第2ネーデルラント師団(ペルポンシェル)の中の第1旅団(バイラント)の中にあった5つの大隊、

第27オランダ猟兵大隊
第7ベルギー戦列歩兵大隊
第5オランダ民兵大隊
第7オランダ民兵大隊
第8オランダ民兵大隊

 のうちの最後の第8オランダ民兵大隊について詳細に扱ったウェブサイト……の様です。

 ペルポンシェルの師団は最初からキャトル・ブラにいてずっと戦ってまして、私自身ペルポンシェル師団に今かなり興味があるので、「やった!」という感じです。

 とりあえずMap1のところを訳してみたんですが、キャトル・ブラの小村の背後で食事を取っていた……とか、起伏がいっぱいあって1個大隊が丸ごと隠れられるほどだった、とか、そういう記述が面白くていい感じです。

 しかも、戦況図がこれほど詳しく見られる資料は他になかったので、とりあえずキャトル・ブラ関係のとこだけでもこっちを先に訳そうと思います。

イギリス大陸派遣軍のサイトが消えたぁ……

 『The War in France and Flanders 1939-1940』という1950年代だかに書かれた、1940年のフランス戦におけるイギリス大陸派遣軍に関して書かれた本があるのですが、その(恐らく)すべてがネット上に存在してました。マップも大量のものが(全部ではないものの)ネット上に存在していて、「ありがたや~」と集めてまわって、自作フランス戦ゲームの資料にさせてもらってました。

 本文の方も、一部は保存していたのですが、いよいよ自作ゲーム作りが加速してきまして、「そろそろイギリス軍に関して詳しく調べねば!」という事で参照しようとしたら……ネット上にない!!

 Google先生がキャッシュして下さっているものが一部手に入るのですが、さすがに断片的過ぎました……。

 かつて『Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology』という大部の洋書が全文公開されているサーバが落ちたり復活したりという事を繰り返したりで、再度ネット上で読める可能性もあるかとは思うのですが、最近洋書づいている事でもあり、感謝の意味もこめて?購入してしまうことにしました。



 ついでに他になんか良書は……と探してみたのですが、とりあえずその手に入る地図が有用でAmazonでの評価がえらく高い『To Lose a Battle: France 1940』も購入してみることに(中古がえらい安く、700円しないんですが)。




 今までに購入したものとしては、



の2つがありました。前者は、とりあえず地図は有用でした。後者は地図はほとんどなく(>_<)、記述を見ていてもどうも私にとってのあまり新しい情報がないっぽいという……(第6装甲師団のミューズ川突破の辺りの記述がちょっと詳しかった程度で)。ただ、どちらも精査したわけではないので、また休みの日にでももちっと精査してみたいと思います。

 しかし、洋書買いすぎです。分かってます。トホホ……。

 ただ、『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』読んでて、以前よりもちょっと早く読める様になってきたような気もしたりとか……。あと最近、3DS上で



をプレイしてるんですが、発音される速度よりちょっと早いくらいで内容が分かる様な気がします。すごい! 昔からは考えられん……。もちろん、わからない文も結構あるんですけども。

 ただ、次の木曜日にはついに、最初の発売予定日から二ヶ月遅れで、



 を手に入れてやりまくる可能性があるので、和訳作業が大幅に遅れる可能性があります(^_^;)



オラニエ公は無能なのか?

 続けてワーテルロー関係の洋書を訳していってますが、困るのが地名や人名の発音。とりあえず和訳する時にはアルファベットのまま書いてたりしてたんですが、面倒……。といって、カタカナ表記がしてある資料があっても、読み方が違ってたりとか……。

 しかしそうも言ってられないので、Excelに「発音一覧表」を作り始めてみることにしました。とりあえずは、大変面白く興味深く深い考察をされている「大陸軍 その虚像と実像」http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/index.html)の表記を参考にさせていただきまして……。というかまじ、ナポレオニックという歴史に興味のある方は、ここは超絶オススメです!!

 今までカトル・ブラと書いてたんですが、「きょぞじつ」さんがキャトル=ブラと書かれていたので、キャトル・ブラと書くことにしました(=は私は良く分からないのですが……)。また、オレンジ公も、これは英語読みでオランダ語だとオラニエ公で、日本では基本現地読み採用でしょうから、オラニエ公と書くべきなのかな~と最近考えていたら、「きょぞじつ」さんはオラニエ公と書いておられたのでそれで。

 で、オラニエ公なんですが、『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』の記述によると……。大略こう。「優秀な幕僚と指揮官に支えられていたオラニエ公は、ウェリントン不在の間にも部隊をキャトル・ブラに集めた。激しい移動の混乱が起こっていたが、オラニエ公は沈着冷静だった。」

 ううーん、オラニエ公が優秀なのかどうか、良く分からない(^_^;) 幕僚が優秀だから結果がうまくいっただけのただの勇気バカとも解釈は可能なよーなー。

 「ウェリントン不在」の件ですが、これはウェリントンが16日の昼過ぎにリニーのブリュッヒャーの司令部に会合に行っていた為で、そこの詳しい話は「きょぞじつ」さんのhttp://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/brye.html
で読めます。ものすごく興味深いです。

 で、『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』のここの部分を楽しみにしていたんですが、紙幅の関係もあるのでしょうけども、非常に簡潔。ウェリントンはこの会合で、イギリス連合軍がリニーに駆けつける可能性を示唆したわけですが、「もしその可能性はない(実際、可能性はなかった)とプロイセン軍がこの時点で言われれば、プロイセン軍はリニーから退却して戦力を温存する方が得策だと考えただろう。ところが実際の歴史でプロイセン軍がリニーにとどまったのは、イギリス軍の支援が期待できると考えたからだった」と。ここらへん面白いですけども、しかし記述が簡潔に過ぎるぅ~。

 この本、入門用に書かれているからなんでしょうけども、複雑な構文の英文が出てくる確率が結構低くて(省略的書き方でわけがわからんというのはままあるけど)、割とすらすら訳せそうなので、とりあえずまだ買わないでおいといた、より詳しい本ももう買ってしまうか-、という気がしてきました。

 昔、たまたま見つけた「Napoleon's Guard infantry at Waterloo.」というサイトにはこう書いてありました。

 Although there are many books on Waterloo only few are worth your money: Mark Adkin's "The Waterloo Companion", Peter Hofschroer's "1815, The Waterloo Campaign", Alessandro Barbero's "The Battle" and Henri Lachoque's "Waterloo". Many authors inflate the number of battalions of French Guard that attacked Wellington's positions. They want you think as if the entire French Guard fell right on the handfull of Allies soldiers formed in the famous "thin red line."
(大意:ワーテルローの本はいっぱいあるけどよお、金出して買う価値があるのは、Mark Adkinの "The Waterloo Companion"、 Peter Hofschroerの "1815, The Waterloo Campaign"、Alessandro Barberoの "The Battle"、それからHenri Lachoqueの "Waterloo"くらいしかねえよ。他の多くの著作家は、フランス軍の親衛隊は親衛隊全部でもってイギリス軍の薄い戦線に突っ込んだとか言ってるんだぜ?)



 ここで挙げられている作者と本のうち、最後のものはAmazonで調べても出てきません(>_<) そうすっと現状、Hofschröer氏の"The Waterloo Companion"シリーズだけ私は持ってないので、それはもう買ってしまおうと。

 Hofschröer氏の著作はなんかいっぱいあるんですが、上記で言われているのは以下の2冊の事でしょう。






 アメリカのAmazonとかだと安く買える様でしたが、日本に送ってもらえるかどうかとかもう分からんので、高くてもいいので日本Amazonから買う事にしました(しかし、買い付け先は「日本にも送るよ」とすでに言っているイギリスとかアメリカの店です)。


 現状、『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』はキャトル・ブラの戦いの初期配置のところが終わって、戦いに入るところ(午後2時)です。ところがここでフト疑問が……。ウェリントンがキャトル・ブラにいないままで戦いが始まってる……?

 しかし、『Ney vs. Wellington』ではウェリントンが初期配置でキャトル・ブラに……。

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 調べてみると、『Ney vs. Wellington』ではウェリントンは1時にブリュッヒャーに会い、午後2:30までフランス軍は何もしておらず、その時間にフランス軍の攻撃が始まった時にはキャトル・ブラにウェリントンがいた事になっています(ゲームも2:30に始まる)。

 試しに『La Bataille des Quatre-Bras』を調べてみると、初期配置は午前11:20で、ウェリントンがマップ東端から現れるのはなんと、午後3:20です(しかも『La Bataille des Quatre-Bras』のマップ東端は『Ney vs. Wellington』よりも若干東寄り)。

 『Ney vs. Wellington』は1979年のゲームですから、これはしょうがないのやも~。実際、前記で「買う価値がある」とされたワーテルロー本はどれも2000年前後以降の本で、1980年代以前の本で流布していた様々な「定説」はどんどん否定される傾向がある様に感じています。

 『Wellington's Victory』のリサーチの問題はあるだろうなぁとは思ってましたけど、これは結構問題は大きそうですねぇ……。(気にせずプレイでもいいのでしょうけどもね~)


『激闘! マンシュタイン軍集団』に学ぶ

 最近、『激闘! マンシュタイン軍集団』(GameJournal4号 英語版は『A Victory Lost』)に関して、「なるほど……!」と思う事が重なりました。

 先日のミドルアース大阪での『激闘! マンシュタイン軍集団』での敗北について再度考えてみると、反省点として浮かび上がってくるのは「部隊の保存を優先しすぎた」という事。まぁ「試しにそういうプレイをやってみよう」という気もあったのはあったのですが、ハリコフ北東に足止め部隊を置いておけば基本確実にこちらに得になったろう場面でも部隊保存を優先してみたのは、結果としては大失敗だったという事なんでしょう。

 私は『激闘! マンシュタイン軍集団』は、ドイツ軍はとにかくまず下がって部隊保存……と考えていたんですけども、部隊保存だけしていれば土地はどれけでも失っていい、というわけではないという事が分かりました。いやまぁ、ある意味当然なんですけど(^_^;) 要はバランスってことで、基本部隊保存だとしても、とにかくそれさえやれば勝てるというモノではないと。

 まぁ、「とにかく~さえすれば勝てる」というのでは、ゲームとして面白くないのは当然ですもんね~。


 あと、最近思ったのが、「こちらのリスクが大きくなければ、相手は罠にハマってくれたりしない」ということ。

 ↓これはある方とのVASSAL対戦の途中なんですが……(私がドイツ軍です)。

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 ハリコフ南方をがらっと開けて、「入ってきて下さい」態勢なんですが、その下には装甲師団がずらり。ハリコフ南方まで進出したソ連軍が、戦力は結構あるものの、相手の方は入ってきてくれず、むしろハリコフ周辺にハリネズミ陣地を作られてしまう事態に。

 しかし困った事に、そうするとドイツ軍は勝利得点的にこのままでは勝利できない! といってハリコフを取りに行くのはつらそうなので、ロストフ方面を取って、その後スターリノ北東のソ連軍を撃滅する作戦に変更……。

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 ところが、そちらに夢中になったためか、なぜかハリコフ方面の敵が南下してくる可能性をそのうち考えなくなってしまい、絶妙なタイミングで相手がハリコフ南方で攻勢を!

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 一瞬で「うぎゃぁ~、やばいぃ~!!」という状態に。これはまぢで投了の危機です。

 結局、チット的にこちらに有利な引かれ方になったので(多分)ことなきを得た? のですが……。


 また、ソ連軍をやってるプレイでは、「相手にこれだけの得は取らせてやろう……(本当はすっごくイヤだけど)。でも、そちらに目が向いている間に、こちらはこうしてやるんだ……!」という気がある程度あってプレイしていたのが、今面白い展開になっている……様な気がします。


 これらのプレイでなんか分かって来た様な気がするのは、「こちらが焦りを感じたり、犠牲を被ったりしない様な作戦的勝利はあり得ない」という事。「ヤバイかもしれない。もしかしたらバランスを失している可能性もある。しかし、うまくいった暁には今こっちが感じているリスクを、後で倍にして返してやるぜ!」的なプレイでないと勝てないのかな、と。

 逆に言えば、そういうリスクとリターンの関係になっているゲームだから非常に面白いのだ、という事かもしれません。


 「こうすれば絶対得だ、という事が分かっているゲーム」とか「戦力差が有利に傾き始めたら加速度的に差が開いていくゲーム」というのはあまり面白くないですよね。


 『激闘! マンシュタイン軍集団』は、30回以上はプレイしているのだとは思いますけども、まだやる度に発見があります。ありがたいゲームに出会えたものです。

「せっせと稼いできれいに使え」

 最近、ボードゲーム関係に金を使いまくってます。とにかくワーテルローに熱を上げているため、ネット通販やネットオークションなどでゲームを買いまくり……(といって、実はそのほとんどはかつて持っていたのを手放したものなんですが(^_^;))。

 遊戯王にもここ数日まぁまぁお金を使ってますし……と言ってもですね、世間一般の子どもが欲しがる「有名だし強いし」みたいなカードは私は興味なくて、フリースクールの子らから「でっちゃん(私の呼び名)のデッキは全部変だ」と言われる様な私の独特のデッキを強くするために、誰も買いそうにないカードを買う……。

 今買いあさっているワーテルロー関係ウォーゲームもそんな雰囲気があります。昔は、「自分はナポレオニックに興味があるんだ」と思い込んで?いたから、なんかちょっと興味を持ったナポレオニックゲームは割と買っていて、全部で十数個ほどは持っていたでしょうか(そのうちワーテルロー関係は5個くらい?)。

 でも30代前半の時に、コミックなども含めてモノが多くなりすぎて「こんなに全部どうせ出来ないのだから、範囲を縮小していこう!」と思って、長期かけて色々モノを処分していきました。で、ナポレオニックゲームも「出来ないし」と思って手放した。

 でもそれが今度、40歳に近づいてきて、ワーテルロー関係の洋書にハマって読み出したら、ワーテルローのゲームが再度欲しくなったわけです。ある意味「もったいない」ですが、私は今割と全然後悔してないです。というのは、「欲しい人のところに、欲しい時にある」というのが重要だなぁと思いまして。

 そしてまた、今なら、そのゲームをなんか、良い意味で活かせそうな気がする……。動画作ったり、記事書いたりしてますし、ブログもHPもある。

 なんかそんな事をうっすら思ってたんですが、今日の読売新聞の夕刊に、堺屋太一氏の「大阪人の金の使い方」的な話が載ってまして、「おお、これだ!」と思いました。

 弁護士の父は私が小学校に上がると毎月5円、今で言えば5万円以上の小遣いをくれて「自分で責任を取りなさい。タクシーで通学してもいいが遊びに使いたいなら節約を」と教えました。だから通産省に入った時、自分の言葉に責任を取らない官僚に驚きました。
 「せっせと稼いできれいに使え」が船場の美学。そして大阪商人は自分の美意識にお金をかけた。芸者を育てたり、好みの美術品を集めたり、中之島公会堂の建設など公共への寄付だったり。……
 自己責任だから圧倒的な個性の文化であり、それが格好いいとされた。けど、戦後の平等主義や大量生産の論理とは相容れず、企業の本社はどんどん東京に移転した。……


 ウォーゲームに金を使うというのは、「圧倒的な個性の文化」「自分の美意識にお金をかけ」る、という事かと思います。そしてそれでもって、なんか世の中のためになることをちょっとでもやる、例えば動画を作ったり、ゲーム絡みで歴史記事書いたり、そういう事に時間や金を使う。

 まあここで書かれている事は、別に大阪に限った事でないと思うんですけどね(^_^;)

 ただ、20代の頃だとこういう活動は出来なかったかなぁ……とも思います。それより本当に切実に思うのは、洋書を読むのなんて、「英辞郎」(http://getnews.jp/archives/114164)で熟語が簡単に検索できるのと、Amazonで洋書が簡単に検索して買える……という状況がなかったら、できなかったよなぁまじ1980年代とかだったら絶対無理でした……という事です。私は1996年あたりに大学卒業したんだったかと思いますけど、神田の洋書店とか行って哲学書とか歴史書の本を見たりはしたものの、数はそりゃ限られてたわけです。

 あと、『Illustrator』で自作ゲームのマップやユニットを作るとかも、1980年代には無理だったでしょう……。

 ある意味、ありがたい時代に生きているなぁと……。せめて、こういうのを若い子らに還元したいところです。フリースクールで子どもらに「英語の本訳して、記事書いて原稿料貰ったりとかあるんだよ」とか言うと、「うわぁ、そうなのか~」という感じで、いくらかでも何か子どもらの向上心のタネになってくれているかな……と思ったりします。


ミドルアース大阪(5/8)

 ボードゲーム会である「ミドルアース大阪」に参加してきました。大阪日本橋のボークスという模型・フィギュアなどの専門店の8階でやってます。普通にエレベーター直通で店の内部の様にしてあがってこられます(写真は絵画調に変換してます)。

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最近、会場に来られた方に「何をやっていて、見学大歓迎」という事をちゃんと分かりやすくしようという事で、kgg_inbさんが看板を作ってくれました。すばらしい!

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 今回私は、大好きな『激闘! マンシュタイン軍集団』(GamJournal4号)をプレイする事になりました。ドイツ軍側です。ドイツ軍側は厳しいですけども、楽しいんですよ~。

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 ただ、ソ連軍に比べて動かせるユニットが圧倒的に少なく、ソ連軍プレイヤーに比べて空き時間が多くなるので、同時に自作フランス戦ゲームをソロプレイしてみてました。右側の縮小コピーした紙に、フランス軍機甲師団のプロットを書き込んでいっているわけです(フランス全軍をプロットするのではなく、3個程度の機甲師団だけです)。

 いくらか修正点が見つかったので修正したり、ルールの不明確な点を明確にしたりして、その後、先日購入した『WATERLOO 20』をセットアップしてみました。

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 このマップ、何がすごいって、ワーテルロー、ウーグモン、モン・サン・ジャン、ラ・エイ・サントがまとまって「市街地」となっており(そうルールに書いてある)、しかもウーグモンは「要塞」だと……。そんな無茶な~。それぞれ、建物1つとは言わないまでも、非常に小さな村で、ウーグモンは城館群ではあったので、まぁ要塞扱いというのは、「それら4つはまとまって市街地です」というのよりは受け入れやすいですけども(^_^;)

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 ルール習得のために試しにプレイしてみたのですが、最初にやったのは連合軍がほとんど壊滅! 2回目やって結構まともにはなりました。まだちょっと、何をどう決断するのか良く分かってませんが、ぼちぼちで。


 『激闘! マンシュタイン軍集団』ですが、チットがえらく退却に有利な様に出まして、退却しすぎてやばいくらいに。ドイツ軍の方針としては「部隊の保存」ということはあるので、一応、「これくらいかな」と判断した範囲で引いていっていた(そして部隊の保存はまあまあうまくいっていた)のですが、第1装甲軍が到着する前になんとドニエプロペトロフスクが陥落!(陥落したのは初めて見たのではないでしょうか……) ザポロジェも封鎖され、ドニエプル川が完全封鎖されているので、これはそれより東方の部隊は全部補給切れじゃね……? という事で時間もちょうどでサドンデス負けに(>_<)

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 「あんまり引きすぎると、それゆえに拠点を失って敗北する」というのは、プレイ序盤で危惧はしてたんですが、まさかそれでこんな風に敗北するとまでは思ってませんでした。勉強になりました。このゲームはプレイする度に勉強がありますわ……。


 ゲーム会後は、すぐ近くの王将で皆さんとおしゃべり。動画作成の話をしてたり、好きなゲームのタイプは?という話で盛り上がったりしてました。


カトル・ブラの歴史を訳す

 ワーテルローの記事を書くことになったのですが、主に部隊編制や指揮官に関して書くことになると思うので、非常に面白いので優先して読んでいた『The Battle』(ワーテルローの戦いのみを扱う本)はちょっとお休み。



 それよりは百科事典的に編制や指揮官に関して詳しい『Waterloo Companion』の、特に編制部分に関して訳す必要が出てきました。この本の最初の方に、編制やそれぞれの部隊がどんな感じだったのかが簡潔に書かれているページがあるので、そこを訳していこうと思います。それでもって、『The Sunset of Waterloo』のユニットのレーティングし直しとか、チェックとかもしていかなければなりません。



 ただ何しろ本がでかく、しかしページごとの文章量は少ないので、家にいる時に本を見ながらノートパソコンに訳していく形で。

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 一方、家にいない時のために、ノートパソコンに今まで『The Battle』のページをスキャンしたものを読み込んでいたんですが、『The Battle』はとりあえずおいとくものの、最近がぜん読みたいのがカトル・ブラの戦いに関してです。『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』を読んでたんですが、一番興味があるのは、

1.ウェリントンはどれくらい優秀だったのか? ウェリントンの欠点は何だったのか?

2.オレンジ公は本当に無能だったのか? 

3.ネーデルラント師団長ペルポンシェルはどれくらい活躍したのか?


 『Waterloo Companion』を読んでいると、ウェリントンは超優秀(冷たい感はあるものの)で、欠点などなかったかの様。その一方でオレンジ公は読んでいてがっかりするほど無能として描かれています。

 ところが一方、プロイセン贔屓で、英語圏文献がワーテルロー戦後主流となったため?ウェリントンが持ち上げられすぎ……という様な背景でもって色々文献を調べているらしいHofschröer氏の書いた『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』を読んでいると、ウェリントンは自分の判断ミスを隠して、「救援に駆けつける事はできる」とプロイセン軍に思わせぶりな報告を訂正せずにいた。そして戦後も、それを糊塗した……という感が漂ってきます。



 そしてまた、どうもどうも、オレンジ公は『Waterloo Companion』で読むほど無能ではなく、むしろウェリントンのミスをカトル・ブラにおいて挽回する様な働きをしたのではないか……? と(まだ読み進んでないものの)印象を受けます。見出しだけ見ていても、「The Prince of Orange saves the Day」というのがあったりして、「おおおお!?」と思ったり。

 今まで『The Sunset of Waterloo』のデザイナーさんに助言する時に、「オレンジ公は無能ですわー」とか言ってきて、ゲーム上でも無能になっちゃってるので、もしオレンジ公がそうでないなら、名誉回復しなければならないという焦燥感もあります(^_^;)

 それから、どうもペルポンシェルが「ウェリントンによるカトル・ブラからの撤退命令を無視した」とかって簡潔に書かれてたりするんですが、そこんところをもっと詳しく知りたい。……のですが、『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』でそこらへんの時系列の部分を過ぎてしまったのですが、大した事が書かれてなくて分からない(>_<)

 先日買った『La Bataille des Quatre-Bras』のルールブックの最後にヒストリカルコメンタリーがあったので、「これは訳すべきだな!」と思って喜んでスキャニングしてこれもノートパソコンに入れてみたのですが、改めて見てみるとなんか、一貫してネイに関する詳細なコメンタリーであるようで、これはちと残念。カトル・ブラ全体の記述を期待していたのですが……。

 ともかく、今一番興味を持てそうな『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』のカトル・ブラの戦いの部分をスキャンしてノートパソコンに入れておきました。空き時間を利用して読んで訳していきたいです。


『The Sunset of Waterloo』

 今日は、とあるゲームのテストプレイに参加してきました。が、どうせネット上に書くのはダメだろうな~と思ってて最後に「ですよね?」と聞いてみたら、「いや、別にいいけど」と言われたので、あわわと写真(終わった後だったのでマップだけ)を撮りました。

 『The Sunset of Waterloo』(仮題)という、『The Sun of Austerliz(アウステルリッツの太陽:AT/GJ33号)』のシステムを流用したワーテルローの戦いのゲームです。

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 テストプレイ版なので、いろいろと手が抜かれたりしています。

 当初、フランス軍が強すぎた様なのですが、バランス調整がされて、今回結構うまく動き始めた様です。騎兵のルールも、騎兵を防御的に使うのが強すぎて「前進防御」とかされてたんですが、今回改訂してかなりうまく動く様になった感じです。

 ただまあ、もう完成という感じではなく、これからという感じだろうと思いますけども……。

 将来的にはGameJournal誌の付録ゲームを目指しているという事で、「記事を書かせて下さい!」と手を挙げてきました。ただ、ヒストリカルノートとゲーム攻略記事は辞退させてもらって(前者は、書いてみたいのはやまやまだけど、今のタイミングでは訳とかの関係で無理だと……)、他の「ワーテルロー関係のなんらかの記事」という事で。

 「ユニット列伝」とか「指揮官紹介」とか「ワーテルローゲーム紹介」とか……と挙げてみると、ゲーム関係が一番望ましいという事でした。前2つも書きたいのは書きたいので、そちらも……。ただもし、このブログをご覧の方で、「こんな記事が読みたい」とかありましたらお聞かせいただければ(書く、書ける保証は何もありませんが~)。

 「ワーテルローゲーム紹介」は、私は実はつい先日までワーテルロー関係ゲームというと『Wellington's Victory』『Ney vs. Wellington』しか持ってない状態だったのですが、ここ数日でさらに4つ増える(といっても、そのうち3つは過去に所有していた事があるという……)ので、そのうちのどれかで……? 『WATERLOO 20』も面白そうではありますが、『La Bataille des Quatre-Bras』にすれば、ゲーム紹介とユニット列伝と指揮官紹介の3つがいっぺんに出来る感がありますね(リニーとモン・サン・ジャンェ……)。


 あと、フランス戦自作ゲームをおずおずと見せてみたのですが、サンブル川の北をカットしたのが好評で、意外な。まあ「小さいゲームは作りにくいですよ」とも言われましたけども。アドバイスとしては、最終ターンまで走るものをとりあえず作ってみて、修正や秘孔探しはその後、と言われたので、とりあえずその方向で(しかし、機会があれば検証はしたいので、明日のミドルアースとかには持っていくつもりです)。

身近な視点からのミリタリー

 今朝、ニコニコ動画をいつもの様にチェック?してまして、参加しているニコニコ動画中のコミュニティである「MMD造兵廠司令部」から2つ動画が投稿されているのを見に行ってみました(MMDというのはMikuMikuDnaceの略で、初音ミクなどを3Dで動かすためのソフトとして開発されたフリーソフトなんですが、膨大なデータが作られていっており、銃や飛行機は言うに及ばず、軍艦や18世紀の大砲なんかもデータ化されていってます)。

 1つは、「【MMD-OMF】主砲のないあいつ【秋月】」という、秋月型駆逐艦の甲板上を案内してくれるというもの。今まで戦艦や空母のデータは見てましたが、秋月型駆逐艦というだけでもびっくりしたのに、甲板案内とは! しかも途中はしごを降りたりとか、芸が細かい。結構狭いのに感慨が。

(↓なんか画面で貼れないんですが、もしかしたら「MMD造兵廠司令部」に入ってないと見られない動画なのかも。良く分かりません)
http://www.nicovideo.jp/watch/1304692434


 もう1つは、【ストパン】坂本少佐の超々初等飛練教程 第三話【IL-2痛機劇場】というやつですが、7.7mm機関銃と20mm機関銃の差に「なるほどなぁ」と。あと、海に立つ水柱とか、上空から見た時の艦隊の様子とかが、ちょっと前のMMD動画より遙かにすごい!




 秋月型の動画を見て、割と兵器はどうでもよいのだけど、当時の視点が見られる! って事に感動しまして、それで実感したんですが、私は兵器そのものとか、作戦とか……ってことよりは、当時の兵士がどういう状況で戦っていて、どういうエピソードがあって、どういう決断をして、どういう泣き笑いがあったのか……という事の方により興味があるように思います。

 最近、ワーテルローの戦いの詳しい洋書を訳していってるんですが(といっても、時間かけてなんとか訳せるかな~、でもやっぱ時々全然分からない文章が出てきますわー、というレベルです)、その時でも、兵士達の細かいエピソードに一番興味を持ちます。

 ワーテルローの戦いの日の、ある騎兵が朝起きて、自分の馬がどっかいなくなってたから探しに行ったりとか、イギリス軍野営地で紅茶を湧かしてたら将校達もそろい踏みで紅茶をもらいにやってきたりとか、夜中に土砂降りの雨で濡れてしまった下着を着替える話だとか、ワーテルローの戦いの時にも兵士達の妻が付いてきてて、多くは戦いの前に北へ避難したけど、ある婦人とその5歳の娘が負傷兵の手当のために戦場に居続けた話とか。

 将来的にワーテルロー動画を作りたいと思っているのも、作戦面とか私はわりと二次的で(それも面白いとは思うのですが)一番作りたいのは、マップ上の駒のこのユニットにはこういう人が所属していて、こういう話があったんですよ……ってのをやりたい。

 ワーテルロー動画はちょっと話的には遠そうなので、その前にやりたいのはノルマンディー動画で、これもコーネリアス・ライアンが『史上最大の作戦』にインタビューしてきて書いた様な、ノルマンディー上陸直前に、船の中で兵士達がどんな様子だったとか、何を考えてたとか、上陸の時こんなエピソードがあって……とかって事をやりたいわけです。

 ただそこらへん、動画上で「駒」を見ながら解説とか、あまり映えない(^_^;) そこで本当なら、イラストが描けるならイラストとか、あるいはMMDとかでやりたい所ですが、さすがに私がやりたい事がMMDで出来るようになるのはまだ何年もかかるでしょうね。

 むしろとりあえず、『Wellington's Victory』か『La Bataille de Mont-St.Jean』を(ゲームとして動かせなくていいから、配置だけできるように)VASSALモジュール化するとかですね。しかしこれまた大変に違いなく……。ただ実は、『La Bataille des Quatre-Bras』第2版のVASSALモジュールは存在します(あと、『La Bataille d'Austerlitz』と『La Bataille de Corunna-Espagnol』も)。ただ、VASSALモジュールだとさすがに金銀の煌めきは消えてしまいますねぇ。

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『WATERLOO 20』と『La Bataille des Quatre-Bras』が来ました

 先日のこと。動画作りの集中力もなく、最近熱をあげているワーテルロー関係でなんかないもんかなーと思って、ウォーゲームをオンライン販売しているボードウォーク(i-OGM)さんを覗いてました(っていうか、最近覗いてませんでした。すみません(^_^;))。

 そしたら、先日私がMustAttack上で「今はもう手に入らない」と書いていた『WATERLOO 20』を発見! 手に入らないというのは、最近存在感を増しているa-gameさんにおける話だけだった様で……(^_^;)

 『WATERLOO 20』は評判のよい、ワーテルロー戦役全体を扱ったミニゲームですが、コマンドマガジン日本版がライセンスするのではないか……という憶測や、グラフィックがどうも私好みでない……という事からずっと見送っていたのですが、その後ライセンス化の話も聞かないし、ワーテルロー熱が超高まってるし、これは買うべきか! と思って、購入ボタンをぽちっと……。

 そしたら、先日からMustAttack上の一部で話題になっていた、超精密ナポレオニックゲームであるBatailleシリーズの一作、『La Bataille des Quatre-Bras』も、本来は「我慢我慢……俺、『Waterloo 1815 : Quatre Bras & Ligny』を訳し終わったら『La Bataille des Quatre-Bras』買うんだ」とフラグの様な事を思っていたんですが、「どうせだったら今一緒に買ってしまった方が手間がはぶけるじゃないか」と、これもぽちっと……。


 尤も、ボードウォークの店長さん(私は面識はないのですが)がゴールデンウィーク中はゲーム会に行っているとも聞いていたので、届くのはだいぶ先になるんだろうと思っていたら、今日の午前中に届いてしまってびっくりしました。

 『Ney vs. Wellington』が重そうという事もあって、最初は「じゃあ『WATERLOO 20』をやればいいのでは……」と思ったのですが、中をあけてみると、ちっちゃな袋に大量のコンポーネント! ルールの分量も結構あるようだったので、これは無理だなぁと。

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 しかし評判が良いだけに、楽しみです。とりあえずプレイできる状態に持っていこうと思います。そいでもって結構良さそうだったら、さらにプレイ意欲が湧くように、自分好みのグラフィックの状態に自作していこうと思ってます。

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 ユニットに兵士や騎兵のイラストを描くのは私は好みでなく、基本兵科マークの方がいいんですよね……。マップも「シミュレーション」というよりはいかにもゲームっぽいので、もっと歴史っぽくしたいのです。


 さて、同時に届いた『La Bataille des Quatre-Bras』ですが……これがまたもの凄い! 『Ney vs. Wellington』と同じく6月16日のカトル・ブラの戦いを扱う、フルマップ1枚、560個の駒のゲームなんですが、コンポーネントが神すぎます!

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 マップも美しいです(昔のものも美しかったですが、さらに美しくなったと思います)が、凄いのはなんといってもユニット!! これも、昔のものも凄かったけど、この新しい第2版の『La Bataille des Quatre-Bras』のものを見ると、ある方が「プレイ用、自分用、保存用」に2つも3つも同じものを買っておくというのが理解できるというもの……。

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 写真で金色っぽく見えているところは、まじで金色です。銀色もあります。昔のものも金銀は使ってましたが、表現度や精密さが上がっているなぁと感じました。嘆息せざるを得ません。

 自分は一応、保存用を買うつもりはなく、プレイするつもりではあるのですが、このユニットをカットするのでしょうか……? やだ、なんか怖い。

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 右上の「R 5」とあるのは、戦場でも軍服を着用せずにイギリス紳士の服装をしていたピクトン卿(第5師団長)のユニットです。彼は短気なことでイギリス軍中で有名でしたが、有能な指揮官で、このカトル・ブラの戦いで腹部に重傷を負ったもののその事を隠し通して、2日後のワーテルローの戦いに参加。戦い初期の戦線の危機に歩兵突撃を指揮してシルクハット越しに頭に銃弾を受けて死亡しました。

 そのさらに右側にある「じみー」な服装のユニットがウェリントン公爵。彼は、このナポレオン時代のきらびやかな軍服の戦場で、全軍で最も地味な服装をしていて、それゆえにかえって非常に目立ったのだとか。

 中央部には髑髏のマークを付けた黒い軍服のブラウンシュヴァイク(英語ではブリュンスウィック)公の軍が。これは先代のブラウンシュヴァイク公爵が1806年のアウエルシュタットの戦いで戦死し、その復讐に燃えた若きブラウンシュヴァイク公が、故国へ喪として黒い軍服を着用し、髑髏を付けたのが始まりとか。

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 こちらでは、右下にはきらびやかな騎兵の軍服が。左上の方にあるのはスコットランドのスカートの地?


 さすがにこのゲームはある程度きれいに保管せねば……という事で、今まで山積みにしてぼろぼろになっていた他の残っているBatailleシリーズともども、棚の上の方に綺麗に並べる事にしました。……と思ってさっきみたら、既に『La Bataille des Quatre-Bras』の外箱がなんか汚れてたー! まぁしょうがないか……(>_<)。

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 あ、左の方にある『Victory in the West』は私のものではなく、フランス戦を自作するための資料としてBluebearさんからお借りしているものです。


『Ney vs. Wellington』をやってみました

 その後、『Ney vs. Wellington』に挑戦!

 1979年に『Strategy & Tactics』誌の付録ゲームとして出されたゲームで、フルマップ1枚、駒は200個くらい? フルマップ4枚で駒は2000個(ただし部隊駒が600個であとはマーカー)のワーテルローの戦いを扱った『Wellington's Victory』の姉妹ゲームで、こちらはその2日前にあったカトル・ブラの戦いを扱います。

 ルールブックもちらちら目を通しただけで、とりあえずセットアップ……。おおお、結構いい感じ……。

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 赤がイギリス軍で、オレンジはその同盟国のネーデルラント軍。マップ上の方のカトル・ブラ(フランス語で「4本の腕」)という名の交差点を守らなければなりません。対して、フランス軍は南から、北へ攻め寄せる……。


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 カトル・ブラ周辺にいるウェリントン公爵とピクトン卿。

 ただ、イギリス軍はいいのですが、オレンジ色のネーデルラント軍は結構弱く、吹けば飛ぶような士気値しか持ってなかったりするのが分かりました。ううーん。

 ルールは読みながらで、ざっとでやってみようかとも思ったのですが、うーん、やはり無理でした(^_^;) むしろナポレオニック時代の戦術の話題になり、ゲーム上で試してみる……散兵はどうやって使うんだ? 2列横隊の射撃力の強さにどう対抗すりゃいいんだ? 敵が近づいてきた時に防御射撃が出来ないってのは変だなぁ……とかとか。

 途中、2列横隊になるのはイギリス部隊とハノーファー部隊……って、ハノーファーってどれやねん! と探しまくり、「てっきりいつも緑色のユニットで出てくるキングス・ジャーマン・レギオンかと思っていた緑色の部隊がハノーファー部隊だ」という事が判明しました(^_^;)

 お相手してくれたN氏が粘り強く検証してくれたおかげで、「なるほどなぁ……」と若干見えてきました。というか、そもそもそう甘いゲームではないと考えるべきでしょうね(^_^;) 本来、この日曜日8日にプレイしようと思っていたのですが、「サマリーを作ったりしなければさすがに無理だなー」という事で、とりあえず延期とすることにしました。

 で、日曜日のミドルアース大阪では「なんか簡単なゲームがいいなー」という事で、『激闘! マンシュタイン軍集団』をやることに。私が最も好きでかつルールも簡単なゲームなんですが、N氏がまったくやった事がないという事なので。


自作フランス戦第3ターン

 この日も続けて、自作フランス戦ゲームのテストプレイの続きに付き合ってもらってました。第3ターン(5月17~18日)です。

 史実では17日に「モンコルネの停止命令」という、ドイツ装甲師団は前進してはならないという(3回あるうちの最初の)停止命令が出ました。ゲームでは、フランス軍機甲師団がドイツ装甲師団に「惨敗ではない反撃(効果なしの攻撃でOK!)」をすることができたら「ドイツ軍上層部警戒レベル」が1上昇し、「モンコルネの停止命令」が出る様にしてみました。ですから、フランス軍プレイヤーはせめてそれぐらいは成功せねばなりません(^_^;)

 史実ではグデーリアンは上官に食ってかかって怒り、結果、「偵察目的でなら前進してもよい」という許可を得て、少数の部隊を残して実質主力を率いて前進してしまいました。一方ロンメルは停止命令を出たこともしらず(あるいは、まったく無視して)前進を続けたものの、途中で振り返ってみると師団の主力が付いてきていない事に気付き、あわてて呼び戻しにいったのでした。

 ゲームでも、「モンコルネの停止命令」が出ると、装甲師団を分割して、片方を元いた場所に残しておかねばならないとしました。そのためにこのターンは防御力2というただでさえ「静的な防衛に適さない」装甲師団は防御力1という紙の様な状態になってしまいます。その好機をフランス軍は活かすことができるかどうか……?

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 あ、写真はすでにその状態を脱した、ターン終了時のものです。グロス・ドイッチュラント連隊がステップロスしていますが、グロス・ドイッチュラント連隊は「装甲師団ではない」ために、やられてもドイツ軍警戒レベルをあげることにはなりません。ので、このゲームでは史実の通り、つらい防衛戦に八面六臂させられ、全滅しても大して問題はないという……。


自作フランス戦ゲーム

 結構前から、「自作の1940年のフランス電撃戦のゲームを作りたい!」と思って、マップを作ったりユニットを作ったりルールを考えたりしてきました。

 コンセプトとしては、電撃戦そのものを楽しむこと。フランス戦全体をやるつもりはないので、電撃戦で最も話題になるミューズ川突破(5月13日)から始まって、ヒトラーによるダンケルクの停止命令が出た5月24日までの最もスピーディであった期間だけを扱う。マップもその範囲だけを扱う最低限度に。

 最初は(ビッグゲームが好きなので)フルマップ(A1)1枚で考えていたのですが、その後「ハーフマップのヘクスゲームって必要だよね」というとある方の発言を見て「そうか!」と思ってハーフマップ(A2)へサイズ変更。これでいくらか動かしてみたものの、「なんだかなぁ……」という感じ。「ものになりそう」と仰ってもらったりもしたんですが、サンブル川(シャルルロワとかの辺りの川)の北と南で動きが違いすぎるのの処理が難しそうだったのと、私は最初シングルブラインドでゲームを作りたいという気持ちがあったのですが、まぁこの規模ではやめた方がいいとアドバイスを貰ったりとか……(実際この規模では無理だなぁと思いました)。

 で、最近、初心者向けゲーム同人誌を作っておられるSLGamerさん(ココとか?)のゲームのマップ仕上げを担当させてもらってて「ミニゲームというのもいいなぁ……」と思って、フランス戦自作ゲームをさらにクォーターマップ(A3)サイズへサイズダウン(^_^;)

 同時に色々、発想を転換。

「ミニゲームだと思って、シングルブラインドでプロット移動も妄想フルでやってしまえ!」
「ミニゲームだとしたら、戦闘結果表とかもなしで、戦闘力にサイの目を足してその差で戦闘解決してもよくね?」
「サンブル川から北は処理しにくいから、削ってしまえ! イギリス軍は20日頃からマップ上に登場すればいいじゃないか」
「ラ・フェルテ要塞(セダンの西南西にあったマジノ線要塞)関係の部分も、めんどくさいからカットだ!」

 あと、これは副産物的なものでもあったのですが、フランス電撃戦ではこの戦場にいた7つの装甲師団が割と併走しながら(つまりスタックするのではなく)進んでいっているんですが、これがA3マップだと、ちょうど「マップ上を各装甲師団がスチームローラー的に進んでいって、そこにいるかもしれないフランス機甲師団の存在のいない事を確認、あるいはいたら踏みつぶして進撃していく」感じが出るなぁと。これがA2マップだとスカスカすぎてそれが出来ないんですよね←実はこの点が現今、一番良かったなぁと感じている部分です。


 で、このA3フランス戦の作業をちまちまやっていたのをゴールデンウィークに加速させ、一応テストプレイが出来そうな状態にしてソロプレイを1ターンだけやってみると、結構いい感じの様な? しかし基本がブラインドでプロットなゲームなので、ソロプレイでテストプレイが出来るようなものではないので、連休後半にプレイの機会を得て、今日テストプレイしてみることが出来ました。

↓下の写真が、セットアップ時点(5月13日の状況です)。左側にある本立ては、ブラインドするためのもの。この左側に、A4に縮小コピーしたマップがあり、その上に移動計画をプロットしていってます。

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 ドイツ軍部隊がミューズ川の東に集結しており、突破を狙っています。

 テストプレイとしては、私がフランス軍を担当して、とりあえずはフランス軍の4個機甲師団を史実通りに移動させる様プロットしてみました。途中色々ルールの不明点が出てきたり、新しく考慮すべきところが出てきたらメモしたり考えたりしながら……。

 展開としては非常に史実っぽく動き、しかもブラインドで動く(しかしどの師団が動くかはフランス軍プレイヤーにも分からないという)フランス軍機甲師団がいい味を出して、ドイツ軍プレイヤーも「どこまで進めばいいのか……」と葛藤しながら、またフランス側も色々とうまくいかない事が起こりながらで、「うおー、史実通りだぁ~」「うまく動いてるなぁ~」という感じに。

↓が、第2ターン終了時(5月16日)の写真です。ほぼ史実通りです。

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 今回色々収穫があったので、またプレイしやすくまとめながら、続けて調整していきたいと思ってます。ただあれですね~。私の好きなマンガ『アイシールド21』に、「うまくいきすぎると後で絶対ろくなことがねぇ」と必ず言っているキャラがいて結構好きなんですが、そのセリフが思い出されます(^_^;)

今までに投稿したウォーゲーム関連動画です

 イタリア軍関係の動画を、ニコニコ動画とYouTubeに投稿しています。

 一番最近投稿したのはこれです。



 ただこれは、没にしていたものを動画にしたもので、面白さ的にはまったく大した事はないと思います。

 ニコニコ動画上の全投稿動画は、ブログのプロフィールのところの「イタリア軍関係動画」と書いてあるところのリンクから行けるようにしてありますが、今まで投稿した中で一番評価をいただいているのはこれです。



 一応、YouTubeにも投稿してあります(ニコニコ動画の方が、コメントが表示されて面白いのでオススメではあります!)。



ブログを始めようと思います

 こんにちは。DSSSM(でっせむ)です。

 ウォーゲームとその周辺を趣味にしております。今まで、ウォーゲーム専門SNSであるMustAttackで日記など書かせてもらってたんですが、フト気づいた事が。それは、SNSに書いた事は普通のインターネット上の検索には引っかからないなぁという事。

 自分でも色々検索させてもらって、有益な情報をブログからもらったりすることがあるわけですが、SNSはそれ自体では有用なものの、前記の様な事を考えれば、自分で書くことにしてもSNSに書くだけでなくブログにも書いていくという事をすべきなのかも……と考えまして。

 どれだけの事が出来るか分かりませんが、ぼちぼちとやっていきたいと考えています。よろしくお願いします。



 
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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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