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OCS『The Blitzkrieg Legend』:イギリス海外派遣軍(BEF)の配置を調べてみる

 前回の続きで、イギリス海外派遣軍(BEF)の1940年5月10~11日のディールラインにおける配置を調べてました。

前回→OCS『The Blitzkrieg Legend』:フランス軍の第2、第3軽機械化師団の第1ターン先攻の動きを推測 (2019/05/15)

 最初に見たのは『西方電撃戦 フランス侵攻1940』だった(P154)のですが、それはやや曖昧な書き方なので置いといて、それより『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』の地図と『The War in France and Flanders』(→イギリス大陸派遣軍のサイトが消えたぁ…… (2011/05/15))の戦闘序列が詳しかったので、それで。


 ↓『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』のP65の「10-13 May」の地図から

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 この地図にはBEFの第4歩兵師団と第48歩兵師団と第1戦車旅団(1ATB:1st Army Tank Brigade)があるものの、『The Blitzkrieg Legend』のセットアップだとそれらの部隊はここにはいません……(ちなみに、第4歩兵師団の下にある「Esc A-B」とか書いてあるのは、下に「BE」とあって、これはベルギー軍のことです)。

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 ただ前掲地図は「10-13 May」なわけですから、10~11日ではなくて12~13日(つまり第2ターン)である可能性もあります。

 で、色々調べてましたら……。

 5月13日、我が軍の第48および第4師団が、ディール川沿いの第Ⅰと第Ⅱ軍団の諸師団を支援するために東方へと移動する間、はるか南ではドイツ軍の機甲師団群がミューズ川を渡って西進を始めていたのである。
『The War in France and Flanders』P41



 とありました。ので、第48歩兵師団と第4歩兵師団は13日になって移動を開始した、つまり第1ターンにはディールラインにはいなかった、ということで良さそうです。


 『The War in France and Flanders』は現在、ネット上でも見られます。

CHAPTER III ADVANCE INTO BELGIUM 10th May to 15th May, 1940

 ↑のP41のところの最後の一文です。また、このウェブページの3つ目の画像は5月15日の地図で、前掲地図と良く似た感じになっています。


 ↓『The Blitzkrieg Legend』セットアップにおける、第48、第4歩兵師団の位置。

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 さて、もう1個の第1戦車旅団の件です。第1戦車旅団は、『The War in France and Flanders』のP359の、5月10日付けの戦闘序列によると↓となっています(ネット上のものは→APPENDIX I British Forces Engagedの「BRITISH EXPEDITIONARY FORCE (as organised on 10th May, 1940)」の「G.H.Q. Troops」の一番下)。


1st Army Tank Brigade—Brigadier D. H. Pratt
4th and 7th Battalions Royal Tank Regiment
(第4および第7大隊 王立戦車連隊:なんで大隊で連隊なのかというと、名称は王立戦車連隊なのですが、実質的には大隊規模なので、ということではないかと。イギリス軍はこういうやり方なので)

 王立戦車連隊は、略称だと「RTR」で、「4RTR」が先ほどの画像の左側にあるスタックの中身を表示させていた部分の右から2つ目にありました。しかし「7RTR」が地図上に見当たりません。増援表を調べてみると、5月14日に、マップAの任意の港湾に登場することになっていました。

 ですが、『The War in France and Flanders』では10日のBEFに7RTRも入っていますし、『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』の13日までの地図に第1戦車旅団がディールラインにいますし、他にも↓

The History of the 4th and 7th Royal Tank Regiment. revised 20111940 – 1941

 を見ていても、日時は分かりませんが、「旅団が移動した」と書いてあって、「7RTRは遅れて到着した」というようなことは書いてありません。

 ただ、そこらへんまで考えていた後で、そういえば、と『第2次大戦 イギリス機甲部隊』という本を見てみたら……。



第1戦車旅団
1st TANK BRIGADE
 1939年9月3日、第1軍戦車旅団は英本土軍アルダーショット軍管区司令部の指揮下、1938年4月13日付の国防組織3 / 1931 /33A / 2号の軍戦車旅団の編成・装備を準用として創設され、基幹部隊として第4ロイヤル戦車連隊、第7ロイヤル戦車連隊および第8ロイヤル戦車連隊が配属された。
 1940年4月30日~5月14日、第1軍戦車旅団はアルダーショット軍管区から英派遣軍総司令部に配属され、英本土からフランスに移動したが、旅団の基幹戦力は第4ロイヤル戦車連隊と第7ロイヤル戦車連隊のみであった。
 1940年5月14日~5月17日、第1軍戦車旅団は英派遣軍総司令部から第1軍団予備として配属され、ベルギーの首都ブリュッセル付近に配置された。
『第2次大戦 イギリス機甲部隊』P72


 この本によると、4月30日から5月14日にかけてフランスに移動し、そしてまた5月14日から5月17日にかけてブリュッセル付近に移動したかのようです。

 そうすると、『The War in France and Flanders』の戦闘序列には5月10日付けで4RTRも7RTRもBEF内にいることになっていましたがうち7RTRは海上輸送中で(まだ英本土にいたのかもですが)、5月14日(つまり『The Blitzkrieg Legend』における第3ターン)にフランスの港湾に到着し、4RTRはすでにいた内陸から、7RTRは港湾から、それぞれブリュッセルへと移動した……ということであれば辻褄が合いそうです。

 『The War in France and Flanders』の5月15日の地図にはブリュッセル南東に第1戦車旅団がいますが、15日中には少なくとも部隊の内の半分くらいは到着していた? その後完全に揃うのは17日になったとしても……。

 そうだとすると、『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』の「10-13 May」の地図に1ATBがいるのは、フライング……でしょうか?


 まあ分からないですが、解釈が何通りかできる場合は、『The Blitzkrieg Legend』に指示されている通りにする、べきでしょうか。

 それにまた、今回調べたように各部隊がタイムラグを持って移動したのだとすれば、興味深いことですし、それをちゃんと反映している『The Blitzkrieg Legend』は素晴らしいなぁ、と(^^)


 ただまあ、「第1ターン先攻で、移動モードでないと到達し得ない場所にいるユニットは移動モードにする」という件に照らせば、最もベルギー・フランス国境に近い「1ERY」(イーストライディング義勇兵)でも戦闘モードでは届かない場所にいるので、ブリュッセル周辺のBEFはすべて移動モードということになります(します)。:p


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OCS『The Blitzkrieg Legend』:フランス軍の第2、第3軽機械化師団の第1ターン先攻の動きを推測

 OCS『The Blitzkrieg Legend』を今後再戦するにあたって、今度は「第1ターンの先攻ターン中にフランス国境からベルギー領内に進んだことにされているフランス軍とイギリス軍ユニットの開戦前の位置を調べ、そこから移動モードでなければ到達できない位置にセットアップされているユニットは移動モードで配置する(戦略移動モードでなければ行けない位置にいるものもあるが、それらは移動モードとする)」という方法を試してみよう……ということにしていた、という話がありました(OCS『The Blitzkrieg Legend』キャンペーン(2回目)第7ターンで投了 (2019/03/06) で書いてました)。

 これはConsimで出ていた提案でもあるそうで、史実で「ドイツ軍のベルギーへの侵攻が始まったら、すぐにフランス・ベルギー国境を越えて仏英軍を防衛線となるディール川沿いへと移動させる」というディール計画が実際に発動され、かなりの長距離を1日か2日で移動したわけだから、セットアップでそれらすべてが戦闘モードで配置されている内の少なくとも一部は移動モードでないとそこまで行けなかったはずであり、それを反映させたら(させた方が)いいんじゃないだろうか、という考え方なわけです。ただし、戦略移動モードでなければ到達し得ないユニットがあったとしても、それは移動モードにしておこう、と(戦略移動モードは0戦力扱いですから脆弱すぎるのと、計画に従って潜在的同盟国を通過したわけだから、まあそこは差し引こうというような考えで)。

 尤も、実作業には取りかかっていなかったんですが先日、第二次世界大戦ブックスの『米英機甲部隊』を読んでいて、次のような記述があるのに非常に興味を惹かれました。



 【ディール計画でディール川南のジャンブルーの隙間に到着した頃に】時間的余裕がなかったことは重大であった。しかし、もっと重大だったのは、野戦用の兵力をいかに必要な場所に集中するかであった。というのは、フランス軍の400台ちかい戦車をもつ軽機械化2個師団【第2、第3軽機械化師団】が、ひろい戦線のすべての要路を防衛するため、散開して配置されていたのにたいし、ドイツ第16機甲軍団は、ほぼ同数の戦車を、ジャンブルー間隙のむかい側にあるせまい地帯を、とくにえらんで、集中投入してきたのであった。
 こうして、プリュー将軍【プリウーとも。第2、第3軽機械化師団を擁する騎兵軍団長】の戦車部隊が、約160キロのなが旅をおえてディール河岸に到着しはじめた5月10日夕刻には、彼らはすでに孤立状態におちいっていたのであった。
『米英機甲部隊』P56


 この「散開配置」というのは、『The Blitzkrieg Legend』におけるセットアップとはかなり異なります。セットアップでは集中配置されているのです。


 ↓『The Blitzkrieg Legend』の初期配置

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 画像上方中央のやや右で「く」の字に蛇行しているのがディール(Dyle)川で、その南端のジャンブルー(Gembloux)の隙間(川がなくて防御上の弱点になっていた)に、「3.M(第3軽機械化師団)」と「2.M(第2軽機械化師団)」が師団毎にまとまってセットアップされています。


 その第2、第3軽機械化師団のうちわけ↓

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 これはドイツ軍装甲師団にとっても侮れない強さであり、ドイツ軍がプレイで(第1ターン後攻に続いて)第2ターン先攻でこのジャンブルーの隙間にドイツ軍装甲師団群が到達し得たとしても、この2個師団にまともにぶつかって勝てる状態ではないと思えるものでした。

 ところが史実では、このジャンブルーのさらに東のアニュー(Hannut)で5月12~13日(つまり第2ターン中)に戦車戦が行われ、ドイツ軍側が勝っているというのですが、「どうプレイしたらそうなるの?(そうできるの?)」と我々は色々可能性を考えはしたものの、まだ「????」な状態でありました(^_^;


 しかし『米英機甲部隊』にあったように「散開配置」されていたならば、ドイツ軍側が打ち破るのは可能でしょう。ましてや、移動モードでセットアップするというのであれば!

 で、他の資料で調べてみました。

 まず見てみた『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』によると……。

 5月10日の0745時に通報を受けて、プリウー将軍の装甲車、戦車、自動車化歩兵、牽引砲兵はヴァレンシエンヌ(第3軽機械化師団)とモーブージュ(第2軽機械化師団)を出発し、4時間後にベルギー国境を越えて……
 ……
 その間【文脈的には恐らく5月11日のこと】……彼【プリウー将軍】の2個軽機械化師団はジャンブルーを通過して「ディールライン」を越え、18マイル(29km)の低い尾根の広がりの中にあるアニューの町へと前進した。プリウーは麾下の2個軽機械化師団を、22マイル(35km)の正面に薄く広げて配置した(ちなみに、ブランシャール将軍はディールラインの20.5マイル(33km)の戦区に6個師団を配置していた)……第2軽機械化師団はメエエーニュ川の南からユイまで……第3軽機械化師団はアニューのすぐ南のクルアンの村から北方のティーネン(Tienen)までの10マイル(16km)に配置されていた。
『Fall Gelb 1940 (2): Airborne Assault on the Low Countries』P67



 その他に『電撃戦という幻 下』のP76,79、『西方電撃戦 フランス侵攻1940』のP160にも、ほぼ同様のことが書いてありましたが、日にちが、そのどれもが5月11日のことっぽいのではありますが、確定的な書き方がされてません(>_<) まあでも、11日のことで一応良いとしますと……。


 ちなみに、メエエーニュ川というのは↓これかと。

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 再度先ほどのマップを挙げます。

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 矢印のように、5月10日から11日にかけての1ターン(『The Blitzkrieg Legend』は1ターン2日)の間にヴァレンシエンヌとモーブージュからジャンブルーの隙間を越えて移動したとすれば、戦闘モードでは移動力が足りず、移動モードにするのは確定です。で、11日の配置場所ですが、画像右端に「uy」だけ見えているのを赤い四角で囲っているのが「ユイ」で、「Hannut?」と書き加えてある場所あたりが恐らくアニューです。『The Blitzkrieg Legend』は1ヘクス3マイルなので、黒い実線を引いた10ヘクスは30マイルとなり、文献の22マイルよりはちょっと広すぎることになりましょうか。ただ、同書のP65の5月10~13日の地図によると、ティーネンと、ユイの辺りには別の部隊がいたらしいので、そこは防御しなくていいとすれば6マイル引けるので24マイルと、文献とそれほど変わらないことになるのでは。

 そうすると、『The Blitzkrieg Legend』上で第2軽機械化師団にしろ第3軽機械化師団にしろ、7ユニットずつを持っており、それを黒い実線の南北の端を除いた4ヘクスずつに、移動モードで散開配置させる(自由配置で?)……というのが、とりあえずの案になりましょうか。


 しかしこれはあくまでもセットアップの「改造」の案で、オフィシャルには反することになるので、そこんところよろしくです。


OCSユニットで見るドイツ空軍のハインケルHe.111

 『ドイツ戦闘機開発者の戦い』という本を読んでいたんですが、その中に、OCSで良く見る爆撃機/輸送機であるハインケルHe.111について書いてあり(当然ですが(^_^;)、ちょっとまとめてみようと思いました。





 まずHe.111の概略を。

ハインケルHe111 / Heinkel He 111
 1937年にドイツ空軍で就役、スペイン内戦においてドイツ中距離爆撃機の名声を大いに高めた。1938年、短いガラス張りの機首を持つHe111Pが導入され、また大量生産されたHe111Hの形も決定した。He111Hは第二次世界大戦時にドイツ空軍の標準型水平爆撃機となった。その時点でこの機はライバルのイギリス空軍機よりわずかではあるが勝っていたが、 もはや最新型のイギリス戦闘機の敵ではなかった。というのは、たった3挺の機銃しかなかったからだ。
 イギリス本土防空戦における甚大な損害は、防御兵器および防護装甲の強化を必要とし、 これは少なくとも1名の乗員増を必要としたため、性能を著しく損なうこととなった。このため1942年には容易な標的となっており、緊急に代替え機種が必要とされた。後継機種の開発は遅れがちであり、このためHe111Hは1942年10月まで生産が継続され、7,000機余りが生産され、 He111H23をもって生産は終了した。あらゆる戦線に投入され、各種ミサイルの親機、対気球航空機、滑空機曳航などの多様な用途に用いられた。
<データ>(He111H3) 型式:4~5人乗りの中距離爆撃機、エンジン:ユンカース・ユモ1,200馬力×2、最大速度:413km/h、上昇限度:7,800m、航続距離:1,200km(完全装備)、武装:7.92ミリ機関銃×6~7、爆弾搭載量:2,000kg。
『第二次世界大戦事典』P419,420



Bundesarchiv Bild 101I-343-0694-21, Belgien-Frankreich, Flugzeug Heinkel He 111

 ↑飛行するHe111(第53爆撃航空団所属機、1943年9月撮影 Wikipediaから)







 He.111はOCSで非常に良く見る機種ですし割と役に立つこともあり、個人的に集めている1/144スケールでの塗装済みHe.111があればなぁと思ってメルカリ等で探してみたことがあるのですが、出品されている写真を見て「あまりかっこよくないなぁ……」と思ってその時は食指が動きませんでした(^_^; 特に、正面から見た時に機首が左右対称でないのが気持ち悪さに一役買っているような気がします(あくまで個人の感想です)。


 次に、OCSユニットでもって、そのゲームに登場するすべてのHe.111ユニットを並べていきます。ただし、『Hube's Pocket』は持ってないのと、『Baltic Gap』はスキャンしてなかったので、BoardGameGeekの画像を借りてきました。

 基本的には(2)-12 1/2T(防御のみの空戦力が2で爆撃力が12、輸送力が1/2T)ですが、ちょっと違った能力のものもありますね。航続距離の差はスケールが違うからという場合もありますが、スケールと関係なく違うものもあるような……?



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 ↑『The Blitzkrieg Legend』

 白い×印が付いているのは、常に運用できるわけではないユニットです。『DAK-II』のものも同様。




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 ↑『DAK-II』

 


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 ↑『Smolensk:Barbarossa Derailed』




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 ↑『Guderian's Blitzkrieg II』




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 ↑『Case Blue』

 He111zbV(特殊任務?)というユニットがあって、輸送力が1Tのやつと2Tのやつがあります。特に2Tのやつは、何かを曳航しているようですが……?




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 ↑『Tunisia II』

 グライダーを曳航している1Tバージョンのものがあります。




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 ↑『Sicily II』




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 ↑『Hube's Pocket』




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 ↑『Baltic Gap』



 『Beyond the Rhine』にはHe.111ユニットは1枚もありませんでした。まあ、『Beyond the Rhine』には戦闘機以外のドイツ空軍機はほとんど出てきませんで、もう防空戦闘以外のことができる状態ではないという感じが強いのでしょうか。



 再度、文献による記述を挙げていきます。

 戦前に民間機としてデビューした双発爆撃機の第3番目のものは、ハインケルHe111であった。これはイギリス本土爆撃に参加したことで広く知られているが、実際にはあまり成功した機体ではなかった。ただし、 1936年に実戦配備となったHe111Bは、有望な爆撃機として期待された。DB600CG液冷950馬力エンジンを装備したHe111Bは細長い機首部、幅の広い主翼を持ち、最大時速は370キロ、最大爆弾搭載量は1.5トンという性能であった。スペイン内戦ではほとんど抵抗を受けなかったせいで、損害も少なく、威力を発揮した。このため、 7.92ミリMG15旋回機銃わずか3丁という貧弱な武装は強化されなかった 1939年以前にD型とE型が作られ、またH型が標準量産型となったが、武装に変化はなかった。ユンカース「ユモ」211 D-2 (1200馬力)エンジンを装備したH型は、機首部が改設計されて気泡型となり、最大時速は405キロ、最大爆弾搭載量は2 トン、航続距離は1200キロに向上した。しかし防御力がきわめて弱いため、1940年のイギリス本土空襲では大きな損失を出した。ハインケル社は機銃の数を増すとともに、運用高度と速度の改善をはかったが、成果はなかった。1942年には、 He111は、脆弱な旧式機となっていた。これの後継機がなかったことは、ドイツ航空工業界の近視眼的ビジョンのあらわれであった。He111は1945年になっても使用されたが、実績はふるわなかった(He111の総生産数は5656機)。
『第2次大戦事典②兵器・人名』P219,220


 それまでのドイツ双発爆撃機はJu 86も含めて「爆弾を搭載して飛行できればよい」のレベルで、発行性能や実戦を考慮した機動性などはまだ問題にもなっていなかったという(低空での機動性に優れ「垣根飛び」と呼ばれたDo 17はHe 111とほぼ同時期の開発)。それがHe 111では速度性能だけでなく、操縦性、運動性などに関してもそれまでの爆撃機の水準を抜きん出たものがあった。開発が先行したHe111商業機型も同時代の双発機、三発機の水準を破る飛行性能を示したので新聞紙上では「戦闘機よりも高性能の旅客機が登場」と報じられて内外の関心を集めた。
 ……
 He111はポーランド侵攻からいわゆる電撃戦、バトル・オブ・ブリテンと主力爆撃機として使用され、この間にドイツ爆撃機が英空軍戦闘機に対して極めて脆弱であることも露呈された。それでもHe111の実用性の高さは卓抜しており、後発のユンカースJu 88とともに主力機の役割を務め続けた。He111にはJu 88ほどの多用途性や機動性はなかったが、雷撃機、偵察機、輸送機としても使用されるようになる。やがては破天荒な改造型(双胴化した五発機のHe111Z)も現われ、飛行爆弾V1号の発射母機としても使用される(He111H-22)。結局、第二次大戦が終わる1945年春まで主力機としての役割を務め続けることになる。
 He111はハインケル社の企業としての拡大、工場の拡張を象徴する機体で、1937年から操業開始されたオラーニエンブルク工場で大部分が製造された。約7000機も製造されて足掛け十年近く使われ続けたのは、やはりギュンター兄弟による基礎設計が優れ、様々な任務に適用できるほど実用性が高かったからであろう。
 だがそうなった理由の一方には、He 111以後の爆撃機に急降下爆撃能力を要求したり、後継機種になるはずのHe 177の開発に失敗したりという、ほかの主要交戦国にはみられないような、ドイツ空軍ならではの混乱ぶりもあった。本機を開発、生産したハインケル社の社主であるエルンスト・ハインケルが「爆撃機など作りたくない。戦闘機を作らせろ、驚くほど高性能なのを作ってみせる」と技術局長のウーデットに楯突いたのも尋常ではないと言える。そういった意味においては、He111は最もナチス・ドイツ的な爆撃機だったということにもなるだろう。
『ドイツ戦闘機開発者の戦い』P107,112,113



 第二次世界大戦の名機ばかりを扱ったような本ではHe.111はほとんど項目立てされていないようなので、どちらかというと「残念」な機種扱いなのかもですが、OCSをプレイしている限りではHe.111の(2)-12 1/2Tというのはおっそろしく便利です。例えばJu.87なら爆撃力17を持っていたり(初期の『The Blitzkrieg Legend』や『Smolensk:Barbarossa Derailed』では12)、Ju.88は爆撃力12、そして輸送機としてはJu.52は1Tの能力を持ちますが、He.111は爆撃が必要なら爆撃機として、輸送が必要なら輸送機として運用でき、その両方の能力がある一定の水準に達しているため、両使いできる融通の利くある程度の有能な航空ユニットとして非常に重宝します。

OCS『Beyond the Rhine』の架橋(pontoon)ユニットについてGeekで質問してみました

 OCS『Beyond the Rhine』の架橋(Pontoon)ユニットについてどう解釈すればいいのか良く分からなかったので、Geekで質問してみたところ、ジョン・キスナー氏から返答がありました(ジョン・キスナー氏はOCSチームの班長らしいです)。

 ↓そのGeekの掲示板(ログインが必要かも)
about the Pontoon units


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 ↑『Beyond the Rhine』のpontoonユニット


 『Beyond the Rhine』の1.10に、

大河川と小河川 工兵能力(OCS シリーズルール13.8a 項)が使えるならば、架橋ユニットは隣接する全ての大河川、小河川、運河ヘクスサイドに新しい橋を架けます(小道(Track)を通って渡河するとみなします)。

とあるのですが、これは「文字通り小道が架けられる」ということであり、しかも「ヘクスサイドに小道が架けられる」というよりは「架橋ユニットのあるヘクスの中央から、対岸ヘクスの中央に小道が架けられる」ということらしいです。


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 具体的に↑のようなケースについて質問してみたところ……。

 ヘクスにかかっている青い模様はポルダー(低湿地の干拓によって生じた土地で,堤防に囲まれ,水位を調節できる干拓地)で、装軌/自動車化ユニットは道路なしでは入ることも出ることもできません。で、画像のようにポントゥーンがある場合、装軌/自動車化ユニットは、それぞれのヘクスの道路に小道が繋がれるようにして存在するようになるのだそうで。だから渡れますし、攻撃もできるし、渡った後でマップ上に書かれている道路に沿って移動を継続することもできる、と。

 とすると、例えば、

 ポントゥーン - 深い森

 のようなケースであっても、移動コストは小道(つまり1)で良い、ということになると思われます。

 ただし、攻撃力に関しては、元の小河川や大河川の1/3や1/2そのままになる、と。



 それからまた、念のために↓のようなケースについても質問しておきました。

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 これはポントゥーンでなくて、OCS共通ルールによる普通の司令部によると架橋効果に関してです。司令部の架橋効果は小河川を「①追加移動力なし」にし、また「②架橋なしでは攻撃できない地形を攻撃可能」にしますが、また一方で、OCS9.afに「入れるヘクスにしか攻撃できない」という縛りがあり、画像のようなケースではポルダーに装軌/自動車化ユニットが入れるためには道路が必要ですから、①の効果は道路を作るわけではないので、攻撃できないですよね? と。

 答は「そう、攻撃できない」でした。で、もちろん、これが司令部でなく、ポントゥーンユニットなら攻撃できる、と。


 あと、別の人も書き込んでいて、↑の画像で、ポントゥーンなら、その目標ヘクス(28.07)に装軌/自動車化ユニットは入れるけど、元のヘクス(27.08)に戻ることはできるが、その他のヘクスにはまったく移動できない、ということが確認されていました。ので、もし28.07に入った後にポントゥーンユニットがいなくなったら、そのユニットはもうまったくどこにも移動できないということになります(^_^;


西部戦線:米軍のパッチ将軍について、ちょい調べ

 OCS『Beyond the Rhine』を舞台として出てくる軍司令官ですが、第7軍のパッチ将軍について、英語版Wikipediaで見ていたらある程度キャラクター的な逸話があったのでそれと、『パットン対ロンメル』から書き出してみようと思います。


Alexander Patch portrait

 ↑パッチ将軍(Wikipediaから)


 まずは略歴的なもの。

パッチ、アレクサンダー·マッカレル(米、陸軍大将Patch, General Alexander McCarrell)1889-1945
アメリカ参戦前の1941年、 ノースカロライナのクロフト駐屯地で、歩兵補充センターの指揮をとる。1942年春、南太平洋ニューカレドニアにおけるフランス軍の防衛を支援するため派遣され、同地の任務部隊の司令官に任命される。1943年初頭、 アメリカ軍の指揮官として、麾下の部隊にガダルカナル戦初の主な陸上戦勝利をもたらす。1944年3月、 アメリカ第7軍の司令官となり、 8月15日フランス進攻の一部(ドラグーン作戦部隊) として、 カンヌ、 ツーロン間に上陸。第7軍は着実に戦ってローヌ河谷を前進し、冬にはアルザス地方を、 1945年3月15日にはザール地方を占領する。ドイツG軍集団は退却し、パッチは3月26日ラインを渡河。その後南ドイツへ一気に突入して、 ドイツが国家堡塁にたてこもるのを阻止した。1945年5月5日、バルク将軍麾下G軍集団の正式降伏を受理。
『第2次大戦事典②兵器・人名』P339



 ドラグーン作戦に関して言えば、昔々、Hexasim社の『Liberty Roads』を枢軸軍側でプレイする機会があった時、ドラグーン作戦なんてものの存在を知らなかったこともあって南フランスから上陸されてするすると前進されてしまい、「あっちゃー!」と思った記憶があるのですが、しかし当時のドイツにはそれに対する備えは元々なかったのでしょうか? ↓こんな風にも書かれていました。

 しかしパットンが第七軍を率いてマルセイユ地方の浜辺に上陸していたらどんな展開になったか、われわれは考えずにはいられない。以前にディヴァースとパットンが会ったときも、協力し合えないような雰囲気はまったくなかった。性分という点でいえば、パットンとフランス第1軍司令官のジャン・ド・ラットル・ド・タシニーはよく合った。攻撃的で冒険家的なところがそっくりだったのだ。パットンはこの祖国へ帰ろうとするフランス人が背負っていた、感情と態度両面での複合的な重荷に大いに共感していたが、これはディヴァースや、太平洋から異動してきたアレクサンダー・パッチにはよくわからない部分だった。ちなみにパッチは、最終的に第7軍を指揮して、抵抗するドイツ軍と戦いながらロワール渓谷まで進撃していった。ドイツ軍は、このふたりのアメリカ将軍のゆっくりとした進撃ペースにも太刀打ちできなかったのである。パットンが中心になってこの「お気楽な作戦」を推進していたら、どうしただろうか。だがこの疑問は永遠に答えが出なかった。
『パットン対ロンメル』P311


 パッチがアメリカ第7軍司令官、タシニーがフランス第1軍司令官で、その2つを麾下に持つのがディヴァース将軍の第6軍集団……というくくりですね。英語版Wikipedia「Seventh United States Army」によると第7軍が第6軍集団麾下に入ったのは9月15日だそうで、また第7軍には3つのアメリカ師団と、5つのフランス師団、それに第1空挺任務部隊があったそうです。


 英語版Wikipedia「Alexander Patch」にはこう書かれていました。

 パッチ第7軍に麾下に入った第6軍団司令官であったトラスコット少将は、彼のことをこう書いている。「私は彼の極めて素晴らしい高潔さ、勇敢で有能な指揮官ぶり、そして戦友としての無欲さに触れ、彼を尊敬するようになった。」


 うーむ、すごい誉められようです!


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 ↑トラスコット将軍の第6軍団司令部(『Beyond the Rhine』から)


 余談ではありますが、トラスコットも有名な指揮官らしく、過去にアメリカ第3歩兵師団長ルシアン・トラスコット (2016/11/14) というエントリを書いたりしました。あとトラスコットは、(『Beyond the Rhine』で扱う期間・場所中に起こった事件である)日系2世部隊第442戦闘団連隊を「失われた大隊(テキサス大隊)」救出のために(故意に?)犠牲にしたも思われるダールキスト第36歩兵師団長(彼はまた、部下や日系2世兵から「無能」と思われていた)の直属の上官にあたります。トラスコットはダールキストを、この救出前か、救出後かに、その能力に疑問符が付くことから解任を検討したものの、やめておいた……という話があったらしく、もしそれが救出前の話だったならば、解任しておいてくれれば良かったものを……と個人的に思わずにいられません(T_T)


 その「失われた大隊」救出は10月25~30日の出来事なのですが、Wikipediaによるとその直前にパッチ将軍は従軍していた息子を、その若干北の地域で失っていたそうです。

 パッチの息子アクサンダー・M・パッチ3世は、1944年10月22日に北東フランスのムルト・エ・モーゼル県で第79歩兵師団の第315歩兵連隊歩兵中隊長としての軍務中に戦死し、パッチ将軍は身内の悲劇に見舞われたのだった。



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 ↑第79歩兵師団(『Beyond the Rhine』から)




 また、翌年3月のいよいよライン川渡河がなるかという頃に、こういうことがあったそうです。

 アイゼンハワーが第7軍の司令官に、彼の戦区にパットンが「越境追撃」をくわだてることで、何か問題があるかと尋ねると、アレクサンダー・パッチは答えた。「われわれはみな同じ軍の者です」。彼はマルセイユからの長い道のりの間に息子を亡くしていた。それがひとりの男の価値観や考え方を変えたのかもしれない。
『パットン対ロンメル』P381



 パッチ将軍は、太平洋戦域で指揮を執っていた頃から健康を害しており、第二次世界大戦終結の年のうちに亡くなりました。

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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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