東部戦線イタリア軍アルピーニ軍団撤退戦に関する和訳本が2冊ありました

 今現在読み進めている、『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』に出てくる、東部戦線におけるイタリア軍アルピーニ軍団の雪の中の撤退戦に関してですが……。




 所用があってジュンク堂書店に行ったので、試しにイタリア史の場所に行ってみると、その第二次世界大戦あたりのところに、ほぼ同じようなテーマの和訳本がすでにありました! 今まで全然、そこらへんの場所を見ていなかった……。




 こちらは対フランス戦、対ギリシア戦、ロシア戦線、そしてイタリア本土でのパルチザン活動をテーマにした本になります(『Sacrifice on the Steppe』はロシア戦線のみを扱っています)。

 これは購入しました。


 他に、こんなのもありました。



 左はエチオピア戦争のみを、右はパルチザンのみを扱っているもののようで、購入はしないでおきましたが、興味のある人にとっては良いと思います。


 で、家に帰ってから『ふたつの戦争を生きて――ファシズムの戦争とパルチザンの戦争』の序文を読んでみましたら、アルピーニ軍団の撤退戦をテーマとする本の和訳本としてこんなのも出ている、と。



 これはほぼ完全にアルピーニ軍団の撤退戦のみを扱っているようです。これも注文してみました。


 『Sacrifice on the Steppe』が興味深すぎて、「和訳されないと……!」とか思っていたのですが、すでにこれら2冊の和訳本があるということであれば、そこまでではないかもですね(^_^;

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OCS視点でのガザラの戦い:分散か集中か、固守か遊撃か

 ガザラの戦いの付録ゲーム付きの『コマンドマガジン Vol.15』の記事「ロンメル神話の完成」の中に、OCS視点で役に立ちそうな記述を2カ所見つけました。


 ↓OCS『DAK-II』のガザラの戦いのセットアップ。

unit00095.jpg


 機甲戦で守らなければならない2つの鉄則があるが、イギリス軍は、その2つともを破ってしまった。その鉄則とは、
   1.機甲部隊同士、支援し合える程度の距離に集中させなければならない。
   2.反撃の際、部隊を集中させる妨げとなるため、機甲部隊を拠点防御に使ってはならない。
『コマンドマガジン Vol.15』ロンメル神話の完成P16


 OCSをプレイする上で、2の方はまあ大丈夫かもですが、1はなるほど気をつけねばなぁと思いました。

 これまでに資料を収集してみて分かってきたのが、北アフリカにおけるイギリス軍は、当初、(機甲)部隊を分散して使うことの方が有利だという戦訓を得て(しまって)いたらしい、ということでした。

 最初の頃のイタリア軍に対する作戦においては、イタリア軍の補給ネットワークの存在や機甲部隊が弱く、対戦車能力が限られていたこともあって、機甲部隊を分散させて使用することが有利に働いた。しかも、

 砂漠戦というロマンチックな響きにも助けられ、任務部隊や装甲車、トラック乗車の歩兵、砲兵で構成される「哨戒グループ」が脚光を浴び、最も成功を収めた司令官、ジョック・キャンプベル准将(戦功十字章授章)の名が広く知れ渡るようになった。主に機甲師団の支援グループから部隊を引き抜いたため、ジョック・コラムが一番影響を与えたことは、ただでさえ少ない機甲師団の支援歩兵、砲兵を分散させたことだった。しかし機甲師団の戦車兵たちは、当時はあまりそのことを気にかけなかった。
『コマンドマガジン31号』「全戦車編成から全兵種編成へ」P77


 クルセイダー作戦の時にも、「なぜイギリス軍(リッチー将軍)は戦車を分散させたのか、謎のままである」などとよく書かれていますが、分散することの方が良いと思われていたならば、分散させることこそが当たり前ということにもなるでしょう。しかし、イタリア軍には良く効いたその戦術は、ドイツ軍相手には却って弱点になってしまった……?



 また、ビル・ハケイムの自由フランス軍について、このようにありました。

 補給の状態が、依然として戦況を左右していた。29日の夕方には、アフリカ軍団と第20軍団は再び、弾薬、燃料ともに底を尽いていた。枢軸軍は、所期の目的通り、背後からガザラ・ラインを攻撃することなど、到底できなかった。ビル・ハケイムを迂回しての補給線は、あまりに遠く、そして危険だった。アフリカ装甲軍にとって唯一の救いは、自由フランス旅団が、無防備な枢軸軍の補給部隊を襲ったり、あるいはがら空きの側面に攻撃を仕掛けていないことだった。
『コマンドマガジン Vol.15』ロンメル神話の完成P19


 これ、「OCSあるある」という気がします(^_^; 側面ががら空きで、特に補給路が無防備だということが良くあります。私だとなかなか、だからといって敵補給路に突っ込んでいったりできないのですが、想像してみるとワニミさんなら絶対に敵補給路に突っ込んでいくところですね~。ううーむ、そうか……(^_^;

 ただ、当の自由フランス旅団が、機動戦が不得意だったことが同記事の前の方に書かれています。

 また、ビル・ハケイムで途切れているガザラ・ラインの末端部も危険だった。イギリス軍司令部は、そこに完全に自動車化された自由フランス軍部隊を配備することで、問題は解決するものと考えた。しかし、陣地戦はお手のもの、の自由フランス軍将兵たちだったが、機動戦となると、殆ど未経験だった。
『コマンドマガジン Vol.15』ロンメル神話の完成P16



 ただ、OCS『DAK-II』のユニット上では、移動モードでの移動力はかなりあり、敵補給路に突っ込ませるのはやりたくなるところかもしれません。

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 『Enemy at the Gates』におけるソ連軍戦車軍団のユニットなんかだと良くあるんですが、戦闘モードに比べて移動モードのARが下がる、とかにするとそこらへんはもしかしてよりリアルなのかもですね。しかも1下げるだけでなく、2下げたりするとか……。


イタリア軍のガリボルディ将軍とメッセ将軍とテレーラ将軍

 北アフリカ関係書物から資料を収集している中で、イタリア軍のガリボルディ将軍について興味を持ちました。


ItaloGariboldi

 ↑ガリボルディ将軍英語版Wikipedia「Italo Gariboldi」から


 以下、『歴史群像アーカイブ VOL.11 北アフリカ戦線 1940>>>1943』のP114からです(山崎雅弘氏によるもの)。

 北アフリカ戦の前半期において、現地のイタリア軍を統括指揮する「リビア派遣軍(後に北アフリカ派遣軍)」総司令官を務めたイタロ・ガリボルディ大将は、形式上の上官である自分の意向を無視して独断で作戦を展開するロンメルとたびたび衝突した。しかし、実際にロンメルが英連邦軍を蹴散らしてキレナイカ奪回などの実績を上げ始めると、いつしか態度を改めて「ロンメル流の戦争遂行術」に理解を示し、協力するようになった。
 第二次大戦勃発時にはリビア西部国境を守る第5軍司令官だったが、イタリア軍大敗後の1941年3月25日、前任者グラツィアーニ元帥から指揮権を継承した。しかし4か月後の7月12日、ガリボルディは突然、北アフリカ派遣軍総司令官を解任される。1942年には東部戦線に遠征したイタリア第8軍の司令官を務めたが、同軍が1943年初頭にソ連軍の反攻で壊滅した後、イタリアの単独講和に伴ってドイツ軍の捕虜となった。
『歴史群像アーカイブ VOL.11 北アフリカ戦線 1940>>>1943』P114




 ガリボルディ将軍については、今まで収集した資料の中には、以下のようなものもありました。

 ガリバルディ将軍--ロンメルが最初に接触したこのひとは穏健な老紳士で、立派な軍人のようだったし、それよりもロンメルにとってありがたかったのは、彼の流儀でことをはこぶのを許してくれる心がまえがあったことだ。
『ロンメル将軍』P176


 イタリア軍では、ガリバルディは忘れてはならない存在である。彼は、ロンメルの第1回の攻勢から共に戦った。
 彼の部隊は、ロンメルのお荷物だった。しかし、誰がアフリカ軍団と肩を並べられるだろう。イギリスやアメリカの部隊がイタリア軍と同じ立場に立っても、やはり無能と呼ばれたに違いない。ガリバルディはまがりなりにも、ドイツ軍に近いレベルの部隊を作り出した。アリエテ戦車師団、トレント、トリエステ自動車化師団、フォルゴーレ空挺師団等である。彼は極めて悪い評価しか与えられなかったが、決して軍人として無能だった訳ではない。
『アフリカンギャンビット』P23



 わりと良い評価のように思えます。また、東部戦線では指揮権がメッセ→ガリボルディという流れ(とりあえずこの2人だけ?)でしたが、北アフリカだと、グラツィアーニ→ガリボルディ→(間にとりあえずバスティコとかが入る)→メッセという、メッセとの関係で言うと逆の流れになる感じなんですね。



 他に資料を探してみると、日本語版Wikipediaの「イータロ・ガリボルディ」がありましたが、英語版Wikipedia「Italo Gariboldi」を注意深く訳した方が良い感じっぽかったのでそれ。

 1940年6月にイタリアが開戦した時、ガリボルディはフランス領チュニジアとの国境に駐留するイタリア第5軍の指揮官であった。彼は最終的にはリビアに駐留する2つの軍を指揮した。フランス戦が終わった後、第5軍は、エジプトとの国境に駐留するイタリア第10軍に人員、装備、補給を供給した。

 1940年12月にイギリス軍のコンパス作戦が開始されると、マリオ・ベルティ将軍の病気離任の後を継いで一時的に第10軍の指揮を執った。最終的に彼は第10軍の指揮を任されることになったが、それは第10軍が実質的に壊滅し、ベルティの後任であったジュゼッペ・テレーラ将軍が戦死した後のことであった。

 1941年3月25日、ガリボルディはリビア総督へと昇進し、ロドルフォ・グラツィアーニ元帥の後任となった。7月19日までにガリボルディは、ロンメルに対して非協力的であるとの理由を付けられて解任された。エットーレ・バスティコが彼の後任となった。



 山崎雅弘氏の記事でも解任は唐突な感じでしたが、日本語版Wikipedia上では「ロンメルに非協力的だから」という理由だと書かれていて、「協力的だったよ」という他の記事と矛盾します。で、これが、Wikipediaでも英語版の方だと、「実際には非協力的ではなかったのに、非協力的だという、嘘の理由でもって解任された」ということを匂わせる書き方になっている感じがしました。そこらへん知りたいところですが、まあちらっと探した感じでは見つからなさそうだったので諦め……。


 そんな中で見つけた、「ドゥーチェにもの申した将軍:イタリアに好奇心」というページには、こうありました。

ムッソリーニはヒトラーと歩調を合わせ、1941年夏に Csir (Corpo di spedizione italiano in Russia イタリア軍ロシア派遣隊)を結成した。216の列車で、6万2千人のイタリアが旧式の装備で派遣された。

司令官メッセはこの作戦を誤りだと考えていた。数ヶ月は何とかなった。しかしドイツ軍司令官が、イタリア軍の増軍を要求した時、メッセは拒絶した。

ロシアの冬は途方もなく、零下47度にも達した。しかしムッソリーニは、1942年夏に、Armir (Armata italiana in Russia) を創設。7千人の将校と22万の兵からなる軍隊だった。

司令官は外務大臣のチャーノが「間抜け」と呼ぶイタロ・ガリボルディだった。1942年11月1日メッセは帰国。

ムッソリーニは今度はメッセをチュニジアに送る。ロンメル将軍の活躍と言われているものは、実際はメッセによるところが大きかったようだ。

1943年5月12日、ムッソリーニの命令をうけ降伏。




 あと、Wikipediaに名前の出てくるテレーラ将軍ですが、ベダ・フォムの戦いで、第10軍司令官代理であったのにも関わらず自ら突撃を敢行して砲弾で戦死し、イギリス軍からも尊敬された人物です(日本語版Wikipedia「ジュゼッペ・テレーラ」)。イタリア第10軍はガルパンでも「威勢はいいけどすぐボコボコにされる」というキャラ付けにされてしまいましたが(→ガルパン同人誌とOCS『DAK-II』に見るジャグブーブの戦い (2016/11/06) )、このテレーラ将軍の件はすごい感動的じゃないかなぁ……(って、私もあまり良く認識してなかったのです(>_<))。


東部戦線におけるイタリア軍のメッセ将軍

 イタリア軍最優秀と言われるメッセ将軍ですが、北アフリカ(チュニジア)でロンメルの後に戦っていたことは知ってはいましたが、その戦域でのメッセ将軍に関する詳しい記述も見たことがなく、どのように優秀なのか知らないままでした。

 今回、ネット上で日本語の記述を探してみたら色々出てきました。


Giovanni Messe

 ↑Wikipedia「ジョヴァンニ・メッセ」から


 主に東部戦線の、CSIRのメッセの指揮に関することを引用してみます。

対ソ戦で装甲部隊を持たないというハンデを機械化歩兵と騎兵師団からなる同部隊の機動力を広大な草原地帯で最大限に発揮する事で埋め合わせた。各所でソ連軍を破るCSIR軍に、ギリシャでの躓きを見ていたドイツ軍の評価が翻るのに長い時間はかからなかった。ブラウ作戦を前にしてドイツ軍はイタリア陸軍に大規模な増派を要請し新たに山岳師団などが加わったイタリア第8軍が形成されるが、その功労者たる自身は後任のガリボルディ大将に役目を譲っていた。自身が去った後も東部戦線のイタリア軍部隊は活躍を見せているが、スターリングラード攻防戦後にムッソリーニの命令で解散されている。
日本語版Wikipedia「ジョヴァンニ・メッセ」


部隊は温存されていた精鋭の自動車化師団、快速師団、山岳師団から編成され、機動性は十分にあったが対戦車戦力が極めて欠乏しており、T-34戦車との戦闘が不安視されていた。

司令官は初め、フランチェスコ・ジンガレス大将が務める予定だった。しかし輸送中のウィーンで病に倒れた事から1941年7月14日、ジョヴァンニ・メッセ中将に交代した。メッセはムッソリーニの見栄を重んじるような無計画な装備での遠征を批判しつつも、優れた采配で軍を率いて戦果を得た。しかしドイツ軍からの増援要請にも反対した為、遂に解任され北アフリカ戦線のドイツ・イタリア戦車軍の指揮官へと移された。一方、北アフリカから入れ替わる形で後任に着任したイータロ・ガリボルディ大将(リビア総督)は逆にドイツ軍の戦争計画に協力的であり、それが元で戦後の戦争責任を問われることとなった。

ブグ河近辺でソ連赤軍第9軍の先遣部隊と接触した自動車化師団『パスビオ』はベルサリエリからなるオートバイ中隊に前線を突破させる事でこれを撃破、3500名のソ連兵を捕虜するという幸先の良い初陣を踏んだ。続いてヴィーキングSS装甲師団のドニエプロ・ペトロブス地方での戦闘を助け、エバーハルト・フォン・マッケンゼン将軍の評価を得ている。CSIR部隊はドイツ軍や同盟軍とともにドニエプル川を渡河し、ペトコリフカ市を守備するソ連軍3個師団を巧みに包囲殲滅して1万3000名の捕虜と80門の野戦砲を鹵獲した。ペトコリフカ市の占領作戦はエヴァルト・フォン・クライスト元帥からも賞賛され、戦力としての信頼は確立された。
日本語版Wikipedia「イタリア・ロシア戦域軍」


一つはドイツのバルバロッサ作戦に呼応して開始されたロシア遠征。
メッセ率いるイタリア・ロシア戦域軍は、戦車大国ソ連相手に対戦車装備を欠いており、ドイツからは全くアテにされていない有様だった。
しかしメッセはその速力を生かした機動戦でソ連軍を翻弄し、戦車など自軍で対処できない相手はドイツに任せるといった「イタリア式電撃戦」を展開。
数でも勝るソ連軍を次々と撃破して拠点を占拠してみせ、あのヒトラーですらイタリア軍の戦功を賞賛するほどの活躍を見せたのである。

メッセ - ミリ姫大戦 攻略 Wiki


そこからのジョヴァンニの戦略はまさに「イタリア版電撃戦」と言えるものでした
イタリア軍各部隊はソ連軍が強固な戦線を構築する前に機動力を活かして突破していきます
浸透戦術のように、戦線を突破した後は敵を分断し指揮系統をマヒさせ、混乱した敵を各個撃破していく
これを基本コンセプトに次々と侵攻していきます
しかしイタリア軍はドイツ軍のように充実した戦力をもっていないため、
ジョヴァンニは戦術にアレンジを加えていました
そのジョヴァンニのイタリア版電撃戦にするアレンジとは

「やばそうな敵との戦いは避けてドイツ軍を呼ぶ」

というものでした
単独で撃破できるドイツ軍と違い、
対戦車能力などが劣悪だったイタリア軍ではソ連軍を倒すのは容易なことではなく多くの被害を伴うと予測できます
兵士が畑からとれソ連軍と違い、戦力が充実していないイタリア軍はわずかな損失でも避けたいものでした
そこで単独で簡単に倒せそうな敵以外は回避し、
ドイツ軍や他の同盟軍と連携をとるように機動力を活かして移動し複数方面から攻撃をかけるようにする、
という作戦を行ったのです

この作戦は当たり前に思えるかもしれませんし、
実際当時の戦術研究を行っている軍人たちはみなこの有効性をわかってはいたのですがなかなかそれを実行することはできませんでした

なぜなら将官のプライドが邪魔をしたからです
敵から逃げ、友軍とはいえ他国の助けを恥ずかしげもなくためらいなく借りる
これを最初からやれる指揮官は、貴族出身の多かったイタリア軍将官にはほとんどいませんでした
ドイツ軍やイギリス軍にも多くはなかったでしょう
どれほどの兵士たちの命が将官や政治家のプライドを守るため失われたのか、想像もできません
イタリア軍の名誉を回復するスレ



 イタリア・ロシア戦線派遣軍団(CSIR:~1942年春)について (2017/05/12) で挙げてましたように、少なくともOCS上ではCSIRは機動力を結構持っていたように見えます。

unit00094.jpg

 確かにこれで電撃戦・浸透作戦をおこなって、やばそうな敵はドイツ軍に任せる……とかしたら、すごく面白そうです(^_^; 「ぜひプレイしてみたい……!」と思いましたが、しかしOCSではCSIRの時代はカバーされていませんし、GMT:EFSではCSIRは機動力があるようにはレーティングされていないっぽいので、無理か……!!(T_T)

 ただ、上記引用はWikipediaはまだしも、下2つは話が誇張されている可能性も無視はできないかもしれません……。


 『Sacrifice on the Steppe』だと、メッセが有能とかって話は出てきませんし、またCSIRの機動力に関しても、「機動力がなくてやばい」という泣き言が何カ所も出てきます。

 メッセが東部戦線での指揮官を解任された件ですが、ネット上で資料を見ていると「東部戦線へのイタリア軍のさらなる増派に反対したので、増派をしたがっていたムッソリーニから解任された」という風に書いてあるのばかりっぽいのですが、『Sacrifice on the Steppe』から受ける印象はやや異なります。

 P16からP17にかけて少し詳しめにメッセとムッソリーニとの会談の経緯と様子が書かれているのですが、それによると、

1.メッセがカヴァレロ将軍と会う。メッセは増派への反対論を唱えたが、カヴァレロはムッソリーニの決定だから、と言った。
2.3日後、メッセがムッソリーニと会う。ムッソリーニはメッセを褒め称え、メッセは後で個人的に会いたいと伝える。
3.同日遅く、再会談。ムッソリーニは再びメッセを褒め称え、メッセが指揮官であるのが最も良いと考えるが、ガリボルディ将軍がすでに次の指揮官として決定されたのでそれが不可能だと伝えた。
4.メッセは指揮権については何も言わず、さらなる増派に反対だということをこの後ムッソリーニに話していく……。

 つまり、まず解任された後にメッセは増派に反対という流れなのですが、しかしロシアで戦っていた頃からメッセは東部戦線への派遣に批判的でしたし、上記でカヴァレロに増派に反対と伝えたのをカヴァレロがムッソリーニに伝えていたということも充分にありそうではあります。



 あと、Google Books上でかなりの部分が見られる第二次世界大戦のイタリア軍に関する本『Regio Esercito:The Italian Royal Army in Mussolini's Wars, 1935-1943』で東部戦線時代のメッセ将軍に関する記述を探してみたのですが、以下の部分しか見つかりませんでした。

 8月14日にドイツ第11軍司令官のSchobert将軍は、イタリア軍を褒め称えた。
「困難な状況であったにも関わらず実行されたパスビオ師団の迅速な前進は、第11軍団の勝利に非常に大きな貢献をなした。」
 Schobert将軍によるイタリア軍への賞賛は正当なものであった。なぜならば、そのイタリア軍兵士達は最大の敢闘精神で戦ったからである。しかし、CSIRの司令官であったメッセによる記述は、より実際を表しているのかもしれない。
「第80[歩兵]連隊と第1ベルサリエリオートバイ中隊によるこれらの会敵に対する戦闘は、すさまじいほどのものであった。」
『Regio Esercito:The Italian Royal Army in Mussolini's Wars, 1935-1943』P105




「活躍したイタリア軍人たち」の中にアルピーニ軍団の指揮官2人が

 先日の『Sacrifice on the Steppe』 イタリア軍兵士達とロシア住民との良好な関係 (2017/05/14)で何回か名前が出てきていた、イタリア軍人の中で最も優秀とも言われるメッセ将軍について、ネット上で漁っていたのですが、それはまた後日書くとして、その最中、今読んでいる『Sacrifice on the Steppe』の主人公達とも言えるアルピーニ軍団の指揮官の話が出てきていました。


 イタリア軍は弱くない、活躍したイタリア軍人たちというスレから。

地獄のスターリングラード攻防戦で包囲されたイタリア軍。

その包囲を打ち破るために自ら先頭に立って軍を指揮したガブリエル・ナスキー将軍。

イタリア軍の精鋭と言われた山岳部隊を預かる将軍で豪胆かつ決断力に溢れていたと言われる。

部下にもよく慕われていて師団の損耗率が5割を超えても彼の部隊はよく戦って崩壊する事が無かった。


同じくスターリングラード攻防戦で活躍したグイリオ・マルティナト将軍

この人はソ連軍の包囲を破る際に殿を任せられて味方の部隊を支援する為に最後まで戦場に留まった。

結果として彼の部隊は壊滅して彼自身も戦死したけれども貴重な時間を稼いで10万以上のイタリア軍が生還する結果となった。



 こういう情報、皆さんどこから仕入れてくるのですかね~。出典書いてくれたら助かるのに!!(T_T)


 で、この2人の名前を『Sacrifice on the Steppe』の索引で探してみましたところ、ありました!

 マルティナト(Martinat)将軍の方は2箇所にしか出てきませんが、ナスキー(Nasci)将軍の方は結構たくさん出てくるようです。ナスキー将軍はアルピーニ軍団の軍団長で、マルティナト将軍の方はその参謀長だったようです。

 ナスキー将軍の方は写真を見つけました。→Gabriele Nasci


 2人とも100ページ目以降に出てくるのですが、昨日でP45まで読み進みました。ドン川沿いに配置が終わって、陣地を作ったりしてます。ドン川越しに向かい合っているロシア兵と歌を歌い合ったりしている描写が超面白いです(*^_^*)

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ゲームをしないウォーゲーマー……でしたが、最近はOCSだけはひたすらプレイしたり情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅でOCSを置きっぱなしプレイがメインになりつつありますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。
 過去に作ったイタリア軍関係動画もどうぞ。
※リプレイ記事は練習が主になっていて、間違ったルールでプレイしてる事が多々あることにご注意下さい。気付いたものはその都度新しい記事でその事を書いてますが、古い記事に修正はほどこせていませんので……。

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