民間人の服でワーテルローにいた4人の有名人

 このブログの過去のエントリを見ていて、「あれっ、おかしいゾ?」と思う記述に出会いました。

ウェリントンとヒル卿のユニット (2012/03/27)

 の中の、以下の部分。

 ワーテルローの戦場で彼【ウェリントン公】以外に民間人の服を着用していた有名人として知られるのは、彼の息子のRichmond公爵と、シルクハットに銃弾を受けて死亡したピクトン将軍だけであった。
『Waterloo:Companion』P93


 「えっ、リッチモンド公爵がウェリントン公の息子ってことに?!」

 上記エントリは2012年に書いていたもので良く分かっていなかったわけですが、その後2014年に『Children at the Battle of Waterloo』を読んで、リッチモンド公爵について結構分かってきました。例えば↓ですとか。

リッチモンド公爵はなぜブリュッセルに来ていたのか? (2014/09/20)

 改めて簡単に書いておきますとリッチモンド公爵というのはウェリントン公の元上司にあたるような人物で、ワーテルローの戦いの時にはブリュッセルに置かれていた予備部隊の指揮官という地位にあり、またリッチモンド公爵夫人が戦役直前に開いたブリュッセルでの舞踏会は映画『ワーテルロー』でも描かれた有名なものでした。そいでもってリッチモンド公爵の四男であるウィリアム・レノックス(15歳)が以前からウェリントンの副官になっていたのにちょっと前に馬から落ちて怪我して従軍できなくなっていたのを、もともと彼が配属されていた近衛旅団長メイトランドの同僚副官(18歳)がカトル・ブラの戦いで戦死したというのを聞いて矢も楯もたまらず父親のリッチモンド公爵と一緒にワーテルローの戦いを見に行って……という流れになっておりました。


 で、原文を見てみると、こうなってました。

 The only other senior personages at Waterloo known to be in civilian clothes were the Duke of Richmond, his son, and General Picton who died with a ball through his top hat.


 これはまあ、事情を良く知っているのでなければ間違ってもしょうがない感じの文だった……?(^_^;


 聞いた話として、スペイン半島戦役に登場するイギリス軍のサー・ジョン・ムーア将軍という人物がいますが、なんらかの作品では彼のことが「ムーア人【モロッコ・モーリタニアなどアフリカ北西部に住み、イスラム教徒でアラビア語を話す人々】」と訳されていたそうです。事情を知らなければそういうことって起こりますよね~(ただし綴りはMoore将軍とMoor人とで、異なるっぽいですが……)。


 一応、件のエントリは訂正しておきました……。

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シチリア島のイタリア軍沿岸防衛師団について

 シチリア戦のイタリア軍について。

 今回は沿岸防衛師団についてです。師団でない、独立部隊もあります。



CIMG3944.jpg

 ↑『Sicily II』の沿岸防衛ユニット。帯が付けられているのは師団で、兵科マークの右側の数字が師団名です。兵科マークが青色で波のマークになっていないものは沿岸防衛部隊のカテゴリではないものです。

 沿岸防衛師団は、全て海岸線に沿って配置された。2線級の部隊であり、いずれの師団も定員を大幅に割り、士気は驚くほど低かった。また、敵の上陸に備えて適当な防御拠点を準備している部隊は、数えるほどしかいなかった。
 ……
 シチリア沿岸防衛隊は、この悪天候の中、敵が上陸する筈はないとタカをくくっており、空挺部隊や上陸部隊が深刻な状況に追い込まれることはなかった。
コマンドマガジン別冊 第7号『シチリア撤退作戦』P4~5


 1943年までに総計で25個の沿岸防衛師団が編成され、そのうち5個師団と2個旅団がシチリア島に配置された。
 この沿岸防衛師団は、シチリア島における最も弱体なイタリア軍部隊であった。これらの部隊はわずかな正規兵を含めただけでほとんど地元からの兵で構成されており、訓練は乏しく、装備は貧弱で、機動性もなかった。武器のほとんどは、フランス、ユーゴスラビア、ギリシアからの戦利品であった。海岸線に沿って薄く広げて配置された状態で、平均で1kmにつき26troops【中隊? 人?】、対戦車砲は8kmに一門しか配備されていなかった。彼らの主要な役割はコマンド部隊の上陸に対処することであって、本格的な上陸作戦に対してではなかったのだ。
『Sicily 1943』P18


 沿岸防衛師団は二線級の師団であり、労役や第二線の任務のために集められた40代や50代の男達で多くが編成されていた。地元で徴兵された彼は多くの場合、退役から再呼集された将校によって指揮されていた。彼らの装備もまた二流のものであり、ムッソリーニは解体されたヴィシー・フランス軍から大量の武器装備が得られるものと期待していたが、それらの多くはわざと破壊されていたり、弾薬がないまま到着していたりした。
Wikipedia:206th Coastal Division (Italy)



 40代、50代というと、我々日本のウォーゲーマーくらいですよね~。前線の兵士としては全く役に立たない体力しかないと思います。

 何かの資料で、「地元民の方が地元のためにより戦うであろうから」ということで徴兵されていたのだけども……というのを読んだ気がするのですが、むしろ地元民だと土地勘があるとか故郷が近いからという理由で逃げ出す率が高くなりますよね。実際、『Sicily and the Surrender of Italy』を読んでいるとどんどん降伏してましたし。

 『Sicily II』では3分の1の確率でしか戦わず、枢軸軍プレイヤーにとっては泣ける話ですが、しかしもし自分がこれらの部隊に配属された身だとすれば「戦うなんてやってられるかー!」という話で泣けますよね……(T_T)

脚に被弾したアクスブリッジ卿に、ウェリントン公はなんと言ったのか?

 『Children at the Battle of Waterloo』を読み返してましたら、ヨーク公がアクスブリッジ卿が副司令官になるように無理矢理押し込んだ……という話が載ってまして、そこらへん興味を持って調べようとしてましたら、むしろアクスブリッジ卿が片脚を失った(失うきっかけとなった被弾の)時の会話の話が出てきたのが気になって、そちらを調べてました。


 とりあえずまず、ウェリントンとアクスブリッジの関係に関して。

 ウェリントンはまた、摂政王子とヨーク公に贔屓されていた比較的経験の浅いアクスブリッジ卿に、騎兵指揮の全権を与えざるを得なかった。彼はまた、ウェリントンの弟の妻と駆け落ちした人物で、それが恐らく彼の応対の冷たさの一因となっていた - 戦場では反目は明らかには見えなかったけれども。
- 『Waterloo Companion』P26 -



 脚を被弾した時の大体の状況に関して。

 戦いはほとんど終わった。プロイセン軍はパペロットとラ・エイ・サントで戦場に現れた。そして、その夕方七時半ごろ、ウェリントンは英語の新しい表現をもう一つ生み出した。彼は全軍による進撃を決意し、「さあ、始めたからには、最後までしろ(In for a penny, in for a pound.)」と。フランス陣営に向かって帽子を三回振って合図をすると、騎兵も歩兵も、目の前の平原に向かって斜面を駆け降りた。それが最後だった。ネイはなおも猛り狂いながら、捕まれば、どうせ絞首刑だ、とデルロンに向かって叫び、ナポレオンは予備の近衛軍をすべて投入して、総崩れになったフランス軍を押し止めようとしたが、その努力は空しかった。ウェリントンが愛馬コペンハーゲンを駆って、アクスブリッジと並んで前進中、敵の流れ弾がその乗馬の首筋をかすめてアクスブリッジの膝にあたったのはこのときである。
『ウェリントン公爵と皇帝ナポレオン』P287



 『Children at the Battle of Waterloo』には以下のように書かれています。

 実際には負傷したのはウェリントンではなくて、気の毒なアクスブリッジであった。ブドウ弾が彼の膝を打ち砕き、その後ウェリントンの乗馬の首筋を通り過ぎた。ウェリントンが退却するフランス軍を望遠鏡で見ている時に、アクスブリッジが叫んだと言われている。
"By God, Sir, I've lost my leg."
ウェリントンは望遠鏡を目から外しながら言った。
"By God Sir, so you have."
『Children at the Battle of Waterloo』78%の辺り



 これを何と訳すのか……? なんですが、「so you have」とかって基本的に出てこないのです。

 「by God」に関しては英辞郎で見てみると、

【1】神によって
【2】神かけて、絶対に、きっと、必ず
【3】おや、くそっ、ちぇっ

 とあります。ありそうなのとして、アクスブリッジは「くそっ」という意味で言ったのだけども、ウェリントンは「神によって」という意味で返したとか……?


 映画『ワーテルロー』にもこのシーンがあるのですが、恐らくこの"By God, Sir, I've lost my leg.""By God Sir, so you have."でもって、「片脚 失いました」「片脚……しっかり……」という風に和訳されていて、これはかなり有力な訳なのでしょうか?

 ↓2:08辺りから。





 The Battle of Waterloo: is this the most British conversation ever to be held on a battlefield?というサイトを見ていますと、ウェリントンが冷静であるということもあるかもしれないけども、8人も子どもをもうけた妻を捨ててウェリントンの弟の妻と駆け落ちし、決闘するなどという大スキャンダルを巻き起こし、無能な摂政王子とヨーク公から無理矢理押し込まれたアクスブリッジに対して冷淡であったからという可能性が……というような事が書いてあり、「冷淡な返し」であることが可能性としてあり得るっぽいです。


 一方、『The Battle』にはこうありました。

 公爵がその突撃を承諾した時、アクスブリッジ伯爵はそれを自ら率いるつもりであった。だがまさにその瞬間、砲弾の破片が彼の右膝を打ち砕いた。アクスブリッジは叫んだ。
"By God! I've lost my leg!"
 ウェリントンは冷静に返答した。
"Have you, by God?"
 この逸話は作り話かもしれないが、名誉の規範を忠実に守る彼らジェントルマン達は、危険に直面した時の平静さと自尊心を何よりも大事にした。このことは、この2人の指揮官から遠くない場所にいた第18ユサールのDuperierの目撃証言からも裏付けられる。彼はアクスブリッジ伯爵が突然ヴィヴィアンと握手をし、その後歩いて自分の馬をひきつつ後方へ向かうのを見た。Duperierはアクスブリッジが負傷したのかと気付いたが、
「だが、彼は誰からもそう見えないように非常にうまく行動していた。」
 その後すぐ、ワーテルロー村のある家で軍医がアクスブリッジ伯爵の片脚を切断し、伯爵はそれを庭に埋め、称賛されたのであった。
『The Battle A New History of Waterloo』P280


 この本は意味がとりにくいので、誤訳も全然あるでしょうがとりあえず。この本では「冷淡」ということではなく、「平静さ」ということが重視されているようです。

 で、この会話文を見ていて、う~ん、こう……かな? と思ったのは……。

"By God! I've lost my leg!"(「神よ! 脚が一本なくなった!」)
"Have you, by God?"(「神がそうなさったのか?」)


 で、ここらへんまで見たところで、ネット検索してみてたらなんと、英語版Wikipedia上に“Lord Uxbridge's Leg”という項目が! すごい(^_^;

 ……アクスブリッジはこの戦いの残りの間、イギリス軍の軽騎兵部隊による繰り返しの突撃を率いており、乗馬を撃たれて8~9回失っていた。

 1815年6月18日の最後の砲弾のうちの1つが彼の右脚に当たり、膝から上の切断手術を余儀なくされた。伝えられるところによると、恐らく作り話ではあるが、この負傷の時に彼はウェリントン公爵の近くにいて、
"By God, sir, I've lost my leg!"
と叫び、それに対してウェリントンはこう答えたという。
"By God, sir, so you have!"

 恐らくより真実に近いやりとりは、ウェリントンの友人であったJ.W.Crokerが1818年12月8日の日記に書いたもので、そこには戦場から負傷したアクスブリッジを運んだHorace Seymourとの間の会話が書かれている。Seymourはこう言っていたそうだ。
 アクスブリッジが撃たれた時、彼は叫んだ。
"I have got it at last,"
 それにウェリントン公は答えて言った。
"No? Have you, by God?"
Wikipedia“Lord Uxbridge's Leg”


 で、結局どう訳すかの壁にぶち当たります。無理くり「こんなんどうです?」的に訳してみると、

"By God, sir, I've lost my leg!"(「くそっ、脚を一本失いました!」)
"By God, sir, so you have!"(「神が君にそれを与えたのだから!」)

"I have got it at last,"(「ついにやらかした」)
"No? Have you, by God?"(「いや? 天罰じゃないか?」)

 とか……。

 ウェリントンの発言の原文は、分かりにくいことが多いです。英語できる人に教えてもらいたいです……。


 アクスブリッジですがその後、脚の切断手術(当時は麻酔なし)を平然と受けたそうで、これまた賞賛されているようです。

『ナポレオンとバイエルン』という本が出てました

 またぞろ、ぼーっとネットを見ていましたら、『ナポレオンとバイエルン』という本が出ているのを見つけました。




 ↓こちらに詳しい情報が。

ナポレオンとバイエルン - バイエルン王国の成立



 南ドイツ、フランスとオーストリアの間に位置するバイエルンは、ナポレオン戦争ではフランスの従属下にあってイヤイヤながらも親フランス側で戦わされていたのですが、1814年にようやく対仏大同盟側に鞍替えすることができました。

 そこらへんのことについて、バイエルンのブレーデ将軍を中心に以前書いてました。→フェルトヘルンハレに顕彰されたヴレーデ元帥 (2015/03/28)

 その時参照していたメイン資料は『バイエルン王国の誕生』という本で、こちらはバイエルン国内側からの苦闘が話の中心でしたが、『ナポレオンとバイエルン』の方はより、ナポレオンとの絡みが重視されているっぽいですね。2016/11と書いてあるので、ごく最近出た本のようです。

 私はこういう周辺的な話が大好きなので早速注文してみましたけども、世の中的にこういう本はセールス的に大丈夫なんでしょうか……?(^_^;

ものすごいウェリントン公好きの人を発見!

 子ども向け洋書の話ですが、イギリスでもって子ども向けの伝記シリーズとかってないのかなぁ……と思って探索継続していたのですが、よくわからず。

 とりあえず、↓のものを見つけたので、注文してみました。子ども向けだと思うのですが……。




 あと、↓は購入して読み始めてみてます(分量は思ったより少なかったのですが、文体的にまあまあ面白いような気がしてます)。





 『Children at the Battle of Waterloo』の読み返しを始めたのですが、色々読み飛ばしていたとおぼしきことがあって、興味深いです。とりあえず、リッチモンド公爵はなぜブリュッセルに来ていたのか? (2014/09/20)で書いていたことに案の定誤認があったので、追記しておきました。

 そこらへんのことで検索しているうちに、日本人の恐らく女性の人でえらいウェリントン公好きの人がいて、Pixivやツィッターでその周辺のキレイな絵を投稿されているのを見つけました。(略)33号さんという方で、検索すればすぐ出てきますので、興味のある方は見てみて下さい(*^_^*)

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ゲームをしないウォーゲーマー……でしたが、最近はOCSだけはひたすらプレイしたり情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅でOCSを置きっぱなしプレイがメインになりつつありますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。
 過去に作ったイタリア軍関係動画もどうぞ。
※リプレイ記事は練習が主になっていて、間違ったルールでプレイしてる事が多々あることにご注意下さい。気付いたものはその都度新しい記事でその事を書いてますが、古い記事に修正はほどこせていませんので……。

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