OCS『DAK-II』クルセーダー作戦シナリオ研究2回目

 ミドルアース大阪に行って、OCS『DAK-II』「クルセーダー作戦」シナリオの研究2回目をワニミさんとプレイしました。

 前回(OCS『DAK-II』クルセーダー作戦シナリオ研究 (2017/01/15))やってみた時には英連邦軍の兵力が少ないような気がして、どうにもならないのではないかと思われたのですが、「攻勢ジャンキー」のワニミさんならなんとかしてくれるのではないかと、ワニミさんに英連邦軍を担当していただきまして……。


 ↓先攻(英連邦軍)ターン終了時

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 ワニミさんはまずトブルクの南西にいたイタリア軍スタックをヒップシュートして混乱させた後、トブルクから戦車部隊でオーバーラン。その後トブルク解放に南東からかけつけた部隊がトブルクに大量に集積されていたSPを用いて戦果を拡張。

 また、トブルクの東側にいた枢軸軍の装甲師団には観測ユニットを張り付かせて航空爆撃でDGに。トブルクの南にいたアリエテ戦車師団の箇所にはニュージーランド師団を張り付かせ、シディ・オマールやハルファヤ峠などにも攻撃を加えて陥落させました。

 枢軸軍の補給線は赤い点線のように2本通っているのですが、これでその2本ともを遮断したことにもなります。


 私などは全然どうしたらいいか分からなかったのに、どんどん枢軸軍に損害を与えていき、補給線を脅かすワニミさんに感嘆……。↓損害ユニット

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 前回のエントリ(OCS『DAK-II』クルセーダー作戦シナリオ研究 (2017/01/15))の時に挙げていた「イギリス連邦軍側の好材料」5つの他に今回分かった(ワニミさんが気付かれた)のは、

6.(前のターンが暴風雨のために)すべての航空ユニットが非活動状態になっているが、先にイギリス連邦軍側のターンが来るために、先に航空ユニットを整備して、枢軸軍航空ユニットが全く飛ばない中を一方的に作戦できる。

 ということ。これは確かにかなりでかいです。

 あ、あと、

7.先攻英連邦軍ターンには枢軸軍のリアクションフェイズはなし(シナリオ特別ルールにより)。

8.猛将ゴットと“ジョック”キャンベルの2人の指揮官が前線にいて、突破フェイズやリアクションフェイズに1D6で3以上を出せばスタックを動かせ、さらに戦闘時には任意でARを1プラスすることもできる(ただし死傷チェックしなければならない)。しかも指揮官は、移動フェイズ終了時にいた場所から、突破フェイズのスタック移動開始時に任意の場所にワープできる。

 というような好材料もありました……(前回あまり認識してませんでした)。

 指揮官に関して言えば、枢軸軍にも1D6で2以上を出せば同じことができるロンメルがいますが一人だけで、しかし他にARを上げることやワープはできないが1D6で4以上を出せば同じことができるカンプフグルッペマーカーが8個ほどもあります。

 カンプフグルッペのダイス目が良ければものすごいこともできそうですが、ともかくもクルセーダー作戦シナリオの最初のターンにはリアクションフェイズがないですからね……。


 
 一応、枢軸軍としてこれにどう対応できるかをやってみたのですが……。

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 まずはビル・エル・グビのアリエテ戦車師団でニュージーランド師団をどけることが最も大事だと考え、ロンメルをワープさせてARを+1させた上で攻撃を行いました。戦闘のダイス目は結構良かったのですが、その後の死傷チェック(2D6)で2が出て、ロンメルが戦死!(T_T) ロンメルは死傷チェックに+1修正があって死ににくいのですが、出目が2では+1しても戦死なのです……。

 しかし、常日頃からダイス目が悪いことでは定評がある私のことですので、「まああるかな」とは思ってましたし、見ていたこかどさんもワニミさんも「やっぱり」という感じだったようです(T_T)

 しかし一応、ロンメルがいなくなったら出てくる「DAK Leader」マーカー(クリューヴェル、ネーリング、あるいはバイエルラインといった適当な人物を表しているらしい)を置いて、1ステップだけ生き残っていたニュージーランド師団残余を最大コラムでAR+1して殴った後死傷チェックをしたところ……。

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 4の目が出て、英連邦軍の捕虜となってしまいました(>_<) 捕虜は敵が同意する条件で返してもらうことができるのですが、ワニミさんに聞いてみると、

「リビアから出ていけ!」
「リビアは最初からイタリアの植民地ですがな!」


 と交渉は決裂(^_^;

 っていうか私、ダイス目に関して才能豊か過ぎませんか……。大学時代からここぞという時のダイス目がはかったように悪くて、「エンターテイナー」と呼ばれていたのですが……。



 若干体調も悪く、これ以上のプレイはやめておいたのですが、ワニミさんとしては「これはとにかく攻勢しろと言われたから極限までやった極端なプレイで、この後枢軸軍にメタボロにやられてしまうのではないかと思うがどうなるか……?」と仰っておられました。しかし枢軸軍側の私としては「この作戦は確かにアリ……いや寧ろこれこそが絶対じゃあ」と思えるような要素が多分にあり、枢軸軍側としてもフォート・カプッツォとかバルディアはいったん放棄して、トブルク包囲環を閉じたり、補給路を開通させねばならず、また枢軸軍側としても色々な足かせを抱えているなぁということが実感できました。

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OCS『Case Blue』「世界の果て」第5~7ターン

 尼崎会(拙宅)にて、ワニミさんとOCS『Case Blue』「世界の果て」シナリオの第5~7ターンをプレイしました。

 前回はこちら→ OCS『Case Blue』「世界の果て」第1~4ターン (2017/02/13)


 ↓第5ターン終了時

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 枢軸軍がついにモズドク(写真中央やや上)を包囲。




 ↓第6ターン終了時

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 ソ連軍はモズドクに5ステップほどの戦力を置いていたのですが、集積していたSPだけではすぐに枯渇して損耗チェックが始まってしまうので一部の戦力を脱出させてしまおうと画策。枢軸軍はさらにその東のソ連軍ユニットにもとりつき始めてます。




 ↓第7ターン終了時

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 モズドクが陥落。ソ連軍はその東のユニットを下げたものの、そこも含めて枢軸軍ユニットが包囲の構え。



 SPが少なく、「じりじりと集積→大量に消費」とやっていくことが絶対的に必要そうです。爽快感には欠けるためにOCS初心者向けかどうかは分からないけども、シナリオとして非常に面白いとワニミさんが評価されてました(*^_^*)

 まだまだ続けてやっていく予定です。

OCSプレイエイドグッズをさらに整備

 前回の『Case Blue』「ウラヌス攻勢」キャンペーンのプレイの時から、小さいホワイトボードを用意してOCSのプレイ環境の改善を図っていたのですが、その時の経験を踏まえてさらに環境の改善を図ってみました。


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 前回はなかった大きめのホワイトボードも買ってきまして、部屋の両サイドの壁に1つずつ貼ってみました。

 補充や補給、鉄道輸送力はある一定の修正なり値なりが与えられているんですが、数値を忘れてしまって毎ターン確認したりしていたので、その時間を取らなくてもいいように、常にすぐ見えるようにしておこうと。

 他にも、公開しておいていいような情報はここに記載しておくことを考えてます。



 ↓値段が安くて、重さが軽くて、このシリーズオススメです。A3の方は壁に。A4の方は後述のように手元で使用。






 ただし付属のペンは普通の太さで、私は極細が好きなので、↓を購入して使ってます。








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 こちらは手元に置いておくような小さなホワイトボードです。前回には前述の数値などもここに書いていたりしたんですが、公開情報は壁に貼ったホワイトボードに書いておけばよいのでそうして、こちらは隠しておくべき情報や、マップを見ながらの方が書きやすい情報を。

 自軍のマップ上のどこにSPがどれだけあり、またその地点間の移動力がどれだけかかるかが書き込んであります。こうしておくと、いちいちマップ上で何回もSPを確認する必要がなくなりますし、また輸送トラックでSPを運ぶ際にホワイトボード上でかかる移動力を計算してぱぱっと終了させることができました。これはすばらしい! OCSプレイの際にはぜひこういうのを使ってみて下さい。劇的に補給の管理が簡単になる気がします。




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 こちらはワニミさんが作成されたSP記録シート。これにすべてのSPの出入りを記録していくことにしました。後で見返してプレイの改善に役立ちそうです。まだ慣れていなくて記載忘れとかミスが頻発はしているのですが……(^_^;

 公開OKということでしたので、↓に置いておきます。使ってみて下さい(*^_^*)

OCS SP記録Sheet




OCS『Case Blue』「世界の果て」第1~4ターン

 拙宅(尼崎会)にて、OCS『Case Blue』「世界の果て」シナリオをワニミさんとプレイしました。

 受け持ちはサイコロを振ったところ、私がソ連軍に(ソ連軍の方が気が楽だろうと思ってはいたのですが……(^_^;)。


 史実を全然知らないのでプレイ中に調べていたのですが、ここでまとめてみます。

 ↓ネット上に転がっていた、ドイツ軍の最大進出線らしきラインを重ねてみました。

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 青作戦はこれまで興味を持っていなかったからか、手持ちの書籍では『歴史群像 2013年 12月号』くらいしか紹介に値するものがなく……。



 8月25日、第3装甲軍団の先頭を走る第3装甲師団は、ロストフとバクーを結ぶ鉄道線上の要衝モズドクを占領し、グロズヌイの油田地帯まで75キロの距離にまで迫った。だが、コーカサス山脈第二の高さを誇るカズベク山(標高5033メートル)を水源に、モズドクを経てカスピ海に流れ込むテレク川に沿って展開するソ連軍の2個軍が局地的な反撃に転じたため、ドイツ軍の進撃はそこで一時停止を余儀なくされた。

 ソ連軍は、カスピ海の港湾都市マハチカラから鉄道で補給物資を大量に運び込むことができたが、独ソ国境から1750キロ離れた東部戦線の最奥部に進出したドイツ側は、最前線まで充分な補給物資を送ることができず、故障した戦車の修理も後回しにされていた。その結果、第1装甲軍の保有する戦車台数は、8月末の時点で150両を下回り、彼らがコーカサスで新たな突破作戦を実行することは困難な状況となっていたのである。

 ドイツ軍は9月4日以降、テレク川の渡河攻撃を繰り返し実施したが、ソ連軍の抵抗も日に日に強まり、戦況は一進一退の様相を呈し始めていた。
『歴史群像 2013年 12月号』P63,64



 この後は日本語版Wikipedia「ブラウ作戦」から。

 10月6日、ドイツ軍はマルゴベクに至るが、ソ連軍の抵抗と石油不足によって一時攻勢を停止せざるを得なくなる。この時ソ連軍はドイツ軍の爆撃を受けつつもアストラハンからの補給線を確保し、現地のパルチザンとも協力して抵抗を強めていた。ソ連軍の戦略的撤退は完了し、反撃の為の補給を受けつつあったのである。初期の作戦ではスターリングラードとアストラハンの両都市を制圧後、バクーを攻略する計画であったが、B軍集団のスターリングラードでの苦戦によって連携を欠いていた。またマイコープからバクーまでの行程はそれまでの平原とは違い、カフカース山脈の尾根が連なる山岳地帯であった。この地域の道路は他のソ連領内同様に整備されておらず、鉄道も破壊されており、補給もままならないためドイツ軍の進撃は滞った。このような地形は装甲部隊の進撃には適しておらず、逆にパルチザンやソ連軍にとって防衛には適していた。それでもドイツ軍は10月25日にテレク川の南で攻勢を再開し、オルジョニキーゼ付近まで進出したが、ついにグロズヌイから僅か60キロの所でついに石油が尽き、進撃を停止してしまった(結果的にはここが東部戦線におけるドイツ陸軍の最遠進出地となる)。



  「世界の果て」シナリオは1942年8月8日から10月25日までなのですが、このオルジョニキーゼ付近への進出の時期までを扱うということであるようです。が、最大進出ラインは11月19日と書かれている資料があったりするのですが……。



 これらより詳しい資料をネット上で探していたら、『巨人たちの戦争 第4部:極限編』というネット上で公開されている?ノンフィクション小説が見つかりました。[4] ドイツ軍最後の目標というページです。

 8月25日、A軍集団の先鋒を担う第1装甲軍はロストフとバクーを結ぶ鉄道が通るモズドクを占領し、グロズヌイの油田地帯まで75キロの地点にまで迫った。

 だが、カフカス山脈を水源に、オルジョニキーゼからモズドクを経てカスピ海に流れ込むテレク河の手前で、第9軍(パルホメンコ少将)と第37軍(コズロフ少将)がドイツ軍の進撃を食い止めるべく、反撃に乗り出してきた。北カフカス正面軍の反撃は当初は規模が小さく、A軍集団が被った被害は軽微だった。

 8月28日、第58軍(ホメンコ少将)がテレク河の防衛線に投入され、局地的な反撃に転じたことで、A軍集団の進撃は一時停止を余儀なくされた。

 A軍集団は9月4日以降、テレク河の渡河攻撃を繰り返し実施し、同月12日にはテレク河の南岸に奥行き45キロほどの橋頭保を確保した。しかし、北カフカス正面軍の抵抗も日に日に強まり、戦況は一進一退の様相を呈し始めていた。モズドクから最終目的地のバクーまでは、まだ580キロの距離があったが、冬の到来までにA軍集団がカフカス山脈を越えられる見通しは事実上、皆無だった。


 これはこれでありがたいですが、さらにこれ以上のことを知りたいとGoogle Booksも含めて検索してみたんですが、なんか見つけられず……。


 まあともかく、リプレイです。


 ↓第1ターン(8月8日)先攻(枢軸軍)終了時。

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 枢軸軍としては鉄道線がまったく変換されていないので補給源が盤端にしかなく、そもそも一般補給が5+1、7+1の14ヘクス先までしか届かないのだとか。また、ソ連軍側としては鉄道妨害(航空阻止)で移動を妨害したりもしたのですが結果として最前線にいたユニットがちょうど包囲されるだけの移動力分が残っていたそうです(^_^; SPが乏しいので、「別に攻撃しなくてもよくね?」ということで攻撃はされず。


 ↓第1ターン(8月8日)後攻(ソ連軍)終了時。

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 増援を一生懸命前に送り込んでます。包囲された部隊には輸送機で補給を降下させ、一般補給を供給。


 ↓第2ターン(8月12日)先攻(枢軸軍)終了時。

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 マップ北端からやってきた増援を南下させます。ソ連軍ユニットの(半)包囲は継続したまま攻撃せず。


 ↓第2ターン(8月12日)後攻(ソ連軍)終了時。

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 モズドクに近づいてきていたドイツ軍部隊に「観測ユニットを出して爆撃できるんじゃ」と言われて「なるほど」と思いやってみました。頑張って部隊をちょっと前に出していってますが、移動力がなくてもたもたしてます。


 ↓第3ターン(8月15日)終了時。先攻(枢軸軍)終了時に写真を撮り忘れてました(^_^;

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 枢軸軍にはようやく鉄道工兵が到着し、変換が始まってます。2ターンに渡って包囲下にしていたソ連軍ユニットをようやく攻撃して除去。

 ソ連軍側は、西端のドイツ軍の喉元に残ったままのソ連軍ユニットが元々持っていたSPが乏しくなりはじめていたところにこれまた航空輸送(こちらは航空基地がある&ドイツ軍の戦闘機がまだこの戦域にいないので、自動的に成功)で追加の補給を送りました。


 ↓第4ターン(8月19日)先攻(ソ連軍)終了時。

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 初めて枢軸軍がイニシアティブを取り、ダブルターンを実現するために後攻を選択しました。先攻となったソ連軍は、後攻ドイツ軍ターンに増援でドイツ軍戦闘機が到着するため、さきほどの場所にほぼ最後の機会として補給を航空輸送します。

 また、モズドクの陥落は避けられないと考えられる(そもそもモズドクが包囲されると、その周辺までSPを届けられないので現状では何の作戦のしようもない)ので、モズドクにはある程度の戦力と補給をストックしましたが、その南東の補給が届けられる辺りに防御ラインを構築し始めてます。


 ↓第4ターン(8月19日)後攻(枢軸軍)終了時。

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 ソ連軍は先攻ターン中に鉄道妨害(航空阻止)をしており、ワニミさんは「こんなん作戦できへん」とぼやいておられましたが、モズドクを第3装甲師団で半包囲し、またオルジョニキーゼ方面にも第23装甲師団がやってきました。

 この日は時間的にプレイはここまで。一応次のターンの天候とイニシアティブを振ってみたところ、初めての「No Flight」となり、イニシアティブはソ連軍側が獲得したため、「ドイツ軍にダブルターンはさせない!」と先攻を獲得……というところで続きは次回の尼崎会で。


 ソ連軍側の印象としては、総じてARが低いのと司令部が1個しかないのでやれることの限界が大きいですが、しかし航空ユニットが8個ほどもあって最初の3ターンはドイツ軍機がいなくて作戦し放題なので爽快です(^_^; 観測ユニットが用意できる機会の方が少ないこともあり、鉄道妨害(航空阻止)と補給の航空輸送が大活躍でしょう。今後はARが高い部隊や司令部もやってきて、限定的に反撃もできるのかもです。

 ドイツ軍側としては、ワニミさんが「装甲2個大隊と専用トラックを40ヘクス先の、ソ連軍の鉄道結節点に送り込んで座り込ませるべきだった。一般補給が届かないからって進まないとか、甘すぎた……!」と仰ってました。確かにその作戦はありかも……と私も思いました。そういう作戦を思いつかれるワニミさんに尊敬の念を禁じ得ませんが、ワニミさんは「それを最初のターンに思いつかなきゃならないんだよね」とも。


 まだ「世界の果て」シナリオを継続していくつもりですが、出てくるユニットが少なくターンがぽんぽん進むという意味でもこのシナリオも初心者向きではあろうなと。ただ、攻勢側も我慢して我慢して……という感じでもあり、最初の数ターンの損害数がかなり少なくなる希有なシナリオでもあるので、そこらへん他のシナリオのような爽快感は少なめではあろうと思いますが。


 次回は2月19日にミドルアース大阪に行って、『DAK-II』クルセーダー作戦をやってみようという話になりました。

OCSのユニットで見るベルサリエリ部隊

 今回はイタリア軍の中の、ベルサリエリ部隊について。

 日本語版Wikipedia「ベルサリエリ」から抜粋。

 ベルサリエーリ(イタリア語:Bersaglieri)とは、イタリア陸軍における歩兵科のひとつ。1836年6月18日にアレッサンドロ・ラ・マルモラ将軍(it:Alessandro La Marmora)の提案によりサルデーニャ王国のピエモンテで基になる部隊が創設される。19世紀、ベルサリエーリ部隊の主な役割は偵察、先遣任務および戦列歩兵の側面支援などの典型的な軽歩兵特有の任務がその始まりであった。日本語では狙撃隊員、狙撃兵などとも訳される。……

 マルモラ将軍の提案にあったその任務を遂行するには強力に自律的な行動ができるよう求められる。従って、隊員達は敵中で孤立しても適切に行動できるように特別な訓練を受けて、堅固な意志をもって「不意を討ち、妨害し、敵の計画を妨げる」ことが求められた。外見的特徴にはヨーロッパオオライチョウの黒い羽で飾られたヘルメット、そしてパレードにおける独特の高速行進がある。


 英語版Wikipedia「Bersaglieri」には上記に加えて以下のような記述もありました。

起源と歴史
 比較的貧しかったサルディニア王国は大規模に騎兵を持つ余裕がなく、そのため素早く移動する射撃兵の歩兵部隊が必要であった。これらの部隊は身体能力と射撃能力の水準が高くなるように訓練された。彼らは隊形を組んでなくても作戦行動を行えるようにするために、フランス軍の猟兵のように高いレベルでの独立性と自発性を持つようにされており、その結果として直接指揮を受けなくても戦うことができた。……


第二次世界大戦
 イタリアは第二次世界大戦の開始時に、ベルサリエリ12個連隊を持っており、それぞれは3個大隊で構成されていた。それまでの数年間にベルサリエリはその質を薄めるようにという提案に抵抗してきており、依然として平均を上回る体格とスタミナを持つ者を採用し、激しい身体的訓練に耐え、狙撃兵としての質を維持していた。第二次世界大戦中にもさらに第18ベルサリエリ連隊が3個大隊構成で編成されたが、うち実際に戦闘をおこなったのは1個大隊のみであった。




 「ヨーロッパオオライチョウの黒い羽で飾られたヘルメット」というのは以下のようなものらしく……(すべてWikipediaから)。

 ↓現代のベルサリエリ兵。
Italnato2


 ↓北アフリカの戦いでのベルサリエリ。
Bundesarchiv Bild 101I-783-0119-23A, Nordafrika, italienische Krad-Fahrer


 ↓ロシア戦線でのベルサリエリ(1941)
1941. Итальянские мотоциклисты-берсальеры в пригороде Сталино



 かなり大きな羽根っぽいですが、基本的に必ず付けている?

 今回画像検索していて気付いたんですが、私がかつて関わった『SLGamer Re:informence vol.1』の表紙ってベルサリエリだったんですね……全然分かってませんでした(>_<)


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『SLGamer Re:informence vol.1』に関してはSLGamer RE:再評価されるべきイタリア(2013/09/07) で書いてました。中の記事「再評価されるべきイタリア、そしてイタリア軍の悲劇」をそちらで公開していますので、それもどうぞ(*^_^*)



 ベルサリエリに関して、Google Booksで見つけた資料には、こんなものもありました。

 特徴的なおんどりの羽根飾りをヘルメットに付けていることで知られるベルサリエリはイタリア軍における精鋭部隊であると見なされていた……ほとんどの場合イタリア軍の標準的な部隊よりも火器と装備に優れており、ベルサリエリはしばしば連隊規模で機械化部隊に配属されたり、オートバイ部隊や自転車部隊として編成された。
『Encyclopedia of Elite Forces in WWII』P121




 『イタリア軍入門』には以下のようにありました。

 ベルサリエリの意味は「狙撃兵」だが、近代では"自動車化歩兵部隊"の役割を担った。……

 第二次大戦でベルサリエリ部隊は機械化され、SPA41装甲車やL6軽戦車も配備して高い機動力を有した。これらの部隊は陸軍機甲/自動車化師団に分散して配属されてバルカン、アフリカ、東部戦線と全戦線で投入され、ロシアでは1941年に『アオスタ候』快速師団所属の第3連隊はスターリノ占領にも貢献。1942年には第6連隊も加わり、ドンからドネツにかけての攻防戦を繰り広げている。
『イタリア軍入門』P236



 "自動車化歩兵部隊"とあるのですが、OCSのユニットで見ていくと『Tunisia II』『Sicily II』では全く自動車化されていない、単なる歩兵であるようなユニットもあります。ただそれは、それまでの戦いでトラックやオートバイなどを失ったが故に「単なる歩兵部隊」となるしかなかったからかも?



 ということで、いよいよOCSユニットで見ていきましょう。OCSのベルサリエリ部隊には兵科マークの左側に「Brs」の文字が入っています。

 まずは『Case Blue』から。

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 アオスタ候快速師団中の、第3ベルサリエリ自動車化歩兵連隊、第47ベルサリエリオートバイ歩兵大隊、第67ベルサリエリ軽戦車大隊、第6ベルサリエリ自動車化歩兵連隊……ということになりましょうか。

 ベルサリエリも含めてアオスタ候快速師団の各ユニットはARが高くて非常に頼もしいです。47BrsはAR5ですし、軽戦車大隊(と砲兵)を除けば基本的にARは4あって、当時のソ連軍には引けを取らない質の高さを誇っています。



 ↓『DAK-II』のベルサリエリユニット。『DAK-II』特有の「部隊名の一部が印刷されていない(>_<)」問題により、第10ベルサリエリ連隊と第57ベルサリエリ大隊には「Brs」の文字が抜けているのですが……(T_T) 第9ベルサリエリ連隊が2つあるのは、途中で(完全自動車化されて)置き換えられるためです。アリエテ戦車師団のユニットも途中で置き換えるのがたくさんありますが、全部まとめて貼ってあります。

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Bersaglieri05.jpgBersaglieri06.jpg
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 『Rommel's North Africa Campaign』にはP35~39にかけてベルサリエリに関する長いコラム記事があり、そこで結構詳しく(特に北アフリカにおける)ベルサリエリについて書かれています。以下、細切れに説明を加えていきます(分かりやすくするために順番が前後していることがあります)。

 まずベルサリエリ全般について。

 ……【第一次世界大戦時の参謀長である】Diazの見解では、彼らは「快速師団のための自転車部隊として、強襲部隊のための要員として用いられる」べきであるということだった。
 ……
 これらの機動部隊によって、イタリア経済と戦争産業の弱点が露呈した。1939年のイタリアには29万台の車が登録されていた(112人に1台の割合)に過ぎず、これは一つには他国より燃料代が高かったことが原因であったが、そのために運転技術や機械に関する知識のある、機動部隊に適した人材がほとんど育たなかったのであった。しかしそれにも関わらず、ベルサリエリは(アルピニ部隊と同様に)質の高い下士官に恵まれており、それはイタリア軍の中では希有なことであった。





 次に北アフリカにおけるベルサリエリ。

 北アフリカでは6つのベルサリエリ連隊が戦い、さらに特にエル・アラメイン戦後に中隊レベルの小さな部隊がいたが、第8ベルサリエリ装甲車大隊【トリエステ】のような独特な、装甲車や捕獲車両に乗っていた部隊もあった。


 「中隊レベルのベルサリエリ」ですが、『DAK-II』には4つのベルサリエリ中隊ユニットが入っていますが、その登場時期を調べてみるとエル・アラメイン後ではなくむしろ最初から~最初期に登場していました(「ProvBrs」も含めて)。

 具体的には、22Brsと61Brsはキャンペーンの最初のグラツィアーニ攻勢(1940年9月)の時にはすでに戦場にいます。『DAK-II』のルールブックのVol.IIに収められているヒストリカルノートにはマニアックな歴史的項目が詳細に紹介されていて、その中にはベダ・フォムで壊滅的打撃を受けるまでのイタリア軍に関するリサーチのようなもの(Italian Raggruppamentos:P18)もあるのですが、そこには「the 60th Brs Motorcycle Company」という部隊名が出てきて、これはユニットの61Brsと同一なのか異なるのか……?

 11月19日ターンにProvBrs(臨時ベルサリエリってこと?)がベンガジで編成されますが、もしベンガジがすでに陥落していたら出てきません(史実ではトブルクが陥落したのも1941年1月22日のことですから、よほどでなければ大丈夫そうですが……)。

 その後1940年12月1日ターンに第10ベルサリエリ連隊が増援として到着。12月26日ターンにまたベンガジで201Brsと202Brsが編成されます(これももしベンガジが占領されていたら出てきません。史実でのベンガジ占領は1941年2月5日)。



 イタリアは第二次世界大戦に入った時に12個ベルサリエリ連隊を持っており、それらは全戦場に送られたが、うち半分が北アフリカに配備された。
第5【チェンタウロ】、
第7【『DAK-II』では独立だが、英語版Wikipediaではトレント】、
第8【アリエテ】、
第9【『DAK-II』では独立だが、英語版Wikipediaではトリエステ】、
第10【独立】、
第12【リットリオ】連隊
がそうである。これは北アフリカでの戦いをイタリアが重視していた証拠である。戦争が始まった時にはアフリカにはベルサリエリ連隊はいなかった。機動部隊のように、ベルサリエリは本土に集められていたのである。



 次に、少なくとも連隊規模のベルサリエリとしては北アフリカに最初に来たと思われる第10ベルサリエリ連隊について。

 ……第10ベルサリエリ連隊の場合には、1940年にアフリカに到着した時には「火消し部隊」のようにして用いられた……というのは、彼らは自信に満ち、良く訓練され、実戦の準備ができた兵士達であったからであった。……


 実際にどう活動したかですが、英語版Wikipedia「Babini Group」によると第10ベルサリエリ連隊はバビーニ戦闘団に所属し、

その北では1月25日、第2/11オーストラリア大隊はデルナの航空基地で、第60サブラサ師団およびバビーニ戦闘団の第10ベルサリエリ連隊と交戦し、その徹底的な抵抗によって前進を遅らされた。第2/11オーストラリア大隊はイタリア軍の爆撃機と戦闘機からの攻撃を受けたものの、デルナ航空基地とSiret el Chreibaの高地を攻撃した。第10ベルサリエリ連隊は野砲と機銃でその平坦な土地を先に確保し、オーストラリア部隊をその目標の手前2,700mのところで阻止した


 デルナの場所については、↓の動画の後半を見てもらうとよいかもです。



 英語版Wikipedia「Babini Group」の前掲部分の注(リファレンス)には、『To Benghazi』という1952年出版の本のPDFファイルへのリンクが張られており、この本が全部読めます。その中の「Chapter 10 – The Engagment at Derna」の中に、このデルナでの戦闘のカラーの詳しい地図がありますので、見てみて下さい。ただこの地図の中には、デルナの西方に第12ベルサリエリ連隊がいるんですが、これは……?

 当該PDFで「Bersaglieri」で検索してみると一箇所だけ引っかかり、そこには以下のように書かれています(P262。オーストラリア軍から見た視点で書かれている本なのでこういう表現に?)。

第10ベルサリエリ連隊の自動車化大隊は、デルナとジョバンニ・ベルタからの退却の間、第60師団の後衛を形成していたようだった。



 その後、1月26日には……

デルナワジの北の端では、砲兵支援を伴った大胆な反撃がバビーニ戦闘団の第10ベルサリエリによって平坦な土地を横切って行われ、その朝の報告によればバビーニ戦闘団が南翼周辺を攻撃中であり、デルナへのオーストラリア師団の前進の継続は阻止され、ベルサリエリは40人の戦死者と56人の捕虜を出した。

 この部分の注釈の参照先は手持ちの『Beda Fomm:the classic victory』だったので見てみると、以下のように書いてありました(P127)。

26日の夜に彼らは激しい反撃を受けたが、それはいつもの砲兵砲撃だけでなく、第10ベルサリエリ歩兵部隊が平坦な地を大胆にも横切って100名の損害を出しながらも行われたものだった。だがそれはオーストラリア師団を躊躇させ、デルナへの前進を中止させることになり、また同時に、南翼でM13戦車が押し寄せ包囲されそうだという知らせがもたらされた。



 その後27日にはデルナの西南西Chaulan(前記地図の西端)からイギリス軍に包囲されそうになったベルゴンツォーリ将軍は撤退を命令し、2月5日のベダ・フォムの戦いに至ります。

 その最初の車列がベダ・フォムの周辺に到達すると道路を横切って埋設された地雷原に入り込み、クーム部隊の砲兵、対戦車銃、装甲車によって攻撃を受け始めたので、隊列は混乱に陥った。第10ベルサリエリの幾人かが道路の向こうに前進してみようとしたり、あるいは他の数名が側面に回ろうとしてみた。……彼らの行動は砲兵支援を受けていなかったためうまく行かなかったし、そもそもベルサリエリ連隊兵士のほとんどは後衛として北方にいたのである。


 La Batalla de Beda Fomm - 07/02/1941.の最初の地図を見ると、ベダ・フォムの戦いの時第10ベルサリエリ連隊がその北方にいたことが分かります。

 『DAK-II』ヒストリカルノートの「第1リビア機甲師団」という項目(P19)には、イタリア軍はバビーニ機甲旅団と第10ベルサリエリ連隊と第12砲兵連隊と臨時オートバイ大隊を合わせて第1リビア機甲師団なるものを作るつもりだったのだけども、第10ベルサリエリ連隊がバビーニ旅団と合流しようとしていたのにそのトラックが奇襲を受けて【ベダ・フォムで?】、結局師団は編成できなかった……けどもプレイヤーがもしそれに成功したら、その師団を作ってみるのもいいね、という風に書かれていました。


 と、第10ベルサリエリ連隊に関しては色々調べてみたのですが、他の連隊は『Rommel's North Africa Campaign』の記述だけでもってさらっと。

 その後、アリエテ戦車師団【第8】とトレント自動車化歩兵師団【第7?】の到着に伴い、さらに2つのベルサリエリ連隊が到着。これらの部隊は【第10ベルサリエリ連隊と?】同じ装備や車両を持っていたのだったが、訓練度や将校の質においてより優れており、オコンナー将軍の前でグラツィアーニ将軍が後退していくのにも意気消沈することなく、キレナイカでのロンメルによる最初の限定攻勢に参加した。彼らの果たした役割の記録はあまり残っていないが、これらの連隊は北アフリカ戦役の全期間で活動したのだった。

 さらに、第9連隊が1941年8月26日にアフリカに到着した。この第9ベルサリエリ連隊はXXVIII大隊、XXX大隊、XXXオートバイ大隊、それにXL重火器大隊より構成されており、トリエステ自動車化歩兵師団に配属された。第9連隊は1941年11月26日と27日【クルセーダー作戦中】にベルハメド(Belhamed)で素晴らしい戦いを見せ、同じ時期に第8連隊はビル・エル・グビと地点175での戦いに参加していた。

 1942年5月24日【ガザラの戦い中】に発動されたヴェネツィア作戦中には、第7ベルサリエリ連隊はXXI軍団の配下にあり、第9連隊は第X軍団に割り当てられていた。この時にリットリオ戦車師団が、第12ベルサリエリ連隊を伴ってアフリカに到着した。





 次に、チュニジア戦の期間中の話になりますので、『Tunisia II』のユニットを。

Bersaglieri21.jpg
Bersaglieri23.jpg
Bersaglieri22.jpg



 『Rommel's North Africa Campaign』によると……。

 第5連隊はトーチ作戦終了後の1942年11月にチェンタウロ戦車師団と共に、第XIV大隊と第XXII大隊がトリポリタニアに、第XXIV大隊がチュニジアに送られた。1943年1月には全3個大隊がチュニジアにあったが、ドイツ軍によってしばしば別々の部隊として配置された。それはカセリーヌ峠でのアメリカ第II軍団に対するロンメルの作戦で第XIV大隊に協力した。その後、1943年3月にはこの連隊はEl Guettarに配置された。その頃、第7連隊も第XII大隊を再建(エル・アラメインで壊滅していた)して、チェンタウロ師団と共にEl Guettarで戦った。第7連隊は1943年4月26日に解体された。エル・アラメインの後、第8連隊のベテラン兵達は再建されたX、XI、LVII大隊と共に若きファシスト師団に配属された。

 最後に、再建された第10ベルサリエリ連隊が第XXXIV、第XVI、第LXIII大隊の構成でチュニジアに到着し、ビゼルトにおいて橋頭堡を守備するために配置され、後にはフォン・マントイフェル師団に配属された。最近出たあるフォン・マントイフェル将軍の伝記にはこう書かれている。
「我々のベルサリエリ連隊はすんでのところで完全に壊滅させられるところだった。彼らは最後の最後まで抵抗した。」

 この連隊はまた、連合軍によるDouar Chemtiへの上陸作戦への反撃にも使用され、成功を収めた。彼らは第5連隊と共にこの戦役を終え、その時彼らは500~800名程度になっていた。

 北アフリカにおけるこれらベルサリエリ連隊に関して、歴史家の注意はほとんど向けられて来なかった。イタリア軍の質は上から下までバラバラであったが、ベルサリエリはその長期戦役からの疲労も考えに入れれば、その精強さにおいて優れた水準を維持していた。自動車化部隊として(機甲師団の歩兵戦力同様に)行動する中で、彼らは砂漠における戦いをすぐに習得したのであった。



 「連合軍によるDouar Chemtiへの上陸作戦」というのは、↓の地図にあるものだろうと思います。

Tunisia Campaign operations 25 November to 10 December 1942

 『Tunisia』では史実でのこの上陸作戦は実行不能だったのですが、『Tunisia II』ではオプションルールで試みることが可能になりました。



 最後にシチリア戦におけるベルサリエリ。『Sicily II』から。

Bersaglieri24.jpg

 これ一個だけです(『Sicily』でも同様です)。第207沿岸防衛師団の中の第117ベルサリエリ連隊というのですが……。

 しかし、『コマンドマガジン第68号』P15 『シチリア侵攻作戦』ユニットガイドでは以下のように書かれています。

(第10ベルサリエリ連隊)
BER:狙撃兵〔Bersaglieri〕
 この部隊名を持つ多くの部隊は通常、充分な訓練を積んだものでしたが、シチリアでは大半が訓練途上であるか、過去に壊滅して再編成されたばかりでした。



 こちらでは「第10ベルサリエリ連隊」となってます。で、どういうことなのかなといくらか探してみたのですが、資料によってどちらかの名前になっているだけで、詳しいことは分からず……。『Sicily and the Surrender of Italy』では117 Brsとなってましたが、その名前が出てくる箇所が1ヶ所しかなくて何の説明もないんですよね……。

 まあ第10ベルサリエリ連隊はチュニジアでほとんど壊滅寸前までいったらしいので、第10ベルサリエリ連隊が再建途上のものであったが、同部隊は第117ベルサリエリ連隊と呼ばれることもあった、とかそういう感じなのでしょうか。


 しかしともかくも、イタリア軍の中でも優秀な部隊であったらしいベルサリエリですが、OCSでも最初のうちはARが高く部隊も豊富なのが、『Tunisia II』、『Sicily II』あたりになってくると損耗しまくってAR4が珍しくなり、また部隊数も減ってくるという感じでしょうか……(T_T)

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ゲームをしないウォーゲーマー……でしたが、最近はOCSだけはひたすらプレイしたり情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅でOCSを置きっぱなしプレイがメインになりつつありますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。
 過去に作ったイタリア軍関係動画もどうぞ。
※リプレイ記事は練習が主になっていて、間違ったルールでプレイしてる事が多々あることにご注意下さい。気付いたものはその都度新しい記事でその事を書いてますが、古い記事に修正はほどこせていませんので……。

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