FC2ブログ

OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』シナリオ3(2回目)、第1ターン先攻ソ連軍終了

 尼崎会でワニミさんと、OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』シナリオ3(2回目)の第1ターン先攻ソ連軍をプレイしました。


 前回は、ソ連軍はプレイの甘さとダイス目の悪さによって3ターン目に投了のやむなきに追い込まれたので、今回はそのようなことがないように、二人して相談し合ってソ連軍のムーヴを練りました。


unit9457.jpg

 スモレンスクの東側の地域では、前回ドイツ軍に突破&包囲されてしまったので、そのようなことにならないように念には念を入れ……という感じのムーヴで。ただし、そこにばかり目が行ってしまっていて、別の場所で酷い目に会う可能性も……(^_^;

 また、スモレンスク北東方面では前回、ソ連軍は移動モードで突っ込んでボコボコにやられたため、あくまで戦闘モードでしか近づかない感じで……ただしそうすると、ドイツ軍に対する圧力がほとんどかけられず、フリーにしてしまうような感じも。





unit9456.jpg

 南方のクルィチャウ(Krichev)では前回、セットアップで第3装甲師団が孤立していてソ連軍に包囲攻撃され、「なんで第3装甲師団はこんな単独でいたんだ??」といぶかしく思っていたのですが、実は第4装甲師団のセットアップ位置を間違えていて、別に単独でいたわけではなかったことが判明(^_^;

 第4装甲師団のおかげでソ連軍はクルィチャウを包囲することができず、しかし圧力はかけるべきだと考えられたためなるべく攻撃をしようとしましたが、リアクションフェイズ中のドイツ軍航空ユニットによるヒップシュートで攻撃側スタックがすべてDGにされたため、「いのちをだいじに」という原則に従って攻撃は中止に。

 実は今回、ランダムで移動モードになる装甲師団がみな最前線の師団で、ソ連軍側はそれに乗じて第1ターンに攻撃をかければ有利な面もあったのですが、いやいや、とてもそんなことはできそうにない、と……。「ドイツ軍をやっつけようとしたら、逆にソ連軍側がやっつけられたでござる」という未来が見える……見えるぞおお!

 ソ連軍側としては、慌てて攻勢をするのではなく、じっくり確実に攻勢して勝利を目指そうと思います。



 ところで、今OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』をヘビーローテーションしていますが、その後はOCS『Guderian's Blitzkrieg II』のタイフーン作戦シナリオをプレイする(2回目)という案が有力でした。が、今日ワニミさんと話していて、OCS『Case Blue』の青作戦シナリオをやろうということになりました。ヴィータースハイム将軍について調べていてそこらへんの興味が盛り上がっているのもありますし、青作戦シナリオはやったことないですし。

 青作戦シナリオをやるとしたら、コーカサスマップを繋げて(クリミアマップを除く)フルマップ8枚(!)でプレイしたり、『Guderian's Blitzkrieg II』と連結してフルマップ12.2枚(!!)でプレイするという方法もありますが、まあスペースも足りないですし、コーカサスなしのフルマップ4枚でプレイするのではないかと思います(^_^;


unit9455.png




 ただ最近、富山のKさんやワニミさんと、VASSALでOCSをプレイできるように練習していこうという話もしてまして、将来的にVASSALで小さめのOCSをプレイするだけでなく、フルマップ12.2枚分をVASSALでプレイできたらいいかもですねぇ……。

スポンサーサイト



ドイツ陸軍参謀本部の第一部(作戦担当)の歴代担当者

 以前、ドイツ軍のヴィータースハイム将軍について、『Hitler's Commanders』などから、ヴィータースハイム将軍について(付:OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』) (2020/11/30)で書いたことがありました。

 ドイツ軍の指揮官人物伝を書いていくことができないかと思い、とりあえず以前一度とりあげていたヴィータースハイムから再度調べ始めてみたのですが、調べているとヴィータースハイムはドイツ陸軍参謀本部の第一部(作戦担当)の初代の部長?であり、その後任がマンシュタインでさらにその後任がハルダーだったり……と、いうことが分かってきました。えっ……ヴィータースハイムすごくない?

 しかし、私自身、第一部だとかどうとか良く分かってないので、今回調べたことをブログにいったん書いておいて、情報を見つけるたびに加筆修正しようかと(この方式が結構便利でいいなということが分かってきました(^_^;)。



 まず、この時期の参謀本部の概略について。

 1938年2月、フリッチュ上級大将の後任の陸軍総司令官にヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ上級大将が任命された。その指揮機関である陸軍総司令部(OKH:Oberkommando des Heeres)の中心組織は、参謀総長ベック大将を長とする参謀本部(Generalstab)であり、陸軍全体の作戦の立案、作戦指導を行なった。
 この時期の参謀本部は、作戦を担当する第一部、教育・訓練を担当する第二部、情報と兵站を担当する第三部から成っていた。
『欧州戦史シリーズVol.20 ドイツ陸軍全史』P97



 この第一部の部長(「Oberquartiermeister I」。訳語が良く分かりませんが、とりあえず(参謀本部)「第一部長」、あるいは「作戦部長」?)について、英語版Wikipedia「Gustav Anton von Wietersheim」にはこう記述されています。

 ヒトラーによるドイツ国軍(ライヒスヴェア)の解散と、大幅に拡充されたドイツ国防軍(ヴェアマハト)の創設に合わせて、ヴィータースハイムは参謀本部の第一部部長に任命された。この役職は「参謀総長に直属する」ものであり、参謀本部のいくつかの部門を管理し、「作戦、輸送、補給部門の指揮を執る」ことを意味していた。参謀本部が戦時体制に置かれたため、この高度な兵站指揮は「重要な地位」であり、ヴィータースハイムは「極めて優秀な少将」であり、1935年3月から、後の1936年10月に当時ヴィータースハイムの後輩であったエーリヒ・フォン・マンシュタイン(後の元帥)が彼の後任となるまでこの役割を担った。



 さらに、マンシュタインの後の作戦部長に関しても気になったので調べてみますと、そこらへんやりとりされている掲示板を見つけました。

Axis History Forum

 それによりますと、こうのようです。

1935/07/01~         von Wietersheim
                  von Lewinski genannt von Manstein
                  Halder
1939/09/01~1940/02/10 von Stülpnagel (Karl)
1940/02/10~1940/05/30 Mieth
1940/05/20~1942/01/01 Paulus
1942/01/17~1942/09/24 Blumentritt
1942/09/24~1944/07/22 Heusinger
1944/07/22~1945/02/17 Wenck
1945/02/17~1945/04/01 Trotha(?)
(ブルーメントリットの後、「disbanded by Zeitzler」というような記述も?)

 マンシュタインやハルダーの任期が分かりませんが、また分かったら加筆しておきます。

 パウルスがかなり長い間この地位にいたんですね……。認識していませんでした。ブルーメントリットは、リデル・ハートの『The German Generals Talk』(和訳が『ナチス・ドイツ軍の内幕』、改題『ヒットラーと国防軍』で出ています)の中でインタビュー相手として後半に良く出てきます。






『一流の狂気 心の病がリーダーを強くする』読了。南北戦争や第二次世界大戦のリーダーに興味のある人にも超オススメです!

 最近、双極性障害(いわゆる躁鬱)であった指導者、指揮官に非常に興味を持ってまして、そこらへんを扱った本を見つけて読んでました。

 その本が『一流の狂気 心の病がリーダーを強くする』(原題『A First-Rate Madness: Uncovering the Links between Leadership and Mental Illness』Nassir Ghaemi)です。





  双極性障害というのは、ハイテンションで活動的な時期と、憂鬱で無気力な時期とがあらわれるというものです。この本に取り上げられた人だと、極度の鬱状態の時期というのは人生に3~4度程度確認され、それ以外は基本的に躁状態であるというのが多かったです。

 ナポレオン戦争期のブリュッヒャー将軍の古めの伝記本『The Hussar General』を以前読んだんですが、ブリュッヒャーはそれこそ3~4度、極度の鬱状態に陥っていたことが書かれていて、そこらへんからすると双極性障害であったのではないかと個人的に思っています。普段はハイテンションで活動的で、偉くなっても兵士達と賭け事とかをやめられなかったという話も載っていました。





 あるいは、日本語版Wikipedia「双極性障害を患った人物の一覧」には例えば、ゲーテ、ベートーヴェン、シューマン、ゴッホ、夏目漱石、チャーチル、フルシチョフ、宮沢賢治、ヘミングウェイ、太宰治、玉置浩二(好きでした!)、マライア・キャリーなどの名前が挙げられています。後で紹介する『もっと!』という本では、ナイチンゲール、ニーチェ、エドガー・アラン・ポー、マリリン・モンロー、フランク・シナトラ、ブリトニー・スピアーズなども双極性障害であったと名前が挙げられています。


 で、この『一流の狂気』という本は、双極性障害があるからこそ偉大なことができる、特に危機的な状況においては……(逆に言えば、特に危機的な状況においては、精神的に健康な人は対処を間違ってしまいやすい)のではないか、ということが書かれています。

 詳しく取り上げられている人物で、ウォーゲーマーにとって興味深いのは次の人達でしょう。この本で、双極性障害と診断され得、それゆえにうまく対処できたとされている人物を「/」の左側に、精神的に健康であったが故に失敗したとされている人物を右側に書きます。これらの人物については結構なページを割いて、かなり詳しい人物像や、彼らがどのようにして成功を収めたのかが詳説されています。

南北戦争期:シャーマン、リンカン/マクレラン
第二次世界大戦期:チャーチル、フランクリン・ルーズベルト/チェンバレン
それ以外:テッド・ターナー(CNN創業者)、ガンディー、キング牧師、ケネディ/ニクソン、ブッシュ大統領(長男の方)、ブレア(英首相)

(他に、リー、ストーンウォール・ジャクソン、グラント、スターリン、ムッソリーニらにも重篤な異常があったと書かれていますが、紙幅を使って述べられてはいません)

 それからヒトラーもかなり重い双極性障害であったであろうとこの本で診断されているのですが、ケネディが大統領時代の後半に治療方針が変更されて状態が良くなったことから、劇的にリーダーとしての能力を高めたのに対して、ヒトラーは総統時代の前半には(もちろん色々問題はあったものの)高いリーダーシップ性を示していたのに、主治医となったモレルの出す薬のせいでどんどん状態が悪化していったことが書かれていて、ウォーゲーマーとしては非常に興味深かったです。

 あまりにも興味深いので、一部引用してみます。

 ヒトラーの躁の症状は、多弁、誇大性、多幸気分、睡眠欲求の減少、過活動であり、これらはすべてある期間に限って出現し、うつ状態と交代にみられる。これらは双極性障害の特徴と一致している。【……】
 【10代後半のヒトラーの親友であったクビツェクの回想録によると】 私は彼が絶えず動き回っていたのを記憶している。彼は何時間歩いても疲れるということがなかった」。「たった一時間でも彼が何もすることがないとか、彼が退屈に感じているとかいったような場面を私は思いだすことができない」。「何かの考えを思いつくと、彼はまるでそれにとりつかれたようになった。それ以外のことは何も存在しなくなってしまう。時間も、睡眠や空腹もすべて忘れてしまうのだった」。
『一流の狂気 心の病がリーダーを強くする』P276,277

 ヒトラーの成功が頂点に達したのはこの1930年代だった。【……】この期間に彼の側近として間近にヒトラーを見ていた者たちは、ヒトラーは知的な人で、人の言うことをよく聴き、ずばぬけた記憶力をもち、ものごとを柔軟に考えることができ、決断力があったと評している。
 【……】戦前のヒトラーは忍耐強く(レジリエントであり)、独創的(クリエイティヴ)な人物だった。【……】彼は狡猾で現実的(リアリスティック)な政治家でもあった。【……】
 【……】しかし1937年以降、状態はゆっくりと悪化へと向かい始め、躁とうつの程度もひどくなって、彼のリーダーとしての行動にも悪い影響を与えるようになった。
『一流の狂気 心の病がリーダーを強くする』P286,287

 ヒトラーはかなり重い双極性障害をもっていた。この点はチャーチルやシャーマンと共通である。しかし彼らと異なりヒトラーは、彼の最後の4年間、連日アンフェタミンの静脈注射の治療を受けていた。さらに補助的に内服のアンフェタミン、カフェイン(さらにバルビツールと麻薬の連用、およびアナボリック・ステロイドの適時使用)も加わっている。このようにいろいろな薬を出されたら、正常な人であっても正気を保つのは難しいはずだ【……】ヒトラーを時限爆弾に喩える人もいるが、それは少し違う。むしろ、モレルが全世界を破壊しうる爆薬に火をつけたというべきだ。
 ヒトラーは彼の生涯の最後の数年間さまざまな面で変化をみせていた。それ以前のヒトラーはどうだったのか。たしかに彼はつねに「怒れる男」ではあった。とくに躁の期間にはそうだった。しかし全体としては礼儀を重んじ、場所をわきまえてふるまっていたし、必要なときにはしっかりと自分を抑えて我慢することもできた。しかし1942年までに彼はまったく変わってしまっていた。軍議の際に将軍たちに声を張りあげることが当たり前のこととなった。彼のことを前からみてきた者たちの多くは、彼の怒り方が1930年代と比べてずっとひどくなったと感じていた。1942年の12月には、あることをきっかけに3時間にわたって怒鳴り続けるということもあった。そうした怒りのきっかけとなるのは、戦争に関連したことだけではなかった。たとえば、ヒトラーはオペラ好きだったが、あるオペラ歌手が死んだときに、新聞の報道が不十分だと憤慨し、「新聞社に対する怒りを爆発させ、その怒り狂った状態が数時間も続き、その日まる一日まったく仕事ができなかった」。1943年12月にはそれまで忠実だったヒムラーも、ヒトラーが「精神的におかしくなっている」と確信するに至った。
『一流の狂気 心の病がリーダーを強くする』P294,295

 ヒトラーは、政治家としてのそれまでの経歴のなかで、権限を委譲するのにそれほど戸惑うようなことはなかった。幅広い政策目標を掲げて、内政や軍事の顧問に政策を実行させていた。しかしこのころのヒトラーは細かいところにまで強迫的にこだわるようになっていた。自分の下にいる指揮官たちにこまごまとした指示を与えるようになった。ヒトラーがはっきりと許可しないかぎり、どんな命令も発してはならなかった。陸軍元帥フォン・ルントシュテットはこう言っている。「許可を得ることなしに私が動かせる部隊といったら、この部屋の前に立っている歩哨たちぐらいのものだよ」。この点についてもアンフェタミンがかかわっていた可能性がある。すでにみたように、ヒトラーはもともとおそらく強迫的な傾向をもっていた。それは身じたくや身の回りを絶えず気にして綺麗にしていたことにも表れている。この性質がアンフェタミンの使用によって強められたのかもしれない。アンフェタミンは強迫性障害の症状を引き起こしたり、悪化させたりするということが知られている。
 アンフェタミンを使用している期間と一致して、ヒトラーの気分の波は、以前に比べて周期が速くなり、かつ振幅も大きくなっていた。うつになると、彼は長い時間眠り、戦争についてできるかぎり話をしないようになった。一人で食事を摂り、なにごとにも集中できない様子で、決断することができなくなった。心がうつろで、ほんやりしているようだった。この状態を見たら、これが記憶のよさで有名だった人だとは誰も信じられなかっただろう。1943年にはモレルもまた公の診断を以前の(単なる)うつ病から躁うつ病へと病名を訂正している。【……】 モレルはヒトラーに対してより強力なアンフェタミン治療を行うようになったが、それは結局ヒトラーの躁を悪化させただけだったようだ。シュペーアの報告によれば、それ以来ヒトラーは、地下壕で最後の日を迎えるまで、もはや「うつ」になることはなかったようだった。むしろヒトラーは、徐々に非現実的な考えやひどく楽観的な考えにひたるようになっていた。「状況が止めようもなく破局へと近づいていくにつれて、彼はますます柔軟さを失い、彼が決定してきたことはすべて正しかったのだとますます頑なに信じるようになっていた」。
『一流の狂気 心の病がリーダーを強くする』P296~298


 ケネディに対しては、それまでの治療方針に対して別の人達による「医療クーデタ」が成功したらしく、ヒトラーに対してもモレルを排除するという医療クーデタが企図されたものの成功しなかったということがあるようです。

 後世から見ると、1930年代にヒトラーに魅了された人達(ロンメルとか)に対しても「え~?」という感覚を私は持っていたのですが、1930年代のヒトラーと1940年代のヒトラーは、症状の悪化や薬のせいで別人なのである、と考えるべきなのでしょうね……。


 余談ですが、私はアロマンティックのけがあると思われ、特定の人物やキャラにものすごく惹かれるということが希有なんですが、コミック版の『化物語』を読んでいて、神原駿河というキャラの多弁でウィットが豊かなで(性的な)多趣味で寛容でコケティッシュな様子には「惹かれるのもやむを得ない(ホントにこういう人がいたら友だちになりたい)」という気分になりました(それでもキャラグッズとかを何も買ったりはしませんが)。

 もし1930年代のヒトラーが、この神原駿河のような魅力を放っていたとしたら、魅了されるのもやむ得ないのではないか……?




 それでもって、神原駿河のあの多弁さや性的多趣味は、躁状態なんじゃないかと……。他にも例えば、『約束のネバーランド』の主人公のエマ(非常に人気のあるキャラです)の、常に前向きで同時に複数の目標を追求してへこたれない様子も、「性格」で実現できる範囲を超えた「躁状態」なんじゃないかと思ったり。

 例えばこのような記述があります。

 躁状態の症状としては、エネルギーの高揚、多幸感、ひとつの対象から別の対象へと駆けめぐる思考、多くの目標を同時に追い求める活動過多、無制限の浪費や手あたりしだいの性行為といったリスクの高い快楽追求活動などが挙げられる。
 【……】
 並外れて優れた【双極性障害のような】脳は、高性能のスポーツカーになぞらえられるかもしれない。信じられないことをする能力はあるが、壊れやすい。
『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』P269,270







 【……】粘り強さというものが大きな役割を果たす場合があることにもここで注意を向けておきたい。よく知られているように、ダーウィンは自分の成功を才能よりも努力(根気)のためだといっている。ここでも、躁の状態、つまりエネルギーの高い状態(多くの場合は気分高揚性パーソナリティの形をとる)が有利に作用するのだ。エネルギーに満ちた躁の人は、ものごとをあきらめずに最後まで行なう傾向がある。ジョージア州を横断して進攻していったときのシャーマンにもこの特性がみてとれる
『一流の狂気 心の病がリーダーを強くする』P39




 せっかくなので、『一流の狂気』の中で取り上げられている、ウォーゲーマーが興味を持ちそうな人物それぞれについても、印象的なところを引用しておきます(シャーマンの項では、グラントがいかにシャーマンの行動に良い影響を与えたかについても書かれており、その点でもオススメです)。

 シャーマンは、強い緊張、高エネルギー、気分高揚の状態にあった(重篤な躁でも、うつでもないときには、これが彼のふだんの人格であったように思われる)。【……】グラントの使者としてシャーマンに面会した者の報告によると、シャーマンは「海への進軍について驚くべき内容を熱心に語り続けていた。当然ながら、彼の心はそのことでいっぱいになっていたのだ。彼はまるで、神経エネルギーがそのまま人間の形になった存在であるかのように見えた」。シャーマンは「椅子に座って絶えず体を前後に揺らしており、手に持った新聞を引き裂くという動作を続け、また靴下を履いた足をスリッパに入れたり出したりし続けていた」。
『一流の狂気 心の病がリーダーを強くする』P55





 こういった観察からいえることは、チャーチルは、うつでなかったときには、たぶん軽度の躁の状態にあっただろうということである。エネルギーに満ちあふれ、著しく社交的であり、また外向的でもあり、思考や行動が素早く、いくぶん衝動的なところもみられた。彼は毎晩遅くまで起きており、深夜になるとエネルギーが突然に高まり、バスローブ姿で自分の本の原稿を書きとらせたり、大量の仕事を片付けたりしていた。とてつもなく生産性が高く、数十年にわたって大臣や首相の職にありながら、生涯に43冊(72巻)もの本を書いた(言うまでもないが、そのほかに著しい量の手紙もある)。若い頃のことだが、将校として従軍し、インドとスーダンでの戦闘で勇敢に戦ったこともある。また新聞記者として働いていたときに南アフリカで第2次ボーア戦争を取材中に戦争捕虜となった(そして脱走した)ことさえある。チャーチルは話上手で有名だったが、それを悪く言う人もいた。有名になる前からすでそうだったのだが、彼は人と会っているとき、絶え間なく大きな声で一人でしゃべり続けて目立ちすぎてしまうのだった。彼の頭は決して休むことがなかった。いつも何か考えており、いつも何かを企て計画していた。そうしなければならない理由があろうとなかろうとそうしているのだった。フランクリン・ローズヴェルトはノルマンディー上陸の後、チャーチルにそういうところがあるのだと気づいた。チャーチルの考えだす計画とはたとえば、接岸の難しい海岸に港をつくるために、古い船にコンクリートを詰めこんで何隻も重ねて沈めたらどうかというものだった。このことを聞いたFDRは言った。「そうだな、こういうのがチャーチルの発想なんだ。こういうすごいアイディアを彼はいくつももっているんだよ。あの人は一日に100ぐらいそういうことを思いつくんだ。そのうち四つぐらいはいいアイディアなんだ」。
『一流の狂気 心の病がリーダーを強くする』P88,89




 FDR【フランクリン・デラノ・ルーズベルト】の一級の「気性(テンペラメント)」とは、今の用語でいえば、気分高揚性パーソナリティのことだ 【……】 彼はエネルギーに満ち、非常に多弁であり、並はずれて外向的だった。要するに、一緒にいて楽しくなるような人物だった。
『一流の狂気 心の病がリーダーを強くする』P188

 彼は非常に社交的だった。【……】 彼は、自分が必要としていることを代わりにしてくれる人をどうやって確保すべきかよく知っていた。そういう人が、なぜそのことをするのかについてFDRと違う考えをもっていたとしても、それはFDRにとってどうでもよかった。そのことをしっかり実行してくれさえすればよかったのである。【……】
 【……】 「まさにこの点においてローズヴェルトは魅力的であり、人には真似できない存在だった。彼は人が好きだった。ほとんどどんな人も好きになるのだった。そこにいる人たちを好きになり、彼らの心を手にとって、彼らが何を考えているのか探るのが好きだった。そして、彼らの生活や彼らの抱えている問題をくわしく知ることが好きだった」
『一流の狂気 心の病がリーダーを強くする』P192

 FDRの気分高揚性パーソナリティは、彼が直面するポリオや大統領職といった試練を乗り越えていくのにおおいに役立った。彼のポリオ罹病の経験は、彼に一定の共感能力(エンパシー)を獲得させたように思われる。【……】
 【……】 このような心理的な発展を遂げていたので、経済恐慌や世界大戦というとてつもない危機にうまく対処することができた。彼の心の動きは機敏で闊達であり、おそろしく重大な決定を迫られてもひるむことはなかった。彼は誰から習うこともなくプラグマティックな哲学を身に着けていた。
『一流の狂気 心の病がリーダーを強くする』P208,209



 フランクリン・ルーズベルトは性的に奔放で複数の女性と不倫関係にあったらしいのですが、これも高揚性パーソナリティ(つまり躁)の特性で、他にこの本でもケネディは大統領時代にプールで複数の女性とそういう行為をやっていたとかってことが書かれています。別の本で、ムッソリーニも執務室でそういうことをしていたというのを読んだことがあります。あるいはアインシュタインも次々に不倫関係を持ったりしたそう(『もっと!』P201)で、こういうのも双極性障害の一つの症状のようなのですが、もちろん、双極性障害であれば必ずこうなるというものではないです(ヒトラーなんかは、そういう方向性ではありませんでした)。


 マクレランに関しては、彼のそれまでの経歴があまりにも順風満帆で、シャーマンやグラントやリーやリンカンが経験してきていたひどい抑うつ状態を経験してこなかったため、自信満々になりすぎており、危機に対応できなかった……という風に書かれています。

 複数の本で読んだことですが、精神的に健康な人は少し(あるいはおおいに)自信過剰であり、鬱状態の人の方が将来の見通しについて正しく認識できているそうです。例えば、コインの裏表を自分が当てることができるかについて、鬱状態の人は正しく「1/2の確率でしか当てられない」と判断できるのに、精神的に健康な人は「1/2より高い確率で自分は当てられる」と思ってしまっているそうです。そして、そのように自分について過信している人の方が、世の中を気持ちよく、精神状態を健康に生きられるのですが、物事に正しく対処する上では、失敗してしまうのです。


 この『一流の狂気 心の病がリーダーを強くする』という本は、そこらへんのことに興味ある人には当然オススメですが、シャーマン、リンカン、マクレラン、チャーチル、フランクリン・ルーズベルト、ヒトラーなどの人物像について興味のある人には特に興味深く、オススメできると思います。ぜひ多くの人(とウォーゲーマー)に買って読んで欲しい本です!

OCSユニットで見るイギリス軍の第2機甲師団(『DAK-II』)

 今回はイギリス軍の第2機甲師団について調べて書こうかと。

 第2機甲師団はイギリス本国で編成され、北アフリカで第7機甲師団がイタリア軍を散々に打ち破った後、キレナイカ地方を守備するために輸送されてきましたがロンメルの第1次攻勢によりあっという間に壊滅させられてしまい、その後再編もされませんでした



British 2nd Armoured Division

 ↑第2機甲師団の師団マーク(Wikipeidaから)。



 ↓OCS『DAK-II』のイギリス軍機甲師団(第8機甲師団はフォーメーションマーカーだけです。第8機甲師団は1942年6月にエジプトに配備されましたが、完全な編成として活動することはなく、翌年1月に解散したそうです)。

unit9459.jpg


 OCS『DAK-II』の第2機甲師団の主力は第1機甲旅団となってますが、これに関しては第3機甲旅団の間違いではないかという疑義がある模様です。

 何故、MMPの『DAK2』が駄目なのか。例えば、JEDの『北アフリカ戦役』で35ターンに機械化歩兵師団に改編されるニュージーランド第2歩兵師団の場合、『DAK』では師団に所属する3個歩兵旅団の中から第4歩兵旅団が1942年10月1日に機甲旅団へと改編されます。しかし、史実では第4歩兵旅団の抜けた穴を埋める代わりに英第9機甲旅団が派遣されたに過ぎません。この事実は少し調べれば判ることで、GAM版『DAK』の数年前に出版された『Legend Begins』のシナリオは勿論、1970年代のSPI作品ですら反映されています。他にも、英第2機甲師団の指揮下にあった第3機甲旅団が第1機甲旅団になっているなど、基本的なミスすら訂正されていません。また、英語で読める資料が豊富な英軍戦車大隊に関してすら、その登場・撤退ターンに関する間違いが数多く見受けられます。はっきり言って『DAK2』に資料的価値を求めるのは無駄なことでした。

 日本語版『Legend Begins』では80駒程度ならユニットを追加する余裕が有るとの噂を聞きましたので、『DAK2』に対する不満をぶつける意味でも、次号で大隊規模の戦闘序列などを踏まえて、日本語版『Legend Begins』に関する提案をさせてもらおうと思います。

文/澤田 淳

『コマンドマガジンVol.61』P31


 「訂正されていない」というのは、1作目の『DAK』でもそうだったし、『DAK-II』でもそのままだった、ということでしょう。



 日本語版『The Legend Begins』のユニットシートで探してみましたところ、確かに第3機甲旅団は第2機甲師団所属であるということになっているようでした(第1機甲旅団司令部ユニットも隣にありますが、どの師団所属かは書いてません)。

unit9458.jpg




 私自身はそこまで戦闘序列狂(?)でもないですし、知識もないですからどちらかに肩入れするということもないのですが、ただ、「論争的」なものは好きで、そこらへんの興味はある感じです。


 英語版Wikipedia「2nd Armoured Division (United Kingdom)」を見てみたらえらい分量がありましたので、自分の勉強がてら、『第2次大戦 イギリス機甲部隊』も参照しつつ、個人的に興味を覚えるところだけを抜き書きしようと思います(私は個人的に、どの戦車が何輌だとかどの部隊がいつどこにいたかとかよりも、どういう理由があってどういう対処がされたとかってなことに興味があります)。


---------------------------------
 第2機甲師団は、第二次世界大戦の初期に活動したイギリス陸軍の師団である。この師団の創設は1939年の初めから議論されており、第1機甲師団を分割して創設することを意図していたが戦車が不足していたため、1939年12月まで延期された。師団創設後しばらくの間、第1機甲師団から第1軽機甲旅団が、南部守備軍から第22重機甲旅団が配属されるまで、師団に配属された部隊はなかった。

 1940年初頭には第1機甲師団に装備の優先権が与えられており、第2機甲師団は戦力不足のため軽戦車を中心に装備されていた。フランス戦の後、イギリス本国がドイツ軍の侵攻の脅威にさらされ、装備の優先順位は第2機甲師団に移った。この師団は、侵攻してきたドイツ軍の側面への反撃に使用する計画であった。

 1940年4月14日、第1軽機甲旅団が第1機甲旅団に、第22重機甲旅団が第22機甲旅団に改名された。

 1940年8月、同師団の機甲連隊がエジプトに輸送され、10月には中東戦域軍への増援として師団の残りをエジプトに移送することが決定された。この移送の前に、第1機甲師団の第3機甲旅団と、第2機甲師団の第22機甲旅団が交換された。

 第1機甲旅団と第3機甲旅団を基幹とする第2機甲師団は1940年12月~1月にエジプトに到着すると、ギリシャ遠征部隊の支援のため兵力を削減された。1941年2月27日、第1機甲旅団は第2機甲師団から離れ、中東戦域軍に配属されギリシャに送られることになる。部隊の残り(第3機甲旅団基幹)はそれからコンパス作戦で征服されたキレナイカ地方に移された。師団の残りの戦車のエンジンは寿命を越えており、捕獲したイタリア軍のM13/40を装備したもののスピードが遅く、居住性が悪く、機械的信頼度も低かった。第2機甲師団はその他にも輸送手段、作業人員、予備部品、無線機などが不足していた。

 3月31日に枢軸軍が攻撃を開始し、第2機甲師団は壊滅させられ、トブルク以外のキレナイカ地方は失われた。歴史家達は、第2機甲師団の装備不足、補給不足、適切な訓練不足、不十分な通信網と不明確な指揮系統という状況を考えると、これを防ぐためにできたことはほとんどなかったという見方で一致している。

 第2機甲師団の将校の中には、この悲劇の原因は第2機甲師団長であったガンビア=パリーの無能のせいだと非難する者もいたが、歴史家は「このような非難は誇張されている」と書いている。
---------------------------------


 一応今回調べたところでは、北アフリカ戦における第2機甲師団は第3機甲旅団を擁していたとする方が良さそうで、OCS『DAK-II』で第2機甲師団の基幹部隊が第1機甲旅団となっているのは、単なるミスか、あるいは何らかの理由があって意図的にそのようにされているのか……という感じではありますね。


OCSユニットで見るイギリス第13軍団司令部ユニット(『DAK-II』『Sicily II』)

 現在、北アフリカ戦線のイギリス軍の将軍について扱った『The Desert Generals』を読んでいってるんですが、イギリス軍の第13軍団についてちょっと情報を調べてまとめておこうと考えました。



XIII corps

 ↑第13軍団マーク(Wikipediaから)



 とりあえずまず、第二次世界大戦におけるイギリス第13軍団の前身となったのは、「西方砂漠部隊(Western Desert Force)」という名前の組織でした。

 西方砂漠部隊については以前、OCS『DAK-II』:英連邦軍の軍団司令部について (2019/01/23)で「西方砂漠」という名前で書いてましたし、それ以後もその名前で書いていたんですが、最近になって「西方砂漠部隊」と呼称した方が良いのではないかと思い始めました。というのは、「~軍」と書くと、我々のような作戦級ゲーマーには「Army Group - Army - Corps - Division」の「軍(Army)」のように思えてしまいますので。尤も、「部隊(Force)」とはなんのこっちゃとも思うのですが、OCSルソンでも「北部ルソン部隊(North Luzon Force)」「南部ルソン部隊(South Luzon Force)」という、麾下に数個師団を持つ、軍団規模っぽい名称の組織があり、まあ英米ではそういう名称が時々あるのかなと……。

 改めて英語版Wikipeida「Western Desert Force」を見ますと、「Type: Corps」と書いてあって、軍団規模の組織であるということではあるようです。


 ↓OCS『DAK-II』の英連邦軍司令部ユニット

unit00408.jpg



 以下、西方砂漠部隊、平時用の司令部であったキレナイカ地域守備軍、第13軍団のタイムテーブルを記します。

1940/06/10 イタリアが英仏に宣戦布告
1940/06/17 西方砂漠部隊を創設(オコーナー中将)
1940/12/09 コンパス作戦
1941/01/01 第13軍団へと改称(オコーナー中将)
1941/02/05 ベダ・フォムの戦い
1941/02/15 キレナイカ地域守備軍に移行(ニーム中将)
1941/04/07 オコーナーとニームが捕虜となる
1941/04/14 西方砂漠部隊を再編(ベレスフォード=ピアース中将)
1941/05/15 ブレヴィティ作戦
1941/06/15 バトルアクス作戦
1941/09/09 第8軍が編成される
【9/9はカニンガムが第8軍司令官に任命された日?(https://en.wikipedia.org/wiki/Eighth_Army_(United_Kingdom)による)
 第8軍は1941/9/26の真夜中に正式に発足したという記述もある(『Desert Rats: British 8th Army in North Africa 1941-43』P10による)】

1941/09/18  西方砂漠部隊を第13軍団へと改称(ゴッドウィン=オースティン中将)
【9/18という日付は『Desert Rats: British 8th Army in North Africa 1941-43』P11による。https://en.wikipedia.org/wiki/XIII_Corps_(United_Kingdom)やhttps://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Battleaxeによるとバトルアクス作戦時等に第13軍団が存在することになっているが】
1942/02    ゴット中将が軍団長となる
1942/08    ホロックス中将が軍団長となる
1942/12    デンプシー中将が軍団長となる
1943/12    カークマン中将が軍団長となる
1945/03    ハーディング中将が軍団長となる

 日付が今分からないものは、今後分かったら追記していこうと思います。

 また、ベレスフォード=ピアースはバトルアクス作戦の失敗のため解任され、ゴッドウィン=オースティンは第8軍司令官であったリッチーの指揮に疑義を表明してオーキンレックに辞表を提出したら不本意にもそれが受理されて解任され、ゴットは第8軍司令官への昇進のため飛行機で移動していてドイツ軍機に撃墜されて地上で他の搭乗員を救助中に再度撃たれて戦死しました。

 その後の司令官についてはまだ良く分かってないのですが、北アフリカ戦線の時の下位指揮官であった人物が軍団長になっているようで、それらの人物像についてはまた調べていきたいと思います。



 第13軍団は、北アフリカ戦線で戦って、チュニジアでの戦いに参加したかのような記述も見るのですが、OCS『Tunisia II』ではユニット化されていませんでした。リビアの方に留まっていたりしたのかもです。そしてその後、シチリア戦、イタリア戦を戦いました。


 ↓OCS『Sicily II』のイギリス軍司令部ユニット。

unit9460.jpg

 第30軍団は1941年9月にエジプトで編成されて以降、第13軍団と共にシチリア戦までをずっと戦った、まるで兄弟軍団のような感じのする軍団ですが、シチリア戦の後はノルマンディー上陸作戦に参加し、その後は西部戦線を戦いました。第30軍団についても、その軍団長などについてのまとめエントリを作るつもりです。

BCS『Brazen Chariots』用のHQディスプレイシートを自作してみました(暫定版)

 ↓以前、BCS『Baptism By Fire』用のHQディスプレイシートを作ってみてましたが、『Brazen Chariots』用のものも作ってみました。


BCS『Baptism By Fire』用のHQディスプレイシートを自作してみました(暫定版) (2021/01/08)




unit9462.jpg


unit9461.jpg



 PDFファイルは↓こちら。

HQ Display BC1-J.pdf
HQ Display BC2-J.pdf



 その後のBCSの進捗具合ですが、KMTさんからのインストの予定が潰れまくっているため、進んでいません(^_^;

新たに見つけたドイツ軍の将軍達の列伝的な洋書

 以前、北アフリカ戦線のイギリス軍将軍や、ドイツ軍の将軍達の列伝的な洋書を発見! (2020/11/29)というのを書いてましたが、新たにドイツ軍の将軍達の列伝的な洋書を見つけました。





 14人が取り上げられており、目次によると以下の通りです。

Generaloberst Hans-Jiirgen von Arnim  …… The last General Commanding Army Group Africa

Generaloberst Eduard Dietl  …… The hero of Narvik

General der Panzertruppen Heinrich Eberbach  …… The Panzer specialist in the East and the West

SS Gruppenfiihrer and Generalmajor der Waffen SS Otto Hermann Fegelein 
 …… The commander of the SS Cavalry Division who became Hitler’s brother-in-law

Oberstleutnant Walter Koch  …… Commander of the Para Assault Battalion in the Low Countries and in Crete

Brigadefiihrer and Generalmajor der Waffen SS Otto Kumm
 ……  Enforcer in the Balkans as commander of the 7th SS Gebirgs Division ‘Prinz Eugen’

SS Brigadefiihrer and Generalmaj or der Waffen SS Kurt Meyer
 ……  ‘Panzermeyer’, who as General Commanding the Hitler Youth Division was one of Germany’s youngest general ofiicers

Oberfeldwebel Heinrich Schaefer  …… The defender of Cactus Farm in Tunisia

Generalmajor Theodor Scherer  …… The Hero of Cholm

Generalfeldmarschall Ferdinand Schorner  …… The last commander of Army Group Centre

Leutnant Erich Johannes Schuster  …… The paratrooper par excellence

SS Obergruppenfiihrer and General der Waffen SS Felix Steiner
 ……  The innovator who rose to command the ‘Wiking’Division and then the 11th Army

General der Kavallerie Siegfried Westphal  …… Chief of staff to three senior commanders


 「ある程度網羅的な」というものでは全然なく、特に興味深い人物を著者なりに取り上げたものという感じですかね……?




 あと、ちょっと前にこのような本を見つけて購入していました。



 この本は、ドイツ国防軍の装甲師団すべて(なのでSSのは入っていないですが、予備装甲師団とか後期の名前付きの装甲師団とかは入ってます)の戦歴と、師団長の略歴を記したものです。師団長の略歴は、もちろん短くしか載っていない人物もたくさんいますが、例えば1940年のフランス戦の時の第5装甲師団長であったハルトリープなんかはある程度の記述がありました。

 →1940年フランス戦役時の第5装甲師団長ハルトリープ将軍について(付:OCS『The Blitzkrieg Legend』) (2019/12/10)





 それから、これは買ってませんが、こういうのも。



 これは西部戦線での5人が取り上げられています。

Baron Hans von Funck
Baron Harald von Elverfeldt
Erwin Jollasse
Baron Heinrich von Luettwitz
Fritz Bayerlein

 私はリュトヴィッツとバイエルラインしか名前が分からない……?



 それから、一応こういうのも見つけましたが、あまりよくわからない……?






 人物伝というわけではなさそうでしたが、こういうのも見つけました。



 これは第二次世界大戦時のドイツ軍の「軍団」のシステムについて分析した本のようです。個人的には、軍ー軍団ー師団あたりのスケールやそれぞれの司令官に一番興味があるので、余裕があれば見てみたいですが……(しかし余裕などない(^_^;)。

OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』シナリオ3の第2ターン後攻ドイツ軍、第3ターン先攻ドイツ軍(ダブルターン)終了

 尼崎会で、OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』シナリオ3の第2ターン後攻ドイツ軍、第3ターン先攻ドイツ軍(ダブルターン)をプレイできました。

 今回は肉入り鍋さんも来られたので、ワニミさん、私との3人プレイでした。肉入り鍋さんには、私がずっとプレイしていたホートの戦区をプレイしてもらいました(私はアドバイス&1/144の戦闘機組み立てをしてました)。


 第2ターン後攻ドイツ軍のプレイですが、まず大事なこととして、鉄道変換の最先端の部分から一般補給を引けるようにしました。

unit9468.jpg

 ×印を置いてあるヘクス(の北)までこのターンに鉄道変換が来るので、予めそのヘクスまで前のターンに司令部ユニットを移動させておき、このターンに戦闘モードになって降車可能ヘクスを作ります。これでここから一般補給が引けるようになります。

 その上で……。

unit9467.jpg

 画像左下の赤い○の箇所にワゴンエクステンダーを作り(より後方にあったのを前ターンに解除して前進させてあったもの)、ここを最前線の一般補給源としました。これで、ホートとグデーリアンの戦区で今まで使用されていたトラックエクステンダーを解除して(も)、ここから一般補給が引けます。

 さらに、赤い□の場所に司令部ユニットを置いて架橋し、黒い矢印のようにして、包囲環から逃げかかっていたソ連軍部隊を包囲しました。

 ソ連軍側の視点に立ってみると、「ドイツ軍はこの小河川を越えては進撃できまい」と甘く見ていた部分がありました(T_T) 予想よりもドイツ軍の能力は高く、ソ連軍側は自軍がこのような事態に陥らないようにもっと目を配らねばなりませんね……(画像上方のようにわざわざ部隊をまわしてプレッシャーをかけている場合ではなかったかも……)。




unit9466.jpg

 ワニミさんのグデーリアンの戦区では、今まで包囲環の留め金になっていたダス・ライヒが損耗のダイス目が6ゾロで4ステップが一瞬にして蒸発するというアクシデントがあったものの、南からも包囲環を再形成します。




unit9465.jpg

 南端のクルィチャウ(画像左下)ではドイツ軍がようや解囲に成功。その東方のロスラウリには第1騎兵師団が取りついていますが、ワニミさんによるとこれは「なんちゃって進撃」で、攻囲する実力はないのだとのこと(^_^;




 第3ターンのイニシアティブはドイツ軍が取ったので、3人でどうするか話し合いました。結果、ダブルターンを取れば、前ターンに進撃した包囲環を燃料をほとんど使わずに強化できる(移動モードを戦闘モードにすれば良いだけなので)ので、先攻を取った方がよいだろうということになりました。


unit9464.jpg

 ホートの戦区は細かい入れ替えだけでしたが、グデーリアンはさらに東方に部隊を食い込ませ、勝利得点ヘクスへの補給路を切りました。




unit9463.jpg

 南端では、ロスラウリの南側面に入っていた第1騎兵師団が撤退。ロスラウリも勝利得点ヘクスなのですが、中央で勝利得点は獲得できるだろうと見て下がった面もあります(あと、一般補給が届かないので)。

 ワニミさんは「グデーリアンの戦区のSPがなさすぎる!」と何度も嘆いておられたのですが、第1ターン冒頭にソ連軍がクルィチャウの第3装甲師団を包囲攻撃してきたため、それに対応せざるを得ず、そこにSPを食われている面があるなぁ、と。


 この後、ソ連軍がダブルターンを取る可能性もありますが、どう展開するか……(ソ連軍側もSPがないし、戦力もないで、やばいです)。


OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』シナリオ3の第1ターン後攻ドイツ軍、第2ターン先攻ソ連軍終了

 先日、OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』シナリオ3の第1ターン後攻ドイツ軍、第2ターン先攻ソ連軍を終了しました。



 ↓ホートの戦区

unit9470.jpg

 ソ連軍は第1ターン先攻ソ連軍プレイヤーターンの間に中央矢印のようにわりと移動力の限り(移動モードで)突っ込んでいっていたのですが、後攻ドイツ軍プレイヤーターンにドイツ軍側は戦闘モードでソ連軍を高比率でボコ殴りしまして、「移動モードばっかりで突っ込んで、戦闘モードで殴られるとか、やっちゃいけないことだったぁ~!」と反省(>_<) 突っ込むこと自体はいいのですが、もう少し距離を取っておくべきだったなと思いました。

 その南のヤルツェボ方面では、赤線で囲った部分は東のソ連軍司令部から一般補給が届く範囲であり、包囲環から多くの部隊がそれらのヘクスに入って補給切れを免れたため、ドイツ軍側からすれば、灰色の矢印(見にくいですが)のようにしてヤルツェボヘクスの南のヘクスも確保しておくべきだったことに気付きました。

 また、画像左上の矢印のようにして、第1ターンにマップ外ボックスに出ていたユニットが再度マップ端から入ってきてドイツ軍にプレッシャーをかけています。





 ↓グデーリアンの戦区

unit9469.jpg

 第1ターン後攻ドイツ軍プレイヤーターンに、画像右上の赤い○の箇所にダスライヒの1ユニットが突っ込んで、包囲環への一般補給を切りました。それに対してソ連軍はオーバーラン、航空爆撃、砲撃、戦闘でこのヘクスを攻撃しまくったのですが、どれにおいても私のひどいダイス目により、このユニットをどけられず(^_^; 黒い線が囲んだ範囲の部隊がまだ一般補給が入らないのですが、キャッシュマーカーによって一般補給を入れました。

 この「ダスライヒユニットの突っ込み」によって補給を切る件は、最初ドイツ軍側から見てあまりうまくいかないだろうと私は考え、やらない方がいいのではないかと思ったのですが、ワニミさんに、ソ連軍に手を掛けさせる、OODAループで後手を取らせるという意味でも突っ込むべきであると言われて、「なるほどなぁ」と。実際、もしこの突っ込みがされてなかったら、ソ連軍は楽々と部隊を回収して、イエルニャなどに攻勢を準備したかもとも思います。

 画像左下では、第1ターン先攻ソ連軍プレイヤーターンに包囲されたクルィチャウをドイツ軍は解囲しようとしたものの、戦力不足で成し遂げられず。しかもグデーリアンの戦区には3Tくらいしか残っていないそうで、「マジにSPがない……」と苦悩しまくっておりました(T_T)

クルセイダー作戦時のイギリス軍第22機甲旅団について(付:OCS『DAK-II』、BCS『Brazen Chariots』)

 北アフリカ戦線のイギリス軍の将軍について扱った『The Desert Generals』を読んでいってまして、クルセイダー作戦のところまで進んできたのですが、第22機甲旅団について話が割と出てきまして、よく分からないでいたのがちょっと調べて分かってきた面があったので、書いておこうと思います。





 とりあえずまず多くの資料において、クルセイダー作戦の時には英連邦軍の機甲師団は第7機甲師団1個のみで、その下に以下の機甲旅団がいたとされています。

 第4機甲旅団
 第7機甲旅団
 第22機甲旅団


 ところが、OCS『DAK-II』のカウンターシートを見てみても、第7機甲師団の中に第22機甲旅団が見つからない……。BCS『Brazen Chariots』には第7機甲師団の所属だということで入っているのに。

unit9471.jpg



 しょうがないので、VASSALで『DAK-II』のモジュールを起動してクルセイダー作戦シナリオのセットアップを見てみて、分かりました。第22機甲旅団は第1機甲師団所属になっている!(第22機甲旅団のARだけが緑色の○で囲まれているのは、訓練が終了するまでは未熟ユニットで、ARが-1されるということを表しています)

unit9472.jpg


 試しに『第2次大戦 イギリス機甲部隊』を見てみると、第22機甲旅団はイギリス本国で第1機甲師団に配属された状態から、1941年10月2日、第1機甲師団の先遣部隊として英本土からエジプトのデルタ地区に移動し、さらに11月8日に第7機甲師団に配属しなおされた、とありました(P56)。




 クルセイダー作戦は11月18日からなので、その時点では第7機甲師団所属だったということになると思われます。しかし後に、少なくとも1942年6月26~30日のマルサ・マトルーの戦いの時に第1機甲師団に配属されたようなので(その後また第7機甲師団に配属されたりもしているようですが)、OCSにおいてはずっと第1機甲師団所属だという扱いにされているようです。

 この方法だと、「複数ユニットフォーメーションに1SPで燃料を入れる」という面では損をするのですが、第1機甲師団の専用トラック付きでセットアップに登場するので、トラックの面ではえらい有利になりますね。


 あと、第22機甲旅団について『The Desert Generals』で複数回出てきたのが、これが「territorial troop」だという話で、これは常備軍とは違う「国防義勇軍」によって編成された部隊で、常備軍出身の兵士達よりは元々未熟であった、ということのようです。

 細かい経緯については、こう書かれていました。

 1941年夏までには、リビアのイタリア軍はロンメル将軍のアフリカ軍団によって強化され、イギリス軍に対して潮目が変わっていた。イギリス戦争内閣の国防委員会は、第22機甲旅団をできるだけ早く派遣することを決定した。この旅団は対侵攻の役割で訓練されており、到着時には砂漠での行軍などのために一定の準備が必要であることが認識されていた。新しいクルセイダー戦車もまた、砂漠の状況に合わせた改造が必要であった。しかし国防委員会は、同旅団が9月中旬までにエジプトに到着し、11月1日【元々のクルセイダー作戦の決行予定日】までに行動に移せるようになることを期待していた。結局、第22機甲旅団を乗せた護衛艦隊は8月15日に出航し、喜望峰を周回した後、10月2日にようやくエジプトに到着した【『The Desert Generals』によれば、下船が完了したのは10月14日?】。このため、第8軍の反攻作戦(クルセイダー作戦)の開始は11月中旬まで延期されなければならなかった。
英語版Wikipedia「22nd Armoured Brigade (United Kingdom)」



 『The Desert Generals』には、到着の遅れてしまった第22機甲旅団はエジプトに到着してからクルセイダー作戦までの4週間で訓練を完了させ、砂漠に慣れなければならなかった(そのための期間をひねり出すため、オーキンレックはクルセイダー作戦の開始を15日間遅らせた)……と書いてありますので、OCSで訓練が必要な緑色の○が付けられているわけですね(第4と第7機甲旅団は元々最初からエジプトにいた第7機甲師団の部隊であるので、ゲームが開始される時点で訓練が終わっているのです)。

 あるいはまた、この第22機甲旅団が到着して、訓練が終わるまではクルセイダー作戦を開始できなかったわけですから、当時のイギリス第8軍にとって非常に重要な部隊、戦力であったということですよね。

VASSALでOCS『Smolensk』キャンペーンソロプレイ:第1ターン後攻ソ連軍(やりなおし)終了時

 VASSALでOCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』のキャンペーンソロプレイ、やりなおしの第1ターン後攻ソ連軍終了時までプレイできました。

 といっても、前回のエントリからの差分を考えると、メインはドイツ軍側のリアクションフェイズ中の移動です。




unit9473.jpg

 ホートの戦区には予備モードのものは残っていなかったので、グデーリアンの戦区だけ。

 オルシャの南ですが、オルシャのすぐ南のヘクスをどかして鉄道線沿いにドニエプル川を渡河するという方法があり得る(黄色い矢印)のですが、その先に12-2-2なんていう歩兵師団がいるので実質その線は無理です(実際にはリアクションフェイズ中にはこの12-2-2はその北のヘクスに予備モードでいたのですが、まあこのヘクスを塞ぐのが鬼重要なので)。

 その南の方でドイツ軍部隊がいたヘクスの対岸はすべて塞がれてしまった(塞がれる予定である)ので、3方向(3つの赤い矢印)に渡る方向を選択できるヘクスに戦闘モードで徒歩移動になれるユニット(だけが1/2で攻撃できる。そうでないと1/4とか1/3)を積んでおきました。その徒歩ユニットで戦闘フェイズに攻撃し、空いた穴から予備モードになっていた装軌などのユニットが突破フェイズ中に移動するという算段です。


 モギレフ方面ですが、こちらは前回のプレイで一つ気付いたことがありました。移動フェイズをドニエプル川沿いのヘクスで始めれば、予備モードになって1ヘクス移動保障で架橋ヘクスサイドを渡り、突破フェイズ中には全移動力で移動できるのです。これが、ドニエプル川沿いでない場所で移動フェイズを始めた場合、移動力が16で1/4移動力は4とすると、装軌で架橋大河を渡るのに1+3=4移動力、自動車化で1+5の6移動力かかるため、絶対に移動フェイズ中には渡河できず、そして突破フェイズ中には4なり6なりの移動力が余計にかかってしまいます

 そこで今回、予備モードであったユニットを極力ドニエプル川沿いに置き、しかも架橋マーカーも使うし、別の場所で司令部による架橋もしてしまう(つまり架橋箇所を2ヶ所にする)という方向で考えました。それが赤い矢印の2ヶ所です。一番左下のものはホントはもう1つ右上のヘクスの方が良いのですが、モギレフに航空阻止が成功してしまっているため周辺で必要な移動力が増大しており、次善の策としてこの場所になりました。

 この考え方からすると、ドイツ軍プレイヤーターン中に突破モードになっていた第7装甲師団のユニットもできるだけドニエプル川沿いに置いた方が良かったかもです。実は第7装甲師団の戦闘モードのユニットでモギレフ南岸のヘクスを封鎖することも何度も検討したのですが、封鎖するとソ連軍がそれに対応するために12-2-2ユニットを置き捨てる他なく、それはそれでドイツ軍にとっても鬱陶しいかなと思ってやめておいたのですが、やっておいた方がよかったか。

 ただ、ここまで書いてきたやり方は、第2ターンのイニシアティブをソ連軍が取って、ソ連軍が先攻を選択したら、ハイスタックがすべて航空爆撃でDGにされることでしょう(警戒空域もないし、密集度修正があるし)。ですから本番でやるとしたらかなりのギャンブルです。ここまでお膳立てが揃っていたら、ソ連軍プレイヤーが先攻を選択する可能性は増大するでしょうしね……。

OCS:専用トラック上のSPでその複フォメ以外にも防御用のSPを入れられるか? & 厳密と融通

 以前、こういうツイートをしてました。





 ルール項目的にはここらへんです。

OCS 12.4 戦闘補給
・防御側:戦闘毎に2T
(例外:1RE以下なら1T)

OCS13.2g 専用トラック
B)同じ複数ユニットフォーメーションに所属しているユニットだけが、その積載している補給ポイントを受給できます。



 その後たえさんが念のためMMPに直接質問のメールを送られたところ、OCS副班長のChip Saltsman氏から返信が来まして、基本的には(ルールを厳密に適用するのであれば)「できない」ということだったのですが、このようなことも書かれていました。
(たえさんの出した例は、専用トラック上に1T、補給集積所に1Tがあって、複数ユニットフォーメーションの4REと複数ステップユニットの4REがあった場合、その計2Tで全8REに防御用の戦闘補給を入れてもいいか、というもの)

 もしあなたの対戦相手が非常に物分かりの良い人であった場合、あなたの例で利用可能な補給集積所上の1Tを消費するならば、あなたはその対戦相手を納得させることができるかもしれません。これは「accommodation(融通、便宜)」のカテゴリーに入るでしょう。これは、新しく増援フェイズに到着したSPを航空ユニットに整備する前にマップ上に配置したり、航空ユニットを航空基地の隣に配置したり、SPを航空基地の隣に配置したり、あるいは、プレイヤーの利便のためにSPをそのヘクスの隣に配置したりするのと同じようなものです。


 最初の文の原文は「Should you have a very reasonable opponent, you might convince them」で、より詳細に訳せば「もし万が一、あなたの対戦相手が非常に物わかりのよい人だったならば、(厳密に言えばもちろんダメなのだけども)相手はそのような使用法を見逃してくれるかもしれませんね。」という風に解釈すべきなんだろうと思いました。
(Shouldで始まる文は「もし万が一~であった場合には」という、ifで始まる文よりも可能性が低い文になります)

 「これは"accommodation"(融通、便宜、和解)のカテゴリーに入るでしょう。」という一文もそれを裏付けていると思います。

 その後の文ですが、1つ目は完全に、明らかにルール違反です(^_^; 航空整備用のSPは、増援フェイズの前にそこに置かれていなければならない。

 ただ、2つ目以降は、我々は「別にそれでいーじゃん」と思うような例ではあります(^_^; が、まあ良く考えてみればルールに完全に則っているとは確かに言えません。

 まあそこらへんも含めて、Chip Saltsman氏が言っているのは、「書かれているルール的には絶対ダメ。でも、対戦相手が、あーそれくらいいいよいいよ、って言ってくれる人なら、認めてくれることもあるかもですね。」という意味だと思われました。



 たえさんはさらに念のため、「結論的には、この問題はプレイヤー間で調整するのが妥当ということでしょうか?」と質問されました。そこで返ってきた返信が以下のものです。個人的に色々興味深かったです!

 私のおすすめは、プレイヤー間の融通を利かせることだと思います。OCS(もしくは他の)ゲームをプレイする上での哲学に迫るような質問をする方は多くはないので、私はこのやりとりを楽しく感じています。

 OCSは非常に多様なプレイが可能であると共に、非常に安定したルールへと進化してきています。しかし、そのルールもすべての状況を想定できているわけではありませんから、あなたのように厳格なルール解釈が一つの道である一方、「調和のとれたゲームプレイのためには厳格なルール解釈は必要ない」というのが別の道である場合もあるでしょう。

 私たちのゲームクラブでは、例えば、相手の戦線に穴が開いていたり、側面包囲になりやすい状況などがあれば、相手プレイヤーにその問題を引き起こす一手を指摘して、相手に状況を修正する機会を与えることを実践しています。プレイヤーの未熟さやミスにつけ込むのではなく、戦術や作戦に基づいてゲームに勝利したいものです。また、相手が常に補給コストを払い、移動コストを正確にカウントし、常に誠実にプレーすることを信頼していることも条件となります。

 このような哲学を持って、対戦相手に「今これこれの状況で、防御用の戦闘補給を入れたいんですが、専用トラックから1T、補給集積所から1Tを払ってそれを満たしちゃダメでしょうか?」と尋ねてみた場合、答としては「ああ~、それくらいいいよ」、あるいは「いや、それはルール違反だから認められない」かのどちらかではありましょう。でも我々はゲームをしているわけですから、ゲームを楽しむべきなのだと思います。そういう文脈の中で、私はプレイヤーの方々に融通を利かせることを推奨します。

 これは私自身矛盾しているように見えるかもしれませんが、私は「このオーバーランに必要な移動力が足りないんだけど、でもオーバーランしていい?」というような状況を推奨しているわけではありません。法的に正しい答えが社会的に正しい答えではない状況があるのではなかろうかと思っているわけです。(これが日本の「和」の概念に該当するかどうかはわかりませんが、私は和の争いを好むのです)。



 私は個人的にはこういう感覚にすごく共感を覚えます。私はカードゲーム(遊戯王とか)をやる時でも、「いくらでもやり直してもらってもいいよ!」という姿勢でやってましたし。

 尤も、特にカードゲームの世界には(ウォーゲームの世界にも)、こういうカジュアル勢(楽しむのが一番)と、ガチ勢(勝負が一番)の両方がいて、その傾向は割と相容れない……というのも確かなことだろうとも思っています。ガチ勢はガチ勢同士が対戦するのが一番で、カジュアル勢と対戦するとイライラしたりするようです。カジュアル勢も、ガチ勢と対戦すると心が折れたりします(>_<)

 ゲームによってもそういう差異があり、ガチ勢同士の対戦に非常に向いているウォーゲームも色々あるようです(よく知りませんけど(^_^;)。

 OCSはと言えば、私は明確に、カジュアル勢向けであろうと思っています。奇襲によるコラムシフトやダブルターンの存在、それに戦線突破しやすく(されやすく)、かなり「壊れやすい」ゲームである(それゆえに「ショック戦(電撃戦)」が再現できる)ことがその理由です。もちろん一方で、ガチ的にプレイできればそれだけ非常に面白みが増す(陽動、欺瞞、奇襲や、OODAループで相手に後手を取らせ続けることなどが非常に効果的に再現される)のも確かで、その意味でその領域に近づきたいものだと常々精進している感じです(そしてOCSのプレイには割と多人数が必要なので、プレイヤーが増えて欲しいです(^_^;)。



 この2つ目のメールについて、私のブログに書いても良いかChip Saltsman氏に尋ねたところ、このような返信が返ってきました。これもまた興味深い話でした。どこが境目になるかは人それぞれというところもあると思うので、それこそ調整が必要だろうとも思いますが……。

 たえさんに返信していた私の考えをブログに書いていただけるのは光栄なことです。たえさんの質問によって、私の中に非常に興味深い、ゲームプレイについての哲学的な疑問が沸き起こりました。 アメリカ人が言うところの「一字一句厳密に」書かれたルールを適用する、ということを無視して、プレイヤーが状況に応じた対応をしなければならないケースとはどのようなものでしょうか? 私たちはどういう時に「調和のとれた対立」のために努力すべきなのでしょうか? 私が彼に返信を書いた後、この質問はゲームプレイにおける礼節と倫理についての興味深い記事になるだろうと思いました。 どのような状況が、融通を利かせて対応する必要のあるものでしょうか?

* たえさんが言っていた状況。 大きなスタック(半分は複数ユニットフォーメーション、半分は4ステップ師団)には2Tの防御用の戦闘補給が必要です。専用トラックに1T、補給集積所に1Tあります。両方の1Tを消費することで防御用の戦闘補給を満たしていると言っていいのでしょうか? (私の見解はYESです。これは融通を利かせてよいと思われます)

* 相手は自分の戦線に大きな穴を開けてしまったり、他にもミスをしてしまったりしているが、それは相手が簡単に直すことができるものである一方、あなたはそれらのミスをついて簡単に大勝できる。 それらのミスを指摘して相手に調整させるのが正しいのでしょうか? (私の考え方としては、相手のミスで勝ちたくないというのが本音です)

* 対戦相手はある防御陣地にわずかなユニットだけを配置しています。 あなたは「戦の霧」を活用して、そこに大軍を集中させています。 あなたは相手に警告して、その地域を強化できるようにすべきでしょうか? (私の見解では、欺瞞行動を公表する必要はありません)

* 対戦相手はひどい状況をなんとか切り開くために必死の攻撃をしたのですが、防御側奇襲が起こって恐ろしいほどの大敗を喫してしまいました。 私は彼に同情して、彼に再ロールさせるべきでしょうか? (私の考えでは、ダイスの目は最終的なものですが、プレイヤーとしての価値は一回のダイスの目では測れないと考えています。しかし、もしプレイヤーが賢明でない攻撃をたくさんして戦いに負け続けるのであれば、そこから学ぶ必要があります。 ダイスロール、移動量、地形コスト、戦闘力は変更することはできません)

* 対戦相手が初めてOCSゲームをプレイしていて、数ターン後に自分が何をすべきだったかに気がつきました。 あなたは一度リセットしてもう一度やってみるべきでしょうか? (私の見解では、私たちは楽しみ、学び、システムの謎を解くためにこれらのゲームをプレイしているのです。ゲームをリセットして、どのようなムーヴがより好ましかったかを披瀝し合い、もう一度ゲームをプレイするのが良いでしょう)

* 対戦相手は見事な作戦を実行し、マップ上のあるエリアで私の軍を粉砕しました。 (私の考えでは、あなたは相手と握手をして、相手の作戦がどんなに素晴らしかったかを伝え、そこから何が学べるかを見るのが良いと思います!)

* 対戦相手は秘密裏に補給ダイスロールを行っていました。観戦していた人が、彼らが不正をしていると私に言いました。「彼らは常に高いダイス目が出ているふりをしているぞ!」と。 (私の考えでは、本当に信頼できない相手とはプレイできません。私は彼らが不正行為をしていると非難はしないかもしれませんが、私は彼らと再び喜んでプレイすることはないでしょう)

*対戦相手が、私の戦線に偵察大隊を忍び込ませ、それを重要な鉄道線の上に置いて、私の全軍を一般補給が引けない状態にし、小さな部隊でもって大きな問題を引き起こしました。 (私の考えでは、この種の問題のために予備部隊や守備隊を持っておくべきですが、このような小さなユニットから起こる結果に対しては、包囲された軍が自動的に糧食(OCS 21.10b 補給キャッシュマーカー)のターンを持つか、無視されるべきでしょう。 巻き込まれた戦力の過多でゲームを左右する結果になることは理にかなっていないと思います)

*対戦相手は心神喪失状態となり、ゲームに負けるのは時間の問題だとぶつぶつ言いながら、今すぐやめた方がいいかもしれない、プレイを終わりたいと言っています。 (私の見解としては、あなたは陣営の入れ替えを申し出るといいでしょう。これは特に、長い後退の後で形勢が逆転し、相手が攻撃的になるのを好んでいたにもかかわらず、主導権が交代しており、相手が続行することにあまり興味を示さないような場合に有効です)

これはヨーロッパやアメリカの文化的な性質なのか、それとも日本でも見られるものなのかはわかりません。

長々とした回答で申し訳ありませんでした。


VASSALでOCS『Smolensk』キャンペーンソロプレイ:第1ターン後攻ソ連軍(やりなおし)移動フェイズ終了時

 ツイッターに書いてましたが、OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』キャンペーンソロプレイを、第1ターン後攻ソ連軍からやり直していました。






 ↓移動フェイズ終了時。

unit9476.jpg

 画像右の方のヤルツェボのみならず、その対岸、それにその東方の村にも守備隊を置きました。また、スモレンスクの北に戦車師団を予備マーカー付きで置いてあり、ドイツ軍の移動に合わせて対応できるようにしました。

 画像左側の赤線で囲った3つのユニットですが、元は一番左上にいた13-3-3(3ステップ)と砲兵ユニットです。前回のソロプレイでは「ドイツ軍に包囲されてしまい、損耗に追い込まれるのが明らか」と見て撤退していたのですが、そうするとドイツ軍に進まれすぎてしまうのが問題だと感じました。そこで今回は、一番左上のヘクスには13-3-3の2ステップを残し、1ステップは分遣連隊にして1ヘクス南東へ、そしてさらにもう1ヘクス南東に砲兵を下げました(画像では戦闘モードですが、第1ターンは移動力半減なので移動モードでないと無理ですね(>_<))。

 こうすると、ドイツ軍はこの4ステップ分を包囲するのは難しく、オーバーランで取り除くにしても回数と移動力を消費してしまうでしょう。ソ連軍の守備に関して、私は最近このような「数珠つなぎ(あるいは尻尾)方式」が有効ではないかと思っています。都市ヘクスのまわりに尻尾を2つ作ったり、1ヘクス離れた障害地形に置いたユニットを結びつけつつその後ろに尻尾を複数作ったりとか。最前線に一本の戦線を張ると一部で突破されて一部が包囲されてしまいやすく、またハイスタックも単純に包囲されてしまいやすいのですが、このやり方であれば包囲に必要なリソースを増大させ、ドイツ軍に「ウゼぇ……」と思わせられるのではないかと(^_^;

 また、ソ連軍の戦術爆撃機ですが、以前はドイツ軍のハイスタックをとにかく狙うということをやってましたが、それに対抗してドイツ軍側はとにかくスタックをばらすということをやるので、そうなると航空阻止(Interdiction=鉄道妨害:TrainBusting)をドイツ軍が進撃したそうな場所を狙ってやるのが良いだろうと思います。画像では今回狙った場所すべてにInterdictionマーカーを置いてみましたが、実際に成功したのはモギレフヘクスに対してのもののみでした(しかし、この成功はだいぶイヤらしいとも思われ……)。




unit9475.jpg

 こちらは、よりドイツ軍の進撃路を邪魔し(大して増やせてませんが……)、クルィチャウ(Krichev)周辺を守るようにしました。一方で、前回はロスラウリ(Roslavl)方面へ回していた部隊がここにとどまっている面があります。


VASSALでOCS『Smolensk』キャンペーンソロプレイ:第2ターン先攻ドイツ軍移動フェイズ終了時

 VASSALでのOCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』キャンペーンソロプレイ、第2ターン先攻ドイツ軍の移動フェイズ終了時までプレイできました。



unit9479.jpg

 ホートの戦区では、前のターンにソ連軍がヤルツェボ(画像右端)への進路を塞ぐべく配慮したにもかかわらず、やはりヤルツェボに向かうのが一番得策であるようだと判断して東進する準備をしています。予備モードで1/4移動力で行ける範囲がちょうど一般補給が届く範囲でもあったので、その辺りで予備モードになっており、突破フェイズ中に(2)-1-2を吹き飛ばしてヤルツェボへ向かうつもりです。

 エクステンダーは、次のターンにトラックエクステンダーをどこかいい場所に作れればなぁ、と。

 今回のように第1ターンが上手くいっていれば……の条件付きではありますが、こうしてみると史実通りヤルツェボへ向かうのが一番の得策である気がしますね~。





unit9478.jpg

 グデーリアンの戦区です。オルシャの南ではソ連軍側が小憎らしいほどうまく邪魔なように部隊を置いて航空阻止もしており、ドイツ軍側としては敵部隊を吹っ飛ばして(ただしあまり成功率が高くない)既存の橋梁を確保するか、あるいは攻撃はまったくせずに橋梁マーカーを渡って進撃だけするかでかなり悩んだんですが、結局後者を選択しました。

 モギレフ方面では、モギレフの北西方向へ延びる二級道路上に置いてある10-0司令部でもって、南西方向の盤端に対しても燃料を入れられることが分かったので、もう一個最初からあった10-0司令部をドニエプル川沿いに置いて架橋することにしてみました(しかし後で司令部が足りなくなるかもしれないので、その時はまた置き直しするということで(^_^;)。

 すでに輸送ワゴンを5つ、架橋ポイントに集めてあり、次のターンにはドニエプル川東岸にワゴンエクステンダーを作るつもりです。

 予備モードにして移動フェイズ中にドニエプル川を渡れるユニットはごくわずかで、多くは予備モードでまだ西岸にとどまり、突破フェイズ中に架橋されたところから渡っていって進撃する予定です。


 画像ではものすごいハイスタックになっているように見えますが、スタック制限は遵守しております(^_^;


試論:OCS基本ルールへの尼崎会オリジナルハウスルール案4つは不要?

 かつて、OCS基本ルールへの尼崎会オリジナルハウスルール案4つ (2019/12/16)というのを書いたことがありました。


 しかしもちろん、ほとんどのOCSゲーマーはそのままの基本ルールを支持しているのですし、尼崎会で感じられる「問題」の方こそが間違った考え方であろう、あるいは間違った考え方であった方がいい、という思いは強くありました。


 まあそのような思いは抱えつつOCSゲームをプレイし続けていた中、ここ最近は尼崎会で、「我々は装甲師団などの基本的な扱いについて全然理解できてないのではないか(ワニミさんも私も、装甲師団がいっぱい出てくるようなウォーゲームを昔からプレイしまくってその扱いに慣れている、とかいうような人間ではないため)。そのあたりを、『Smolensk:Barbarossa Derailed』をがっつりと何度もプレイしてみることによって、学んでみるべきではないだろうか」ということでプレイしていたのですが、ここに来て「やっぱり我々は色々間違っていたのではないか?」ということが少し見えてきたような気が個人的にしています。そこで、そこらへん「試論」という形で、書いてみたいと思います。


 以下、前掲のブログエントリで挙げていた「問題」の順番に考察していきます。



1.砲兵問題

 「砲兵の本来的でない任務に使用されがちである」「砲兵ユニットがあっても撃つだけのSPなどない」というのが問題意識だったわけですが、個人的にここ最近思えてきたのが、「OCSの砲兵ユニットは、ユニット化できないような非常に小さい規模の部隊の様々な任務に使えるようになっているのではないか」という仮説です。

 例えば、「観測のために砲兵ユニットを使う」「カーペットのために砲兵ユニットを使う」「どうしても戦力が足りない時に砲兵ユニットで戦線を張る」「守備隊として砲兵ユニットを使う」とかがあったわけですけども、もし砲兵ユニットが我々のハウスルールのように数は1/3に削減、防御戦力もなく、ステップとしても使用できないとすると、それらの細々とした任務を、偵察大隊であるとか独立突撃砲大隊であるとか分遣連隊が担うしかありません。しかしそれはそれで「それらの部隊の本来的でない使い方」ではあるでしょうし、またユニット数が足りなくなって色々とプレイに支障を来すような気もします。

 そしてもしそう考えて良いならば、「砲兵ユニット全部が撃つだけのSPなど絶対に存在しない」ことに関しても、「それは当然」であり、砲兵ユニットは色々便利使いされるかもしれないが、必要な時には本来的な使用でSPを消費してね、ということで問題はないような気がしてきました。

 ちなみにこう考えるようになったきっかけは、先日チャールズ&ロバーツ賞を受賞したOCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』のヴィテブスクシナリオ研究記事で砲兵が観測ユニットとして使用されており、その使用を「砲兵の本来的な使用方法でない、と忌み嫌うOCSプレイヤーもいるのですが……まあしかし、このような使用方法は現状有効であるわけです」というような感じで言及されていたことでした。


 ただ、この考え方に反論するとすれば、「OCSでは工兵ユニットが、他のゲームでは単なる歩兵ユニットとして、本来的でない任務に便利使いされていることに対するアンチテーゼとして、かなり少なくしかユニット化されることがない。それなのに、砲兵ユニットは本来的でない任務に便利使いされてよいように多めに入っているのだという理解は、どうなのか?」とかでしょうか。

 これに対する反論は……うーん、思いつきません(^_^;(おい)




2.籠城問題

 「地形効果の厳しい都市や大都市ヘクスに、大量のユニットとSPを抱えて籠もられると攻勢側がどうしようもない」という問題です。元々この問題に関しては、「しかし防勢側はこのやり方によって多くのユニットとSPを無駄にすることになるのではないか?」という反論はあり得ると思っていました。

 『Smolensk:Barbarossa Derailed』を最近ソロプレイなどもしてみると、この反論はかなりアリかもしれないという気がしてきました。今までのプレイではオルシャ(周辺も)やスモレンスクに籠城するというのが尼崎会の定石だったのですが、「いのちをだいじに」と考えて「オルシャからは第2ターンには最低限のしんがりだけ置いて撤退」という考え方に切り換えれば、ソ連軍側は今までよりももっと多くのユニットを救えそうだということが見えてきました。またスモレンスクも、今までのようにスモレンスクに兵力を積み上げていくと、ホートが史実で突破していったヤルツェボへの進路の守備隊が薄くなり、かえってスモレンスクより後方で補給線を切られてしまうことに繋がるということが分かってきました。

 攻勢側としては、どこかに防勢側が籠城するのであれば、その分のユニットとSPが他の戦線で薄くなっているはずであり、そこを突破すれば良く、そうすべきである、ということかと思われます。逆に「なぜそうしないの? バカなの? 死ぬの?」ということではありましょう(^_^;

 ただ、単純に二分法で片付けられる問題というわけではなく、バランスであるとも思われます。籠城する側は、それだけのユニットとSPを犠牲にしても籠城することの方が得だと思われるからそうしているわけです。それらの籠城ポイントが重要な結節点にあるということもあります。

 個人的な感覚では、ユニット密度が薄いゲームであれば、「籠城するか、しないか」のジレンマがうまいこと働きやすいような気がします。逆に、ユニット密度がやたら濃いとか、地形がやや厳しめだとか、逆に地形が平地だらけで籠もれる場所が都市しかないとかだと、籠城することのメリットがでかくなってくるような気がします(『The Blitzkrieg Legend』はこれらの要素をすべて満たしてしまっているような……)。




3.騎兵問題

 「騎兵での嫌がらせができすぎる」という問題で、特に『The Blitzkrieg Legend』で顕著だと思われます(『tBL』ェ……)。

 他のゲームでは『tBL』ほど深刻ではなく、ただ『Guderian's Blitzkrieg II』なんかでも若干、「騎兵での嫌がらせできすぎぃ!」という気はしますが、一応許せる範囲内だという気もしますし、予備部隊を保持していれば問題なく対応できる、逆に言えば予備部隊を置いていないから対応できないのであり、予備部隊を使い果たしてるのであれば嫌がらせされても当然じゃね? ということも言えるかとは思います(^_^;

 ここらへん、尼崎会でのセオリーとなっている「1ユニット単位で自殺的嫌がらせするのが常道」ということとも関わってくるかと思えてきました。「1ユニット単位での自殺的嫌がらせ」に対しては、予備部隊を保持していればリアクションフェイズ中に対処してある程度無効化できて「嫌がらせ」がうまく働かずに「自殺」だけが発動するわけですが、一方で尼崎会では「予備マーカーを全然使わずにすべての部隊が前線に投入されてしまっている」のが常なのです(>_<)


 「予備を保持していない」→「1ユニット単位での自殺的嫌がらせや、騎兵による嫌がらせが有効である」

 「予備を保持している」→「1ユニット単位での自殺的嫌がらせや、騎兵による嫌がらせが効かない」

 …………完全に尼崎会のプレイがまずいのが原因では?(^_^;


 ただまぁ、「予備を保持していればあらゆる問題に対処できる」のかと言えば、そうとも言えないのも確かです。リアクションフェイズ中は移動力半減で、戦闘セグメントがないため、オーバーラン(3移動力消費)か、あるいはやられそうなユニットとスタックすることによってしか対処できません。1個装甲師団をまるまる移動モードで予備にしておいたとしても、対処できる範囲は割と狭いですし、戦力は低いです。あるいは砲兵ユニットを移動モードにしておいて、移動して砲撃するとかでしょうか。

 しかし『Guderian's Blitzkrieg II』などでは、装甲師団は多数あるのにSPが全然足りないですから、何割かの装甲師団や自動車化歩兵師団が移動もできずに放っておかれるということが頻発します。これらをうまいこと、嫌がらせされそうな場所に移動させて、SPをいくらか持たせておく、というのは有効そうな気はします。このことは『Smolensk:Barbarossa Derailed』でも当てはまりそうです。



◆まとめ

 まとめると、「予備を保持する」「命を大事にする」で籠城問題と騎兵問題のある程度以上が、「本来の用途以外の使用法を気にしない」で砲兵問題が(おい)解決し、そもそもそれらは最初から別に問題ではなかった、と考えられるとも思われます。

 『tBL』に関しては引き続いての「我々の方が間違っているはず」という深い考察(あるいは実験)が必要か、あるいはそれらは『tBL』だけの問題であってそこだけに対処すればよく、OCS全体の問題では全然ないと考えることが可能ではないでしょうか……。


VASSALでOCS『Smolensk』キャンペーンソロプレイ:第1ターン後攻ソ連軍終了時

 VASSALでのOCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』キャンペーンのソロプレイ、第1ターン後攻ソ連軍をプレイできました。



unit9486.jpg

 ヴィテブスクの北方にあるソ連軍の補給源は第3ターンまでしか有効でないので、第3ターンまでに盤外ボックスへ出ることを考えてムーブしました。一番西のユニットは元の位置に留まっていては間に合わないので、移動を開始しています。

 オルシャからスモレンスクにかけては撤退のために全力を傾けていますが、オルシャの南はドイツ軍にとってイヤであろうようには配慮しています。

 史実ではホートはスモレンスクの東のヤルツェボに向けて突進したわけですが、その進路にもできる限り、バランスを失わない程度に配慮しました。尤も、重要であろう回廊に航空阻止まで成功してしまっているので、むしろドイツ軍側としては「じゃあ、スモレンスクに向かうか」となるかも……。というのは、ある意味あらゆる場所に配慮した結果、スモレンスクの兵力はそれほどではない状態になってしまっているからです。

 ドイツ軍に半包囲されていた2ユニットは損耗チェックで壊滅し、ドイツ軍はここの小河川に架橋する必要はなくなりました。

 オルシャ南方では、第29自動車化歩兵師団が1ヘクスにいましたが、航空爆撃されたり、結局は架橋マーカーをより南に置いた方が良さそうだということが分かってきて、分散して置き直ししました(^_^;(尼崎会は置き直しウェルカムという姿勢です!)




unit9485.jpg

 こちらも第7装甲師団を集中させすぎていたので置き直ししました。ソ連軍は、機動力のある部隊はなるべく西へ移動させ、その他部隊はドイツ軍に対して最低限の邪魔はしつつ、ユニットがなるべく生き残るようにという姿勢でムーブしています。

 モギレフはできる限り保持するという方向性で、輸送トラックで2SP、航空輸送で1Tを入れました。


 ドイツ軍側ですが、これまでできるだけ「架橋/滑走路マーカー」を節約できるように司令部で架橋することを狙ってみていたのですが、どうもこの方向性はダメっぽいですね(^_^; 支給範囲が短くなってしまって、結構致命的にロスするもののような気がしてきました。

 幸いホートの戦区では架橋マーカーの必要がなくなったので、グデーリアンの戦区では架橋マーカーを使用するのではないかと思います。

VASSALでOCS『Smolensk』キャンペーンソロプレイ:第1ターン先攻ドイツ軍終了時

 VASSALでのOCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』のプレイ、第1ターン先攻ドイツ軍の終了時までプレイできました。


 前回のプレイはこちら↓

VASSALでOCS『Smolensk』キャンペーンソロプレイ:第1ターン先攻ドイツ軍移動フェイズ終了時 (2021/01/25)




unit9490.jpg


 ヴィテブスク南ヘクスへの攻撃は順当に成功して突破の結果を獲得したものの、まだDGにできていなかった北ヘクスへの砲兵砲爆撃、突破フェイズ中のヒップシュート×3回はすべて外れてしまいます(T_T) まあとりあえず突破フェイズ中の最後の攻撃のために重障害4:1+4となる戦力だけを整えておいて、突破フェイズ中のムーブを考察。

 史実ではヴィテブスクの真東方向に進撃したようなのですが、そちらは見込み薄と見て諦め、南東方向に。ソ連軍の2ユニットを半包囲して損耗チェックを食らうだろうようにしておくと共に、小河川に次のターン架橋できるように司令部ユニットを置きました。ただ、この司令部ユニットがここだと、次のターンこの辺りに一般補給を入れられないのではないかと気付いて増援を検討してみたのですが、増援のワゴンを足してワゴンエクステンダーを作ってしまえば、一応何とかなりそうでした……(でももし架橋マーカーを置いた方が結局は得そうだったら、置き直しするということで(^_^;)。

 ヴィテブスクのすぐ南に20-1-3の戦車師団(2/3ステップ)が残っているのですが、その南東に3-5-8のZOC持ちの偵察大隊を置いてあるので一般補給や燃料はそのままでは入れられないはず。しかしその南西にいる12-2-2歩兵師団が分遣連隊を出して二級道路を埋めれば燃料を入れて逃げられる……。あるいは、歩兵師団は逃がし、戦車師団は残ってまわりの砲兵連隊を殴って嫌がらせをするという方法もあるかと思います。これまでの尼崎会のプレイではまず間違いなく「攻撃→戦闘後前進して座り込んで嫌がらせ」なのですが、「なるべくユニットを失わないようにプレイする(その方が長期的には得かも)」のであれば、逃がす(歩兵師団と分遣連隊はその後なんとか回収を目指す)という方向性ですかねぇ……。

 ヴィテブスク北ヘクスへの攻撃はどうなるか心配でしたが、結局は損害なく成功してホッとしました。ヴィテブスク北ヘクスを奪取できると「航空基地が手に入って戦闘機を置けるので敵の爆撃に対する警戒空域が作れる」というメリットの他に、「ドヴィナ川の北側の歩兵を掃討しやすくなり、南岸の二級道路に及んでしまう敵ZOCをなくすことができる」という大きなメリットがあるように思います。敵ZOCがあるとそこにいたユニットが予備モードになれないのがかなり困るのです。また、第2ターンに増援として出てくる歩兵師団を戦略移動モードにしてなるべく前進させようとする際にも、敵ZOCが邪魔になります。ここらへん考えると、ヴィテブスク北ヘクスは無視するよりも取った方が得ではないかと現状私は思ってます。




unit9488.jpg

 この戦区は第29自動車化歩兵師団のオートバイ大隊をドニエプル川沿いまで持っていって合流させただけです。

 突破フェイズ中に司令部ユニットも第29自動車化歩兵師団のヘクスに移動させるという手もあるのですが、後攻ソ連軍プレイヤーターンのリアクションフェイズ中にもっと良いヘクスに置ける可能性もあるかもと思って、この時点ではまだ動かしていません。





unit9489.jpg


 モギレフの北にいた13-3-3歩兵師団はもくろみ通り退却させることができました。残り1ステップでDGでもあるので、装甲大隊を向かわせて壊滅させようかとも思ったのですが、「放っておいても損耗チェックに至って壊滅するかも」「わざわざ壊滅させると、補給を消費するのに、敵が補充で復活させるタイミングを早めるだけになるのかも」等を考えて放っておくことにしました。

 こちらも架橋するつもりの司令部ユニットをまだ移動させておらず、リアクションフェイズ中により良い場所に置くつもりです。


VASSALでOCS『Smolensk』キャンペーンソロプレイ:第1ターン先攻ドイツ軍移動フェイズ終了時

 OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』のキャンペーン第5ターンからのシナリオ3をセットアップしてあるわけですが、キャンペーンの第1ターンからをプレイしたくてウズウズするので、思い切ってVASSALでプレイを始めてみました

 OCSは割と色々複雑なのでVASSALでやるのはちょっとしんどいだろうとずっと思っていたのですが、『Smolensk』はさすがに何回も触っているので、結構いける気がしました。逆にこれで慣れれば、どのOCSゲームでもVASSALでプレイできるかもです。


 以下、自分の考えたムーブを、自分の利便のためにブログに書いておこうと思います。OCSは人によってものすごくプレイが変わってくるゲームですし、これがベストムーブだろうと思うとか、そういうことではあくまでありません……(あと、『Smolensk:Barbarossa Derailed』はランダムで最初の配置が少し変わってきます。また、今回補充のダイス目がすごく良かったのでいきなりユニットが3つ増えました!)。

 今回の前提となるムーブに関しては→OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』キャンペーン第1ターン初動研究「燃料ケチケチ作戦」ほか (2020/11/24)




unit9491.jpg

 第7装甲師団全部でヴィテブスクの西の戦車師団をオーバーランし、そのヘクスに戦闘フェイズにヴィテブスク南ヘクスを攻撃する用の戦力を積み上げています。中障害12:1+4の攻撃で突破の結果を獲得して、ヴィテブスク北ヘクスをも攻撃する……という目論見ですが、うまくいくかどうか。ただ、もし突破の結果を獲得したら、第7装甲師団の装甲部隊は東進して平地の敵歩兵師団を殴れる可能性もあります。

 司令部は予備モードにしておいて、突破フェイズ中にヴィテブスク東方の小河川に接して、次のターンには架橋できるように。

 第12装甲師団と第20装甲師団は予備モードにして移動力の1/4(以内)を使用していますが、わざと同じヘクスにいるようにして、突破フェイズ中に合同してオーバーランができるようにしてあります。





unit9493.jpg

 第29自動車化歩兵師団をソ連軍の第1自動車化歩兵師団の横へと移動させDGにすると共に、後攻ターンにもこのヘクスで頑張って、渡河点を確保するつもりです。そのために司令部を予備モードにしてあります。第29自動車化歩兵師団の偵察大隊が後方にいるのは、予備モードで追加1/4移動力を使用すればギリギリ戦闘モードのままそのヘクスまで行けるので。

 第17装甲師団と第18装甲師団の本体はまったく移動せずに予備モードになり、後攻リアクションフェイズ中に燃料を入れるつもりです。

 基本的に、ドニエプル川沿いにずらっと歩兵部隊を並べるのではなく、本当に架橋したいヘクスのみを確保していくつもりのプレイです(うまくいかない可能性もありますが……)。




unit9492.jpg

 先日ソ連軍側をプレイした時に、モギレフの北にいる13-3-3をモギレフに入れると超強いと思いました。モギレフにはAR4のユニットが1つだけあり、それを飛ばせば次はAR2なのですが、この13-3-3を入れるとAR3があと3ステップあることになるので。

 BGGのAARを見ていたら、OCSの筆頭プレイテスターのPerry Andrus氏も、この13-3-3を何とかすることが重要、と書いていた気がしたので、これをモギレフに入れないようにしてしまおうと考えました。

 壊滅させる必要はないのですが、退却方向を操作しないといけないので、北側だけを空けておいて南西から殴ることにします。

 渡河地点は西方からの二級道路が集まってくるモギレフ周辺にするつもりで、画像の北側の二級道路上で予備にしてある司令部をドニエプル川に接させる予定です。

 以前のエントリでは「壊滅させた方が楽」と書いていたモギレフ南西のソ連軍4-1-1歩兵師団ですが、この態勢で放っておけばかなりの確率で損耗してしまうことに気付きました(^_^;

 その北西の4-1-1も同じなのですが、万が一損耗しなかったらその西側で予備モードになっている部隊が東へ出てこられなくなってしまうので、戦闘フェイズ中に殴っておくつもりです。



 後攻ソ連軍をプレイする際には、ユニットを失わないことを心がけてプレイするつもりです(もちろん、本当に重要なケースでは犠牲をも厭わないとして)。


英連邦軍の「~ Command」という組織の訳語について

 ここのところ、第二次世界大戦中の英連邦軍の「~ Command」という組織の訳語について悩んでいることが多いということが自覚できてきたので、メモ的にブログに書いておこうと思います。また新しい情報や、うまい訳語が見つかってきたら追記するという方向性で。


 英語版Wikipedia「List of British Commands and Army groups」にそこらへんのリストがあるのですが、とりあえず北アフリカ戦線に興味を持っている人間として重要なのは、↓です。

Middle East Command (1939–1945)

 これはウェーヴェル、オーキンレックがその司令官を務めたものであり、その下に有名な第8軍(8th Army)が所属していました。後に第8軍司令官にモントゴメリーが任命された時のMiddle East Command司令官はアレクサンダーです。

 この「Middle East Command」をどう訳すのかですが、「中東軍」というのをよく見ます。が、この訳し方だと、ウェーヴェルがこの後にオーキンレックと入れ替わりで就任した「India Command」を「インド軍」と訳すことになります。これでは「インドという国の軍隊」と区別がつかないので良くないように思われます。

(British) India Command



 一方、「Middle East Command」を「中東方面軍」と訳しているものもあります。これならば「India Command」を「インド方面軍」と訳すことになるので、さきほどの問題は解消します。

 懸念としては、「方面軍」というのは日本陸軍の用語で、英訳するなら「area army」であり、イギリス軍ならば「Army Group(軍集団)」に相当する……と日本語版Wikipedia「方面軍」にはあるのですが、しかしまあ、便宜的な用語分けに過ぎないと考えれば良いような気はします。個人的な思いつきとしては、「戦域軍」というような訳語にも惹かれます。



 ところが、「~ Command」で表現されるのはそういう規模のものだけでなく、こういうのもあるのが分かってきました。

Southern Command
Western Command
Cyrenaica Command

 上2つは、イギリス国内をいくつかの戦区(防衛地域?)に分けたうちの1つのようで、ウェーヴェルは一時期「Southern Command」の司令官をしていました。最後のものは北アフリカ戦線でウェーヴェル攻勢によってリビアのイタリア第10軍が壊滅的損害を受けた後に、もはや戦時的ではない、平時的な指揮組織としてキレナイカ地方(リビアの東半分)に設けられたものでした。しかしロンメルの第1次攻勢によってすぐに戦時に戻ってしまったので、この組織はすぐに解消されてしまいました。

 これらの日本語の訳語を知らないのですが、「Cyrenaica Command」については「キレナイカ兵団」と訳しているものをどこかで見たことがあります。しかしこの訳語はあまり良くなさそうではあります。

 例えば「~地域守備軍」というような訳語であればややましか……。



 あるいは昨日、BCS『Brazen Chariots』のHQディスプレイが作れないものかと作業をしていたのですが、その際にイタリア軍の司令部として「Bardia Command」と「Frontier Command」というのがありました。詳細は分かってないのですが、まあこれらは「バルディア守備隊」「国境守備隊」と訳すのがぴったりであるような気がします……。




 ついでに書いておきますと、当時、陸軍大臣(Secretary of State for War)の下には「Army Council」という評議会?があったようで、これの訳語で定まったものがありそうだったらと思い探してみたのですがよく分からず……。

 ネットだと「軍事評議会」という訳語が出てきますが、「幕僚長会議」(『史上最大の決断 「ノルマンディー上陸作戦」を成功に導いた賢慮のリーダーシップ』P45)、あるいは「三軍参謀首脳委員会」(チャーチル『第二次世界大戦②』P21)と同じものか、それとも全く違うものか……。

OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』シナリオ3セットアップと、以前プレイした時の第5ターン時との比較

 ワニミさんと一緒に、OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』のシナリオ3(キャンペーンの第5ターンから始まるシナリオ)のセットアップをしていました。


 セットアップが終わって気付いたのが、デッドパイルのユニットが非常に少ないことでした。我々がプレイした第5ターンの頃には、特にソ連軍のデッドパイルには山のようにソ連軍ユニットが積まれていた(歩兵師団だけで約30個)のですが、第5ターンから始まるこのシナリオではわずかしか置かれていません。


unit9495.jpg

 ただ、色々検証してみると、このシナリオ3のデッドパイルが実際に史実、あるいはプレイを最初からした場合の実際のデッドパイルを反映しているわけではなさそうだということも分かってきました。
(例えば、史実では第18装甲師団はこの時期戦車が12両しかなかったらしいのですが、それが反映されているわけではなさそうだし、キャンペーン+増援分のユニットがテーブル上にある状態でセットアップをやり直したのですが、ソ連軍で5ユニットほどがどこにも使用されていなかったのでカウンタートレーに直したりだとか、あるいはセットアップでマップ北東に置かれているソ連軍歩兵師団がキャンペーンでプレイした場合には第5ターンには達することのできない場所に配置されていたりだとかということがあり、色々と簡略化されているのだと思われます)


 しかしだとしても、やはり我々のプレイでは特にソ連軍ユニットがいくらか、あるいはかなり多めにデッドパイルに入ってしまっていたとも思われます。

 そこで色々ワニミさんと検討していたのですが、その要因としては以下のようなことが考えられるだろうと。

1.ドイツ軍部隊を足止めし嫌がらせをするために、オルシャやスモレンスクなどに大量の守備隊を置いている。

2.スモレンスク街道周辺のソ連軍ユニットは助けられないものと考え、そこで朽ちるに任せている面がある。

3.ドイツ軍のドニエプル川渡河を遅らせるために東岸に歩兵を大量に貼り付けるなどしていたが、渡河のタイミングをほんの少し遅らせるだけに過ぎず、自分は損耗(脱出)で壊滅してしまっていた。


 これらのプレイを見直し、「ソ連軍ユニットをできるだけ失わないようにプレイする」方向性が、史実に近く、またプレイにおいても有効で、欧米のOCSプレイヤーにとっての常識なのかもしれません。

 しかし一方で、オルシャやスモレンスクに強力な守備隊を置き続けSPを入れて生かし続けるという手法は、欧米のプレイヤーはやっていないかもしれないが、かなり有効である可能性もあるのではないか……とも思えます。

 ただしこの、都市/大都市が中障害/重障害で結節点にあることからユニットとSPを大量に入れて籠もるという手法は、尼崎会においても「籠もるよ問題」とも呼ばれ、史実っぽくないという印象はありました。逆に言えば、欧米のプレイヤーがやっているかもしれない「ユニットを大事にして下がる」という方法の方が最終的には強いのだと分かれば、我々の「籠もるよ問題」は「籠もらない方が賢いのだ」となって解消することになるでしょう。


 試しに、今回のセットアップと、我々がプレイした時の写真(元の写真はこちら)を比べてみました。

unit9496.jpg

 黒い線がシナリオ3のセットアップ時の戦線で、灰色の線が我々のプレイした時の第5ターン先攻終了時の戦線です。我々の時はヤルツェボ、イエルニャ、スモレンスク、オルシャを占領できていませんが、前2者に関してはドイツ軍のプレイがまだ上手くないからだと思われます。逆に、スモレンスクとオルシャが占領できていないのは、ソ連軍が大量のユニットを入れていることが大きいと思われます。

 我々のプレイでは、ドイツ軍の進撃は当初、相当遅れていたはずですが、第5ターンの時点では重要な場所はともかく、進出位置的にはだいぶ遅れを取り返している感じもします。また、ソ連軍ユニットの総数に関して言えば、やはり今回のシナリオ3のセットアップ時の方が多いように感じます。特に、マップの南西端あたりのソ連軍ユニットの重厚さが全然違います。

 また、シナリオ3は史実でスターリンが反撃を命令したところであり(そしてその反撃は最終的に失敗に終わった)、セットアップを見ていると「即時のソ連軍の反撃」には戦力が足りないと感じますが、一応反撃できなくもない、でも失敗に終わるだろうが……という感じです。しかし我々のプレイにおける第5ターンにおいては、ソ連軍は(ドイツ軍の進撃をだいぶ遅らせているはずではあるのに)戦力が少なくてしんどいしんどい、という感じであり、その時点でもし「反撃だ!」と言われても「いやいや、何を言っているのか。相手のこれ以上の進撃を止めることが果たしてできるかどうかも危うい、いや、できないであろうのに」という感覚でした。


 まあ、ドイツ軍のプレイがうまくなかった以上にソ連軍のプレイがうまくなく、不用意にユニットを失いすぎていた感はあるので、次回以降のプレイではもっとソ連軍はユニットを失わないようにプレイできるだろうとは思います。

 それでも「籠もるよ問題」は残っており、これを検証するために「籠もるプレイ」でキャンペーン19ターンをやってみて、しかるのちに「籠もらないプレイ」でキャンペーン19ターンをやってみて、差を比べてみるべきだ……という話になったのですが、うーん、さすがに時間がかかりすぎるという感も……(^_^;


 しかしこの、『Smolensk:Barbarossa Derailed』のフルマップ1枚で、キャンペーンの4つの時期から開始可能だというのは(分かっていたことではありますが)非常に参考になりますね! もっと早くやっておけば良かった……(>_<)


 もちろん、とりあえずはシナリオ3をプレイ予定です。ソ連軍としては、包囲されかかっているスモレンスク周辺のユニットを逃がすために最大限の努力をした上で、ドイツ軍が押さえている勝利得点都市を1つ奪回することが目標となります(もちろん、自分が今押さえている勝利得点都市を取られないという前提で)。

OCS『Beyond the Rhine』の最新エラッタを和訳してみました

 OCS『Beyond the Rhine』の最新エラッタを和訳してみました。

 ただ、連合軍チャートブックレット、枢軸軍チャートブックレット、シナリオ上の戦闘序列的な部分に厖大なエラッタがあるのですが、OCS Depotにあるv1.1のpdfファイルであればその辺はすべて修正されているはずなので、そちらをダウンロード、印刷して使用するのが良いと思います(チャートブックは元々サンセット和訳では訳出されていませんし)。

The OCS Depot Beyond the Rhine (4-14)


 シナリオ部分のエラッタからはルール部分だけの和訳を試みましたが、原文そのままでは分かりにくいので適宜分かりやすく表現してあります。あるいは、エラッタとv1.1で矛盾する箇所もあったりしたので、その部分に関しては皆さんの方で適当に処理してもらうということで……。

『ビヨンド・ザ・ライン』(2019/09/06付け)

クレジット
連合軍のプレイヤーノートを書いたのはTony Zbaraschukで、枢軸軍のプレイヤーノートを書いたのはSteve Campbellでした。

カウンター
1.カウンターシートNo.6のドイツ軍分遣連隊のユニットの中に1個、移動モードのARが4なのに戦闘モードのARが3のものがあります。すみません!
2.連合軍用の予備マーカーが1個足りません。何らかの方法で代用して下さい(あるいは枢軸軍のものを距離を離して使うなど)。



シナリオ6.2 44年秋(モントゴメリー)
◆特別ルールの3つ目の段落を、シナリオ6.9と同じものに変更します(つまり以下のものです。アメリカ軍のものの扱いが変更されました)。
・英連邦軍は通常通り補給表から補給を受け取ります。ドイツ軍の補給表の結果は全て半分になります(端数は切り上げ)。アメリカ軍の補給表の結果は全て3分の1になります(端数は切り上げ)。
例:アメリカ軍の7SPの結果は3SPとなり、ドイツ軍の7SPの結果は4SPとなります。

◆特別ルールの最後に、以下の2つの段落を追加します【v1.1から訳出しました。2つ目のものはエラッタには存在しません】:
・追加の補給源:枢軸軍はマップB南端にある鉄道線ヘクスを補給源として使用できます。連合軍はマップA南端にある鉄道線ヘクスを補給源として使用できます。
・枢軸軍プレイヤーは、セットアップ時に1つの複数ユニットフォーメーション給油済みにできます。この選択された師団の給油状態マーカーは戦闘ユニットの下に隠すことができ、開始時にどの師団が給油されているかは枢軸軍プレイヤーしか知ることはできません。



シナリオ6.3 44年秋(パットン)
◆特別ルールの3つ目の段落を以下のように変更します:アメリカ軍プレイヤーは最初の2ターン(9月5日ターンと9月8日ターン)は、サイコロを振って通常通り補給を獲得します。それ以降は、アメリカ軍の補給は3分の2にし、端数は切り上げます(つまり、7SPであれば6SPになります)。ドイツ軍は補給表の結果をすべて2分の1にし、端数は切り捨てます。
注意:連合軍は補給表の港湾によるコラムシフトを受け取れません。

◆特別ルールの6つ目の段落に「1個のアメリカ軍C-47」とあるのを「2個のアメリカ軍C-47」に変更します【ただし、v1.1の英文ルールブックでは「1個」となっています】。

◆特別ルールの最後に、以下の2つの段落を追加します【v1.1から訳出しました。2つ目のものはエラッタには存在しません】:
・追加の補給源:枢軸軍はマップD北端にある鉄道線ヘクスを補給源として使用できます。連合軍はマップC北端にある鉄道線ヘクスを補給源として使用できます。
・枢軸軍プレイヤーは、セットアップ時に1つの複数ユニットフォーメーション給油済みにできます。この選択された師団の給油状態マーカーは戦闘ユニットの下に隠すことができ、開始時にどの師団が給油されているかは枢軸軍プレイヤーしか知ることはできません。


シナリオ6.5 バルジ・キャンペーン
◆訂正:ドイツ軍が支配する港湾の機雷のチェックはまだ行われていません。


シナリオ6.7 北風作戦
◆明確化:39.xxヘクス列は境界の外側です。


シナリオ6.8 ドイツ帝国最後の戦い
◆訂正:緊急プールのユニットは準備完了状態です。

◆訂正:ルーア川マーカーは2月19日ターンのトラック置きます(連合軍プレイヤーターンの終了時に、ルーア川の氾濫は収束します)。

◆クラリオン作戦は枢軸軍の補給表にも影響を及ぼします。


シナリオ6.9 45年春(北方)
◆訂正:緊急プールのユニットは準備完了状態です。

◆訂正:ルーア川マーカーは2月19日ターンのトラック置きます(連合軍プレイヤーターンの終了時に、ルーア川の氾濫は収束します)。

◆追加の補給源:枢軸軍はマップB南端にある鉄道線ヘクスを補給源として使用できます。連合軍はマップA南端にある鉄道線ヘクスを補給源として使用できます。

◆クラリオン作戦は枢軸軍の補給表にも影響を及ぼします。


シナリオ6.10 45年春(南方)
◆訂正:緊急プールのユニットは準備完了状態です。

◆追加の補給源:枢軸軍はマップD北端にある鉄道線ヘクスを補給源として使用できます。連合軍はマップC北端にある鉄道線ヘクスを補給源として使用できます。

◆シナリオ特別ルールの3つ目の段落を削除します。

◆クラリオン作戦は枢軸軍の補給表にも影響を及ぼします。



ルール
1.確地ユニット(2.2)は常に戦闘モードです。配置された後は決して移動できません。「ドイツ軍が支配するヘクス」とは前線の枢軸軍側です(常識的に判断して下さい)。

2.3.11aはドイツ軍の2ステップを持つネーベルヴェルファーユニットにも適用します。

3.1.8dが西方防壁のレベルアップを制限することはありません。

4.マップ端に到着するすべてのユニットは給油状態です(1Tずつを支払う方法で)。

5.選択ルールの5.1は、連合軍の複数ユニットフォーメーションにも適用できます。

6.「1.11 港湾」の最後にある「例2」は、大陸にある港湾へイギリスからSPを輸送できるかのような書き方になってしまっていました。この例の最後の文を以下のように変更して下さい。
「小港湾は機雷の影響を受けないため、連合軍プレイヤーはいくらかのSPをベーフェルウェイクに(他の港湾から)輸送でき、連合軍ユニットの一部に一般補給を与えることができました。」

7.「2.2 補給と補充」の「本土防空部隊(Luftlotte Reich)」の2つ目の段落の2つ目の文を以下のように変更して下さい。「本土防空部隊の航空ユニットは非活動状態になった時か、あるいは次の枢軸軍クリーンアップフェイズの終了時に本土防空部隊ボックスに戻され、そこで再び解放されるまで留まります。」



明確化
1.セットアップ情報にあるいくつかの略称が間違っていました。「Lr」は「Lehr」、「Fu.Gr」は「F.Gren」、「Fuhr」は「F.Beg」であるべきでした。

2.架橋ユニットのルール(1.10)は連合軍からの視点で書かれていますが、ドイツ軍の架橋ユニットも同じ能力を持ちます。仮設橋マーカーと橋梁マーカーを利用できるのは友軍ユニットだけです。

3.戦略爆撃(3.7)は天候が乾燥か積雪かにかかわらず、道路とアウトバーンの両方に影響を及ぼします。地形効果表は正しく表記されています。

4.バルジとドイツ帝国最後の戦いの開始時、枢軸軍はミデルブルフ(Middelburg:A40.27)の北の港湾をすべて支配しています。



ハウスルールオプション

 連合軍は毎月(またはシナリオ)の最初のターンに、印刷されている広正面戦略の戦区を北または南に3ヘクスまでずらすことができます。ずらされた線は直線のままであり、ずらされたヘクスの数の合計は6を超えることはできません(つまり、1つの線が6ヘクスずらされた場合、他の線は全く移動させることができません)。(特定の戦区に存在してはいけないという)国籍グループやSPの配分の制限をずらされた線に合わせるために、1ターンの猶予が与えられます



新たなオプションルール

5.12 ドイツ軍の損耗チェック修正
 ドイツ軍ユニットが損耗チェックを行う際、サイコロの目に+1の修正を適用します。そのスタックにSSのユニットしか存在しない場合にはこの修正は適用しません。また、ドイツ軍ユニットは脱出(OCS 12.8e)のサイコロを振ることはできません。

前提条件:連合軍プレイヤーがドイツ国内のライン川東岸に一般補給下の攻撃可能ユニットを持っているのでなければなりません。

注記:戦争のこの時点までには、連合軍がライン川の防衛ラインを突破したならば、戦争の終結が近いということが西部戦線の兵士達には分かっていました。彼らは無駄な努力のために死ぬよりは、降伏を選択するでしょう。


5.13 補給キャッシュ(OCS 21.10)
 このオプションルールを使用する際には、以下のように適用します:ヴァハト・アム・ライン(WaR)の開始以前は、ルールに書かれているようにドイツ軍プレイヤーは補給キャッシュマーカーを使用できます。ただし、砲兵砲爆撃のコストとして補給キャッシュを使用した回数×2Tを、WaRを宣言(2.9d)した時に得られる追加のSPから差し引きます。1月22日ターンより後は、補給キャッシュを砲兵砲爆撃の補給コストを減らすために使用することはできません。ドイツ軍プレイヤーにとって補給キャッシュの機能は21.10bの「糧食」のみとなります。

注記:WaR以前には、ドイツ軍はWaRのために砲兵用の砲弾の予備を取っておいていました。このルールおける補給キャッシュの扱いは、WaRのために蓄えられていたドイツ軍の砲兵用砲弾の備蓄を食い潰していることを表しています。1月22日ターンより後は、砲弾が不足、あるいは東部戦線に優先度が振り向けられていることを表します。


5.14 アメリカ軍の補給表修正
 1945年の開始時から、アメリカ軍の補給表のサイコロの目に+1の修正を適用します。

前提条件:この修正を得るためには、アントワープ港湾に機雷がが存在せず、完全に修復されているのでなければなりません。

注記:この補給表への修正を入れることにより、連合軍の補充表のサイコロ修正とのズレがなくなります。


5.15 艦船による砲撃
 連合軍プレイヤーはそれぞれの上陸作戦(BTR 3.9)を行う際に、自由に使用できる艦船による砲撃(OCS 18.3a)の権利を持ちます。この砲爆撃は、艦船が存在しまた適切なコラムシフトが行われたものとみなして、25-40砲爆撃力のコラムで解決します。

前提条件:この艦船による砲撃の目標ヘクスは、選択された上陸ヘクスか、あるいはその隣接ヘクスでなければなりません。

注記:このオプションルールは、イギリスの戦艦ウォースパイトとモニター艦エレバス及びロバーツがスヘルデへの上陸作戦を支援したことを表しています。


5.16 ドイツ軍の慢性的な燃料不足
 ドイツ軍プレイヤーは独立ユニットに燃料を入れる際、シリーズルール12.5cのC)(個別ユニット方式)を使用しなければなりません。

注記:このオプションルールはドイツ軍がこの戦役を通してずっと燃料不足に悩まされていたことをより反映するものです。


5.17 ドイツ軍の装甲旅団
 装甲旅団はオプションルール5.1(パンツァー・カンプフグルッペ)のルールをまったく使用できません。装甲旅団ユニット(ユニット1個か、複数ユニットフォーメーションかにかかわらず)再建できません。

 ただし第106装甲旅団はこの例外で、再建可能です。

注記:装甲旅団は1944年の夏に、ソ連軍と連合軍の急速な前進への緊急的な対応として編成されました。そのほとんどが秋に解散したのは、実績が振るわなかったからです(その最初の戦闘時のサイコロが悪く、逆奇襲を食らったのです)。装甲旅団は時前の修理部隊と砲兵部隊を持っていなかったので、その点が問題となっていました。また、パンター大隊を他の師団から借りていたためその元師団を弱体化させてしまっていました。西部戦線における装甲旅団の大部分は失敗だったとみなされ、残余部隊は既存の装甲部隊に吸収されました。ただし第106装甲旅団は有名なフランツ・ベーケ中佐によって指揮され、1945年になってもよく部隊を維持していました。


5.18 航空機による観測砲撃
 航空作戦がまったく制限されていない(Normalの)ターンには、連合軍の砲兵による砲爆撃はすべて、+1の修正が適用されます。


5.19 空挺降下の事前準備
 BTR 3.8a(事前計画の制限)に追加:空挺降下の事前計画(OCS 14.10b)に含まれているC-47(グライダーがないもの)は、その空挺降下が終わるまでは航空任務を行えません。


5.20 アメリカ軍が来た!
 9月5日ターンに、通常通りランダムイベントのサイコロを振ります。結果がコモンイベント、あるいはアンコモンイベントとなった場合、このターンのランダムイベントは「アメリカ軍が来た!」だけとなります。アメリカ軍ユニットが移動してリエージュ(Liege)に隣接したならば、直ちにサイコロを1個振ります。4~6の目でパニックが起こります。リエージュの都市ヘクスにいる、あるいは隣接するすべてのドイツ軍戦闘ユニットはドイツ軍プレイヤーによって置き直され、それらのヘクスにドイツ軍ユニットがいなくなるようにしなければなりません。もしランダムイベントの最初のサイコロの目が51~56(高頻度イベント)であった場合には「アメリカ軍が来た!」イベントは発生せず、通常通りに高頻度イベントが発生します。




OCS『Reluctant Enemies』の最新エラッタを和訳してみました

 OCS『Reluctant Enemies』の最新エラッタを和訳してみました。

The OCS Depot Reluctant Enemies (4-13)

 最新は2018/11/14付けでした。

 サンセット和訳では第10項まで反映されてましたが、第11~13項はそれ以降に出されたもののようです。第11項以降を青字で表示しました。

明確化

1.地形効果表の Note ④は必要ありません。道路の移動コストは常にヘクスやヘクスサイドの地形の移動コストよりも優先されます(OCS シリーズルール6.2a 項)。

2.ゲーム中に航空基地の駒の数が不足するかもしれません。航空基地を建設したくて、他のOCS ゲームを持っていない時は、OCS シリーズの英文ルールブックのP48の航空基地ボックスを使って下さい。

3.このゲームには、通常の1SP 以上の輸送ユニットに加えて、1T や2T の輸送トラック/ワゴンの駒が用意されています。プレイヤーはゲームに用意されている範囲の中で、補給ポイントと同様に、輸送トラック/ワゴンを自由に統合/分割できます。それ以外の点は、輸送ユニットは通常のルールに従います。

4.鉄道輸送力は、初期配置カードの右上に記載されています。

5.脱出(OCS シリーズルール12.8e 項)に成功した英連邦軍ユニットは、登場ヘクスA、B、C のいずれかに再登場します。脱出に成功したヴィシーフランス軍ユニットは、登場ヘクス1、2、3 のいずれかに再登場します。

6.道路を通る一般補給線は鉄道と組み合わせることができますが、その交差するところに鉄道の降車可能ヘクス(村、pointof interest、戦闘モードの司令部等)がなければなりません。

7.ワジ(Wadi)に架橋することはできません (OCS シリーズルール13.8b 項)。

8.鉄道は全て単線です。

9.戦闘ユニットの回復は、単に除去された再建可能ユニット数を記録して、3 個のユニットが除去されるたびに1 個のユニットが再登場するルールです。除去された3個のユニットを1 つのグループにしてメモに書いていき、1 個のユニットが再登場したら、そのグループに抹消線を引きましょう。
例:8 個のユニットが除去されていると、2 個のユニットが再登場します。

再登場前 III III II 
再登場後 III III II

 端数は持ち越して、もう1 個のユニットが除去されたら、新しく1 個のユニットが再登場します。

10.フラ湖(Lake Hula)の横にあるヘクス34.14 と35.14 の間にある地形は崖ヘクスサイドです。

11.戦闘ユニットの回復のためには、OCS 13.5aの条件を満たしている司令部が必要です。

12.ヘクス24.27は平地ヘクスだとみなして下さい。このヘクスの小河川の北側にあるほんの少しの地形は無視して下さい(通常の「ほんの少しでも描かれていればその地形」という規定の例外です)。

13.「2.2 コマンド部隊」これらのユニットは上陸用舟艇に載っているわけではないため、【上陸前の】敵リアクションフェイズ中に砲爆撃を受けることはありません(簡単に言えば、『エクスポーター作戦』には艦船ユニットや上陸用舟艇は存在しないということです)。
 史実では、これらのコマンド部隊は夜中に1隻の船から降ろされたボートを使用して上陸しました。

OCS『Tunisia II』の最新エラッタを和訳してみました

 OCS『Tunisia II』の最新エラッタを和訳してみました。

 最新は2019/09/06付けのものでした。

 サンセット和訳は2016/11/26付けのエラッタまでが反映されています。

 以下にエラッタ全文を挙げます。サンセット和訳に反映されていないものは青字にします。

マップ
1.B58.11の地形はオープンです(塩沼ではありません)。

シナリオ
1.シナリオ1で、勝利条件のチュニス(Tunis)のヘクスナンバーは正しくはA48.24です。
2.シナリオ2で、アルジェ(Algiers)ボックスへの配置ユニットに78th Divartyを追加して下さい。
3.シナリオ3で、枢軸軍の補給源であるスース(Sousse)の正しいヘクスナンバーはA54.11です。

連合軍到着表
1.12月29日の3-3-5 US Reconとあるのは正しくは3-3-7です。
2.1月1日のP-39は2個ではなく3個です。
3.2月1日の4-5-3 US Commandoとあるのは正しくは3-5-3です。

枢軸軍到着表
1.2月5日の(7)-5-3 LW Flakとあるのは正しくは(7)-4-3です。


『ビヨンド・ザ・ライン』への追加用のフランス軍カウンター
1.2Dのカウンターは補正されています。もともと装甲車部隊だったのですが『ビヨンド・ザ・ライン』の期間中に戦車駆逐大隊へと改編されたのでした。
2.3TMのNordでのヘクスはD13.35の間違いです。
3.これらの新しいカウンターは、追加のフランス軍ユニットです(分遣連隊の代わりに使用する等のためのものではありません)。
4.フランス軍の2つの偵察ユニットは、両面で連隊であるべきでした。

ルールの変更と明確化
1.AEPの位置は(初版から)意図的に変更されています。その結果、枢軸軍はシチリア島(Sicily)ボックスからJu-52の航続距離の半分の位置に航空基地を建設することができなくなりました。
2.両陣営とも補給表はありません。SPは輸送でのみマップ内へと運ばれます。
3.いくつかの航空基地が都市の隣のヘクスにあることに注意して下さい(これは意図的なものです)。
4.滑走路(1.11d):5つめの「・」として以下の文を追加します。
・滑走路の配置は建設活動には含めず、ゆえに天候が泥濘の時にも行えます。
5.OCS v4.3で新しく追加された補給キャッシュオプションの使用が奨励されます。補給キャッシュは各月の最初のターンに固定された(サイコロを振って数を決めるものではない)増援として、それぞれのターンに枢軸軍は1つ、連合軍は2つを得ることとします。連合軍(のみ)は各シナリオの開始時に補給キャッシュを1つ持った状態で始まります。公式のマーカーを持っていない場合は、コインやポーカーチップで代用して下さい。




 『Beyond the Rhine』のフランス軍の2ユニットというのはこれですね。裏面は大隊規模になってしまっています。尤も、あくまで追加ユニットですので、あまり使用している人もいないのではないかとも思いますが……。

unit9497.jpg



OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』2回目のキャンペーン、第2ターン先攻ドイツ軍

 尼崎会で、OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』の2回目のキャンペーンの第2ターン先攻ドイツ軍をプレイできました。


 私はホートの戦区を担当していたわけですが、↓このような醜態を……(>_<)







 考えていたのは、「邪魔な11-1-1を壊滅させて」「小河川越しの12-2-2を一斉に殴って突破モードを獲得し」「その奥の村にいるソ連軍スタックを突破モードになったユニットで再度ボコ殴りにする」という方策だったのですが、いったいどんだけSPが必要だったやら……。

 しかしもしダイス目が良かったとしたら「この方策でいいのだ」と思っていた可能性もあり、「いやいやそうじゃないでしょう」と、後知恵でなら何とでも言えるわけですが(^_^;

 ZOCを発生させていて邪魔な敵ユニットをDGにするのに、私はスツーカ(12爆撃力)でも成功させる自信がなかったんですが、ワニミさんが3爆撃力のユニットで何回もヒップシュートさせて回数振った方が良い、と仰ったのにも目から鱗でした。


 で、結局やり直して、このような結果に……。

unit9504.jpg


 ただし検討してみると、この後どれくらいうまくいくかは疑わしい……と。重要な二級道路の渡河点(画像真ん中辺り)ソ連軍に抑えられたままになる可能性が高いし、包囲環から脱出しようとソ連軍は必死の攻撃をかけてくるでしょう。



 史実ではどうだったのかを検討してみると、7月15日夜(第3ターン開始日の夜)には、ホートの部隊は↓のように展開したようです。

unit9503.jpg

 ヤルツェヴォやその北東に進撃しているわけですが、途中一箇所の敵スタックを抜けばその先には敵部隊は全然いません。補給の問題はありますが、「敵がごちゃっとたくさんいる所に行けば必然的に反撃される」一方、敵が全然いないところにいけばその心配は薄いという利点があります。勝利条件ヘクスを大量に一気に奪っているというのも大きい。

 ただ、このような進撃をしようと思えば、件の小河川に第1ターン先攻のうちに取りついておいて、「滑走路/橋梁マーカー」を使えるようにしておいて渡河点を確保するようにしなければならないようだ……ということも分かってきました。尤も、ヴィテブスク占領との間の兵力配分は難題だし、渡河点確保をしようとする部隊をソ連軍側も集中して殴ってくることが予見されます……。


 「またすぐに最初からやり直すという手はあるよね」という話も出て、色々検討したのですが結局、やったことがないキャンペーン第5ターンからのシナリオ(シナリオ3/4)をやってみようという話になりました。史実における第5ターンはいったいどういう感じなのか、全然感得できていないことがありますので……。


 先日山田さんのこのようなスレッドがありましたが……(先頭だけ貼るので、スレッドはその先で展開してもらうということで)。




OCSユニットで見るウェーヴェル将軍が訓練したイギリス軍の第6歩兵旅団(『The Blitzkrieg Legend』、『Burma II』)

 イギリス軍のウェーヴェル将軍について調べていて、1930年~1934年にかけてウェーヴェルが訓練した第6歩兵旅団(第2歩兵師団所属)の話が出てくるのに興味を持ちました。


日本語版Wikipedia「アーチボルド・ウェーヴェル (初代ウェーヴェル伯爵)」


Archibald Wavell, 1st Earl Wavell

 ↑ウェーヴェル将軍(Wikipediaから)



 ウェーヴェルは1935年~1937年には第2歩兵師団長も勤め、第二次世界大戦中、第2歩兵師団は1940年のフランス戦と、その後のビルマ戦ではアラカン、コヒマ、マンダレーで戦ったようです。



 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』の第2歩兵師団ユニット。

unit9505.jpg




 ↓OCS『Burma II』の第2歩兵師団ユニット。

unit9506.jpg



 ウェーヴェルは1930年に第2歩兵師団に所属する第6歩兵旅団の旅団長に任命されますが、翌年に旅団副官としてエリック・ドーマン=スミスが配属されると、ウェーヴェルはこの副官と共に第6歩兵旅団を「最も優秀でプロフェッショナルな歩兵部隊」とするべく、後に伝説とまでなった訓練を施していくことになります。

 二人の作り上げた訓練方法はリアルで、兵士達の興味を惹くように設計されていました。また輸送部隊や砲兵部隊を機械化したり、迫撃砲や対戦車砲などの重火器をいかに歩兵大隊に組み込むかについても工夫が凝らされました。ウェーヴェルは、マニュアル上で必要とされていた6人ではなく、2人だけの乗組員で装甲車に機関銃を搭載して運搬する構想を作成したため、「健全ではない逸脱者」扱いされたりもします。しかしこれらの努力により第6歩兵旅団は「実験旅団」に指定されることになり、二人の熱意もさらに燃え上がりました。

 第6歩兵旅団の演習は、ウェーヴェルが不確実性と戦場の霧を再現しようとしたため、本当の戦場のようだと有名になりました。夜間の行軍に続いての早朝の攻撃や、敵の司令部に対して背後から攻撃をかけるなどの方法は、二人が考案した演習を通して探求された新しい戦術の一つであり、後にコンパス作戦で大きな威力を発揮することになります。演習ではウェーヴェルは特に、軍事的訓練、精神的訓練、そして士気を高めることに集中する一方、ドーマン=スミスの方は部隊の装備、機動性、組織化の方を担当しました。二人の最終的な目標は「高度な訓練と高い士気に加え、迅速な機動性と最高の装備でもって、戦場における歩兵部隊を正当な地位に回復させること」でした。つまり、彼らはあくまで歩兵部隊に主眼を置いていたのであって、その点であくまで、戦車部隊の可能性に熱狂するホバートやフラー、リデル=ハートらとは異なっていたことになります。

 1932年後半には旅団演習に続けて師団演習も行われ、ここでウェーヴェルは大きな名声を得ることになりました。戦場で情報を収集するだけでなく入念に調査し、あらゆる相手側の策略に細心の注意を払い、欺瞞と奇襲を駆使することによって大仰な敵部隊を翻弄した挙げ句、5日間の予定であった演習期間をたった2日で終了させてしまったのです。この圧倒的な成功により、1933年10月には旅団長のまま少将へと昇進します。



OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』2回目のキャンペーン、第1ターン

 尼崎会でワニミさんと、OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』2回目のキャンペーンの第1ターンをプレイしました。

 松浦方式で、ドイツ軍の時は私がホート、ワニミさんがグデーリアン。ソ連軍の時は逆(私が南半分、ワニミさんが北半分)で。



 途中で出てきたルールの疑問点として、こういうのがありました。

シナリオ1:スモレンスクキャンペーン
シナリオ特別ルール
 ソ連軍はこの時無秩序な状態であったため、第1ターンはすべてのソ連軍陸上ユニットの移動力は半分になります。

とあるわけですが、輸送ユニットの積載と荷降ろしに「移動力の10分の1(四捨五入)」が必要だったり、エクステンダーへの/からの変換に「移動力の半分」が必要なのは、「半分から換算」するのか、「元の移動力から換算」するのか? という。

 とりあえずこの場合は、「無秩序」なのに積載/荷降ろし/変換のコストが普通より低くなるというのはおかしいだろうということで、「元の移動力から換算」と解釈することにしました。



 ↓第1ターン終了時。

unit9514.jpg



 ↓ヴィテブスク周辺。

unit9513.jpg

 私がホートをやったわけですが、ダイス目がかなり悪く、AR5のユニット2個の損害が出たものの、なんとかヴィテブスク市街ヘクス2つを占領しました。ヴィテブスクの北側の市街ヘクスには航空基地があるので拡張(突破)フェイズ中に戦闘機を移動させ、警戒空域を作った結果、ソ連軍ターンに爆撃にやってきた航空ユニットを追い返したりで、装甲部隊群をDGにされずにすみました。この点から考えると、ヴィテブスクの航空基地を取るというのは非常に重要ですね~。



 ↓オルシャ周辺。

unit9512.jpg

 元々ワニミさんは今回、オルシャ周辺を無視していたのですが、ソ連軍ターンになってみるとオルシャに大量にSPを鉄道輸送等できるのに気付き、それをさせないためにはオルシャのヘクスにドイツ軍のZOCを及ぼしていることが重要だなと判明。急遽ドイツ軍ターンをやり直して、ZOC内に入れるようにしました。

 ただ、グデーリアンの戦区は第1ターン中には航空基地(滑走路)を持てておらず、ZOCを及ぼしに行ったドイツ軍スタックがソ連軍航空ユニットからの爆撃で移動フェイズの最後にDGに(タイミング的にオルシャにSPは運べてません)。ソ連軍の攻撃セグメントに、「このDGのドイツ軍ユニットに対して周りからボコ殴りするべきではないか?」ということで、2SPを注ぎ込んで攻撃したところ、私のダイス目が悪かったこともあり、「AL2」(攻撃側2ステップロス)の結果に(^_^;

 ソ連軍目線でいくと割と精神的ダメージを受けたところでしたが、「いや、ドイツ軍に防御用の2Tを払わせたのだから、それだけで我々の大勝利だ!」と考えることにして精神的に復活しました(^^)



 ↓南方のソ連軍。

unit9511.jpg

 私が前回もよく受け持っていた南方地区なんですが、前回はドイツ軍に補給路を切られて脱出(Breakout)するしかなくなるソ連軍ユニットが続出してまずかったという反省があったので、なるべくそうならないように気を付けていくという方向で。また、ソ連軍の戦車師団は東の方で集中運用するというワニミさんの方針により、南西にいた戦車師団を東の方に移動させていっています。



BCS『Baptism By Fire』用のHQディスプレイシートを自作してみました(暫定版)

 BCS『Baptism By Fire』に関してなんですが、ツイッター上でこのようなやりとりをしてました。







 この後、市川さんにデータをいただいたのですが、部隊名が常に見えるようにできればという思いもあったので、自作してみました(ただし、基本的にはパクリで……(>_<))。「大きめのもの」もあったわけなんですが、私は小さいサイズのものが好みだったので。ただ、「大きめのもの」にはMSRのマーカーなどを置く場所があったりで、それらもあった方が良いのかもですが、なくてもなんとかなるのかも&現状BCSの全体像を把握できてないので、また把握した上で作り直すという考え方でやろうと。


 ↓とりあえずできたものの画像。

unit9518.jpg


 ↓pdfファイル。

HQ Display BbF-J01.pdf




 ↓置いてみたもの。

unit9517.jpg

unit9516.jpg

unit9515.jpg

 狙ったわけではなかったのですが、使用しないディスプレイをカウンタートレーに入れておけるのも良かったです。


 用紙は、分厚いものを使用してます。





 Baptism by Fire: Playing a Complete Game Turnのプレイの例をなぞりながらやってみているのですが、疑問点があるたびにそれを調べて書き足したりしながらやっているので、ようやく最初のライマン戦闘団の行動が終わったところまでしか進んでません(^_^;


BCS『Baptism By Fire』の各フォーメーションの呼び方(読み方)を調べてみました

 BCSは「フォーメーション」毎に行動するということなんですが、OCSと違って「戦闘団(カンプフグルッペ)」や「任務部隊(タスクフォース)」単位になっているものが多く、呼び方(読み方)が良く分からないので『Baptism By Fire』のものを調べてみました。

 読み方はネット上でそれらしきものを調べたり、ドイツ語発音の記事から推測したり、『カセリーヌ峠の戦い 1943:ロンメル最後の勝利』で探したりしたのですが、「こう読んだ方が」とかありましたらご指摘下さい!








unit9537.jpg

 「DAK戦闘団」。ユニットの色は、黄褐色がDAK、空色がドイツ空軍、青緑色がイタリア軍。




unit9536.jpg

 「Lang(ラング)戦闘団」。ユニットの色が暗褐色なのは、アルニムの第5装甲軍の所属部隊であることを表す。




unit9535.jpg

 「Gerhardt(ゲルハルト)戦闘団」。「ゲアハルト」という発音の情報もあり。




unit9534.jpg

 「Reimann(ライマン)戦闘団」。




unit9533.jpg

 「Schütte(シュッテ)戦闘団」(üは[ユ]の発音であるという資料を信じて。コメント参照)。

 ただし、『カセリーヌ峠の戦い 1943:ロンメル最後の勝利』では「シッテ」となっています。 

 戦車の支援を受けた第104戦車擲弾兵連隊を中核とするシッテ戦闘団【……】
『カセリーヌ峠の戦い 1943:ロンメル最後の勝利』P47






unit9532.jpg

 「Stenkhoff(シュテンクホフ)戦闘団」。

 第5戦車連隊の大部分を従えたシュテンクホフ戦闘団【……】
『カセリーヌ峠の戦い 1943:ロンメル最後の勝利』P47






unit9531.jpg

 「チェンタウロ戦車師団」。




unit9530.jpg

 「Nickforce(ニックフォース)」。この部隊は英語版Wikipedia「Nickforce」がありました。

 ニックフォースは、第二次世界大戦のチュニジアキャンペーンにおけるイギリス第1軍の即席部隊であった。1943年2月14日、カセリーヌ峠の戦いの後期に、タラ(Thala)の防衛のために、イギリスの第6装甲師団の要素から急遽編成された。その名は、指揮官のキャメロン・ニコルソン准将に由来している。絶望的な戦いの中、2月21日と22日には、エルヴィン・ロンメル将軍の直属の指揮下にあった第10装甲師団の部隊を阻止することに成功した[1]。


 しかし『カセリーヌ峠の戦い 1943:ロンメル最後の勝利』にはこうありました。

 防御線崩壊の危機に直面したことで、アンダーソン【イギリス第1軍団司令官】は独自の考えを打ち出し、英第6機甲師団の師団長補であるキャメロン・ニコルソン准将をタラに派遣して、現地にあった米英仏軍の全部隊を集成して臨時に「ニックフォース」部隊へと束ねた。しかしこれは混乱に輪をかけただけであった。
『カセリーヌ峠の戦い 1943:ロンメル最後の勝利』P62






unit9529.jpg

 「第1近衛旅団」。ユニットの色は茶色がイギリス軍、赤色はイギリス軍の近衛部隊。

 OCS『Tunisia II』にこれに当たるユニットを見つけることができず、どういう存在なのかちょっと調べた限りでは良く分かりませんでした。




unit9528.jpg
unit9527.jpg
unit9526.jpg
unit9525.jpg

 第1機甲師団の「Combat Command A(コンバット・コマンド・A)」、「Combat Command B(コンバット・コマンド・B)」、「Combat Command C(コンバット・コマンド・C)」と、4番目の戦闘団らしき 「Stark(スターク)任務部隊」(13というのが第1機甲師団所属であるようなので)。スタークというのは、アレクサンダー・スターク大佐という人物のようです(P31)。

 CCBにはコンバットコマンドの中で最もアクションレーティングが高い部隊がいますが、その理由は↓こういうことであったようです。

 アメリカ軍主力部隊で初めてチュニジアで戦ったのは、1943年1月の時点でポール・ロビネット大佐を長とした、第1機甲師団のB戦闘団(CCB)であった。第1機甲師団は3個の戦闘団(コンバット・コマンド)を有し、それらは任務に応じて師団固有の諸大隊を編合したものであった。11月から12月にかけての段階では、B戦闘団だけが投入された。遠くはなれたアルジェリアの策源からでは、1個戦闘団の支援が限界であった。たやすく進んだ上陸作戦とフランス軍との戦闘も簡単に終わったことで、在チュニジアの米軍は慢心して楽観的になっていた。米兵は、自らを世界最高の装備を持つ、世界一鍛えられた精強部隊であると誇り、ドイツ軍なぞ簡単にアフリカから追い落とせると信じていた。だが1942年12月の一カ月におよぶ激戦を経た、ロビネットのB戦闘団はそんな青臭さとは無縁であった。B戦闘団の将兵は、米軍の訓練がうわべを整えただけの、現実からかけ離れたものでしかないことをすぐに学んだ。ドクトリンと戦術はあまりにご都合主義的であり、装備は1939年ならば良好であったろうが、1943年の水準では見劣りがした。
『カセリーヌ峠の戦い 1943:ロンメル最後の勝利』P25,26


 その後の記述も興味深いので、引用してみます。

 1943年前半の米機甲師団の編制は、2個戦車連隊と1個機械化歩兵連隊を基幹としていた。戦車の比重が高いのは機甲師団の主たる任務が、攻勢と戦果拡張にあるとされたことに起因した。第1機甲師団はチュニジアで防勢任務を割り当てられたが、歩兵戦力の少ない機甲師団にはこれはまったく不向きな任務であった。その結果、第1および第34歩兵師団の一部が兵站能力の許す限り、徐々に第2軍団の戦線へと送り込まれることになった。部隊が連隊単位として投入されることはほとんどなく、もっぱら大隊単位で延びきった戦線を守る第1機甲師団の各支隊へと分遣されていった。集中を原則とするそのドクトリンに違えて、第1機甲師団の3個戦闘団は長すぎる戦線に隙間を残さないように、薄く展開させられた。さらに1943年1月に四番目の戦闘団が編成されたことで兵力が薄くなり、状況は一層悪化した。1942年11月から12月にかけての戦闘でB戦闘団は戦車を失っていたものの、戦線に投入されていない第2機甲師団から戦車を取り上げたことで、1943年2月初めの時点で、師団はM3軽戦車85両と中戦車202両の完全戦力をほぼ維持していた。師団はドイツ軍からみれば潤沢な装備を有していたが、戦闘経験を積んだB戦闘団を除けば、師団総体ではいまだ未熟であった。この事実は何よりも重大であった。当時の米軍戦術ドクトリンがいまだ実戦で試されていないことを意味していたからである。
『カセリーヌ峠の戦い 1943:ロンメル最後の勝利』P26


 ちなみに、なぜアメリカ第2機甲師団が戦線に投入されていない(でモロッコでぶらぶらしていた)でいたのかというと、「当時のこの戦域の弱体な兵站能力では展開できる兵力に限界があった」からだそうです(P29)。




unit9524.jpg

 「第1歩兵師団」。「ビッグ・レッド・ワン」と呼ばれた(後の)歴戦部隊ですね。以前、OCS『Tunisia II』のアメリカ軍第1歩兵師団「ビッグ・レッド・ワン」の帯は赤かった (2019/10/06)で扱ったことがありました。




unit9523.jpg

 「第34歩兵師団」。第34歩兵師団については以前、OCS『Tunisia II』:アメリカ軍師団を批判した英クロッカー第9軍団司令官 (2019/05/08)で扱ったことがありました。
 



unit9522.jpg

 「Welvert(ウェルヴェール)任務部隊」。ユニットの色が青色なのはフランス軍です。

 『カセリーヌ峠の戦い 1943:ロンメル最後の勝利』P24に、

 こうしてL・コルス将軍の【フランス軍】第19軍団が誕生した。1943年1月時点での基幹部隊は、ウェルヴェール将軍のコンスタンチン徒歩師団(DMC)で、コンスタンチン一帯の防衛のために集成された師団であった。


とあるので、この将軍の任務部隊なのだろうと思います。フランス第19軍団とDMC師団はOCS『Tunisia II』でユニット化されており、DMC師団の中には「7 Alg」歩兵連隊がありますから、そこからの抽出なんでしょうね。





BCS『Baptism By Fire』のマップをOCS『Tunisia II』のカセリーヌ峠の戦いシナリオのマップに重ねてみました

 BCSを練習するため、『Baptism By Fire: The Battle of Kasserine』をやっていってみようと思うのですが、マップの範囲が良く分からないので、OCS『Tunisia II』のカセリーヌ峠の戦いシナリオのマップに重ねるという作業をやってみました。

 カセリーヌ峠の戦いの史実について詳しくは知らないのですが、OCS『Tunisia』と『Tunisia II』のカセリーヌ峠の戦いシナリオは計4~5回くらいプレイしたことがあり、ある程度の印象はあるので……。


 ↓重ねてみたもの。

unit9539.jpg

 OCS『Tunisia II』のカセリーヌ峠の戦いシナリオの範囲はもっと東西に長いのですが、カットしてあります。また、『Baptism By Fire』のマップの東西を少しせばめた方が道路網がより合う感があったので、そうしてあります。



 ↓『Baptism By Fire』の画像をどかせたもの

unit9538.jpg

 画像の下の方からロンメルがカセリーヌ峠を制し、北西に向かおうとします。一方東からはアルニムがカセリーヌ峠の方向へ進撃していました。

 OCS『Tunisia II』ではかなり周辺が入っていますが、BCS『Baptism By Fire』では元々連合軍部隊がいて本当に戦いが起こった場所(から)だけがマップ化されている感じがありますね。『Baptism By Fire』のマップの北の方に史実では戦いがなかった空間がありますが、ロンメルは北の方に進んで海岸線まで達し、連合軍の補給を切るつもりであったので、マップの北西部が進展次第では戦いが起こるということなんだろうと思います。


 カセリーヌ峠の戦いは、OSPREY Campaignシリーズのものが和訳されているので大変ありがたいです。




 一回は一応目を通してますが、また参考にしていきたいと思います。


DeepL翻訳の使用法についての私なりのコツ&活用しての今後の野望

 AI翻訳であるDeepL翻訳の使用法について、私なりのコツをちょっと書いておこうと思います。

 DeepL翻訳等については↓こちら。

Kindleの洋書をPC画面上ですぐにOCRしてDeepL翻訳にかける方法 (2020/09/04)


 DeepL翻訳は有料版もありますが、有料版は「1度に5000文字までという制限がなくなる」「ファイルから直接翻訳が可能になる」だけで、翻訳精度は変わらないのだと思われます。5000文字制限というのも、私は実用上全然困ってません。

 有料版には他に、用語集(例えばCorpsなら軍団と訳すようにとか)が使用できるというのがあるのですが、現在日本語には対応してません(T_T)



 私は英文和訳はいくらかできるものの、和文英訳は全然できない人間で、コツとしては、こんなことをやってます。


◆メールや掲示板などでのやりとりの場合

→英文和訳時
DeepL翻訳の翻訳結果は原文から一文まるまる抜けてるということがままあるので、そこのところの見直しは必須。
・翻訳結果が良く分からないものであるなら、「みらい翻訳」などにもかけてみる。
・どうしても意味が分からない英文があったら、返信に「すみません、ここの英文の意味が分かりませんでした。(もう一度、かみ砕いて教えて下さい)」「こういう意味でしょうか? あるいは、こういう意味でしょうか?」などと書いておく。

→和文英訳時
・まずは日本語での下書き。主語を明確にしたり、文を短めに切って書くことをこころがける。
・意図が明確に伝わらないといけない文においては、くどくなってもいいので、意図や事例を細かく分割して、長文にして説明しておく。
・一度DeepL翻訳で英訳した文を見直す。この時、主語がIのつもりなのにWeになってたり、theであった方がいいのにaになってたり、動詞や名詞がこちらの意図するものでないものがよくあるので、書き直す。
・出てきた英訳の意味が明らかに、あるいはなんとなく、自分の意図しているものと違うような気がする時は、日本語での下書きの和文を見直して、誤解が生じにくそうな文にして、再度DeepL翻訳にかける。
・DeepL翻訳は文を細かく改行しておいた方が翻訳精度が高くなるような気がするので、必要に応じてそうしてみる。
・一度できた英文をDeepL翻訳にかけて和訳させてチェックする。
・修正作業はある程度のところまででやめておく。どうせ完全に正しい英文になどできないと思われるので!
・DeepL翻訳の翻訳結果には時々、「*** Translated with www.DeepL.com/Translator (free version) ***」というフッタ?が付くことがあるのですが、これを自分の英文の最後に付けておくことによって、AI翻訳してもらったのだということをアピール?しておく。
相手が筆まめだと、誤解がある(ありそうな)状態であっても、注意深いやりとりによって相互理解ができると思います。相手が全然筆まめじゃない人である場合には、なんかもうどうしょうもない気がします(^_^;



◆洋書の翻訳結果を蓄積する場合

・アウトラインプロセッサ(今私は「NanaTerry」)に、目次の章立てをツリー状に作っていく。

unit9548.jpg

・目次に「Chapter 1」とある場合、「1」だけ書いておく。
・1つの章が長くて話題が複数ある場合は、自分で勝手にツリーを分岐させてさらに章立てを作り、内容と場所を書いておく。
・「Capture2text」で、1段落ずつOCRする。Kindleの画面上で次のページに段落がまたぐ場合、前半をいったんCtrl+Cを2回押してDeepL翻訳にかけておき、次のページの後半部分をCtrl+C1回だけして、DeepL翻訳の翻訳元文の窓に半角スペースを1個入れた後、Ctrl+Vして貼り付ける。
・NanaTerryに翻訳結果を貼り付けてその和文を一読し、自分にとって「やや重要」と思ったらオレンジ色、「重要」と思ったら赤色に塗っておき、必要に応じてその場で原文を見ながら翻訳結果を修正したり、あるいは原文を翻訳結果の後にコピペしておく(後で修正する時やりやすいように)
・原文で一行空いている部分には【一行空き】と書いておいたり、引用文である場合にはイタリックにしたりして、後で見返す時分かりやすいようにしておく。



 DeepL翻訳の「Ctrl+Cを2回押したらウィンドウが開いて翻訳結果を出してくれる」というのは非常に便利、かつ今までの機械翻訳よりも劇的に翻訳精度が高めで、私のできることの幅が劇的に広がりました。

 1つは、ルールの分からない部分をBoardGameGeekの掲示板で質問してみること。今までは私は和文英訳がまったくできないので、掲示板全体を一応見てみて、私の知りたいことが載っていなければ諦めるしかありませんでした。しかし、DeepL翻訳で少し気を付けつつ英文を作ってみて、それで思い切って投稿してみたところ、割と通じるので、それを繰り返しているうちに自分の中での敷居が下がってきました。ありがたいことです。

 ツイッターで時に英文で質問をもらうことがあるのですが、それへの返信にもDeepL翻訳を使っています。その一つとして、「OCS的なマップやユニットの作り方」に関しては、ブログ上に日本文と英文の両方を記すようにしてみたこともありました(→Adobe Illustratorでの、OCSのようなマップの道路、小道、鉄道などの描き方について (2020/05/16) OCS-Errata-Counters-MMP.pdfからのユニットデータの作り方 (2020/06/10)


 それから、自作したOCSルソンの英語化と、アメリカのOCSチームとのやりとりでDeepL翻訳を使っています。元々、OCSルソンを作り始めた時には、もしOCSチームに持ち込みするなら英文でのやりとりは古角さんにやってもらおうと思って古角さんにも許可を取ってました。しかし、DeepL翻訳でのBGG掲示板への質問もある程度慣れてきたので、OCSチームとのやりとりも自分でDeepL翻訳を使ってやってみました。やりとりしてみると、このやりとりを他の人に仲介してやってもらうのは無茶苦茶大変だと思いました(^_^; ですから、DeepL翻訳が2020年頃になって出てきてくれて非常に助かっていると感じますし、DeepL翻訳がなければ実質上自分にはこんなことは無理だったんじゃないかとも思えます。


 さらに、これはまだ始めたばかりですが、洋書に目を通していくスピードが劇的に向上したと思います。元々私は本を読む時に、自分にとって非常に興味がある文と、自分にとって割とどうでもよい文がかなり分かれる傾向にありました。DeepL翻訳がなかった時には、それでも一応全部に目を通していって重要そうな文には印を付けていくわけですが、私はすらすら英文が読めるほどではないので、かなり時間がかかりましたし、多くの冊数を参照することなどはできませんでした。

 しかしDeepL翻訳でとりあえずどんどん翻訳させてコピペして集積していき、自分にとって重要そうな文には印を付けておくことで、スピードが速まりますし、多くの文献を参照することができるようになったと思います。

 私はちょっと前から、「可能なら東部戦線のイタリア軍に関して本が書ければなぁ~……」というような思いはあったりしたのですが、実際上は遠い夢に過ぎませんでした。しかしDeepL翻訳を活用すれば、複数の洋書を参照してある程度のスピードで読んでいくことが可能で、それを活用すれば夢ではなく本当に本(まあ、同人誌に毛が生えた程度の……)が書けるような気がしてきました。2020年に入ってなぜか体調不良なことが多く(それまでの3、4年はずっと体調良かったのですが)、しかも外出自粛要請もあって家にいることが多くなっていて時間があることも理由の一つとしてあります。

 なもので、5年後10年後には死んでいることも視野に入れて、この世への最後のご奉公のつもり&ダメで元々で、本らしきものを書こうとしていっています。とりあえずは「ロンメルと戦った英米軍の将軍達」というテーマで。それが終わったら、イギリス軍のスリム将軍を中心としてビルマ戦について調べつつ、OCSで日本軍のビルマ攻略戦ゲームを作る&本を書ければ……という順序で考えてます。ドイツ軍の将軍の人物像についての本も、もしできれば……(それらを優先し、以前考えていたOCS『Case Blue』のシナリオを作ろうとするという件は、無期限延期することにしました。なぜなら、それを作って喜ぶ人の数は圧倒的に少ないと思われるので(^_^;)。


 考えてみると、今まで依頼されてGameJournal誌でヒストリカルノートを書いたことは何度かあったんですが、自分にとって興味のある「将軍の人物像を中心とした戦記もの」というようなので同人誌を作ってみる……みたいなことはそもそも考えたことがありませんでした。そういう同人誌や本はないかなぁとずっと探してまわってはいたものの、なかなか好みぴったりというのはなかったのですが、そういうのを自分で作ろうとしてみるべきなのだということに、ようやく考えが至った次第です(^_^;

 というか、これらのことって、「英文をすらすら読める」「和文英訳もある程度以上できる」ようになればできることであったのでしょうし、世で活躍しておられる方々もその能力を苦労もしつつ身に付けてやっておられるのだろうと思います。しかし私は10年以上、洋書がすらすら読めるようにならんものかと自分なりに努力はしてきましたが、ある程度以上よりはスピードアップできないということがどうもはっきりしてきたので、AI翻訳に頼ってそれをやっても良いのではなかろうかというか、そういう方向性こそがこれからの世の中だという感じで?

 あとは、「どうしても読めない英文」が時々あるのをどうするかです。ココナラでそういう英文だけを有料で読んでもらうという方向性はあるとは思っていて、以前ちょっと調べたのですが、その時はそういうのはどうもぱっとはないようだと思って諦めてしまいました。が、どうなんでしょうね……。

 一応、MustAttack上に「翻訳支援コミュニティ」というのは開設してまして、他の方に投稿してもらって私が助力できるようなものであれば、どんどん投稿してもらいたいと思っているのですが、自分が質問を投稿するのは心理的ハードルがあるというのは、分かります(^_^; なので、有料(100円~500円くらい)で分からない英文を教えてもらえるなら、自分にとっての心理的ハードルも下がるのではないかとも思うんですけどね。


『南北戦争-アメリカを二つに裂いた内戦』という本が出てます&旧GJ南北戦争記事公開してます

 『南北戦争-アメリカを二つに裂いた内戦』という本が出ていました。




 評判は良さげな? 売れてくれれば、他のミリタリー関係書にも好影響があるかも……(ワニミさんにはGCACWを一度やってみましょうよと誘われているので、プレイするなら買って読んだ方がいいのかもですねぇ……)。


 確かこの本は、人物像も結構扱われている本だとどこかで読んだ気がするのですが、南北戦争は他の戦争に比べて人物像の話が多いような気はしますね……? 日本の戦国時代とか、中国の三国志のような……。ナポレオン戦争はしかし、人物像の話はそれらほど濃くなく、作戦面とかの方がより扱われている印象がしてます。

 第二次世界大戦だと、兵器をクローズアップした書物が大量にある一方で、人物像の話はないわけではないけどもかなり薄い気がします。しかし私は将軍達の人物像に最も興味のある人間なので、そういう本がもっと増えて欲しいです……。


 この本の前書きには、「この本に間違いはあるでしょう。でもそれ指摘できるような人も、南北戦争の本書いてよ」というようなことが書いてあり、その姿勢に「そうそう」と思いつつも、そんな簡単に出版できるのかというツッコミも感じましたけども(^_^;

 そういえばですが、かなり昔にGameJournal誌から依頼されて、まったく南北戦争に関して知らない状態からなんとかして資料を読んで書いた南北戦争の概説的な記事があります(当時Nifty-Serveで、南北戦争に詳しい方がおられたので、その人にチェックしてもらって、原稿料の半分はその方にお送りしました)。

 電子書籍として無料公開していたのを今回検索してみたらまだ生きていたので、またこれを機会に、だいぶ短めの概説的なものとして読んでもらったらいいかもしれません(もちろん、間違いもあるとも思われるので、指摘してもらえたら)。

南北戦争 ~分離独立を巡る死闘~

 ↑の中には地図がないんですが(なぜなら、GJの記事の地図は私が作ったものではなかったので)、新たに一枚ものの地図を作ってました。↓こちら。

11110502




c3i 33号 『Waterloo Campaign, 1815』の和訳を改訂しました & まだまだ分からず

 ミドルアース大阪でc3i 33号 『Waterloo Campaign, 1815』のまず取り組むべきらしい16日からのシナリオのセットアップをとりあえずやりまして、どうプレイしたらいいのかを考えてました(今まで経験したことがないような独自のシステムなので)。

 このゲームについては↓こちら。
c3i 33号 『Waterloo Campaign, 1815』の和訳(暫定版)を作りました (2020/11/28)



 最初の3つのステップは飛ばしてステップDの分遣隊配置ステップからなんですが、どこに配置するのが良いのかさっぱり分からないので、とりあえずルールブックに載っているリプレイと同じ場所に置いてみました(ネイのセットアップ場所が間違ってました。正しくは左上のヘクスですね)。

unit9550.jpg


 小さめのカウンターが分遣連隊で、画像左側の2つ(FrederickとPajol)と右側の2つ(LefebvreとPirch)が、リプレイ上で新たに置かれたものです。

 しかしルールを色々と見てみたのですが、なぜそこに置くと良さそうなのかが理解できず……。そこでちょっと疑問としてこのようなツイートを(たかさわさんが教えてくれないかなという大きな希望を抱きつつ(^_^;)してみましたところ。



 たかさわさん、ありがとうございます!

 それでとりあえず、いったん作ったルール和訳の私の解釈が間違っているということが分かりました。ので、今日改訂版を作りました。

c3iNr33Waterloo和訳ルール201228.pdf
c3iワーテルロープレイエイド201228.pdf


 最初に作ったやつのどこを改訂したかと言いますと、まずルールブックのD.分遣隊配置ステップの、

・司令部から、その指揮範囲のヘクス数以内で(司令部が通常モードである場合は、連絡線のすべてを道路上で引かなければなりません。この時、指揮範囲は2倍で数えることができます)。【2倍で数えられるのはこの時だけ】

 ↑打ち消し線を引いたところを削除と、移動フェイズの「軍団の移動」の列挙中の↓この2箇所、

・軍団は、自軍司令部の指揮範囲外のヘクスに入ることはできません。【指揮範囲を道路上で2倍換算は不可】→【司令部が通常モードならば指揮範囲が道路上で2倍換算できることに注意】
・移動の開始時に指揮範囲外にいた軍団は、指揮範囲内に入るまで司令部に近づくように移動しなければならず、その後自発的に指揮範囲から出るような移動は行えません。司令部がいるヘクスは数えず、そのユニットが入ろうとしているヘクスのみを数えます。【指揮範囲を道路上で2倍換算は不可】→【司令部が通常モードならば指揮範囲が道路上で2倍換算できることに注意】

 ↑打ち消し線を引いたところを、赤文字のものに変更。


  それからプレイエイドの移動フェイズ中の↓の場所

・移動時に自軍司令部を指定し、その指揮範囲【道路は2倍にならない】【通常モードなら道路2倍】外に出ることはできない。





 それでちょっと理解しやすくはなってきたのですが、まだ分からないことが。

unit9549.jpg

 VASSALの画像を持ってきてみました。赤く塗られた範囲がウェリントンの指揮範囲で、白色のイギリス連合軍ユニットはこの中に近づくようにしか移動できず、いったん範囲内に入ればそこから出るような移動はできません。しかしだとすれば、拡大表示したフランス軍の分遣隊(Pajol)がリプレイにあるように「西側からの連合軍の接近を阻止するために置いた。」というのは、どういうことなのか……?

 まだ何かルール理解が間違っているか、思いつく可能性としては、

・指揮範囲とは関係なく行われる「退却(3ヘクス)によって、イギリス連合軍のユニットがこの方向から近づいて来る可能性への対処。
・確かに厳密に考えればこのターン中の意味は乏しいけども、なんとなく広い意味で、この後のターンのことも考えて西からの接近を阻止するために置いた。

 あたり……?(BoardGameGeekの掲示板をまた探せば答が見つかるのかもですが、一回やってだいぶ疲れたので、今やる気が起きません(^_^;)


 ともかく、分からない面が多くて(ルール理解の間違いもあって)なかなか進みませんが、まあまた機会がある毎に並べてみて、チャレンジしていきたいと思っています。


2020年年末、ミドルアース大阪でウォゲームのバザー

 今日のミドルアース大阪で、ウォーゲームのバザーがありました。











 ボックスゲームとしては『共和政ローマ』『戦争と平和』が売れまして、他にも同人ゲームなどが売れました。

 『Wellington's Victory』『Ney vs. Wellington』などは売れなかったので、2021年3月28日(日)に開催予定のゲームマーケット大阪に持ち込もうと思ってます。


 元々私はあまりいっぱいゲームを持っている方ではないですが、それ以上にやるゲームの種類が少ないですし(^_^;、またちょっと力を入れてゲームを整理して、こういう機会に出品していこうと思いました。

 とりあえず『La Bataille de la Moscowa』(ME/GDW)、『La Bataille de Preussisch-Eylau』(COA)などは出せるようにしようかと……。OCS『Tunisia』なんかも、出品してプレイしてくれる人がいれば良いかもと思いました。まあ売れなくても、賑やかしにはなるということで……。


 ミドルアース大阪でもまたバザーをやって欲しいとも思います。ミドルアース大阪でであれば、改造してあるゲームやジャンク的になってしまっているゲームでも、より出品しやすい気がします(^^)


『British Armoured Divisions and their Commanders, 1939–1945』を購入しました

 とりあえず現状、開戦前にホバートがエジプトで第7機甲師団(当時の名称は「機動師団(エジプト)」)を訓練するところを調べているんですが、その際にちょこっと調べ物をしていて、『British Armoured Divisions and their Commanders, 1939–1945』という本を見つけました。




 多分、以前にも検索で存在は知っていたとも思うのですが、今調べようとしていることに非常に合致するので、これは購入した方がよかろうと思い、Kindle版を購入しました。Kindle版はすぐに読めるのでいいですね!(DeepL翻訳もやりやすいというのもありますし。以前は、地図の問題的にKindle版はダメ、絶対、とか思っていたのですが、完全に宗旨替えしました(^_^;

 著者の著作一覧を表示してみたら、先日購入してました『Hobart's 79th Armoured Division at War: Invention, Innovation & Inspiration』もこの著者のものでした。





 とりあえず「はじめに(Introduction)」を読んでみたのですが、なかなか興味深いことが書かれていました。

 英陸軍が機甲部隊を効果的に使えるようになるまでには数年の戦争が必要であった。その理由の一つは、時代遅れの戦術を使用し続けた多くの騎兵将校の存在であったと主張されることが多いが、王立戦車兵団【Royal Tank Corps】の「近代的な」将校たちは、初期の数年間にイギリス軍が被った苦難の多くの原因となった、ひどく欠点のあるメッセージを説いていたという罪を犯していたと言わざるを得ない。
 【……】
 さらに、歩兵支援戦車(マークI戦車)と高速で移動する「巡航」戦車(騎兵戦車)の2つのクラスの戦車という英国の概念は、何の役にも立たなかった。また、効果的な英国戦車を戦争末期まで作ることができなかったことも、アメリカの戦車に頼らざるを得なかった原因である。英国のドクトリンの大きな失敗の一つは、効果的な戦車砲がなかったことであり、初期の戦車は命中力と射程距離に欠陥のある武器に頼っていた。(パーシー・ホバートをはじめとする機甲戦の予言者の中には、この責任を負わなければならない者もいる)この欠陥は初期のドイツ戦車の設計にも反映されていたが、ドイツ軍はイギリス軍よりもはるかに早くこの問題を解決した。
『British Armoured Divisions and their Commanders, 1939–1945』位置No.136


 ここらへん、非常に興味のあるところなので、ぜひ読んでいきたいと思います。


 ただ、書評を読んでいると、「【ロンメルの第1次攻勢で壊滅させられた】第2機甲師団はエジプトで編成された、って書いてあるけど、本当は、イギリス本国で編成されてからエジプトに送られたんだよ」ってなことが書かれたりもしていました。まあ色々気を付けて読んでいくということで……。


 手持ちの『第2次大戦イギリス機甲部隊』という本では、第2機甲師団はイギリス本国で編成された旨、書いてありました。






 あと、「7th Armoured Division」とか「Desert Rats」という検索ワードで第7機甲師団の本も探してみたのですが、本は色々あったものの私が知りたいことにかなり合致する本というのは見つけられなかったので、とりあえず購入はやめておきました。

 ちょっと資料が多くなりすぎていて、それゆえにしんどくなってきた感もあるので、どうしたらそこらへんうまくやっていけるか、試行錯誤が必要だなぁという気もしております(^_^;

OCS『Tunisia II』でのイギリス第6機甲師団長チャールズ・キートリーについて

 ホバートについて調べてましたら、OCS『Tunisia II』に出てくるイギリス第6機甲師団の師団長であったチャールズ・キートリーについて出てきていてある程度調べてしまったので、せっかくなのでここに書いてみます。


Charleskeightley

 ↑チャールズ・キートリー(英語版Wikipedia「Charles Keightley」から)


 キートリーは1938年にエジプトで騎兵(機械化)旅団長をやっており、ホバートの指導をごく短期間受けました。

 その後、第30機甲旅団長、第11機甲師団長を経て第6機甲師団長となり、トーチ作戦に参加。チュニジアで枢軸軍と戦います。


 ↓OCS『Tunisia II』の第6機甲師団。

unit9551.jpg

 この第6機甲師団は『Tunisia II』のキャンペーンの最初からマップ上にいる唯一の連合軍側の機甲師団で、結構強いので枢軸軍側としてはこいつに四苦八苦させられる印象があるのですが、『Biographical Dictionary of British Generals of the Second World War』によりますと、

 【キートリーは】1942年5月には「ほぼ完全に初陣」(Blaxland, 1977, 40)の第6機甲師団長に任命され、チュニジア作戦中はこの師団を率いた。彼はカセリーヌ峠の戦いの時「明らかに意気消沈し……(そして)我々の部隊の疲労の大きさに過度に影響を受けていた」(Allfrey Diary, 20.01.43, LHCMA)と見られていたものの、ドイツ軍の突破を封じ込めるのを支援し、その後チュニスの占領に参加した。
『Biographical Dictionary of British Generals of the Second World War』位置No.4263

 のだとか。あまりいい感じではないですが(^_^;

 その後、イタリア戦線で戦い、上官のリース将軍から「キートリーは一流になるだろう」と言われて、イギリス軍最年少の軍団長となりました(43歳で、第5軍団長)。イタリア戦線で戦い続けた後、戦後も要職を歴任し、第2次中東戦争で英仏連合軍の最高司令官としてイスラエル軍と共にスエズ運河を占領したものの、国際的な非難を浴び、その政治的な要因で撤兵を余儀なくされました……





OCSによるショック戦(機動戦)の特徴と、個人的にまだまだできていないことの反省点

 リデル=ハートの『The German Generals Talk』の和訳である『ナチス・ドイツ軍の内幕』からの資料収集作業が完了しました。




 その中で、結語の2ページの中にあった言葉が、OCSにおいても、というかOCSにおいてこそ重要なものだと思われました。

 この連中【ロンメルなど】は敵の"予期しないこと"についての直観力を持っており、かつそれが敵をマヒ状態に陥れることができるという点において、量り知れない効果を持つということを知っていた。
『ナチス・ドイツ軍の内幕』P282


 OCSはシステム上、両軍にとって戦線がどこもかしこも危ない一方で、両軍ともにやろうと思ったらできることが大きいように作られているので、両軍、何がどこまで可能か、どこが危ないかとかを把握しきることができません。しかも、戦線後方には司令部、補給集積所、輸送トラック、一般補給線など、敵に突かれると困ってしまうものに溢れています。ですので、「敵の予期しないこと」を意識しつつOCSのプレイを重ねていると、ある時「あ、ここを突けば敵をマヒさせられるのでは!?」という戦区が見えてくることがあります。というか、まあ稀にそういうことが自分にもあるわけですが、多くの場合私は、敵プレイヤーによって自分の「予期しないこと」をされてしまい、自分がマヒ状態に陥る……という感じなわけですけども(爆)。

 多くのウォーゲームでは、OCSほどには「敵の予期しないこと」を突けるようにはなってないのではないでしょうか。そのため、OCSでは他のウォーゲームにないほどに、史実同様、予備部隊を持ち、後方に守備隊を置くことが重要になっています。ちょっと前に「OCSはどこらへんがリアルなんでしょうか(あるいは、どの辺が面白いのでしょうか)」というような質問をもらったのですが、このことを持ち出して回答しておけば良かったのかも……。

 ただ、そういうプレイとかゲームは好みではないという方もいるでしょうし、あるいは「そうだとしてもOCSはやり過ぎだ」と考える人もいるでしょうから、そこらへんは人それぞれだと思います。私は、OCSでももっと戦場の霧があって欲しい(つまり、もっとやり過ぎて欲しい)と思っているくちですが……(^_^;


 このあたり、以前OCSにおける真の「ショック戦」 (2016/07/17)で書いていたことではありますが、OODAループ理論で、

相手を混乱させ心理的ショックを与え続ける。必ずしも決戦は必要ではなく、相手の脆弱な箇所へ攻撃を仕掛け続ける。
日本語版Wikipedia「OODAループ」

であるとか、

目標は敵の「状況に適応する精神的な能力」を粉砕することである。
『米軍式意思決定の技術』P102

 ということになります。


 そしてそれゆえに、「やられるかもしれない」という側面においては、それに即応するための予備が、そして「やろうとする」という側面においても、相手を翻弄し続けるために予備が、双方重要になってくるわけですが、その点、理論では分かっていても、尼崎会の我々は全然予備を保持しておくということができていません(T_T) 毎回毎回、反省点に挙がってくるのですが、一向に改善されず、とにかく手持ちの戦力を全部前線に出してしまうという……

 一応、対処法として、プレイヤーターンの最初の方に「上級司令部&予備指定セグメント」というのを勝手に設けて、
「それで、このターンは貴官はどの部隊を予備として指定するのかね」
「えっと……このユニットと……このユニットとか……?」
「なにぃ? たったそれっぽっちかね!? 機動戦において予備兵力を持っておくことの重要性を貴官は本当に分かっておるのかね!
 というようなやり取りをやるべきなのかな、と話してはおります(^_^;


 ちょっと改めて以前読んだ『機動の理論』をパラパラ読み返していたのですが……。



 機械化戦における予備隊の価値は、いくら誇張しても誇張しすぎることはない。なぜならば、機動力の向上は数え切れないほどの奇襲効果をもたらすからだ。強力な予備隊を持てば持つほど、それだけ予期しない奇襲効果が得られる。
 将来戦における大きな困難の1つは、敵の意図が推量できないことであり、さらに最も困難なことは、敵をいかなる場所にも固定=拘束できないことだ。であるから、強力な予備隊を持たないかぎり、予期しない状況への対応は不可能となる。

『機動の理論』P88


 このあたり、まったくその通りでございますと、ぐうの音も出ません……。

 また、以前、ドイツ軍の進撃路で道路が渋滞したり、道路が摩耗したりするから、戦力を集中させ過ぎないのでしょうか? (2020/10/29)に追記していた件として、こういうのがありました。

 陸軍当局の方は、対英上陸はできる限り広い幅でやるべきだ。 - 少くともラムズゲイトからリム湾ぐらいまでの間へ - それはイギリスの予備軍の目標を迷わせ、拡散させるために必要であると主張したのに対して、海軍の方はとてもそんなに広い幅では援護できない、イーストボーンから西は守れない。もっと狭い上陸地点と一つのコースに絞ってくれと主張した。議論は白熱して二、三週間続いた。ハルダーは「海軍の案は陸軍にとっては自殺行為に等しい」と宣言し、「それはあたかも陸軍をソーセージ製造機の中へ送りこむようなものだ。」
『ナチス・ドイツ軍の内幕』P143,4


 つまり、敵の「予備軍の目標を迷わせ、拡散させるために」、自軍戦力をある程度分散させることが必要だという件ですが、『機動の理論』にもこのように書かれていました。

 敵の関心を引きつけ、敵に1方向だけではなく多方向に目を向けさせる。このような敵を困惑させる攻撃は陽動ではなく、敵に計画の変更を強い、敵の予備隊を消耗させる行動なのだ。
『機動の理論』P91


 こういう系統のことはまだまだ全然できていない、と思います。反省し、今後取り組んでいきたいものだと……。


 また、いわゆる「機動防御」について、『ナチス・ドイツ軍の内幕』でこのように書かれていたのが印象的でした。ラインの守り作戦について、マントイフェル、ルントシュテットらが、攻勢よりも機動防御を狙った方が良かったと言っていた、と。

 本当は、連合軍が新たな攻勢に出てくるまで待つのが一番良かった。そしてその時のチャンスに備えて、機械化部隊は全部手許においておく。ルントシュテットも同じ意見だったということは、ブルメントリットも証言している。「【ルントシュテット】元帥も本当はこちら側から攻撃をしかけるようなことには反対していた。彼の意見は、こちらはロエール川を防御して、その線に味方のすべての機械化師団をおいておき、敵がそこを破って踏み込んできた時に、強烈に反撃するというのであった。
『ナチス・ドイツ軍の内幕』P262


 機動防御についても、OCSで私は自分がうまくできているという気がしません。逆に、OCS『Beyond the Rhine』で私が連合軍を持って、マップ南端のライン川沿いを急襲できて「よし……!」と思っていたら、肉入り鍋さんが予備にしてあった装甲旅団を繰り出してきてしこたま反撃されまして、呆然としたということがありました(T_T)

 機動防御の具体的なテクニックが分かってないのですが、Operations誌に「攻勢をしてきた相手の主力ではなく、主力と後方の間の脆弱な地点を狙う」とあったのと、あと、機動防御用の予備を隠しておいて、相手の攻め気を誘う、ということが重要なんでなかろうかという気はしているのですが、そうしていたら別の場所を大攻勢されて自分がパニックになるという行く末が簡単に見えるというのが私クオリティ……(爆)。


 しかし実際、OCSにおいて、分かってきた面もありつつも、まだまだ全然できてないことが多いというのが実感です。



 それから、『ナチス・ドイツ軍の内幕』において、ラインの守り作戦に関するこのくだりも興味深かったです。

 この【ラインの守り作戦の】戦略的カムフラージュは奇襲の効果を助けたけれども、ただあまりにもきつく秘密にしすぎたために、かえって高価な犠牲を払ってしまった。各指揮官はあまりにも遅く知らされたために、自分の問題を研究する暇がなく、また地形を調べたり準備をしたりする暇もほとんどなかった。そのため多くの見落としがあり、またいよいよ攻撃がはじまってみると、さまざまの障害がでてきた。
『ナチス・ドイツ軍の内幕』P263


 この点、多くのウォーゲーム(特にビッグゲーム)でも、地形の吟味が非常に重要であるというのは共通であると思われますが、OCSでもプレイの最初にまず自軍の置かれた状況とすべきことを把握するのにかなりの時間がかかります。ところがバルジの時のドイツ軍指揮官は、初見のマップの前に座って「はい、この移動フェイズはあと20分で終了して下さい」と言われたようなもので、それは確かに良くなかっただろうな、というのが非常に実感できました(^_^;


BCSのユニットを、OCSのユニットとどう違うのかという視点で見てみました

 12月27日(日)のミドルアース大阪で、KMTさんからBCSをインストしてもらえるということで、BCSに関する記事などを読んだりして、予習を始めてます(ただ27日は、最近のコロナの緊迫度合いにより、どうなるかなという気もしますが……)


 ↓参考にさせていただいたブログエントリ。

【Battalion Combat Series】BCS Rules v1.1 First Impression part.1
【Battalion Combat Series】BCS Rules v1.1 First Impression part.2
【Battalion Combat Series】BCS Rules v1.1 First Impression part.3

「BAPTISM BY FIRE」(MMP)を試す(1)基本システム 【再編集・修正版】
「BAPTISM BY FIRE」(MMP)を試す(2)Battalion Combat Seriesの戦闘関係ルール


 しかし読んでいてもなかなか複雑で、「すんなり」とはいきません(^_^; なにより、ユニットに記載されている情報・種類がやや多めで、よく理解できていないのが問題かと思ってそこから攻めていこうかと思いましたが、フト、OCSとどう違うのかという切り口でいくと自分にとっては理解しやすいのかもしれないと思い、そこから考えることにしました。


 ↓BCS『Baptism By Fire: The Battle of Kasserine』のユニット(表と裏)。

unit9560.jpg

unit9559.jpg



 OCSのユニットに関しては既知であるという前提で……(OCSのユニットはすごい分かりやすいんだなと思いました(^_^;)。

 まず、同じ、あるいはほぼ同じであるのは、

unit9556.jpg

・アクションレーティング(表裏で数値が異なることがあったり、再建不能があったりするのも同じ)
・射程(1なら記載なし。ただしBCSでは片面にしか射程が記載されていないこともある(しかない?))
・移動力(赤、黒、白の色分けも同様。ただし、赤は背後の黄色地がなく、また名称は「Track(装軌)」ではなく「Tactical(戦術)」となっている。なぜなら、装輪装甲車(8本タイヤとかの)も含むからとのこと。それから機能に関しては白(徒歩)は敵ZOCで停止、黒(自動車化)は射撃戦ゾーンで停止など、OCSとは当然異なってくる)


 移動力に敷衍して、OCSにおける「戦闘モード(表面)」「移動モード(裏面)」に関してですが、BCSも同じようになっていて用語的には「展開面(Deployed Side)」「移動面(Move Side)」となっています。ところが、OCS信者からするとものすごく驚愕だったのが、BCSではカウンターの表と裏で、どっちが展開面でどっちが移動面なのかが固定されていないということです。じゃあ何が表に印刷されるのかというと、「そのユニットがより頻繁に使用する面」だそうで……。

 最初に挙げた『Baptism By Fire: The Battle of Kasserine』のユニットの画像の表裏を見比べてもらうと、枢軸軍のすべてと連合軍の上の方のユニットは、表面の方が移動力が大きく、「移動面」になっています。が、連合軍の下の方の歩兵師団等のユニットは表面の方が移動力が小さく、「展開面」になっています。

 それから、移動力をOCSと見比べてみると、BCSの方は、

・展開面の徒歩移動タイプは4移動力だが、展開面の戦術移動タイプは3~6移動力と、徒歩への優越度が小さい(OCSだと3に対して6~8という感じ)。
・徒歩移動タイプは展開面で4、移動面で8(OCSだと3、5という辺りが一番多い)。
・枢軸軍は歩兵まですべて自動車化されているのに、アメリカ軍歩兵師団のユニットは移動面でも徒歩移動なのが「えっ、ほんと?」と思った(OCS『Tunisia II』ではアメリカ軍の歩兵師団は自動車化されている)のですが、OCSより詳細な大隊レベルで見るとこちらがより良いということ?



 次にOCSで戦闘力が記載されているユニットの左下の部分ですが、BCSがより戦術的なレベルである戦車などによる射撃(砲撃)戦闘を扱うということで、そこらへんの種別により細分化され、戦闘時に種別により色々修正が付いてきます。

unit9558.jpg

・「↑」は歩兵。戦闘力はARそのまま。
・「↑」+射撃値というものもあり、機械化歩兵/装甲擲弾兵を表す。


 以下は戦車や装輪装甲車や牽引大型対戦車砲などで、射撃値+ARが戦闘力となる。

unit9557.jpg

・赤色(Red)は一番普通の戦車(Ⅳ号戦車とかパンターとか)による射撃力で、攻勢的なもの(攻勢射撃値)。
・枠のみ無色(Limited)は突撃砲などの、防勢的な使われ方をされるもの(防勢射撃値)。
・白(Light)は装輪装甲車などの、小火器のみのもの(小火器射撃値)。
・黒(Standoff)は88mm砲などの、遠距離で射撃ゾーンを形成するものです(遠距離射撃値)。移動面には射撃値がなかったりして、その状態は「未準備(Unprepared)」と呼ばれます。


 それから、兵科マークの色によって以下のような種別があり、修正が来たりするようです。

unit9555.jpg

・白(Not Hard)は戦闘室が密閉でない、開放天蓋式の駆逐戦車等(歩兵もこの色)。
・黄色(Hard)は戦闘室が密閉(普通の戦車は全部これ)。
・左1/4が赤で残りが黄色(Breakthrough)はティーガーやブルムベアなどの、拠点防御歩兵などの戦車を持たない部隊を蹂躙するのに向いたもの。


 あと、カウンターの下の部分に大きく「Support」と、射撃値(とあれば射程)だけが書かれている支援ユニットというのがあります(画像は左側が表、右側が裏)。

unit9554.jpg

 これは戦車等を持たない部隊を補強するために派遣された小部隊を表しているそうです。ルールブックを見ると「マップ上の特定の場所に置かれることがない、リアルでないユニット」とあったのですが、普通のユニットの片面がこのタイプであるものもあって、どういうことなのかまだ良く分かってません。

<2020/12/24追記>

 ↑この点について、yuishikani氏からコメントを頂きました。なるほど~。ありがとうございます!

これはマップ上に配置される場合は通常のユニットとして扱われ、マップの特定の場所におかれない場合は、所属するフォーメーションに所属するユニットに分散配置されていることを現します。という2パターンの状態を選べますよ、というユニットが指摘されているようなユニットになります。

BAPTISM BY FIREであれば、イギリスの対戦車砲大隊だったり、ドイツのマーダー装備の大隊をマップ上に登場させるか、または登場させずに師団内の他部隊に分散配置させたとするかといったを選べます。後者の場合は、フォーメーション内に対戦車能力を持っていない歩兵大隊などがあった場合、対戦車能力をもたせることができ、結構有用です。


<追記ここまで>
 


 それから、ここまでのユニットで常に兵科マークの左上に「長方形の中に数値」が書いてありましたが、これはステップ数です。ダメージを受けるとこの残りステップ数が減っていきますが、残り0ステップになって除去されるということ以外には、射撃値が減ったりとかいう効果はないとのことです。




 それから、司令部ユニットはOCSとかなり様相が異なります。

unit9553.jpg

 移動力は移動面だけに書かれています。左上の数値は「指揮範囲」で、そのフォーメーション内のユニットが通常行動できる司令部からの最大距離。爆発のようなマークの上に書かれているのは「砲兵ポイント」で、BCSには砲兵や航空ユニットが入っておらず、このポイントでそれを表すとのこと。移動面にあるダイスの目が「活性化値」で、6面体ダイスを1個振ってこの目以上で第2活性化が行えます。3が極めて優秀、4が優秀、5が普通、6が劣悪。



 また、フォーメーション毎に補給段列ユニットがあります。

unit9552.jpg



 他にもちょこっとあったりするようですがとりあえず。認識の間違いなどありましたら、ぜひ気軽にご指摘下さい!

 システム面に関しては前掲のブログエントリに書かれていますので、ここではもう書きません。



 ここまで予習しての印象なんですが、これもOCSとの比較で考えてみますと……(BCSは元々OCSの大隊レベルバージョンという構想であったということもありますし)。

 個人的には「OCSは戦闘の不確実性が強いのに、移動における不確実性がなさすぎるのがちょっと問題」という思いはあったので、BCSでは移動できるかどうかが疲労度によって不確実になってくるということで、その面に関して良さそうだとは思いました。

 OCSの魅力である、モードでのトレードオフによる機動戦であるとか、イニシアティブによるダブルターンの破壊力とジレンマとか、戦線後方の重要性とかは保持されているという印象を受けます。

 また、機動戦であちこちで戦車戦などが生起されまくる……というようなことに関して、OCSよりもさらにリアルに再現されるのかもという期待をもっていいんでしょうかね?(^_^;

 OCSは長期のキャンペーン(タイフーン作戦など)を再現するには非常に良いと思うのですが、1ターンが3.5日というスケールですから、2日間だとか10日間だとかの戦いをうまく再現するにはややギリギリ感もあったので、BCSがそこらへん余裕を持って短期の戦いを再現できるというのは期待したいところです。カセリーヌもですし、ブレヴィティ作戦やクルセイダー作戦の再現性に特に期待しています。


<2020/12/24追記>

 yuishikaniさんからいただいたコメントを追記した件についてのツイートに皆さんが付けて下さったコメントが非常に興味深かったので、ここにまとめておきたいと思います。









<追記ここまで>

ソ連軍兵士の強さについて(主にリデル=ハートの『The German Generals Talk』和訳本から)

 『ナチス・ドイツ軍の内幕』(リデル=ハートの『The German Generals Talk』の和訳本)に、ソ連軍兵士の強さについてかなり長い記述があったので、その他の本からの短い文も含め、引用してみたいと思います。


 まずは、以前書いてました『兵士というもの』:ドイツ兵のイギリス、アメリカ、ロシア、イタリア兵観 (2018/10/25)からソ連軍兵士について、引用と私の書いた文も含め、再掲してみます。


--------------------------------------------------------

 ……国防軍兵士たちは、ロシアの敵には非常に強い敬意を抱いていた。彼らの犠牲をいとわない姿勢や情け容赦のなさを尊敬し、また恐れていた。「人々には、精神的にも肉体的にも途方もないたくましさがあ」り、「最後の一人まで戦うものなのだ、ロシア兵たちというものは」。「あの狂信的な戦いぶりは、誰一人信じられないようなものだ」。「ロシア兵たちの戦いぶりは薄気味悪い」ほどだという。彼らが死を恐れないさまを、ドイツ兵は呆然と見つめており、魂のない、感覚もない、まさに「ケダモノのような」戦士のように彼らが見えたことも稀ではなかった。
『兵士というもの』P305,6


 ロシア兵の頑強さについてですが、しかしこれはロシア兵自身の性質というよりも、当時のスターリン体制における兵士への扱いの方が大きな要因ではないかとも疑われるような……。

 もちろん、祖国が直接的にドイツ軍によって侵略されているということがあり、そのことについてのプロパガンダ戦略においてスターリンがうまくやったという面もあるとは思います。しかし、撤退しようとする兵士達を後方から機関銃で撃ち殺したり、怯懦な振る舞いをした将軍や兵士達を処刑しまくったりとかしている(ドイツ軍や日本軍でもそこまではやってなかったと思うのですが)ので、そもそもロシア兵達は板挟みの中で死ぬまで戦うしかなかったのではないかとも……。
--------------------------------------------------------


 次に、『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』から。この本はソ連軍兵士の内情について非常に詳しいのですが、彼らの置かれた苦しい情況についての記述が多く、「ソ連軍兵士はなぜ強かった(と外からは見えた)のか」という点についてはほとんど書かれてませんでした(^_^;

「おそらく世界でロシア人ほど軍隊に向いた人種はないだろう」。英国陸軍のマーテル中将は1930年代にロシア軍の演習に招かれて、このように語った。「戦場における勇敢さは、誰もが認めるところだ。しかし、最も顕著な特徴は、驚くべき肉体的強靱さと耐久力である」
『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』P64,5


 また、政治将校優先の状態が1942年末に解除されたことによって、現場がやりやすくなったというような事が書かれていて、興味深かったです(それまでどれだけやりにくい状態であったかということですが……)。

 1942年10月9日、指揮命令系統におけるポリトルク【政治将校】の特権は消滅した。それでも、彼らの役目は残った。共産主義思想と士気を鼓舞し、公式発表を一人残らず周知させるのが仕事だった。彼らの承認がなくても、多くの事柄が進むようになった。このころから将官は、党の関与なしに作戦上の決定ができるようになった。
 生粋の軍指揮官たちは、裁量の余地が広がったことを知った。チュイコフが書き残している。ヴォルガ沿岸で学んだ最も重要なことは「計画書が来るまで待たない姿勢だった」。彼と同僚は決定を下す権利を尊重した。士官が現場で下す短期的な決定だけではなかった。新たな実用主義が至るところで台頭してきた。指導者の資質として、思想や政治的基盤より、力量と技能が問われるようになった。スターリンがお気に入りの側近から聞いていた報告に代わり、現在進行形の戦争から生まれる必要性と緊急性が重視された。ソ連軍の歩兵、砲兵、戦車の連携の悪さが指摘された。軍事情報の乏しさも問題視された。何より、規律欠如のため砲撃が手当たり次第で、砲弾を浪費し、戦場で恐慌状態に陥る実態を改める必要があった。結論として、漫画のような英雄譚より訓練に力を入れるようになった。
『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』P184,5




 さて、『ナチス・ドイツ軍の内幕』からです。

 赤軍についてのドイツの将軍達の印象というのが、私には非常に興味があり、しばしば啓蒙的であった。それを簡潔な形で最もよく評価したのはクライストである。「最初から彼らは第一級のファイターであり、従って味方の成功はただ訓練が優れていたというだけである。そのうち彼らは経験をつんで第一級の兵士になった。極めて頑強に戦い、かつ驚異的な忍耐力もあったのである。そしてよその軍隊ならば当然必要と思われるものが、大方なくても戦うことができた。またその作戦当局は初期の敗戦から直ちに学び、すぐさま高度な能力を示した。
 他の将軍達の中にはそれと違う意見のものもあり、ロシヤの戦車部隊は手ごわかったが、歩兵の方は一般に、戦術的技術的にみて終始、程度が悪かったという。だが私は、こういう消極的な評価は、主にこの戦線の北半分を受け持っていた将軍達の意見であったことが注目すべきことだと思う。つまりそれは、赤軍の中での有能な部分は主として南部で働いていたということだ。
『ナチス・ドイツ軍の内幕』P210


 このソ連軍の南北の差というのはなかなか興味深いですね。私自身、1942年末から1943年初頭にかけてのスターリングラード周辺の戦いに最も興味があり、あるいはクルスク後のウクライナ戦線などにもある程度興味はあるのですが、そちらにソ連軍の優秀な部隊は回されていたということなのですね。

 私はルントシュテットに向って、彼が1941年に出合った時の赤軍の長所ならびに弱点と思うところはどこかと聞いたら、彼の答は次の通りであった。「ロシヤの重戦車は、最初からその質においても信頼性においても驚異であった。けれども、ロシヤ軍は我々が予想したほどの砲がなかった。そしてその空軍は、初期の会戦の頃には大きな妨害はしなかった。」ロシヤ側の武器について、もっと詳しくクライストは、「彼らの武器は、1941年の時でさえも非常に良かった。戦車は特にそうである。また彼らの砲は優秀であり、歩兵の武器の大部分――その銃は我々よりも発達していた。そして射撃速度が早かった。彼らのT-34戦車は、世界で最優秀であった。」マントイフェルとの話の中で彼が強調したことは、ソ連が戦車の設計においてまさっていたこと、そして1944年に現われたスターリン戦車において、おそらく今度の戦争中での最良と思われるものを作ってきたということであった。イギリスの専門家はロシヤの戦車を批評して、余り洗練されていない、また種々の作動上の点で細かな装置や器具に欠けている、特に無線操縦装置がない等と言って非難する。けれどもドイツの専門家は、英・米の戦車がむしろこういう細部の具合の良さを強調しすぎて、かえってそのために力と実効力とを非常に大きく犠牲にしていると考えていた。
 また装備の点では、口シヤ軍の装備が一番悪かったのは1942年であったとクライストは言った。前年の損失を回復できず、その年一ぱい、特に火砲に不足した。「彼らは砲の不足を補うために、荷馬車で臼砲をのせて運んでこなければならなかった。」けれども1943年以降、装備は次第に充実してきた。連合国の物資が洪水のように入ってきたし――特に自動車輸送の資材において――これが非常に大きな効果を発揮する一方、ドイツ軍の手の届かないロシヤ東部の工場での増産がさらに大きな理由である。使用された戦車は、ほとんど全部自国の工場で作ったものだ。
 東部戦場でやや意外だったことは、ロシヤが軍の有効な空輸ということをほとんどやらなかったということである。彼らはもともとこの戦闘方式の開拓者であり、戦前、演習では大きな役割を果していたものであったのだが、私はこの問題をシュツーデントと議論した時に、彼は答えて、「私はしばしばロシヤ軍がなぜパラシュート部隊を使わないのだろうかと不思議に思っていた。これは私の想像だが多分その訓練が不充分であったからだろう。飛行と降下の実習が共に不足していたに違いない。せいぜい彼らのやったことと言えば、我々の背後へサボタージュの目的で少数の工作員とグループとを落すだけであった。」
『ナチス・ドイツ軍の内幕』P211,2



 一般的に言って、ロシヤ軍の指揮能力は上と下とが最強であって、その中間部が手薄であった。ハシゴで言えば、上の方の横木のところは、その自由な判断力の点に関して一応折り紙をつけられた人達によって占められており、それをまた自分のやり方でやることができたのである。また下の方の横木は、これも自分の狭い責任範囲を賢明な戦術的感覚で遂行できる下級士官によって充たされていた。というのは、無能な将校は戦場という冷厳な場所の法則の支配を受けて、すぐさま敵の砲弾のえじきになってしまうから、存在し続けることができないのである。ところがその中間部分の指揮者になると、他の国々の軍隊以上に、いろいろなほかの要素を考慮しなければならなかった。彼らにとっては自分の上級指揮官の命令と判断の方が、敵よりもっとこわかったのである。
 この点に関して、北部戦線のある軍司令官の一人は次のような意味深いことを言っている。「こちらの防御が弾力的にやれる限り、ロシヤ軍にまず攻撃させた方が通常安全であった。彼らはその攻撃の方法において極めて猪突猛進型で、そのアタックを何度でもくり返す。なぜかと言うと、もし攻撃をうち切ったならば、その決心が弱いと思われることをおそれているからなのである。」と。
 ロシヤの兵士達の一般的な性格について、ディトマールは私に面白い示唆を与えた。それは私がロシヤ軍の最大の長所は何だと思うかと聞いた時だ。「まず第一にあげたいことは、その軍隊の、まるで魂も何もないかと思われるような無表情、無感動な関心のなさだ。それは単なる宿命論を越えた何ものかである。形勢が悪くなっても、全くそれを感じないというのではないけれども、一般に他国の軍隊に対して与えるような印象を彼らに与えることは困難である。私がフィンランド戦線で指揮をとっていた間に、ロシヤ軍が実際に私のところへ降伏したことは、たった一度しかなかった。こういう並外れた純感ぶりがロシヤ軍を非常に征服しにくくしている一方、これは軍事的なセンスという点において一番大きな弱点である。というのは、初期の戦闘の段階で、この性癖のために彼らはしばしば包囲せられた。
 ディトマールはさらに加えて、「ヒトラーの特命によって、戦争の後期、ドイツ軍に対してもこの赤軍の間に瀰漫していたのと同じような心理状態にする企てがなされたのである。つまりこの点で我々は口シヤ軍のまねをしたのに対して、ロシヤ軍は戦術面において一層上手に我々のまねをした。彼らは数が多かったから損失は余り問題でなく、このやり方で自分の軍隊を訓練することができたのである。そして、軍隊は言われた通りを盲目的にやることに慣れていたのだ。」
『ナチス・ドイツ軍の内幕』P213,4



 はじめてロシヤの戦線を攻撃した時、我々が直ちに気がついたことは、ここでは、我々はフランス、ベルギー軍とは根本的に違ったタイプの兵隊達に直面しているということであった。――ほとんどかくれて姿は見えず、極めて巧に壕の中に閉じこもり、しかもその決意は固い。我々はかなり大きな損害を受けた。
 「当時のロシヤは帝制陸軍であった。全体的には善意ではあるが、軍事的には冷酷で、東プロシヤで彼らは撤退する時には、いつでもあたりの町や村を焼き払うくせがあった。それはその後自分の国でも、しょっちゅうやったのである。夕方になって地平線の村々から赤い焔が立ちはじめると、我々はロシヤ軍が撤退しつつあることを知った。奇妙なことだが、住民はそれに苦情を言わなかった。それがロシヤのやり方で、何世紀もの間そうだったのだ。
 「私が、大部分のロシヤ軍の兵士は悪人ではない、気質は良いと言ったのは、それはヨーロッパ・ロシヤの軍隊について言っているのである。もっと野蛮な、アジア、シベリヤの軍隊は、その行動において残虐であった。コサックも同様である。1914年に、こういう調子で東ドイツはひどい目にあった。
 「1914年-18年の時でさえ、戦争の条件は東部の方が一層きびしいということは、我が軍隊に影響を与えた。兵士達は東部よりも西部の方へ行きたがった。西部の戦争というのは、物質と大量の砲の戦であった。――ヴェルダン、ソンム等々すべてにおいて。つまり西部ではこういう要素の方が圧倒的で、それを耐え忍ぶのに骨は折れたが、少くとも我々が相手にしていたものは西方世界の敵であった。ところが東部の戦場ではそれほど多くの砲火はなかったけれども、戦う人間がずっと冷酷なタイプであったから、その抵抗はいつも極めて頑強であった。夜、肉迫戦、森林戦等を特にロシヤ軍は好んでやった。
『ナチス・ドイツ軍の内幕』P214,5


 ここで言う「東部」「アジア」の軍隊というのは、日本軍と日本兵に関してもあてはまることなのかな、とも思えました。例えばアメリカ兵やイギリス兵が、日本兵に対してどういう印象を抱いていたかというのは興味深い問題である気がします。できれば今後、情報を集積したいところです(ビルマ戦線については将来やろうと思ってまして、資料を集め始めています)。

 最新号の『歴史群像』で『黄禍論』という本が紹介されていて、非常に興味を持ったので、買ってきてあります(まだ読み始めてません)。




 【……】すべての将軍達が、ロシヤ軍の最大の利点は規則正しい補給もなしにやってゆかれるところにあると言って強調したからである。マントイフェルは、しばしば戦車を率いてロシヤ軍の前線深く突破したことがあるが、その彼は最も生き生きとその光景を描いている。「ロシヤ軍の進撃というのは、とても西ヨーロッパ人の理解し得ないものである。戦車部隊が突破口を作ると、後から大体は騎馬の大集団が洪水のように押しよせてくる。兵士は背中に背のうを背負っており、その中には、途中の村や畑で集めた乾パンの切れはしか生野菜が入っている。馬は民家の屋根のワラを食い、他にはほとんど何も食わぬ。ロシヤ人は、進撃中はこういう原始的なやり方で、三週間の長きにわたって耐えられる習慣がついている。だから我々は、これを普通の軍隊のように、補給を断っただけではその進撃を止めることができない。第一、その補給部隊の隊列などはめったにお目にかからないのだ。
『ナチス・ドイツ軍の内幕』P216


 ここは日本軍と日本兵に関しても、かなり当てはまりそうなことのような気がしました。つまり、日本軍やソ連軍は相当にブラックであり、それに比べればアメリカ軍やドイツ軍は割とホワイトであったということなわけですが(アメリカ軍は沖縄戦でも師団ごと休ませたりしてローテーションするとかしてましたし、ドイツ軍も保証された休暇はどんなに絶望的な戦況であっても自動的に取れるようになっていたようです)。

 『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』を読んでますと、ソ連軍が進撃してドイツ国内に入るところになってきますと、ソ連軍兵士達は祖国には元々(戦前から)ほとんど大した物資もなくてそれが当然だと思っていたのに、ドイツ国内には溢れるほど物があってびっくりして、そしてそれらを奪ってどんどんロシア国内の家族の元とかに送っていく、と(ソ連当局自体が、その配達体制を整え、奨励さえした)。ソ連軍兵士からしてみれば、「こんな豊かな国がなんでロシアのような何もない国を攻めなければならなかったのか?」というのは確かに不思議なところだったでしょうね(ドイツ軍側は絶滅戦争を仕掛けており、土地だけ奪って植民しようとしていたわけですが)。

 日本軍にしても、零戦の試作機を運ぶのに牛車で運ぶというような貧しさで、それゆえに当然のようにブラックにならざるを得なかったという気はします。

イギリス陸軍のマーテル将軍について(付:OCS『The Blitzkrieg Legend』)

 最近、複数の文献を漁っているうちに、イギリス陸軍のマーテル(Martel)将軍という人の名前が複数回出てくるので、どんな人物なのか気になってちょっと調べてみました。

 どういう文で出てきたかと言いますと、ホバート関係の英文資料に何回もと、これら。

 軍隊機械化の先進国である英仏の文献をフォルクハイムに教示されたグデーリアンは、カンブレー戦でイギリス戦車兵団(タンク・コーア)の作戦参謀を務め、戦車運用のパイオニアとなったJ・F・C・フラー、英陸軍の大尉であった軍事思想家バジル・H・リデル=ハート、機甲戦の理論構築に功績があった英軍将校ジファード・マーテルらの著書や論文を読みあさった。
『戦車将軍グデーリアン 「電撃戦」を演出した男』P110

「おそらく世界でロシア人ほど軍隊に向いた人種はないだろう」。英国陸軍のマーテル中将は1930年代にロシア軍の演習に招かれて、このように語った。「戦場における勇敢さは、誰もが認めるところだ。しかし、最も顕著な特徴は、驚くべき肉体的強靱さと耐久力である」
『イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45』P64,5


<2020/12/13追記>

 もう一つあったので追記します。

 1936年9月、イギリス軍のサー・アーチボルト・ウェーベル少将率いる視察団は、白ロシアでソ連軍の大規模な演習を視察し、それに参加していたBT快速戦車を高く評価した。中でも視察団員の陸軍省機械化局長補佐(のちに副局長)のG・L・Q・マーテル大佐は、エリス少将らが反対する中でクリスティー戦車の輸入を推進したといわれている。
『歴史群像アーカイブ WWII 戦車大研究』P113


<追記ここまで>




 ジファード・マーテルの写真はこちら(フリーライセンスではないようなのでブログ上には貼らないでおきました)。


 英語版Wikipdia「Giffard Le Quesne Martel」によりますと、第一次世界大戦中に戦車(戦)に興味を持ち、フラーを補佐して作戦計画などを考案。戦間期には戦車を自分で作ったり、軍用橋梁を開発したり(ドイツ軍もそれらをまねて作った)。イギリス軍内における戦車開発や戦車戦に関する業務にかかわります。

 第二次世界大戦前に第50歩兵師団の師団長に任命され、イギリス大陸派遣軍の一員としてフランスに渡り、1940年のアラスの戦いでロンメルの第7装甲師団に対して反撃をおこないます(Wikipedaには「ドイツ軍の戦線を8マイル後退させた」とあります)。

 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』の第50歩兵師団(→OCSユニットで見るイギリス軍の第50歩兵師団(西部戦線のイギリス軍歩兵師団) (2020/11/08))。

unit9562.jpg



 イギリス大陸派遣軍の撤退後に王立戦車兵団の司令官となりますが、その後この地位が廃止され、ビルマやインドに赴任した後、在ソ連軍使節団長となって、色々見てまわったようです。クルスクの戦いに関しても何か色々言っていたようなので、新刊のこの本にも出てきたりするのでしょうか……?(私はクルスク戦にはあまり興味がないですし、積ん読の本がありすぎるので、購入しないでおこうと思ってますが)






 一方、Wikipediaよりも批判的なこともバシバシ書いていくスタイルである『Biographical Dictionary of British Generals of the Second World War』によりますと(位置No.5018)、

 アラスでの即席の反撃の際に「特に激しい砲撃を受けた」部隊の後ろに陣取ったが、彼自身の説明によると、敗残兵を回復させ、戦線を安定させた(Martel, 1949, 160)。しかし、戦車部隊の将校からは「彼の指揮官、戦術家としての力は理論家としての彼の才能には及ばない」との批判があった(DNB)。


 1940年以降はイギリス国内で、いったん退役したものの再び戦車に関わり始めたホバートと一緒に色々と戦車関係のことで協力していくのですが、

 しかし、建設的であろうとする彼の努力の中で、同僚、特にホバートとは喧嘩をし、現場の指揮官を困らせる傾向があった。オーキンレックは彼を「少し自己満足に傾いている」(Dill, 2nd. acc. 6/2/12, LHCMA)とみなし、ブルックは明らかに彼を嫌っており、王立機甲兵団司令官のポストを廃止するほどであった。



 在ソ連軍使節団長の任務に関しても、帝国参謀本部総長であったアラン・ブルックは「he did not appreciate very much(この任務に向いていない、ということ? あるいは、彼はこの任務をありがたいと思っていなかった、ということ?)」と書いており、そのなんだかなぁな様子が『French Intelligence 研究』というブログ?の「第1章 ロシアとの共闘(4)」というページに詳しく書かれていました(ページ内でCtrl+Fして出てくる検索窓に「マーテル」と打って検索すると良いです)。


 その後、失明したり、娘さんが亡くなったりと、彼のキャリアは「失望の連続で終わった」とのことで、気の毒ではあります。

 

イギリス軍公式の第二次大戦史シリーズを探してみました

 そういえばと思って、イギリス軍公式の第二次大戦史シリーズを探してみました。

 このシリーズですが、私は以前1940年のフランス戦に興味を持っていた時に、ネット上で当時のイギリス大陸派遣軍について扱った『The War in France and Flanders 1939-1940』というサイトを見つけて時々見ていたのですが、一時期見られなくなったため、その元の書籍版らしき本を買って持っていたのです。そして先日、ビルマ戦関係の本を検索していた時にこのシリーズの本が出てきていたように思うので、「そうか、シリーズでいっぱいあるのだな」と思っていたのでした。


 『The War in France and Flanders 1939-1940』に関して書いていた過去のエントリは↓こちら。
イギリス大陸派遣軍のサイトが消えたぁ…… (2011/05/15)
1940年5月22日のブーローニュ戦 (2011/09/20)
OCS『The Blitzkrieg Legend』:イギリス海外派遣軍(BEF)の配置を調べてみる (2019/05/17)


 私の持っている『The War in France and Flanders 1939-1940』の印象ですが、非常に分厚く(400ページ程度)て、地図も結構入っており、別表(戦闘序列とか)も充実していて、良い感じのように思えます。もちろん、出版年的には古いのだと思いますが、書評を見ていても評価は高めに思えます。



 さて、探してみたところ、いっぱいあったのですが、一部のものはKindle版がえらい安い!

 以下、並べてみます(『The War in France and Flanders 1939-1940』の巻末に載っていたシリーズ一覧の順番で)。左が書籍版、右がKindle版です(あれば。一部のKindle版で評価が低いのは書籍版にはある地図や別表がなかったりするもののようです)。

<2020/02/02追記>

 一部のものはネット上に公開されてるのを見つけました(フランス戦のものが公開されているのだから、そりゃそうか……)。↓以下からリンクされています(他にも関係資料の名前が大量に挙げられており、一部のものはリンクが張られています。特に空軍関係)。

HyperWar: United Kingdom Official Histories

 Amazonへのリンクの場所にも、ネット上にあるものはリンクを張っておきます。ちょっと見てみたのですが、地図のデータが結構大きいのがあっていいですね。

<追記ここまで>


・『The Defence of the United Kingdom』 → ネット上のThe Defence of the United Kingdom






・『The Campaing in Norway』 → ネット上のThe Campaing in Norway






・『The War in France and Flanders 1939-1940』 → ネット上のThe War in France and Flanders 1939-1940






・『Victory in the West Volume I: The Battle of Normandy』






・『Victory in the West Volume II: The Defeat of Germany』






・『The Mediterranean and Middle East Volume I: The Early Successes against Italy (to May 1941)』

 → ネット上のThe Mediterranean and Middle East, Volume 1: The Early Successes Against Italy, to May 1941






・『The Mediterranean and Middle East Volume II: The Germans Come to the Help of their Ally (1941)』

 → ネット上のThe Mediterranean and Middle East, Volume 2: The Germans Come to the Help of Their Ally, 1941






・『The Mediterranean and Middle East Volume III: British Fortunes reach their Lowest Ebb (September 1941 to September 1942)』






・『The Mediterranean and Middle East Volume IV: The Destruction of the Axis Forces in Africa』






・『The Mediterranean and Middle East Volume V: The Campaign in Sicily 1943 and the Campaign in Italy - 3rd September 1943 to 31st March 1944』






・『The Mediterranean and Middle East Volume VI: Victory in the Mediterranean Part I: 1st April to 4th June 1944』






・『The Mediterranean and Middle East Volume VI: Victory in the Mediterranean Part II: June to October 1944』






・『The Mediterranean and Middle East Volume VI: Victory in the Mediterranean Part III: November 1944 to May 1945』






・『The War against Japan Volume I: The Loss of Singapore』






・『The War against Japan Volume II: India's Most Dangerous Hour』






・『The War against Japan Volume III: The Decisive Battles』






・『The War against Japan Volume IV: The Reconquest of Burma』






・『The War against Japan Volume V: The Surrender of Japan』






・『The War at Sea 1939-45 Volume I: The Defensive』 → ネット上のWar at Sea 1939-1945, Volume 1: The Defensive







・『The War at Sea 1939-1945 Voulme II: Tthe Period of Balance』 → ネット上のWar at Sea 1939-1945, Volume 2: The Period of Balance






・『The War at Sea 1939-1945 Voulme III: Part I The Offensive 1st June 1943-31 May 1944』






・『The War at Sea 1939-1945 Voulme III: Part II The Offensive 1st June 1944-14th August 1945』






 私はとりあえず、100円であったKindle版の『The Mediterranean and Middle East Volume I: The Early Successes against Italy (to May 1941)』を購入してみました。ざっと見てみたところ、地図も別表も入っており、地図は拡大はできませんが、ぎりぎり実用に足るレベルではないかと思えました。

ロンメル麾下の将軍達に関する洋書と、2009年出版の北アフリカ戦洋書

 北アフリカ戦ゲームが付録の『コマンドマガジン日本版 #148』に、大木毅氏の北アフリカ戦に関するヒストリカルノートが付いているのですが、その参考文献を今までチェックしていなかったことに気付いてチェックしてみましたところ、ロンメル麾下の将軍達に関する本がありました。





 個人的に今まで、クリューヴェルやネーリングやバイエルラインなどに関しての資料(主に人物像的な)の欠落を感じていたので、これらの本で補完できるのかも……?(人物像に関しては大して書かれていない可能性もびんびん感じますが(^_^;)


 また、他の本もチェックしてみた中で、↓は個人的にかなり良さげでした。



 書評によると、北アフリカ戦の戦闘に焦点を当てた本ではなく、ドイツ軍やイタリア軍の上級司令部とロンメルとのやりとりに焦点を当てた本で、ロンメルの欠点についても色々書かれているとのこと(本の中のスペルミスや事実誤認なども書かれていましたが(^_^;)。2009年の出版で、結構新しめの本でもあります(参考文献一覧には他にも、2018年出版のドイツ語本や2019年出版のロンメル本も挙げられていましたが、両方とも割と初心者向けの本のようでした)。

 この2009年の本は個人的な興味の部分にぴったり合うのでぜひ購入したいとも思ったのですが、先に北アフリカ戦の連合軍側の将軍について自分の中でまとめてからにしようかと。今回リンクを貼った3冊の本はどれもKindle版がないのですが、数年待てばもしかしたらKindle版が出るかもしれないし……?


 あと、チェックの過程でこういう本も見つけたのですが……。



 喜び勇んで見に行ったものの、1922年から1940年(開戦時)までを分析した本だそうで、いやいや、開戦からムッソリーニ失脚時までなら買ったのに……(T_T)

 

BCS『Brazen Chariots』の推薦図書、推奨文献目録を摘まみ読みしてみました

 ちょっと思いついて、BCS『Brazen Chariots』のルールブックの巻末にある、推薦図書、推奨文献目録を摘まみ読みしてみました(ここで公開されてます)。

 『Brazen Chariots』にそういうものがあるというのは、市川丈夫氏の【参考文献】Barrie Pitt「The Crucible of War」で読んで知ったことでした。感謝!


 推薦の度合いが高い推薦図書(Recommended Reading)には2つの作品が挙げられていて、その最初のものが市川さんも書かれていたBarrie Pittの『The Crucible of War』でした。ただ、どういう風に良いのかというのは全然書かれていなくて、「必読(essential reading)」とだけ。



 地図がなく細かい章立てもないのは市川さんも書かれていたとおりでしたが、値段的にはかなり安いです(Kindle Unlimitedなら無料、Kindle版なら3冊全部で1000円程度、ペーパーバック版でも3冊全部で5000円程度)。



 推薦図書の2つ目がゲームタイトルになっている『Brazen Chariots』で、クルセイダー作戦に参加した第3王立戦車連隊の中尉だった人が書いた本で、絶賛されています。





 ただ私は、軍司令官~軍団長~師団長クラスの「作戦的」な話が一番好きで、連隊長以下の「戦術的」な話にはあまり興味がないので、そこらへんはパスで……(逆に、戦術的なことに興味のある方にとってはお宝の山だと思いますので、以下の推奨文献目録も含めてぜひ目を通してみることをオススメします!)。


 推奨文献目録(Selected Bibliography)には多くの作品やウェブサイトが挙げられていますが、その多くが特定の部隊の動きなどに対象を絞ったり、クルセイダー作戦などを詳細に記述した「戦術的」なものっぽいです。もちろん、BCS『Brazen Chariots』が扱っているのはそこらへんなので当たり前ではあります(そういう意味でこのゲームシリーズが私に合うかどうかの不安もあったのですが、ユニットを改めて見てみたところ、連隊は大隊に分割されているものの、それ以外はほとんどOCSの部隊規模の変わらない感じであったので、大丈夫かなという気がしています)。

 というわけで、眺めていて私が個人的に興味を惹いたところだけ……。



 オスプレイの本が2冊?紹介されてますが、筆者(多分、リサーチ専門家のCarl Fung氏)は「私はいつもオスプレイの本をばかにしているのだが……」と書かれていて「ぶほっ」となりました(^_^; 私などは、オスプレイが初心者向けにまとめてくれている本を「ありがたやありがたや……」と読ませていただいています<(_ _)>



 『Rommel's Afrika Korps: Tobruk to El Alamein』の方は筆者も「非常に良い」と評価されています。『Crusader the Eight Army's Forgotten Victory』の方は私らなんかが良く見ているオスプレイ本とは違うのかもですが、「この本よりBarrie Pittの『The Crucible of War』を読んだ方がいいよ」と書かれています(^_^;



 イタリア軍関係の本では、私も買った『Iron Hulls, Iron Hearts: Mussolini's Elite Armoured Divisions in North Africa』が最後に紹介されていたのですが、「包括的だが(その意味では良いが)、問題がある。イタリア軍が活躍した事例が選り好みして取り上げられており、イタリア軍がドイツ軍に対して貢献したという、作者が言いたい物語に寄せられて書かれているように私は感じた。」という風に書かれていました。



 私は途中まで読んだのですが、最初の方の、イタリアがいかに国力がなく、機甲師団というものを編成するのが難しかったかというようなくだりは個人的にある程度以上面白かったです。ただ、その後実際の戦場での話になると、戦術的過ぎて私にはつらい感じが(^_^; 「選り好み」というのはそれはそうでしょうね~。ただ、「専門家からはそのように映った」ということが分かった上で読めるというのはありがたい情報提供であると感じます。


 またこの欄には「(先に紹介した)ウェブサイトのCommand Supremoの方がバランスが取れている」とも書かれていまして、↓ここ。

Command Supremo Italy in WW2

 「Command Supremo」というのはイタリア軍最高司令部のことで、英語で書かれた、第二次世界大戦のイタリア軍に関する情報集積的なサイトでしょうか?

 個人的には伝記の記事があって、それに人物像に関して書かれているなら……と思って試しにいくらか見てみたのですが、それはどうも期待できなさそうでした。ただ、私が買って読んでいる『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』の書評のページがあって、ある意味批判的なことも書かれているのが大変参考になりました。



 以下、DeepL翻訳(一部修正)で一部を引用してみます。

そもそもこの本が何のための本ではないのか、ということが一番の出発点である。ロシアのアルピニ隊の軍事史ではない。いつものように、私は読み始める前にまず書誌をスキャンした。キャンペーンの詳細な「軍事史」に近いものは一つも載っていない。キャンペーンの歴史に近づく最高のタイトルはアントニー・ビーヴァーの『スターリングラード 運命の攻囲戦 1942-1943』、FaddellaのStoria delle truppe alpine 1872-1972; MesseのLa Guerra al fronto russo;そしてValoriのGli Italiani in Russiaであろう。欠落しているのは、『Germany and the Second World War』のような、イタリアの将校達や他の兵士隊に焦点を当てた本である。

これはこの本の最大の弱点である、著者が提示していることを説明するのに十分な確固たる歴史がないことを浮き彫りにしている。私は1942-43年のARMIRの出来事についてある程度の知識を持っていますが、物語の歴史を理解し、より大きな出来事の文脈の中でそれを配置するためには、Le operazione delle unità italiane al fronte russoを参照しなければなりませんでした。ロシアでのイタリア軍の作戦に何の背景もない読者にとっては、何が起こっているのかという点で行動を追うのは難しいだろう。日付がまばらに使われている(あるいは撤退の11日目に言及されている)こともまた、読者の妨げになっており、時間内の出来事を関連付けるために、確認したり再確認したりすることを余儀なくされている。

本書が提供するのは、参加者自身が経験し、語った感情、認識、感情を通して、これらの出来事の物語である。ハミルトンが行ったことは、彼らの日記、手紙、記事、インタビューなどを一つの物語に織り交ぜることで、アルピニのロシアでの経験を読者のために描くことである。文章の2/3から3/4はアルピニ自身の言葉であると私は推測している。これらはそれ自体が強力な物語であり、軍事史ではしばしば提供されないレベルでキャンペーンを記述しています。物語は、将校とアルピーニの両方の10-12人の男性を追跡し、彼らにロシアでの経験の物語を語らせる。断続的にしか記録を残さなかった者や、戦争を生き残らなかったアルピニの追加的な記述が織り込まれている。

これは興味深い読み物である。イタリア人がなぜロシアで兵役に就いたのか、装備や物資の不足、ドイツ軍や他国の軍隊との関係、天候の残忍さなど、さまざまな話題が語られています。これらの人物の著作に共通しているのは、ロシア人の寛大さとドイツ人の残忍さである。

【……】

本書は、英雄的なアルピーニのすべてが描かれているわけではなく、参加者全員がイタリア兵の明るい面と暗い面の両方を描いています。私が感じたのは、イタリアの兵士は人間であり、絶望的な時代には、偉大な偉業と非人間的な行為を行うことができるということです。

私がこの本をお勧めする理由は、このような出来事を個人的に見ているからです。イタリア兵の考えや感情をより深く理解することで、イタリア兵に対するあなたの考えを変えることができるはずです。



 イタリア語の本が挙げられているのが特にありがたく、必要があれば入手して、今であればDeepL翻訳である程度は読むこともできるのかもと思います。

『Hitler's Commanders』などから、ヴィータースハイム将軍について(付:OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』)

 承前、『Hitler's Commanders: Officers of the Wehrmacht, the Luftwaffe, the Kriegsmarine, and the Waffen-SS』からヴィータースハイム将軍の項を訳してみました。他の資料からの記述も交えつつ、書いていこうと思います。





 なぜヴィータースハイム将軍かというと、OCS『The Blitzkrieg Legend』で第14自動車化軍団の司令官として出てきて、尼崎会の一部でなぜか人気だからです(?)。

 写真はWikipediaにはないようなのですが、Pinterestで見られます。


 『Hitler's Commanders』上での記述ですが、経歴的なものはいいとして、興味深かったものだけ(位置No.1563辺り)。

 1936年10月6日にエアフルトの第29歩兵師団長の地位に就いた。彼は自動車化歩兵師団へと直接談話し、機動作戦を指揮する天性の才能を発揮して、第29歩兵師団を世界最高の師団の一つにした。その結果、歩兵大将に昇進(1938年2月1日)し、3月1日にザクセン=アンハルト州のマグデブルクで第14自動車化(後に装甲)軍団の指揮を任された。


 第29自動車化歩兵師団といえば、スモレンスクを陥落させた師団ではないですっけ? すげぇ……。


 ↓OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』の第29自動車化歩兵師団。

unit9563.jpg

 他の自動車化歩兵師団よりもアクションレーティングが高かったりするかとも思いきや、まったく同じでした(^_^;


 
 また、戦前の時点ですでにヒトラーの不興を買っていたようで……。

 1938年、ヴィータースハイムは、チェコスロバキアへの侵攻の際に、西部戦線の参謀長に任命されていた。彼はヒトラーの計画に声高に反対し、ジークフリートラインの防衛状況の悪さを独裁者の面前で批判した。ポーランド、フランス、バルカン半島、ソビエト連邦で軍団司令官として優れた記録を残したにもかかわらず、彼が軍司令官になることがなかったのは、このためであったようだ。
『Hitler's Commanders: Officers of the Wehrmacht, the Luftwaffe, the Kriegsmarine, and the Waffen-SS』位置No.1563




 ヴィータースハイムはスターリングラード攻略戦の時に、撤退を主張してパウルスから解任されました。

 スターリングラードの戦いの初期に、ヴィータースハイムはドン川からヴォルガへの前進を守るために戦車を使用したが、これは装甲陣形の不適切な使用であると批判された[3]。 直後、赤軍部隊からの非常に強い抵抗に遭遇したヴィータースハイムは、ヴォルガのすぐ西にあるスターリングラードの北の突出部での彼の部隊の死傷者が多かったために、ドン川への部分的な撤退を提案した。無能かつ敗北主義的な行為を取ったとみなされた彼は、ドイツ第6軍司令官であるフリードリヒ・パウルスによって指揮を解かれ、その後、ヒトラーによって解任された。
英語版Wikipedia「Gustav Anton von Wietersheim」



 しかしむしろ、ぽっと出のパウルスより、ヴィータースハイムが第6軍司令官であった方が良かったのではないかとも……。

 一流の軍事的天才とは思われていなかったが、ヴィータースハイムは確かに堅実で、経験豊富で、非常に有能な将校であった。第6軍の司令官としては、優柔不断なフリードリヒ・パウルスよりも、彼の方がはるかに良かっただろう。もちろんヴィータースハイムもそのことを知っていた。彼が新人【パウルスのこと】に抜かれたのを恨んでいたのは間違いない。
『Hitler's Commanders: Officers of the Wehrmacht, the Luftwaffe, the Kriegsmarine, and the Waffen-SS』位置No.1563




 その後彼は、末期戦の時には国民突撃隊の一兵士として戦ったのだとか……?(泣ける)

 歴史家のアラン・クラークによると、ヴィータースハイムは解任された後にドイツに戻り、軍事的な文脈では唯一、1945年にポメラニア国民突撃隊の一兵卒として登場した[11]。
英語版Wikipedia「Gustav Anton von Wietersheim」



 彼は1974年に西ドイツのボンで亡くなったそうです。

『Hitler's Commanders: Officers of the Wehrmacht, the Luftwaffe, the Kriegsmarine, and the Waffen-SS』で取り上げられている人物一覧

 北アフリカ戦線のイギリス軍将軍や、ドイツ軍の将軍達の列伝的な洋書を発見! (2020/11/29)で書いてました、Hitler's Commanders: Officers of the Wehrmacht, the Luftwaffe, the Kriegsmarine, and the Waffen-SS』をちょっと覗いてみました。





 どうも一人あたりの記述量は1~3ページ程度かもで、オスプレイの本と大して変わらないかとも思います。しかし、ペーパーバック版で351ページもあるということなので、オスプレイの本が一冊40ページ程度なのに比べるとはるかに多人数を扱っていますし、値段的にもKindle版なら1500円くらいで安めかと(オスプレイの本は大体2000円以上します)。

 内容もどんなもんかと思って試しにヴィータースハイム将軍の項をDeepL翻訳で見てみたのですが、その件はエントリを改めることとして、もしかしたら興味を持たれたかもしれない方のために、取り上げられている人物の一覧を挙げてみようと思います。

THE GENERALS OF THE HIGH COMMAND
Wilhehn Keitel. Alfred Jodl. Bernhard Lossberg. Georg Thomas. Walter Buhle. Wilhelm Burgdorf. Hermann Reinecke. Friedrich “Fritz” Fromm.

THE WARLORDS OF THE EASTERN FRONT
Fedor von Bock. Ritter Wilhelm von Leeb. Georg von Kuechler. Georg Lindemann. Friedrich Mieth. Count Hans Emil Otto von Sponeck. Gotthard Heinrici.

THE GENERALS OF STALINGRAD
Friedrich Wilhelm Paulus. Walter von Reichenau. Gustav von Wietersheim. Victor von Schwedler. Walter Heitz. Karl Strecker. Walter von Seydlitz-Kurzbach. Arthur Schmidt. Wolfgang Pickert. Erwin J aenecke. Hans Valentin Hube.

THE COMMANDERS IN THE WEST
Nikolaus von Falkenhorst. Hugo Sperrle. Friedrich Dollmann. Rudolf Stegmann. Baron Hasso von Manteuffel. Baron Diepold Georg Heinrich von Luettwitz.

THE PANZER COMMANDERS
Heinz Guderian. Hermann Balck. Walter Wenck. Traugott Herr. Wolfgang Fischer. Karl Decker. Dr. Heinz Goering.

THE LORDS OF THE AIR
Hermann Goering. Erhard Milch. Walter Wever. Ernst Udet. Wilhehn Balthasar. Hans “Fips” Philipp. Otto “Bruni” Kittel. Prince Heinrich zu Sayn-Wittgenstein. Erich Hartmann. Hans-Joachim “Jochen” Marseille. Kurt Andersen.

THE NAVAL OFFICERS
Erich Raeder. Hermann Boehm. Wilhelm Marschall. Gunther Luetjens. Karl Doenitz. Guenther Prien. Joachim Schepke. Otto Kretschmer. Wolfgang Lueth. Erich Topp. Engelbert Endrass. Lothar von Arnauld de la Periere.

THE WAFFEN-SS
Theodor Eicke. Paul Hausser. Josef “Sepp” Dietrich. Helmut Becker. Michael Wittmann. Gustav Knittel.


北アフリカ戦線のイギリス軍将軍や、ドイツ軍の将軍達の列伝的な洋書を発見!

 『Archibald Wavell』 (Command Book 28)に目を通してましたら、Correlli Barnettという著作家が1960年に書いたという『The Desert Generals』という本からの引用が載ってました。




 引用文が良さげでもあったのでAmazonで検索して書評を見てみたところ、北アフリカ戦線のイギリス軍の将軍達にフォーカスして書かれた本で、モントゴメリーに対してかなり辛口であるという指摘はあったものの、かなり良さそうで、Kindle版の値段も安かったので、購入してみました。


 また、この著者名で検索してみたところ、『Hitler's Generals』という本を発見。書評からはあまり詳しいことは分からないのですが、☆の数は非常に高めで、目次を見てみたところ、(興味のない)戦争前の将軍やカイテル、ヨードルなんかは除くと、

ルントシュテット、ライヘナウ、マンシュタイン、クライスト、ケッセルリンク、ロンメル、モーデル、アルニム、パウルス、ゼンガー(全然知らなかったのですが、モンテ・カッシーノの戦いの時の指揮官だそうで)、クルーゲ、ディートリッヒとマントイフェル、グデーリアン、シュトゥデント

 について、一人(ディートリッヒとマントイフェルは二人まとめて)につき20~30ページ程度で、様々な著作家によって書かれた列伝形式の本になっているようでした。ハードカバーの古書が1000円ちょっとで買えたので、これも購入(スキャンしてDeepL翻訳で読むので、ハードカバーの方が広げやすくていいのです)。





 また、Amazon側からの関連本の提示で、『Hitler's Commanders: Officers of the Wehrmacht, the Luftwaffe, the Kriegsmarine, and the Waffen-SS』という本が出てきました。



 書評によると、将軍達が戦場でどのように戦ったかではなく、人格面やナチスとの関係性によりフォーカスした本だそうで、人物像が知りたい私にとってはマストバイな本だと思ってこれも購入(Kindle版を)。


 同じ著者で、『Men of Barbarossa: Commanders of the German Invasion of Russia, 1941』という、1941年中の東部戦線におけるドイツ軍指揮官達に関する本もあったのですが、書評を見てみた感じでは私が興味ある分野を深掘りした感じではないので、とりあえずパスで(著者に関するWikipediaを見てみたら、結構批判もあるようです)。




 それから、『Stalin's Generals』という本もAmazon側から提示してきまして、「こ、これは!」と大興奮したのですが、書評によると経歴やなんかが詳しく書かれていて人物像的なことはほとんど書いていないっぽいので、購入はやめておきました(>_<)






 ドイツ軍の将軍達に関する本としては、これまでに以下のものを買っていましたが、どれも一人の将軍に関する記述量は多くなく(『ナチス・ドイツ軍の内幕』は時々詳しいですが)、「ドイツ軍の多数の将軍達の人物像的な面を知るのはドイツ語文献によるしかないのだろう……」と諦めていたので、嬉しいです。ただまあ、オスプレイ本にはまだ目を通してもなかったので、とりあえず入門的に読んでみるべきですね……(仕事の移動中に読む本にしようかと思います)。




イタリア領東アフリカ総督アオスタ公アメデーオと、東部戦線の快速師団「アオスタ公アメデーオ」(付:OCS『Case Blue』)

 OSPREYのCommandシリーズの『Archibald Wavell』 (Command Book 28)をDeepL翻訳を使って読んでいましたら、ウェーヴェル将軍麾下の英連邦軍と戦ったイタリア領東アフリカ総督アオスタ公アメデーオに関して、興味深い書き方がされていました。





Amadeo Aosta3rd 01

 ↑イタリア領東アフリカ総督アオスタ公アメデーオ(Wikipediaから)

 アオスタ公アメデーオはイタリア国王の従兄弟であった。騎士道精神に富み、教養があり、イギリス好きで有名であったため、とりわけ、ムッソリーニに嫌われていた。アオスタ公は、1937年からイタリア東アフリカ総督、エチオピア総督を務めていた。イタリア領東アフリカでエチオピア総督を務めていたグラツィアーニ将軍が野蛮で先住民との関係を害していると判断されたため、アオスタ公が選ばれて代わりにその役職に就いたのである。しかし、ムッソリーニはまた、彼を冷酷さと指揮官としての軍事能力に欠けていると考えていた。アオスタ公は1941年5月17日、負傷者の虐殺を防ぐために軍の残余とともに降伏し、1942年にはケニアで捕虜となって死亡した。
『Archibald Wavell』 (Command Book 28)位置No.952


 この人物の存在は以前から知っていたのですが、こういう興味深い記述を見たことがまったくなかったので、全然関心を持っていませんでした(^_^; もちろん、この記述がどれくらい正確かは分からないわけですが。

 イタリア語版Wikipedia「Amedeo di Savoia-Aosta (1898-1942)」をDeepL翻訳で読んでみると、父から特権を持たない一人の兵として扱われるように送り出されたり、国王の背の低さをからかって宮廷から追い出されてアフリカの石けん工場で単純労働者として仮名で働いたり、帰国してパレルモ大学で植民地問題を道徳的観点から検証し、先住民族に対する国家主権の賦課は、植民地化された人々の生活条件を改善することによってのみ道徳的に正当化されると主張したり。

 パイロットとして多数の偵察飛行をしたりしたのちに空軍関係で指揮官位を歴任し、征服されたエチオピア(イタリア領東アフリカ)の元皇帝ハイレ・セラシエに尊敬の念を示して感銘を与えたり、アディス・アベバから去る時に地元の女性や子供たちの保護を頼む手紙をイギリスのコマンド部隊宛に書いたりするなど紳士的な行動で知られ、降伏した際には英連邦軍の兵士達はアオスタ公アメデーオへの敬意を表しただけでなく、その健闘への賞賛の印として、武器の保持を認めたのだとか。



 「アオスタ公アメデーオ」という名前と言えば、東部戦線でイタリア軍の「快速師団」とも言われる騎兵と自動車化歩兵と軽戦車の混合部隊が「アオスタ公アメデーオ」という名前です。この師団の名前がこのイタリア領東アフリカ総督アオスタ公アメデーオから付けられたのかどうか今回調べてみたところ、イタリア語版Wikipedia「3ª Divisione celere "Principe Amedeo Duca d'Aosta"」によれば、彼の3代前(祖父)のアメデーオ・フェルディナンド・マリーア・ディ・サヴォイア=アオスタにちなんでいたようです。この祖父は当時イタリア王となった兄の分家としてサヴォイア=アオスタ家当主となり、その後スペイン王(日本語版Wikipedia「アマデオ1世 (スペイン王)」)にまでなったものの、自ら退位したのだとか。


 ↓OCS『Case Blue』の快速師団「アオスタ公アメデーオ」

unit9564.jpg

 ある程度頼りになる強さを持っていますが、『Case Blue』上では、青作戦時にはSPがもっと頼りになるドイツ軍装甲師団にまわされ、そして小土星作戦時には圧倒的なソ連軍の波に飲まれてしまう感じかとは思われます……。

 青作戦の途中で、ドン川沿いの戦線を守るために騎兵突撃でソ連軍を蹴散らした(ヨーロッパで最後に成功した騎兵突撃)のは、「Savoia」と書かれているユニットです(その場所等については→イタリア軍のメッセ将軍は、ドイツ軍に激怒して騎士鉄十字章を投げ捨てた?(が、その後も佩用し続けた) (2020/10/09))。


c3i 33号 『Waterloo Campaign, 1815』の和訳(暫定版)を作りました

 c3i Nr33 『Waterloo Campaign, 1815』の和訳(暫定版)を作りました。

 本ゲームは、2019年にGMTの機関誌?『c3i』の33号の付録ゲームとして出版されたゲームです。2018年の32号の付録ゲームで好評であった(らしい)『Gettysburg』のシステムで作られています。2019年のチャールズ・ロバーツ賞ナポレオニックゲーム部門と雑誌付録ゲーム部門にノミネートされましたが、受賞は逃しました。

 フルマップ1枚で、ユニットは39個、マーカーが3個です。基本的には軍団規模。

unit9565.jpg

 ↑c3i誌としては他にも色々入ってますが、『Waterloo Campagin, 1815』のコンポーネントだけを抜き出したもの。箱入りのデラックスエディションも出版されるようです。



 私は2020年初頭かにその存在を知って以来、気にはなっていたのですが、購入のふんぎりまではついていませんでした。1ユニットずつの交互手番であるという話も、肯定的に捉えて良いのか否定的に捉えて良いのか分からず……。が、(どういう理由でかは良く知りませんが)割とリアルな戦場での動きが再現されるらしいとかいう話をたまたまツイッターからのリンク先で読んで、「ままよ」と購入を決意しました(が、日本の通販先では見つからなかったので、古角さんから購入)。

 和訳がどこかに落ちてないかな~、と思って探してみたものの見つからず(どこかにあるんでしょうか?)。サマリー的なものが落ちているのは見つけたのですが、それだけではプレイできないので、ちょっと前から和訳を始めてみました。

 で、一応ほぼできてきた(実質的にはルールは4ページしかないのです。字は細かいですが)ものの、ちょっと良く分からない点もあるなと思ってエラッタを探してみたものの見つからないのでしょうがなくBoardGameGeekでの質問等のやりとりを(DeepL翻訳で)読み始めてみたら、う~ん、だいぶ分かったような、でも何か不安が残るというか……。

 OCSのルールはエラッタ(明確化を含む)がゲーム出版後4ヵ月くらいで出ますし、シリーズルールなんかはv4.3とかいう世界ですから、まだまだ全然こなれていたんだなということが実感できました(^_^;

 で、とりあえずの和訳と、BGGに落ちてた誰かが作ったらしい英語版のサマリーを参考にした日本語版のサマリーを作ってみました。その英語版のサマリーの解釈ミスではないかと思ったところは、私の解釈で作ってあります。尤も、解釈が正しいのか自信がありませんが……。

c3iNr33Waterloo和訳ルール201228.pdf
c3iワーテルロープレイエイド201228.pdf
 ↑11/28に公開した時のものではなく、12/28に改訂したものにリンクを貼っています。

 英文ルールブック(公開されてます→こちら)に16日からのシナリオの後、「プレイの例」が画像と共に挙げられており、最後には15日からシナリオとデザイナーズノートもありまして、せめて「プレイの例」はプレイの指針にもなるだろうから訳そうかと思っていたのですが、内容に色々ミスがあるらしく↓、BGGのやりとりを見てチェックしていたのに疲れ果てたので、とりあえず先延ばしで、いったん試しにプレイしてみる方向にしました。




 どなたか、一緒にプレイして下さる方希望です。基本的な概念と勝利条件をちょっと説明したら、サマリー通りにやればプレイできると思います。ただ、訳してみて分かりましたが、移動も戦闘も、可能な限り無限にできるシステムですので、だいぶ普通のウォーゲームとは異なる感じかと思います。

 下野守(しもつけのかみ)さんには以前話してまして、一緒にプレイしてもらえるという内諾はもらってあります(気が変わっておられなければ(^_^;)。下野守さんは土日に休むのは難しいということで、事前に言ってもらって私も平日に休みを取って尼崎会をしてたりしますので、平日込みでも言っていただければ。


 

OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』キャンペーン第1ターン初動研究「燃料ケチケチ作戦」ほか

 ミドルアース大阪にワニミさんと行きまして、OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』キャンペーンの最初のターンの初動を研究してました。




 主に私がグデーリアンの戦区を、ワニミさんがホートの戦区を研究しておりました(実戦ではワニミさんはグデーリアンしかプレイしないと宣言されていますが……(^_^;)。以下、1つの案に過ぎませんが、今後のプレイの時に役立つように、コンセプトや手順を書いていきます。ただ、ドイツ軍機械化部隊の配置はいくらかランダム要素があります。


 ↓グデーリアンの戦区のドイツ軍プレイヤーターン終了時。

unit9567.jpg

 まず①~④の場所にいるソ連軍部隊をどかさなければなりません。①へは第17装甲師団から砲兵を観測部隊として送り、ヒップシュートしてDGになったら、第17装甲師団の装甲大隊1個でオーバーラン。

 ②は第1騎兵師団の砲兵を小川の向こうへ送りこんで観測部隊&敵の退却防止部隊にし、ヒップシュート(この際、マップ南西の航空基地から飛ばせば10ヘクス以内で右に1コラムシフト)、オーバーラン。

 ③へは、空いた②を通って東からオーバーラン。ここのソ連軍は弱い&地形がオープン&殴る部隊に事欠かないので、退却防止部隊やヒップシュートはなくても大丈夫かと思われます。

 ④は地形的にオーバーランできないので、グロースドイッチュラント連隊+どこかの機械化師団から自動車化歩兵連隊1個程度を東側に持ってきて、戦闘フェイズ中に殴るしかないかと。航空爆撃に成功してDGになっていれば、殴る部隊は1個でOKかもです。

 あと、13.10にソ連軍の4-1-1歩兵がいますが、これは殴って壊滅させた方が結局は楽。

 ドニエプル川沿いに関してですが、ワニミさんに教えてもらったこととして、川沿いには歩兵(とそれに類する「その他」(機甲と機械化以外))を並べて、機甲&機械化は川に接しない方が良いと。というのは、川沿いにいるとソ連軍部隊に観測されてDGにされてしまったり、ソ連軍のZOCに入って予備モードになれなくなってしまう&川向こうのソ連軍部隊を殴る際には、「その他」なら1/2だが、機甲や機械化では1/4や1/3になってしまうから。「なるほど~」と思いまして、「その他」ばかりを並べています。また、青い○の箇所にはソ連軍の第1自動車化歩兵師団がいて自由にさせると厄介なので、観測・爆撃してDGにする必要があります。

 ともかくそれでドニエプル川の渡河準備はできたので、主力の装甲部隊は川から少し離れた場所にいればよいわけですが、そのタイミングは次の自軍移動フェイズ開始時で良いわけです。なので、このターンは燃料を入れずに予備モードにして、リアクションフェイズ中に燃料を入れようと(4つの赤い○の装甲師団。北から第17、第18、第10、第4)。OCSのテクニックの一つとして、リアクションフェイズに複数ユニットフォーメーションに1SPの方法(OCS 12.5c A))で燃料を入れると、リアクションフェイズ中に許容移動力の半分動いた後、自軍プレイヤーターンの開始時には給油状態のままで開始するので燃料を入れることなく全移動力(あるいは再度予備モードになれば1.25倍の移動力)で移動できる、というものがあります。つまり最大で、同じ燃料消費で移動力が1.75倍にできるのです。これぞ、西住流「燃料ケチケチ作戦」(おい)。


 対して、次のソ連軍プレイヤーターンにソ連軍は何ができるかを考えてみると、どうせ渡河を全地点で失敗させるのは難しいので、ドイツ軍にとって使いやすい、西方への二級道路に近い渡河地点の川沿いはガチガチに守り、緑の○で囲んだあたりが二級道路から離れていてそこに渡河点を作るのはドイツ軍にとっては余計な移動力を消費することになるので、そこらへんはガラ空きにしておいて良いのではないかと。また、前回のプレイで思ったのですが、ソ連軍は補給線を切られてしまって脱出(Breakout)するしかなくなってしまうことが多かったので、何はともあれ部隊を失わないように、できるだけ補給線を確保しつつ、確保できなさそうな場所はSPを抱えたりするということを目指していくべきかなと思いました。セットアップで「司令部に自由配置」の輸送ユニット2個とSPはKrichev辺りに置いて、モギレフへのSP突っ込み用に使用すべきかなとも。



 ↓ホートの戦区。

unit9566.jpg

 ワニミさんは前回に引き続き、ヴィテブスク周辺のソ連軍部隊をそのままにしておき、包囲してしまうという作戦を研究されていました。ヴィテブスクにはソ連軍は1SP持っているので8RE分を1ターン持たせられます(包囲環内のソ連軍は11REくらい?)が……。

 私はかなりいい作戦案なのではないかと思ったのですが、ワニミさんによると、次のドイツ軍プレイヤーターン中も3個装甲師団を包囲環維持のために貼り付けておかねばならないので、あまり良くないのではないか、自分が実戦でホートの担当になった多分この作戦はやらない、と仰せでした。第2ターンの先攻をソ連軍に取らせて損耗させるという方法でその難点を解消するという案もあり得るのですが、メリットデメリットを色々考えると、そう簡単には踏み切れないところです……。


 また今回、ホートから1個装甲師団、グデーリアンから1個装甲師団を割いて、オルシャの北西から東にかけてを切り裂いてオルシャを孤立させるという案も検討してみたのですが、危険も多いし、完全に孤立させられるわけでもないし、戦力を割くのも痛いので、どうもこの案はやらない方がいいんじゃないかと思いました。




 今後また、尼崎会で『Smolensk:Barbarossa Derailed』キャンペーンをやり直す時に、今回の研究を活かしてプレイしていきたいと思います。



 あと今回のミドルアース大阪には、愛知小牧からKMTさんが来られて、BCSの『Baptism By Fire: The Battle of Kasserine』をFRTさんとデグさんにインストされてました。





 先日のMMPのセールで私と肉入り鍋さんはBCS『Baptism By Fire: The Battle of Kasserine』と『Brazen Chariots: Battles for Tobruk, 1941』を注文しましたので、KMTさんの和訳を心待ちにしております(^^) 今後、FRTさんとデグさんにはルールを教えてもらえるかもだし、KMTさんがまた大阪に来られるようならその時に教えてもらうとかも……。

 今回その様子を見たこともあってか、OCS『Tunisia II』のカセリーヌ峠シナリオをまたそのうちにやろうという話も出ました。


ワニミさんがOCSの補給概念図とRE概念図を作って下さいました

 最近、ワニミさんがOCSの補給概念図とRE概念図を作って下さいました。

 以下のもの。

unit9569.jpg

 OCSの補給において、「補給フェイズにおける補給チェック(一般補給)」と、「戦闘補給や燃料のために消費するSP(の受給や支給)」は、かなり異なる概念であり、異なる処理を必要とします。一方で、司令部ユニットの機能などは両方に関わってくるので、そこらへんがごっちゃになりがちではあります。

 例えば、エクステンダーは一般補給にしか関わりがないので、そこらへん注意が必要です。





unit9568.jpg

 RE(連隊相当)は、まずはどの記号がどの規模かを覚えなければなりませんし、覚えた後でもそれぞれがOCS上の何にどう関わっているのかを概ね把握するには少し手間暇がかかるようには思います。


 ワニミさんはまた、適宜こういうプレイエイドを作って下さるそうです。ありがとうございます!


 データは以下に。「OCSの物置2」にも置きました。

OCSの補給概念図
OCSのRE概念図



 また、先日OCSルソンに関して、OCSチームの副班長Chip Saltsman氏とメールのやりとりをしていまして、その話の流れで、「OCS Depot」の「OCS 101 Learning Tools」のページ(101というのは初級講座というような意味だそうです)に、OCSの英語以外への翻訳へのリンクとして、

・Japanese:
  OCS Wiki Page
  Japanese Language Rules v4.3 document is here.

 というのを置いていただけることになりました。

 ただ、Saltsman氏が仰るには、「OCS 101 Learning Tools」のページに英語以外への関係リンクを置くのはおかしいなと思ったということで、そのうちに別のページが作られてそこに移されるかもしれません。

OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』キャンペーン、第4ターン後攻、5ターン先攻をプレイしました

 先日の尼崎会で、OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』キャンペーンの第4ターン後攻(ソ連軍)と第5ターン先攻(ドイツ軍)をプレイしました。

 今回は肉入り鍋さんも来られたので、ワニミさんと私の三人でプレイでした。



 ↓第5ターン(7月22日ターン)先攻(ドイツ軍)終了時。

unit9570.jpg


 画像でドイツ軍が最も東にいる場所の少し先がイエルニャで、前のターンにその少し前のポチノクを落とし、ようやくここまで来ましたが、史実では第3ターンの時点ですでにイエルニャまで達しているようです。スモレンスク市街地はすでにスタック制限ほぼぎりぎりまでソ連軍部隊が溢れているので包囲に留めています。

 史実では第2ターンに落ちたらしいオルシャ、第5ターンに落ちた(?)らしいモギレフもまだソ連軍が持ってまして、問題は、あと2ターンで鉄道工兵がその両都市の地点までゲージ変換を完了すること。もしその時点まで落ちていなければ、鉄道の延長という面でも大きなロスが発生することになります。

 他に今回大きく分かったこととして、前ターンにドイツ軍はマップ北端近くを疾駆して勝利得点ヘクスを窺ったのですが、直後にマップ北端から騎兵を含むソ連軍増援部隊が登場して包囲されてしまった(そしてBreakout「脱出」を余儀なくされた……)ので、マップ北端近くは(少なくとも第4ターンには)行くものじゃないな、と。

 それから、オルシャとモギレフには包囲のドイツ軍分遣連隊がいるわけですが、司令部ユニットをどんどん東へ持っていった結果、それらの分遣連隊に一般補給を入れられないことが判明! 一般補給を入れるために司令部ユニットを置いていかねばならないのだということが分かりました(^_^;


今までの訪問者数(2011/9/17以降)
プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

Twitter
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
オススメ本
バナーで応援コーナー
ぜひ見て頂きたいページへのリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR